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Re: 質問(もし生まれ変わったら・・・??) 9938へのコメント
No.10014  Thu, 3 Jan 2002 16:43:16 +0900  マザー改め(直子) [この発言にコメントする]

新年あけましておめでとうございます。
昨年中はマザーこと直子がお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。年末から年始にかけて息子とは喧嘩ばかり(^_^メ)
なんとか生き長らえて、こうして皆様に挨拶できて嬉しゅうございます。今年も時々おじゃまさせてください。

超おそいレス(^_^;)
武田好史さん wrote:

>もし生まれ変わったら、あなたは、どこで・どのような生活をしたいですか??

今度生まれ変わっても女性がいいです。素直に感謝できる人になりたいです。朝、ジャブジャブと両手で顔を洗うことにも幸せを感じられる人になりたいです。

場所は日本がいいです。結婚はしたくないです。私は早く結婚をしたのでずっと、誰々の奥さん、○○君のお母さんで生きてきました。もっと自分を生きたい。静かな時間を過ごしたいです。


主婦業とADHD
No.10013  Thu, 3 Jan 2002 16:34:57 +0900  蝙蝠(狂人型) [この発言にコメントする]

 あらかじめ断っておくが、僕は断じてフェミニストではない。特定の
思想を参考にするのはかまわないが、依存するのは間違っていると考え
ているからだ。そんな訳で今回のコメントは全く僕が思いつくままに書
いただけだということを先に指摘しておこう。

 正月、やっと時間ができた僕は『現代のエスプリ』NO.414の「
ADHDの臨床」という特集を読んでいた。その中に、成人女性のAD
HDについてまとめた論考があり、近年の受診者の増加を次のようにま
とめていた。

「そこでは『忘れっぽく』『片づけられない』女性のことが扱われてい
る。(サリ・ソルデン『片づけられない女たち』のこと)社会で要求さ
れる『女らしさ』や『女性の役割』が果たせないことで、適応状の苦痛
を味わっている成人の注意欠陥/多動性障害(Adult ADHD)
の女性たちのことである。これを読んだ多くの女性が注意欠陥/多動性
障害の診断と治療を求めて、我々精神科医を受診するようになった。」

 治療とは全く関係ないことだが、僕は障害そのものとはちょっと違う
角度から、この点を考察してみたい。

(1)家族の補完機能

 この文章を見る限り、主婦でADHDの診断や治療を求めてくる女性
のほとんどは、本人がADHDであるか否かに関係なく、家事がうまく
できないことに悩んでいる場合が多いのだろう。しかし、ここでは本人
が実際にADHDであるか否かは問題ではない。問題なのは受診者のA
DHDが治療されれば、問題は消滅すると短絡的に考えられていないか
という点にある。

 僕は「家事がこなせない」という理由で主婦が受診する場合、次のよ
うなケースがあるのではないか、と考えている。

「そもそも、その受診者には家族の中に家事を手伝う者がなく、1人で
こなさなければならなくなっている。」

 この場合、単に家事を担当している女性を治療したり、アドバイスし
たりするだけでは不十分だ。家族が家事に協力していないことも問題に
されるべきだろう。家事を全くやっていない人間よりも、家事をうまく
こなせない人間が非難されるのは筋違いだ。

 もし、臨床家がこのような事例を見かけたら、受診した本人だけでは
なく、家族を巻き込んでアドバイスをしてほしいと。家族療法に似た考
え方だけど。

(2)性的役割の問題

 女性らしさや女性の役割が果たせないという理由で悩んでいる主婦は
「家事は女性がしなければならない」という性的役割にがらんじめにな
っている可能性がある。でも、よく考えてほしい。「女性である」とい
う事実から「家事をこなさなければならない」とか「女性らしくなけれ
ばならない」という事実を導き出すのはかなり極端な自然主義的誤謬じ
ゃないだろうか?

 家事ができないということは、性別を越えて非難されてもいい話だ。
許されるのは、障害があってどうしても家事を遂行できない場合だけだ
ろう。もちろん、家事をしようとする気はあるが、極端に苦手なこうも
りくんは十分に社会的な非難を受けてもいい。こうもりくんの障害なら
ば家事がこなせないことはないだろうから。

 家事は性別によって分担を決めるのではなく、適材適所に分担してい
くという形が望ましいと思う。また、ある程度の年齢に達したら、男女
に関係なく、簡単なことから分担していくべきだろう。

 
 ま、まずはこうもりくんから変えなきゃな。家事ができるようにビシ
バシ指導しなければ。では、失礼。


Re: 心が傷ついたとき 9969へのコメント
No.10012  Thu, 3 Jan 2002 16:29:14 +0900  [この発言にコメントする]

pennpenn58 さんwrote:
> 皆さんは心が傷ついたときどのようにして心を癒しますか?私は、ストーブの前に座り込んで長い時間を過ごします。ほんとうはたき火がいいのですが今のご時世、いくら田舎でも長い間たき火を焚くというわけにもいかないので私はストーブ。
> 時間は私の場合、心の痛みの特効薬にはならない。いつまでもいつまでも傷は残ります。やさしくされたら私は傷を負う義務を負うことになるのです。あまりにも不器用で世間知らずなので。でも今はお正月。あんまり母親がぼーっとしているとおばかに見えるので困ります。何か傷を癒すいい方法があったら皆さん、教えて下さい。

 火を見る、水を浴びるなどで瞑想状態になり、深い意識に入ればそこから願いをかなえることができやすいです。しかし、否定的な心で閉じこもると、傷を固定してしまい、強化さえすることがあります。恨みや自己否定感情は受け取れるはずの救いから自分を遮断します。
 言葉を使ってトラウマを開放するのは難しいものです。なぐさめや支援を受け取れない状態なら、否定的な感情や忘れたい体験は外に見せずに書いた紙を焼き捨てるなどしたほうがいいのです。
 からだを動かすことで、こころもほぐすことができます。私の経験では、気功は薬よりずっといいです。難しいことができなくても、くつろいだ姿勢でただ手か足をぶらぶらさせるだけでもいいものです。これは健康にいいと、自他に言い聞かせてやってみてください。
 僅かでも肯定できる希望にしがみついて大切にしてください。否定的なエゴの強化は不幸をこじらせるもとです。掟を守らなければいけない宗教ではこころを小さくします。無条件の救いを信じるのです。南無阿弥陀仏です。


プロレスファンの方に
No.10011  Thu, 3 Jan 2002 16:09:28 +0900  異星ジン [この発言にコメントする]

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
といっても、思いっきり休んでいたのでほとんどはじめましてですね。

最近のこだわりは、1984年に新日本プロレスに来日したヘラクレス・ローン・ホーク選手が、どうもお仲間ではないかということです。

・千円札と一万円札の区別がつかなかった。
・一流大学の理工学部を卒業したというプロフィール。
・動きがトロくしょっぱいレスラーの代表だった。
・藤原選手に関節技を決められ大使館に駆け込んだ。
・集合時間が何度聞いても覚えられず深夜に何度も電話した。

当初は、ただの頭の悪いレスラーだと思っていたのですが、Dマードックのイタズラの餌食によくなっていた、とこをみるとひょっとしてという気になってきました。
せっかく、自分を生かせる仕事についたというのに、障害が理解されず消えていったとすれば、悔しいです。アスペルガー症候群は、社会で皆、ローンホークのような運命をたどるとしたら、悲しいです。


Re: 成人したAS、ADHD。 9973へのコメント
No.10010  Thu, 3 Jan 2002 15:31:31 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

chihiroさん wrote:
>成人したAS、ADHDを認めない人達は今も多い。
>私には、2人のASの子がいる。
>成人しても、なんとか自活出来るようになっても、やっぱりASはASで
>あり続ける。
(中略)
>診断されなくても、そういう傾向がある事を認めてもらえるだけで救われる。
>世間知らずでも、努力が足りないのでも、疲れているのでもないのです。

 最近、一般向けの軽度発達障害関係の特集を見ていて感じること。なんか、
軽度発達障害やADHDの診断を求めている未診断の成人が専門家の側からす
ごく警戒されているように思えます。

 診断を取得して売名行為を行なう者や、特定の薬(リタリンなど)を処方し
てもらうためだけに診断をしようとしている人は確かにいるでしょう。でも、
ほとんどの未診断の成人はそんな事をしていないだけにやるせない気分です。


Re: 忘れてた 9999へのコメント
No.10009  Thu, 3 Jan 2002 13:42:08 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

新年早々、皆さんに挨拶するのを忘れていました。

あけましておめでとうございます。
気が向いたときに、たまーにしか顔を出しませんが、
いつも欠かさず読ませてもらってますので、
今年も、来たときにはよろしくお願いします。


Re: 無責任な声援 9996へのコメント
No.10008  Thu, 3 Jan 2002 13:26:48 +0900  satie [この発言にコメントする]

こんにちわ。Mariaさん、みなさん、satieです。

>satieさん wrote:
>> 駅伝は見ていないのですが、見ていたら私も、「無理するな。。」
>> って呟きたくなったと思います。。

Mariaさん wrote:

> あたしは「無責任な『がんばれ』」は容認しませんが、「がんばれ」は一部肯定派です。

> だって、駅伝に関していえば、大丈夫そうか大丈夫でなさそうかを専門知識と経験と理性によって判断して、万一のことを考えて強引にストップをかける役割を担った監督がちゃんといるんだもん
(中略)
さらに、下の人間をむりやりにでも保護する義務がある。「練習したい」という選手に、「休め」と命令したり、「完走したい」という選手を棄権させる権利と義務があるわけです。こういう信頼感がなければ、人に命令はできません。

選手が練習したい、最後まで戦いたいという切望もあり、動ける状態であれば、私もがんばれの一部は肯定します。。


Mariaさんが仰っているように、
監督と選手との意志の疎通があっていたら、きっと監督も止めるだろうから。

> もちろんプロは違うし、お金払って観てる観客は違いますよ? 結果を出すのがプロだし、お金を払った以上は結果を要求します。このあたりはアマチュアスポーツとプロスポーツの差です。競輪なんかその典型だし。

プロの世界は厳しい。。

> 「がんばれ」という言葉には、「一蓮托生」という裏づけがないといけない、とあたしは思います。「いよいよダメだったら一緒に死のう」という覚悟に裏付けられた「がんばれ」は、許されると思うのね。そのためには「退路を断つ」くらいのことをしてくれないと困ります。いよいよダメなときに周りを見回したら、みぃーんな逃げちゃって自分独りが取り残されている、みたいな経験をさんざんさせられたあたしとしては、そう思います。

> つまるところ、「ヘタレは人を応援する資格がない」ということだと思います。

「一蓮托生」
全員が行動や運命を共にする事。。

Mariaさんの言葉に共鳴しています。

Mariaさんにとって、私の言葉が何かお力づく事になれれば、幸いなのですが。

上手く文章が書けていないかも知れませんが、

レスポンス嬉しかったので、投稿する事に致しました。。

satie


◆発達チャットオフ会集合場所◆ 9897へのコメント
No.10007  Thu, 3 Jan 2002 11:13:22 +0900  みる [この発言にコメントする]

◆発達チャットオフ会集合場所◆

○日程:2002年1月5日(土)
○集合時間:PM1:00
○集合場所:JR桜木町駅の改札口
#改札口は1つしかないので安心してください。
#寒いから早く着いちゃった人は改札を出てお茶でも飲んで時間潰して下さい

○目印:黒いコートを着て『ガイドブックアスペルガー症候群』の本を持っている
男性がいます。
みなさん、この人がうみねこさんです。目指してください。

※当日は寒いと思うので、暖かい格好でいきましょう!
※突然やってきて、ドタ参加もOKです。

参加希望者18人(うち未定4人)です。にぎやかオフですね。
オフ会でみなさんに会える事を楽しみにしております。(^^)。

http://www.netlaputa.ne.jp/~oyama/chat/《おむにさんの発達チャット》
miru_3@hotmail.com ←私のメールです。
参加希望・質問などはチャットかメールにどうぞ。


Re: あったかくすること。 9983へのコメント
No.10005  Thu, 3 Jan 2002 10:36:28 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
>るうさん wrote:
>> あとは、「温かくすること」を大切にしています。
>> 身体の中からと外からと。
>> 温かいものを口に入れたり、おふろに入ったり(軽く?一時間半くらい)。
>
> あたしもるうさんの意見に賛成。
> あったかいものを食べて、あったかくして、ぐっすり眠って疲れを取るというのは、基本だと思います。

 るうさんとMariaさんのカキコを読んで、猛反省しました。
 そうでした。昨年の今頃は、失業中の夫と不登校の娘と、うつで神経症で心臓肥大のわたしの三人は冬ごもり状態の「穴倉家族」をしていたのでした。

 一月九日にこども病院で「娘さんはASです」と診断を受けてから、久しぶりに自分の行く先について考えはじめたのでした。それまでは息をするのも面倒くさいという状態で「もういつ死んでもいいや。さっさと死にたい。あとがどうなろうと、わたしの知ったことか!」と思っていました。ひでぇ母親だったよなぁ……。
 だけど、もしかしたらわたしにもできることが、まだあるかもしれないと考えるようになって……今思えば、それがうつから抜け出すための第一歩だったような気がします。

 pennpenn58さん、エラそうなこと書いてごめんなさい。わたしが「釣りが好き!」と言えるようになるまでは、長い長い道のりがあったのです。今だって眠れないときには安定剤のお世話になっています。
 わたしは強くも明るくも優しくもないんですよね。おどおどと生きている、気の小さい人間。それでも、いいんだって思いたいです。

> 傷ついているひとは、ついつい自分をいぢめてしまいます。自分をいたわるのは悪いことではありません。(←多分に自戒を込めて言っている)
> 「人にやさしく」も大切だけど、「自分にやさしく」も大切です。「がんばる」ためには、十分に「やすらぐ」ことが必要です。

 交流分析でいうところの「他人はOK,自分はNO」という状態があまりにも長かったために、自分をいたわることにものすごい罪悪感を感じていたわたしです。そこから抜け出したかもしれないと思えるようになったのは、わずか数ヶ月前です。でも、ちょっと気を抜くとすぐ元に戻ってしまう……。

 うつの最中は、大海原で嵐にもまれる木っ端舟のごとく、心が揺れ動きます。これでもかこれでもかと襲いかかってくる感情の波に、もうかんべんしてよって泣き出したことも数え切れないほどです。どうしてこんな目に合わなければならないのよ、もう楽にさせてよ、ほうっておいてよ、死なせてよ! 何度叫んだかわからない。

 だけど、だけど、あえて言います。Mariaさんがおっしゃるように「自分にやさしく」していいんです。まわりが何と思おうと、自分をいたわることを最優先してもいいんです。そのことで自分を責めなくてもいいんです。なかなかできないんだけど。それでも、やってしまっていいんだと思います。

 わたし……だれもほめてくれないから、自分で自分をほめました。「よくやっているじゃないか」って。ばかみたいでしょ?「おまえ、なかなかタフなやつじゃないか」って。笑えるでしょ?
 他の誰がいたわってくれなくたって、自分がいたわってやれば、なぐさめてやれば、「休んでもいいよ」って言ってやれば……ほんの少しでも気持ちが楽になるかもしれないと思ったから。

> やっぱり身体の声に耳を傾けないと、遅かれ早かれ潰れてしまいます。

 自分の身体の声を聞くことって、なかなかむずかしいです。心が傷ついたときって、身体も傷ついていることに気がつかないことが多い。普段から身体の声に耳を傾けるように心がけておくことは大切だと思います。
 今は意味がわからなくてもいいからと、娘に「身体の声を聴くようにしなさい」って教えています。体験から学びましたから。

 寒い時はあったかく過ごしたいな。のんびりと。

 わたしが釣りにぶっ飛んでいってしまうのは、ADD傾向のせいもあります。「血が熱いぜ!」「身体が燃えるぜ!」ってな具合で、いっときもじっとしていられなくなるんです。そういうときは何も考えずに身体を動かすというだけのこと。休息を必要としている身体と心は、充分あったかくして休ませてやりましょうや。

 長書きしてしまいました。性懲りもない奴だな、わたしって。意味のないカキコでごめんなさい。雪もやんだようだし、これから雪かきに精出します。


Re: ハモ※※???!!!(説明) 9986へのコメント
No.10004  Thu, 3 Jan 2002 09:23:54 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

Xanadii改めANKH wrote:

> とゆーわけで、説明おわり。ついてこれるかな?

ハイ、タレイヌです。
説明は、わかりました。
文字読みながら、ドラムの足踏みしてみました。
ドラムしながら、ラップ読んでみました。
理論はわかりましたし、なんとなく、リズムも、耳に届く気がしてきます・・・・。

でも、できなかった・・・。
タレイヌは、ついていけません・・・すみません。

  (ギブ・アップのタレイヌ)


HAPPY NEW YEAR!!
No.10003  Thu, 3 Jan 2002 06:32:11 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

 風邪がたたっての寝正月+PCを稼動できなかった間に10,000件突破!!
でも、皆さんの名前を見られたことにほっとします。(こらこら、管理人でもないくせに…。この間、休めたおかげで声が出せるようになりました。アドバイスをくれた皆さん、Thanks!)

 去年は、仕事の上では2年続きのどしゃぶり状態でしたが、このHPを知って、自分のことをわずかでも捉えられたような気がします。今年は、ありのままの自分を捉え、きちんと向かい合いたいと思います。(それにしても、30代になってから自分の方が周囲[=世間でいう『普通』ですね]と違うということを知った時には、さすがに愕然とした。それまでは、自分の方が正しいと信じて疑わなかっただけに…。想像力のなさゆえか?[←実際、『片付けられない女たち』を読んだ後輩からは、「グルンサさんには、推理能力が欠けている」と見事に言われたほど。しくしく。])

 …と、年の始めから自分のことばかり書いてすみません。
また今年もよろしくお願いします。今年は、オフ会で皆さんとお会いしたいです。
(しかし、想像力の欠如ぶりはなんとかできないかな…? グルンサ)

P.S. truthさんへ。
お返事は改めてしますので、失礼ですがお時間下さいね。


10001へのコメント
No.10002  Thu, 3 Jan 2002 03:05:34 +0900  るう [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>生まれ変わるという考えは、恐怖です。
>またこれを繰り返さなければならないのでしょうか。
>どんな形で生まれようと、私が感じるつらさはあまり変わらないのではないかと。
>もし生まれ変わらなければいけないのなら、もし可能なのなら、自分のつらさを感じる能力が足らない人間になりたいです。

私も、死んだらまた生まれ変わるとか、この世で心残りなことは次に生まれ変わったときも持っていってしまうとか、そういうこと(考え)を知ったときには、ものすごく、怖くなってしまいました。特にまだ「自分のこと」が全くわからなくて、何が問題なのかもわからなかった頃。


>去年は AS のことを知り、ここを知り、自分と似た困難をもった人たちを発見し、そういうところではとても収穫があったのだろうと思います。
>ほかにはなにもしなかったけれど。
>「自分探し」という言葉は割と嫌いなものでしたが、振り返って見れれば自分がしていたことは自分探しにほかならないみたいです。

私、もう十年近く自分探しをしていました。書けば簡単だけど、自分にはすごく遠い道のりでした。死にかけたことも数回ありました。…でも、なんとかまだ生きてる。

ここ、アスペルガーの館の掲示板では「文章で考えをあらわす」ことを教わりました。
恐らく、自分のADDな部分を含めた今後を考えられる状態に来たんだと思っています。頭の中に発火することとか、ウロウロ歩き回って考えに集中できないこととかが無くなったわけでもないんだけど、途方もなく続いていた砂漠にも終わりがあるような、そんな予感を感じ始めました。

こういう人間もいます。


Re: 質問(もし生まれ変わったら・・・??) 9934へのコメント
No.10001  Thu, 3 Jan 2002 01:29:02 +0900  みどり [この発言にコメントする]

生まれ変わるという考えは、恐怖です。
またこれを繰り返さなければならないのでしょうか。
どんな形で生まれようと、私が感じるつらさはあまり変わらないのではないかと。
もし生まれ変わらなければいけないのなら、もし可能なのなら、自分のつらさを感じる能力が足らない人間になりたいです。


しばらく逃亡してきました。
帰ってきて、地元の駅で電車を降りたとき、睡眠から覚めたような感じがしました。
逃亡中は、幸せなわけでもつらいわけでもない、私はただそこに感情もなく存在してるだけで、周りで映画が上映されているような気分でいました。

いや、実際は腹を立てたり楽しかったり胃痛に苦しんだりいろいろしたのですが。なんだかすごく普段の自分と乖離した感じがあります。


去年は AS のことを知り、ここを知り、自分と似た困難をもった人たちを発見し、そういうところではとても収穫があったのだろうと思います。
ほかにはなにもしなかったけれど。
「自分探し」という言葉は割と嫌いなものでしたが、振り返って見れれば自分がしていたことは自分探しにほかならないみたいです。

今年はいろいろなことに、もう少し寛容でありたいと思っています。自分自身が少し楽な気持ちですごすために。

去年私を許容してくれたここのみなさまに感謝し、それぞれの方にとってよい年になることを祈っています。

あけましておめでとうございます。


祝 10000回 記念
No.10000  Thu, 3 Jan 2002 00:58:03 +0900  Milkyway [この発言にコメントする]

館の管理人様
10000回 おめでとうございます!


Re: あったかくすること。 9983へのコメント
No.9999  Thu, 3 Jan 2002 00:24:45 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
>るうさん wrote:
>> あとは、「温かくすること」を大切にしています。
>> 身体の中からと外からと。
>> 温かいものを口に入れたり、おふろに入ったり(軽く?一時間半くらい)。
>
> あたしもるうさんの意見に賛成。
>
> あったかいものを食べて、あったかくして、ぐっすり眠って疲れを取るというのは、基本だと思います。
>
横レスですけど、すごく元気づけられたので。
そうか、あたたかくするといいんですね。
何故か涙が出そうになりました。「大丈夫?」なんて言葉より、ずっと効き目がありそう。
ありがとうございます。
(個人的に勝手に感動してるけど、いいの、気にしないで)


がんばれ 9996へのコメント
No.9998  Thu, 3 Jan 2002 00:14:58 +0900  みどり [この発言にコメントする]

がんばれという応援が許容されるのは2つの状況だと思っています。
対象とすごく近い状況にあって、がんばれといういう言葉が相手に与える影響を吟味できている場合。
もう一つは、対象とすごく遠くて、こちらが何を言ってもたぶん気にしなさそうなくらいの場合。

私はどちらの場合になることも少ないので、あまり言える機会がありません。
でも他に妥当な言葉を知らない場合が結構あって、こまってしまいます。


年賀状 9995へのコメント
No.9997  Thu, 3 Jan 2002 00:00:24 +0900  Maria [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
> 数年前に電子化してすごく楽になったのですが、コメントなしで出す気にはどうしてもならず、でもコメントを書くのはものすごくつらいので、とうとう最近、きっぱりとやめてしまいました。(返事も出さない。)

 ここ数年、かなり悲惨な境遇にあったものですから、コメントを書くのがつらくて年賀状を出せませんでした。去年は「まだ生きてます」くらいの意味で返事くらいは出しましたけどね。一昨年(二〇〇〇年)は、病院で過ごしてたから年賀状どころじゃなかったし。最近は医療用機器にもコンピュータが入っていて、しかも年月日が重要な役割を果たしていたりします。二〇〇〇年問題はけっこうスリリングだったぞ(^_^!)。ICUではスタッフが固唾を呑んで見守ってたそうだし、あたしも患者でありながら、コンピュータの専門家ということでスタンバイしてたし。

 今年はようやく年賀状を出したい気分になったので、年賀状を復活させたのですが、やっぱりコメントを書くのがつらいので、お年賀をお贈りして年賀状に代えさせていただきました。まあ、お年賀っていったってお金がないから手作りの呪符とかだったりするんだけど。(←我ながら何考えてんだろぉ(-_-;))

 とはいえ、年賀状出さないとホントに人と繋がりがなくなっちゃうんだよね。そんなわけで、人間関係を維持するためにも、こまめに挨拶状くらいは出しておこうと思っているあたしだったりします。

 (Maria)


Re: 無責任な声援 9992へのコメント
No.9996  Wed, 2 Jan 2002 23:30:25 +0900  Maria [この発言にコメントする]

satieさん wrote:
> 駅伝は見ていないのですが、見ていたら私も、「無理するな。。」
> って呟きたくなったと思います。。

 あたしは「無責任な『がんばれ』」は容認しませんが、「がんばれ」は一部肯定派です。

 だって、駅伝に関していえば、大丈夫そうか大丈夫でなさそうかを専門知識と経験と理性によって判断して、万一のことを考えて強引にストップをかける役割を担った監督がちゃんといるんだもん。その監督が、選手のことを考えないで「がんばれ」とか言ったらこれは無責任だろうけどさ、選手は監督がストップをかけるまでは「がんばる」ことだけを考えて走るだろうし、観客も監督がストップをかけるまでは選手と一体になって「がんばれ」と言うだろうと思います。で、ストップがかかったら、「よくやった」と賞賛するのが正しいありかただと思うのね。

 人の上に立つ人間は、結果が出なかったとき、結果が悪かったときにその責任を引き受ける覚悟が必要だし、下の人間がちゃんと結果を出したときは報いる義務があります。さらに、下の人間をむりやりにでも保護する義務がある。「練習したい」という選手に、「休め」と命令したり、「完走したい」という選手を棄権させる権利と義務があるわけです。こういう信頼感がなければ、人に命令はできません。

 トップ・アスリートとしての生命を失うことと、箱根駅伝という大舞台で「途中棄権」という不名誉な結果を残すことを秤にかけて、選手との信頼関係において「ここまでやれば十分」というところでストップをかけるというのはかなり苦しい決断だと思います。社会人になっても競技を続けられる人は多くありません。だったら、日常生活に支障のない程度には、あるいはファン・ランナーとして走れる程度には、壊れちゃってもいいじゃないか。それより、「いま」という時間を身体に刻んでもいいじゃないか。選手もそう思っている。そして納得してもらえる。そういう覚悟の下での、監督の「がんばれ」は、許されると思います。

 かつての日本のオリンピック選手は、「日本国民の期待」みたいなものを背負わされてきました。だけど、その「期待」というのは、まさに「無責任な『がんばれ』」の典型みたいなものだったわけです。ですが、最近はそうじゃなくって、「日本人の底力」みたいなものを見せてくれればそれで十分、みたいな感覚がありそうに思います。「ベストを尽した者への賞賛」を背負う限り、それは「無責任な『がんばれ』」ではないように思います。だって、応援されるほうもそこまで期待してないし、応援するほうだって自分の発言にそんなに責任持てないもん。

 もちろんプロは違うし、お金払って観てる観客は違いますよ? 結果を出すのがプロだし、お金を払った以上は結果を要求します。このあたりはアマチュアスポーツとプロスポーツの差です。競輪なんかその典型だし。

 「がんばれ」という言葉には、「一蓮托生」という裏づけがないといけない、とあたしは思います。「いよいよダメだったら一緒に死のう」という覚悟に裏付けられた「がんばれ」は、許されると思うのね。そのためには「退路を断つ」くらいのことをしてくれないと困ります。いよいよダメなときに周りを見回したら、みぃーんな逃げちゃって自分独りが取り残されている、みたいな経験をさんざんさせられたあたしとしては、そう思います。

 つまるところ、「ヘタレは人を応援する資格がない」ということだと思います。

 (Maria)

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