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Re: 「共感」論(悪の哲学の観点から) 8170へのコメント
No.8173  Sun, 21 Oct 2001 09:44:54 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
> もっとも女性の場合は(本当なら「女は」と表現したいところなのだが)「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違うから、こうした感情的な反撥を喰らう心配は格段に少ない。それよりおれはsyakuさんやみどりさんやあさかぜさんに「浅いな」と侮蔑の笑いを浴びせられる方を怖れる。

 しね〜よ、んなこと。
「気苦労が多いねぇ」と、ねぎらいの言葉くらいはかけるけどさ。

> おれは権威主義者だ。気に入らん奴はツブす。文句があるか。わはははははは。

 わはははははは。
 (いっしょに笑っている。だって、おかしいんだもん。こういうのは「共感」とは言わないだろうなぁ……)

 横レス失礼しました。わはははははは。


Re: 「共感」論(悪の哲学の観点から) 8170へのコメント
No.8172  Sun, 21 Oct 2001 06:48:20 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

Mr.Motoさん wrote:

> まずは別件。
>
> 私の記憶が確かならば、精神分裂症(分裂病)は「スキゾイド/シゾイ
>ド(“schizoid”)」または「スキゾフレニア/スキゾフレニー/シゾ
>フレニー(“schizophrenia”))」。英語の発音に近づけようと思うと
>「スキツォイド」あるいは「スキツォフレニア」。英俗語で“schizo”と
>いうと「気狂い」みたいな意味になるし、“-mania”も「〜狂」という意
>味があるから、「スキゾニア」というと中途半端に憶えて「スキゾマニア」
><とか間違える奴が出てあんまりよろしくなかろう。

これは失礼しました。ちなみにスキゾイドは「分裂病質」ではなかったで
しょうか?


> さて、こうもりさんが挙げた二つの問題点以外に、交流分析でいう大人
>対大人の関係が成立しなくなるという問題点がある。これは精神病や学習
>障害やひきこもりについて論じるときも似たようなものなのだが、相手が
>「大人対大人」の関係を表面上は保ちながら、そうでないコミュニケーシ
>ョンを求めてくるから話がややこしくなるのである。

ああ、わたしが好きなテーマばかりだ…。

>おれが思うに、こうもりさんが挙げている
>
>>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい
>
>というのも、論じている当人が「悪い奴」の立場で発言していて、それを
>聞いている相手が自分が「善い奴」として攻撃の対象とされるケースを想
>像してしまう結果のように思うのである。

正確に言えば、そのようなケースを既に体験しているんです。「自分が生
きていることを他人から望まれているからと言って、それがなぜ生きなけれ
ばならない理由になるのか分からない」と発言した時は、「自殺願望がある
のではないか?」と思いっきり誤解されました。確かに昔願望を持っていた
ことがあるから今も関心がある訳で、全く的外れという訳ではありませんけ
ど。

 悪や狂気をテーマに扱った場合でも、その手の誤解を受けることはしょっ
ちゅうです。

> そんなわけで、悪を論じるときは、自分が心の奥底に抱えているどろど
>ろとした「悪」のようなものを精神の暗部から引きずり出して解剖台の上
>に載せ、叡智の光をもって照らしだし、論理の刃によって切り刻み解剖し
>ようという立場をまず相手に理解してもらわねばならない。それは相手に
>も自らの奥底にある「悪」に向きあうことを要求することでもあるから、
>そういう覚悟のない相手に対してはこの手の話題は避けるにしくはない。

 不特定多数の人が目にする掲示板で議論するのはちょっと難しいのかも
…。

> もっとも女性の場合は(本当なら「女は」と表現したいところなのだが
>)「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違うから、こうした感
>情的な反撥を喰らう心配は格段に少ない。それよりおれはsyakuさんやみ
>どりさんやあさかぜさんに「浅いな」と侮蔑の笑いを浴びせられる方を怖
>れる。

 女性に限らず、問題を既に突破している人には「浅い」と思われるでし
ょうね。間違いなく。今回はかなり安全運転でコメントせざるを得なかっ
たことを告白しておきます。

 ついでに言えば、議論していたテーマとわたしの実感レベルの問題意識
にも食い違いが発生しており、心に抱える悪を引きずり出す事にも失敗し
ています。殺人の関するコメントについても、わたし自身が抱えるどろど
ろはむしろ

>(1)わたしには愛している人などいないし、自分自身もいつ死んでもかま
> わないと思っている。

の方にあります。こちらの方が14才ぐらいから付き合ってきた問題だけ
に、書きたい事が山のようにあるのですが、今回は断念しちゃいました。
例のスキゾフレ二アの友人をパニクらせてしまった前科(?)もあり、も
う少し表現に工夫が必要なんですよね。
 
 また、以前やられてしまったことがあるのですが、「誰の心にだって悪
はあるさ」「誰にだって欠点はあるさ」みたいなさわやか路線でコメント
をされて、話が深まっていかなくなるのも嫌なんです。下手に達観してし
まう事が思考の妨げになるということは、何とかして伝えなければなりま
せん。どのようにコメントするのかは目下思案中です。


Re: 会社を人間関係で次々やめる私って? 8161へのコメント
No.8171  Sun, 21 Oct 2001 02:11:13 +0900  リゲル [この発言にコメントする]

pennpenn58さん、はじめまして。リゲル(結婚適齢期ちょっと過ぎ、独身)と申します。
アスペルガーとは正式に診断されておりませんが、仮に幼少期(1970年代後半)に
今のように子供をアスペルガーかどうか診断する制度があったら、
ほぼ間違いなくアスペと診断されていたと思います。

pennpenn58 wrote:
>初めまして。自分のおかしさには気づいていたのですがアスペルガーを知って自分もそうなのではと限りなく疑っています。

首都圏にお住まいでしょうか?
アスペルガーかどうかの診断を受けたいのでしたら、
「よこまは発達クリニック」(横浜市:但し予約から受診までに数ヶ月
待たされるそうです)と「東海大学医学部付属病院」(神奈川県伊勢原市)
の児童精神科(←間違っているかも;どなたか訂正お願いします)で
受診できると聞いております。

>アルバイトは20ぐらいやめさせられているし正職員として勤めた会社も7つ人間関係の気まずさで辞めています。特に今回はこじれたのでほんとうに参っています。

私も、人間関係をこじらせていじめに遭ったりしたことがありました。
地球人(ニキ・リンコさんの造語で「非自閉症圏の人」の意味)との
会社での付き合いには、疲れました。

>43才。3児の母です。鬱状態で3年精神科に通っていますがなんか鬱状態もあまり改善されていません。最近は気がつくと薬を大量に飲んだり飲もうとして夫に止められたりしています。

過去の人間関係の辛い体験を思い出しては、鬱になられたのでしょうか?
ご主人と3人のお子さんがいらっしゃるとのことですが、経済的に
どうしても働かなければならないご事情がありますでしょうか?
もし、働かなければならないのでしたら、一人でできる仕事(早朝のビル
掃除や、チラシ配り、車の免許を持ってらっしゃるのでしたら配送など)
のお仕事がいかがかと思います。
個人的には、鬱を抱えてらっしゃるとのことで、働くことはお勧めでき
ませんが。

最後になりましたが、人間関係のこじれで悩んでいるのは、pennpenn58さん
だけじゃないですよ。この掲示板に書き込まれている方の中で、アスペで
あるために仕事ができず、引き籠もらざるを得ない方もいらっしゃいます。
元気、出して下さいね。では、失礼致します。


Re: 「共感」論(悪の哲学の観点から) 8169へのコメント
No.8170  Sat, 20 Oct 2001 23:46:05 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:
>いえいえ、学生時代に悪の哲学を学んだ師匠から、悪の哲学を論じる時の注
>意を色々受けていたのです。このテーマを扱う時には

>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい
>(2)実際に犯罪を起こした事がある人や犯罪を真剣に企図している人が読む
>   可能性が高い

>といったことに留意するように言われております。(1)については、スキゾ
>ニア(これまで精神分裂病と表記されていた)を発病している友人と議論した
>時に、思いっきりパニックをおこされてしまいました。

 まずは別件。

 私の記憶が確かならば、精神分裂症(分裂病)は「スキゾイド/シゾイド(“schizoid”)」または「スキゾフレニア/スキゾフレニー/シゾフレニー(“schizophrenia”))」。英語の発音に近づけようと思うと「スキツォイド」あるいは「スキツォフレニア」。英俗語で“schizo”というと「気狂い」みたいな意味になるし、“-mania”も「〜狂」という意味があるから、「スキゾニア」というと中途半端に憶えて「スキゾマニア」とか間違える奴が出てあんまりよろしくなかろう。
 浅田彰が昔『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』という本を出して、スキゾ人間とパラノ人間という分類をしていたのも今は懐かしい。個人的には「シゾイド」が順当だろうと思う。

 さて、こうもりさんが挙げた二つの問題点以外に、交流分析でいう大人対大人の関係が成立しなくなるという問題点がある。これは精神病や学習障害やひきこもりについて論じるときも似たようなものなのだが、相手が「大人対大人」の関係を表面上は保ちながら、そうでないコミュニケーションを求めてくるから話がややこしくなるのである。

 たとえば、相手が「支配的/権威的な親」傾向の強いタイプだと、「まったくあいつらは困ったもんです。要するにあいつらはダメなんです。あいつらは救いようがないんです。」みたいな方向に話をねじ曲げていって同意を求めてくる。
 あるいは相手が“I'me not OK. /You are not OK.”タイプの人間だと、「オレを馬鹿にするなぁ〜!」とかいって殴りかかられたり、「あなたがそんな人だとは思わなかったわ!」とか「気狂い!」とかいった言葉を浴びせられたりする。あるいは、「キミはけっきょく性善説を取るのか、性悪説を取るのか?」みたいに詰め寄られたりする。

 つまり、「悪」というものについて論じていると、「悪い奴」と「善い奴」をどこで分けるか、みたいな方面へ短絡してしまい、自分がどっちに含まれるのかとか、誰を「悪い奴」として攻撃対象にするか、みたいな話に化けてしまうのである。おれが思うに、こうもりさんが挙げている

>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい

というのも、論じている当人が「悪い奴」の立場で発言していて、それを聞いている相手が自分が「善い奴」として攻撃の対象とされるケースを想像してしまう結果のように思うのである。

 たとえばの話、外見上まったくASには見えないJoshya氏が、アスペルガー症候群がどうこう自閉症がどうこうといった話をしていると、いきなり殴り倒されて「障害者を馬鹿にしやがって」とか言われて、ペッ、とか唾でも吐かれかねない。それと同じである。

 そんなわけで、悪を論じるときは、自分が心の奥底に抱えているどろどろとした「悪」のようなものを精神の暗部から引きずり出して解剖台の上に載せ、叡智の光をもって照らしだし、論理の刃によって切り刻み解剖しようという立場をまず相手に理解してもらわねばならない。それは相手にも自らの奥底にある「悪」に向きあうことを要求することでもあるから、そういう覚悟のない相手に対してはこの手の話題は避けるにしくはない。
 もっとも女性の場合は(本当なら「女は」と表現したいところなのだが)「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違うから、こうした感情的な反撥を喰らう心配は格段に少ない。それよりおれはsyakuさんやみどりさんやあさかぜさんに「浅いな」と侮蔑の笑いを浴びせられる方を怖れる。逆上しヒスを起こすのはむしろ男だ。

 始末に悪いのが、そうやって感情的にキレる奴というのは、たいていがいじめが好きで、しかも「人徳者」だったりするのである。でもってなおさら始末に悪いことに、そういう連中はしばしば「権力者」だったりする。
 「いじめ自殺」の原因になる常習的な「いじめ」は、じつのところ「正義」に裏打ちされている。だから、「相手に懺悔させる」ことが目的なのである。「うざい」「ムカつく」という感情を、「オレたちが正しくてあいつが間違っている」という「倫理」という形で解消しようとしているのである。だから、「いじめに屈するな」みたいな教育を受けた子供ほど標的にされ、「いじめに屈した」ことを恥辱と感じるからこそ親にも相談できず、相手に「赦してください」と懇願させられた恥辱に堪えられず、結局は精神の崩壊を怖れて自殺に走るのである。

 JoshyaやKILROYやMariaが、人に尊敬されたり感謝されたりすると逃げ出したくなるのは「いじめ」の裏返しである。だから一方で異常に謙遜するかと思えば、わざわざ鼻につくほど自慢してみせたりもする。人に対して「権威」として君臨するのが生理的にイヤなのだ。とはいえ、それは自分の中にそうした「権威主義」が巣くっているのをよく知っているからだったりする。おだてられていい気になり、あとで死ぬほど自己嫌悪する自分を知っているからである。

 そんなわけで、連中の立場は基本的にオブザーバーである。だから権力を持ちたがらない。「土地の古老」のような、「無力の王」である。

 おれ? おれは権威主義者だ。気に入らん奴はツブす。文句があるか。わはははははは。

 (Mr.Moto)


Re: 「共感」論(悪の哲学の観点から) 8167へのコメント
No.8169  Sat, 20 Oct 2001 23:02:22 +0900  みどり [この発言にコメントする]

こうもり wrote:
>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい

なるほど。

AS にとっては、こういう話題に限らず、一般人との会話の際に注意すべき点かもしれません。

そういえばこのこと自体も、共感はなにかという話ともつながるものがありますね。
話題の対象を突っ放して見られるかどうかというところ。


はじめまして!
No.8168  Sat, 20 Oct 2001 22:15:56 +0900  カオナシ [この発言にコメントする]

>みなさん、はじめまして
わたしは、自分では普通だと思っているのですが
ちいさいときから、回りから敬遠されてしまい
ともだちもできませんでした。
普通に、気をつかっているのに「変人」「かわりもの」と
いわれ、仲間に入れてもらえず、先生にさえ、
わけもなく嫌われ、いつも寂しい思いをしていました。
そのうち神経症になりました。
大人になって、かろうじて仕事についていますが
なぜかけむたがられ孤立してしまい、辞めざるを
えなくなることが多く、今の職場も、周りにとけこめるよう
努力しているのですが、なぜか「おたく」とかいわれ
また孤立してしまってつらいです。
病院・カウンセリング・神経症自助グループなどなどあらゆる
ことをしましたが、そこでも「かわってるね」といわれ、
けっきょく、のけ者のようにされてしまったり、断られたり
してしまいます。
どうしてこうなるのか、このさきどうして生きていけばよいのか
考えに考え苦しみました。
でも、きょうこのサイトをしって、アスペルガーということばをしって
自分だけではなかったんだと、わかり、とても安心しました。


Re: 「共感」論(悪の哲学の観点から) 8164へのコメント
No.8167  Sat, 20 Oct 2001 21:16:09 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

こうもり(包括性LD)です。

みどりさん wrote:

>こうもり wrote:
>>なお、悪の哲学という学問の性質上、良識ある人にとっては胸が悪くなるよ
>>うな表現が多数登場することはご容赦ください。
>
>全然胸が悪くならなかった私はもしかして良識がない!?

いえいえ、学生時代に悪の哲学を学んだ師匠から、悪の哲学を論じる時の注
意を色々受けていたのです。このテーマを扱う時には

(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい
(2)実際に犯罪を起こした事がある人や犯罪を真剣に企図している人が読む
   可能性が高い

といったことに留意するように言われております。(1)については、スキゾ
ニア(これまで精神分裂病と表記されていた)を発病している友人と議論した
時に、思いっきりパニックをおこされてしまいました。(2)については1歩
間違えれば、彼らに犯罪をそそのかしたり、傷つけたりする結果になりかねま
せん。そんな訳で、悪の哲学についてコメントを書く時は、ひどく表現に気を
使わなければならないのです。

 上記のわたしの発言は、(1)のタイプの人に対する配慮ということになり
ます。


Re: 性格診断…… 8155へのコメント
No.8166  Sat, 20 Oct 2001 20:17:21 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

タレイヌ wrote:
>遅ればせながら、タレイヌもやってみました。
>
>BABBBでした。(NPが高い?)
>超平凡かも・・・?
>
このタイプは「円満型」と呼ばれています。
 日本人の平均的なエコグラムパターンだそうで、一番対人的なトラブルが少ないそうです。
 でもヒステリーを起こしやすいとか・・・いわれています。


福岡A-typeオフ会のお知らせ
No.8165  Sat, 20 Oct 2001 18:19:55 +0900  aya [この発言にコメントする]

 オフ会のお知らせを転送します。
 今度は小倉です。福岡に限らず、西日本全域から皆さん来られるようです。

------
福岡A-typeオフ会
(AS AD(H)D LD)

小倉オフ
11月10日(土曜) 18:00-20:00

小倉駅周辺の半個室の部屋。食事代3000円

現在の参加者は8名です。
 AS 4人
 AD(H)D 5人
 LD 2人です。
 未診断の方も含みます。


参加希望の方は、
owner-fukuoka-a-type@freeml.com
にメールをください。

オフ会用MLに登録します。
MLで自己紹介した上でのオフ参加をお願いします。

詳細は、fukuoka-a-typeのMLでお知らせします。

今回参加できない方も、「いつか福岡A-typeのオフに参加したい」
という方であれば、メーリングリストへ登録してください。
-------


Re: 「共感」論(悪の哲学の観点から) 8157へのコメント
No.8164  Sat, 20 Oct 2001 15:22:02 +0900  みどり [この発言にコメントする]

批判ばかりしてしまう性格を治そうと努力中のみどりです。文句があるときは言うけど、よかったときに賞賛するのを忘れてしまうんで。
というわけでとくに意見があるわけじゃないけどコメント。

この話、ああそうだなそうだなと思いながら読みました。

こうもり wrote:
>なお、悪の哲学という学問の性質上、良識ある人にとっては胸が悪くなるような表現が多数登場することはご容赦ください。

全然胸が悪くならなかった私はもしかして良識がない!?


日本と中国 8160へのコメント
No.8163  Sat, 20 Oct 2001 14:39:53 +0900  Tox [この発言にコメントする]

あさかぜさん wrote:
> ジャリメが日本産で、アオイソメが韓国産、というようなもの……とは違いますよね。(あたり前だ!)←最近釣りが趣味になりつつあるあさかぜの、ハズしまくりの横レスでした。

 「鮎」は中国ではナマズのことで、日本ではアユ。「鮭」も中国ではフグ、日本ではサケのことです。

 ついでに訂正します。
>衣類の虫干しに使うのは青朮で、
 青朮→蒼朮。

 「楠」は中国ではタブノキの仲間で、クスノキは「樟」です。「松」も本来はシナマツで、日本のアカマツに近い種類です。
 「桜桃」は中国産のシナミザクラで、セイヨウミザクラに「桜桃」の字をあてるのは間違い。
 「苺」も本来はキイチゴやナワシロイチゴ。現在の「苺」は和名オランダイチゴ。

 なお、「辛夷」は日本ではコブシまたはタムシバの蕾を干したものですが、本来はモクレンの蕾を干したものです。「辛夷」に「こぶし」の読みをあてるのは間違い。コブシもタムシバも日本特産です。
 フジも日本特産で、シナフジの漢名・紫藤を借りて「紫藤」としました。「藤」は「紫藤」の略です。


Re: 性格診断…… 8158へのコメント
No.8162  Sat, 20 Oct 2001 14:36:19 +0900  マザー [この発言にコメントする]


 私もやってみました。
タイプ「8」とbbaabでした。

 エゴグラムによる性格診断の結果

 1・性格
 私は、自分の人生をタップリと楽しんでいる、幸せなタイプらしい……。
 苦しみの中に楽しみを見つけ、悲哀の中に喜びを見つけていけるといった風に
 心境の自在さ、無碍さというものを持っている稀少なタイプらしい……。
 本当かな?

 4・対人関係
 人付き合いの場で、気を付けた方が良い点では、合理主義に徹した計算高さを
 余り表へ出さないようにする事と、自由奔放な言動を、なるべく控え目にして
 行く事がいいらしい……。(なんとなくコワ〜〜イ!)
 ハッキリ言いすぎるって事かな?(しくしく)


あさかぜさん wrote:

> タイプ7とcacaaでした。
> まあ、当たっているかも。bがないって、うーーむ……。

 私の場合、「C」が無かった。うーーむ……。
 


会社を人間関係で次々やめる私って?
No.8161  Sat, 20 Oct 2001 12:46:31 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

初めまして。自分のおかしさには気づいていたのですがアスペルガーを知って自分もそうなのではと限りなく疑っています。アルバイトは20ぐらいやめさせられているし正職員として勤めた会社も7つ人間関係の気まずさで辞めています。特に今回はこじれたのでほんとうに参っています。43才。3児の母です。鬱状態で3年精神科に通っていますがなんか鬱状態もあまり改善されていません。最近は気がつくと薬を大量に飲んだり飲もうとして夫に止められたりしています。つらいです。


Re: おけらの呪い・2 8138へのコメント
No.8160  Sat, 20 Oct 2001 09:45:54 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Toxさん wrote:
> 衣類の虫干しに使うのは青朮で、日本薬局方によれば中国産のホソバオケラの根茎を皮を除かずに乾燥したものをいいます。日本産の朮(古名はウケラ)を根茎の外皮を除いて乾燥したものは、同じく日本薬局方によれば白朮といって別の薬です。

 ジャリメが日本産で、アオイソメが韓国産、というようなもの……とは違いますよね。(あたり前だ!)←最近釣りが趣味になりつつあるあさかぜの、ハズしまくりの横レスでした。

 あっ、嫌わないで! ごめんなさいい!!


Re: 性格診断…… 8126へのコメント
No.8159  Sat, 20 Oct 2001 09:44:21 +0900  Nave [この発言にコメントする]

こんにちは。Naveです。
私も「8」でした。あははは…あたってます。そのとおり。
> http://www.charamil.com/index.php

もひとつの方(http://www.taisei-e.co.jp/seikaku/)では、abacbと出ました。「仕事人間」だそうです。えええ?そうかあ??
「気が付いたら夫が蒸発していた」とか、「息子が家出していた」とかにならないよう気をつけないと(笑…ってる場合じゃないか)。


Re: 性格診断…… 8130へのコメント
No.8158  Sat, 20 Oct 2001 09:40:17 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 わたしもやってみました。

 タイプ7とcacaaでした。
 まあ、当たっているかも。bがないって、うーーむ……。

 関係ないけど、cacaaって「かかぁ」と読める。←ホントに意味なし!
「社会適応」は良好ってことでしょうかね? 


「共感」論(悪の哲学の観点から)
No.8157  Sat, 20 Oct 2001 09:26:41 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 こうもりです。相変わらず、「共感」の問題を考えることに没頭していま
す。今回は、悪の哲学(れっきとした学問である)という領域から、「共感
」について考察してみたいと思います。なお、ここで扱うのはわたしが理解
するところの共感ではなく、自閉症研究の第一人者ウタ・フリス氏の考える
共感(「」つきの共感)です。なお、悪の哲学という学問の性質上、良識あ
る人にとっては胸が悪くなるような表現が多数登場することはご容赦くださ
い。

 ウタ・フリス氏は『自閉症の謎を解き明かす』の中で、

「共感に必要なのはそれがその時に自分の心の状態とは実際に違っていたと
しても、他人が何を感じ考えているのかを知る能力です。」

と述べています。ウタ・フリス氏において、共感とは「感覚や考えにおける
他者との差異を認識する能力」を重視していることは明らかです。わたし自
身、他者との差異に気がつくことの重要性はおおいに認めます。しかし、他
者との差異を認識することが一般的な意味での共感性に結びつくわけではな
いことは指摘しておかなければならないでしょう。

 いくつか例を挙げます。まず、いじめについてです。多くの人はいじめを
共感性(ここは一般的な意味での共感)に欠ける行為だと見なすでしょう。
しかし、他者との差異の認識という観点から見れば、この行為は決して共感
が欠如している訳ではありません。まず、いじめっ子はいじめによっていじ
められっ子が自分とは異なる気持ち(悲しい,辛い,腹が立つ)を持つであ
ろうことを認識することができています。そして、いじめられっ子が苦しん
でいるという事を認識できるからこそ、苦しんでいる様子を見て楽しむこと
ができるのです。さらに言えば、他人をいじめたからと言って、自分が同じ
肉体的苦痛や精神的苦痛を味わう訳ではないことも知っています。将来的に
いじめっ子本人が良心の呵責に苦しむことはあるかもしれませんが、それは
いじめられっ子の苦痛とは別の次元の苦痛です。よく、「他人の痛みを分か
るようになれ」というスローガンが登場しますが、別に他人の痛みが分かっ
たからからと言って、道徳的に正しいとされる行動につながる訳ではないの
です。

 次に自殺についてです。自殺を深刻に考えていた人が「わたしが死ぬこと
によって、親しい人を悲しませることになってしまう」と思いなおして、自
殺を思いとどまることがあります。わたしは多くの自殺願望者が自殺を思い
とどまってくれることを希望してはいます。しかし、「他人が悲しむことに
なるから」という思いとどまりの根拠は、決して自分と他人の区別がしっか
りとできている訳ではありません。自分と他人の区別がはっきりしている場
合、「他人がわたしに対して何を望んでいようと、それはわたしには関係な
い」という結論を出す他はないのです。つまり、「親しい人が悲しむから」
という根拠で自殺を思いとどまる場合には、ある程度は自分と他人の気持ち
を混同している必要があるのです。

 最後に殺人です。数年前に「なぜ、人を殺してはならないのか?」という
問いが大流行した時、一部の良識人は「自分や自分が愛している人が殺され
たら、あなたは嫌だろう。だから、他人についても同じことが言えるのだ」
という根拠によって、殺人禁止の理由を説明しようとしました。これに対し
て永井均氏(哲学研究者)はこれに反論する2つの応答の可能性を指摘しま
した。

(1)私には愛する人などいないし、自分自身もいつ死んでもかまわないと
   思っている。

(2)私や私の愛する人が殺されるのは嫌だが、だからといってそれがどう
   して私が人を殺してはならない理由になるのかがわからない。

 わたしにとっては(1)の方が青年期に深刻な葛藤をもたらしていたので
、より密着した問題なのですが、ここでは本論の主旨に沿って(2)につい
て論じておきたいと思います。(2)の応答は明らかに自他の差異を認識し
たうえで出された反論です。つまり、「自分が生きていたいという気持ちと
他人が生きていたいという気持ちは別のものである」ということをきちんと
把握できているのです。わたしはかつて以下のような話を聞いたことがあり
ます。

「オーストラリアで13才の少年が78才の老女を惨殺した。その殺し方が
あまりにもむごたらしかったので、少年を逮捕した警察官は「何でそんなこ
とをしたんだ?」と質問した。犯人の少年はこう答えた。『「だって、あい
つ(殺害された老女)はおれじゃないもん。」』

 「感覚や考えにおける他者との違いを把握する能力」の重要性を指摘する
論者が、「他人は自分じゃないから」というような理由で他人を殺したりい
じめたりするような子供を育てよう考えているとは思えません。しかし、「
感覚や考えにおける他者との認識の違いを把握する能力」は、それだけでは
明らかに多くの人が共感性が欠如していると評価する行動にもつながってし
まう可能性を秘めているのです。逆に、今回述べた「自殺を思いとどまる論
理」のように多くの道徳や倫理は自他の区別があいまいなことによって成立
のする場合さえあるのです。


Re: 性格診断…… 8130へのコメント
No.8155  Sat, 20 Oct 2001 08:43:57 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

遅ればせながら、タレイヌもやってみました。

BABBBでした。(NPが高い?)
超平凡かも・・・?

でも、これをやりながら、やっぱり、年齢や、場数の踏み方で、答えるのに迷ったなぁ・・・。「どちらともつかない」にならざるを得ないところが、結構あった。
性格診断も難しいけど、こうもりさんの、診断も、難しいかも・・?と、変なとこに、繋がったタレイヌでした。


それと、、もう一つの方は、ずいぶん前に、子供らが騒いだので、一緒にやったら、タイプ8.タレイヌと、次男と三男3人。みーんな、8タイプ。
3人の会話。「これ、ふつうだぜ、なあ」「うん、うん」といっている、偏った家族・・・。

   (タレイヌ)


Re: 初めて、書きます。 8153へのコメント
No.8154  Sat, 20 Oct 2001 02:05:17 +0900  Maria [この発言にコメントする]

SORAさん wrote:
> 私は、今日自閉症と、savant syndorome について知り、ある意味感動し
>て、もっと知りたいと思って、探しているのですが、、、、。
> ASのことは、まだ良くわからないのですが、savant とは、どう違うので
>すか?(全く違っているとしたら、ごめんなさい。)
> そして、savant について、ご存知のことがあったら教えてください。
>(savant の方で、特に絵を書く能力に長けた人達の画集とかはあるのでしょ
>うか?)

 はいはーい、お答えいたしまーす。

 その前に用語の問題。“savant”というのは、フランス語の「知る」が語源で、「知識人」「学者」とかいう意味です。英語にもなってます。だから、“savant syndorome”なぁーんていう言葉はあたしに言わせりゃなんかイヤラシイのね。「知識人」や「学者」がなんで「症候群」なのぉ?とか思っちゃいます。で、いわゆる「サヴァン症候群」には、“idiot savant”というちゃんとした名前があります。日本語では、「白痴天才」と訳してますが、これは語順がフランス語式になっちゃってます。「モン(山)・ブラン(白)」は「白い山」で「ムーラン(風車)・ルージュ(赤)」は「赤い風車」。そんなわけで、「天才(的)白痴」でいいんじゃないでしょうか。

 いちばん有名なのは「人間カレンダー」。何年何月何日、とかいうと曜日が出てくる、というやつです。これはアルゴリズムを覚えればどうってことはない芸です。だけど、自閉症方面の人間は、「19××年と19××年と19××年と……19××年は日付と曜日の関係が同じ」みたいな形で記憶してたりするので、どっちかというとデータが主体、アルゴリズムは従みたいです。陰暦がからんでくるとたぶん無理。「19××年の復活祭は何月何日?」みたいな質問に答えられる自閉症方面の人間は、果たしているだろうか、というのは興味のあるところです。なお、復活祭というのは三月二十一日以降の最初の満月の後の最初の日曜日、です。

 これ以外に有名なものといえば、「写真的記憶」と「パターン認識能力」でしょう。

 で、まずは写真的記憶。映画『レインマン』のレイモンドさんは航空機事故に関するデータベースが頭に入っていました。だけど、これは「記憶力」の問題というよりも、「一般人にとって無意味に思えることに対する執着」であって、いわゆる「自閉症者のこだわり」という気がします。テレビ東京の『TVチャンピオン』なんか見てもらえるとわかるんだけど。

 パターン認識能力というのは、物の配置の空間的把握が優れている、ということ。普通の人は、一般に「チャンク7プラスマイナス2の法則」というのがあって、一度に把握できる「ものの位置関係」というのはせいぜい9個くらいまでなのですね。だけど、自閉症方面の人には13とかそういう人がいます。『レインマン』にも床にばら捲かれた爪楊枝の本数を数秒で数えてしまったりするエピソードが出てきます。もっとも「日本野鳥の会」の会員だと、数百羽の鳥の頭数をナニゲに数えてしまう人もいるし。

 天才白痴の能力の本質は、「脳による整理分類を経ない生の情報を、そのまま受け止める」ことだという話は、ちょっと違うんじゃないかな?と思います。たとえば、将棋の盤面を記憶する課題を与えると、プロ棋士は当然のようにすばらしい記憶力を発揮します。ところが、「意味のない局面」に関する記憶力を測定すると、いきなり常人並に落っこってしまいます。
 天才白痴は、「意味」のないことに異常ともいえる記憶力を発揮するように「見える」んです。あくまで「見える」ですからお間違えのないように。常人にとっての「意味」と、あたしたち……じゃなかった、天才白痴にとっての「意味」というのは、たぶん別なのだと思います。

 カレンダーには「秩序」があります。その秩序が見える人と見えない人がいる。で、見える人はその秩序に魅かれるわけです。

 コンピュータのプログラムというのは、「常人」である多くのプログラマーにとって、単に「正常に動くか、動かないか」といったものでしかありません。ですが、あるタイプのプログラマーにとっては、「美しいか、美しくないか」だったりします。同じことを「ロジカルか、ロジカルでないか」と表現するひともいます。で、こういうひとは三千行とか五千行とかいうプログラムが平気で頭に入っちゃうんですね。「××っていうファイルの上から百二十行めくらいのとこにこれこれこういう部分があって、その部分をこれこれこういう風に変えるとこうなる」みたいなのが、瞬時にわかっちゃったりします。図書館の司書さんなんかでも、「これこれこういう本はありますか?」とかいうと、「××の棚の上から三段めの左から十五冊めくらい」とスラッと答えちゃうひとがいます。つまりは、「秩序への希求」というのが、常人ばなれしているわけです。たぶん。

 『たとえばここに「○×拳」という武術があるとしよう。「修行」とは、すなわちその「○×拳」で暮らすことだ。「○×拳」で顔を洗い、「○×拳」で飯を食い、「○×拳」で糞をする。それは一つには「○×拳」の理論に沿った勁(けい)の……力の出し方で常に動くということであり、そのためには思考法すらそこに持ってゆくということだ。』
 山本貴嗣(やまもと・あつじ)『セイバーキャッツ』(全五巻、角川書店ニュータイプ100%コミックス)

 あたしたちは、たぶんうつろいやすいこの世の中の、変わらぬ本質であるところの「秩序」に沿って生きることで、「よりよく生きる」ことを求めているのだと思います。だけど、それを「拘束」「束縛」とみて、そういうものに従って生きるあたしたちの生き方を邪魔する人がいます。べつにあたしたちは他人に迷惑をかけようとは思ってないんですけどね? あたしはそういう人がキライです。

 そんなわけで、天才白痴は「秩序をたく(「おたく」は差別語だそうです。そんなわけで、「をたく」と表記します)」「構成主義をたく」なんじゃないかなぁ、と思ってます。

 数学基礎論、なんていう学問をしている人は、おおむね「構成主義をたく」で、潜在的天才白痴です。「不完全性定理」で有名なクルト・ゲーデルや、「すべての自然数は彼の個人的な友人である」と言われたラマヌジャンや、放浪の数学者ポール・エルデーシュ(大道芸人で数学者のピーター・フランクルさんのお師匠さんみたいなひとです)の伝記などをお読みになってはいかがでしょうか。なお、天才ピアニストとして知られるグレン・グールドや、『ザ・ウォーターキャリアー(水運び人)』というオペラを作曲したチェルビーニという作曲家なんかも天才白痴に分類されるかもしれせん。

 (Maria)

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