アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 好きな博物館など 10416へのコメント
No.10418  Tue, 15 Jan 2002 17:49:56 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

百日紅(さるすべり) wrote:
>久しぶりです。
>皆さん何か好きな博物館、美術館、ありますか?このあいだ小田原城に行ってみたら中の展示品がとてもよかったです。

 僕のお薦めは、「神奈川県立生命の星地球博物館」と「茨城県立自然博物館」です。神奈川のほうは箱根登山線の「入生田駅」の前で、茨城のほうは東武野田線の「愛宕駅」からバスで30分+徒歩で15分ぐらいでしょう。
 いずれも美しい鉱物の標本が見られます。神奈川はブラジル産の「曹長石・リチヤ電気石」「緑柱石(アクアマリン・エメラルドの原石)」などの大型のものがあり、茨城のほうは紫外線で蛍光を発する「蛍光鉱物」のコレクションと日本の愛媛県産の銀色の長い「輝安鉱(アンチモンの鉱石)」が見事です。
 またどちらにも、豊富な動植物に関する標本が展示してあり、神奈川のほうには動物愛護派が「ウニ」になりそうなほど、生々しい・立派な・「わしらはどうどうと生きておったぞ!」と語りかけてきそうな動物の剥製が展示されています。


Re: 研究するということ 10409へのコメント
No.10417  Tue, 15 Jan 2002 17:11:42 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> こんな感じかな? で、こういう定義を国語辞典の記述と比べてみるとか、これだけで「研究」は始まってしまいます。小麦粉からグルテンを抽出してみたり、じゃがいもをすりおろしてでんぷんを取り出して顕微鏡で観察し、かたくり粉やコーンスターチと見比べてみるとか、ごぼうやにんじんやだいこんや玉ねぎやタンポポの根っこからも澱粉は取れるのかとか、本当にでんぷんかどうかをうがい薬(ヨードが入ってます)を垂らして調べてみるとか、面白かったらちゃんとまとめて教育雑誌や新聞に投稿してみるとか、ホームページ作って公開するとか、まあ、楽しみ方はいろいろです。東京ディズニーシーやユニバーサル・スタジオに行くより安物の顕微鏡一台買って子供とああでもないこうでもないとかいって遊んだほうが安上がりで教育的だし。
>
> 面白いと思うんだけどな、こういうの。
>
> (Maria)

何でもかまわないから、「WHY?WHAT?HOW?」という5W1Hのうちの3つの関心を持つことは、きっとストレスに対する強い防衛力をみなさんの心にもたらしてくれるでしょう。
 私も最近は、脳科学関連の本をなけなしの小遣いをはたいて買って読んでいます。ASはどうも頭頂葉・前頭葉・側頭葉・小脳・辺縁系などに関係するものらしいということが、わかりました。
 ここ2ヶ月はほぼ毎日1時間以上の散歩に出て、世の中の様子を見ています。雑木林をごみ捨て場にするのが、最近悪しきブームのようです。
 インターネットで天気の様子を見るのは、すっかり習慣になりました。最近では「高層天気図」の見方も、おぼろげながら分かるようになりました。
 ベランダで花を育てています。観察記録などはつけていませんが、花が種から育っていく様子は見ていて楽しいです。(時たま枯らしてがっかりすることもありますが・・・)
 ピアノも「耳コピー式」「自己流」で楽しんでいます。


好きな博物館など
No.10416  Tue, 15 Jan 2002 16:57:24 +0900  百日紅(さるすべり) [この発言にコメントする]

久しぶりです。
皆さん何か好きな博物館、美術館、ありますか?このあいだ小田原城に行ってみたら中の展示品がとてもよかったです。


Re: 仕事が採用に・・・・・・ 10407へのコメント
No.10415  Tue, 15 Jan 2002 16:18:10 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

タレイヌ wrote:
>>これは反発を受ける覚悟で書いているのだけれどAS、ADHDの子供を産んだら子供がかわいそう。
>
>タレイヌ、反発するよ。
>子供が可愛そうなんじゃないよ、ぺんぺんさん自身が、自分を、『可愛そう』って思っているのさ。(きつくて、ごめんなさいです。)
>
>中略
>
>理想論かもしれないけれど(というほど、はずれてるとも思ってないタレイヌ、変わり者同士で、業績をあげてるひとたちって、結構いるって、ほんと)ぺんぺんさんの、年齢からすると、すでに、社会の次の「人材育て」に入っているのね。ただただ、なげいたり、『社会』に期待するのではなくて、自分のできること、見つけて、一つでもやってみたらいいよ。(・・・うふふふ、童話を、書くとかさぁ・・・?謎?)
>
タレイヌさん、レスありがとうございます。ウーン、そうですね。私自身が私を不幸だと思っているのはその通りです。AS、ADHDの人間が親になってAS、ADHDの子供を育てる。なかなか大変でめげそうになっています。学校への提出物、いっぱいあります。子供も親もそれが苦手。すぐものをなくす。いつも何かを捜している。親も子供も。親は泣きたくなってしまいます。子供はけろっとしてるのだけれど。親はADHDの2次障害の鬱をこじらせてしまっているので子供に何かを捜してといわれるたびに絶望的な気分。ああ、私は捜し物が苦手。捜すくらいなら物を買ってしまいます。買ってすむ物ならいいけれど売ってない物は困るなあ。子供は親に任せておけば安心と思っているらしいけれどそろそろこの親は頼りにならないと気づいてほしい。

ADHDの子供、ASの子供、人生を楽しむことを覚えてほしい。そう思いながら子育てしています。私にはできないことだったので。私は人の悲しみ、苦しみはわかるのだけれど喜びやうれしさには共感が難しい。私にはない感情なので。でも子供が喜ぶ顔を見るのはうれしいのでやっぱり少しはそういう感情もあるのかな。子供がつらいとき、私もほんとうにつらい。夫がよく子供をからかう人で子供を怒らせるのが見ていてつらい。胸が潰れそうな気がします。子供を傷つけないでと言いたくてなかなか言えない。

仕事は今日正式に断ってきました。まだもう少し、専業主婦でいようかと思います。AS、ADHDの長男が今春、中学にあがるのでそれをちょっと見届けるのもいいかなと。頭はいい子供なのだけれど。集団生活になじめるのかちょっと心配。

はあ、私の夢は童話作家なのですがこの掲示板で皆さんの文章を見ているとなんかすごいなあ、私なんかとてもだめだなあと言う気分になります。ADHDの注意力散漫で誤字脱字も多いし。カキコを投稿してからトホホな気分になります。皆さん、ほんとにすごいですよね。私、タレイヌさんのいうことわかります。AS、ADHDの子供の潜在能力ってすごい。必ずしも成績には反映しないけれど。ああ、でも子供にばかり期待しないで自分も何かを見つけなければ。会社を首になってもそう悪いことばかりではないと子供に知ってもらいたい。幸せなお母さんにならなければ。

タレイヌさん、アドバイスどうもです。せめてよく寝て楽しい夢でも見ることにします。


Re: 再び考えます2. 10403へのコメント
No.10414  Tue, 15 Jan 2002 16:13:54 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

白 wrote:
>武田好史 さん wrote:
>
>>ASの女の子の心理を知りたかったら、鬼束ちひろの「INJECTION」という歌を聴い>てごらん。
>>これほどまでに近いのは、俺も聴いたことがない!
>
>夕方から外へ出てたので、借りてきました。
>「infection」でいいんでしょうか。それしかなかったんで、多分これだろうと思って聞いてみました。
>
そうだね、俺は視機能・聴覚両方悪いから間違えてしまった。それが正確だね。


Re: 話がずれる 10410へのコメント
No.10412  Tue, 15 Jan 2002 14:53:58 +0900  へりこ [この発言にコメントする]

みどり wrote:
こんにちは。私も自称です。(最近あやしいと思っている)。
>しかし、普段会話をしているとき、なぜか話がずれていってしまうことがよくあります。
私もよくあります。それも相手が口を挟んだわけでもないのに。そんなわけで「ちゃんと文章組み立てから話してる?」と言われます。答えは…「NO」。話すのに夢中になってると、頭に浮かんでくる「単語」や「映像」を次から次へとしゃべくってしまい、「…で、それをやったのは結局誰だったの?」「…何時の間にか話し変わってない?」ときかれることになります。
あと、名詞を全く意味の違う「よく似た響きの言葉」と言い間違えたり、正反対の意味の言葉を使ってしまったり。どうも「使いたい単語」を思い浮かべる時に一緒に浮かんだ言葉らしいのだけど。同じような「聞き間違い」もよくやって、「極楽耳」と言われたものでした(最近減りました)。
他には、同じ話しを何度もしてしまう。
気を引き締めて会話に挑まないと、無残な結果になってしまいます。私が「楽しんで、夢中になって」話をするとロクな事になりません。(単に頭がボケてるだけかも。)
>いやんなっちゃいます。
>
># こういうことがあると、もう誰かとまじめな話をするのはやめて、こっそりひっそり生きて行こうって思うのだけど、それもできないのは性格らしい。
こういう事態を回避するために、人の笑いを取ることを心がけております(う〜ん大阪人)。「オチ」をつけるためには起承転結をしっかり立てねばなりませんし、「ツッコミ」をいれるには人の話しをよく聞かねばねりませんからね。(「ボケ」になってる場合も多いけど。
上手く笑ってくれると「やった!」って気分になるし、楽しいですしね。大阪では真面目な話しにも「ボケ」「ツッコミ」「オチ」が出てくることはよくあるので、私には助かります。(「大阪の笑い」といっても「吉本」みたいなのがすべてじゃないですよ、あれはどちらかと言えば「幼稚」で「洗練」されていません。日常的にはもっとヒネリが効いたものでないと…。)


Re: 研究するということ 10409へのコメント
No.10411  Tue, 15 Jan 2002 13:50:16 +0900  へりこ [この発言にコメントする]

Maria wrote:
こんにちは。
> このところ、「ぼろ」「くず(古くは、「くづ」)」「くそ」「ごみ」「かす」「ちり」「あくた」の違いについてちょっと考えていたりします。.「かす」は「炊汁(かしきじる=米の研ぎ汁)」のように、「細かく砕いた植物からアルカロイドや繊維質の不可食部分を洗い流し、残った(澱粉質などを多く含んだ)残滓」が語源のように思うし、「くづ」は「くずほる(「頽る」)」が語源、みたいな気がします。「ぼろくそ(に貶す)」「ぼろくず(のように捨てる)」は使うけど「ぼろごみ」とは言いません。「ぼろかす」はあまり使いませんが、これは地域的なものでしょうか。「ごみくず」は使うけれど、「ごみかす」はあまり見かけません。「ぼろかす」との関連が疑われます。「ちりあくた(塵芥)」というのもあります。だけど、これは漢語起源のような気がします。「じんかい」と音読みもしますし。
「ごみ」「ぼろ」「くず」「かす」「ちり」の順に質量が小さくなっていっていると思います。「くそ」はやはり「糞」なので、違う扱いになるのではないでしょうか。ちなみに関西では「ぼろかす」は結構使います、「カスども」とか、「かす」の出番も多いようです(地域差があると思いますが)。
「芥」ですが微細なものという意味もあるそうです。「芥子(からし)」と読みますが粉塵を連想させます。「芥川」といいますが、ごみの浮かんだ川という感じでしょうか。あまり粗大ゴミという雰囲気ではありませんね。最も今様の粗大ゴミは昔の日本には存在しないと思います。リサイクルで上手く回っていたのでしょうね。
それにつけても「しらべもの」は楽しい行為ですね!(なにか作るのも。「なにか製作するために調べものをする」にはまると、当初の目的から逸脱することが良くあります。)


話がずれる
No.10410  Tue, 15 Jan 2002 12:03:45 +0900  みどり [この発言にコメントする]

自称 AS のみどりです。

ここで返信するときにいつも本筋とずれてしまうのは、まあ意識があるというか、もとの興味が本筋とずれているからで、しかたないのです。

しかし、普段会話をしているとき、なぜか話がずれていってしまうことがよくあります。
私は A ということを主張したいのに、なぜか相手にヘンな反論をされてしまいます。そこまでは単なるすれちがいですから (あまり) 問題ありません。
「違うのよ〜」というわけで、私がA をサポートするためにもちだす B という主張が、大抵、「自分にとって」トンチンカンなものなんです。
B が A をサポートするという点では大抵あってるんですが、それは私の主張とはかけ離れたものだったりします。


話が終わってから、「ああ私はCという話をもってこなきゃいけなかったのか」と気がついて、愕然とします。

話してる最中、なんでBをがんばって主張していたのか、さっぱりわからないんです。

Bの内容は、自分が思ってもないことだったりします。
別に相手の反論とも関係ないし、どこからBが出てきたのかよくわからないんです。単にその場でふと、別の誰かが以前話していたことを思い出したとか、そういう感じで、どちらかというと自分は反発するような内容だったりもします。
そんなヘンな主張を自分がしてたと思われることを考えると、はずかしくてたまらなくなります。

しかし次の日になってから訂正に行くのも間が悪く、はずかしい思いだけが残ります。

いやんなっちゃいます。

# こういうことがあると、もう誰かとまじめな話をするのはやめて、こっそりひっそり生きて行こうって思うのだけど、それもできないのは性格らしい。


研究するということ 10404へのコメント
No.10409  Tue, 15 Jan 2002 11:11:01 +0900  Maria [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
>  吉野さんをはじめとして、ゴーギャン、伊能忠敬の前職、『ピグマリオン』が90歳を過ぎて書かれたこと…全部初めて知りました。やはり、Mariaさんの頭は脅威的だなあ…と思います。

 “脅威”ってあーた(^_^;)。あたしは何者だ。

 「きっと何でも知ってる気になってるんでしょうね」とか「他人がみんな馬鹿に見えるんじゃないの?」みたいな厭味を言われたりするのですが、あたしはべつに特殊な素質の持ち主ではないし、特に努力をしてきたという訳でもありません。暗記ものだって苦手です。ただ、「このネタは使えるかも」と思ってストックしてきただけだったりします。

 学校の勉強の場合、あんまり「このネタは使えるかも」と思って勉強する人はいないのね。だから、試験が終わったらみんな忘れちゃう。だけどあたしの知識は基本的に「自分のもの」です。

 大学院に進むか企業に就職するか、というときに、「働きながらでも研究はできる」と思って就職しました。業務系のシステム開発の仕事は三十代半ばを過ぎたらたぶん体力的に無理だろうと思って、学会に入ってアルゴリズム開発その他の基礎研究の分野に触覚を伸ばしていました。ミステリーを書きたいなぁ、と思い、いろんな文章をちまちまと書きためていました。で、そういうときに心の支えになったのが、ゴーギャンであり、ゴッホであり、伊能忠敬であり、バーナード・ショウでした。ゴッホが二十七歳のときの作品で『大工』というのがあります。下手だぞぉ? それで八年後には死んじゃうんだぞ?

 あたしの技能や知識というものは、毎日の仕事の中で培われ、磨かれてきたものです。日本語文法やステレオグラムの研究も、「パッケージ・ソフトウェアとして売って利益を上げられるもの」という明確な目的があって行なってきたものです。「金の取れる文章を書く」というのは、広告宣伝費がろくに使えない小企業にいたからで、雑誌に投稿して採用されれば宣伝費ゼロどころか原稿料貰って宣伝ができる、というスケベ根性があったからです。「このネタで一本書けるな」というのをストックしておくのは大事なことです。で、内輪のBBSでそうしたネタを発表してはレスの付き加減を見て、「ここんところはこうしたほうがよかった」「ここはいまいちヒネリが足りなかった」「おお、このネタは使える」みたいに修正するのね。だからこの『アスペルガーの館の掲示板』での大森総研がらみのネタで、コラムやエッセイだったら軽く百本くらい書けるはずです。で、過去に大森総研で運営していたBBSには雑誌に連載を持っているプロのもの書きがネタ漁りのためにうろうろしていました。
 グルンサさんだって「じつは私がしばしば顔を出す掲示板に『アスペルガーの館の掲示板というのがあって』」とかいって小ネタの一本もものするくらいはできるだろうし、障害関係や地域のミニコミ誌みたいな書き手の不足しているところを狙って読者投稿から始めて常連ライターを目指す、くらいのことはできるはず。でなかったら『ほぼ隔月刊グルンサ』とかいったメルマガを自分で出版して、知ってる人に勝手に送っちゃう。文章に自信がなかったら、うち(大森総研)にメールで送って「頼むー! 原稿チェックしてくれー! タダとは言わんからー!(←ここんとこ重要)」とかやっちゃうことだってできる。なにしろあたしはプロのリサーチャーにしてアナリストにしてリライターですからね。そうやって「何か使えるネタは」と思ってものを見るようになれば、いろんなものが見えてくるはずです。あたしは「石橋を叩いて渡る」タイプだけど、「走りながら考える」「手なりで指してゆく」「先へ行って考える」というアプローチもよく使います。もっともそれには先行予測と下準備が欠かせませんけどね。それでも「それほど大きな失敗をしないように」くらいの用心程度でいいと思えば難しくないし。

 あたしはそれほどご大層なことをしているわけでもないし、大したことをしているわけではありません。もともとそんなにご大層な存在でもありませんし。ただ、「素人でもやってみるとけっこう何とかなるものだ」という健全なアマチュアリズムを信じているだけだったりします。

 このところ、「ぼろ」「くず(古くは、「くづ」)」「くそ」「ごみ」「かす」「ちり」「あくた」の違いについてちょっと考えていたりします。.「かす」は「炊汁(かしきじる=米の研ぎ汁)」のように、「細かく砕いた植物からアルカロイドや繊維質の不可食部分を洗い流し、残った(澱粉質などを多く含んだ)残滓」が語源のように思うし、「くづ」は「くずほる(「頽る」)」が語源、みたいな気がします。「ぼろくそ(に貶す)」「ぼろくず(のように捨てる)」は使うけど「ぼろごみ」とは言いません。「ぼろかす」はあまり使いませんが、これは地域的なものでしょうか。「ごみくず」は使うけれど、「ごみかす」はあまり見かけません。「ぼろかす」との関連が疑われます。「ちりあくた(塵芥)」というのもあります。だけど、これは漢語起源のような気がします。「じんかい」と音読みもしますし。

 ぼろ:本来の私用に差し障りが出るほど傷んだもの。例)「ボロ屋(や)」「ボロ布(きれ)」
 くず:必要な部分を取り去った残り。ただし、材質等は同じで、固体で破片状態。「かけら」に近い。例)「おがくず(大鋸屑=製材によって出た粉末上の木片)」
 かす:水によって(有効な/不要な)成分を分離した残滓。例)「酒粕」

 こんな感じかな? で、こういう定義を国語辞典の記述と比べてみるとか、これだけで「研究」は始まってしまいます。小麦粉からグルテンを抽出してみたり、じゃがいもをすりおろしてでんぷんを取り出して顕微鏡で観察し、かたくり粉やコーンスターチと見比べてみるとか、ごぼうやにんじんやだいこんや玉ねぎやタンポポの根っこからも澱粉は取れるのかとか、本当にでんぷんかどうかをうがい薬(ヨードが入ってます)を垂らして調べてみるとか、面白かったらちゃんとまとめて教育雑誌や新聞に投稿してみるとか、ホームページ作って公開するとか、まあ、楽しみ方はいろいろです。東京ディズニーシーやユニバーサル・スタジオに行くより安物の顕微鏡一台買って子供とああでもないこうでもないとかいって遊んだほうが安上がりで教育的だし。

 面白いと思うんだけどな、こういうの。

 (Maria)


Re: スキーキャンプへ 10321へのコメント
No.10408  Tue, 15 Jan 2002 09:47:01 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

pennpenn58さん wrote:

>どうしたらいいでしょう。

そうねえ、取りあえず、ここで書けることは、実際に、御自分の中で、何処まで相手に譲れるのかを、じっと見極める事かな、相手になんと言われようと。自分が何処まで我慢できるのか・・・。(対大人向け)

子供へは、今のままでいけそうだけど・・・??
お子さん達の不適応行動は、親に対してだけでしょう?暴力で無ければ、いいんじゃないでしょうかね。(いいかげんね、わたし)
思春期に入れば、それはそれは、大事(おおごと)になるだろうし(←こわ〜〜ぃ発言!!)今のうちに体力気力、養っておきましょうね。

ナルコレプシーって、タレイヌ解釈だと、嫌いな科目の授業は、眠くなる・・・ってやつの、展開バージョンだと思ってるわけ。とにかく、眠れるだけ、眠ってみたらいいんじゃないかな。風邪とかでも、熱が高いときは眠れないけれど、回復が始まると、異様に眠いじゃないの。でも、眠る事で、ものすごく回復するところがあるんでしょ。だがしかし、子育てしつつ、好きなだけ眠るなんて、実際、かなり難かしいんだけどさ(←矛盾しているカキコだわ)

がんばってね、なんていわない。
しっかり、寝てください。

   (タレイヌもまた、寝る)     


Re: 仕事が採用に・・・・・・ 10378へのコメント
No.10407  Tue, 15 Jan 2002 09:18:04 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

pennpenn58さん wrote:

>武田君、私も障害村で暮らしたいな。そして結婚はしても子供は作らないの。

うふふ、『時間』は万人に公平に、一つながりで与えられていてね・・・。
そいでもって、ゼーッタイに、逆戻りしないんだよ。(あたりまえだけど)

――――――

これは反発を受ける覚悟で書いているのだけれどAS、ADHDの子供を産んだら子供がかわいそう。

タレイヌ、反発するよ。
子供が可愛そうなんじゃないよ、ぺんぺんさん自身が、自分を、『可愛そう』って思っているのさ。(きつくて、ごめんなさいです。)

――――――

ADHDでも幸せに暮らせる。そういう社会でないものね。日本は。

お医者さんや、社長さんや、株のトレーダー(とか言うんだっけ?慣れない言葉を使ってるのがバレバレ・・・)そういう人たちのなかには、絶対に、ADHDがいる!!
一見脈絡の無い行動に見えるけれど、本人の中では、つながりはあるのだ。『興味を持つ、やってみたい!!』という意味で。その意欲や、その頭の切り替えの早さを、『やる気』として継続するように、うまく、育てていく事ができれば、多様な人間を巻き込んだ、チームワーク仕事の中心核的存在となれるはず。
それこそ、その時、補佐的な役割として、真剣に物事掘り下げて考え、切りのいい所まで、時間の概念を失っても、完成度の高さを目指してしまうAS的な人を、上手く確保できたら、それこそ、百人力だろう!!

理想論かもしれないけれど(というほど、はずれてるとも思ってないタレイヌ、変わり者同士で、業績をあげてるひとたちって、結構いるって、ほんと)ぺんぺんさんの、年齢からすると、すでに、社会の次の「人材育て」に入っているのね。ただただ、なげいたり、『社会』に期待するのではなくて、自分のできること、見つけて、一つでもやってみたらいいよ。(・・・うふふふ、童話を、書くとかさぁ・・・?謎?)

ああ、それから、「過剰適応」は、不登校の子供に、多く見られた現象ね。(←ちょっと、過去形)
周りの人間たち(親、先生、友達、先輩、ぐらいかな、とりあえずは)の、それぞれの「立場」から発せられる、『自分』へのメッセージ=希望に、忠実に答えようとすると、自分が、一つのまとまりある人格としていられなくなる。(平たく言うならば、誰にとっても、「いい子」で、居つづける事ができない、当り前なんだけど)
だから・・不安→誰にも会いたくない→引きこもり→鬱・・・と。単純に言えば、そういうこと。
 皆さんが、上手に説明していたね、いろいろな例を持ってきて。

  (きまぐれタレイヌ)

あ、こうもりさん、おかえりなさ〜〜い。


Re: 再び考えます2. 10384へのコメント
No.10406  Tue, 15 Jan 2002 05:10:17 +0900  ぶち [この発言にコメントする]

 はじめまして、白さん。ぶちと申します。
 一応前置きをしておくと、実は私もASというわけでは多分ありません(ADHDのはどうやらあるらしい)。実家の兄が昔ADHD(ADD?)と診断されて、今になってASというものを知って考えてみると、ASもあるのかな?って思います。そんな事から興味を持って、迷惑かしらと思いつつ時々こちらに遊びに来ています(書きっぱなしで去っていく事が多い・・・すいません)。
 白さんのお話を全部読んだわけじゃないんですが、単に私が思った事を書きます。素っ頓狂だったらごめんなさい。これはあくまで私の話なんですけどね・・・(私は自分の経験した事くらいしか語れないのだ・・・)

白さん wrote:
>でもね、僕は女性心理がわかってないんでしょうが、普通だったら、好きじゃなくて、僕に踏み込まれたくないと言うなら、
>「あたし、白君のこと、どうしても好きになれない」とか、
>「気持ちはうれしいけど、受け止められない」とか
(ごめん、中略)
>なんとか、はっきり断ればいいじゃないですか。
>でもね、彼女の場合は、何かが違うんですよ。もう一度ここでは書きませんが。

 その彼女は「今の状態が心地よくて、これを変えたくない」って思っているんじゃないかなー?って、私は思いました。複雑に絡み合った人間関係って、一つ大きく変わると、全体にも影響してどんどん変わっていくでしょ。そういう意味で、「困った」って思ってるんじゃないかな? 彼女ってクラスメートじゃないんですか?(話をよく読んでないのがバレバレですね)

 昔、昔のその昔・・・今から10年以上前の私が大学生だった頃のお話・・・私は年頃なのに、全然女の子らしくなくて、でもそれが結構気に入ってました。男子の方が絶対的に多いクラスだったので、みんなが変に気を使わずに男友達と同じように、何でも気軽に話してくれる雰囲気が好きでした。でもあるクラスメートが「付き合って欲しい」って言い出して・・・はっきり言って困りました。

 その友達、すごく真面目で悪いやつじゃないし、友達としては特に嫌いじゃないんだけど、全然恋愛感情もってなかったし。お互いのまわりの人間関係が重なってない相手なら、もう二度と近寄ろうと思わなくなるくらい強く断るんだけど、友達としては関係を持続させたいとか、彼に大きな衝撃を与えてそれが他の友達にも波及するのが嫌とか、ま、色んな欲がありまして、最初の時はやんわりとしか断れませんでした。そうすると、「全く脈なし」とは思わないんですよね。向こうはなるべく話したり、少人数になれる環境を作ろうとして、私はかわして逃げ回るような状態がしばらく続きました。でもそういう状態が続くと、まわりにも感づかれるでしょ。教室から出てくるのを彼がぽつんと待ってたりするようになると、もう他の友達にもばればれ・・・もうこれは適当にやって、引き下がってもらおうと思っても無理と判断して、ハッキリクッキリ断ったんですが、もう時すでに遅し・・・
 共通の知人と話していたら、「ぶちはさー、あいつのどこが気に入らないわけ?」「あいつ真剣にぶちの事考えているのに、どうしてそういう態度なのかな」「あいつ結構落ち込んでるぜ」「俺はあいつ良い奴だと思うんだけどなぁ」・・・ってあんたら余計なお世話! 彼がまわりに泣きついたとか、友達に頼んで仲介してもらっているとか、そういう事は多分ない(そういう奴じゃない)んだけど、彼は一般的に言う「良い奴」で彼が落ち込んでいると、まわりがなんとかしてあげたくなるだけに、まずーい感じ・・・あー、最低!! 相手が真面目なだけに鬱陶しい!・・・って思いました。もう大学生でみんな大人ですからね、おおっぴらにどうこうはなかなか言われなかったけど、やっぱり彼を応援するっぽい友人はあれこれ気を使ってくるし、居心地が悪くなったのは事実でした。「これが嫌だったのにぃ」・・・特別な「好意」って時には鬱陶しいんです、私の場合・・・

 彼女はASであるっていう仮説からはずれると思いましたが、白さんの話を読んでたら、久しぶりに思い出したもんですから、書いてみました。彼女の場合、こういう事って考えられません?
(ぶち)


Re: 再び3 10385へのコメント
No.10405  Tue, 15 Jan 2002 02:47:29 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

 こんばんは、白くん。今回は、君へのレスというより、自分を確認するための内容になってしまうかもしれません。(実は去年、1度やった。)というわけで、関係ないな、と思ったらここで読むのをやめてもOKです。

白くん wrote:
>>Mariaさん wrote:
>> 現代の義務教育における国語教育(特に小学校)は、具体的になにを教える、という目標を欠いている気がします。(中略)日本人は日本語という環境の中だけしか知らないこともあって、「ことば」を通じて自らを見つめる体験をしていません。
>> だからイーデス・ハンソンさんにも「日本人は『異質なもの』を受け入れる能力が低い」とか言われるんだよな。(中略)そうではなくて、「自分」というものに対する問いかけというものが欠けているのだと思います。だから、「自分」という規準に何の疑問も抱かなくなってしまう。自己中心的だとか社会性の欠如というのは、周囲が見えてないのではなくて、自分が見えていないのだと思います。それは同時に「客観性」に身を置くということで、「社会」という目を持つということです。おとなに必要なのは、社会を見ることではなくて、社会の目でものを見ることです。
>
>僕ははじめASを理解するつもりだったけど、もがいていく中で見えてくるのは、ほかならぬ自分の姿なんですね。
>もちろん、まだ何も見えているわけじゃないんですが、それは単に今までの自分の物の考え方や感じ方を疑うと言う程度のものではなく、もっと根本的な、自分ってどんなヤツなんだろうと言う感じでしょうか。
>考えれば考えるほど、問題が自分に帰ってくるんですよ。
 わたし自身、自分の方が周囲と違う、と思うようになってから「わたしは何?」の問いが始まりました。だから、どんどん考えてどんどん聞き、また考える、こういったことの繰り返しで(もうやっているわけだけど)少しずつ白くんや、彼女のことが見えてくるわけだよね。(実際、今までのカキコでもいろいろ書いてきてるわけだし。)わたし自身も今、現在進行で自分自身を捉えようとしています。(時に、早く白黒つけてー!!という思いにかられることもありますが。)

>>あさかぜさん wrote:
>>もちろん、人間はASという部分だけで成り立っているわけではない。男女の違いというものもあろうし、育ってきた家庭環境や出会ってきた人間によっても違いが生まれるわけだ。
>>人間は「個」として確立している、とわたしは考えている。人間はひとりひとり、みんなちがうのだ。人と人が出会うことって、異文化接触そのものだと思っている。たとえ親子の間であっても、だ。たとえばASという背景をしょっていなくても、相手は「自分とはちがう人間」なのだから、ちがう考え方や受け取り方をしても当然、というところがわたしの基本。
 これは同感です。(ただ、頭でわかってても気持ちがついていかない時があるのは、わたしの想像力が欠けてるんだろうか?)

>>(すっかり女性心理におびえている白)
>
>>あのなー。これからやんけー。スタートラインに立ったとこじゃんか。
>>「目覚めよ、冒険心!」だぜいっ!!
>
>あ、はい、先輩、すいませんです。m(__)m
>でも、女の子の心理には、基本的に別に興味ないんで、それこそそんなことを研究して、機嫌取りたくないわけで、微妙な心境なんです。
>それじゃやっぱしダメでしょうか。(笑)

 うまく言える自信がなくて悪いんだけど、彼女の機嫌とるために研究してるわけじゃないんだから、必要なことはきちんとマスターしてやることはやる、でいいんじゃない?(なんかホントに抽象的だけど…。)

P.S.またもうまく言えなくて悪いけど、No.10403で白くんが書いていた、
「ただ、すごく切ないです。(中略)彼女の心に触れていられたら…と。」
こういう思いは大切にしてね。こういう心を持っているからこそ、彼女のことを大切に思う気持ちも生まれてくるんじゃないかな…と思うので。
(しかし、今回、ホントにきちんとまとめられなくてごめんね。)


Re: 今さらですが…。(補足) 10402へのコメント
No.10404  Tue, 15 Jan 2002 01:46:24 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> えー、あたしは「知る喜び」というものをよく知ってはいるのですが、これに「調べる愉しみ」が加わると、さらにその喜びは大きくなるというのもよく知っているのですね。(中略)べつに専門的な教育を受けていなくてもこうした喜びは味わえるんですよ。
 私は一般向けの本を読むことはしても、それ以上のことをしたことはなかったんですね…実は。(専門書をたどろうにも、どうしたらいいのかわからない、というのもありますが。)

> あたしが尊敬する民俗学の吉野裕子(よしの・ひろこ)さんは、戦前に女子学習院を卒業し、ついで結婚して家庭の主婦になりました。その後津田塾大学英文科で学び直し、同大学を卒業後は学習院女子部に勤務して教員となり、その後退職して四十代の半ば過ぎに日本舞踊を始め……とぜんぜん民俗学には関係のない人生を送っていたのに、舞扇を手にして、扇が日本人の芸能・礼法・祭事に果たす役割に気づかれたそうです。で、それから三年ほど経ってから、かつて文理科大学の聴講生として接した和歌森太郎先制に偶然再会した際、「扇のことを調べた人がいるでしょうか」と尋ね、「いない」と言われて「それじゃ、ソレ私にやらせて」と応じたところから民俗学の道に進んだという割ととんでもない人です。(中略)
 吉野さんをはじめとして、ゴーギャン、伊能忠敬の前職、『ピグマリオン』が90歳を過ぎて書かれたこと…全部初めて知りました。やはり、Mariaさんの頭は脅威的だなあ…と思います。

> できることは、たぶんいろいろあります。
 そうですね。いろいろ方法を探してみましょう。

> まあ、それより図書館の利用者カードを作るのが先決だと思うんですが……持ってます?
 あるにはあるのですが、よりによって地元の図書館の利用者カードが、3つに割れて使用不可という体たらくです(^_^;)。情けないなあ…(笑)。
レスありがとうございました!


Re: 再び考えます2. 10393へのコメント
No.10403  Mon, 14 Jan 2002 23:40:43 +0900  白 [この発言にコメントする]

武田好史 さん wrote:

>ASの女の子の心理を知りたかったら、鬼束ちひろの「INJECTION」という歌を聴い>てごらん。
>これほどまでに近いのは、俺も聴いたことがない!

夕方から外へ出てたので、借りてきました。
「infection」でいいんでしょうか。それしかなかったんで、多分これだろうと思って聞いてみました。

で、今聞いてみて・・・、

言葉がありません。

これが、ASの女の子の心の風景なら、本当にそうなら、僕は、頭で何を分かろうとしていたんだろう・・・。

ただ、すごく切ないです。

それでも、ずっとずっと聞いていたい。

せめてこの一時、彼女の心に触れていられたら・・・と。


武田さん、有難うございました。
多分今までで一番、実感として、僕は何かを感じていると思います。


Re: 今さらですが…。(補足) 10401へのコメント
No.10402  Mon, 14 Jan 2002 23:36:42 +0900  Maria [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
>  もともと「レス」と「ログ」の違いから始まった質問が、こんなにいろいろな話になるとは思いませんでした。(中略)でも、読ませていただいた方は、勉強になって楽しかったです。

 えー、あたしは「知る喜び」というものをよく知ってはいるのですが、これに「調べる愉しみ」が加わると、さらにその喜びは大きくなるというのもよく知っているのですね。百科事典とか国語辞典とか英和辞典とかで足掛かりを見つけ、一般向けの本(岩波新書とか中公新書とか講談社現代新書とかブルーバックスとか文春新書とかPHP新書とか)でさらに理解を深め、さらに専門書に当たってその先の領域に踏み込む、といった方法を身につければ、べつに専門的な教育を受けていなくてもこうした喜びは味わえるんですよ。

 あたしが尊敬する民俗学の吉野裕子(よしの・ひろこ)さんは、戦前に女子学習院を卒業し、ついで結婚して家庭の主婦になりました。その後津田塾大学英文科で学び直し、同大学を卒業後は学習院女子部に勤務して教員となり、その後退職して四十代の半ば過ぎに日本舞踊を始め……とぜんぜん民俗学には関係のない人生を送っていたのに、舞扇を手にして、扇が日本人の芸能・礼法・祭事に果たす役割に気づかれたそうです。で、それから三年ほど経ってから、かつて文理科大学の聴講生として接した和歌森太郎先制に偶然再会した際、「扇のことを調べた人がいるでしょうか」と尋ね、「いない」と言われて「それじゃ、ソレ私にやらせて」と応じたところから民俗学の道に進んだという割ととんでもない人です。

 五十代に株屋を引退して画家になったゴーギャンや、同じく五十を過ぎてから家督を譲って庄屋から天文学者に転じて日本全図を作った伊能忠敬の例もあります。ジョージ・バーナード・ショーなんか、九十歳過ぎて初めて戯曲書いたんだぞ。で、それがあの映画『マイ・フェア・レディ』の原作の『ピグマリオン』だったりします。

 「学会」とかいうと雲の上の存在、みたいな気がしますが、『日本きのこ学会』とか『日本天文学会』なんていうのは六割以上がアマチュアで、しかも活動の中心はアマチュアです。「誰か偉い人にお任せする」みたいなことでは、答えが出ない問題というのはいっぱいあるのですね。『日本アホ・バカ分布考』なんていうのは、テレビ番組が発端になって、民俗学上の大発見につながった例です。

 おいしいお茶を淹れる。おいしいお粥を炊く。そういった、まさしく「日常茶飯事」でも、つきつめてみるといろんな発見があります。あたしはラーメン用の「たれ」の開発にかかわっているうちに(うちうちで作るぶんをちょこっと作るだけなんだけどさ)、胡椒とペプチドの重要性を認識しました。で、ここんとこの重要性を大手食品メーカーもちゃんと認識していないことに気づいてしまったのね。うふふふふ。まあ、分析器機まで導入してどうこうする気はありませんけど、とりあえずおいしいものが食べられるというのはうれしいことです。

 あたしたちのことを知っているのは、やっぱりあたしたちなんですよ。それを学問の遡上に載せるにしても、やっぱり主体となるのはあたしたち。あたしたちにできることは、いっぱいあります。だからあたしも『「どっちでもいいこと」が決められない。』とかいった、「あたしたちはあたしたちの『自閉症』をどう捉えているか」みたいな文章を書いているのですね。

 できることは、たぶんいろいろあります。

> P.S.最近、メルアドを取得した方がいいのだろうか?と思う今日このごろ。携帯電話では限界があるし(正確には、それもほとんど使わない)、かと言ってないのも不便かなあ…とも思う。ただいまPC入門書を読みながら思考中です。

 メルアドを増やすだけならそんなに難しいことはありませんが、自分専用のマシンがあるのとないのとでは全然違います。あたしが使っているのはiMacのスノーホワイトだけど、iBookとかかっこいいぞ。

 まあ、それより図書館の利用者カードを作るのが先決だと思うんですが……持ってます?

 (Maria)


Re: 今さらですが…。(補足) 10383へのコメント
No.10401  Mon, 14 Jan 2002 21:35:32 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
>Joshyaさん wrote:
>> なお、毎時1852メートルは毎分30.87メートルとなり、これは毎分百フィートちょっとになります。毎分47フィート3インチでは「1852m/h」にはならないような気がするのですが。ひょっとしたら計算をお間違えではないでしょうか。
>>
> 小学館の英和辞典「PROGRESSIVE」には、KNOTの意味として「(船の速さを測る)測程線の単位。47フィート3インチ。」とあります。つまり元は地球の1分の長さとは全くべつの基準を用いていて、後になってから、「そっちの基準が優れている」ということで、単位の変更があったらしいです。

 もともと「レス」と「ログ」の違いから始まった質問が、こんなにいろいろな話になるとは思いませんでした。(そう言えば、昨年の『お宮入り』もそうだったな。タイトルの名付け親は、私ではありませんでしたが…。)でも、読ませていただいた方は、勉強になって楽しかったです。ご回答下さった皆さん、ありがとうございました。

P.S.最近、メルアドを取得した方がいいのだろうか?と思う今日このごろ。携帯電話では限界があるし(正確には、それもほとんど使わない)、かと言ってないのも不便かなあ…とも思う。ただいまPC入門書を読みながら思考中です。


Re: オフ会(東京方面)に際してのアンケート 10395へのコメント
No.10400  Mon, 14 Jan 2002 21:10:46 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

こうもり wrote:
>>
>>1.日取り 1月26日(土) OR 2月23日(土)
>
> 現時点までの参加希望者は1月26日が大丈夫みたいですね。
>
あいにく俺は、どちらの日も都合が悪くて行けないな。
日曜日ならば行くことができるが・・・

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