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▼交響曲4番さん:
初めまして。(^o^)/ Chiquitita(チキチータ)です。
遅くなってすみません。
> 私は、人間関係でトラブルとそれ以降、その相手を避け続けます。
> 原因はさまざまですが結果的に孤立してしまうのです。
私も同じことを感じていますが、原因が解ってからは孤立することは少なくなりました。
> 相手を許すことができないというよりは、
> 二度と同じような目にあいたくないという自己防衛本能的な行動のつもりです。
> 第三者から見ればいつまでも拘っている(怒っている)と思われているようです。避けることのできない相手のときは、トラブルになったときの話題は絶対にしない、以前のように心を開いた会話(プライベートにかかわる話題)はしない、プライベートにかかわる話題になりそうなときには逃げる、もしくは口を閉ざすという一連の行動パターンができあがっています。
> 気の済むまでけんかして→仲直り…ということができたためしはありません。
> (ちょっとあこがれますけど)
>
> どこかで、やっぱり心の底のほうで相手を許せないからなのか、
> それとも、自分の怒りの感情を表現する方法が下手だからいつまでも蟠るのかと思っています。
> (自覚しているので、怒ったときにほど無表情、無口になります。)
ここまでコメントを拝見して気付いたことですが、交響曲4番さんは、自分が分不相応にプライドが高いという指摘を受けられたことがございますか?
もちろん、答えが「Yes」であっても、私はそれを咎めませんので、御安心下さい。
あくまで私見ですが、誰でも己が引け目に感じていることを攻撃されるのを嫌う傾向は、程度の差こそあれ持っていると思います。
発達障害の当事者(グレーゾーンも含む)や身体障害者・視覚障害者・聴覚障害者などは、全てとは言いませんが、日常生活の根幹部分に引け目に感じられる部分があるのでしょう。
それが原因で人間関係のトラブルが発生することは珍しくないと思います。
しかし、発達障害は環境次第では「障害」たり得ないものです。
コミュニケーション能力の不足が引け目に感じるのは、それに対して偏見があるからだと思います。
しかもその偏見は、周囲の人ばかりでなく本人にも植わっていることが多いようです。
でも私はその偏見も咎めるつもりはありません。
交響曲4番さんが、自分自身のプライドの高さの原因や、自分自身の心に植わっている偏見に気付いたら、そこを出発点にすればそれで十分だと思います。
偏見のない状態にまでリセットすることは求めません。それは以降の作業でもOKだと思います。
そうすることで、相手の心理状態も受け入れやすくなり、トラブルも少なくなると思います。
> 相手の気持ちを汲み取りつつ、そのときの自分の気持ちも表現できたら、もっと柔軟に人と接することができそうなのですが…(欲張りすぎですか?)
困難な作業だとは存じますが、不可能ではないと信じています。
「館」や心理カウンセラーに助けを求めたって構わないと思います。
私自身も5年もここに居座っていながら、今以て現実に溺れている状態から脱却できないでいますが、立ち直りのきっかけはつかんだつもりなので、こちらももっと元気になって御覧に入れたいと思います。
(あまり気負うとかえってオーバーヒートしてつぶれてしまうので、お互いマイペースで進みましょう)
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