アスペルガーの館の掲示板(旧)
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こんにちは、みどりさん。
みどりさん wrote
>そこに「人間的に」という注釈をつけちゃうあたり、あさかぜさんは潜在的バイではないと思われます。(って私が診断してどーすんだ。)
診断ありがとうございます。確かにわたしは潜在的バイではなさそうです。
みどりさんの書き込みをよく読み返してみたら、わたしってハズしている(汗) 意味をよく理解しないまま書いていたみたいです。ごめんなさい。
で、またハズすと思うんですが、実家で飼っていた雌犬の避妊手術した時、獣医さんが「雄でも雌でもない、わけの分からない変な生き物になります」と言ったことが妙に頭に残っています。
生殖(種の保存)を抜きにすれば、生き物って雌雄は関係ないのかも……。人間だけすごく違っているということもなさそうだし。←ヒトゲノムと言ったって、ショウジョウバエゲノム(?)とたいした違いはないんだってことですしね。
あ……なんだか横へずれていってますね。これにて終わります。
大人になってからわたしは、周囲からの
「お前のどこが教育学的LD(軽度発達障害者なんだ?」
という質問に悩まされることがよくあります。(それは在日朝鮮人が「お前は
どこからどうみても日本人じゃないか?」と言われるぐらいショックだと言う
事を指摘しておきましょう。)
教育学的LDに限らず、健常者と発達障害者のグレーゾーンにあって軽度発
達障害と認定されている人にとって、医学的に健常者と認定されている人の差
異を説明するのは多くの困難を伴ないます。
サルトルのユダヤ人の定義のように「自分が軽度発達障害者だと思っている
人が軽度発達障害者なんだ」と言えないことはありません。しかし、やはり不
十分さを感じます。
ここでみなさんに質問です。医学的・教育学的に高機能の軽度発達障害者と
認定されている人と健常者と認定されている人の違いはどこにあると思われま
すか?
___________________________________
(私見)
軽度発達障害者とは多くの人が自然に身につけていける事が自然には身につ
いていかない人の事である。このため、社会性,注意集中,運動能力,学力,
言葉などは意識的に学習していく事によって、習得する事になる。(この意識
的に習得された物をわたしは「技術」と呼んでいます。)ただし、意識的な学
習を続けていくことにより、自然に身につけていった人にはない洞察力や視点
を獲得していく事も可能である。
しかし、意識的な学習は表面的な結果だけを見れば、「やっと普通の人と同
じように行動できるようになった」としか評価されない場合が多い。このため
意識的な学習に成功している領域においては、「そもそも障害などなかったの
ではないか?」という疑惑にさらされてしまうのである。
___________________________________
ちなみにわたし自身の定義に従えば、医学的・教育学的に軽度発達障害と認
定されていなくても、意識的な学習によって習得しなければならない領域を多
く持つ人は「軽度発達障害者」であるという事になります。
ayaさん wrote:
> なんというか、言いたかったことは、今まで私はうまく場所に応じた演技を
>やってるつもりだったけど、根本的な気持ちを理解しているわけではないので
>、実ははずしていたかもしれないな、と思ったんです。
「人生は演技である」
14才の頃に何となく思いついた一句です。一生演技的に生きていかならなけ
ればいきていけないのかな、という絶望感を持っていました。
本当に自分を踏みにじった奴と同じぐらいの対人操作能力を身につけたかった
です。
たあさん wrote:
> 人に話しかけられて、私が答えた内容に相手が機嫌が悪くなることが、時々
>あります。その時は、相手が不機嫌になったことには気がつくことはできます
>。ただ、その原因がわかるまで、時間がかかります。
議論とかをしている時はそんな事がよくあります。こちらがごく普通に議論
をしているつもりでいたら、相手がズタズタに傷ついていたり…。もっとも、
大概の相手は、わたしが好意・悪意を含めて感情的に接してこられるのが嫌だ
という事が理解できていないので、お互い様なんですけどね。
要するに、傷つくポイントがわたしとその人たちでは違ってしまっているだ
けなんだと思っています。
武田さんへ
武田好史さん wrote:
> 私も最近SSRIを横浜にある発達障害専門のクリニックで処方してもらっているのですが、「25㎎錠を寝る前に一錠飲んでください」といわれています。SSRIは抗うつ剤という薬の一種です。
武田さんが服用してらっしゃるSSRIは、精神不安、溜め込んだ感情の
爆発を抑える効果のあるものでしょうか?それとも、鬱で服用してらっしゃる
のでしょうか?
> うつ病はいろいろな要因が絡んで起こる疾患ですが、生理学的な要因として挙げられているのが、脳の中でのセロトニンという物質の不足です。脳の中にはセロトニンを使って、信号をやり取りしている神経のネットワークがあって、感情や睡眠活動・食欲などの欲求をコントロールしています。またこのネットワークは、危機感や意識の覚醒をコントロールしているノルアドレナリンという物質の量を調節し、それを信号のやり取りに使っている別の神経のネットワークをコントロールする役目があります。
> うつ病はちょっとややこしいのですが、「セロトニンが減るとノルアドレナリンが減る、ノルアドレナリンが少なくなると積極的な活動ができない状態すなわちうつ状態になる」という機構で発症しているといわれています。抗うつ剤はこの理論に基づいて作られた薬で、どれも脳内のセロトニンの量を増やす働きがあります。
> ではどのようにしてセロトニンを増やしているのでしょうか?ひとつの神経の細胞は軸索という腕のような部分でほかの細胞とつながりあって、情報をやり取りしています。軸索の先端とほかの細胞がつながった場所のことを「シナプス」といいます。つながっていると書きましたが、ぴったりとくっついているわけではなく、軸索の先端とほかの細胞の間にはわずかな隙間があります。神経の信号は電気信号ですから、この隙間をそのままでは通れません。そこでここでは特別に「神経伝達物質」という物質が軸索の先端から分泌されて、他の神経細胞側に流れることによって信号が伝わっていくのです。
> セロトニンはこの神経伝達物質の一種です。シナプスを流れる神経伝達物質の量は多すぎても少なすぎてもよくありません。そこで軸索の先端には、余計なセロトニンを吸い取るポンプがついています。しかしながらうつ病の人は、このポンプがあだになって、シナプスを流れるセロトニンの量が極端に減ってしまうのです。SSRIをはじめとする抗うつ剤の多くははこのポンプをふさぐ働きがあります。セロトニンが増えると、それが引き金になってノルアドレナリンの量が増します。
> セロトニンが増えるとノルアドレナリンが増すということは、SSRIを過剰に摂取するとノルアドレナリンも過剰に増えるということになります。ノルアドレナリンが過剰になると、眠れない・不安でたまらない・気持ちの抑制が効かない・いらいらするといった「そう転」という副作用が出る場合があります。
> とにかく一度主治医の先生と相談して、薬の量を調節してもらったほうがよいと思います。
『薬ミシュラン』(太田出版:本体価格1600円)のSSRIの解説にも同じ
ようなことが書かれてましたが、武田さんは本当に博識な方ですね。敬服して
おります。
パキシルを服用しているリゲルです。
みるさんへ(チャットでは「みるちゃん」「みるたん」と呼んでいますが
大勢の人が見ている公の場では、「さん」着けで呼ばせて下さい)
みるさん wrote:
>こんにちは。ADDのみると申します。
普通の精神科医に、ADDかどうか診てもらって、通信簿まで見せた
けれど「ADHDにしては軽すぎる」と診断名をもらってないけれど、
性格がADDに近いリゲルです(^^;
(小学校2年の時に、AS的性格で忘れ物がひどくて、私のことを
目の敵にしていた担任(あだなは「ジャイ子」)は、私が叫いた
時に、クラス全員に「リゲルをしばらく相手にしないように」と
呼びかけた。小学校教師が生徒に集団シカトを呼びかけた。
「ジャイ子」は私の母に「こんなに困った子はいません」と言った
そうだ。20年以上前の話だが、仮に街で「ジャイ子」に会ったら
「確かに私はあなたを困らせたけれど、集団シカトを呼びかける
なんて、教師として最低ですね。今でも恨みは忘れませんよ」と
笑って言ってやるだろう。(私怨入ってしまいましたね)
>不安神経症を併発して、
私は、会社を辞めて一ヶ月近くになりますが、アメリカ同時多発テロ
の日を境に、過呼吸と今にも発作が起こるのではないかという不安で
不安神経症気味になりました。
今では、発作が起こるのではという不安は収まったのですが
過呼吸と肩こりと無気力が続いています。
普段は、精神神経科に32条で通院しているのですが、診断名は出ずに
パキシルを服用しています。
心療内科の先生(塩爺みたいな感じの人)に「私は不安神経症でしょうか」と
訊いたところ、「そうだね。精神面での不安神経症だね」と言われました。
>その治療のためにSSRI(ルボックス)を服用して2年目(?)位になります。
>確かに不安感はキレイサッパリなくなったのですが、
>イライラ、そわそわ、せっかちになり、思い通りにならないと、
>「もう、まわりはなんでこんなにチンタラ行動してんのかしら!」
>という気持ちになってしまいました。
私は、強迫性障害、精神不安、自殺思念がひどかった時に、ルボックスを
服用していたのですが、あまり効き目を感じませんでした。
(当時は、身体面での支障はありませんでした)
パキシル(=デプロメール)を飲んでしばらくすると、身体面での、
不調は収まるようになりました。
AS的、ADD的性格を直すと同時に、早く過呼吸収まってよ~。
話が逸れてしまいましたが、SSRIを含めた精神科の薬(抗鬱剤、抗不安剤
睡眠薬)のことは、
『薬ミシュラン』(太田出版:本体価格1600円)という本に詳しく
書かれています。(高機能自閉症関係の情報はありませんが)
http://www.tv-asahi.co.jp/bigwave/hanran/01.html
武田好史さんwrote:
>ヨーロッパでは、古くから薬としてもちいられていたようです。
紀元前約千五百年前に書かれたエーベルス・パピルスには、柳の葉が外傷に伴う炎症に効果があると記されています。
武田好史さん wrote:
>今日の質問も結構答えにくいかもしれません。
>
>あなたの理想の生活の場は、どんな雰囲気のところですか?
(1)廃墟の一角
(2)人里離れた山の中
(3)時計台の中(ノートルダムの鐘つき男カシモドが住んでいたような
場所)
Jane Doe wrote:
> 元朝(がんちょう)より大晦日(おおつごもり)まで各々様のお手に入れまする此の薬は、昔、元(げん)の国の唐人・陳外郎(ちん・ういろう)と申す者我(わが)朝(ちょう)へ来り、帝へ参内の折から件ん(くだん)の薬を深く秘して冠の内に籠(こ)めおき、用ふる時は一粒ずつ冠のすきまより取出す(とりいだす)。よって帝よりその名を透頂香(とうちんこう)と賜はる。即ち文字には頂に透く香と書いて「透頂香」と申す。
> 時の帝より叡聞(えいぶん)に達し御所望遊ばされしに、此の妙方を調合いたし持薬に用ひてござる、神仙不思議の妙薬。透頂香という名は御意なされず、世上一統にただ「ういらう」「ういらう」と及びなさるる。
> 近年は慮外ながら在鎌倉のお大名様方、御参勤御発足の折からお駕籠をとめられ、
ういろうならぬ「ウィロー」という名のハーブがあります。ベネラピさんというイギリスのハーバリストが作ったハーブの図鑑によると、このウィローは、学名がSalixs albaという柳の仲間の木のことで、
樹皮や葉をせんじて、リュウマチ痛・頭痛などの緩和や解熱のために内用するようです。ウィローの樹皮には、サリシンというアスピリンの原料になる物質が含まれているそうです。ヨーロッパでは、古くから薬としてもちいられていたようです。
名古屋の銘菓として有名なウイロウは、同じ名前の苦い薬の口直しとして食されたお菓子だったようです。ハーブのウィロウのエキスは苦味を持っているので、ひょっとするとウイロウという人の名前が薬の名になったというのはまゆつばで、ヨーロッパからウィローがシルクロードを伝わって元朝の中国にもたらされていたのかもしれません。
拙者親方と申すは、御立合の中(うち)にも先達ってご存知のお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町(いっしきまち)をお過ぎなされて、青物町(あおものちょう)を登りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして円斎竹しげと名のりまする。
元朝(がんちょう)より大晦日(おおつごもり)まで各々様のお手に入れまする此の薬は、昔、元(げん)の国の唐人・陳外郎(ちん・ういろう)と申す者我(わが)朝(ちょう)へ来り、帝へ参内の折から件ん(くだん)の薬を深く秘して冠の内に籠(こ)めおき、用ふる時は一粒ずつ冠のすきまより取出す(とりいだす)。よって帝よりその名を透頂香(とうちんこう)と賜はる。即ち文字には頂に透く香と書いて「透頂香」と申す。
時の帝より叡聞(えいぶん)に達し御所望遊ばされしに、此の妙方を調合いたし持薬に用ひてござる、神仙不思議の妙薬。透頂香という名は御意なされず、世上一統にただ「ういらう」「ういらう」と及びなさるる。
近年は慮外ながら在鎌倉のお大名様方、御参勤御発足の折からお駕籠をとめられ、
此の薬何十貫(なんじゅっかん)とお買ひなされ下されまする。
只今は此の薬、殊の他世上(せじょう)にひろまり、やれ売れるはやるとあって、 方々に贋看板を出し、小田原の炭俵のほんだはらのさんだはらのと名付け、ほうろくにて甘茶をねり、それに鍋すみを加へ、或ひはういなんういせつういきょうなどと似たるを申せども、平仮名を以って「ういらう」としたは親方円斎ばかり。
若しやお立合(おたちあい)の内に、熱海か塔の沢へ湯治にお出でなさるるか、又は伊勢へ御参宮の時分は、必ず門(かど)違ひをなされますな。お上(のぼ)りなれば右の方(かた)、お下りなれば左側、町人でござれども屋づくりは八方が八つ棟、表が三つ棟玉堂づくり、破風には菊に桐の薹(たう)の御紋を御赦免あって、系図正しき薬でござる。
見世は昼夜の商ひ、暮れて四つまで四方に銅行灯を立て、若い者共入替り立替り御手に入れます、尤も値段は一粒一銭百粒百銭、仮令(たとひ)何百貫お買ひなされても、いっかないっかな負けも添へも致しませぬ、さりながら振舞ひまするは百粒二百粒でも厭ひは致さぬ。
イヤ最前から家名の自慢ばかり申しても、ご存知のない方には胡椒の丸呑(まるのみ)、白川夜船、 さらば半粒づつ振舞ひませう、ご遠慮なしにお手を出して、摘んで御覧じ(ごろうじ)ませい。第一がご一同(いっとう)の早気付、船の酔、酒の二日酔をさます、魚鳥茸(きのこ)麺類のくひ合せ。其の外痰を切りて声を大声に出す、六ちん八進十六ぺん、製法細末をあやまたず、寒冷温(かんれいうん)の三つを考え、温方(うんぽう)の補薬(ほうやく)御口中に入って朝日に霜の消ゆる如く、しみしみとなって能き(よき)匂ひを保つ。鼻紙の間に御入れなされては五両十両でお買ひなされた匂ひ袋や掛香の替りが仕る。
さらば一粒喰べかけて其の気味合(きみあい)をお目にかけましょう。先づ、この薬をかように一粒舌の上に載せまして、腹中(ふくちゅう)へ納めますると、イヤどうも言えぬは、胃肝肺肝(いかんはいかん)が健(すこ)やかになって、薫風喉(のんど)より来り口中微涼を生ず。
さてこの薬、第一の奇妙には、舌のまわることが銭独楽がはだしで逃げる。ひょっと舌が廻り出すと矢も盾もたまらぬ。さてこのどのやうなむつかしい事でもさっぱりと言うてのける此の薬の奇妙、証拠のない商ひはならぬ。
そりゃそりゃそりゃ、そりゃそやまわってきたわ、まわってくるわ。アハヤ喉(こう)、サタラナ舌(ぜつ)に、カ牙(げ)、サ歯音(しおん)、ハマの二つは唇の軽重(けいうう)、開合(かいごう)爽やかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろを。
いっぺきへぎに、へぎほしはじかみ。盆豆盆米盆牛蒡。摘蓼(つみたで)つみ豆つみ山椒。書写山(しょしゃざん)の社僧正(しゃそうじょう)。小米(こごめ)の生噛み小米の生噛みこん小米のこなま噛み。繻子々々(しゅすしゅす)緋繻子(ひじゅす)繻子繻珍(しゅちん)。親も嘉兵衛(かへえ)、親嘉兵衛子嘉兵衛親嘉兵衛。古栗の木のふる切口。雨合羽か番合羽か。貴様の脚絆(きゃはん)も皮脚絆、我らが脚絆も皮脚絆。しっ皮袴のしっぽころびを、 三針(みはり)針長にちょと縫うて縫うてちょとぶん出せ。河原撫子野石竹。のら如来のら如来、三(み)のら如来に六(む)のら如来。一寸のお小仏(こぼとけ)におけつまづきやるな。細溝(ほそどぶ)にどぢょにょろり。京の生鱈生学鰹(まながつお)、ちょと四五貫目。お茶たちょ茶たちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶煎でお茶ちゃと立ちゃ。
来るわ来るわ何が来る、高野の山のおこけら小僧。狸百疋(ひゃっぴき)、箸百膳(ひゃくぜん)、天目(てんもく)百杯(ひゃっぱい)棒八百本(はっぴゃっぽん)。武具馬具々々三ぶぐばぐ、合せて武具馬具六ぶぐばぐ、菊、栗、きく、くり、三菊栗、合せて菊、栗、六菊栗。麦ごみ麦ごみ三麦ごみ合わせて麦ごみ六麦ごみ。あの長押(なげし)の長薙刀は誰(た)が薙刀ぞ。向こうの胡麻殻(ごまがら)は荏(え)の胡麻殻か真胡麻殻か、あれこそほんの真胡麻殻。がらぴいがらぴい風車(かざぐるま)。起きゃがれ小法師(こぼし)起きゃがれ小法師、ゆんべもこぼして又こぼした。たあぷぽぽたあぷぽぽ、ちりからちりからつったぽ。たぽたぽ一丁だこ落ちたら似て喰お。煮ても焼いても食われぬ物は、五徳(ごとく)鉄弓(てっきゅう)かな熊童子に、石熊石持ち虎熊虎きす、中にも東寺の羅生門には、茨木童子が茹(う)で栗五合つかんでお蒸しゃる、彼(か)の頼光の膝元去らず。
鮒金柑椎茸さだめて後段(ごだん)な蕎麦切り素麺(そうめん)饂飩(うどん)か愚鈍な。小新発知(こしぼち)小棚のこ下の小桶にこ味噌がこ有るぞ、小杓子(こしゃくし)こ持ってこ掬(すく)ってこ寄越(よこ)せ。おっと合点(がてん)だ心得たんぼの川崎神奈川保土ヶ谷、戸塚は走って行けば灸(やいと)を摺りむく、三里ばかりか藤沢平塚大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして早天早々、相州小田原とうちん香。隠れござらぬ貴賤群衆(ぐんじゅ)の花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見てお心をお和(やわ)らぎゃっという。産子(うぶこ)這う子に至るまで此の外郎の御評判、ご存じないとは申されまい、まいつぶり角出せ棒出せ、ぼうぼう眉に、臼杵(うすきね)擂鉢(すりばち)、ばちばち、ぐわらぐわらと羽目を弛(はず)して今日お出(いで)の何茂(いずれも)様に、上げねばならぬ売らねばならぬと、息勢(いきせい)引張り東方世界の薬の元締(もとじめ)薬師如来も上覧あれとホホ敬って、ういろうはいらっしゃりませぬか。
みどりさん wrote:
>あ、いま思いついた。ドロドロで穴があいて血が流れ出てるような迷彩服だっ
>たら、都会で着てても私も許せるかもしれない。(目をそむけてそそくさと
>離れるかもしれないけど)
ベネトンの広告で、これに近いコンセプトのものがありました。よかったです。
とはいえ、「ドロドロで穴があいて血が流れ出てるような迷彩服」を都会で来てたら危ないパンクか頭の悪い反戦団体みたいでヤだ。
だいたい、あたしはドブネズミ色の背広を着た草臥(くたび)れたサラリーマンというのが見ていてイヤです。日本のサラリーマン社会には「仕事は『苦役』でなくてはならない」みたいな歪んだ観念があって、そのせいで顔にべっとりと精神的疲労感が張りついたような表情をした人が多いのですね。で、仕事に生き甲斐だとか喜びだとかを感じている人に嫉妬して、いじめを働きます。
そういえばかつての高校野球の坊主頭もヤだったな。「刑務所や軍隊じゃないんだから」と思います。
I wrote:
> だから、迷彩服というと、若い身空でこんなものを着せられて、泥水の中を
>這いずりまわったあげく、ドブネズミのように死んでいった、あるいは殺され
>ていった若者の気分にどっぷり浸かってしまいます。
みどりさん wrote:
>私が迷彩服を見て思うのはまさにこのイメージ。だから街中でかっこよくなん
>て着ないでほしい。戦闘や軍隊のイメージを歪曲してる。特にまだ物を知らな
>い子供が見たときね。
ナチス・ドイツの軍服(特に武装SS)のかっこよさ、というのは確かに青少年にとっては毒です。ネオ・ナチに走っちゃったりする若者がいるのもよくわかります。若者に特有の清潔感というのが、「清潔な帝国」だったナチス・ドイツに向かうのはある意味当然だと思います。理念の純粋さに酔っちゃうんですね。
あたしの感覚からいうと、世の中のきれいごとでない部分、汗臭くて泥臭くて華々しさのない部分というものから目を逸らさずに、なおかつ希望を持って生きてゆく、みたいな気分が、ファティーグからは感じられたりするわけです。人生という戦場に身を置いている感じ、ですね。世界のどこかでは戦争が起きている。自分はその戦場とひとつながりの場所に生きている。あるいは、いまいるこの場所も、また別の戦いの戦場である。そういった感覚というのは、確かにあります。
だから、女性の場合は「人生を戦ってる感じ」があって、鎧とかお守りみたいに着てる感じがスキです。男性の場合は、「人生の一部」として身についちゃってるような貫禄というものがあって、はじめてカッコがつきます。
口を半開きにして進行方向見ないで歩いてるような頭悪そうなにーちゃんや、「あたし、馬鹿でーす」って顔に書いてあって、ガムかなんかクチャクチャ噛んでるねーちゃんが着てるのを見ると、頭痛くなります。
(Maria)
武田好史 さんこんにちは。
>あなたの理想の生活の場は、どんな雰囲気のところですか?
なんだか、そのまま「フルーツバスケット」と言っちゃっても良いですか?(汗
多分、「はずしても」にっこり笑ってくれる所……かな?
訳解りませんね……。うーん自分で考えても「いいのか?」と思ってしまいますが、そういう感じだと思います。
全編(オープニング・エンディング)通して、ふんわりしてます。こんな所でも、リラックスできるかなあと思います。サウンドトラックCDでたら(もう出てるかな?)買おうっと。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~t_c_s/special/tvtokyo/tvkeiretu.html
2000年時の状態だそうです
マザー さんこんにちは。
>> 嬉し涙です。面白涙です。
舌足らずでしたね。……なんと説明しましょう……
>う~ん、正直な感想を言うと前半だけ見た時、以前二男が見ていた「はれときど
>きぶた」というアニメを思い出してズコーっとなりそうになったけれど、後半は
>うるうるといった感じですね。
はれときどきぶたは、絵本で見ました。アニメでは見てません。(汗
同じような性格の作品群は「こどものおもちゃ」や「彼氏彼女の事情」と言う作品(どちらもアニメと漫画両方あります)でも出てましたが。僕の感覚では「フルーツバスケット」の方が上でした(誰も聞いてない?(汗……)。
> 思い出は大切にしよう。過去は消したくても消せないし過去から逃げては
> だめだよ。強く生きていこう! というメッセージだったのかしら?
> では。
大体そのように捉えて結構だと思います。
登場人物は、どこか「普通人でなく」普通の人に受け入れがたい性格や体質(変身など)。でも主人公は「抜けている」けれども、「正直」で「まっすぐ」で周りの全てを包み込む、暖かさがある。こんな人が居るかどうかはさておいて、願望的にはこんな感じ(どんな感じ?)の癒され方がいいのかなあと……。
この作品では血筋によって自分の意思にかかわらず変身しますが、実際に僕に出会ってる普通の人は、こういう風な状況(いきなり目の前で何者だかわからなくなる)なのかな?
似てるなあ……と。
どんな人でも、「人は人である」と言うのを実感しました。見てると、明日に向かってガンバローという気持ちがみなぎって来ます。自分の感覚に正直でありたいです。嘘で固めたような人間には決してなるもんかー(涙出てきた……
名加野 さんwrote:
> 皆さんこんにちは、名加野です。
>
> ASの話でもなく、アニメの話で興味ない方には申し訳ないのですが……
>
> 今日(というか、木曜日)の夜6時からテレビ東京で「フルーツバスケット」というのが放送されています。
>
この番組は、近年まれにみる(?)「あったかさ」を感じます。まあ、「癒し系」と言ってしまうと、「どこでもある」と言う印象がありますが……
> 僕はこれが、毎回涙無しには見る事が出来ません。
>
> 嬉し涙です。面白涙です。
名加野さん、こんにちはー。 マザーです。
名加野さんの熱意(?)が伝わったので、見ましたよ! フルーツバスケット!
昨日の夕方はいろいろ忙しかったので予約録画にしておき、さっき見ました。
う~ん、正直な感想を言うと前半だけ見た時、以前二男が見ていた「はれときど
きぶた」というアニメを思い出してズコーっとなりそうになったけれど、後半は
うるうるといった感じですね。
思い出は大切にしよう。過去は消したくても消せないし過去から逃げては
だめだよ。強く生きていこう! というメッセージだったのかしら?
では。
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