アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
わたしは子供の頃、夏に海に連れて行ってもらった時、必ずやっていた遊びがあります。浮き袋に身をまかせ、グルグル回転しながら、波間を漂う遊びです。このとき必ず、空を見つめるのが好きで、自分が回るのに合わせて空の雲もグルグル回るので、なぜかそれが楽しくて、かなりの時間それに没頭していました。ずっと同じ方向に回ると気持ち悪くなるので、右まわり、左まわりと変えながら、ただひたすらグルグルグル。。。
空いているプールでもやりました。たのしかったなあ。
でも、これは子供だったから許されたに違いない。今の私がこれをやったら、はた迷惑な気のおかしな人としか思われないだろうな。でも、本当は今でもやりたいと思っています。夏になったら、人のいない海を探して、こっそりやるしかないかな。
pennpenn58 wrote:
>シュッツ wrote:
>>
>>いじめる人もいるし、優しい人もいるし、どちらもいじめを受けてパワーアップするのではないでしょうか。
>
> ほんとうですか?!でも私は、パワーアップしなくてもいいのです。
「パワーアップ」という用語を使ったのは、RPGに例えたからで、いじめを受けて人間が強くなるという意味ではないです。
>心穏やかな毎日を宝と考えます。けれどそんな日は永久にこないような気がしてきました。つらさが心の許容量を超えると人間は爆裂してしまいます。
穏やかな日は私も欲しいです。
Mariaさん wrote:
> 明けない夜、満ちることのない月、長くなることのない昼の不安から解放される日が、「元日」なんです。夜はまた明ける。月はまた満ちる。昼はまた長くなって、暑い夏が来る。そうした安心感が、「おめでとう」なんです。
この一節を読んで。「わたしは何?(「誰?」ではありませんよ、念のため)」の問いに答えを出して、心の底から「明けない夜や闇はない」と言えるようになりたい…と思いました。いろいろあれど、まだ人生をあきらめたくない!今までの、いろいろな人たちのカキコを思い返し、しみじみそんなふうに思いました。
(でも、今の仕事絡みの資料とビジネス書は読みたくないっ!! グルンサ)
シュッツ wrote:
>
>いじめる人もいるし、優しい人もいるし、どちらもいじめを受けてパワーアップするのではないでしょうか。
ほんとうですか?!でも私は、パワーアップしなくてもいいのです。心穏やかな毎日を宝と考えます。けれどそんな日は永久にこないような気がしてきました。つらさが心の許容量を超えると人間は爆裂してしまいます。
pennpenn58 wrote:
> いじめにあった人間は仕返しにいじめることのできる人間を捜し、不幸にあった人間は人を不幸にする権利を得たと信じ、火星人は自分より弱い火星人を餌食にし、アスペはアスペを傷つけることがどんなことかを知ってアスペを傷つける。それが死に至る傷と知っているからこそアスペを傷つけるよろこびに打ち震える。
ロールプレイングゲームに例えて考えてみました
敵=いじめる人
味方=優しくする人
レベル1:いじめにあっていない人
(1)敵
苦しいだろうと思われることを想像して、いろいろないじめを試してみる
(2)味方
どこに傷を受けたか分からないので、全体の雰囲気で癒そうとする
レベル2:いじめを知っている人
(1)敵
いじめのつぼをピンポイントで攻撃してくる
(2)味方
個々の傷を治そうとする
いじめる人もいるし、優しい人もいるし、どちらもいじめを受けてパワーアップするのではないでしょうか。
pp. wrote:
>
>いま私は、アスペの当事者同士の「いじめ」について考えている。
>中略
>新年草々 いじめ と 戦う pp.(ピアニシモ)
pp.さん、おめでたくない正月ですね。私も皆さんから心が傷ついたときの対処法についていろいろレスをいただいたのですが傷はますます深まり、今までの人生のつらいこと全てがフラッシュバックし頭のなかが爆発しそうです。明けない夜はないというのはアスペにとって真実ではない。
いじめを知っている人間は人にやさしくなれるのか、不幸を知っている人間は人の不幸にやさしくなれるのか、火星人同士ならやさしくなれるのか、アスペ同士ならやさしくなれるのか、そんなのは全て幻想にすぎない。
いじめにあった人間は仕返しにいじめることのできる人間を捜し、不幸にあった人間は人を不幸にする権利を得たと信じ、火星人は自分より弱い火星人を餌食にし、アスペはアスペを傷つけることがどんなことかを知ってアスペを傷つける。それが死に至る傷と知っているからこそアスペを傷つけるよろこびに打ち震える。
この世は煉獄である。つらいことはさらにつらく、孤独はさらに深まり、傷もさらに深まり、やがて腐敗していく。それが年を重ねると言うことである。それが新年である。
ゆえに正月は全くめでたくない。
そういえばどうしてめでたいんだろうなあと考えていたら、「めでたいってなんだ?」と悩むことになってしまいました。
とりあえず辞書ひいてみると、めでたいって「愛でたい」なんですねー。知らなんだ。
私はなにかと「区切り」に対して厳粛な気持ちがわくのです。年越し、新学期、誕生日、旅行に出るとき、誰かと別れるとき、会社から帰宅するときまで。確かにちょっと愛でたい気分かもしれません。
で、確かに私はおめでたいかもしれません。
ま、私はピリピリイライラしてるかおめでたいか、どちらかのことが多いので、どちらかといえばおめでたい状態の自分の方が平和でいられそうでいいかなあと思います。
シュッツさん wrote:
>あけまして
> おめでとう
>
>……と言いますが、何がめでたいのでしょう?
>何か不思議
あ、いいですね。「何か不思議」というところが。
自分がいかに何も考えずに言葉を使っているかを、思い出させてくれて。
「不思議がたくさんある人生は面白い」なんて思っていながら、日常生活の忙しなさに埋没して、つい何も考えずに過ごしてしまう自分が情けない……。
結婚して十年、婚家のジンクスに従って二年参りも初詣もしなくなって、それはそれで気楽なものだなと思っていました。
とりあえず一年間生きのびることができたという区切りに、新年をおめでとうと(自分に)言い聞かせる習慣くらいは残しておきたかったので、使っています。
あとは、ひらがなが好きだから。「明けまして」より「あけまして」と書くほうが好きです。「あけまして おめでとう ございます」と書くと、ひらがな五文字が三つでなんか綺麗……。
ふれ wrote:
>I wrote:
>1月1日になったから、さあ、おめでたいなんて、そんな人こそよっぽどおめでたいよね。
>ああ、私ひどいこと書いてしまったわ。。。おめでとうございますって、きちんとご挨拶しているレスの方に悪かったかな?と後になってやっと気がついたのです。
>おめでたいのは、どうやらわたしかも。あははは。
私もおめでたいと投稿した一人ではありますが、
「おめでたいのは、どうやらわたしかもっ」とか思っちゃってたりする
煮え切らないADHDです。
ではでは。。
satie
シュッツさん wrote:
>あけまして
> おめでとう
>
>……と言いますが、何がめでたいのでしょう?
>何か不思議
あ、嬉しい。ここ数日、私も同じ事を考えて悩んでたのです。
年賀メールを書くのに、何が「めでたい」のか分からないまま「おめでとう」って書きたくなくて、挨拶の言葉に悩んでました。
Mariaさん wrote:
> 明けない夜、満ちることのない月、長くなることのない昼の不安から解放される日が、「元日」なんです。夜はまた明ける。月はまた満ちる。昼はまた長くなって、暑い夏が来る。そうした安心感が、「おめでとう」なんです。
お正月はおめでたいもの、理由なんて考えたことありませんでした。
一年生き抜けておめでとう、ぐらいかな?なんて思ってました。
またお正月を迎えれたことがおめでとうなのかなと。
だから、お誕生日とおんなじような気持ちで私はおめでとうと思っています。
I wrote:
1月1日になったから、さあ、おめでたいなんて、そんな人こそよっぽどおめでたいよね。
ああ、私ひどいこと書いてしまったわ。。。おめでとうございますって、きちんとご挨拶しているレスの方に悪かったかな?と後になってやっと気がついたのです。
おめでたいのは、どうやらわたしかも。あははは。
みどりさん wrote:
>鷲羽丸さん wrote:
>> 卒業後もわしは、当時のサークルの同期の連中のメーリングリストに入り、連絡を取り合っています。今まで、「連絡を取り合う」ことが「交友関係を維持する」ことだと気づかず、多くの人との関係を自ら断ち切っていました。
>
>そうなんですよねー。
>私もあるときそれに気づいたのですが、しかし、「連絡を取りあう」こと自体が難しかったりします。
>
>今回の逃亡先と同じ街に、古い友人が住んでいました。当時かなり親しかった友人ですが、やはりどうしても連絡をとることができませんでした。
>なんといって連絡を取っていいのかわからないんです。
>近くまできたからなんだというんでしょう? 会いに行ったとして、なにを話したらいいんでしょう? 二人きりで会ったらどうしていいのかわかりません。
>
>せっかく接点があった時代の友人とこうやってどんどん疎遠になってゆくんですね。
わたしも、昨年「いいかげん、家を出ねば…」と思って(ひとり暮らしをするための場所探しで)中央線沿線の某駅で降りた時。「あっ、ここ、彼女(友人)がいる所なんだ…。ここに住んでいるんだな」と思い出したまでは良かったのですが、その後「会ってどうするんだろう?」という思いにかられてしまいました。(それまでにも手紙のやりとりや、年に1度会う、ということをしてはいたのですが、互いに父親を亡くして以来(同じ年ではなかったのですが)、連絡を取り合えなくなってしまいました。こんなことが、連絡を取り合えないことにつながるなんて思ってもいなかっただけに、今思い返してもの悲しさも…。それだけに、決して人と接することが得意といえないわたしに、年賀状を送りつづけてくれたり、仕事絡みで悲鳴をあげるたび、心配してくれる友人たちを本当にありがたく思います。(そのくせ、未だに彼女たち[学生時代の友人・職場の同期の友人たちetc.]に、なんにも返すことができないでいるのだからなさけない、とも思うのですが…。)せめて、身近にいなくても、自分のことを気にかけてくれている人たちに、「ありがとう」の思いを伝えたい…そう思います。
シュッツさん wrote:
> あけまして
> おめでとう
>
> ……と言いますが、何がめでたいのでしょう?
> 何か不思議
こうもりさん wrote:
> 確かに、人間が便宜的に作り出した暦の中で、1年の1番はじめに来
> るとされる日の夜明けがめでたいというのはちょっと謎。
>
> ただ単に「想起した出来事にすぎない」とも言えそうですよね。
「一年の始まり」というのは、本来はどこにあってもいいはずのものです。
ですが、日本における年初というのは、「一日がいちばん短い日を乗りこえた次の新月」ということになっています。
明けない夜、満ちることのない月、長くなることのない昼の不安から解放される日が、「元日」なんです。夜はまた明ける。月はまた満ちる。昼はまた長くなって、暑い夏が来る。そうした安心感が、「おめでとう」なんです。
「冬期うつ症」というのがあって、日照時間が短くなると、人間は鬱になりやすいそうです。気分が「明るく」なったり「暗く」なったりするというのも、「明るい=活動的」「暗い=憂鬱」といった関連性があるからではないでしょうか。人間が夜行性だったら、「気分が暗くなる」が「うきうきと活動的になる」という意味になったかもしれません。
そんなわけで、「正月は、めでたい」のだとあたしは思っています。
(Maria)
シュッツさん wrote:
>あけまして
> おめでとう
>
>……と言いますが、何がめでたいのでしょう?
>何か不思議
確かに、人間が便宜的に作り出した暦の中で、1年の1番はじめに来
るとされる日の夜明けがめでたいというのはちょっと謎。
ただ単に「想起した出来事にすぎない」とも言えそうですよね。
シュッツさん wrote:
>あけまして
> おめでとう
>
>……と言いますが、何がめでたいのでしょう?
>何か不思議
年が明けたので自動的におめでたいなんて、なんかヘンだと子供の時から思っていたの。おめでたい気分には私はちっともならなかったから。1月1日になったから、さあ、おめでたいなんて、そんな人こそよっぽどおめでたいよね。
あけまして
おめでとう
……と言いますが、何がめでたいのでしょう?
何か不思議
「がんばれ」という言葉、これって、なぜか、命令する形。励ましの言葉なはずなのに。がんばるのは私なのに、なんで命令されてんの?
他人に命令されてがんばれる人、こなせる人、昔からそういう人ってすごいなあと思っていた。
いくら先生や上司から「がんばれ」と言われても、私が「そうしたい」と思わないことはできない。
と自分が言われると不快な言葉だから、なるべく「がんばれ」といわないことにしてる。でも、他にいい言葉って浮かばない。何かないかなあ???仕方なく使うと、あとで心が痛む。
でも、もうひとつ、「がんばれ」という言葉は、その事柄に対して責任があることを自覚させるために使う言葉なのだろうか?という考えも、最近うかんできた。
「この仕事を最後までやり抜きなさい」
「最終的な責任はあなたにあるのです」
もちろん実際の最終責任は上司にあり、私が失敗しても上司が責を負うのだけれども。信頼関係の構築を上司もしようとしているのかもしれないし。
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