アスペルガーの館の掲示板(旧)

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お返事ありがとうございました
No.9498  Sun, 16 Dec 2001 18:04:15 +0900  るう [この発言にコメントする]

mintさん、シンタロウさん、タレイヌさん、武田さん、こうもりさん、
みるさん、グルンサさん、みどりさん、レスありがとうございました。

ぼーっとしているように見えるときというのは、
「相づちしよう」という意識がとんじゃっている時だと気付きました。

子供の頃、誰かの言葉に対して返事を心の中でしかできないことがありました。周囲から見ればそれは「無反応あるいは無視」していることだと気付いたのは最近でした。
よく電話の相手に向かって「うなづいて」返事をしていたものだから、
相手は「ちょっと、聞いてんの!」とだんだん怒ってしまったりして。

父に「電話の時はちゃんと「はい」と声に出して言わないと通じないぞ」
と教えてもらったのですが、自分では返事をしているつもりなので
「そんなの当たり前じゃん」とその時は思いましたが、
まさかその返事をできていなかったとは…。

ということを最近考えるようにようになって、
先の投稿となったわけなのですが、
しかし、例えばこうもりさんのレスにあったようなこと、
皆さんはず〜っとやり続けていらっしゃるんですか?
すごい。
私は相手が「心理的に」距離が遠い人だと、
緊張しているから「はい」「ええっ!」「なるほど」とか
多少は反応しているみたいなのですが、
心理的な距離が近い人には、気が緩んでしまってるのか、
無反応になってしまっているみたいなのです。

むむむ、ず〜っと反応し続けて緊張しているのと、
無反応でひんしゅくを買うのはどちらがいいのでしょう…
ほんと、バランスとるのってむずかしい。


Re: レス、ありがとうございます。 9494へのコメント
No.9497  Sun, 16 Dec 2001 17:27:14 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

白 wrote:
>。
>僕は武田さんの仰るようにストーキング的なことはしていないと思うし、度を越して話し掛けているとも思えません。
>快適な距離と言うのもわかりません。遠くから見ているだけで、どうやって好意を伝えればいいんですか。もう一度教えてもらえませんか。

「これ以上近づくな!」というなわばりとか間合いというのは、動物だけがもっているように思うかもしれませんが、人間にも存在しています。
 特にASの女の子は、普通の女の子よりも広いそのようなものをもっていて、ちょっとでもミーンな男が中に踏み込むと、怒ったり・逃げ出してしまいます。
 これは猫も同じです。猫も自分の気にくわない人間が、なわばりに入って抱き上げようとすると、その野心を見抜いて、ぎぐっとした表情をして逃げてしまいます。私が「猫に聞いてごらん!」と言ったのは、そういうことなのです。


Re: 普通について 9479へのコメント
No.9496  Sun, 16 Dec 2001 17:18:52 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


pennpennさん wrote:
> KILROYさん、疲れがたまっていますね.KILROYさんの悲鳴が聞こえるような気がする。KILROYさんを助けてくれる人はいないのですか?KIROYさんを大切に思っている人の気持ちがKILROYさんには届かないのですね。

 これはべつに私個人としての疲れというわけではなく、ある世代以上の人間の多くに共通する疲れなのである。俺たちが頑張ってきたのはいったい何だったんだー、といった喪失感というのは当然のようにある。

 『企業戦士ヤマザキ』や『ロッカーのハナコさん』のような、過労死したサラリーマンやOLが死してなおサイボーグや幽霊となってこの世に舞い戻り、「救い手」として働きつづける、といった物語が生まれてしまうのが現代だ。「あの犠牲は何に捧げられたのか?」という問いに対する答えというのを、我々はまだ手にしていないのである。

 さて、この構図、どこかで見たことがないだろうか。そう、太平洋戦争の英霊たちである。戦国時代の落武者の霊だとか、太平洋戦争当時の兵隊さんの霊だとかが現われるという心霊スポットは日本国中にいくらもあり、その手の怪談話は後を絶たない。ただ、そうした怪談の主体が帰属していたのは「軍隊」だったのに対し、過労死者が帰属していたのは「会社」だったという点が大きく違う。軍隊をなくし戦争を止めるというのはまだしも理念として理解できるけれど、企業をなくし企業競争を止めるということは資本主義の死でしかない。自給自足の生活に戻るとか社会主義を選択するとかいった訳にはいかない。
 これはいじめ自殺も同じだ。だったら学校教育を止めてしまえ、というわけにはいかない。

 こういうことを言っていると「お前は小林よしのりか」と言われそうなのだけれど、本来「公」の部分を担っていたはずの「会社」というものが、その公的な役割を果たさなくなってしまったのである(で、こういうことを言うと「もともとそんな役割は持っていないのだ」とか居直る奴が必ず出るのだ)。会社が「安心して働ける環境を提供する」ものではなくなってしまったとか、学校が「子供を安心して通わせることができる場所」ではなくなってしまったとかいった、今までの信頼が裏切られたことの傷というものを、どう癒すか。で、その信頼をどう回復するか、なのだと思う(「そもそも会社や学校を信用したのが間違い」とかいった話はなしにしよう)。

 我々は「守るべき大切なもの」があると思って、秩序に従ってきたのである。それは戦国時代だったら「お家」だったろうし、太平洋戦争だったら「日本の国体(国民体育大会じゃないよ)」だったろうし、企業活動においては「企業としての責任と信頼」だったろうし、学校教育においては「教育機関としての信頼」だったろうと思う。で、「そんなものは幻想であり錯覚だった」で片付けちゃっていいのかよ、という話なのである。

 俺たちは単なるお題目のために戦ってきたのかよ。みんな信じてたんじゃなかったのかよ。そういう気分が根底にある。「戦中派」の気分というのはたぶんこんなものだろうと思う。「そういうのはマインド・コントロールから抜け出せていないのだ」という意見もあるだろう。そうかもしれない、と思ったりもする。

 だけど、「自分よりも大切なもの」を持っていない人間は、怖い。信用できない。欧米人が「無神論者」を獣と見なし、イスラム教徒が異教徒を敵視する理由がこれだ。

 いまさら個人主義とか自己責任とか言われても困るよなぁ、という投げ遺りな気分があったりするのである。そんなこと言ってたら誰も信用できねえじゃん。そんなんで生きてゆけんのかよ。そう思う。じっさい紛争地域じゃそういう状態なんだろうし、台湾だってつい何年か前までそんなような状態だったらしい。「台湾を、人々が安心して眠れる国にしたい」と李登輝さんは言っていた。日本をおちおち寝てられないような国にしたいとは誰も思ってないんだろ?

 電気やらガスやら水道やら電話やらが勝手に止まっちゃったり、銀行や証券のオンラインシステムがダウンしちゃったり、電車が来るべき時間に来なかったりしないように、みんな働いてたんじゃなかったのかよ、と思う。朝起きりゃあ朝刊がちゃんと配達されている。そういうことのために働いていると思ったからこそ、自分を犠牲にしてでも働いたんじゃなかったのかよ、と思う。
 払ったはずの金が届いてないとか、買ったはずの品物が届かないとかいったことがない世の中であってほしいと思う。ところがここ数年、こうした商売上の約束事というのがあんまり守られない世の中になっていたりするのである。景気のいい時に約束が守られるのはそんなに重要じゃないと思う。問題は、こういう切羽詰まった時期に、「何が起きるかわからない」という不安だ。こういう時にこそ、石に齧りついてでも「信頼」というのを守んなきゃいけない、と思う。だけど、なんだか世の中は逆の方へ動いてるような気がする。「こんな時だからしょうがない。誰だって自分がいちばん可愛いんだ」。で、こういう奴がやたら目につくので、なんだか自分を大切にすることがすごく穢いことのような気がしてしまうのである。

 時代錯誤、懐古趣味、アナクロニズムという気はする。

 だけど、俺たちが信じていたものは決して幻想や錯覚ではなく、もはや失われてしまったものでもなく、まだちゃんとここにあることを信じたい。そう思う。

 (KILROY)


Re: 疎外感について 9470へのコメント
No.9493  Sun, 16 Dec 2001 16:32:42 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

pennpenn58さん wrote:

> 孤独感が苦しい。私の胸を締め付ける。みなさんは孤独感とどう向き合っ
>ていますか。

わたしは周囲の人から見るとどう見ても孤立している時でも、孤独感を感
じることができないんです。

 さびしいと感じることができるのは、ある意味で健全だと思います。



 


Re: みなさんにQ(広汎性発達障害児の教育について) 9458へのコメント
No.9491  Sun, 16 Dec 2001 16:21:47 +0900  みどり [この発言にコメントする]

るおう wrote:
>ちょっとこの文章で思い出しました。家の母親は私に小さい頃いつのころまででしょうか。ものすごく完璧であること、を強要していました。

うちもそうでした。というか今でもそうです。

うちの母は他人に対してもそうみたいで、クイズ番組で早とちりする解答者をみては「早くボタンを押しすぎなのよ」とか、母にはわかるのに解答者にわからなかった問題があると「こんな常識も知らないの」となります。
それをハタで見て、「私もずっとこういう風に言われてきたなあ」と思い出しています。
以前はそう言われるたび、自分が悪いのだと思ってたけど、いまとなっては母の要求がムチャだったなと思います。

でも、他人に完璧を要求してしまう性格は私もしっかりひきついでしまいました。
母との違いは、母は単に要求するだけですが、私は他人がその要求を満たせないともういらいらしてたまりません。
それとも私も子供を育てたらいらいらしないですむようになるのだろうか。(でも試してみる気はさらさらない)

>その後大人になってから、反抗しました。今もずっとそうです。

30を過ぎてから、反抗期に入りました。母に完璧を要求しては嫌がられています。他人よりかなり遅い第二反抗期ですが、分別がついたぶん、タチがいいのか悪いのか。
「お母さん○○は○○にしなきゃだめでしょ」「そんなのできないわよ」「あたしは小さい頃お母さんにそうしろって言われたわよ」 (これ以降の会話は不毛なので不掲載)

親不孝ものなんだろうな。まあ自分でしつけた相手に自分がしつけたように行動されているのだからしかたないと思ってもらいましょう。
これが本当に反抗期なら、そのうち私も落ち着くだろうから。


表情
No.9490  Sun, 16 Dec 2001 15:55:59 +0900  みどり [この発言にコメントする]

ぼーっとしてるように見えるの件もそうなんですが、表情がうまく伝わらないというのがよくあります。

私は笑うと涙がぼろぼろ出てしまいます。
つらくてつらくてどうしようもないとき、「ずいぶん嬉しそうだけど、なにかいいことあったの?」と聞かれます。
怒ってないときに怖がられます。
床に倒れ込みたいほど疲れているときに「今日は元気そうだね」と言われます。

「誰も私をわかってくれない」って思っちゃいます。


Re: ぼーっ 9469へのコメント
No.9489  Sun, 16 Dec 2001 15:51:50 +0900  みどり [この発言にコメントする]

>るう wrote:
>>ぼーっとしてないのにぼーっとしてると言われることってあり
>>ますか?

ありますあります。
逆もあって、ハタからみるとどう見ても真剣に聞いているように見えたらしいのに、私は話題がなにかすらわからないほどぼーっとしてた、ってこともよくあります。

こうもり wrote:
> 「ASじゃなくても誰でもやっているコミュニケーションじ
>ゃないか」と言われることもありますが、常に意識的に行動し
>なければならないのが辛いところです。

意識的にこれをやっていると、ついこちら (反応を示すこと) に集中してしまって、結局話の中身がわからなくなってしまったということがよくあって困っています。


Re: アスペ語を教えてください。 9472へのコメント
No.9488  Sun, 16 Dec 2001 15:45:45 +0900  みどり [この発言にコメントする]

自称ASのみどりです。

Re: アスペ語を教えてください。
このタイトル、いいなあ。

白 wrote:
>でも、係りの人に集合するように呼んでも無視することもあったので、そう言うと、「呼ばれた人の中に自分が入っているのかどうかわからなかったから」と言います。
>そんなことがあるはずないので、

ああ、よくあります。周囲は「当然わかるでしょ」と思ってるらしいのに、自分にはさっぱりわからないこと。
(逆もある。すごく明白なことなのに、周囲の人にはさっぱりわからないらしいこととか)

>「わざとだろ」と言うと、「え、わざと!?」と、一瞬すごく傷ついたような表情をしたんで、あっと思ったんですが、つぎに「それでいい、そう思っているとおりでいい」と言うので、僕もムキになって、「分かろうと思って聞いているのに」と言ったんですが、今度は「わかってくれなくていい」と言われてしまいました。
>僕がわざとだと言ったのが傷つけてしまったのだと思いますが、普通ならここでけんかになっても、かえってお互いの気持ちをぶつけ合えると思うんですが、

彼女からすればいきなりぬれぎぬを着せられたわけで、その相手と気持ちをぶつけあう必要はないような。

>どうも勝手が違うので、「君の事を心配している気持ちくらいはわかってくれているのか」と言ったところ、「心配って、何が心配なの」と言うのです。
>僕は困ってしまって、「そんなの、いろいろだ」と答えましたが、彼女は全然分かってなくて、「心配してくれなくていい」と言うんです。

親切の押しつけはすごく迷惑だよね。
本人が困ってもないことを勝手に心配されて、勝手にそれをありがたく思えと言われても困る。

>僕としては、心配するイコール大事に思っていると言う意味だったんですが、そのときはついショックだったので、そんなふうに言いかえないで、「それって、もう話しかけるなと言う意味か」と聞くと、うなづかれたので、絶望的な気分で「そんなに僕が嫌いなのか」と言いました。
>すると彼女はそれには答えなくて、「日本語が苦手だから、うまく言えなくて疲れる」と言ったんです。もちろん彼女は日本人なので、「うまくなくてもいいから話してくれ」と言いましたが、後は目の前で「疲れる」を連発するだけで、何も話してくれません。最後には僕の言っていることが良く分からないとまで言うので、僕ももういいと思い、そのときはそれで終わってしまいました。

もとの価値概念が違う相手に説明するのは確かにすごく疲れる。徒労感が出るから、何人か相手に何度かこの徒労をやると、もう誰が相手でも、言って分かりそうにない相手に説明するのは面倒でいやになるんだよね。

>僕の好意すら理解しようとしてくれないのはいったい何なんでしょう。

好意を理解しろと押しつけることがあなたの好意ですか。
あなたの投稿を読むかぎり、「好意を見せてるんだから好意で返せ」と取引きしてるようにもみえます。
本当の好意は、相手の幸福を願い助けることであって、自分で願望で作り上げた好意を受け取らせることではありません。

…まあ、きつい書き方しましたけど、アスペ云々とは別に、白さんはまだ若いんだからしょうがないか。若い頃の恋愛ってそうなのよね (遠い目)

あいさつがあったということは彼女は別にあなたのことを嫌いではないと思いますが、彼女が快適と思う距離範囲を越えてあなたがずかずか近づいてくるので、それに対しては拒否反応を示しているのだと思います。
無理に近づこうとせず、彼女にとって快適な距離を保ちつつ時間をかけて接していけば、「快適な距離」も少しずつ短くなってゆくかもしれません。
たまに近くに踏み込んでみるのもいいけど、あまりごり押ししすぎると本当に嫌われちゃうわよ。

ま、がんばってね。


Re: 『ゲームとしての交渉』 9480へのコメント
No.9487  Sun, 16 Dec 2001 15:24:50 +0900  みどり [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> アスペルガー症候群の人間は自己主張がヘタというか、「自分の動物的欲求に身を任せることに生理的な恐怖がある」ように思う。だから、「自分のため」を横に置いて、「人のため」に動くことにはけっこう有能だったりする。

私は、こういう特徴はアスペによるものではなく、 AC によるものだと思っていました。
本当のところはわかりません。(どっちも診断うけたわけじゃないし)


Re: 疎外感について 9470へのコメント
No.9486  Sun, 16 Dec 2001 15:21:12 +0900  みどり [この発言にコメントする]

pennpenn58 wrote:
> 孤独感が苦しい。私の胸を締め付ける。みなさんは孤独感とどう向き合っていますか。

一人でいることよりも、そこに誰かがいるのに私の望む手なり関心なりがさしのべられないときの方が、孤独感がつよまります。
誰かがいると、孤独感をこれでもかと突きつけられているような気がします。
一人でいれば、大抵の時間は孤独について忘れていることができます。


「光とともに…」読んでみました。
No.9485  Sun, 16 Dec 2001 15:18:08 +0900  鷲羽丸 [この発言にコメントする]

 今日、近所のショッピング・センターへ買い物に行ったところ、雑誌のコーナーにレディコミ誌「for Mrs.」の1月号がありました。
 それを見てわしは、以前からタイトルを聞いていて気になっていた、戸部けいこさん原作の「光とともに…」を一度読んでみようかと思い、勇気を出して「for Mrs.」を手にとり、「光とともに…」を立ち読みしました。(買うまでの勇気はありませんでした。ははは)

 この物語は、光という自閉症児を、母親が周囲の偏見と戦いながら育てていくというものです。まあこれだけを聞くと、「ありがち」な話と思ってしまいがちですが、読んでみてけっこう、印象に残る部分がありました。かいつまんで取り上げます。

・運動会で、光がスタートの号砲に驚いてしまう
 わしもそうでした。わしの場合は、小学生の頃スイミングスクールに通っていたのですが、室内プールであるにも関わらず、スタートを号砲でしていました。当然、轟音が鳴り響き、それを恐怖と感じたわしは、スクールをやめざるを得なくなりました。

・光が、赤ん坊の泣き声でパニックを起こす
 これもあります。わしはパニックとまではいきませんが、すごく心臓の拍動が激しくなり、緊張状態となります。
 物語を読んでいると、お母さんは身重でした。これから下の子が生まれるのに、どうしようかと悩んでいる様子が描かれていました。わしは末っ子なので、弟妹をもった経験がないのですが、もし弟妹ができていたら、どうなっていただろうか……と、ふと思ってしまいました。

・主人公の家族が入居しているマンションの住人に、「大変だね」と同情される
 わしにしてみれば、これはかえって家族にとって負担となることです。
 障害者の家族にとっては、「その場限りの同情」は、何の励ましにもなりません。「真の理解」が欠けていますから。

・光が、同じマンションに入居しているフィリピン人女性と親しくする
 これはわしにとって、最も印象に残った場面。「言葉がうまく理解できない同士、うまくやっていける」ということを表現した場面。実際、それが可能かはわかりませんが、もし可能なら、素晴らしいことだと思います。

 で、今回読んだ回の終わりの方では、大雨で洪水が起こり、マンションにも浸水、だが光は突然家を飛び出す、驚いたお母さんは産気づいてしまう、そこで「つづく」でした。いったい、どうなるのでしょう!?

 ほぼ「ザッと読み」に近かったので、ひょっとしたら誤読した部分もあったかもしれませんが、そこはご勘弁を。
 このマンガ、↓ここでも紹介されていました。

 http://homepage2.nifty.com/tomy_s/hikari1.htm

 評判はいいほうのようです。

 明日(12月17日)で、28歳になる   鷲羽丸


Re: 「わかる」ことについて 9451へのコメント
No.9484  Sun, 16 Dec 2001 15:17:43 +0900  みどり [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> ところが、この「証明」を見て「これは証明になっていない」という人がいる。「どれか一個くらい間違ってるかも知れない」「なんだか、ごまかされているような気がする」「『わかった』感じがしない」。

もとの投稿のこれ自体は一例であって本題ではないと思うのだが、でもそういうところにばかり返信するのが私の役割(?)らしい。

同じ問題を与えても、理学系の人間と工学系の人間では解法がまったく違う。
理学系の人間が得意なのは「与えられた問題の範囲を越えた部分でも美しく成り立つような解」をもってくること。
工学系の人間が得意なのは「誤差や適応範囲、実装時のことまで考えた解」をもってくること。
もちろん両方できる人もたくさんいるのだが、片方に寄りすぎた人もいて、彼らを反対の視点から説得するのは結構大変。

「どれか一個くらい間違ってるかもしれない」というのはともかく、「この証明のしかたは私の気に食わない。もっと広い範囲を説明できるような (制限がどこまで広げられるかとか、大丈夫な理由とか) 証明でないと気に入らない」という意味で、言葉上 「これは証明じゃない」「わかった感じがしない」という人は、理学系志向の中に多くいそうな気がする。


Re: アスペ語を教えてください。 9472へのコメント
No.9483  Sun, 16 Dec 2001 13:59:34 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

白 wrote:
>それでも僕は自分の好意くらいは感じてもらえただろうと思っていたんですが、次の日話し掛けようとしたら、露骨に避けられるようになってしまいました。
>本当に用事があって話し掛けても、逃げながら、しかもこちらの顔も見ずにとにかくうなづくだけなので、そのとき初めて、彼女が少し変った子なのかと思ったのですが、友達に聞くと、皆すごく変っていると言っているというのです。
>それに進路で悩んでいるらしく、皆がしばらくそっとして置けというので、しばらくすれば元の関係(ただのクラスメートですけど)になれるだろうと思って、進路の話とかしないで、時々話し掛けてたんですが、何時までたっても無視するような、そっけない感じなので、思い余って、一度、「どうしてそんなに避けなければならないのか」と聞きました。
>そしたら彼女は「避けていない」の一点張りなのです。でも、係りの人に集合するように呼んでも無視することもあったので、そう言うと、「呼ばれた人の中に自分が入っているのかどうかわからなかったから」と言います。
>そんなことがあるはずないので、「わざとだろ」と言うと、「え、わざと!?」と、一瞬すごく傷ついたような表情をしたんで、あっと思ったんですが、つぎに「それでいい、そう思っているとおりでいい」と言うので、僕もムキになって、「分かろうと思って聞いているのに」と言ったんですが、今度は「わかってくれなくていい」と言われてしまいました。

 私の経験からいって、アスペの女の子が一番嫌がりそうだと思うのは、ストーキングです。つきまとったり・ラブレターを何通も書いたり・身体的な接触をもとめたり・教室でその子を凝視したりということは、破局の原因にもなるし、悪く転べば警察沙汰にもなるので絶対にやめましょう!(むろんすべての女の子に対しても、これは同じです!)
 特にASタイプの女の子は、むしろやや遠くから優しく・さりげなく・自らの行いにかまわずに、見守ってくれるタイプの男性が好みのようです。これがどういうことだか分からなかったら、学校の帰り道にでも、そこらへんにいる真ん丸いお顔のメスの野良猫ちゃんに、聞いてみてください。
 とにかく君の場合はまず、「彼女でなければ・・・・彼女でなければ・・・」と、はやってしまう気持ちを抑えることを考えたほうが良いと思います。そういう気持ちになってしまったら、おなかが動いていることを意識して、深呼吸をしましょう!
 


Re: 『ゲームとしての交渉』 9480へのコメント
No.9482  Sun, 16 Dec 2001 13:57:00 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

Maria wrot
>
> アスペルガー症候群の人間は自己主張がヘタというか、「自分の動物的欲求に身を任せることに生理的な恐怖がある」ように思う。だから、「自分のため」を横に置いて、「人のため」に動くことにはけっこう有能だったりする。
>
 そういう傾向は確かにあります。以前働いていた老人ホームで私は確かにそんなふうでした。人のためなら会議で喧嘩もできたしがんばれた。でも自分を大事にすることはできなかった。それで潰れました。

 上記の文章を読むとMariaさんがよくよく疲れているのがこちらにひしひしと伝わってきます。Mariaさんが過労死寸前のような気がしてとても心配です。死なないで下さいね。
 
 前に武田さんが(だったかな?)自閉症圏の人たちの共同作業所みたいなものがあればと言っていましたがMariaさん、そんな会社を作ってみてはいかがなものでしょうか? 


再び疎外感について
No.9481  Sun, 16 Dec 2001 13:27:39 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

 いじめにあって多重人格症状を呈するようになった。中学の時のことである。で、どうなったかというとスカートの裾をあげて教師を誘ったりするようになった。自分では理解できない行動だった。同級生からはばかにされ軽蔑された。今でもかつての同級生とはうまくつきあうことができない。私はこの地を離れることばかりを考えていたのにいまだに地元に残っているのである。

 人とうまくつきあうための自尊心をずたずたにされ私は長く孤独だった。多重人格症状はその後も私を苦しめた。私は私のことを人に話すことができない人間になった。精神科医に相談することも思いつかなかった。親にも話せなかった。夫にも話せなかった。仕事はどこでもうまくいかなかった。自殺も失敗した。

 夫と結婚したのは自殺未遂に失敗したあげくのことで新婚旅行先で死ぬつもりだった。自殺はかなわなかったがそんないきさつで結婚したことが夫に対する負い目になった。せめてよい妻になろうとしたがあまりうまくはいかなかったと思う。

 最近、疲労を感じる。徒労感と孤独がつらい。宗教は私を救ってはくれなかった。幼い頃遊んだ幼なじみがなつかしい。けれど、彼に私はいまだに軽蔑されている。彼もまた私をいじめたのだった。当然のことだと思う。けれど思い出すたび悲しくて10年ぐらい泣きとおした。いまだに失った幼い友人のことを考えると涙がにじむ。彼だけが私と心を通わすことができた唯一の人間だったから。

 長く長く孤独と戦ってきた。ずっとひとりぼっちだった。生きているのがつらい。


『ゲームとしての交渉』
No.9480  Sun, 16 Dec 2001 12:56:00 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 草野耕一というひとが書いた『ゲームとしての交渉』(丸善ライブラリー、本体660円)という本があって、その序章にはこんなことが書いてある。

 ・交渉には、当事者に共通の利益を追求する共同作業という側面がある。
 ・現実に交渉を行なう人間自身が交渉の利害の帰属主体となっていると、当事者間の感情の問題や倫理上の問題を交渉の技術的側面と切り離して扱うことが難しい。

 多くの人は、というか、「普通の人」というのは、交渉というのは「成果を勝ち取る」ものであって、「譲歩」というのは「敗北」だと考える。だけど、イスラエルとパレスチナの紛争なんかを見れば分かる通り、公共の利益というのもあるし、お互いが傷つくことを避けるという意味合いもある。そんなわけで、大人の交渉というのは「落とし所を探る」みたいなところがあって、単純に「より多くの成果を勝ち取る」といったことだけを考えては、まずかったりする。
 パイをより多く切り取ることだけを考えるのではなく、「パイ全体を大きくする」ことで自分の取り分を多くすることも考えたほうがいいし、横からしゃしゃり出てきた奴にパイを横取りされないようにもしなきゃいけないし、喧嘩をしてパイをテーブルから落として食べられなくしちゃってもいけない。

 ただ、世の中の多くの交渉というか、日常生活における交渉の多くは、目の前にあるパイを二人で分けるようなものに近い。だから、「公平な分配」というのと、「自分自身の利益の追求」というのは、単なる考え方の差でしかなかったりする。こういう状態で「公平な分配」ということを口にすると、「自分自身の利益の追求」という意図を隠して、さも「私は公明正大な立場でものを言っているのですよ」みたいなふりをしていると思われたりする。で、同時に相手は「おまえは私のことを高い所から見下して、我利我利亡者みたいに決めつけようとしているな」みたいな怒りを覚えたりもするのである。
 で、これが三人以上だったりなんかすると、一人が「公平な分配」を口にしたとたん、残りの人間が結託してその一人の取り分を減らすことでその一人を「罰する」ということがある。「おまえは自分の利益を追求しないんだから、取り分なんかなくたっていいだろ?」ということだ。

 公益性の高い団体の長が、その当事者と利害関係がない人間から選ばれ、だいたいが薄給であるというのは、こういう理由による。業界団体の会長がその業界最大手の会社の社長だったりしては、やっぱりまずい。自分の会社に得になるようにルールを決めて業界をコントロールしようとしているのではないか、みたいな勘ぐりを受けることになるのである。

 そんなわけで、江戸時代の老中というのは地方の小藩から選ばれることが多かった。田沼意次もそうだし、水野忠邦なんかは老中になるためにわざわざ地方の小藩と領地を取り替えっこしたのだそうである。

 リーダーシップを発揮しようとしたら、利益にあずかろうとしてはいけない。とはいえ公共的なレベルと個人的なレベルで態度を使い分けてもいけないのである。再建請負人として有名だった土光さんは、鰯の丸干しが好きだったというのが語り種になっている。鰯の丸干しに梅干に青菜のおひたしに豆腐とわかめとねぎの味噌汁に梅干、とかいうと、別名「土光食」というくらい有名になった(ついでながら、秋刀魚と同じく鰯の丸干しも大根おろしと酢橘をつけるととてもおいしい。お試しあれ)。べつに、「毎朝燕の巣のスープを食べないと調子が出ない」とかいっても、土光さんはそれに見合うだけの資産もあれば実績を上げているのだからなんら問題はなさそうに思うけれど、実際にはそうじゃなかったりする。公私ともに「清貧」のイメージがなければ、公益にかかわる人間としては、まずいのである。(そんなわけで、日本財団の会長が曾野綾子さんというのは、あんまりいい人選ではないような気がする。野際洋子さんや吉行和子さんや岸田今日子さんなんてどうだろうか。本人は「ぜってー厭だ」と言うだろうけど。)

 そんなわけで、公的なレベルでリーダーシップを発揮するためには、私的なレベルでは損してばかりということになっている。そこで重要になるのが代理交渉人としてのマネージャーの存在なのである。財布の紐をがっちり握り、取れるものはしっかりむしり取る、という気魄を漲らせた計算高い女房役が、リーダーには不可欠なのである。
 野村のサッチーは失敗例。ジャイアント馬場さんの奥さんもあんまり評判はよくなかった。王さんの奥さんはその点評判のいいひとである。

 アスペルガー症候群の人間は自己主張がヘタというか、「自分の動物的欲求に身を任せることに生理的な恐怖がある」ように思う。だから、「自分のため」を横に置いて、「人のため」に動くことにはけっこう有能だったりする。

 ビートたけしやダウンタウンの松ちゃんが自閉症方面のヒトではないかという意見はけっこうある。「ボケとツッコミ」という役割分担は、自閉症方面の人間には必須なんじゃないかと思う。自閉症方面の人間は、自分の利益を守るために戦うのは苦手でも、自分の帰属する対象、つまり会社や家庭の利益を守るために戦うのは、けっこう得意だったりするのである。もっとも、それは会社なり家庭なりが、代理交渉人としての本人をちゃんと認めてくれていればこそ成立つ関係だったりする。「狡兎死して、走狗煮らる」みたいに使い捨てられたりすることもあったりする。

 そういえば、江利チエミさんだったか、実の姉妹であるマネージャーに横領されていたとかいったという話もある。

 そんなわけで、自閉症方面の人間が才能を発揮するには、コンビを組むのがいいかもしれない、と思う。で、どっちがどっちを選ぶにしろ、きっちり役割分担をするのがいいんじゃないかと思う。なんにせよ「ひとり」で世の中に立ち向うのは、しんどい。

 考えてみてほしい、と思う。で、意見があったら聞かせてほしい。お願いします。

 (Maria)


Re: 普通について 9450へのコメント
No.9479  Sun, 16 Dec 2001 12:38:42 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

KILROY wrote:

> なお、私はいまだに誰かが自分のことを心の底から大切に思ってくれている、ということをしっかりと心の底で実感できずにいる。だから自分を大切にすることができない。他人の都合より自分の都合を優先することに強い罪悪感がある。「助けてくれ」と声をあげることにも躊躇がある。

KILROYさん、疲れがたまっていますね.KILROYさんの悲鳴が聞こえるような気がする。KILROYさんを助けてくれる人はいないのですか?KIROYさんを大切に思っている人の気持ちがKILROYさんには届かないのですね。
 
 長い間無理な仕事をしてきたのですね。他の人には家族がいて家族が盾になることもできるけどKILROYさんにはそんな家族がいないのですね。ひとりぼっちでがんばってきたのですか?でも、もうがんばれないのですか?

 この掲示板もKILROYさんの助けにはならないですね。KILROYさんに助けられた人は大勢いるけどKILROYさんを助けてあげることのできる人はいないのですね。KILROYさん、せめて体だけでも休ませてあげて下さい。KILROYさんの心を休ませてあげることは誰にもできないことかもしれませんが。

 










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