アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みどりさんへ。
レスをありがとうございました。
私が余計なことを述べると、ますますみどりさんを困らせてしまう
恐れがあるので、今回は用件のみお返事致します。
みどりさん wrote:
>「議論をふっかける」のと「考えを聞く」は私にとっては同じで、どちらも別になにも問題ありません。リゲルさんにとっては、違うことなんですね。どう違うんでしょう?
「議論をふっかける」…相手に反論して、「あなたの考えは間違ってます」
と決めつけ、自分の意見がいかに正しいか主張する。
相手の考えを受け入れる姿勢がないこと。
「考えを聞く」…相手の意見が自分の意見と異なるものであっても、「私は
見解を異にしますが」と述べ、それに対する相手の考えを
聞き、相手が自分と違う見解であっても受け入れる。
これが、私にとっての「議論をふっかける」「考えを聞く」の違いです。
>>私は、個人的な嫌いな非自閉圏の人(健常者)は多くいます。いじめに遭った
>>ことで、今でも憎んでいる人もいます。ですが、非自閉圏の人(健常者)全体
>>を罵倒する考え方には反対です。私の「変わった」部分を「魅力的な個性」
>>と認めてくれている親しい友人のほとんどは「健常者」ですから。
>
>すみません、この部分、意図がわかりません。私の文とつながりがまったく見つかりません。
私の説明不足ですみません。私個人にとっては、罵倒したい健常者(もちろん
ネットの公の場では書きませんが)が少しいる一方で、私の大切な友人(ここ
で知り合った人以外)は皆、健常者なので、健常者全員を罵倒してはいけない
ということを伝えたかったのでした。
みどりさんのこのご意見は「健常者(非自閉圏)の人のストレートな表現に
対して、自閉圏の人が勝手に拡大解釈して罵倒することは、『自閉人が
地球人によくされている』」という意味でしょうか?
みどりさんが述べられていた、
>>>ストレートな表現に対し、勝手に拡大解釈をしてただ罵倒する (本人はすべてを理解して熱心にさとしているつもりらしい)、そういうのって、それこそ「自閉人が地球人によくされていること」なんじゃないでしょうか。
というのは、言葉を置き換えると、
>「非自閉人が自閉人のストレートな発言を勝手に拡大解釈して、その結果言った自閉人は、思いもよらなかったことに対して不条理な説教を受ける」
という意味でしょうか?
(すみません、私は理解力(特に聴覚情報を理解する力)がないので、みどり
さんのご意見に対してつながりのないコメントとなってしまいました)
>これ、自閉圏の人にはよく起こっているのではないかと思います。子供の頃からそういう目に何度もあうことによって、セルフエスティームがひどく下がったり、その反動でそれこそ健常者全般を憎むようになってしまったりという二次障害が出るのだと思います。
みどりさんのこのご意見には、同感です。
>一般の人がやってしまうのなら、無知によるものとも考えられます。しかし、武田さんは自閉についての十分な知識があり、自閉者へのケアに関心があり、それこそ「シンタロウさんを君と呼ぶほどの仲」なのであれば、このお説教のしかたはひどく不適切ではないかと思います。
ご意見をありがとうございました。シンタロウさんに対して武田さんが
叱ったことを「高圧的」とみどりさんが述べられた理由がわかりました。
みどりさんの、このようなお考えを聞きたかったのでした。
>…というのが「ストレートな表現に対し〜」の部分で言いたかったことです。
>で、リゲルさんのお返事の、健常者への感情云々はこれとは全然関係がないようで、意図がよくわかりません。
自閉についての十分な知識があり、自閉者へのケアに関心がある人でも、
自閉者は感情表現が健常者より上手くないので、時として感情的になって
しまうということを伝えたかったのでした。
>>>そう痛感する瞬間が日々あるということはよく理解できます。
>>>ただ、それって、「健常者を憎む」状態になっている相手をさとすのに使うような内容でしょうか?
>>
>>みどりさんがおっしゃるように、武田さんがシンタロウさんを諭す時に
>>使った言葉は、LDであるシンタロウさんに対して適切な言葉ではないと
>>思います。ですが、武田さんご自身もASですし、自閉圏の人は感情表現が
>>健常者と違って苦手であり、時として誤解を招く発言をついしてしまう
>>「ハンディ」を持っております。そのことをご理解して下さると
>>有り難く思います。
>
>その部分について、私が理解してないととられるのは大変心外です。
申し訳ございません。「そのことをご理解して下さると有り難く思います。」
というのは余計な書き込みでした、かつ今回のみとりさんの書き込みを
拝読して、「自閉圏の人は感情表現が健常者と違って苦手であり、時として
誤解を招く発言をついしてしまう「ハンディ」を持っている」ことを理解
している女性であるということが判りました。
>自閉圏の人のもう一つの問題は、誤解を招く発言をして、それに自分では気づかないというところにあると思います。
私もそう思います。ですが、シンタロウさんも武田さんも、それに気づいて
謝罪していることですし、お二人のことは今回は許して頂けると有り難い
です。
>しかし誰も指摘しなければ、投稿した人は誤解されていることに気づかず、読んで誤解した人は誤解したままです。
私もそのとおりだと思います。ですから武田さんがシンタロウさんを
叱った件に対し「高圧的である」というみどりさんの指摘自体には、
反論はしたくないです。
>>最後になりますが、標題の「ケア」に対して、自閉圏の人に対するケアについて、
>>みどりさんのお考えを教えて下さいますか。お時間のある時で構いませんの
>>で、よろしくお願い致します。
>
>結構長いこと考えてるのですが、投稿するにはあんまりな状態のままなので、まだ書いたことがありませんね。そんなひどい状態ですけどそのまま書いてみましょう。
>
>なにが考えをまとめさせないかというと、自分以外の人にあまり興味がないというのがたぶん問題なんです。
>
>で、しかたがないので自分をベースに考えるわけですが、私自身は家族など周囲に自閉圏っぽい人間が多いという、恵まれた(?) 環境でずっとすごしてきたし、一芸に秀でていたおかげで(これも多分にASによるものと思われる)経済的にもなんとかなっています。ですから、教育や経済面での支援については、正直なところぴんときません。
>
>みなさんの話を聞いていて思うのは、本人へのケアだけでなく、一般、特に家族や教育関係者の感化がかなり重要だということです。ただこれは相当に時間のかかることなので、いま生きている人には間に合わないかもしれません。
みどりさんの「本人へのケアだけでなく、一般、特に家族や教育関係者の感化がかなり重要だということです。」というご意見については私も同感です。
>自分自身になにが必要かと言えば、self esteem の問題と、「つい相手に完璧を求めてしまう」こと、あと執着 (とくに好きでもないものへの執着) を自分で制御する方法をなんとかできると、苦しさが多少は減るのでは、と思っています。
>
>どうやらこれらは自閉圏の人にある程度共通するものらしいので、「なんとかうまくやりすごす方法」でも、「ぱっと解消して副作用の少ない薬」でも「ヘルプを求める方法マニュアル」でもなんでもいいので、誰かに開発してもらいたいです。
>
>特に、「なんとかうまくやりすごす方法」は、(万能ではなくても、人や場合によっては効果がある、というようなものでも) もしかしたらすでにあるのかもしれません。個人ベースや、一部のカウンセラなどは知っているのかもしれません。だとしたら、それが個々の、必要な人のもとにちゃんと伝わるよう、特に医師や教育関係者への知識を広めてもらいたいです。
ケアについてのご意見をありがとうございました。
また、私の意見について、時間を割いてお付き合い下さってありがとう
ございました。みどりさんのご意見を聞くことができましたし、これ以上
私のような理解力のない人間にみどりさんをこれ以上お付き合いさせて
しまうのは心苦しいので、掲示板での意見交換は、この書き込みを持って
終わりにしたいと思います。
なお、今後、私についての反対意見がありましたら、私に直接メールを
頂けますか。
最後に、「ケア」についてのご意見をありがとうございました。
難しくてみなさんの議論をぼうぜんと眺めているだけのゆ〜りです。
でも、シンタロウさんの経歴を知って、ぐさっと来ることがあったので1つだけ。
小学5年の頃、特殊学級から普通学級にうつってきた男の子がいました。
当時、私はいじめられっこでした。
が、彼は、私よりもいじめられていました。
「あいつはクルクルパアだ」といって、みんなで馬鹿にして笑っていました。
ある日の放課後、クラスメイトと教室に残って工作をしていると、
彼が入ってきました。クラスメイトたちは、やっぱり彼を笑いました。
彼はとうぜん、怒りました。
そして、粘土の大きいかたまりを、突然、私に向かって投げつけました。
ものすごい激痛が走り、地面に叩きつけられました。
私もいきりたって、涙を浮かべながら立ち上がりました。
彼と私の間で、バチバチ火花が散りました。
このとき、彼と私は完全な1体1で、向かい合っていました。
たぶん、彼は、私としか対等になれないのを知っていたのだと思います。
だから、何もしていないのに、私を標的にしたのでしょう。
それ以後も、いじめられっこになった子がクラスに出来ると、
私はいつも戦わねばなりませんでした。
どちらが、より多く犠牲になるか。
どちらが、クラスの生贄になるか。
生存競争だったのだと思います。
同盟は決して成り立たず、お互いを蹴落とすのに必死でした。
異邦人達に、こんな苦しみを与えた地球人たちが、憎い。
どうして、こちらだけが傷つき、イヤな人間に堕落しなければならないのか。
そんな道しか選ばせてくれなかった、クラスメイト達を憎みます。
もちろん、仲良くなりたかったよ。
みんなとも、いじめられっこたちとも。
あの時は、ごめんなさい。
そう、彼に言いたいです。今となっては届かないけど。
シンタロウくんへ
コメントが遅れてすみません。今回の件についてわたしからはシンタロウくんに対してあまりコメントしていなかったので、この場を借りてコメントします。
わたしは23才ぐらいまで「誰かを殺して、死刑になろう」と思いながら生きてきました。しかし、教育学的にLDと判断されて、その事を少しは受けいれることができるようになってから、考え方が変わってきました。「他の軽度発達障害者たちの誇りを汚さぬように生きていこう」と考えるようになったのです。
わたしたちの発言や行動は自分自身に対してだけ、責任を負えばいいのではあり
ません。軽度発達障害者全体に対して責任を負わなければならないのです。障害者として生きていくことは、支援を受けるだけでなく、その責任を引き受けていくことでもあります。
それはシンタロウくんが子供の時に受けた苦痛をこの場で語ってはならないという意味ではありません。しかし、忘れないでください。シンタロウくんの発言はLDの一員として、重い価値を持っているということを…。シンタロウくんの一言が
LD全体の評価を高くしたり、低くしたりしてしまうということを…。
そして今回、武田さんの言葉を聞いて踏みとどまったことの敬意を表します。ではまた
武田好史さん wrote:
>>>それはそのとおりだと思う。
>>> そうしなければ彼の自尊心が保障されない。
>>>だからこそ、俺は許しをこうレスを書いた彼に感謝したい。
>>
>>ありがとう!
>>お互い辛いことが多いけど、がんばって生きていこう!
>
>もう一言。
> 不愉快なことをいって本当に申し訳ない。
いえいえ、こちらこそ先陣を切って問題に切りこんだ事の評価がおろそかに
なってしまい、すみません。
武田好史 wrote:
>>それはそのとおりだと思う。
>> そうしなければ彼の自尊心が保障されない。
>>だからこそ、俺は許しをこうレスを書いた彼に感謝したい。
>
>ありがとう!
>お互い辛いことが多いけど、がんばって生きていこう!
もう一言。
不愉快なことをいって本当に申し訳ない。
武田好史 wrote:
>みどり wrote:
>>それからもう一つ、誰かに高圧的にどなられることで思いやりの気持ちが沸いて出たことがありますか?
>>感謝の気持ちをもつのも大事ですけど、それは「感謝の気持ちをもて!」といって持てるものだとは思えません。
>>もてないような状況で単に「もて」と言われても、せいぜい自虐的な自己否定につながるだけで、なにもいいことはありません。
>
> 僕だって大学の先輩から、そういわれたときはへこみました。
>でもそういわれていなかったら、いつまでも思いやりのもてない人間のままでいたことでしょう。
武田好史 wrote:
>> 1点だけ、ケアという問題に言及するならば、「障害者が健常者にケアを求める
>>ために、健常者から被害を受けた人の口封じをすることが許されるのか?」という倫理学的な問題は残されていると思われます。わたしは「何かよいことを実現する
>>ために多少の犠牲はやむを得ない」という考え方は嫌いなのです。第三者から見れば多少の犠牲であっても、犠牲者本人にとっては全く多少ではありませんから。従ってシンタロウくんが健常者から受けた被害についても、本人が適切な表現を行う
>>のであれば、認められるべきだと思うのですが、いかがでしょうか?(実は蝙蝠が
>>言いたかったことはこれであった)
>
>それはそのとおりだと思う。
> そうしなければ彼の自尊心が保障されない。
>だからこそ、俺は許しをこうレスを書いた彼に感謝したい。
ありがとう!
お互い辛いことが多いけど、がんばって生きていこう!
この間コメントをくださったときも、有難う。
それだけです。
えっと今酔っ払いです。
私は悪くないのに。
私ノ車に、ドアをあけて、ぶつけた上司の母親が悪いのに、私が怒ったのは
悪い。年上には、それなにり。。といわれて切れまくっています。
ばかみたい。まざこんおとこ。。色々いったら、、こっちも短気だから切れるぞと
おどかされて、、首だそうです。へ。。ばか・。。としよりばか
pennpenn58さん wrote:
> こんばんは。コウモリさんの投稿に『障害の認定を「今まで曲がりなりにも
>困難や不適応とつきあいながら生きてきたことに対する勲章」と考えている』
>との一文がありました。
あくまで、他人に自慢することはできない勲章ですけどね。にゃはは
> 障害の認定が出たら私もその認定を自分の勲章と思うと思います。結果が出
>なかったら私はまた原因を自分の中に探すことになるとサ
ご自身にとって納得のいく勲章(障害の認定)があることを祈ります。では
武田さんへ
これはリゲルさんにもレスしたことなんですけど…。
みどりさんの再レスを見て確認が取れましたけど、要するにみどりさんやわたしが反論している部分は武田さんのコメントの目的ではなく、コメントの仕方にあるのです。
しかし、どうもリゲルさんや武田さんはコメントの目的を非難されていると誤解しているように思われます。以前から、コメントの目的ばかりを説明されているので…
少なくとも、わたしにとっては武田さん本人が「言い方はまずかった」と認められた時点で、問題は終わっているのです。コメントの目的については全くと言っていいほど、異論がありません。
わたしがややしつこくコメントをしていたのは、わたし自身が結論より根拠や考察過程を重視する議論の進め方をする傾向を持つためです。そのことで不安を与えてしまったのならばお詫びします。
1点だけ、ケアという問題に言及するならば、「障害者が健常者にケアを求める
ために、健常者から被害を受けた人の口封じをすることが許されるのか?」という倫理学的な問題は残されていると思われます。わたしは「何かよいことを実現する
ために多少の犠牲はやむを得ない」という考え方は嫌いなのです。第三者から見れば多少の犠牲であっても、犠牲者本人にとっては全く多少ではありませんから。従ってシンタロウくんが健常者から受けた被害についても、本人が適切な表現を行う
のであれば、認められるべきだと思うのですが、いかがでしょうか?(実は蝙蝠が
言いたかったことはこれであった)
武田好史さん wrote:
> みどりさんのこの発言は、「シンタロウ君を信頼していない」ということ
>になると思います。
私には武田さんの言っていることの意図がよくわかりません。意味はわかるけど。
少なくともあたしは今回の件についてシンタロウくんを信頼する気にはなりません。
シンタロウくんの
>健常者をぶっ殺せ〜♪イェ〜イ♪
『第1次健常者警報』(No.8329、26 Oct 2001)
という発言は、おそらく健常者の視点から発せられた言葉……たとえば、健常者が、「障害者が健常者に対して無意識のうちに抱く憎しみ」を揶揄することで、障害者が健常者に抱く劣等感を指摘し、それを「健常者の障害者に対する優越感」に転化して優越感に浸るとか、そういったことのための言葉では、ないように思われます。
で、いわゆる「健常者」(いい意味ではない、差別者としての健常者)がこの書込みを読んだ場合に彼ら(あるいは彼女ら)がどう判断するかと考えると、やっぱり「やはり自閉症患者は(健常者に対する攻撃性を内在しているという意味で)危険な存在なのだ」とおそらくは考えるわけですね。
イスラム原理主義者の中のさらに一部であるテロリストが行なったアメリカに対するテロが、「イスラム文化に対する自由主義に対する攻撃」とみなされ、イスラム教徒に対する弾圧の正当化に用いられるとしたら、これはイスラム教徒にとって非常に迷惑なことです。それと同様に、シンタロウくんの発言は、自閉症方面の人間を「適切に管理する(これはほとんど「社会の迷惑にならないように隔離する」の同義語です)」ための理由にされかねないという意味で、自閉症方面の人間にとって非常に迷惑な発言です。
で、あたしはそういう「自分が他人に迷惑をかけていることがわからない人間」、あるいは「他人に迷惑をかけるというネガティブな方法によって自己確認を行なおうとする人間」を信頼するほど馬鹿ではなかったりします。
で、 武田好史さんの
> でもこれだけは分かって欲しい。
>どんな障害者も100%健常者から独立して生活できるわけではない。
>障害者と健常者が歩み寄らなければ良いケアの実現はありえない。
『Re: どうして憎いと思うのですか?』(No.8357、28 Oct 2001)
とかいった話は、これとはぜんぜん別のことなのではないかと思うんですよ。
あたしは『Re: ケア?』(No.8374、29 Oct 2001)の中で、
> “care”という言葉は、古代英語「悲しみ、不安」から来た言葉で、いち
>ばん一般的な訳語は「心配」です。で、人は「大丈夫」だと思ったら「心配」
>しないのね。
と書きました。で、武田さんはシンタロウくんは「大丈夫」ではないと思ったのだろうけれど、みどりさんはそれは「心配」の域を越えて「介入」になっちゃってるんじゃないかな?と感じたんじゃないかなぁ、と思うのですね。まあ、あたしは武田さんでもみどりさんでもないから確かなことは言えないのだけど。
あたしは以前、人はなぜ血を流して倒れている人にまで「大丈夫か?」と訊いてしまうのか、けっこう悩んでいました。「血を流して倒れている人間が『大丈夫』なわけがないだろう。なんという馬鹿な質問だろうか」と思っていました。
ただ、「大丈夫」を「心配」と対になる概念だと考えると、この質問も無理なく理解できるということに気がついたのですね。
「大丈夫か?」「大丈夫だ、心配するな。」
というのは、
“May I help you?”“Thank you. But that is not your business.”
ということだったりするわけです。
「大丈夫だ、心配するな。」という答えは、「私は少なくともあなたのケアを必要としていない」を意味します。で、これは必ずしも「私は他者による一切のケアを必要としていない」を意味しません。同時に、「私はあなたのケアを拒絶します」を意味しません(もちろん拒絶したくなる場合が多々あるのは、あたしが『Re: help(care)について』(No.8282、24 Oct 2001)で述べたことでもあります。
だけど、「自分のケアを受けようとしなかった相手が自分以外の人間のケアを受け入れたり求めたりすること」を「侮辱」と受けとる人というのが世の中にはとても多かったりします。で、そういう人が、自分がコントロールしなけらばならないと信じている相手が自分以外の人間からケアを受けることを妨害したりするのですね。
たとえば、友人の炊いた白いお粥を削りたての鰹節と塩の利いた昔風の梅干で食べたいよう、と思っても、母親が「そんなのじゃ栄養足りないから体力がつかない。だいいち鰹節も梅干も塩分が多すぎて身体に悪い」とか言って捨ててしまい、「すっぽん雑炊」とか食べさせられてしまったりするかもしれない。「食欲がないからあっさりしたものが食べたいよう」とか言っても、「すっぽん雑炊がいかに高価で滋養があるか」とかいった話をされて、食べさせてもらえないかもしれない。そうして「病人はおとなしく言うことを聞いていなさい」とかいって、自己決定権を奪われてしまうのですね。
あたしがみどりさんの文章から読み取ったメッセージは、「私の自己決定権を尊重せよ」「ケアの見返りとして自己決定権を手放すことはしたくない」「『障害者であること』を理由に自己決定権を奪われたくはないし、『障害者としてのケアを受けること』と『自己決定権を放棄すること』はまったくの別問題である」といったことなのですね。で、みどりさんが言うセルフ・エスティームというのは、自己決定権に附随する自己責任を引き受けることに、密接にかかわっている、ということだと思います。
違ってたらごめんなさい。
(Maria)
みどり wrote:
>これ、自閉圏の人にはよく起こっているのではないかと思います。子供の頃からそういう目に何度もあうことによって、セルフエスティームがひどく下がったり、その反動でそれこそ健常者全般を憎むようになってしまったりという二次障害が出るのだと思います。私の場合は理論武装身につけることになりました。(あまり役にたってないけど)
>
みどりさんのこの発言は、「シンタロウ君をを信頼していない」ということになると思います。
「分かり合えない・かわいそう」ということから「不正を放置する」のは、よくない考えだと思います。
そうしていたら、いつまでもお互いに相手を認め合うことができないと思います。
私は「健常者を殺せ!」というレスの裏に、シンタロウ君の「誰か俺を止めてくれ!」というSOSが読めたので、彼を叱ったのです。
彼の自尊心を傷つけるのを省みなかったことを、重ね重ねお詫びします。
みどりさんの、その書き込みは、とてもアスペにとっては、頷けて、共感できました。すぱっとしていて気持ちが良かった。上手くわからないけれど、何故かリゲルさんの書き込みノ時期頃から、いきなりみどりさんが、忙しく成ってしまって。。それででもみどりさんは、その短い時間でも、出来るだけ気遣いをして誠実に書いているのが感じられる。と独り言です。ちょっと大変だなって。
みどり wrote:
># AC まじりの自称 AS である私は、「なにもしないほう」を選びすぎる傾向もありますけど
私もそうです。
どんなに志が高くても、方法を間違えたら無意味なばかりか、なにもしないほうがましということもあります。
# AC まじりの自称 AS である私は、「なにもしないほう」を選びすぎる傾向もありますけど
武田好史 wrote:
> しかし、相手が危険な言動をしたら止めるのもケアの一つではないでしょうか?
止めることはいいんです。実際私も、武田さんの言動が危険だと思うのでこうやって止めようとしているわけです。
しかし、「ただ黙らせる」のでは問題が深く潜り、こじれてしまうだけです。通りすがりの他人が「あいつうるさいから黙らせよう」というのと同じになってしまいます。
相手のことを思いやって止めるのであれば、それなりの方法があるはずです。少なくとも、なぜそういう発言が危険なのかという理由くらい説明しなきゃ片手落ちです。
> 私がシンタロウ君に一番伝えたかったのは、「今生きているのは、必ず誰かのおかげである。」ということです。
それも構いません。しかしその相手をなぜ健常者に限定するのでしょうか。逆効果にしかならないと思います。
> それを知ることが、人に対する「思いやり」や「いたわり」の気持ちを作っていくんだと思います。
武田さんが、相手を「そんな発言をするとは思いやりやいたわりがないやつだ」と決めつけていることにも大きな反発を感じます。
それからもう一つ、誰かに高圧的にどなられることで思いやりの気持ちが沸いて出たことがありますか?
感謝の気持ちをもつのも大事ですけど、それは「感謝の気持ちをもて!」といって持てるものだとは思えません。
もてないような状況で単に「もて」と言われても、せいぜい自虐的な自己否定につながるだけで、なにもいいことはありません。
> 健常者も私たちも同じ人間である以上、いつまでも憎みあっていていいことがあるはずがありません。それを教えることも、仲間としての責任だと私は思います。
その目的には賛成ですが、世界を「健常者集団 対 障害者集団」の構図で捉えている限り、周り道ばかりで前進はないと思います。
武田さん自身がそう捉えるのは勝手ですが、「健常者なんていなくなっちゃえばいい」と言っちゃうような状況の若い人に、その構図を強化させるようなこと (しかも上下関係つきで!)、 言わないでください。
こうもり wrote:
> わたしなりに問題を整理すると、みどりさんが武田さんに異を唱えている点
>は発言の目的ではなく表現の仕方にあるように思えます。発言の目的とは武田
>さんがシンタロウくんに伝えようとしたメッセージであり、表現の仕方とはそ
>メッセージを伝えるために用いた表現の手段です。
あ、そうです。もちろん。
私が思うに武田さんの意図は、「そういう発言には問題がある」と「健常者を全部まとめて憎むのは不当だ」の2点だったと思います。
で、これ自体はまったく問題ない、というか、私も基本的には同じようなことを思いました。
しかし、その理由としてあげられたのが「思いやりがない」とか「自分をもっと卑下しろ」というものだったので、これらは見当違いで目的が達せられないばかりか、かえって問題を深くこじらせてしまう、と思いました。
リゲルさんはそこに異論があるのかと思いましたが、… もしかして私が健常者を憎んでいるとか、まとめて憎んでもいいと思っているとか、そんな風に思われてる??
>わたしみたいに「発言の目的には賛成できるが、表現の
>仕方には納得できない」という理由で、異論を唱えてしまう人間もいることで
>すし…。
こうもりさんの反応は私のととても近いものでした。
ついだだから(?)蝙蝠さんのコメントへのコメントも書いちゃいましょう。
憎悪の制御はとても難しそうなのでさておいて、憎悪の表現の方法は、学べるものなら学んでおいた方が自分が損をしないですむだろうと思っています。それに、表現方法によっては自分自身の憎悪感情をなおさら高めてしまうようなものもあるので、こういうのを避けることができたら、精神的にも多少は楽になりそうに思います。
ということで、誰か私にいい憎悪表現の方法を教えてくれ〜。(私の憎悪の対象は健常者全体とかじゃありません。念のため)
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