アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
pp.(ピアニシモ)さん wrote:
> 私は、いじめる人間が、存在する事が、許せない。また、そういう人間が、発達障害に於けるネットで相当な発言力を持っているのが許せない。そういう人間が、掲示板やHPで、もっともらしい偽善を世の中にまき散らすのが許せない。
済まぬ。悪かった。赦してくれい。
「いじめ」というのは基本的に「自分なりの正しさの押しつけ」である。ただし、意識のレベルと無意識のレベルでの「正しさ」っちゅーものの乖離があると、これは加害者側にとっての「いじめ」であり、加害者が押しつけてくる「正しさ」っちゅーものと被害者が信じている「正しさ」ちゅーものが乖離してると、これが被害者にとっての「いじめ」だったりするのである。
おれやMariaは自分の主張する「正しさ」ちゅーものに自信が持てない。そもそも「正義」なんちゅーものがおおむねうさん臭いものである以上、何かを「正しいこと」として主張するとかいうのはもともとうさん臭い行為なのである。Mariaは自分のことを「取るに足りないキャラ」と主張しておるし(過去ログ参照のこと)、おれも好き放題を吼えている無責任なキャラとして存在しておるつもりなのだが、それなりに「権威」として君臨しとるように思われとるようなのだ。
そんなわけで、我々の発言は人を傷つけざるを得ない。とはいえ、それが「なるべく傷つけんようにしよう」という方面に向かわずに、「どーせ傷つけるんだったら思いっきりやったれ」みたいな方面に向かっちゃうのが我々の悪いトコなのである。
おれとしては(およびMariaとしては)、自分らは「荒らし」となんら区別のない存在だと思っている。で、なまじ「七八割がた確信犯」であるだけに、そこいらの自己欺瞞的な「荒らし」(つまりは意識と無意識の乖離のある連中)よりよっぽど始末が悪いとも思っている。
わしらが「荒らし」めいた行為に過敏に反応するのは、多分に近親憎悪なのである。わしらは自分の自己欺瞞が嫌いなのだ。自己欺瞞をしないとかいうのではなく、自己欺瞞によって現実から逃げている自分らが嫌いなのだ。で、そういう自分が見えてしまう自分が嫌いなのだ。
わしらはそういう穢い人間だから、自分のサディズム(その根源には、「世間に対する恨み」みたいなものがある)をあたかも社会正義みたいものでむりやり合理化して人をいじめる連中の穢さがよく見える。で、そういう連中に自分と同じものを見てしまうので、ついつい叩いてしまうのである。はっきり言って、これは「いじめ」でしかない。おれは警官なのだから犯罪者はぶっ殺していいのだ、みたいな心理と変わりゃあせんのである。
おれには「もっともらしい理屈」で武装し、人をいじめることでしか自分を主張することができない奴の気持がよくわかる。だからといってそいつらを赦す気にはまったくなれない。なぜかといえば、それはおれにとって「自分にとってもっとも嫌いな自分」だからだ。
連中は、おそらく我々にとって「影」なのだ。まかり間違えばというか、ほんのちょっとの差でそういうふうにならずに済んだ我々なのだ。
人間はライオンが人間を喰ったところで「そんなもんだろう」と思うが、人間が人間を喰ったら「なんてこったい」と思う。つまりは、「自分が相手と同じことをしてしまう可能性」に恐怖し、相手が自分と同じ「人間」であることに恐怖するのである。
できうれば、そういう浅ましい人間にならずに済んだことを感謝する気分になってくれればうれしい。赦せ、というのではない。単にそのほうが精神衛生上よろしかろうという配慮からだ。下衆の始末はおれみたいな人間がすればいい。
そんなわけで、おれは多くの人を傷つけてきた。ことしはなんぼかマシな人間であろうと、一応は思っている。あくまで「一応は」だが。
(Mr.Moto)
オレンジブルー さんwrote:
>あ、でもワカンナイ。
>離れ向こう岸で一人で黙々やっているとちょっと怪しいかも(笑)
わたしは、結果的に一人で黙々とやることにきっとなると思います。
やっぱりかなりアブナイ性質なのでしょうか?電波系キティちゃんではないつもりなのですが、本人としては。
truthさん wrote:
>自分探しの旅・・・私はそれがテーマでした。何だか・・・人生の三十路も過ぎたというのに・・・まだ彷徨っている感じです。人生のスタートが自分を知り、自分の出来ることを知り、行動に移す事だとすれば・・・私はまだスタートラインにいるような・・・気がします。
わたしも、未だにさまよっているような感じです。(既に30代なんだし、いいかげんに答えを出したい!とは思うんですけどね。でも反面、答えが出たらtruthさんもわたしも、それに向けて一気に[と行くかどうかはわからないにしても]動き出せるのではないか、とも思うのですが…。いかがなものでしょう?)
>私も大学(通信教育の・・・)をしたり・・・何だか色々手を出しました。出しすぎて、資格が沢山貯まりました・・・。履歴書に書ききれない・・・です。資格も経歴も・・・。でも、果たして・・・何を得たのだろう。黙々と勉強するのが得意だったりするので、勉強は出来るけど、仕事に結びつかないのでした・・・。経歴と資格だけ見ると凄いんですけど・・・。
わたしもいろいろ手出しはしたのですが、この点truthさんとは逆に、終了まで行きついたのは2つだけ。(うち1つが大学卒業[通信課程]だったわけです。)あとは、ものによりけりでした。「学んだことを活かして仕事をしたい」という思いは学生のころから変わっていないのですが、何をすればいいのかがわからない。(それだけに、理想と現実の乖離ぶりには泣けます。ホントに。まあ、メゲてばかりいてもしょうがないのは充分わかってはいるんですけど…ね。)
>今までは、本に押しつぶされて死ぬかと思いましたが、今度は、押入のものが落ちてきて・・・(下の段なのです。)死ぬとか・・・寝ていて考えます。地震が起こったら、埋まってしまうかも・・・。
いらぬお節介だとは思いますが、せめて寝るのは上段にした方がいいのでは…?(確かドラえもんも、上に寝ていたと思いますよ。…記憶違いでなければ。)
>「サンタフクロウス」とは・・・先日行った「寺門孝之」さんという画家の方の個展で・・・(天使の絵を描いている人なのですが。女の人がとってもきれいな絵です。)変な顔したサンタさんが描かれていて、「変な顔・・・」と思っていたら、題名に「サンタフクロウス」と書いてあったのでした。梟人間のサンタさんだったんです。結構・・・そういう言葉遊びが好きなのですが、「これは・・・いい・・」と感激してしまったのです。
「サンタフクロウス」が寺門さんの作品とは、初めて知りました。(わたしも、雑誌か何かで数点だけ作品を見たことがあります。ご回答ありがとうございました。)
また今年もよろしくお願いします。できれば、1度お会いしていろいろお話ししてみたいですね。
お正月にはりきって?たくさんカキコしたので、しばらくお仕事に没頭します。
そういうわけで、カキコ休み(有給ならいいのに)いたします。
…というのは建前で、
いつぞやのぺんぎんさんとこでの騒ぎの前頃、
ここでもなんかいろいろあったなあ。
あの時はなんかわからんけど疲れたなあ〜。
読んでるだけで、なんや、もやもやしたものが溜まっていったよ。
あ〜、なんか気持ち悪い…
ぐお〜、このもやもやを吐きだしたい!!!
が、本音のようです。
ここでのお仲間さん達に被害が及ぶ前に逃げますぅ。「イジメ」をしてしまうといけないので。
では、諸君、サラバじゃ〜。ふはははははは。
るう
Milkywayさん wrote:
>JR京浜東北線の車内アナウンス。
>
>次はー、かんない
>次、わーかんない
↑わはははは!こういう感覚をお持ちの方、好きだわ〜。
ユーモア精神(と言うのかな?)って、持っていたいものですね。
(それとも、失礼ですが単なるダジャレかな、これ?
いずれにしても、読んでる方は楽しい♪)
それにしても、加速度を増してるような気もするこの掲示板。
松の内の間に10,100件に行き着きそう…。
pp. wrote:
>「いじめ」というのは、いつの時代でも、
>「誤解だ」の一言によって、真相が闇に葬り去られてしまうものらしい。
それはいつも良くある話しです。
Maria wrote:
> 明けない夜、満ちることのない月、長くなることのない昼の不安から解放される日が、「元日」なんです。夜はまた明ける。月はまた満ちる。昼はまた長くなって、暑い夏が来る。そうした安心感が、「おめでとう」なんです。
グルンサさん wrote:
> この一節を読んで。「わたしは何?(「誰?」ではありませんよ、念のため)」の問いに答えを出して、心の底から「明けない夜や闇はない」と言えるようになりたい…と思いました。いろいろあれど、まだ人生をあきらめたくない!今までの、いろいろな人たちのカキコを思い返し、しみじみそんなふうに思いました。
じつのところ、Mariaはああ言うておるけれども、人類っつーのは「今年はいよいよダメかもしんない」という不安と戦いつづけておるわけで、めでたかろーがめでたくなかろーがムリヤリにでもめでたくしてしまおう、という鞏固なる意志をもって「めでたい」と言い続けているのである。だから、「めでたいですか? 本当にめでたいですか?」とか訊き返すと、「めでたいっ! 何が何でも、断固として、めでたいっ!」みたいなことになってしまうのである。
アステカ文明では、太陽の勢いが衰えることを怖れて生贄を捧げつづけた。古代ローマでも、うやむやのうちに新年を迎えるためにどんちゃん騒ぎをし、「愚者の王」と呼ばれた生贄を歓待したうえで磔にして天に返した。「イエス・キリストの処刑と昇天」はこれを元にしているとも云われておる(詳しくはフレイザーの『金枝篇』あたりを参照のこと)。だいたい「節目」っつーのは二〇〇〇年問題じゃないけどおおむねヤバいのである。古来、「境界」つーのはおおむねろくでもないものが出ることに決まっているのである。それが証拠に狐狸妖怪幽霊のたぐいはトンネルだの踏切だの橋だの交差点だのといった境界に、おおむね日付の変わる真夜中に出るのである。現代社会においても都市伝説だの怪談だのが生き残っているように、人間は「境界」を怖れる心理からいまだ解放されていないのである。
だから言っておく。薮をつついて蛇を出す愚を犯してはならない。「めでたくないんじゃないか」と思っても、気合を込めて、「めでたいっ!」と断言すべし。でないと、不安をかきたてる「不吉」な存在として、社会から排除されてしまうのである。
ただし、鬱の人間は無理をして「おめでとうございます」につきあう必要はない。パワーを失って鬱を悪化させるだけである。「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」とか呟いて、世間の喧噪を避けて「何がめでてぇんだバカヤロウ」とかいってやさぐれていたほうがむしろ心身の健康には適ったりするのである(ただし静養と栄養と清潔は心がけたほうがいい。酒・煙草・刺激物・暴飲暴食も、なるべくならストレス解消の範囲を超えない程度(あるいは精神の崩壊を食い止めるのに必要な程度)には控えること。ついでながら、緊急非難的に向精神薬に頼るのも有効ではあるから、本格的にやばいと思ったら、あらかじめ懇意にしている医師と相談して頓服として処方しておいてもらうといい)。
夜明けは時が来れば確実に来るのが分っている。だから、まだしも待つことができる。おれはときどき自分が氷河期を前にした恐竜であるかのような気分を感じたりもする。あるいは吹雪がおさまるのを待って雪洞でビバークしている冬山登山者のような気分にもなる。
しかし、我々は恐竜のように愚かでもなければ登山者のように孤独でもない。いや、登山者ではあるかも知れないけれど、少なくとも「無線機」に相当するインターネットという通信手段を持っているのである。その意味で、我々は孤独ではない。もちろん「真の意味で解りあえない孤独」というものを抱えてはいるのだが、それでもこうして繋がっているのである。
今すぐ立ち上がれとは言わない。体力を貯え、気力をふるい起こし、前に進むだけの力が湧いてからでいい。あえて言おうではないか。「あけましておめでとう」。
支えあう力は弱いかもしれない。けれど、微力ながらお互い支えあおうではないか。その決意を込めて言おう。「ことしもよろしく」。
……似合わない。そう思う。厭世家で皮肉屋の私としては。
(Mr.Moto)
あけましておめでとうございます♪
今年もなんとか生き抜いていきたいと思います。
みなさんにとってもよい年でありますように!
>pennpenn58 さん
さいきん思うのは、自分をいじめた人間、自分を軽蔑した人間に対しての
いちばんの復讐は、
「自分が幸せになること」だということです。
大人になって有名になったり成功した人の中には
小さい頃いじめられていた、という人がすごく多い。
それは、自分の不幸を不当なものとして、運命に挑戦する気構えが
生まれていくからだと思う。
だから、「運命」に復讐したいのなら、まず自分が幸福になること。
幸福になるために、生き抜いて、闘わなければならない。
そうして「幸福」を手に入れたとき、
はじめて、今まで自分を迫害した人間を哀れみ、許すことができるのでしょう。
今年の一年を、めでたい、しあわせなものにしていきましょ♪
pp. wrote:
>
>実際に、他のアスペの方と出会うまでは、「同病、相哀れむ」だと思っていただけに、現実に、あるアスペの方から喧嘩を売られてからは、実際、死ぬほど落ち込んだ。
>中略
>二度とそのようなイジメが生じないためにも、その掲示板は永久にこのまま封鎖していて欲しいです。 (ピアニシモ)
ピアニシモさん、まだ落ち込んでいますか。まだつらいですか。私はこの掲示板でずいぶん救われたところがあるので掲示板で傷つくこともあるのだと初めて知りました。でも掲示板で心をさらすって考えてみるととってもこわいこと。心をオープンにした状態で攻撃されたら私も死ぬほど落ち込みます。落ち込んでいます。この掲示板は優しい人が多いのですが。
ピアニシモさんの心がどうしたら癒されるのかわからないけれど人を許さないとは自分が傷つくこと。自分の魂を傷つけること。とても苦しいことです。人生はなぜ苦しいことが多いのでしょうか。よろこびは少なく、苦しみのみが多い。
私達の障害はわかりづらく理解してもらえない。自分自身でさえいったいどうしたら自分の心が楽になるのかわからない。どうしたら苦しみから逃れることができるのかわからない。
神に祈ってさえ苦しみから逃れることはできなかった。傷ついた魂は一生、癒されないのかもしれないですね。人間の一生がいつかは終わることのみを信じるしかないのかもしれません。
pp. wrote:
>去年の春頃、そこの管理人ご自身による、ひどいイジメがありました。
>(今は一連のカキコは削除されていますが。)
その管理人によるイジメというのは誤解です。特定の個人やそのまわりの人を非難する書き込みがつづき、ペンギンさんは疲れてしまってその掲示板を終わりにしてしまいました。
>
>関係ないけど、どうして上記のサイトは penguin ではなく“pengin”なのだろう。
>
>“pengin”だと“ペンジン”になってしまうと思います。
いいえ、日本語のローマ字表記では、ペンギンは pengin で正しいのです。
ある言語から別の言語に外来語として入るとき、その言語にあわせてつづりが変わるというのは普通のことです。たとえば、英語の football(フットボール)がスペイン語に入って、futbol (フトボールと読む)となるなど。
ふれさん wrote:
>ところで、二年参りとは、何のことですか?差し支えなかったら教えてください。
すみませーん、信仰心なくて……。
なんか、書くのも申し訳ない気がしますが、年末と年始に近くの神社へお参りに行くことを「二年参り」と呼んでいました。「ゆく年くる年」(テレビ番組)が始まる頃に家を出ててくてく歩いていくと、ちょうど年末に一回お参りができました。じきに年が変わって、もう一度お参りしたら家路につきます。わたしの場合はそれが二年参りでした。
正しい二年参りがどんなものかは、実は知りません。(知っている方いらしたら教えてくださいな〜)
話変わりますが、海でぐるぐるはわたしもやりますよー♪ 浮き輪にだら〜んと身をまかせてぐるぐる回っていると気持ちいいですもの。浮き輪なしでただ浮いているのも好きです。上を向いて身体の力を抜いて「水死体。うふふふふ」とかって独り言いいながら、ゆらゆらと波にゆれる……カ・イ・カ・ン!(変!ですか、やっぱ?)
遊園地のコーヒーカップも身をのけぞらせて大笑いするほど好きだし、回転ドアもぐるぐる何回もまわるの好きだなぁ。らせん階段は気持ち悪くなってしまうので、歩くのは苦手です。上から見下ろすのは好きかも。
万華鏡は手作りキットをいくつか買ってみたり(娘も好きなので)自作してみたりしました。いいものになると値段もハンパではないので、ネットで見つけたサイトの写真を見て我慢していますが。きれいな模様といったら、フラクタルとカオスの館の画像なども好きです。
わ、なんか余計なことばかり書いてしまいました。すみません。
Shinyuさん wrote:
>掲示板を作ったとき1万なんて当分先のことと思ってたので、1万超えてもちゃんと掲示板プログラムが動くかどうか確認してなかったのだけれど、スレッド表示が1桁分ずれてるくらいでなんとか動いていて、よかった。
カキコするとき、実はほんのちょっとだけ、コワかったのだけど、
送信したときも、いつも通り、しごーく普通に受理されました。
それにしても、これだけ人気で、ほんとうに良かったですね。
Milkyway wrote:
>館の管理人様
>10000回 おめでとうございます!
Milkywayさん、10000番ゲットおめでとう!
掲示板を作ったとき1万なんて当分先のことと思ってたので、1万超えてもちゃんと掲示板プログラムが動くかどうか確認してなかったのだけれど、スレッド表示が1桁分ずれてるくらいでなんとか動いていて、よかった。
ふれさん wrote:
>でも、これは子供だったから許されたに違いない。今の私がこれをやったら、はた
>迷惑な気のおかしな人としか思われないだろうな。
私は20代半ばのオバハンですが。
毎年地元の海で(砂浜であろうが深い岩場であろうが)そういうこと、
やっています。
しかも非自閉友も一緒にやりますね>(笑)
そんなに「キノフレタ」人とか言う風には見えないと思うよ。
あ、でもワカンナイ。
離れ向こう岸で一人で黙々やっているとちょっと怪しいかも(笑)
ぐるぐる回りながら、
一緒にいる付き添い人に付いて行くのは
別にオカシク見えないだろうって気がします。
>でも、本当は今でもやりたいと思っています。
えー。やろうさあーやろうさあー*
>夏になったら、人のいない海を探して、こっそりやるしかないかな。
それは返って怪しいって思うの(笑)
Milkywayさん wrote:
>
>気が「ふれ」た、と思われるかも…。(口が悪くてスミマセン…)
ウッシャッシャ。にや〜り。座布団、1枚ね。
オレンジブルーさん wrote:
>そして今日、実践障害児教育1月号を買って読んで思った。
>今何もしないプーな私や一般社会で同じ扱い受けて働いている人などの対処
>って置き去りのまんまですよ。
>ほくそえましい会談読むと愕然唖然としてしまいます。
私もその雑誌読みました。
「会談」ができるという事自体、障害が軽いという事。
自閉症の人達を集めて会談をさせる、という感覚が私には理解不能です。
(この専門家、本当に自閉症の事をわかっているんでしょうか?)
みる wrote:
>
>ノバラ改めアメリさん。都合があえばばぜひオフ会でお会いしましょう。
>お待ちしてます。
>
>アメリっておもしろいらしいですね。
>みてみようかなー。
レスありがとうございます!
昨日から風邪をこじらせ、頭がグルングルンしてます。
新年早々のオフ会だし前々からオフ会に参加したいと思ってましたのでがっかりしています。でも行けそうだったら行きますのでその時はよろしくお願いします!
まろんすさん wrote:
>横浜でオフがあるとは・・知らなかった・・。
>関内でしょ?
>私も次回横浜でまたオフ会やる事があったら誘って下さい。
JR京浜東北線の車内アナウンス。
次はー、かんない
次、わーかんない
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