アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
吟遊詩人 wrote:
>見せている傷が傷だとは限らない
>人の傷が分からない人が傷付いていないとは限らない
>ここはアスペの星
つまり、心情的には、無差別殺人と一緒なのだと思う。
たぶんその人は、一人のアスペの人からいじめに遭ったことで、
全部のアスペの人を、憎んでいたのだと思う。
鯨夢ミグさん、名加野さん、Mariaさん、レスありがとうございました。
まだまだわたしは勉強が足りないですね。反省いたしました。
「一生懸命」でなくて「切実」を使えばよかったかな……。
鯨夢ミグさん、励ましをありがとうございました。
自分の力不足を感じながら、ぼちぼちと生きていきたいものだと思います。
けい(女性)さん wrote:
>私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを辞めます。
>人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
こんにちは。それが一番!ただ、私自身は「楽しい人生を送ること」、これ自体が見返すことだと思います。だから、Mr.Motoさんじゃないけど、「見返してやる」っていう発想はなくてもいいと思います。(私自身がそう思うようになったネタは、村上龍・著『69』より。)
また、過去ログになりますがNo.9361(障害は『克服するもの』なのか?? 2001.12.11 by武田さん)も、読んでみてはいかがでしょうか?(参考になるかもしれません。)
この場をお借りして。
本当は他の方にもレスしたいのですが、職場からのため、また後ほど。(アタマもカラダも「社会人モード」になんないわ〜、なかなか。…って、よく職場でこんなカキコするもんだ。 グルンサ)
タレイヌ wrote:
>ここからは、大人のお話。(さべつだ、さべつ!こどもさべつ?で〜〜す)
>夫様はpennpenn58さんのことを、心配しているのではなく、ご自分の心配を鏡に映すようにpennpenn58さんに、投げかけていらっしゃるのかもしれませんね、ご自分では全く気付かないで・・・・。
>夫婦という人間関係は、当事者同士には、きちんと見えないところ(見ない方がいい所?)があるのかもしれませんけれど(←ああ、自戒をこめて!)
タレイヌさん、私のことを気にかけて下さってどうもありがとうございます。何だか泣けてきました。涙もろい最近の私なのです。今日は学校の始業式。白君も学校に行って彼女にあっていることでしょう。
我が家もてんやわんやでやっと子供達を学校に送り出しました。もう精根尽き果てた感じです。誰もができることが私と私の子供達にはとても難しい。始業式の日にもっていく物をそろえること。できません。おまけに私は自分の国民年金の納入書をなくして2重にショック。生きているのがいやになってしまいました。
ただ当たり前に生活することが私にはとても難しい。必死でやっと耐えて生きています。あ、タレイヌさんが私のことを書いてくれている。あ、白君が私のことをちょっと話題にしている。と思いつつ、レスをすぐに返すことができなかったのはパソコンを使う時間が決められているから。ほっとくと何もしないでパソコンに向かいっぱなしになってしまう私は夫が不機嫌になるので夫がいるときはパソコンが使えない。
私には人の不機嫌がとてもこたえる。つらい。心を紙やすりでこすられるような気になってしまう。だから夫を不機嫌にしないために私は自分の心を犠牲にしている。私はほんとうは結婚などできる人間ではなかったのです。だのに結婚したのは、新婚旅行先で自殺しようと思ったから。
若い頃、ASの私は人に好意を持たれるのがとても苦手だった。中学でいじめにあってから私はひたすら普通になろうと努力してきた。で、なんとか普通らしく振る舞う術を身に付けはしたけれど人の好意に対してはどう反応したらいいのかわからなかったのでひたすら好意に気がつかないふりをした。直接、好きです、ずっとあなたのことを見ていましたなどと言われるとほんとうに恐怖を覚えてパニックになってしまった。
私にはいじめに2次障害として人格解離の症状もあり、一般的には多重人格と言われているものなのだけれどほんとうの私は男性恐怖症なのに他人格がでると平気で男の人を誘ってしまって朝になってほんとうの自分に戻ってパニックになるということもありました。で、生きているのがいやになって私は自殺しようとしたのです。でも死のうとしてうろうろ町をさまよっていたらナンパされてしまってついまた他人格がでてホテルで一晩過ごしてまた死にぞこなったわけです。
トホホな気分で自宅に帰ったら私をなんとか普通にしたい両親が見合い話を用意していてそれまでは見合いを断り続けていたのだけれどもう断る気力もなく結婚したのです。
といういきさつで結婚した私は夫に負い目があり、夫に逆らえないのです。ほんとうのことも言えないのです。高校生の白君、おばさんはセックス恐怖症です。でもこれも言えないの。悪いから。セックス恐怖症で結婚なんて詐欺同然だから。
夫は私を心配している。鬱病になって自殺未遂なんかしたから。で、私をなんとか普通にしたいと思っている。とんちんかんだから。でも、私はできれば、私をそっとしておいてほしいと思っている。心配していろいろ言われるのがつらい。耳をふさぎたくなる。でも義務と思って我慢しています。
白君、彼女は君の好意にとまどっていると思う。今は他の人と同じように彼女に接してほしい。そうすれば君のことは遠い未来、やさしい思い出になると思うよ。
momo wrote:
こんにちは。
同じような境遇ですね。私は逆に母に負けないような立派な職業婦人になりたかったんだけど…馬鹿ですからねぇ、夢破れました。妹がばりばりやってるだけに、私が母に認められる日はこないでしょう。
>30になって、ステキなダンナさんは私の病気と
>真っ向から闘ってくれるそうですが、
>はたしてどれほどかかるのか。
>頭のおかしいカミサン置いて。どっかいっちゃうんじゃないか。
>そんな昔からの不安で不安で、鬱病とかやってます。
鬱病は薬とかでかなり良くなるそうだから、先ずはそちらからですね。
ASのほうはご主人に慣れていただくのがよいかと。普通の奥さんとか普通の家庭生活とか望まれると困りますね。ただご病気だとわかってて結婚なさったのだから、ご主人も覚悟されていると思います。「病弱な妻を支える夫」。結構TVとかにも出てくるじゃないですか。ご主人との家庭を居場所にしましょうよ。「病弱な妻」になるんです。
私もASのくせに二児の母だったりします。もう専業主婦9年目かな。社会復帰は不可能だと感じています。社会情勢から逆行していることに不安や焦りを感じないといえばうそになるし、ダンナになにかあったら足手まといにしかならないであろう自分にも怒りを感じます。
たぶんmomoさんが感じているような不安をかかえたまま9年間やってきたと思います。
ま、こういう人生だってあるんだろうと…弱音を吐かぬようにはしてるんですけどね。(今結構元気だから…鬱なら、ったく誰か殺してくれよ、とか思ってますけどね)。
わかいみなさんがどんな風に現在に対して
憤っているのか判ります。
私もそういう時を過ごしてきました。
その後のことです。
自分で自分の食費を稼ごうと思った時、
小さい時からの夢と親から拘束され続けた価値観が
攻めぎあいながら、結局何も出来ず、
なにも、なにもしたくなず、
ただひたすら「専業主婦になりたかった」
それは自称フェミニストの母に対する反抗であったから。
30になって、ステキなダンナさんは私の病気と
真っ向から闘ってくれるそうですが、
はたしてどれほどかかるのか。
頭のおかしいカミサン置いて。どっかいっちゃうんじゃないか。
そんな昔からの不安で不安で、鬱病とかやってます。
どんなもんでしょうか。
名加野くん wrote:
> 「一生懸命(いっしょうけんめい)」ではなく、「一所懸命(いっしょけんめい)」で行くのはどうですか?
> 漢字的にもしっくり来ますし。
> 何で皆あまり使われないんでしょうか?
×一生懸命 ○一所懸命
与えられた一か所の領地に命を懸け、生活の頼みとすること。
×大盤振舞 ○椀飯振舞(「椀」の字は、土へんに「宛」とも)
江戸時代、一家の主人が親類・縁者を招いて酒食のもてなしをすること。
(Maria)
白さん wrote:
>なんだか、何が質問なのか、よくわからなくなってしまいました。
>
>それにこういうことを書くと、やっぱり女の子のことじゃないかと言われそうですね。
わたしは、AS傾向がすこしあるとはいえ,だいたい健常者なので、参考になる意見を言うことは出来ないと思い、レスを控えていましたが、自分なりにこう思うということだけ書いてみます。
彼女がASであるなら、自分がどこか普通の人と違うということを必ず心の中で気が付いていると思います。そして、全くそのままでいていいと思っているわけでもないと内心には(顔に表れなくても)少しは葛藤があるのではないでしょうか。
学生のうちは、親元にいてあまり問題が表面化しなくても(彼女が障害者であることからくる問題)、将来必ず彼女は自分自身の社会性としての壁にぶつかる時がやってくると思うのです。その時こそ、あなたの大きな愛を必要とする時かも知れません。高校生活という限定された枠の中では、恋愛の大きな進展を見るのは無理だと思います。特に彼女がASならなおさらといってよいでしょう。
彼女とは、何らかの方法で連絡を取れる状態にはしておくとよいでしょう。年賀状やメールなどできちんとつながりを持ち、さりげなくアピールしておかなくては。
趣味をチェックしておくのも大事なことです。
若さからくる一時的な情熱でないとあなたが真剣に思うなら、時を待たなくてはならないと思います。そして、彼女を一人の妻として養う甲斐性ありとして自分に自信を持った時、立派な男性として彼女の前に出て行きましょう。気の長い話かもしれないですが、そんな風に愛されたらいいなと思う私の理想を述べてみました。
愛についての説明
愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいらだちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。すべてのことに耐え、すべてのこと信じ、すべてのことを希望します。愛は決して絶えません。 コリント第一13章4〜8節
愛とは若さに伴いがちな情熱とは違うものです。そして希望の未来を信じて生活することが愛の証明でもあります。神の言葉通りの愛の信念によって、彼女の心の中にもあなたへの愛と信頼が生まれたとしたら、どんなに素晴らしいことだと思いませんか?そして、今、彼女を思うその清々しい心情のあり方を生涯忘れないでいて欲しいと思います。それは若者だけにある大変尊いものだと思うからです。
けいさん wrote:
> 私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを止めます。
> 人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
それはとても良いことなのだが、下らん連中に振り回されて生きるのは馬鹿馬鹿しいので、「見返してやる」なんつー発想は捨てたほうが楽だぞ。
相場の世界では「損切り」ができん奴は相場に手を出しちゃいかんということになっている。ただでさえ厭な目に遭ったのだから、この先その体験に振り回されてさらに厭な思いをすることもあるまい。それより、ばっさり「損切り」して自由に生きたほうがよかろうと思う。
Lingkoさん wrote:
> 就職はできたことがないけど、外出もあんまりままならないけど、家にいたままできる仕事を選んだおかげで就職はしないでも就労はできているから、ずるい。本当は自分でそんな自分をナイフでメッタ刺しにしてやらなきゃいけない。そう頭では思うのに、そんな気になれない。死にたいとはこれっぽっちも思えない。
けいさんにしろLingkoさんにしろ、たぶん人生に真面目に取りくんできたのであろう。そういうひとは世間のためにも不幸になっちゃいかんのである。正直者が馬鹿をみる世の中では、「正直」という美徳に対する信頼感がゆらいでしまう。だから、真っ正直に生きてきた人間が報われないと、「きっと本人に悪いところがあったのだ」みたいな「被害者非難心性」というのの餌食にされてますます不幸になる。あるいは、「それは前世の悪因縁です」とかいってアヤシゲな宗教がすり寄ってくる。
まっとうに生きてきたひとは、幸せになって人生を楽しまなければいけない。それは義務である。個人のエゴではなくて、世間のためなのである。そして、「人生は楽しい」という喜びを持たなければ、まっとうに生きてきたにもかかわらず、不幸せな人たちを救うことはできない。「罪悪感→贖罪としての奉仕」なんていう発想は、宗教革命以前の教会による免罪符発行とか、ライオンズクラブやロータリークラブの年寄り連中や日本財団に任せておけばよい。
マザー・テレサは「人生の楽しさ」を捨てて救済活動に身を投じたのではない。「人生を楽しむこと」の一部として救済活動があったのである。そこんとこを間違えてはいけない。
重ねて言う。人生を楽しめない人間は周囲の人間を不幸にする。
塩野七生さんによれば、「ストイック」の語源となったストア派は、セックスの快楽を否定するのではなく、むしろ賞賛していたのだそうだ。「ストイック」を「禁欲的」と訳すのは間違いで、今あるものを無駄なくおいしくいただくのは、むしろ賞賛されるべきことだったのである。相手に悦びを与え、自分もそれを楽しみ、子孫繁栄に貢献するのは、確かに良いことなのである。
わが大森総研では、ここ数年「いかにおいしくお粥を炊くか」「いかに日本茶をおいしく淹れるか」「大根をいかにおいしく煮るか」といった研究にけっこう余念がない。で、スタッフをはじめその家族にもかなり好評である。自分の人生をせいいっぱい生きることと、社会に対してせいいっぱい貢献することは、車の両輪なのだ。社会に対する貢献は、自己犠牲であってはならない。あくまで自己実現でなくてはならないのである。
イエスは「天に宝を積みなさい」と諭した。この場合の「天」は、空想上の天国ではなく、「公共の資産」としての社会資産である。「情けは人の為ならず」。余剰資産は社会にストックし、社会資産を浪費しない、というのがイエスの基本思想である。これは日本の「商道」「始末」といった思想に通じる。中産階級であったパリサイ派がイエスの支持母体であったこととも、これは関係している。「豊かであること」は悪ではない。「満ち足りていること」は悪ではない。豊かさと充足を知らない人間は、人を幸せにできないのである。イエスが「飲んだくれの大喰らい」のイメージを拒否しなかった理由は、ここにあるとおれは思っている。
皮肉屋のおれではあるが、愛子さまの誕生には喜びを感じている。サーヤさまこと紀宮さまにも幸せになっていただきたいと思う。いや、幸せになっていただかないと、国民が困るのである。もちろん「あるべき幸せ」なんていうものを押しつけられてお苦しみになられても困るので、「自分の幸せ」というものを見つけていただきたいと思う。で、できれば「こういう幸せもあるのだ」というのを国民に示していただきたい。
幸福は、快楽とイコールではない。人生における充実感、である。「私はやるべきことをやった」という充足感は、いかなる美酒にも勝る美味である。思えばイエスも、十字架上で「成った」とつぶやいて果てた。「苦き杯」は、「勝利の美酒」と変じたのである。
どうか幸せになってほしい。そうしたらおれも好き放題の批判ができる。おれも不幸な人間を叩くのは気分が悪いから(^_^;)。
(Mr.Moto)
白 wrote:
皆さんに向けても質問させてください。
>
>
白さんこんばんは
久しぶりに出没した銀八です。今年45歳のおっちゃんです。
過去ログも読んでみました。
なにか他人事とは思えず、ひとこと云っちゃいます。
>やっぱり女の子のこと
大事なことだと思いますよ。
今の白さんは私の高校時代と同じような状態なのかなあ。
切ない思いが文面から伝わってきて、自分の大昔の経験と重なって
しまいました。
今、彼女とほんの少しでも関われることをおもいっきり楽しんだら
良いとおもいます。少ししか関われないやるせなさも含めて。
けいさん(女性) wrote:
>私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを辞めます。
>人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
そのとおりです。自分はかわいい子リスちゃん、たぬきやきつねや熊やライオンの真似なんかしなくていいんだって思いませんか?
ウ〜ン、こんなたとえでいいだろうか。四苦八苦で考えたんだけど。
松の内も終わっちゃったわね。今年はさっぱり正月気分がない。
Maria wrote:
> アナログの時計とディジタルの時計は、「好み」というより、脳の中での認識のされかたが違います。アナログ時計を五分進めている人はけっこういますが、ディジタル時計を五分進めている人をあたしは知りません。
やったぁ、いちばんのりだ。
デジタル・アナログに関わらず手持ちの時計はほぼ全部 (*) 3〜15分すすめてあります。(室内の小さい時計はは5分、腕時計は3分。壁掛け一つだけ15分。)
(*) パソコンとビデオデッキの時計だけは外部同期によりぴったりになっている。
もともと自分の遅刻癖をなんとかしようと、部屋に時差を作るためにはじめたことですが、遅刻が数時間に及ぶようになった最近では完全に無意味になっています。
# アナログデジタルではなく、「時間」の認識のしかたが他人と違うのかもしれない。
けい(女性) wrote:
>私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを辞めます。
>人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
そう、それが一番です!
わが命 白梅に接ぐ 紅梅か
雪に打たれも 色あせず咲く
我が家のパソコンのOUT-LOOKは、父上のビジネス専用なので、電子メールは以後、
yoshifumitakeda@hotmai.com
のほうへ送るように!
『かながわ発達クリニック』は知らないが、『よこはま発達クリニック』のURLは下記のとおりである。
http://www.ypdc.net/
けい(女性) wrote:
>もし、良かったら、アスペルガーの館にチャットのコーナー
>を作って頂けませんか?私は他のアスペルガーの方達
>とお話が出来たらと思っています。無理なお願いですみま
>せん。
次のところのチャットではどうでしょう?
http://www.netlaputa.ne.jp/~oyama/chat/
みどりさん、グルンサさん、武田さん、私の書き込みに
返信有難うございます。
管理人さんへ
もし、良かったら、アスペルガーの館にチャットのコーナー
を作って頂けませんか?私は他のアスペルガーの方達
とお話が出来たらと思っています。無理なお願いですみま
せん。
皆さんへ
私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを辞めます。
人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
SYAKUさん・PENNPENさん
年賀メールありがとうございました!
グルンサ wrote:
> わたしも、未だにさまよっているような感じです。(既に30代なんだし、いいか>げんに答えを出したい!とは思うんですけどね。でも反面、答えが出たらtruthさ>んもわたしも、それに向けて一気に[と行くかどうかはわからないにしても]動き>出せるのではないか、とも思うのですが…。いかがなものでしょう?)
私は、マゾ・・・というか、苦手な事と出来ない事に向かってしまう癖があるようで・・・「出来ない事」に向かってしまう所があります。会議などは、今でも全然分からないのに、出ては、「何とか・・・」と考えてしまうし、自分と合わない方向に向かってしまう負けず嫌いな所があるのかも・・・です。でも、本当の方向はそういう方向じゃない所にあるのかもしれず、「出来ないは出来ない」「これなら出来るかも」って方向に考えないとダメかもしれないです。ドンキホーテみたいです。何だか・・・出来ない事に向かって・・・一心に立ち向かっている感じです。ちょっとバカみたいです。
一つの方向性と、「自分にはこれなら」というものが見付かって確信が持てれば、どんどんそれに進んでいけるような気もします。
> わたしもいろいろ手出しはしたのですが、この点truthさんとは逆に、終了まで>行きついたのは2つだけ。(うち1つが大学卒業[通信課程]だったわけです。)>あとは、ものによりけりでした。「学んだことを活かして仕事をしたい」という思>いは学生のころから変わっていないのですが、何をすればいいのかがわからない。>(それだけに、理想と現実の乖離ぶりには泣けます。ホントに。まあ、メゲてばか>りいてもしょうがないのは充分わかってはいるんですけど…ね。)
資格の勉強は大好きで、楽しかったのですが、それが現実に仕事と結びつくとなると・・・全然で・・・マニア系?になってしまいました。それで、最近では、「趣味的に資格の勉強をしたりするのはやめよう・・・」と思いました。今、一つだけ通信でやっているものがあるのですが、それを終えたらしばらくは・・・やみくもに資格やら・・・の勉強はやめようと思います。
ほんとに何をすればいいのか分からないのですよ・・・。それで今一番したい事は・・・というと・・・「何もしない」事かもしれないです。夢みたいな事なのですが・・・日常やら、雑多な事・・・沢山の情報に振り回されて、頭の中が雑多な事で一杯になってしまっている気がするので、一度全部無くしたいんです。何も考えない・・・何もしない・・・そんな事をしていたら、もしかしたら、その中で、「これがしたい」ってものが見えてくる気もします。無人島とかに行きたい・・・と言うと突飛なんですが・・・。一度頭の中を整理して・・・。雑多なもののなかで見失っている自分のしたい事・・・欲求みたいなのを見直したいです。何だか今は「フラフラ〜〜」としているような気がします。
> いらぬお節介だとは思いますが、せめて寝るのは上段にした方がいいのでは…?>(確かドラえもんも、上に寝ていたと思いますよ。…記憶違いでなければ。)
ははは・・・上の段には、洋服があり、上の段じゃないと、ハンガーを掛けられないので、下の段でしか寝られないのでした。初めは圧迫感を感じていたのですが、暖かくて結構慣れてきました。でも、起きた時に頭をぶつけないように気を付けないと・・・。出入りは、ズルズル・・・身体をずらしてはいります。光があると寝られない人なので、真っ暗なのが良いみたいです。夏は・・・地獄かもしれないですね・・・。上の段に寝た事が昔ありますが、一度落っこちておおあざを作りました。フェンスとかないとあぶないかもしれないですね。ドラエモンみたいに、ふすまを閉めていなかったのでした。
> また今年もよろしくお願いします。できれば、1度お会いしていろいろお話ししてみたいですね。
こちらこそ・・・よろしくお願いします♪
こうもり wrote:
> はじめまして、truthさん。
はじめまして、こうもりさん・・・。遅いレスですみません。
> いえいえ、すごく関係があるんです。自殺した漫画家山田花子(ASだった
>と言われる)の調査を行なった石川元氏(精神科医)によると、裏問題児(A
>Sや非言語性LD)の特徴として「いいかげんに考えられない脳」を持ってい
>ることが挙げられています。山田花子の場合は、「差別の禁止」とか「自主性
>の尊重」という言葉にひどいごまかしを感じていたそうです。
> わたしの場合は、多くの人が発する一般論にひどい反発を感じていました。
>例えば、「そんなの常識だろ!」「社会は甘くないぞ。」などと説教されると
>、相手が伝えようとしている主旨よりも、その言い方に反発を覚えてしまうこ
>とが多かったです。「社会とか世間とか常識とか実態のないものを利用して、
>脅迫をかけている」「多数派の援護射撃を受けて、安全な場所から発言してい
>る。卑怯だ」という具合に。
いいかげんに考えられない脳というのは、よく分かる気がします。山田花子さんのその本も、後、彼女の漫画と、「自殺直前日記」も読んだのですが、共感出来る所が沢山ありました。彼女は本来は、自然が好きで、動物が好きで・・・童話の好きな感性豊かな・・・心豊かな人だったと思うのですが・・・多分・・・人間に対しただけは・・・よく分からず、普通の人がやり過ごしてしまう人間の欺瞞とか、差別とか・・・そういうものを鋭敏に捉えて、それに固執してしまったのでしょう。そして、多分・・・常識と言われている多数者の意見・・・社会の意見を重視して、自分もその中で常識的にならなきゃって思った部分が・・・彼女の場合あったような気がします。うまく言えないのですが、反発を感じつつ、なんとか常識に合わせようとした結果・・・疲弊してしまったという気がします。私も、常識に合わせようとして・・・こうもりさんが、反発ほ覚えた所で、「そうなの?それが常識なの?そっちが正しいの?」と思ってしまった所があるような気がします。そんな人は沢山いると思うのですが、中島さんは、堂々と・・・「常識の欺瞞」をあばき、「私はそうは思わない」と言ったので、凄いと思います。励まされます。
> ちなみに、後に哲学を独学しはじめた時、哲学社ニーチェが非常によく似た
>発言をしているのを発見し、感激したことがあります。
>
> 「道徳的理想の勝利は、あらゆる勝利と同じ『不道徳な』手段によって得ら
>れる。すなわち、暴力,嘘,誹謗中傷,不公正によって」
>
> 「人が道徳に服従するのは、道徳的であるからではない。道徳への服従は君
>主への服従と同じく、奴隷根性からでも、虚栄心からでも、利己心からでも、
>断念からでも,狂信からでもありうる」
> 「いいかげんにできない脳」というのは、どこか哲学に通じるところがある
>のでしょう。
何が道徳的かって考えると本当に分からないです。「皆が信じるからそうなんだ」って多数派の人は信じていたり、逸脱しないために、そう信じていると自分で思いこんでいるだめなのかもしれないし・・・。又、「道徳的」でありながら、「欺瞞的」でもあれる・・・矛盾した二つのものを悩まず持つ事が出来るというのが、「いいかげんな脳」だから出来る事なのかもしれません。
常識というのも、時代によって変わってしまうし、何が絶対かなんて全然分からないのに・・・と思うときがあります・・・。
TRUTH
Lingoさん、まだ御覧になっていますか。もう遅いかもしれませんね。
だから、皆さんに向けても質問させてください。
>Lingkoさん wrote:
>そのときに、その人が、言ってくれます。
>言ってもらえる面(ステージ)に進むまではわかりません。
>水を頼まれるってのは、何度も何度もよぶんな声をかけないでいてくれたという実>績の積み重ねです。声をかけたいところをガマンするっていうことを理解しよう>とし始めの段階で聞くのはちょっと急ぎすぎ。
全部わかりました。
ただ、もう一つどうしても聞いてみたいことがあるんです。
それは、ちょっとうまく言えないんですが、気にしてるんだけど、敢えて余分な声をかけていないんだということは、どうやって伝わるんでしょうか。
本当に相手に関心がないから放っているのか、敢えて放っているのかの違いを、ちゃんと分かってくれるのかなと言う不安が、こういうアドバイスを受け容れる度に、僕の心に沸き起こってくるんですよ。
僕も本当に色々なことを考えました。
前の僕の書き込みをお読みじゃない方もあるんで、もうあまり話したくはないんですが、少しだけ状況を説明させてもらうと、とりあえず、今、僕がすごく大切に思っているそのアスペ的な人は、僕にとっては異性なんです。
だから、親とか、同性の友達のように、もともと近くにいられる存在じゃないんで、とにかく余計なことを言わないで、黙ってそばにいるというようなことは出来ません。
積極的に近づく以外に、関わる方法はありません。
かろうじて、僕が何故か柄にもなく、クラスの委員長をやっていると言う関係から、本当に事務的な話をする機会がたまにあると言う程度です。
もう何度も何度も考えて、結論が出なくて狂いそうになることなんですが、そもそも、自分が気にかけていることを知ってほしいと思うこと自体、持ってはいけない要求なのでしょうか。
アスペの人を愛するなら、全くの無償の愛、それこそ、唐突な比喩ですが、イエス・キリストに匹敵するような愛を持ってでなければ、許されないのでしょうか。
このごろようやく分かってきたんですが、彼女は僕のことを、別に嫌いではないんですね。
嫌いだと言うのも、一つの関わりです。
だから、僕は、彼女にとっては、嫌いにさえなってもらえない、道端の看板とか、商店街のカーネル・サンダースの人形とか、そういうものと等しい、意味のない存在なのだと思います。
いや、看板なら、気をつけばければ危険な目にあうだろうし、カーネル・サンダースなら、彼女は多分好きそうなものだから、それ以下というのが正しいんでしょう。
前に、彼女の友達と話したことがあるんですが、その時、「彼女は別に、白くんのこと、嫌いなわけじゃないと思うわ。多分、何も考えてないのよ」と言われました。
それは、かなり前から、漠然と僕が感じてきたことと同じでした。
それでも、彼女を見守れるか、ということに尽きると思うんですね。
でも、僕はキリストではありません。人間なんです。
愛されなくても仕方がないけれど、黙殺されるのは辛すぎる。
Lingoさんの説明で、彼女が僕の思いなんかにかまっていられないくらい余裕がない状態だと言うことは、よくわかりました。
なんだか、何が質問なのか、よくわからなくなってしまいました。
それにこういうことを書くと、やっぱり女の子のことじゃないかと言われそうですね。
なんだかうまくいえません。
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