アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 社会不適応と犯罪 10225へのコメント
No.10228  Wed, 9 Jan 2002 22:56:14 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

あんく wrote:

> 掲示板に活発に書込みできる人間がいるからといって、それがなにか私やあなたの人生に甚大なダメージを及ぼすことがあるかしらね?なんでもありゃしないじゃん。自意識過剰であることをやめ、「人は人、自分は自分」の原則を徹底してれば、他者の書込みを「無神経である」などとやらかしちゃったりしないと思うのね。
>
はい、自意識過剰だと思います。Mariaさんのカキコは私個人に向けられていると感じましたから。きっと被害妄想なのでしょう。私もMariaさんのカキコを楽しみにしている人間です。大森総研の皆さんのカキコはそれぞれおもしろい。それを書くエネルギーにはいつも感心しています。頭が下がります。ただ火の粉が自分に降りかかってきたと感じられたらやはり、尊敬する方に対しても一言心情を述べたいと思います。


Re: 社会不適応と犯罪 10221へのコメント
No.10227  Wed, 9 Jan 2002 22:35:49 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]


>Maria wrote
>
> Mariaの書込みは、「世間語」に絡めとられてコミュニケーションを封じられ、自分の言いたいことが言えなくて悩んでいる人間に向けられたものだ。
>
Mariaさんのカキコに「会話ってボクシングに似てるかな、と思います。防禦も攻撃もちゃんとできてる人とは、安心してつきあえる。その点、素人さんは怖いです。背後からいきなり金属バットで殴るような真似をしかねませんから。」という箇所があります。アスペルガーの人はおおむね、会話の素人さんになることが多いのではないでしょうか?Mariaさんの先のカキコは私には、一般の人に向けたメッセージにしか思えませんでした。そしてMariaさん自身も自分を自閉の人間に規定しているようには感じられませんでした。

> pennpenn58さんは文章から判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とはっきり言うのが「正しい」ことだと信じているのだろう。ところが、そんなことをすれば「なんて失礼な奴だ」と相手はますますいきり立ち、ますますしつこく絡んでくるのである。

私は自閉圏の人にははっきりと迷惑ならそう伝えてほしいとMariaさんにお願いしたのです。そういう時に相手がいきり立たないようにするためにこそ会話の技術というのは力を発揮するのではないでしょうか。相手がわかるようにはっきりとしかし、相手が傷つかないように。あつかましい相手でも少なくとも悪意でそういっているのではないのですから。
>
> pennpenn58さんは知っているだろうか。われわれ自閉症方面の人間が、「はっきり言ってくれ」「正直なところを聞かせてくれ」とかいった要求にうっかり応えた結果、どれだけ痛い目を見てきたかを。
>
はい、私も自閉方面の人間です。いじめにあった中学の時からひたすら普通になることを目指してきました。ですからそれがどの程度うまくいき、世間からどう見られているのかはわかりませんが世間からは十分痛い目に遭ってきました。ですから私の言葉はおおむね、平凡な世間語ばかりかもしれません。反発されないよう、いじめられないような言葉ばかりを発するようになりましたから。私はMr.Motoがおっしゃるように「世間語」の達人かもしれません。けして人には逆らうまいと中学の時に決心しそのように生きてきました。私の「世間語」は卑屈な人間の「世間語」であり、人に好意を持たれたことはほとんどありません。

> 自閉症方面の人間とつきあいたかったら、「世間」にどっぷり洗脳された頭をどうにかしてからにしてもらいたい、と思う。この場所は自閉症方面の人間が「ぶっちゃけた話」をするための場所である。
>
私も世間で嘘をつきつつ生きるのにつくづく疲れこの掲示板で本音で発言しています。

> ……そう。こういった「率直な」書込みを掲示板に載せるから、おれは神経を疑われるのだ。
>
言動一致を期待しています。 


Re: 社会不適応と犯罪 10224へのコメント
No.10226  Wed, 9 Jan 2002 21:25:42 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

シュッツさん wrote:
> 「率直」であることと、文章に裏の意味があるかどうかとは、別の次元の話なんでしょうか?

 別なんだろうな、たぶん。

 『「率直」であること』というのは、何を言うかという部分に関わっており、『文章に裏の意味があるかどうか』はどういう形でそれを伝えるかということと、あとで「貴様には人の心というものがないのか!」とかいって責められたときに言い逃れができるかどうかに関わっているのだ(-_-!)。

 「相手の主張を、立場を入れ換えてそのままお返しする」という方法は、相手がさらに反論してきたときにその反論がそのまま相手に返ってゆくので、相手が自分のやってることが分ってない場合に、相手が自分のやっていることを分らせるのに効果的なのである。「殴られた人間の痛みを知れ」と殴りかかってくる奴を「おれだって痛いんだ。おれの痛みを知れ」と殴り返したところで殴り合いが続くだけだ。それより相手が自分で自分を殴るような状況に放り込んでしまえば、相手も自分が何をやっているか気がつくというものである。

 「率直」というのは、単に「まわりくどい方法を用いない」というだけの意味でななかろうと思う。「相手に伝わる方法のなかでもっとも効果的な(双方にとって負担のない)方法を用いる」という意味がそこにはありそうに思う。相手に伝わりやすく、おれにとって面倒臭くない方法であれば、まわりくどいように見えてもそれが「率直」な方法だとおれは思う。

 (Mr.Moto)


Re: 社会不適応と犯罪 10221へのコメント
No.10225  Wed, 9 Jan 2002 20:13:13 +0900  あんく [この発言にコメントする]

pennpenn58さんへ

 う〜ん、要するに、自意識過剰になりすぎることを警戒すべきってことじゃないのかな。「あなたのこの文章が、これこれこういう立場の人々に、どれだけ苦痛を与えることになるか、あなたは想像したこともないのでしょう。不快です」といった発言は、一見正当な理由ある義憤からきているようでいても、
pennpenn58さん wrote:
> アスペルガー症候群の人間ははっきりものを言われないと相手の気持ちを察することが苦手な人が多いのです。Mariaさんの対応にアスペルガー症候群の人間は何だかわからないけど嫌われたときっと傷つくと思います。そしてアスペルガー症候群の人間の傷はなかなか癒すことが難しいのです。

 こういったたぐいの「あげつらい」は、自分としてもあまり気持ちのいいやり方ではないのですが。
 「アスペルガー症候群の人間は〜」以下の文章は、正確には「わたくしpennpenn58は〜」なんだと思うんだよね。自己の本音を、とあるグループ全体のメンタリティにすり替えちゃってるっていう。私なら、「嫌いですか」「迷惑ですか」といった類の、「許すまでは許さねぇぜ!」的粘着質の“擦り寄り”には‘What a stupid question! Why don't you shat it?’と応じるのみだ。
 きっとpennpenn58さんはいまのいままで、他者に「私のこと嫌い?」という質問を投げかける立場に立つのみで、じゃあ逆に、他人にそう尋ねられた場合、自分ならどう応じるかっていう発想に、立ったことが無いのかもしれない。他者とじっくり腰を据えて、真剣に向き合ったことのない人というのが、しばしばそういう状態に陥りやすいの。pennpenn58さんなら、どうお答えになられるだろうか。きっと「そういう質問をされること自体が嫌いだし、迷惑」と、応じることになるんじゃないかな。自分中心の考え方をやめるというのは、たとえばの話、そういうこと。
 
> 思うにpennpenn58さんはきっと自分が(中島先生の言う)「世間語」の達人であることに気づいておられないのであろう。見たところ『相手が「ぶっちゃけた話」をできないような「状況」』を作り出すことがかなりお上手だ。きっと「謙虚で遠慮深い」印象を人に与えていると思っていらっしゃるだろうし、「礼儀正しい」印象を人に与えていると思っていらっしゃるのかもしれない。だからこそ自閉症方面の人間が親切づらをして優しげに寄ってくる連中に対していかに苦々しい思いを持っているかという点に思い至らない。でなかったらMariaの会話に関する上記の書込み(No.10195)が、「一般の人向けにきっととても役に立つ情報」だなどという素っ頓狂な思い込みをするはずがない。

 「自称モラリスト」達による、印刷業界への差別語・差別的表現の摘発・禁止運動(いわゆる「言葉狩り」)の暴風が吹き荒れたころ、私が以前勤めていた印刷会社では、東京都庁の出版物を一部請け負っていて、都庁側の担当者が「ライオンのイラストで、ライオンの足の指を4本にすることは、“指のたりない人たち”に対する差別的表現になる、だから、このライオンは人間と文字通りまったく同じ手の形にし、しかも指を5本描かせたイラストに変更しろなんて、上の方から言ってくるんですよ。もうキチガイになりそうですよ〜」と、涙目で訴えてくるんですよね。 「家族団欒」のイメージ画ひとつとっても、おじいちゃんおばあちゃんに、父母、子供は二人......なんてのを描こうものなら、「親のいない子供たちがどんな思いをすると心得とる!」などとチェックが入る。
 四方八方から「我等の立場を想え!」「俺の存在を認めろ!」とやれば、要求する側は自由と自由が非常出口でギッシリひしめき合い、結局だれ一人表へ脱出できないまま全員窒息死......てな具合になるし、話を容れる側としても、プロとして培ってきた手腕を曲げてでも、全員の、それぞれ異なる立場に迎合しようといった、どだい無理な話につきあわされる破目に陥る。
 
 中南米には、事件、事故等の犠牲となった、死体写真を載せるメディアが、巷にあまりあると聞く。その「死体カメラマン」の一人、メキシコのアルバロ=フィゲロアという名の男は、ある日、モラリストの一団に襲われた。相手が木製バットを持ち出してきたので、彼は、一瞬ひるんだと見せかけて、事故現場のレスキュー車に置いてあったバールを持ち出し、「これが俺の仕事だ!文句あるやつはかかって来い!」と、雄叫びをあげながら、モラリストの連中を3クアドラス(1クアドラスは市街地で言う1ブロック)も追い掛け回したという。こんな泥臭い事件顛末が、日本というのは起こり得ない国で幸いであるとしか言い様がないが、これが中南米となると、そんな風に、「プロに向かって分かったような口きいてんじゃねえ!こっちゃ命けずって仕事してんだ、見てるだけの連中があれこれ言うな」とばかり、ストレートにずってんばってん揉み合うことのできる国民性というのは、まだ「健全」って言えるんじゃないだろうかって気がしてくる。 テレビでときたま放送される、暴動の画面をよくよく見ると、彼らの顔はむしろ深刻じゃなく、「ストレス発散!」とばかり、楽しそうに暴れているかに見える表情を発見することすらある。
 ここの掲示板の参加者のうちでは、「不快です」「傷つきました」「理解していただけなくて残念です」「ここは私の居られる場所ではなかったようです」と捨てゼリフを残して去るしかない状況というのがある。私としては、「ああ、ここでもやはり自分は理解してもらえなかった」という感想をもつ人々に対しては、そりゃあんたの考えすぎだろうと、応じるしかないんだけれど、すべての立場を擁護し、配慮し、ぜったいだれにも誤解されない文章なんていうのは、むしろ疑ってかかるべきだと思うのです。「人間の手をしたライオンのイラスト」なんて、「ああ、体の不自由な人々が喜ぶだろうな」と期待しつつ世に出すべきものではない。子供達だって不気味がるはず。アスペルガーの人に向かっては、常に「嫌いです」「迷惑です」と伝えることが、正解であるなんていうことが、誰にも言えないのと同じように。私は、この掲示板の書込み全部が、私という人間にとってつねに有益であれという期待は、特にしてないです。確かに「読んでいて元気が出る」という効果があれば、それ以上の喜びは無いし、けどそれ以外にも「あっはっは、大ウケ〜!!」「ん?そりゃ違うんでないの?」「何じゃその言い草は、ムカつくぜよ!!」といった、自分の内側に働きかけるものがあればあるほど、小気味いいと感じます。
 緘黙であり、日常の雑事を、てこずらずにこなすということとは無縁の私、あんくでありますが、だからといって弁の立つ人間を、あれこれ自分と比較して、うらやんでみたり僻んでみたりすることは、まったくのエネルギーの無駄ということも知っている。掲示板に活発に書込みできる人間がいるからといって、それがなにか私やあなたの人生に甚大なダメージを及ぼすことがあるかしらね?なんでもありゃしないじゃん。自意識過剰であることをやめ、「人は人、自分は自分」の原則を徹底してれば、他者の書込みを「無神経である」などとやらかしちゃったりしないと思うのね。
 
 私だったら、いつか、何らかの理由でここを「卒業」しなければならない日がくるとしたら、「ほんとに楽しかった、ありがとう」と一言、心から言う気でいるけどね。‘Anyway thank you’ではなく、皮肉ではなく、だれにもなんの期待もせず。


Re: 社会不適応と犯罪 10221へのコメント
No.10224  Wed, 9 Jan 2002 18:09:12 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
> 自閉症方面の人間とつきあいたかったら、「世間」にどっぷり洗脳された頭をどうにかしてからにしてもらいたい、と思う。この場所は自閉症方面の人間が「ぶっちゃけた話」をするための場所である。はっきり言ってこの場での発言は、しばしば「気狂いじみて」いて、「神経を疑われる」ようなものである。だが、「世間並み」の規準でものを喋っていたのでは、本当のことが言えない。だからこそおれは最初っから「世間並み」の規準を無視して、率直にものを言う人間としてここに立っているのである。
>
> ……そう。こういった「率直な」書込みを掲示板に載せるから、おれは神経を疑われるのだ。

「率直」であることと、文章に裏の意味があるかどうかとは、別の次元の話なんでしょうか?


Re:ステレオグラムは悪戦苦闘 10207へのコメント
No.10223  Wed, 9 Jan 2002 18:07:43 +0900  あんく [この発言にコメントする]

へりこさん wrote:

>斜視が魅力的…障害が逆に魅力になるということでしょうか。以前山でターミネーターの足のような機能追求型の義足を着けた方がいらして、純粋に「かっちょいいー!」と思いました。こんな感情って不謹慎!とか怒られてしまいそう。

 そ〜なのよ。身体的障害というものが、ある種の「魅力」に、取って変わってしまう瞬間って、あると思うんですよね。さらに不謹慎かつ不純でdropdeadな表現を許されるとしたら(許されなくたって別にかまわないんだが)何というか、思わず「ソソラレル」んだよな〜。
 とあるプロのフルーティストで、やはり足の不自由な方がおられて、足をすこし引きずりながらステージに上がる姿が、逆に「凛凛しい」と思ってしまう。障害が逆に魅力になっている人たちに共通しているのが、自身の、ひいては他者の障害を恥じたり恐れたり、「不幸」と感じてはいない、少なくともそのような印象を周囲に与えていない。醸し出してるオーラが違うんだよね。
 そーいえば思い出したのが、私は小さいころ、言うなれば「身体障害者のふり」の大好きな子供だったこと。わざと片足引きずって歩いたり、目の見えないふりをしたり、ひとりきりでそんなゲームに耽っていたな。


Re: 人の言う事をそのまま受け取る。 10219へのコメント
No.10222  Wed, 9 Jan 2002 17:12:37 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 まろんすさん、こんにちは。僕も見ました。さんまの……ですね(苦笑。

 あの男性はどこにでも居るタイプだと思いますが、一番かかわりたくない相手ですね。いつのまにか手をグーにしてました。

 まあ、それはともかく、やっぱ、「冗談だとわかる冗談」という、線引きが違う気がします。難しい。長く付き合ってる人は表情でなんとなく判りますけど。


Re: 社会不適応と犯罪 10214へのコメント
No.10221  Wed, 9 Jan 2002 15:57:18 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>  そんなわけで、常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」を作り出してくれる相手というのは、いわゆる礼儀作法から外れていても無礼な印象を与えないというか、「ざっくばらん」な、あるいは逆に上品な印象を与えたりするわけです。
>  で、そういうひとは一見無防備に見えます。そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
 (中略)
>  これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。

pennpenn58さん wrote:
> Mariaさんはこのカキコから判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とははっきり言わない方なのでしょう。それはきっと相手に対して失礼な言葉になるでしょうから。でももしMariaさんが一般の人ではなくアスペルガーとわかっている人とおつきあいすることがもしあればどうぞはっきりと「迷惑です」「嫌いです」とこたえてあげてほしいと思います。ご存じでしょうか?アスペルガー症候群の人間ははっきりものを言われないと相手の気持ちを察することが苦手な人が多いのです。Mariaさんの対応にアスペルガー症候群の人間は何だかわからないけど嫌われたときっと傷つくと思います。そしてアスペルガー症候群の人間の傷はなかなか癒すことが難しいのです。

 思うにpennpenn58さんはきっと自分が(中島先生の言う)「世間語」の達人であることに気づいておられないのであろう。見たところ『相手が「ぶっちゃけた話」をできないような「状況」』を作り出すことがかなりお上手だ。きっと「謙虚で遠慮深い」印象を人に与えていると思っていらっしゃるだろうし、「礼儀正しい」印象を人に与えていると思っていらっしゃるのかもしれない。だからこそ自閉症方面の人間が親切づらをして優しげに寄ってくる連中に対していかに苦々しい思いを持っているかという点に思い至らない。でなかったらMariaの会話に関する上記の書込み(No.10195)が、「一般の人向けにきっととても役に立つ情報」だなどという素っ頓狂な思い込みをするはずがない。

 Mariaの書込みは、「世間語」に絡めとられてコミュニケーションを封じられ、自分の言いたいことが言えなくて悩んでいる人間に向けられたものだ。

 だいたい世間の連中の「職場や学校でうまく人との距離をとれずに悩んでいる」とかいった話は、「『普通』の人間同士は理解しあえて当然」といった自信に満ちあふれている。親や教師だって「自分と同じ人間」だと思っているし、脳に器質的な障害があってコミュニケーションが阻碍されているわけでもない。で、Mariaの書込みは、そうした、自分達が「世間」というものを形作っていると固く信じている連中が、「世間語」という壁によって我々を排除するのにどう対抗すべきか、ということを論じているのである。

 pennpenn58さんが「世間一般の人々」に対して『「世間語」を使うな』というのなら、おれだって「そうしてくれればとても助かる」と思う。ところが、もともと「世間」から「世間語」によって排斥されているわれわれ「本人」が、そうした「世間語」につきあわざるを得ない状況をどうこう言うというのは無神経を通り越して残酷である。おれたちだってつきあいたくてつきあっているのではない。つきあわなければ「世間」を渡っていけない、という思いがあるからなのだ。

 pennpenn58さんは文章から判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とはっきり言うのが「正しい」ことだと信じているのだろう。ところが、そんなことをすれば「なんて失礼な奴だ」と相手はますますいきり立ち、ますますしつこく絡んでくるのである。
 おれが知っている自閉症方面の人間は、「普通の人間」にとって「自閉症方面の人間」というものが基本的に「迷惑な奴」であり、「嫌われてもしかたがない存在」であることを重々承知している。しかし、それは『「迷惑はお互い様」で「好きなところもあれば嫌いなところもある」関係の中でそこそこうまくやってゆけないだろうか』という人間関係の基本に忠実であるぶんだけ、かえって「世間の連中」の態度より好ましく思えるのである。連中はあらゆる「世間並み」の対応を、当然のように押しつけ、当然のように要求し、それが「お互い様」で「当然」だと信じているからだ。

 pennpenn58さんは知っているだろうか。われわれ自閉症方面の人間が、「はっきり言ってくれ」「正直なところを聞かせてくれ」とかいった要求にうっかり応えた結果、どれだけ痛い目を見てきたかを。「世間の連中」は、自分たちが想定し理解した範囲の中での答えが返ってくると、当然のように信じているのである。だから、われわれが「はっきりと、正直に」答えようものならば、逆上するか笑い飛ばすか怖くなって逃げ出すかくらいしか対応の方法を知らないのである。そして、自閉症方面の人間の多くは、自分の家族や教師や、その他の多くの「善意の人々」からそうやって受けた傷をずっと抱えこみ、苦しんでいるのである。

 自閉症方面の人間とつきあいたかったら、「世間」にどっぷり洗脳された頭をどうにかしてからにしてもらいたい、と思う。この場所は自閉症方面の人間が「ぶっちゃけた話」をするための場所である。はっきり言ってこの場での発言は、しばしば「気狂いじみて」いて、「神経を疑われる」ようなものである。だが、「世間並み」の規準でものを喋っていたのでは、本当のことが言えない。だからこそおれは最初っから「世間並み」の規準を無視して、率直にものを言う人間としてここに立っているのである。

 ……そう。こういった「率直な」書込みを掲示板に載せるから、おれは神経を疑われるのだ。

 (Mr.Moto)


Re: 私、普通になりたいと思うのを止めます。 10217へのコメント
No.10220  Wed, 9 Jan 2002 15:54:39 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

I wrote:
> 人生に真面目に取りくんできたのであろう。そういうひとは世間のためにも不幸になっちゃいかんのである。正直者が馬鹿をみる世の中では、「正直」という美徳に対する信頼感がゆらいでしまう。
> まっとうに生きてきたひとは、幸せになって人生を楽しまなければいけない。それは義務である。個人のエゴではなくて、世間のためなのである。
> 重ねて言う。人生を楽しめない人間は周囲の人間を不幸にする。

syakuさん wrote:
> 幸せになって人生を楽しんでいいのは、まっとうに生きてきたひとでなければならないと読める。

 読むなよ(-_-;)。そういうのを「被害者非難心性」っちゅーんだから。

 「被害者非難心性」についての説明までいちいちしていられないので省略したのだけれど、世間の人々は「アプローチが正しい→結果がいい」「アプローチが正しくない→結果が悪い」という関係を信じたいのだ。だから、「結果が悪かった→アプローチが正しくない」と考えようとする、ということ。
 宝くじが当たったからといって普段の行いがよかったわけでもなければ、乗っていた飛行機が落ちたからって普段の行ないが悪かったわけでもない。

syakuさん wrote:
> まっとうなことができたためしのないひとは、とても心苦しい。あーつらい。私は周囲の人間を不幸にしてきた。

 そういう人を救うために宗教っちゅーのはありそうに思うのだが。

I wrote:
>  イエスは「天に宝を積みなさい」と諭した。この場合の「天」は、空想上の天国ではなく、「公共の資産」としての社会資産である。「情けは人の為ならず」。余剰資産は社会にストックし、社会資産を浪費しない、というのがイエスの基本思想である。

syakuさん wrote:
>  社会資産を浪費するばかりで何ら貢献した覚えのない私は、やはり自殺するべきなのだろうか。

 「社会資産」というのはなにも物質的・金銭的なものだけではない。たびたび引合いに出すのだが、日本で自動販売機がこれほど普及しているというのは、自販機荒らしが少ないからである。つまり、「治安のよさ」、あるいは「遵法精神」なんていうものも社会資産の一部なのだ。
 泥棒のいない社会ではセキュリティ・コストがかからない。そうすると、犯罪者の側も「泥棒のいない社会」という通念を壊してセキュリティが厳重にならないように、「現金をちょっとだけ抜く」みたいなセコい犯罪を行なうようになる。「泥棒にも三分の理」じゃないけど、たとえ犯罪者といえども持ちつ持たれつという部分はあるのだ。
 ところがこうした「泥棒のいない社会」という通念を守る気のない海外からの犯罪者がごっそり根こそぎ盗んで帰国する、みたいなことをやるようになった。これは単なる物質的な窃盗ではなく、「泥棒のいない社会」という通念という社会資産を浪費しているということなのである。鍵屋や警備会社だって、儲けていても気分が悪かろう。
 あるいは、どこぞの政治家のように社会的地位を利用して私腹を肥やしたりすれば、政治に対する信頼という社会資産が損なわれる。教師が生徒にセクハラをはたらけば、教育に対する信頼がゆらいで社会資産が損なわれる。そんなものをいちいち監視監督してなきゃならないというのは、監視するほうもされる方も不快なら、それにかかるコストだって並大抵ではないのである。

 「人を信じられる世の中」という通念もまた、社会資産なのである。そういったこの世の美徳を守るひとびとというのは、それだけで天に宝を積んでいるのである。

Lingkoさん wrote:
> 自分をいたわったりまでしたら贅沢で申し訳ないっていう気になってしまうの。

syakuさん wrote:
>  このLingkoさんの恥じらいの美しさこそ、この星の未来の唯一の希望。

 まあ、美しいには美しいのだが、「てめーは世間様に申し訳ないと思わねぇのか?」と言ってやりたくなるような奴がのさばってて、Lingkoさんのような謙虚なひとが人生を楽しめずにいるというのは、見ていて痛ましい。無理に楽しそうな顔をしろとは言わないが、人助けだと思って人生を楽しんでくれい、とお願いしたい。

 (Mr.Moto)


人の言う事をそのまま受け取る。
No.10219  Wed, 9 Jan 2002 14:40:52 +0900  まろんす [この発言にコメントする]

 昨日テレビで「人の言う事をそのまま受け取る人」の話しをしてました。
 といっても、ある女優さんが冗談が通じないという話しから始まったんですが
、でも、その話しを聞いて
「私もそういう所ある」と思いました。
 
 ちなみにジミー大西さんも人が言った事をそのまま信じて周りにからかわれていたらしいです。
前から思ってましたがジミー大西さんも自閉系なのかな?


Re: 社会不適応と犯罪 10215へのコメント
No.10218  Wed, 9 Jan 2002 14:28:06 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

硝子 wrote:
>
>アスペルガーの人の方が、非アスペルガーの人よりも、危険な対人関係から身を守るノウハウを多く知る必要がある(べきだ、という意味ではなく、ただ単に、「必要とする」という意味です)ように思います。そしてまた、Mariaさんとpennpenn58さんが違うように、アスペルガーの人たちもさまざまに違う状況にあるはずですから、「使える人には、有効」な情報として有意義でなのではありませんか?

そうですね。硝子さんのおっしゃるとおりだと思います。アスペルガーにもいろいろなタイプの方がいますから「使える人には有効」な情報だと思います。ご不快を感じられたのでしたら申し訳ありません。


私、普通になりたいと思うのを辞めます。 10180へのコメント
No.10217  Wed, 9 Jan 2002 13:39:00 +0900  syaku [この発言にコメントする]

Mr.Motさんwrote:
> 人生に真面目に取りくんできたのであろう。そういうひとは世間のためにも不幸になっちゃいかんのである。正直者が馬鹿をみる世の中では、「正直」という美徳に対する信頼感がゆらいでしまう。
> まっとうに生きてきたひとは、幸せになって人生を楽しまなければいけない。それは義務である。個人のエゴではなくて、世間のためなのである。
> 重ねて言う。人生を楽しめない人間は周囲の人間を不幸にする。

幸せになって人生を楽しんでいいのは、まっとうに生きてきたひとでなければならないと読める。まっとうなことができたためしのないひとは、とても心苦しい。あーつらい。私は周囲の人間を不幸にしてきた。
> イエスは「天に宝を積みなさい」と諭した。この場合の「天」は、空想上の天国ではなく、「公共の資産」としての社会資産である。「情けは人の為ならず」。余剰資産は社会にストックし、社会資産を浪費しない、というのがイエスの基本思想である。
 社会資産を浪費するばかりで何ら貢献した覚えのない私は、やはり自殺するべきなのだろうか。否、南無阿弥陀仏。
 ヒトは、快楽主義のために神を利用する。神頼みの心情の大きいほど、環境は汚染される。豊かさと充足ばかり求めて調和を損ない、未来を危うくする。

Lingkoさん wrote:
>自分をいたわったりまでしたら贅沢で申し訳ないっていう気になってしまうの。

 このLingkoさんの恥じらいの美しさこそ、この星の未来の唯一の希望。
 欲望かなうべき、止めるもの破壊すべしの世界観こそが発達障害だ。ヒトが神の正義を振りかざし続ける限り絶望は広がる。内なる仏性を捨てるなかれ。ためらいが、自己懐疑が、わかちあいを、いたわりあいを可能にする。殺戮を止める。


訂正です 10215へのコメント
No.10216  Wed, 9 Jan 2002 13:26:14 +0900  硝子 [この発言にコメントする]

I wrote
>有意義でなのではありませんか?
最初の「で」は不要でした。


Re: 社会不適応と犯罪 10214へのコメント
No.10215  Wed, 9 Jan 2002 13:24:35 +0900  硝子 [この発言にコメントする]

pennpenn58さん、初めまして。硝子と申します。mariaさんが書かれたことを、当のMariaさんではない私が、横合いからこのように書くのは、とても失礼なような気がして、不安ではあるのですが、
>Maria wrote
>>
>そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
>>
>中略
> これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。

 ここの、「そういう人」というのは、私は、「そうしかふるまえない」アスペルガー圏内の人、というよりは、非アスペルガーの人であって、単純に(または傲慢に?)、「それでいいと思っている」型の人<と思って読みました。
>>
>思うにMariaさんはきっと会話の達人なのでしょう。

 ここも、「危険な人から身を守るためのノウハウを多く、言語化されている方」という風に、私はとったのでした。

>はっきり言ってこのカキコをこの掲示板に載せるMariaさんの神経を私は疑います。

 アスペルガーの人の方が、非アスペルガーの人よりも、危険な対人関係から身を守るノウハウを多く知る必要がある(べきだ、という意味ではなく、ただ単に、「必要とする」という意味です)ように思います。そしてまた、Mariaさんとpennpenn58さんが違うように、アスペルガーの人たちもさまざまに違う状況にあるはずですから、「使える人には、有効」な情報として有意義でなのではありませんか?


Re: 社会不適応と犯罪 10195へのコメント
No.10214  Wed, 9 Jan 2002 12:45:21 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

Maria wrote
>
> そんなわけで、常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」を作り出してくれる相手というのは、いわゆる礼儀作法から外れていても無礼な印象を与えないというか、「ざっくばらん」な、あるいは逆に上品な印象を与えたりするわけです。
> で、そういうひとは一見無防備に見えます。そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
>
中略
 これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。
>
思うにMariaさんはきっと会話の達人なのでしょう。『常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」』を作り出すことがお上手なのだと思います。きっと「ざっくばらん」な印象を人に与えているのでしょう。または「上品」な印象を人に与えているのかもしれません。そのためにきっと厚ましく寄ってくる人に対して苦々しい思いをお持ちなのだと思います。Mariaさんの会話に関するこのカキコは一般の人向けにきっととても役に立つ情報だと思います。

けれどこのカキコを主に読んでいるのはアスペルガー症候群で人とのコミュニケーションがうまくとれずに悩んでいる人たちです。Mariaさんはこの掲示板で職場や学校でうまく人との距離をとれずに悩んでいる人のカキコを読んだことがないでしょうか。その障害は親や教師の責任かもしれません。本人の責任かもしれません。またあるいは脳の器質的な問題かもしれません。

Mariaさんがこのカキコを一般の普通の人たちに対するメッセージにするなら私は何も言いません。言えません。自分を顧みて反省するのみです。けれどこのカキコをこの掲示板に載せるのは私はある人にとっては残酷になる行為だと思います。

Mariaさんはこのカキコから判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とははっきり言わない方なのでしょう。それはきっと相手に対して失礼な言葉になるでしょうから。でももしMariaさんが一般の人ではなくアスペルガーとわかっている人とおつきあいすることがもしあればどうぞはっきりと「迷惑です」「嫌いです」とこたえてあげてほしいと思います。ご存じでしょうか?アスペルガー症候群の人間ははっきりものを言われないと相手の気持ちを察することが苦手な人が多いのです。Mariaさんの対応にアスペルガー症候群の人間は何だかわからないけど嫌われたときっと傷つくと思います。そしてアスペルガー症候群の人間の傷はなかなか癒すことが難しいのです。

はっきり言ってこのカキコをこの掲示板に載せるMariaさんの神経を私は疑います。


ありがとうございました。 10211へのコメント
No.10213  Wed, 9 Jan 2002 12:37:04 +0900  SILENT EYE [この発言にコメントする]

鯨夢ミグさん wrote:
>#SILENT EYEさん、今朝は早くから起こしてしまってゴメンナサイ。
 いいえ、こちらこそありがとうございました。(お電話がなければ、私、起きられなかったと思いますので…。感謝、感謝です。)


>誰であれ、体調と精神状態はリンクすると思うのだけれど、それが表に出る人と、出ない人はあると思う。
>ASとは係りないかもしれない。
>でも、自己制御系(セルフコントロール)で苦労しているのは、自分一人ではないと思う。
 同感です。(そこのところ、きちんと説明できないんですが…。)


Re: レス、ありがとうございます。 10194へのコメント
No.10212  Wed, 9 Jan 2002 12:02:04 +0900  鯨夢ミグ [この発言にコメントする]

こうもり wrote:

> 次回は2月10日頃に予定しているんですけど、開催地が関西なん
>です。これだとちょっと参加しにくいかも…

そうですね。^^;

> で、話を元に戻しますと、これからのオフ会はアスペの館について
>は独自開催にしようかと思っています。そんな訳でミグさんの側に希
>望があれば、その都合でオフ会を開催するという形にしてもいいと思
>っています。2月9日〜11日以外の土日なら大丈夫なので、都合を
>教えてください。

今のところは未定です。
近いうちに調べてご連絡しますね。

> お待ちしておりますぞ〜。
よろしくお願いします〜。


まわる
No.10211  Wed, 9 Jan 2002 11:55:07 +0900  鯨夢ミグ [この発言にコメントする]

今、頭の中で「倉木麻衣」の「Winter Bells」が流れている。

寂びの部分が流れてる。

他は良く分からない。

昨日、一昨日とTVで何回も流れたから、頭に残ったらしい。

今朝、家を出る前は「矢井田瞳」の「I'm here saying nothing」が流れていた。

#SILENT EYEさん、今朝は早くから起こしてしまってゴメンナサイ。

昨日とか、一昨日とかは「kiroro」の「長い間」なんかが流れていたが、その他に「ウルフルズ(CM)」の「明日がある」が流れていた。

で、明日がある、で、明日の明日がある、
で明後日がある、になって、
明後日の明日がある、で明々後日がある、になって、
明日あるのは希望があるが、日数が先に行くに連れて、だんだんと気分が重くなってきた。

まあ、そういうものかもしれない。

で、「明日がある」が「明日はないかもしれない」になる。
でも、それ以上詰めたら、メビウスの輪の如しのループ(脱線する先は切りがないのだ)に嵌ってしまいそうなので、この辺で見切りを付けて、ま、いっか、と思考を切る。

ただ、頭の中で音楽の同じフレーズが繰り返し流れる。
知っているところしか掛からないから、だんだんウザクなる。
そのうち消えるが、こういう日が時々、続く。

多分、生体リズムなんだろうけど、調子、というものがある。
男性の方は経験ないだろうが、女性の場合は27.2日ごとに月と連動する身体のリズムがある。

鬱傾向に入りやすかったり、情緒不安定になりやすいのはPMDS(プレメンス何とかの略のつもり。間違っているかも)の時期だったり、なぜか稀に気分の落ち着く時期(1日程度だが)あったりする。

誰であれ、体調と精神状態はリンクすると思うのだけれど、それが表に出る人と、出ない人はあると思う。
ASとは係りないかもしれない。
でも、自己制御系(セルフコントロール)で苦労しているのは、自分一人ではないと思う。

ちょっと疑問である。

男性の方はどうなんだろうか?

私以外の女性はどう捉えているだろうか?

頭の中ではまだ、「倉木麻衣」が歌っている。


Re:ステレオグラムは悪戦苦闘 10207へのコメント
No.10210  Wed, 9 Jan 2002 11:32:02 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ANKHさん wrote:
>  ステレオグラム〜!!見えるようになりたくてしようがないんだけど、未だ成功しません。それを周囲に言うと、みんな「だ〜か〜ら〜、簡単なんだって。見てみ?!ほら見えるじゃん!」なんて得意そうにやって見せてくれるのだが、だから〜、アナタが見えるのはわかったの!私が見えないの!

へりこさん wrote:
> 私もステレオグラムは見えたことがないです。赤ちゃんの頃は斜視だったそうですがほっといたらなおったそうです。
> 現在は乱視と強度の近視ですが、ステレオグラム観るのに乱視はどんなもんでしょう?メガネはずすと見えるようになるかな? ただ近視もあるんで用紙を目前10?ぐらいにしなくちゃ。(ステレオグラムの理屈が今一つ判っていないような…)

 「ステレオグラム(正しくはステレオグラフ)」と呼ばれているものには各種あるのですが、一枚の絵の中から立体像が浮かびあがってくるタイプのものを「オートステレオグラフ(autostereograph)」といいます。以下の説明はこれのことだと思ってください。

 ステレオグラフを見る方法には、視線が平行になる「平行法」(「↓↓」のようになる)と、視線が交差する「交差法」(「×」のようになる)の二種類があります(普通に見たときは「V」になります)。ですから、平行法で見たときは、普通に見たときよりも視線が開くので外斜視ぎみに、交差法で見たときは視線が寄り目になるので内斜視ぎみに見ていることになります。

 で、同じステレオグラフを見ても、平行法と交差法では凹凸が逆になり、平行法では遠くに大きく、交差法では近くに小さく見えます。

 多くの人は弱い潜在外斜視なので、ぼけぇ〜っとしていると無意識に平行法に近い状態になります。これに対して内斜視の人が平行法でステレオグラフを見るのはとても大変です。人間は「寄り目」をすることはできてもその逆はほとんど不可能だから。そんなわけで、内斜視の人は「交差法」をマスターするといいと思います。

 なお、右目でも左目でも新聞が読めれば、ほぼ間違いなくステレオグラフは見えます。

 航空写真から地図作成をする人や、変光星・新星や小惑星を探索する人には、立体視を得意とする人が多かったりします。それ以外の応用としては、印鑑の照合や、クイズによくある「まちがいさがし」かな? いずれにせよ、あんまり役に立つ技術ではありませんので、できなくてもがっかりする必要はないと思います。
 ただ、脳が行なっている空間認識を研究するためには、けっこう役に立つような気がします。

>  斜視のひとのタレントといえば、内斜視では優香とか松田龍平とか、外斜視だとテリー伊藤とか、窪塚洋介といった名前が浮かぶ。

 テリー伊藤さんは学生運動に参加していて怪我をしたためああなったそうです。ですから、若い頃の写真を見ると、見たところ斜視ではありません。視力が低下して潜在斜視が表に出ることもあるのですが、それではないようです。優香さんもドラマなんかでは目立たないのですが、ポスター撮りなんかだと目線がうまく取れなくて(カメラ目線ならいいんでしょうけど)斜視が出てしまいます。だから、潜在斜視ということになるのだと思います。『カーセンサー』のTV−CMでは特撮で目線が取りにくかったらしく、やっぱり斜視が出ていました。

へりこさん wrote:
> 話は変わりますが、こんないだ眼科で「近視の人はモノを良く見ていない傾向にあります。日頃からモノを良く見つめるように」と言われました。

 斜視もあんまりひどいと視線調節が大変で頭痛がするようになる、という話もあります。逆にいうと、ものを色とともにはっきり見る細胞(視力に関係する細胞)は視野の中心にあって、利き目でない側の目の、その部分を活用する脳の働きが鈍っているために左右の視力が歴然と違う、ということがあります。
 子供の頃にこれが発見されると、利き目のほうに眼帯をして、反対側の目の働きを鍛えるということをします。

 「目が疲れてくると、頭痛や複視がひどくなって、強烈な肩凝りや吐気がする」とかいう人は手術したほうがいいでしょうが、たいていの人はそんなにひどいことはないので、最近は手術をする人が減っているそうです。

 (Maria)


肝心なことを忘れていました。 10208へのコメント
No.10209  Wed, 9 Jan 2002 10:08:08 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 一所懸命=一つの事に対し、自らが思う成功に向かって成し遂げようとがんばる事。

 一生懸命=命をかけても、何かを成し遂げようとすること。ただし、「自分の人生を懸けて」なので、絶対に焦らずにやること(懸けてないかも(汗)。


 今の僕の一生懸命にすべき事は、「自分を知る事」です。

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