アスペルガーの館の掲示板(旧)
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こんばんわ。久々の投稿です。
ADD LDのkonetamaです。
名加野さん wrote:
>
>> http://www.charamil.com/index.php
>>
>> たまたま教えてもらったので、やってみました。
ミッドランドさん wrote:
> うーん、わしもやってみましたが、タイプ8でしたねー。
> 「岩を砕く波のような冬の稲妻」ですか。
>
> 当たっているところが多いので、素直に認めるとしましょう。
私も試してみました。名加野さん情報提供ありがとです。
私もタイプ8でした。
実にあたってるので、ちょっとびっくりしました。
では。
konetama
名加野さん wrote:
> http://www.charamil.com/index.php
>
> たまたま教えてもらったので、やってみました。
うーん、わしもやってみましたが、タイプ8でしたねー。
「岩を砕く波のような冬の稲妻」ですか。
当たっているところが多いので、素直に認めるとしましょう。 ミッドランド
武田好史 wrote:
>名加野 wrote:
>> おはようございます。名加野です。
>>
>> http://www.charamil.com/index.php
>>
>> たまたま教えてもらったので、やってみました。
>>
>> 性格は4に分類されました。
>>
>> ここであてはめると、僕の場合性格的にやばいということなのかな?
>>
>> 実際結果自体はあたってるんですが……
>
>僕はタイプ8だとさ・・・
僕もタイプ8だった・・・・
まろんすさん wrote:
> 軽い知的障害と境界知能者ってどんなものなんですか?
>インターネットで検索してみたけど無かったです。
>どなたか教えて。
知的障害の医学的正式名称は精神遅滞と言いますが、知能指数の高低
によって4段階に分類されています。
(1)軽度精神遅滞(IQ50〜69)
(2)中度精神遅滞(IQ35〜49)
(3)重度精神遅滞(IQ20〜34)
(4)最重度精神遅滞(IQ20以下)
このうち、(1)のIQ50〜69の知的障害を一般的に軽度発達障
害と言います。そして、IQ70〜85の障害児の場合、知的障害では
なくても配慮や支援が必要になってくるため、境界知能児と診断する場
合があります。
しかし、多くの保護者が我が子を精神遅滞(知的障害)と呼ばれるの
を嫌がるせいか、この呼称はあまり好まれていないようです。現状では
境界知能児についてはその子の臨床像によってAS,LD,ADHDな
どに分類する場合が多いように思われます。
彼らも医学的に障害が軽いと評価されるため、やはり支援や保護を受
けにくい状態にあると言えます。
武田好史さん wrote:
>名加野さん wrote:
>> たまたま教えてもらったので、やってみました。
>>
>> 性格は4に分類されました。
>僕はタイプ8だとさ・・・
わたしもタイプ8でした。しかし、不肖こうもりは人によって対応の仕方
をすごく変えてしまうので、どうしてもアンケートに答えにくかったです。
名加野 wrote:
> おはようございます。名加野です。
>
> http://www.charamil.com/index.php
>
> たまたま教えてもらったので、やってみました。
>
> 性格は4に分類されました。
>
> ここであてはめると、僕の場合性格的にやばいということなのかな?
>
> 実際結果自体はあたってるんですが……
次の診断もやって見てごらん!
http://www.taisei-e.co.jp/seikaku/
軽い知的障害と境界知能者ってどんなものなんですか?
インターネットで検索してみたけど無かったです。
どなたか教えて。
名加野 wrote:
> おはようございます。名加野です。
>
> http://www.charamil.com/index.php
>
> たまたま教えてもらったので、やってみました。
>
> 性格は4に分類されました。
>
> ここであてはめると、僕の場合性格的にやばいということなのかな?
>
> 実際結果自体はあたってるんですが……
僕はタイプ8だとさ・・・
ぷちさん wrote:
>伯楽は天馬を司る星の名前でもあり、中国の周代の人で馬を見分け
>るのにすぐれていた人の名前でもあるそうです(本名は「孫陽」)。
>伯っていうのは、中国では尊称みたいなものですね。
>両方とも似たような意味がありますけど、どっちが最初だったんでし
>ょうね?
貴重な情報をありがとうございます。助かりました。
「もと天馬を守る星の名」と書いてある辞書があるので、星の名が先のようにも思うのですが、じゃあ具体的にどの星なのか、というのが知られていません。やっぱりおおいぬ座のシリウスかなぁ、と思うんですけどね。
>「伯伯」は血縁のない男性に尊敬の意味を込めて呼ぶ場合に使ったりも
>します。これの逆に、「叔叔」は子供が血縁関係のない人を、「おじさ
>ん」って呼ぶ場合に使ったりするそうです。
台湾などでは日本語の「おやじさん」みたいな意味で「阿父」という言葉を使う、という話は聞いたことがあります。「阿〜」というのは、「〜ちゃん」という感じだそうなので、本来は「お父ちゃん」なのかもしれませんが。
そういえば、高橋尚子選手は「Qちゃん」なんだから、台湾へ行くと「阿Q」と呼ばれるのかな?(魯迅先生ごめんなさい)
>あ、それと、いつも文章の先頭にスペース入れているつもりなんで
>すが、入ってないです。今回も入ってなくて、読みづらかったらこめ
>んなさい。(ぶち)
半角のスペースではなくて、全角のスペース(漢字のスペース)を入れるとちゃんと空きます。漢字入力システムのモード設定を変えればたぶん大丈夫。
どうもありがとうございました。m(_ _)m
(Maria)
おはようございます。名加野です。
http://www.charamil.com/index.php
たまたま教えてもらったので、やってみました。
性格は4に分類されました。
ここであてはめると、僕の場合性格的にやばいということなのかな?
実際結果自体はあたってるんですが……
みどりさん wrote:
>Joshyaさんちってそんなに大家族なの? それとも職人さんがみんな男性で、
>その奥さんたちも一緒に住んでたとか?
お祖父さんがペンキ屋(塗装)さんで、その長男が「島田塗料」という塗料製造・卸の会社をやっていて(やめちゃったけど)、次男が塗装屋を継いで、四男が塗料の小売をしているという、ペンキ屋一族でした。で、みんな近所に住んでたもんだから、「島田部落」と呼ばれたものです。Joshyaさんのお父さんは化学の勉強をしていたので、もっぱら島田塗料で製造のほうにたずさわっていました。
Joshyaさんのお父さんというひとは競技スキーの世界に長年かかわっていたのですが、ちょっとしたワックスマン(蝋人形ではない。スキーのエッジの目立てをしたり、滑走面を仕上げたりする人)で、「さすが本職」と言われてました。確かにスキーのエッジも一種の刃物だし、ワックスも塗料も塗るもんだから基本は一緒。
どうやら自閉症方面のケというのはお祖父さん→Joshyaさんのお父さん→Joshyaさんと受継がれていったようです。そっち方面の傾向がいちばん色濃く出てたように思います。
「頭がよくてやることが緻密なんだけど、どっか抜けてる」というのが親子三代に共通点としてあるようです。お祖父さんの植えた柿の木が庭にあるのですが、渋柿に甘い柿を接いだつもりが接ぎそこなって、キメラになってしまいました。下手をすると一個の柿に甘いところと渋いところがあって、けっこう迷惑です。まあ、甘い部分はゴマになってるから分かるんですけども。干し柿にするとおいしいです。
(Maria)
こうもり wrote:
>> だからと言って、軽度の障害者や適応状態良好な障害者が重度の障害者や
>その家族からバッシングを受けるのは筋違いなのですが、「重度」と評価さ
>れる一部の障害者とその近親者が屈折した感情を抱くであろうことは想像に
>固くありません。
>
> こうして、医学的に「重度」と見なされている人と「軽度」と見なされて
>いる人の間には悲しい溝が横たわってしまう場合があります。わたしが発達
>障害者とも健常者とも仲間になる事ができないコウモリとして生きていかざ
>るを得なくなったのも、この辺りに事情があります。
そうですね・・・できるだけ格差のない表現はないものだろうか?
そもそも自閉症とはいかなる状態のことを指しているのか?何をもって自閉症の人のハンディや能力の評価をすべきなのか?我々患者は与えられた診断名によって自らが持つハンディというものを正当に周囲の人に理解してもらえているのだろうか?これらのことの吟味が未だに不十分であると私も思います。
これらのことをふまえた上で、無用な偏見・誤解をされるようなことがない、新しい分類が構築されることを私は強く望みます。
横レス、ごめんなさいね。
みどりさんwrote:
>持前のナゾの集中力で、キツいときにはキツいことに集中してるのかも。
結構あります。自分では、殆ど気づけません。(だから、よく分からないまま、ドドット疲れて、寝込みます。そうでなければ、はげちゃう!タレイヌの場合。上手く結論までいければ、達成感は抜群にあるんですけどね。)
>うまく「望ましくない集中状態」から離れる方法を知りたいですね。
タレイヌの場合、自分が集中してしまっているので、自力で抜け出す事は、できなかったです。
ちょっと話がとびますが、タレイヌ自身の、経験と感覚で言うなら、ASチックな人と、ADDあるいは、ADHD的な人との組み合わせは、こういう場面では、全く反対の動きになるので、その状況から上手く引きずり出してくれるように思います。
ものすごく身近で付き合うには、結構大変ですが、要らんこと(とは、本人思ってない!!)に、集中して、後で、こけるタレイヌにとっては、「あんた、いい加減で、そこ見てるのはやめなさいよ、何の足しにもなんない!こっち来て、遊ぼう。」って、言ってくれる人は、その時は、超超むかつくんだけど、後で、振り返れば「ま、そうだったかもね?…確かに」ぐらいは、思えますから。
お邪魔しました。
(タレイヌ)
武田好史さん wrote:
> 障害の程度は、「軽度の」「重度の」という表現を用いる方が適切だと思
>います。
この「軽度」と「重度」という評価も障害者同士の関係をひどく不幸にす
ることがあります。
まず、医学的に「軽度」と評価される人は、非障害者の世界では「あなた
の障害は軽いのだから」と言って、本人が抱える困難を不当に軽く見積もら
れることがあります。
例えば、わたしが知っている軽度の知的障害者や境界知能者の一人の場合、
保護者が障害者手帳の申請を何度しても取得ができません。行政側から「障
害が軽いから、困難も軽いはず」というあらぬ誤解を受けているからです。
また、ある程度の社会適応を達成できた障害者の場合
「それだけの事ができるんだから、あなたのは障害じゃなくて個性なんじゃ
ないの〜?」
などと嫌みを言われる事が多々あります。(これが最近、わたしがストレ
スを感じていること)バリアフリー本を書くような障害者が他の障害者やそ
の家族から「あなたは恵まれている」「あなたのどこが障害者なんだ!?」
というバッシングを受けることも珍しくありません。
ある発達障害児向けの支援プログラムに参加している適応状態良好な障害
児の保護者は、そのプログラムに参加している他の障害児の保護者から「あ
いつのどこが障害児なんだ」と責められ孤立したそうです。
医学的に「軽度」と評価されて何とか社会と折り合って生きている障害者
が、「努力してかろうじて社会適応を達成したら、はじめから障害やそのた
めに味わった苦労がなかった事のようにされてしまった」という悩みを語る
ことが多いのも必然的な結果と言えるでしょう。
逆に医学的に「重度」と評価されている人やその家族にとっては、「軽度
」とされている人の存在は面白くないまずです。ある重度の肢体不自由児(
知的障害を合併)の保護者は子供の障害を学校に説明に行ったところ、「車
イスの人のなかにも弁護士を目指している立派な障害者がいる」「ちょっと
は乙武くん(ベストセラーになった『五体不満足』の著者)を見習え!!」
という罵声を浴びせられたそうです。「ヘレン・ケラーを崇め奉るのは自由
だが、全ての障害者にヘレン・ケラーを期待するのはおかしい」という教訓
は、ここでは全く生かされていません。
だからと言って、軽度の障害者や適応状態良好な障害者が重度の障害者や
その家族からバッシングを受けるのは筋違いなのですが、「重度」と評価さ
れる一部の障害者とその近親者が屈折した感情を抱くであろうことは想像に
固くありません。
こうして、医学的に「重度」と見なされている人と「軽度」と見なされて
いる人の間には悲しい溝が横たわってしまう場合があります。わたしが発達
障害者とも健常者とも仲間になる事ができないコウモリとして生きていかざ
るを得なくなったのも、この辺りに事情があります。
どうもこんにちは。まだ出てきてしまいました、ぶちです。
もしご存知だったらごめんなさい。
Maria wrote:
> 以前もこういうことがありました。「名伯楽」の「伯楽」というのは人の名前だというのが定説なのですが、その「伯楽」というのが星の名前だという話があるんです。「太歳白楽」といえば木星のことなのですが、「伯」というのは「お兄さん」という意味なのですね。「伯仲」といえば、「兄と弟」の意味です(こういうこと書いていると「伯父」と「叔父」の関係も調べたくなる)。でもって調べはじめたらわかんないんだよー! しくしく。
伯楽は天馬を司る星の名前でもあり、中国の周代の人で馬を見分け
るのにすぐれていた人の名前でもあるそうです(本名は「孫陽」)。
伯っていうのは、中国では尊称みたいなものですね。
両方とも似たような意味がありますけど、どちが最初だったんでし
ょうね?
少し話はずれますが・・・
伯も仲も、中国での兄弟の順序をあらわします。
伯は長男、仲は次男を通常表します。春秋の孔子は、仲尼ですから、
親にとって、男の子では2番目の子供だったわけです。男の子は長男
から順番に、伯、仲、叔、季と呼ぶ習わしだそうですが、4人以上い
た場合はどうするのかは知りません。季はちなみに「末っ子」という
意味だそうです。漢を起こした劉邦は、劉季で末っ子、お兄さん達は
みな、劉伯、劉仲と呼ばれていたそうです。お父さんは劉翁、劉おじ
さん的な呼び名です(きちんとした名前がなかったらしい)。
女性の名前にも叔や季が使われている場合もありますから(私が知
っているのは、古い時代のものですが)、兄弟の順序以外でも、姉妹
の順序を表す事も出来るのかもしれません。でも現在の中国では、姉
妹の順序を表す場合、これとは違った漢字が当てられていたと思いま
す。
ですから、普通日本では、伯父は自分の親の兄である「おじ」を表
し、叔父は自分の親の弟の「おじ」を表します。ちなみに舅という字
は、現代の中国では、母方のおじさんを表すようです。
本当の中国の親戚の呼び名は、もっとたくさんあって、すごく複雑
です(たとえば、母方のおばあさんと父方のおばあさんでは、呼び名
が違ったり。でもちょっと資料が現在手元になく正確には思い出せな
いです)。
中国では正式には、伯は父親の兄を呼ぶ場合につける呼び名です。
これから、父親より年長の男性を呼ぶ場合の(尊敬の意味を込めた)
敬称として用いられる事もあります。「伯伯」は血縁のない男性に尊
敬の意味を込めて呼ぶ場合に使ったりもします。これの逆に、「叔叔」
は子供が血縁関係のない人を、「おじさん」って呼ぶ場合に使ったり
するそうです。
調べるのが好きなMariaさんの事ですから、もう調べられた事かも
しれません。
Tienさんも、中国語や漢字には詳しそうなので、余計かな?と思い
つつ・・・(中国語は私にとって、第一外国語のようなもので、こう
いう所もまわりから見れば「変わっている」ようです)
あ、それと、いつも文章の先頭にスペース入れているつもりなんで
すが、入ってないです。今回も入ってなくて、読みづらかったらこめ
んなさい。(ぶち)
えーと、粘膜に異常は見つからなかったってことですよね。
名加野 wrote:
> こういう、すぐ気持ち悪くなると言う症状を治す所で、こうした方が良いというアドバイスがあったらお願いします。
> 神経質すぎるかなあ……でも自分では止められない……困りましたね。
私もそれ (神経質を止める方法)、知りたい……
一時期、自律訓練法の練習をしました。この訓練は簡単な条件反射づけだけなので割と気楽にできます。(というか、真剣にやってはいけない。)
20数えると全身から力が抜ける、というのまではできました。私にとって、多少なりとも「しようと思って脱力することができる」というのは初めての経験だったので、結構感動しました。
いまでも、たまに全身がガチガチになってるのに気づくと、やってみたりします。が、練習してないせいか今では効果はかなり薄く、ほんのちょっとだけ筋肉が緩んで、一度あくびが出るくらいです。
でも私は緊張すると呼吸がひどく少なくなってしまうタイプなので、あくびが出るっていうのはいい方向なのだろうと勝手に思ってます。
しかし、問題は、本当にキツいときには、なかなかこれをやろうと思うところまでいかないってことだったりします。
持前のナゾの集中力で、キツいときにはキツいことに集中してるのかも。
うまく「望ましくない集中状態」から離れる方法を知りたいですね。
あと、「なぜか気持ちの悪くなる飲食物」っていうのもあります。私の場合は窒素充填の缶飲料。(カルピスとか)
なぜかはさっぱりわかりませんが、飲んでると気持ちが悪くなります。そういうときに外部からのストレスが加わるとテキメンだったりします。
なんかヨタ話になってしまいました。
とりあえず胃カメラお疲れさまでした。
今週の火曜日の日経新聞の夕刊に、精神分裂病の患者さんたちが「病名を変更して欲しい!」と学会へ申し出たということを紹介している記事がありました。「どんな人も精神は分裂なんかしていない。分裂病という呼称は、いかにもなんか人間がぼろぼろに壊れてしまったようであまりにひどい!他の呼び方を考えて欲しい・・・・」これが彼らの訴えです。
本当にそのとおりだと私も思います。この忌まわしい名前のために、多くの人が偏見にさらされ・仕事をする能力があるにもかかわらず職に就けなかったり・家族と縁を切られたり・何年もの間病院に缶詰にされてきたのですから・・・・
さてそれとは全く別の話ですが、私は自閉症を分類する用語の中に、「この表現は使用すべきでない!」と強く感じたものがあります。 それは、「高機能自閉症」若しくは「機能の高い」・「能力の高い」というものです。
これはおそらくは、ウェラクス式知能検査の結果の成績に基づいてそのようにいわれているのだと思いますが、そうだとすると、言葉が話せないとか・数が理解できないという人や検査に使うカードをくるくる回し始めてしまった子・「落ち着きたい!」と思うあまりに部屋に入るなり体を丸めて常同をし始めて悶々としている子は、容赦なく反対の「低機能自閉症」・「機能の低い」「能力の限られた」という範疇に入れられてしまうことになるのでしょうか?もしそうなら、これは彼らに対してばかりでなく、彼らの面倒を毎日一生懸命に見ている親御さんや兄弟対しても、非常に失礼なことだと思います。
言葉は話せなくても、美しいビーズ細工や精巧な刺し子を作る人がいます。逆に話せてもめちゃくちゃに不器用で、「自分の未来は真っ暗だ」と感じて何年も引きこもる私のような人物もいます。こうしてみると自閉症のハンディ・真の能力と言語を媒体とした知能の高低は、全く切り離されたものに感じられてなりません。
障害の程度は、「軽度の」「重度の」という表現を用いる方が適切だと思います。
いろいろあってヘコみまくりのみどりです。
なんだか、わけもなく、つらい。(いろいろあったのもつらいけど、それと関係あるのかどうかもよくわからない感じ)
どうしてこの世はこんなにわからないことだらけなんだろー。
どうして私がわかることわからないことと、他人がわかることわからないことは、こんなにも隔たりがあるのだろー。
うぎゃぁ。
Maria wrote:
> さて、ここで面白いことがあります。Joshyaさんの家ではかれこれ四十以上年前、Joshyaさんが生まれる前から擂鉢と鰹箱を使うのは男性の仕事でした。家業が塗師屋(ぬしや。渋屋(しぶや)ともいう。塗装業のこと)だったので、下地用の胡粉(ごふん)を摺るのに擂鉢は使うし、鉋だって研いだりします。だから包丁研ぎも男の仕事。
Joshyaさんちってそんなに大家族なの? それとも職人さんがみんな男性で、その奥さんたちも一緒に住んでたとか?
ちなみにうちでは包丁とぎは私の仕事です。父は母と同じくらいの頻度で料理をしますが (母より後から始めたのに、母よりうまく手早い)、包丁は絶対研ぎません。母はたまに研ぎます。
でも別に「包丁研ぎは女性の仕事」ってわけでもないしなあ。以前ここに住んでた親戚などを入れても10人程度しかいないのでよくわからない。
>以前も、、アスペは大変。こちらは直ぐ忘れるから楽ですと言う人のコメントを見ましたが。
私の発言かしら。
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