秋桜のひとり言16

療育と私

2005-4-14

自宅療養が始まった時に夫に勧められてアスペルガーの館の掲示板に書かれている書き込みを読み始めたら、私にとってはとても不思議で驚くことがあった。それは療育を受けることを特別な物のように捉えている人が意外と多いということだった。

幼い頃から専門家や母親の療育を受けて育ち、リハビリの勉強の後に療育の専門家となった私にとって療育は特別な物ではなく、むしろ生活と共にあるものだった。3歳で専門家による療育が始まり、4歳以降は母親が専門家と連絡を取り合いながら療育が続いた。母は療育の専門家ではなかったが、独身時代小学校の教師をしていた時期もあったし、その後上京して心理学をかなり専門的に勉強したという経緯があったため、その知識も活用して私を細かく観察して彼女なりに工夫をして私を育ててくれた。

当時は療育という概念が今までほど普及していなかったし、どうして母が私のことをここまで世話を焼いて育てているのかは父ですらよく分かっていなかったから彼女は相当苦労したと思う。それでも母はできる限りの手を尽くして専門家の意見を聞き、当時としてはかなりの時間とお金を費やすという、最大の努力をしてくれた。これだけは私もかなわないと思っている。

しかし当時の療育は「ちゃんと療育をすれば普通になれる!」という考えだったため、今から考えるとかなり相当無理なことも私は要求されてきた。そのためにかなり苦労をした面もあるし、母親に対して恨みがないと言えば嘘になる。私にとって母はセラピストであり、情を交わす相手とは言い難い面がある。でもこれはある意味仕方のないことで、実は母親自身祖父母からきちんと愛情を持って育ててもらえず、家族とはどういうものかをよく知らずに育ったという事情もあった。母方の祖父母も母もアスペルガーという家系ではそれ以上のことはできなかっただろうと思う。私がここまで冷静になれたのは家を出たことで距離が置けるようになってからである。

それでも私は「療育を受けない方が良かったですか?」と質問されたら、何のためらいもなく「療育を受けて良かった」と答えるだろう。実際今まで何人かから口頭やメールで質問されたことがあるが、いつも私はそう答えてきた。幼い頃何も言えずにパニックになった記憶は断片的に覚えているが、療育を受けたからこそそこから抜け出せたし、自分を冷静に客観視することができた。専門家になれたのも幼い頃の経験があったからこそだし、それを活かしてアドバイスすることもできている。

発達障害の診断基準を満たさなくても脳のある部分がうまく働かないために日常生活で困っている人は大勢いる。療育のノウハウはそういう人たちを援助するにはとてもいい方法だと私は考えている。残念ながら療育の専門家は限られているし、小児の病院や療育センターにいるため普段なかなか接する機会がないのも事実である。

しかし多くの人が療育は特別な人が受けるものという意識を持っていると、専門家が身近にならないのもまた事実である。そのためにも支援を受けられる制度の充実や専門家の養成というのは欠かせないし、支援を受けたいという要望を出して行くことが大切だと思う。そして何よりも専門家のアドバイスを受けてよかった、という経験をより多くの人にしてもらえるよう常に自分を磨く努力を怠らないことが大事なのだと考えている。

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