秋桜のひとり言9

おしゃれについて

2005-2-7

何年か前に成人のアスペルガー関係の集まりに出かけたことがある。最初に思ったのは「どうしてこんなに違和感を感じるんだろう?」ということだった。最初は理由が分からなかったが、昼食後ふと会場を見渡して分かった。当事者達はあまり身なりに気を遣っていなかったのだ。ボランティアの人と比べると明らかに服装がだらしなく見えてしまい、そこだけ異空間ができあがっていた。その時感じたのは「みんなとてもいい人達なのに、こういうことで損をしているんだ」ということだった。

もちろん「人間は外見じゃない、大事なのは中身だ」という意見もあるだろう。プライベートでは好きなかっこうしたっていいじゃないか、というのも分かる。感覚過敏などの関係でファッションに制限がある場合もあるだろう。しかし発達障害の人の場合やはり小さい頃からの練習しないと状況に応じて判断することが難しいだろうし、お洒落の大切さや服装に伴うマナーも一緒に教えていくというのは将来社会で自立する上でも非常に重要だと感じている。例えば会社の採用面接などで同じ位の実力とみなされる人が二人いたとして、一人はきちんとした身なり、もう一人はやや似つかわしくない格好をしていたら会社側はどちらを採用するだろうか。仕事をする際にも必要最低限のマナーは存在するし、プライベートの時間でも人と会う機会はいくらでもある。そういう時にお互い不快に思われないよう気を遣うというのはとても大切だと考えている。

意外に学校では教えないことだし、家庭でも「親がやっているのを見れば分かる」と思われがちなことだが、仕事で面接しているとけっこう親がどんどん手を出して子どもの身なりを直してしまい、子どもが今何をされているのか気付いていないことが多い。ある程度の知的能力があったら幼稚園の年長~小学校の低学年ぐらいにかけて鏡などを見せながら身だしなみの整え方を教えるといいのでは、と思うし実際親御さんたちにも指導している。私自身も母からかなりうるさく言われた。思春期に入るとカタログやファッション雑誌を見て研究したし、社会人になってからは店で夫や店員にアドバイスをもらって「似合う色」「似合う服」を探して着るようになった。メイクも普段はあまりしないが、仕事中は社会人として「一応気をつけているのね」と相手が分かる程度のことはしている。

おしゃれというのはある意味「外から見た自分」を意識した行為だと思う。自分を客観視し、 自分らしさを上手に演出できる方法を見に付けるのも社会性を育てる上で大事だと感じている。

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