アスペルガーの館の掲示板(旧)
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ミッドランド wrote:
> それとも、もともと「社交性」と「海外へ出ること」には相関性がないのでしょうか?
言葉が通じないところでは「社交性」を発揮できないのが嫌だからとか。
(可能性の一つ)
peko wrote:
>みどりさんのご指摘の通りですが、私の文章表現の仕方が悪かったようです、皆さんゴメンナサイ!何しろ初めてなもので未だにレスの仕方もいまいちですね。すみません。
pekoさんが謝らなきゃいけないようなことはまったくないと思います。
あとついでに、もしも私だったら、「ずっと就職したかったのになかなかうまくいかなくてへこんでたんだけど、今度やっと就職できたのよ。ほめてほめて!」と言ってほめてもらいます。
こうもりさん他からもコメントがあったように、「良いこと」と認識していない可能性もあるし、「良かったなあ」と思っていてもそれを相手に伝ええる必要があるとは思ってないのかもしれません。
もしくは、彼は「よかったねえ」と言ったつもりだけど、その言い方がpekoさんにはわかりづらい言い方で気づかなかったのかもしれません。
大きな気持ちで見守るのもいいですけど、だまって我慢しちゃうのではなく、pekoさん自身も快適になれるような彼とのいい付き合い方が見つかるようにいのっています。
Maria wrote:
> こういうのをソフトウェア開発の世界では「Hackishな性癖」と云うのですが、掘り下げが深いと、どんなことでも「特別」から「特殊」へと移行していってしまう部分があります。ですから、Hackishではない人の場合、しばしば「適当に話を合わせていただけなのに、そのうち辟易してくる」みたいなことになってしまいます。これに対してHacker 対 Hacker だと、「うーむ、深いな」とかいって、その「深さ」そのものに淫して(=ハマって)しまいます。
> だから、「日常のありふれたこと」なのですが、掘ってみると「深い」場合がしばしばあって、そうすると徹底的に掘り下げたくなる、ということなのですね。で、「深く掘りさげられた」という点で、すでに「日常のありふれたこと」から逸脱した、「特殊なこと」になってしまうわけです。最近のうちの研究所(←こう呼ばれている)の研究テーマは、「和音」と「包丁」です。
あ〜ごめんなさい、おっしゃりたいことがよくわからなくなりました。
どの部分が Maria さんのいいたいことで、どの部分がそのための解説なのか、私がわかんなくなってしまいました。
この投稿も、前の投稿も、単独ならわかるんですが、両方合わせると、どう読んだらいいのやら??
> この「研究者」さんは、現在は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」として、内閣総理大臣を任命したりとか、国会を召集したりとか、外交文書を認証したりとかいったお仕事をされてたりします。だけど同時に現役の学者さんでもあるのですね。
相当に優秀な人は別として、普通研究のネタを探すのは大変です。ある意味、いいネタを見つければ研究の半分は成功とも言えます。
しかし、この研究者さんは、立場上、研究発表ができる内容がひどく限られてしまっています。家業にかかわるような部分の研究はまずムリでしょう。そういう逆境のもとでなんとかやってくところ、すごいなって思います。
ミッドランド wrote:
> それとも、もともと「社交性」と「海外へ出ること」には相関性がないのでしょうか?
私は社交性にはかなり問題があり、ついでに方向音痴でもありますが、旅行と言えばむしろ海外です。
海外では社交性以前に言葉に不自由するため、余計な悪印象をもたれずにすむという利点(?)があります。
海外に行ってうれしいことは、普段疑問をいだいていた「常識」を、あっさりくつがえしてくれることです。
それまで常識だからと押しつけられていたけど、なんだやっぱり違う方法もあるんじゃない、と思えます。
また帰国後は、「普通〜でしょ」と言われたときに「〜〜の国では〜なのよ」とうそぶくこともできます。
逆に、あまり性にあわない現地の習慣があっても、短期間のことだと思えば結構平気ですし。
ミッドランドさんのお母さまについて言えば、世代の違いもあることだし、なにか海外と結びついた嫌な記憶があるのかもしれませんが、なにかの理由で一度行ってしまったら、あっさりハマってしまうなんて可能性もあるのでは、と思います。
マザー wrote:
>私の場合迷子になってしまうかも・・・最悪の場合行方不明になっちゃいそうです。
Jane Doe 行路死亡で Jane Doe
ミッドランドさん wrote:
> 皆さんは旅行へひとりで行くことが多いですか? ミッドランド
ホント、偶にはふらっとひとり旅に出かけたいですね。
車窓から眺める風景は、田園がいいな。
ゆっくりとした時間の中(何も考えていない状態)に浸っていたいです。
あと、知らない土地の風の匂いとか、肌で感じてみたいですね。
昔からひとり旅にはあこがれを持っているんだけれど、ひとりで旅行した
ことはないです。すごい方向音痴なんです。(笑)
私の場合迷子になってしまうかも・・・最悪の場合行方不明になっちゃいそうです。
うーむ。眠かったせいかボケボケなことを書いている。
>この部分はプロポーショナルフォントで見てください。
正しくは、
>この部分は等幅フォントで見てください。
です。で、ラとシの位置が入れ替わっていました。
---
◎○:完全協和音
△:不完全協和音
●:不協和音
■:長音階にない音/黒鍵に相当する
×:ほぼ5:7の位置にある、和音と謂っていいのかどうかわからない音
8:9 4:5 8:15
↓ ↓ ↓
長音階 ド ■ レ ■ ミ ファ■ ソ ■ ラ ■ シ ド
主音 上主音 上中音下属音 属音 下中音 導音 主音
◎ ● △ ○ × ○ △ ● ◎
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
1:1 3:4 2:3 3:5 1:2
---
これが正しい図です。
そういえば、関東と関西では、菜切り包丁の形が違います。ところが、本職の料理人さんは、そのことを知りませんでした。なぜかというと、菜切り包丁というのは家庭用の包丁だからです。本職は、薄刃包丁とか野菜切り包丁とか剥き物包丁とかを使います。これを知って以来、グルメ漫画を読むときに、ついついチェックを入れてしまいます。
なお、関東と関西では刺身包丁の形も違います。関東は蛸引き、関西では柳刃です。
(Maria)
この間わしは母に「落ち着けるときが来たら、海外旅行にでも行ってみてはどうか。」と話しました。ところが、母はこう行ったのです。
「海外なんか行きたくない、旅行するなら国内の温泉に行った方がずっといい。」
そこでわしはもうひとつ、訊きました。
「一生のうちに海外へ行けなくても、後悔しないのか。」と。すると母いわく、
「全然後悔しない。行けなくたってなんとも思わん。」
意外な答えでした。母は社交性に富んだ人で、数多くの交友関係を持つ人です(何もしなくとも知らず知らずのうちに友人ができてしまう、わしから見ればうらやましい限りの人)。そんな人だから、きっと海外へ出て現地の人との交流をしたいと考えているだろうと思っていました。
どうやら「異国の地での楽しみ」よりも「見知らぬ土地での不安」が先行しているようなのです。言葉の問題、安全の問題、飛行機に長時間乗る苦痛、知らない街を歩く不安、などなど。どんなに親しい友人と一緒でも絶対海外には出かけないそうです。
わしはどうかというと、反対にいつかは海外に行きたいと考えています。これは前に投稿したように、基本的にひとり旅、しかし本当に信頼できる親しいパートナーがいるのなら一緒に行ってもいいという条件でですが。
どうもわかりません。わしが人間関係に悩んでいると、母は
「あんたは自分から世界を狭く狭くしようとしている、もっと心を開いて人に接するべきだ。」
と言います(「居る世界」が違うんだから、自分の尺度だけで見ないで欲しいんですが)。そんな母が海外旅行となると、それを拒んで「自分から世界を狭く」しています。
それとも、もともと「社交性」と「海外へ出ること」には相関性がないのでしょうか?
どうも家族とはすれ違いがちな ミッドランド
武田さん、私の質問に答えていただいてありがとうございました。
とても参考になりました。
やはり皆さんに教えていただくのは勉強になります。
I wrote:
> 「ある特別な事」とはいうものの、「芸能界のゴシップ」とか(中略)
>いったことが「一般的」で「普通」であるとか、「ソフトウェア開発」とか
>「鉄道」とか「昆虫」とかいったことが「特別な事」であるとかいったこ
>とではないように思います。少なくとも、話している本人にとっては「普
>通のこと」なわけです。
みどりさん wrote:
>pekoさんが言った「特別」は、specific とかピンポイントとかという意
>味であって、別に「特殊」という意味は含まれていないんではないかと。
うーん……難しいところだな。
こういうのをソフトウェア開発の世界では「Hackishな性癖」と云うのですが、掘り下げが深いと、どんなことでも「特別」から「特殊」へと移行していってしまう部分があります。ですから、Hackishではない人の場合、しばしば「適当に話を合わせていただけなのに、そのうち辟易してくる」みたいなことになってしまいます。これに対してHacker 対 Hacker だと、「うーむ、深いな」とかいって、その「深さ」そのものに淫して(=ハマって)しまいます。
だから、「日常のありふれたこと」なのですが、掘ってみると「深い」場合がしばしばあって、そうすると徹底的に掘り下げたくなる、ということなのですね。で、「深く掘りさげられた」という点で、すでに「日常のありふれたこと」から逸脱した、「特殊なこと」になってしまうわけです。最近のうちの研究所(←こう呼ばれている)の研究テーマは、「和音」と「包丁」です。
「和音」に関しては、「1:2」(完全八度。オクターブ)と「2:3」(完全五度)という和音が基礎になって、「2:3」を転回すると「3:4」(完全四度)になり、これを上に延長して「3:4:5」の和音(「ド:ファ:ラ」「レ:ソ:シ」「ソ:ド:ミ」)となって、これをさらに転回すると「4:5:6」の和音(「ド:ミ:ソ」「ファ:ラ:ド」「ソ:シ:レ」)ができる、といった関係が見えてきて、とてもうれしいことになっています。ほくほく。これでドレミファソラシドの八音が全部揃ったぞ。
現在は短音階だとかギリシャの音階だとか、邦楽を含む民族音楽だとかジャズのブルー・ノートだとか(山下洋輔『風雲ジャズ帖』参照のこと)、ギターやバイオリンや琵琶などの弦楽器のシステムだとか、コード進行のメカニズムだとか、主旋律と伴奏の関係とかにどどーんと興味が走ってしまうのですね。
ついでだから書いておきましょう。この部分はプロポーショナルフォントで見てください。
◎○:完全協和音
△:不完全協和音
●:不協和音
■:長音階にない音/黒鍵に相当する
×:ほぼ5:7の位置にある、和音と謂っていいのかどうかわからない音
8:9 4:5 8:15
↓ ↓ ↓
長音階 ド ■ レ ■ ミ ファ■ ソ ■ ラ ■ シ ド
主音 上主音 上中音下属音 属音 下中音 導音 主音
◎ ● △ ○ × ○ △ ● ◎
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
1:1 3:4 2:3 3:5 1:2
義務教育では、ここまで深くは教えないのですね。そのくせ楽譜についてはけっこう詳しく教えています。楽譜は標準的な表記法だからそれだけ一般性・実用性があるということなのかもしれませんが、そのなりたちが分かってないもんだから、さっぱり頭に入ってきません。結果的に、楽譜が読める人はほとんどいない、ということになってしまっています。
国語における活用表も同じです。その中にある法則性がちゃんと理解されていないから、ぜんぜん頭に入らないし、結果的に利用されない。算数の九九表だってそうです。
結果だけを手っ取り早く求める、という姿勢が、「本質的な理解」と「掘り下げ」を疎かにしてしまっています。ところが、その「結果」すら得られていないのだから困ったものです。それよりは、「本質的な理解」の入口を示し、「掘り下げ」の楽しさを教え、その力を養うのが筋なんじゃないかなぁ、と思います。
とはいえ、日本という国はけっこうステキな国です。
ウロハゼというハゼの一種には、二つの国の学者が一八四五年十月という同年同月に、別々の学名をつけています。こうなると、どちらの学名を採用すべきかは、発表した日時の問題になっちゃうわけですね。で、ある研究者は双方の学者が発表した原記載の刊行物や当時の学者が書いた古い手紙を調べるという地味な探究を長年続けた結果、ついにどちらに先取権があるかを突き止めました(『ウロハゼの学名について』。『魚類学雑誌』十三巻(昭四一))。
この「研究者」さんは、現在は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」として、内閣総理大臣を任命したりとか、国会を召集したりとか、外交文書を認証したりとかいったお仕事をされてたりします。だけど同時に現役の学者さんでもあるのですね。
子供の頃、何かに熱中すると「偏った子供に育ってしまうのだろうか」と心配して、親や教師がそれを取りあげてしまうことがあります。これって、子供の成長にものすごく悪影響を及ぼす気がするのですね。「とことんやる」「見きわめがつくまでやる」「飽きるまでやる」というのは、無駄になんない気がします。結果ではなく、「やったこと」が力になります。
「特別」→「特殊」という質的変化が起きるまでやる、というのも、一つのありかたのように思います。『虎』という詩で有名なウィリアム・ブレイクも、「過剰は真実に続く道である」と言っていますから。まあ、できればちゃんとした「論文」(っていうか、文書。「ドキュメント」とあたしたちは謂っています)を残していただきたいと思いますが。
(Maria)
ミッドランド wrote:
> 皆さんは旅行へひとりで行くことが多いですか? ミッドランド
旅行といえばひとり旅です。休みが取れて自分に気力がある限りどこかへでかけます。(気力は、一旦でかけちゃえば問題ないんだけど、出かける前はなかなか大変。)
気になるところで好きなだけ時間をすごし、興味をひかないところには見向きもしない、そんな感じでふらふらと過ごします。
友人との旅行もそれなりの数をやってますが、よっぽど親しい相手と短期間の旅行なら楽しいのですが、相手を間違えたり、親しい相手でもちょっと長くなってしまうとだんだんうっとうしくなってきますね。
ひとりきりで、知り合いもいない知らない土地にいると、日常というものから完全に切り離されて、まさにリフレッシュできます。
友人と一緒だと、それがどんなに楽しい旅行であったとしても、日常生活の延長にしかなりません。
彼と一緒にべたべたすごす短期旅行はしたいと思っているけど現在相手がいなくてできない みどり
みどり wrote:
>Maria wrote:
>> 「ある特別な事」とはいうものの、「芸能界のゴシップ」とか「野球」とか「ゴルフ」とかいったことが「一般的」で「普通」であるとか、「ソフトウェア開発」とか「鉄道」とか「昆虫」とかいったことが「特別な事」であるとかいったことではないように思います。少なくとも、話している本人にとっては「普通のこと」なわけです。
>
>pekoさんが言った「特別」は、specific とかピンポイントとかという意味であって、別に「特殊」という意味は含まれていないんではないかと。
みどりさんのご指摘の通りですが、私の文章表現の仕方が悪かったようです、皆さんゴメンナサイ!何しろ初めてなもので未だにレスの仕方もいまいちですね。すみません。
Maria wrote:
> 「ある特別な事」とはいうものの、「芸能界のゴシップ」とか「野球」とか「ゴルフ」とかいったことが「一般的」で「普通」であるとか、「ソフトウェア開発」とか「鉄道」とか「昆虫」とかいったことが「特別な事」であるとかいったことではないように思います。少なくとも、話している本人にとっては「普通のこと」なわけです。
pekoさんが言った「特別」は、specific とかピンポイントとかという意味であって、別に「特殊」という意味は含まれていないんではないかと。
こんにちわ、あさかぜさん。目の方は調子がよくなったんですけど、郵便局
と学習塾の仕事を両立するのにちょっと手間取っていました。
あさかぜさん wrote:
> わたしは〔思春期を十年以上やっていたらしい〕と思っていて、その間に様々な>人たちや本と出会って影響を受け、どうやら抜けたらしいな?と感じたのは30代>になってからです。で、それからが青年期(笑)。
「裏問題児」(AS,非言語性LD,多動のないADD)と称される人々は
それ以外の人より、ちょっとだけ思春期や青年期が長いのかな〜、と思ってい
ます。
> はっきりしないと、すっきりしないって感じでしょうか……。←変な言い方
>ですみません。
たぶん、ほとんどの人にとって自己イメージの形成は大切なテーマなんでし
ょうけど、障害者には「障害者イメージの形成」というのも重要なテーマにな
ってくるんですよね。
でも、軽度発達障害の人にとってこれは結構、難しいことです。
(1)軽度発達障害が目に見えない障害である
(2)ある面では健常者に近く、ある面では障害者に近いため混乱しやすい
(3)スキゾニア(精神分裂病の正式名称)と同様、障害が軽い人ほど障害に
対する自覚症状が強く、不安に陥りやすい
というのがその理由です。子供の頃に自閉症,発達遅滞,肢体不自由,てんか
ん,MBDの世界で「ボーダーライン」的な結果が出されていたわたしにとっ
て、障害者イメージの形成は至難の業でした。「障害を受容しようにも、その
障害が何なのか分からない!!」と言った状態でしたね。
> わたしは『娘がASである』という診断はストンと腹に落ちた部分がありま
>すが、多分彼女自身が悩むのはこれからであろうと覚悟はしています。
悩む子供には2つのタイプがあります。1つは自分の障害を認めたがらない
子で、もう1つは自分の障害にこだわって自信をなくしてしまう子です。どち
らにしても、「障害者イメージの形成」と「障害の受容」は思春期,青年期の
重要なテーマになってくると思います。
お嬢さんが荒波を乗り越えていかれることをお祈りしています。では
Mariaさん、無夢霧娘さん有難うございます。こんなに明確にアドバイスして下さって嬉しいです。彼の話は、私にとっては、知らない事ばかりで興味をそそるような話し方をするもんだから、いつも聞き入ってしまいます。質問するととても得意げに話すのでいまの所会話については充分愉しんでますね!Mariaさんの文章は彼に似てます(^-^)。すっごく納得してしまいました。
「どこを見るか、ではないでしょうか。」確かにそうですよね!それに彼は、私の本質って言うか私を解ろうとしてくれている人です。
無夢霧娘さんのアドバイスの仕方とっても解りやすいです。それと「仲がいい程、無視して一緒に感じあえるのが好きです。」イイ言葉ですね!これは、頂いときます。タダでいいでしょうか?(^-^)
皆さん本当に有難うございました。感謝!感謝!感謝!です。(^-^)/”
ひま人さん wrote:
>むしろこれからもグローバル化は進み、貧富の格差も大きくなるのではなかろうか。日本国内もいずれ貧富の格差は大きくなるのではないか。というよりもすでにそうなりつつあるのかもしれない。
なっていますね、確実に。一説には「今後の日本では富裕層が10%、他の90%が残った分を奪い合うことになる」なんて言われています。わたしは経済にうといので、真偽のほどは存じませんが。
シリコンバレーのホームレスをご存知ですか? 仕事はあるが家がない人たちです。先端技術と高い賃金を持つコンピュータ技術者だけが住んでいるわけではなく、ひとつの町です。様々な職種の人々がいます。職によっては賃金の低い人もいるわけです。だから「仕事はあっても家がない」ということもありうるわけです。
これからの日本にそういう人々が出てこないという保障は何もないです。
あ、テロの話でしたね。失礼しました。
人間が存在する限り、テロリズムは地球上のどこでも起こりうると考えています。宗教や経済だけに収斂できる問題ではないと思います。
pocks wrote:
>都会の景色は金太郎飴のようにどこまで行ってもビルばかりで、見慣れないうちは自分がどこにいるのかわかりにくい。
。>私を襲う不安の大波。このバスは今、いったいどのへんを走っているのだろう。バス停の名前を全部暗記しておくという戦略もあるのだが、普段は路線図が見えるところに乗れることがほとんどなので動機付けが弱くまだうろ覚えでどうにもならない。およその所要時間はわかっているので、乗車時刻からの経過時間などの代替手段でなんとか目処を付けてみる。それでも心の奥底から来る強い不安を押さえるのは難しい。誰かとの約束の時間に遅れそうなことを気にしているのではなく、先が読めないことからくるパニック状態にあるために頻繁に腕時計に目をやっているということは他の乗客や運転士には気づかれていないとは思うが、他の自閉者が同じような状況に置かれた場合、目に見えるパニックを起こしても不思議はない。
ド田舎のバスは何が何処へいくのかさっぱりつかみにくい。
都会は上の標識を見てりゃ必ず何処かには着いていたけど、
去年私は市内街から自宅へ帰ろうと思ったら、
気が付いたら海岸沿まで行ってしまう手前だった
さっぱり四面楚歌だったけど、「ケイタイ」というやつを持たされていたので
助かった。
「な、なんでそんな処にいるのー!」
ソンナコトイワレテモコマル。
>不安な時間を過ごすこと○○分、運賃表示板に降りるべきバス停の名前を発見し、見慣れた景色を目にした私の肩の力は、一気に抜けた。
冬に入る手前、道路で独り、お父の車が来るのをポチンと待っていた。
「怒ったってしょうがない」と分ってくれてるし、
精神的にはパニックは減った。
pekoさん wrote:
>相手の気持ちを理解することが難しいと云うのは、やはり本当なのでしょ
>うか?
うーん、なんか違うような気がするぞ。
>ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に水のように
>止まらないし、・・・・。
「ある特別な事」とはいうものの、「芸能界のゴシップ」とか「野球」とか「ゴルフ」とかいったことが「一般的」で「普通」であるとか、「ソフトウェア開発」とか「鉄道」とか「昆虫」とかいったことが「特別な事」であるとかいったことではないように思います。少なくとも、話している本人にとっては「普通のこと」なわけです。で、あたしは本人が自分のことを話すのと同じくらい、その人がどういうことに興味を持っているかとか、あることに対してその人がどういう考え方をするかといったことが、その人を知るための手がかりになると思っています。
それに、自分のことを喋っているからといって、相手に対して関心がない、とかいったことでもないように思います。
自分が話し終わっても相手がなかなか口を開かないので、場を白けさせないように話をつないでいるのに、相手は「なかなか話が終わらないので、口をはさむ機会がない」と思っているかもしれない。
「自分は自分についてこれだけの情報を開示したのだから、あなたもあなたのことを語ってほしい」と思っているのに、相手は「この人は自分のことばかり話している」と思っているかもしれない。
「私が興味を持っていることに対して、あなたにも興味を持ってもらいたい。同時に、あなたが興味を持っていることに関して、私は知りたい」というつもりで話しているのに、相手は「この人は一つのことに熱中しやすいタイプなのだ」としか判断しないかもしれない。
「話し上手は聞き上手」という言葉がありますが、相手が自分の言たいことを言えるような、「いい質問」(=「食いつきのいい質問」)をする、という努力をする人というのは、とても少ない。多くの人は、「自分が言ってほしいこと」を聞きたがります。会話だって「give & take」なのに、takeばっかりの人を多く見かけます。
「巨人軍の長島が引退しましたね」みたいな話題を振られたとして、そこで「はあ。」とかいって聞き捨てにしちゃったのでは相手は困ってしまいます。あるいは、「私はプロ野球にあまり興味はありません」とか言っちゃうのも、やっぱり不親切です。
「『巨人』という呼び名は嫌いですね。『読売』とか『ジャイアンツ』とか言っていただきたい」「私は王さんのファンでして」「それより近鉄が優勝しましたな」「野球はやはり大リーグでしょう」「『巨人の星』とか『侍ジャイアンツ』は観ましたけどね」とかいった形で応答すれば、「読売一極集中の日本のプロ野球・マスコミ報道のありかた」「王・長島に見るリーダーのタイプ論」「関東対関西、セ・リーグ対パ・リーグの対立の構図」「野茂・イチロー・新庄ら日本人野球選手の大リーグでの活躍と、アメリカ人の日本人観への影響」「高度成長期のいわゆる『テレビ黄金期』のTVアニメとその社会に与えた影響」みたいなテーマに会話が広がっていったりもするわけです。
そうやって、「食いつく」「引っ張る」といった駆引きをしながら話題を広げたり掘り下げたりするという「会話の愉しみ」というのがあるわけなんですね。
で、あたしたち自閉症方面の人間……あるいは「をたく」(「オタク」というと、<蔑称>になってしまうので、もっぱらこういう表現を使います)を自称する人々というのは、こうした「知識や推論に基づく論理的な会話」みたいなものから、「相手のものの見方・考え方」を知ることが多いように思います。
花や動物が好きだから優しい人だとは限らないわけで、ナチス・ドイツの高官にも犬や薔薇を愛した人物は大勢います。敬虔なクリスチャンであるがゆえに多数の罪なき人々を虐殺した人物だっています。
花は枯らしてしまうから育てないし、動物は死なれるのがつらいから飼わない、みたいな人もいます。特定の宗教は信仰しないけれど、自分を見つめなおすときは出羽三山に登る、みたいな人もいます。
どこを見るか、ではないでしょうか。
(Maria)
こうもりさん、ありがとうございます。私にしてみれば今までに全くない体験で友達に聞いても解らない状態だったんです。図書館に通って、自閉症について色々読みあさったり、HP見たり、自分なりに納得しようとしたのですが確信が持てなくて困っていたのです。頭では理解しているつもりでもなかなか難しいものです。それから、夫婦別々の部屋で、って言うのは、彼からも聞いた事があります。 (彼もそれを望んでいる様ですね)私はその事に関しては特別な事とは、思っていませんが、私もチョッと変わっているんですかねぇ?私はAC(アダルトチルドレン)なんです。だから自分の世界を持っているASの彼に惹かれたんでしょうね!「共感する」と「共感を示す」を区別する考えについてはとても勉強になりました。それから彼に対しては何事にも優しさを持ってストレートに意思表示をして行こうと思います。今度逢ったときに「素直に距離が遠すぎる」って言ってみますね。本当に有難うございました。今後とも良きアドバイスを宜しくお願いします。
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