アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
みどりさん wrote:
>そう誤解する人にとっては、こうもりさんが提示した問題は大して興味がある
>ことではなく、それよりも「こうもりさんに自殺願望があるかもしれない」こ
>との方が大ニュースだったんでしょう。
悪や狂気をテーマにした話題をすると、この手の誤解がよく発生します。他
には狂気について熱弁を振るっている最中に「君ってそんなに変には見えない
よ」と言われ、話が頓挫してしまいました。別に自分のことを語っている訳で
はなかったのに。
>ここで「問題」というのは、「議題」くらいの意味ですか? それともそう思
>っていること自体が問題? この考えが多くの人と違うことが問題? 他人がこ
>う考えないことが問題?
大体、23才ぐらいまではかなり本気で「誰かを殺して死刑になろうか」と
考えていましたから、今から見れば心理的にかなり危険な問題を抱えていたと
言えるでしょう。ただし、それ以降は悪や狂気を扱う哲学に触れたことにより
議題に変わってしまっていると思います。
最近浮かんできて、ずっと考えている疑問があるので、ここで書いてみます。
ASはこだわりが強いことは知られていますが、こだわりには大まかに2種類(それ以上に分けられるかも知れませんが、2つしか思いつかなかっただけです)あるのではないかと思いました。
(1)行為へのこだわり
実際に何をやるかについてこだわるけど、その行為の結果については時として執着しないこともあるのではないでしょうか。
ASがこのこだわりを持つことについては改めてここで取り上げることはないでしょう。
(2)目的へのこだわり
一言で言えば「目的のためには手段を選ばず」ということです。
目的を達成することに執着し、その手段は一つには限らない、極端な場合には臨機応変とも言える手段を取ることもあるかも知れません。
一般的な「こだわり」という言葉にはこのような目的へのこだわりも含むでしょう。
しかしASが特質として持つこだわりには、このような「目的へのこだわり」も含むのかどうかという疑問が浮かんで、考えても答えが出せません。
皆さんはとう思われますか?
Toxさん wrote:
>schizoid〔医〕
> [形]精神分裂症傾向の、分裂(病)質の。
> [名]〈口語〉精神分裂症患者。
ご教示ありがとうございます。わたしはどうもスキゾイドと言うと、分裂
病質人格障害か分裂病型人格障害を連想してしまうんですよね。ちなみに高
校の時のわたしは分裂病型人格障害の人とちょっと似ていたそうです。
分裂病型人格障害はASとも臨床像が重なるそうなので、ちょっと興味深
いです。
カオナシ wrote:
>>みなさん、はじめまして
>わたしは、自分では普通だと思っているのですが
>ちいさいときから、回りから敬遠されてしまい
>ともだちもできませんでした。
>普通に、気をつかっているのに「変人」「かわりもの」と
>いわれ、仲間に入れてもらえず、先生にさえ、
>わけもなく嫌われ、いつも寂しい思いをしていました。
>そのうち神経症になりました。
>大人になって、かろうじて仕事についていますが
>なぜかけむたがられ孤立してしまい、辞めざるを
>えなくなることが多く、今の職場も、周りにとけこめるよう
>努力しているのですが、なぜか「おたく」とかいわれ
>また孤立してしまってつらいです。
>病院・カウンセリング・神経症自助グループなどなどあらゆる
>ことをしましたが、そこでも「かわってるね」といわれ、
>けっきょく、のけ者のようにされてしまったり、断られたり
>してしまいます。
>どうしてこうなるのか、このさきどうして生きていけばよいのか
>考えに考え苦しみました。
>でも、きょうこのサイトをしって、アスペルガーということばをしって
>自分だけではなかったんだと、わかり、とても安心しました。
はじめましてカオナシさん。シンタロウです。
僕もカオナシさんと同じように普通に振舞ってるのに変わり者扱いされて惨めな思いをしてました。カオナシさんこれからもよろしく。(^w^)
>
>1人でいるのも好きだし、大勢で楽しく過ごすのも好き。けど、他人と過ごすと、
>凄く疲れる…。
>
>これって、性格なのかなぁ……?
>
>
>こんな私ですが、どうかよろしくお願いします。
これはADDの典型的な症状の一つです。
学校の授業に出て板書をとるとか・お部屋を片づけるとか・大勢の人が働く職場で長い書類をタイプしなくてはならないとか・化学の実験を他の学生と連携してやらなくてはならないとか・会社の出張で遠くの町で開かれる会合に参加しなくてはならないとか・生まれて初めてIT講習でみんなの前でパソコンに触るとか・・・
そういった、無から有を発生させなければならない・多くの感覚と判断を司るニューロンを総動員しなくてはならない作業の時、しんそこ疲れて辛いのです。私もそんなタイプです。
もし、もう長期間そんなことで悩んでいるのであれば、主治医の先生に相談して、少量のフルボキサミンあるいはリタリンを処方してもらったほうが良いと思います。
また、一日一時間でよいからリラックスする自分だけの時間を作るのも良いかもしれません。
はじめまして。
小学1年生の娘を持つ主婦で、まちゃみ、と、申します。
私がここに、書き込みをしていいのか、良くないのか、
自分でもわかりませんが、何度かこちらのHPは、見させて頂いています。
私は、今年の春頃までは、自分はADDかADHDと思っていました。
クリニックに行き、検査も受けて、ADDと診断名もつけられました。
が、その後、何かが違うぞ!と、漠然としたものを感じはじめて、
知り合いから別の所を紹介してもらい、いろいろ話したら、
ASに近い、けど、特定不能の広汎性発達障害と、言われました。
私の場合、ずぅっと、周りの人達との違い?で、凄く凄く苦しんできた訳では、
ありません。が、対人関係を築くのが下手なのは事実だし、
周りの人達と、何かが違う、と言うものを、漠然、とではあるけれども、
働くようになってから、感じていました。
普通の人、と言われれば、普通の人のようでもあり、けどやっぱり、
ちょっと違う?みたいな…。
1人でいるのも好きだし、大勢で楽しく過ごすのも好き。けど、他人と過ごすと、
凄く疲れる…。
これって、性格なのかなぁ……?
こんな私ですが、どうかよろしくお願いします。
I wrote:
>「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違う
みどりさん wrote:
>どっちが度合が高いの? どっちに仮定してみても文脈がわからなかったの
>だけど、それが違うとなぜ感情的な反発が少ないの? もう少し説明がある
>と理解でき……るかもしれない。
世間では「女のほうが現実的だ」と云われる。そうかもしれんな、とも思うし、動物行動学的に意味があるような気もしないでもない。とはいえ土井たか子や曾野綾子を見てると、「違うかな」とも思う。
ともあれ現実離れした素っ頓狂な理念にかぶれる奴は男に多いような気がするのは私だけではあるまいと思う。あるいは社会によって女性には「生活」というものがおっかぶせられ、男性には「仕事」というものがおっかぶせられる傾向はあり、衣食住(汚れたパンツだとか赤ん坊のウンチだとか汚れた食器だとか埃を吸い込んだカーテンとか)と金銭(たとえばビジネス社会におけるパワーゲームであるとか)のどっちが現実的かといえばたぶん前者、ということなのだと思う。
とはいえ、「『金』こそが現実だ」と主張する馬鹿もたぶんおると思う。これが嘘だというのはじつは本人がいちばんよく知っている。こういう馬鹿はおおむね理科系技術者・研究者に対して抜きがたい劣等感を抱いており、「『金』こそが現実だ」という主張を脅迫的に続けずにはいられないという意味で非常にうざったい存在である。技術者や研究者は「自分の殻に閉じこもっている」などとよく云われるが、なに、単に充足しているだけなのだ。
多くの男は「からっぽの砦」である。中身がないことを意識するのが怖いから必死になって外壁を固めざるを得ない。抑圧が強いのでも、岩のように中まで詰まって固いのとはちょっと違うのである。中身のない会社ほどシステム化だとかIT戦略だとか騒ぐのと同じようなものだ。逆に中身のぎっしり詰まっている企業の場合は問題点がはっきりしていてしかも本質的で解決が難しい。こういうのをうまく切り分けてシステム化しパッケージ化できると、これはどこへ持っていっても売れる。こういうのを技術ストックというのである。ところがバブル景気時代に中身のない仕事ばっかりやってた会社は技術的にスカスカになっていたので不景気が来たら一斉にポシャった。
中身のない会社はまず社屋が立派で受付が立派(成金趣味とも言うが)で受付のおねーちゃんがモデル顔でスタイルもいいんだけど頭がカラッポで、暇さえあれば化粧を直していたりするのである。で、応接室には版画がかかっていて(それがまた揃いも揃って鬱陶しいベルナール・ビュッフェだとかデペルトだとかヤマシタとかなのだ)、高級外車だとか下品な背広だとかキンキラキンの時計だとか……ああ、書いてて厭になる。とにかく中身がないから外見を飾り立てるしかないのである。で、やっぱり消費者金融のCMに出てきそうなねーちゃんがまずい茶を持ってくるのである。そのくせ部屋のすみっこでレンタルの観葉植物が枯れかけている。こういう会社と仕事をするとおおむねプロジェクトはろくでもないことになり、しかも支払われうはずの金は支払われず、いきなり「会社が倒れた」とかいう話になる。
これに対してホンモノの会社っつーのは生活感に溢れている。社長は作業服でプログラマーはちょんまげ(ポニーテールとは言わんと思う)でロゴ入りTシャツ(多くはAppleかNextである。「NILシャツ(Lispのプログラム(EPAMかなんかである)がプリントしてあって文中の「NIL」の部分がでっかく胸の中央でロゴになっている。なお、NILというのは*T*(Lispにおける真値)の反対語である。ああ、カッコが多い)」という濃い奴もいたが)にジーンズで下手をするとサンダル履きである。で、「あ、コーヒー飲みますかぁ?」とか言って自分で淹れて持ってきてくれるコーヒーがうまい。通されるのは応接室ではなく会議室や資料室で、なぜか水草水槽がドカンと置いてあり、昼時になると職場のおねーちゃんたちが弁当持ってぞろぞろ入ってきたりする。こういう会社と仕事をしてハズしたことは一度もない。
これは単に内向的とか外向的とか、内省的とか他罰的とか問題ではないように思う。どこかに境界領域があるのだ。自分に焦りがあって、地道な努力をすることができずに目先の結果を追いつづけた結果、中身のないからっぽの砦ができあがる。逆に「自分を掘る」ことが自然に結果につながるという自信があれば焦りが出ない。その結果より多くのものを蓄積してゆく、という循環が起きる。
「自分」というものから目を逸らしてきた奴に、「自分を見つめろ」と言ってもたぶん耳には入らない。必ず感情的な反撥が起きる。逆に自分を掘ることに興味がある奴だと、他者の視点による観察結果というのはむしろ活用したい情報である。
クレームを厭う会社はいずれポシャるがクレームを歓迎する会社は伸びる、という話と構造的には同じだ。もちろん身にこたえない批判は情報として役立たないが、自分に自信のある奴は「腹が立つということは、それは真実を突いているということだ。真実は人を傷つける」と踏ん張れる。
そんなわけで、自分の内的世界と外的世界の乖離が少ない奴は、他者からの批判を柔軟に受け止めることができる。つまりは(正当な)批判によって傷つきにくいということでもある。だから感情的反撥が起きにくいのである。
訳のわからぬ説明になった。すまぬ。
(Mr.Moto)
たあ wrote:
> 今日、情報処理技術の資格を受験する予定だった。でも、受験できなかった。試験会場にたどりつけなかった。電車を間違えたからだ。偶然、駅のホームに私と同じ受験票を持った人がいた。その人の乗った電車に私も乗った。つい、その人と同じ受験会場だと思い込んでしまっっていた。ちゃんと、どこ行きの電車か確かめるべきだった。結局終点まで乗って行ってしまった。間違ったことに気が付いて、慌てて引き返した。30分以内の遅刻なら受験できる、と受験票に書かれていたので急いだ。でも、間に合わなかった。
>
>資格が取れれば就職のきっかけになるのではないかと思った。でも、受験する前に、失敗した。一度思い込んだら、自分では変更できない。私は秘書型ロボットが欲しい。
>
>
自分も似たようなことで、結構損をしているほうです。
初めての場所の場合、地図を見たりして良く確認しないと全くとんでもないところへ行ってしまうほうです。特に東京のような単調な町並みを歩いて目的地に行かなくてはならないときは、時間を多めとらないと結構痛い目に遭います。
学生の頃、筑波の地質調査所の標本館を見学したいと思って、朝早く家を出たのですが、常磐線の荒川沖駅からバスのほうが近いということを知らずに、隣の土浦からバスに乗ったら、そのバスが標本館のほうではなく筑波大のほうへ行くバスで、何か変な方に向かってるなと思った時には標本館から5KM以上離れたキャンパスの中で、そこから見知らぬ筑波の街の中を5時間くらい歩き、標本館にたどり着いたのは、結局閉館1時間前だったということがありました。
「会社で、出張に行け!といわれて、はたせなかったらどうしようか・・・」というのが、私が引きこもりをして無職でいる理由の一つです。
えーとね、”西”が全体性の愛、”東”が個性、”南”が善で”北”が悪。
西へ往ってしまうと、朝になっても個性を育てるご飯は要らなくなる。
多様性を無視して個性の尊重だけ求めると、ヒトラー。
一般に東寄りが男性的で、マザ−テレサは偏愛主義の女性代表。「どこでのたれじのうが放っといてくれ。」とか、「救われるなんて嫌だ。勝ちたい。」って人もいるので、必ずしもウケません。
よく人は、吉を求めて凶を嫌がります。責任回避のオブザーバーで楽したがりますね。でも、要らなくなったものの処分は大事なことです。夢の中の”殺し”は、心を浄化する吉夢だという説があります。凶というのは浄化作用があるのです。経済成長の善を追って自己浄化を怠れば、地球環境の災いです。廃棄物処理が賎業であれば、”北”の浄化が疎かにされて地獄的状態に。命も捨てるべきときに捨てればいいんですが、執着が正義となると、戦争です。”南”へ行きすぎると急に北へ行ってしまいます。悪が常識化するのが戦争。テロだから報復って行かずに、「外れて南へ来すぎたんだな、やっぱり京都議定書入ろう。」とか軽く戻ってくれたら、正義が勝たなくたってアフガンの女性もプラグマチックないい暮らしするようになるだろうに。援助が足りなかったんで、暴力介入は足り過ぎじゃないか?女性が開放されて喜ぶんならいいけどね。
仏道は中庸で、偏りが俗。ずっと中央に居られれば問題ないけど、みんなあっちこっち傾いて傷だらけ。大人は傷だらけの子供を隠して鎧を着てしまうけど、それでは病気が治せない。よろよろしながら、傷治してくんですね。マザ−テレサはチョコレート大好きだったそうで、歯医者が「悪い!」と止めたから亡くなってしまった。善偏重はこわい。一本調子でなく、適当にくずしてバランスとったほうがいいのだ。
悪は排斥せず、過度の暗さは適当な宗教儀式(イスラム教が向く程度の人もいるのかな)の繰り返しによって晴らす。武力に頼るのは宗教の弱さの露呈。
”精神分裂症”は、原語訳の”統合失調症”がいいな。スキゾフレニアよりなじみやすいだろうし、ロナルド・レインも賛成だと思う。そうなると、分裂病質はスキツォイドでなく、統合失調質!?
「しげるとお友達でごめんなさい」
この間テレビに出てた女の子が言っていた。”しげる”はだんご虫。
「十二匹全部しげる?」
「そう」
……子供ってなぜだんご虫と相性がいいんだろう? わたしも好きだった。丸くなるからかな?
娘と今一番仲良しの女の子(小4)は虫が苦手だと言う。チョウチョもトンボもだめ。彼女がある日の学校帰りにうちへ寄ったとき、大事そうに紙の箱をかかえていた。中には、だんご虫がぞろぞろ。
「うちで飼うの〜」とうれしそうに持って帰った。
「だんご虫は大丈夫なの?」
「うん。平気」
ちなみに、うちの娘に尋ねてみると、
「だんご虫は好きってわけじゃないけど、まあ平気。さわれる」
「わらじ虫は?」
「平気」
「よく似てるけど、丸くなるのがだんご虫で、丸まらないのがわらじ虫だよね?」
「そう。あとね、わらじ虫はちょぉっと透きとおってるけど、だんご虫はまっ黒」
「そうなんだ〜。よく観察してるね」
「まあね」
なんだかな〜……。
娘がしょっちゅううちにいないので、気が抜けている。これでいいのか? 彼女がいないと親をやっていることを忘れてしまいそうだ。……もしやして、早々に娘から見限られたかな?? 無理も無い(苦笑)
緊張しすぎても笑うが、気が抜けても笑う。笑ってしまう。
わはははははは。
あさかぜのひとりごとでした。
今日、情報処理技術の資格を受験する予定だった。でも、受験できなかった。試験会場にたどりつけなかった。電車を間違えたからだ。偶然、駅のホームに私と同じ受験票を持った人がいた。その人の乗った電車に私も乗った。つい、その人と同じ受験会場だと思い込んでしまっっていた。ちゃんと、どこ行きの電車か確かめるべきだった。結局終点まで乗って行ってしまった。間違ったことに気が付いて、慌てて引き返した。30分以内の遅刻なら受験できる、と受験票に書かれていたので急いだ。でも、間に合わなかった。
資格が取れれば就職のきっかけになるのではないかと思った。でも、受験する前に、失敗した。一度思い込んだら、自分では変更できない。私は秘書型ロボットが欲しい。
こうもり wrote:
> 正確に言えば、そのようなケースを既に体験しているんです。「自分が生
>きていることを他人から望まれているからと言って、それがなぜ生きなけれ
>ばならない理由になるのか分からない」と発言した時は、「自殺願望がある
>のではないか?」と思いっきり誤解されました。確かに昔願望を持っていた
>ことがあるから今も関心がある訳で、全く的外れという訳ではありませんけ
>ど。
そう誤解する人にとっては、こうもりさんが提示した問題は大して興味があることではなく、それよりも「こうもりさんに自殺願望があるかもしれない」ことの方が大ニュースだったんでしょう。
# あ、私がいつも話題をそらしてばかりいるのもそういうことなのかなあ。(本題にまっすぐ向かったコメントってほとんどできてない気がする)
>ています。殺人の関するコメントについても、わたし自身が抱えるどろど
>ろはむしろ
>
>>(1)わたしには愛している人などいないし、自分自身もいつ死んでもかま
>> わないと思っている。
>
>の方にあります。こちらの方が14才ぐらいから付き合ってきた問題だけ
ここで「問題」というのは、「議題」くらいの意味ですか? それともそう思っていること自体が問題? この考えが多くの人と違うことが問題? 他人がこう考えないことが問題?
Mr. Moto wrote:
> 「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違う
どっちが度合が高いの? どっちに仮定してみても文脈がわからなかったのだけど、それが違うとなぜ感情的な反発が少ないの? もう少し説明があると理解でき……るかもしれない。
カオナシさんへ
こんにちは。
私もカオナシさんと同じです。
私も勝手に「オタク」とか「宗教やっている人」とか
言われてしまいます。
(宗教やってないのに)
結果、今私は世捨て人生活してます。
まろんす
中学でいじめにあって多重人格になりました。ひどかったのが20代後半で今は記憶が時々とぎれるという症状がまだ残っています。ただひたすら普通の人と同じになるために努力してきました。一見普通です。だから就職はできるのですがやはり続かないのです。今は鬱もあって症状をこじらせてしまいましたが元にあったのは人とうまくやっていけない障害だったと思うのです。自分ではADDかと思ったりもしましたがASを知ってからはそちらのほうに近いような気がしています。
思い出す限りつらい思いでしかありません。そして最後の手段として精神科に3年通院して結局たいして改善されないということに深く絶望しています。それがまた鬱の原因の一つにもなっています。先週からカウンセリング的な別な精神科と心理テストをしてくれる病院にも通いはじめました。なぜ私にとって世の中がこんなにつらいのか原因を推測ではなくはっきり知りたいのです。
こうもりさん wrote:
>ちなみにスキゾイドは「分裂病質」ではなかったでしょうか?
alcoholic
[形]1.アルコール(性)の。アルコール入りの。
2.アルコール中毒の。
[名]アルコール中毒(患)者。
maniac
[形]狂気の、狂乱の。
[名]1.狂人。
2.熱中者。〜狂。
manic
[形]1.〔医〕躁病の[にかかった]。
2.熱烈な、熱狂的な。
[名]]躁病患者。
manic-depressive〔医〕
[形]躁病の。
[名]]躁病患者。
psychotic
[形]精神病の。
[名]精神病(異常)者。
schizoid〔医〕
[形]精神分裂症傾向の、分裂(病)質の。
[名]〈口語〉精神分裂症患者。
schizophrenic〔医〕
[形]精神分裂症傾向の、分裂(病)質の。
[名]精神分裂症患者。
『新英和中辞典』(研究社)より。私見ですが、これらが名詞として用いられる例は、“person”が省略されているのだと思います。
Mr.Moto wrote:
> もっとも女性の場合は(本当なら「女は」と表現したいところなのだが)「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違うから、こうした感情的な反撥を喰らう心配は格段に少ない。それよりおれはsyakuさんやみどりさんやあさかぜさんに「浅いな」と侮蔑の笑いを浴びせられる方を怖れる。
しね〜よ、んなこと。
「気苦労が多いねぇ」と、ねぎらいの言葉くらいはかけるけどさ。
> おれは権威主義者だ。気に入らん奴はツブす。文句があるか。わはははははは。
わはははははは。
(いっしょに笑っている。だって、おかしいんだもん。こういうのは「共感」とは言わないだろうなぁ……)
横レス失礼しました。わはははははは。
Mr.Motoさん wrote:
> まずは別件。
>
> 私の記憶が確かならば、精神分裂症(分裂病)は「スキゾイド/シゾイ
>ド(“schizoid”)」または「スキゾフレニア/スキゾフレニー/シゾ
>フレニー(“schizophrenia”))」。英語の発音に近づけようと思うと
>「スキツォイド」あるいは「スキツォフレニア」。英俗語で“schizo”と
>いうと「気狂い」みたいな意味になるし、“-mania”も「〜狂」という意
>味があるから、「スキゾニア」というと中途半端に憶えて「スキゾマニア」
><とか間違える奴が出てあんまりよろしくなかろう。
これは失礼しました。ちなみにスキゾイドは「分裂病質」ではなかったで
しょうか?
> さて、こうもりさんが挙げた二つの問題点以外に、交流分析でいう大人
>対大人の関係が成立しなくなるという問題点がある。これは精神病や学習
>障害やひきこもりについて論じるときも似たようなものなのだが、相手が
>「大人対大人」の関係を表面上は保ちながら、そうでないコミュニケーシ
>ョンを求めてくるから話がややこしくなるのである。
ああ、わたしが好きなテーマばかりだ…。
>おれが思うに、こうもりさんが挙げている
>
>>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい
>
>というのも、論じている当人が「悪い奴」の立場で発言していて、それを
>聞いている相手が自分が「善い奴」として攻撃の対象とされるケースを想
>像してしまう結果のように思うのである。
正確に言えば、そのようなケースを既に体験しているんです。「自分が生
きていることを他人から望まれているからと言って、それがなぜ生きなけれ
ばならない理由になるのか分からない」と発言した時は、「自殺願望がある
のではないか?」と思いっきり誤解されました。確かに昔願望を持っていた
ことがあるから今も関心がある訳で、全く的外れという訳ではありませんけ
ど。
悪や狂気をテーマに扱った場合でも、その手の誤解を受けることはしょっ
ちゅうです。
> そんなわけで、悪を論じるときは、自分が心の奥底に抱えているどろど
>ろとした「悪」のようなものを精神の暗部から引きずり出して解剖台の上
>に載せ、叡智の光をもって照らしだし、論理の刃によって切り刻み解剖し
>ようという立場をまず相手に理解してもらわねばならない。それは相手に
>も自らの奥底にある「悪」に向きあうことを要求することでもあるから、
>そういう覚悟のない相手に対してはこの手の話題は避けるにしくはない。
不特定多数の人が目にする掲示板で議論するのはちょっと難しいのかも
…。
> もっとも女性の場合は(本当なら「女は」と表現したいところなのだが
>)「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違うから、こうした感
>情的な反撥を喰らう心配は格段に少ない。それよりおれはsyakuさんやみ
>どりさんやあさかぜさんに「浅いな」と侮蔑の笑いを浴びせられる方を怖
>れる。
女性に限らず、問題を既に突破している人には「浅い」と思われるでし
ょうね。間違いなく。今回はかなり安全運転でコメントせざるを得なかっ
たことを告白しておきます。
ついでに言えば、議論していたテーマとわたしの実感レベルの問題意識
にも食い違いが発生しており、心に抱える悪を引きずり出す事にも失敗し
ています。殺人の関するコメントについても、わたし自身が抱えるどろど
ろはむしろ
>(1)わたしには愛している人などいないし、自分自身もいつ死んでもかま
> わないと思っている。
の方にあります。こちらの方が14才ぐらいから付き合ってきた問題だけ
に、書きたい事が山のようにあるのですが、今回は断念しちゃいました。
例のスキゾフレ二アの友人をパニクらせてしまった前科(?)もあり、も
う少し表現に工夫が必要なんですよね。
また、以前やられてしまったことがあるのですが、「誰の心にだって悪
はあるさ」「誰にだって欠点はあるさ」みたいなさわやか路線でコメント
をされて、話が深まっていかなくなるのも嫌なんです。下手に達観してし
まう事が思考の妨げになるということは、何とかして伝えなければなりま
せん。どのようにコメントするのかは目下思案中です。
pennpenn58さん、はじめまして。リゲル(結婚適齢期ちょっと過ぎ、独身)と申します。
アスペルガーとは正式に診断されておりませんが、仮に幼少期(1970年代後半)に
今のように子供をアスペルガーかどうか診断する制度があったら、
ほぼ間違いなくアスペと診断されていたと思います。
pennpenn58 wrote:
>初めまして。自分のおかしさには気づいていたのですがアスペルガーを知って自分もそうなのではと限りなく疑っています。
首都圏にお住まいでしょうか?
アスペルガーかどうかの診断を受けたいのでしたら、
「よこまは発達クリニック」(横浜市:但し予約から受診までに数ヶ月
待たされるそうです)と「東海大学医学部付属病院」(神奈川県伊勢原市)
の児童精神科(←間違っているかも;どなたか訂正お願いします)で
受診できると聞いております。
>アルバイトは20ぐらいやめさせられているし正職員として勤めた会社も7つ人間関係の気まずさで辞めています。特に今回はこじれたのでほんとうに参っています。
私も、人間関係をこじらせていじめに遭ったりしたことがありました。
地球人(ニキ・リンコさんの造語で「非自閉症圏の人」の意味)との
会社での付き合いには、疲れました。
>43才。3児の母です。鬱状態で3年精神科に通っていますがなんか鬱状態もあまり改善されていません。最近は気がつくと薬を大量に飲んだり飲もうとして夫に止められたりしています。
過去の人間関係の辛い体験を思い出しては、鬱になられたのでしょうか?
ご主人と3人のお子さんがいらっしゃるとのことですが、経済的に
どうしても働かなければならないご事情がありますでしょうか?
もし、働かなければならないのでしたら、一人でできる仕事(早朝のビル
掃除や、チラシ配り、車の免許を持ってらっしゃるのでしたら配送など)
のお仕事がいかがかと思います。
個人的には、鬱を抱えてらっしゃるとのことで、働くことはお勧めでき
ませんが。
最後になりましたが、人間関係のこじれで悩んでいるのは、pennpenn58さん
だけじゃないですよ。この掲示板に書き込まれている方の中で、アスペで
あるために仕事ができず、引き籠もらざるを得ない方もいらっしゃいます。
元気、出して下さいね。では、失礼致します。
こうもりさん wrote:
>いえいえ、学生時代に悪の哲学を学んだ師匠から、悪の哲学を論じる時の注
>意を色々受けていたのです。このテーマを扱う時には
>
>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい
>(2)実際に犯罪を起こした事がある人や犯罪を真剣に企図している人が読む
> 可能性が高い
>
>といったことに留意するように言われております。(1)については、スキゾ
>ニア(これまで精神分裂病と表記されていた)を発病している友人と議論した
>時に、思いっきりパニックをおこされてしまいました。
まずは別件。
私の記憶が確かならば、精神分裂症(分裂病)は「スキゾイド/シゾイド(“schizoid”)」または「スキゾフレニア/スキゾフレニー/シゾフレニー(“schizophrenia”))」。英語の発音に近づけようと思うと「スキツォイド」あるいは「スキツォフレニア」。英俗語で“schizo”というと「気狂い」みたいな意味になるし、“-mania”も「〜狂」という意味があるから、「スキゾニア」というと中途半端に憶えて「スキゾマニア」とか間違える奴が出てあんまりよろしくなかろう。
浅田彰が昔『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』という本を出して、スキゾ人間とパラノ人間という分類をしていたのも今は懐かしい。個人的には「シゾイド」が順当だろうと思う。
さて、こうもりさんが挙げた二つの問題点以外に、交流分析でいう大人対大人の関係が成立しなくなるという問題点がある。これは精神病や学習障害やひきこもりについて論じるときも似たようなものなのだが、相手が「大人対大人」の関係を表面上は保ちながら、そうでないコミュニケーションを求めてくるから話がややこしくなるのである。
たとえば、相手が「支配的/権威的な親」傾向の強いタイプだと、「まったくあいつらは困ったもんです。要するにあいつらはダメなんです。あいつらは救いようがないんです。」みたいな方向に話をねじ曲げていって同意を求めてくる。
あるいは相手が“I'me not OK. /You are not OK.”タイプの人間だと、「オレを馬鹿にするなぁ〜!」とかいって殴りかかられたり、「あなたがそんな人だとは思わなかったわ!」とか「気狂い!」とかいった言葉を浴びせられたりする。あるいは、「キミはけっきょく性善説を取るのか、性悪説を取るのか?」みたいに詰め寄られたりする。
つまり、「悪」というものについて論じていると、「悪い奴」と「善い奴」をどこで分けるか、みたいな方面へ短絡してしまい、自分がどっちに含まれるのかとか、誰を「悪い奴」として攻撃対象にするか、みたいな話に化けてしまうのである。おれが思うに、こうもりさんが挙げている
>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい
というのも、論じている当人が「悪い奴」の立場で発言していて、それを聞いている相手が自分が「善い奴」として攻撃の対象とされるケースを想像してしまう結果のように思うのである。
たとえばの話、外見上まったくASには見えないJoshya氏が、アスペルガー症候群がどうこう自閉症がどうこうといった話をしていると、いきなり殴り倒されて「障害者を馬鹿にしやがって」とか言われて、ペッ、とか唾でも吐かれかねない。それと同じである。
そんなわけで、悪を論じるときは、自分が心の奥底に抱えているどろどろとした「悪」のようなものを精神の暗部から引きずり出して解剖台の上に載せ、叡智の光をもって照らしだし、論理の刃によって切り刻み解剖しようという立場をまず相手に理解してもらわねばならない。それは相手にも自らの奥底にある「悪」に向きあうことを要求することでもあるから、そういう覚悟のない相手に対してはこの手の話題は避けるにしくはない。
もっとも女性の場合は(本当なら「女は」と表現したいところなのだが)「現実」に向き合う度合いが男とは一段も二段も違うから、こうした感情的な反撥を喰らう心配は格段に少ない。それよりおれはsyakuさんやみどりさんやあさかぜさんに「浅いな」と侮蔑の笑いを浴びせられる方を怖れる。逆上しヒスを起こすのはむしろ男だ。
始末に悪いのが、そうやって感情的にキレる奴というのは、たいていがいじめが好きで、しかも「人徳者」だったりするのである。でもってなおさら始末に悪いことに、そういう連中はしばしば「権力者」だったりする。
「いじめ自殺」の原因になる常習的な「いじめ」は、じつのところ「正義」に裏打ちされている。だから、「相手に懺悔させる」ことが目的なのである。「うざい」「ムカつく」という感情を、「オレたちが正しくてあいつが間違っている」という「倫理」という形で解消しようとしているのである。だから、「いじめに屈するな」みたいな教育を受けた子供ほど標的にされ、「いじめに屈した」ことを恥辱と感じるからこそ親にも相談できず、相手に「赦してください」と懇願させられた恥辱に堪えられず、結局は精神の崩壊を怖れて自殺に走るのである。
JoshyaやKILROYやMariaが、人に尊敬されたり感謝されたりすると逃げ出したくなるのは「いじめ」の裏返しである。だから一方で異常に謙遜するかと思えば、わざわざ鼻につくほど自慢してみせたりもする。人に対して「権威」として君臨するのが生理的にイヤなのだ。とはいえ、それは自分の中にそうした「権威主義」が巣くっているのをよく知っているからだったりする。おだてられていい気になり、あとで死ぬほど自己嫌悪する自分を知っているからである。
そんなわけで、連中の立場は基本的にオブザーバーである。だから権力を持ちたがらない。「土地の古老」のような、「無力の王」である。
おれ? おれは権威主義者だ。気に入らん奴はツブす。文句があるか。わはははははは。
(Mr.Moto)
こうもり wrote:
>(1)「善を否定し悪を肯定した」と誤読されやすい
なるほど。
AS にとっては、こういう話題に限らず、一般人との会話の際に注意すべき点かもしれません。
そういえばこのこと自体も、共感はなにかという話ともつながるものがありますね。
話題の対象を突っ放して見られるかどうかというところ。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami