アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
あんく wrote:
>武田好史さん wrote:
>
>>
>>今日はこんなことをお尋ねします。
>>
>>相性がいい(=友達になりやすい!)ホロスコープ・血液型って、ありますか?
>
> ホロスコープに関しては、「これだ!」と合点のいくような相性を感じたことはないけれど、私自身に関して言えば、私は牡牛座O型なのだが、なぜかAB型にはなつかれやすいというデータがある。血液型で相性の良い順に並べるとすれば、AB>B>O>Aかな。っていうより自分と仲良くしてくれている人々の、多い血液型順に並べてみただけなんだけれど。
> 若かりし頃、自分のセクシュアリティに悩んでいた時期があって、その頃読んだ別冊宝島「女を愛する女たち」に、「恋人にしたい星座・血液型は?」というアンケートがあって、回答は「牡牛座」と「O型」がダントツトップだった。とゆーことは、私はレズビアンにもてやすいって事(・_・!)?でもやっぱりいまの自分には、男も女も荷がかちすぎるや。
僕の場合A型ならみずがめ座。B型ならうお座・かに座・さそり座。O型ならうお座・かに座・おとめ座。ABならしし座といったところでしょうか。
中でも結構あたり口がうお座O.Bで、おしゃべりが円滑に進む人に「ところで、星座と血液型何ですか?」と聞くと、なぜか必ずといっていいほど、この2つが多いです。さそり座B・おとめ座Oがこれに次ぎます。どうもこれらの人は、珍しいものや凡人と違った趣味などに興味がある人が多いみたいです。
うお座Bは母方のおばあちゃんがそうで、もう80歳以上になりましたが短歌を詠んで新聞に投稿したり、地区の福祉関係の相談役を勤めたり、現代詩の書を書いたりなど、積極的にいろいろな地域活動に参加しています。また、学生時代に物理学実験のパートナーになった子がやはりそうで、好きなアニメの話から、中学のときに体験した千葉県沖地震の話、方言の違いの話など様々なことを会話しました。
うお座Oもやはり親戚にいて、母の弟の娘つまりいとこです。とっても好奇心が強く、「何でもやってみたい!」という感じのエネルギッシュな子です。いつも母の実家に行くと、私の家族に家族と一緒にあいさつにやってきて、お母さん譲りの優しい声で「よっくん・・」と呼びかけてくれます。あとボランティアをしていた福祉作業所の指導員の方にもいて、気性が激しく頑固でそのくせどこか抜けている私のことを、良く面倒を見て下さいました。自閉症の人の面倒を見てる人なので、よく「自閉症」や「AS」のことについて、お互いに意見を出し合い話し込みました。
中学時代の同級生の男の子にもいて、いろんなことを話しました。
反対に相性が悪いのは、ふたご座O・おうし座O・かに座A・やぎ座B・みずがめ座Bといったほうです。案外「あたしはあたし」「俺は俺」と我が強かったり・人を束縛したり・やなことを無理やり強要したりということが多い人に感じるのか、なんか苦手です。ちなみうちの家族は父がふたご座O・母がみずがめ座B・妹がやぎ座Bでいっつもいがみ合ってばかりです。
そうう言う私は、かに座B型でーす!永遠の子供でマイペースの・・・
みどりさん wrote:
>同じ形の色ちがい商品が大量に整然と並んでいるお店。ふらふらと足が寄って行ってしまいます。
>一つだけ連れて帰ってもこの魅力はないのよって自分にいい聞かせないと、つい買ってしまいそうになります。
いつも一つだけ連れて帰って、失敗してました…。そっか、ひとつだけじゃ、あの売り場での魅力は再現できないんだ。←今ごろ気付く。
よし、次からは全部買う覚悟で行こう(そんな財力はございません、覚悟だけです、あくまでも。)。
>子供の頃の「おでかけ服」は全部千鳥格子でした。(普段着は親が勝手に買ってきたけど、おでかけ服は試着するために自分でも選べたので)
>今でも、油断すると千鳥格子ばかり買ってしまいそうになります。
自分の服には千鳥格子がありません、一枚も。他人が着ているのなら、全体(服としての)が見渡せるから。母の千鳥格子のスカート大好きでした。誰か着てくれないかなあ、千鳥格子。最近は流行ってないから見ませんね〜。さみし。
>変でも変でなくても、私の仲間だわ。
やたっ!(^o^)v ←ピースサインのつもり
Mariaさん wrote:
> 美術館も「ミュージアム」の一種ではあるので、美術館にあるものも、「(広義の)博物館」にあるものとは言えますし、美術館にあるものも、すべてが「美術品」というわけではなく、「美」というものを研究するための素材、という意味では、貝や鉱物の標本が美術館に置いてあってもおかしくはないわけです。
> そういう意味で、「美術とは何か」に関するものであれば、美術館に収蔵されていてもおかしくないわけです。民具や雑器のように、「用の美」というものもあれば、昆虫や戦闘機のような「機能美」もあります。
あ!なるほど。私のなかでは「美術館」というものは「見せ物小屋」みたいなイメージ(言葉が悪いかなあ?)があったので、なんかよくわかんないよって思っていたんです。これで納得。
> あたしは立石鐵臣さんに私淑しているのだけれど、その立石先生が課したトレーニングたるやとんでもないものでした。まず、真直ぐな線を均一に引く練習から始まって、玉子を点描で描く練習、次に「割れた玉子の殻」を点描で描く練習、次が胡桃の殻を点描で描く練習、次が「割れた胡桃の殻」を点描で描く練習、次が蜻蛉(とんぼ)の羽根を描く練習でした。美術というのは必ずしも作品を鑑賞するものではない、というのが分ってしまいました。ハマるぞぉ? うふふふふふふふふ。
私、以前は絵を描いていたのですが、そういう美術の「技術」はちっとも学んだり習ったりしたことがありません。だから、昔の仲間の作品に比べると私のは技術的にたいへん稚拙でした。でも、習いに行きませんでした。きっと技術を習得してしまうことで、技術に集中しようとするあまり、アイディアをなくしてしまうことが怖かったんだと思います。今なら教えてくれる人(私に長時間付きあえる人)がいれば、いくらでも行ってみたいと思いますが。アイディアを失わない(忘れない)技術を少しは学んだので。
点描か〜。確かに点で描いたら陰影をつけるのがうまくできそうな気がしてきました。よし、週末は絵を描こう!うふふふふふふふふ。(←マネ)
> で、何が「美術品」か、というのもけっこう難しいものがあるのですね。
> 縄文式土器は、弥生式土器の「洗練された」美しさに対して、ずっと美術的価値はないとされていました。縄文式土器の美術性を最初に認めた(というか、「いい」と騒いだ)のは、あの岡本太郎さんです。
結局「誰が」美を感じているんだ?と思います。「誰の」美を感じとろうとしているんだ?みたいな。例えば100枚の絵があったって10枚しか展示できなかったら、必然的に選ぶ人がいて、選ばれる絵があって。選ぶ人が100人いればそれぞれ違うの選ぶしなあ。その人が感じた美を感じとれなかったら、美術館でもなんでもないじゃん!と思ったりして。
ある作者がいたら、その人の作品全部をいちどに展示して欲しいと思います。勝手に選ぶなよ〜。「私が」美を感じたいんだ〜。
るう wrote:
>同じ高さの本が整然と並んでいる本棚とか新品の36色色鉛筆の展示とか見ると、もうついジーっと見つめ続けてしまいます。
>視覚的に安心するんです(?自分でもよくわかりませんが?)。
同じ形の色ちがい商品が大量に整然と並んでいるお店。ふらふらと足が寄って行ってしまいます。
一つだけ連れて帰ってもこの魅力はないのよって自分にいい聞かせないと、つい買ってしまいそうになります。
36色のサインペンをもらって、ものすごく嬉しかったの覚えてます。お絵かきはしないんだけど。
バラして使う気になんかなれない。きれいなまま並べておいて、使おうと思えばいつでも使えるんだって思ってる状態が最高。
>一番好きなものは千鳥格子!あれ見てると、ほんとうに心に平和が訪れる。
子供の頃の「おでかけ服」は全部千鳥格子でした。(普段着は親が勝手に買ってきたけど、おでかけ服は試着するために自分でも選べたので)
今でも、油断すると千鳥格子ばかり買ってしまいそうになります。
>私、変?
変でも変でなくても、私の仲間だわ。
るうさん wrote:
> …ん?てことは、博物館にあるものでも、美術的な価値があると認められたものであれば、美術館行きになるのでしょうか?
美術館も「ミュージアム」の一種ではあるので、美術館にあるものも、「(広義の)博物館」にあるものとは言えますし、美術館にあるものも、すべてが「美術品」というわけではなく、「美」というものを研究するための素材、という意味では、貝や鉱物の標本が美術館に置いてあってもおかしくはないわけです。
あたしは立石鐵臣さんに私淑しているのだけれど、その立石先生が課したトレーニングたるやとんでもないものでした。まず、真直ぐな線を均一に引く練習から始まって、玉子を点描で描く練習、次に「割れた玉子の殻」を点描で描く練習、次が胡桃の殻を点描で描く練習、次が「割れた胡桃の殻」を点描で描く練習、次が蜻蛉(とんぼ)の羽根を描く練習でした。美術というのは必ずしも作品を鑑賞するものではない、というのが分ってしまいました。ハマるぞぉ? うふふふふふふふふ。
そういう意味で、「美術とは何か」に関するものであれば、美術館に収蔵されていてもおかしくないわけです。民具や雑器のように、「用の美」というものもあれば、昆虫や戦闘機のような「機能美」もあります。
で、何が「美術品」か、というのもけっこう難しいものがあるのですね。
縄文式土器は、弥生式土器の「洗練された」美しさに対して、ずっと美術的価値はないとされていました。縄文式土器の美術性を最初に認めた(というか、「いい」と騒いだ)のは、あの岡本太郎さんです。
あたしが思うに、日本には「工芸品」はあっても「美術品」はないのではないか、と思うんですよ。
たとえば、「日本画」と「西洋絵画」の違いは何か、です。
日本画は紙、西洋絵画は板やキャンバスや土壁。日本画は水彩が代表、西洋は油絵が代表。色を混ぜない・混ぜる。平面的・立体的。陰影をつけない・つける。図案的・写実的。こうした差があります。
だけど、いちばんの差は、日本美術が「所有し、使う」、「もの」であるのに対し、西洋美術は「表現」を追求するものである、という差があるように思うんです。日本美術は、額に納まって飾られているものではないんです。活き活きと息づいているのが日本美術。こういう美術の登場は、西洋においては「デザイン」というものが市民権を得るまで待たねばなりませんでした。日本美術は、常に「デザイン」の延長としてあったと思います。
日本を代表とする美術品というと、「浮世絵」と「日本刀」だと思います。で、他に例を捜すにしても、「屏風絵」だったり「襖絵」だったりするのだな。「浮世絵」はべつに「使う」もんじゃないだろう、とか言われそうだけど、浮世絵の多くは挿絵だったり広告だったり春画だったりするわけで、「用」というものをつねに意識していたわけです。
そんなわけで、日本で「美術館」と言えるのは、ほとんどない気がするのね。西洋美術館と近代美術館と都立美術館くらいしか、あたしは思い至りません。都立美術館は好きです。館長さんとは一度、中学時代の恩師の個展でお会いたことがあったりします。日本にはない「美術」、「無用の美」を育ててゆこうという気持が、なんとなくわかったような気がします。
エンジニアとしては、「用の美」というところに惹かれる部分はあるのですが、「無用の美」(たとえばダダイズムとか)にも強く惹かれるあたしではあったりします。
(Maria)
テレビショッピング見るのってほんとにいい時間つぶしだけど、
今日、「通販生活」という雑誌を買いました(160円)。
今日は写真だけ見ることにして、明日から商品説明をじっくり読むつもりです。
ああ、ちいさなシヤワセ〜。
グルンサさん wrote:
> 蛇足ですが、私の高校時代(だったかな?)、当時60代位の男性の話。(私には、その話が聞こえてきただけでしたが。)その男性、「それ」だけで話を進めていたそうです。はたして、周囲の人はその男性の話についていけたんだろうか…?とふと思ってしまいました。(その事を話していた先生[だったかな?]も、なかばあきれ顔といった感じで話していましたが…。)
父「おい、あれを、あそこへ持っていってくれえ」
私「?」
父「だから、あれ、あれ!あれをあそこへ持っていって、ああしといてくれえ。」
私「???」
父「わからんか!? いや、あの棚のなかへああしとけと言ってるだろ!」
私「…」
少し歳をとると物の名称がすぐに思いだせないことがあるのはわかるけど、
きっと、ASでなくてもわからないよ、お父さん。
(でも、母にはなぜか通じていた。お、おそろしい)
グルンサ wrote:
> こんばんは。私も時としてありますね、これ。(失礼ですが、この書き方で大丈夫でしょうか?)
いいえ、”これ”は失礼じゃないですよ。大丈夫です。
> 職場で「あれ取って」と言われた場合、「あれって何だ?」と思いつつ、これかなあ…と思って相当しそうなものを取ってきてみれば、「違う違う、その右」なんて言われたり。(幸い、今はあまりありませんが。単に話をしないだけかも?)
私も上記の出来事は日常茶飯事です。仲間仲間。
>「んなこと言うなら、名詞で言えっ!」と言いたくなりますね、ホントに。
>(ちゃんと名詞で言ってくれる上司もいますが。)
同感ですね。(笑)
Mariaさんwrote:
> もともとはMusaeumといって、芸術・学問の女神Musae(英語のMese)の神殿のことです。転じて美術館(工芸館)・博物館・図書館(資料館)・学園(公開研究機関)といった意味になりました。
中略
> 「博物学」というのは動物学と植物学と鉱物学を合わせたものと考えてもいいのですが、「博物学」という言葉が使われていた当時のイメージとしては、「自然科学」そのものだと考えて間違いないように思います。そんなわけで、植物・動物・鉱物の標本を収集・管理(保存・調査・分類・整理)・(研究のための)公開をしているのがもともとの「博物館」ですが、「相撲博物館」(国技館内)へ行っても力士の標本は並んでいません。
> そもそも博物館というのは、学術・芸術に関する研究機関、あるいは研究をサポートする機関なので、学芸員(キュレーター。curator)という人がいて研究者に便宜をはかってくれることになっています。図書館もそうですね。「利用」してくれる人がいないと、博物館としての意味がありません。そんなわけで、図書館(資料館)もMuseumの一種ということになっています。
…ん?てことは、博物館にあるものでも、美術的な価値があると認められたものであれば、美術館行きになるのでしょうか?
子供の頃に岡山県にある、オリエント美術館というところ(博物館ではありません)に行ったのですが、昔の人が作った壷とか土器(っていうのかな?皿とか馬とかの焼き物)が展示されてて、…こういうのは博物館にある類のものなのでは?と思っていたのです。
物の分類というのは難しいなあ。
でも分類好きな私。整然と規則を持って並べるのが大好きです。
きっちり小さい四角に区切られた鉱物標本の箱なんかみるとウズウズします。たまりません。同じ高さの本が整然と並んでいる本棚とか新品の36色色鉛筆の展示とか見ると、もうついジーっと見つめ続けてしまいます。
視覚的に安心するんです(?自分でもよくわかりませんが?)。
一番好きなものは千鳥格子!あれ見てると、ほんとうに心に平和が訪れる。
私、変?
I wrote:
> 以前勤めていた職場で、「あたし、昭和天皇陛下と誕生日が同じなんですよ」と言った女性に、思わず「へー、そんな年齢(とし)には見えませんね」とツッこんでしまい、ちょっと恨まれてしまいました。
みどりさん wrote:
> それは秀逸なネタなのに。
「ネタ」というより、つい思いついてしまうのですよ(T_T)。
今日も「この列車は車庫に入ります」というアナウンスを聞いて、「電車が入る車庫っていうのはずいぶん大きいんだろうなぁ」と思ってしまいました。「違うだろっ!」とセルフつっこみを入れてから、そういえば「立体駐車場」というのは、正確には「立体車庫」ではなかろうか。そもそも「車庫」と「駐車場」はどう違うのか。ううううう、わかんないよぉ、と悩んでから、「車庫」は場所の所有者と車輌の所有者が(原則として)一緒で、「駐車場」は(原則として)同じとはいえないのではないか、とかいうアイディアに到達してしまいました。
中華料理店には「〜麺」と「〜そば」があるけれど、どこが違うのだろうか、とかマジに考えてしまったこともあります。「麺」は上に乗っている具にとろみがついていなくて、「そば」はとろみがついていない、という違いがある、という事実に気がついてしまったりもしました。
ときどき、「自閉症漫才」とかいうのをやったら面白いかもしれない、と思ってしまいます。自閉症方面の人間が自閉症をネタにして漫才をやっちゃうという。
「ところで、なんで笑われてるんだろう。」
「……わからん。台本通りやってんのに。」
どこまでがネタでどこまでが素(す)かわかんないという……(-_-!)。
『アスペルガーの館の掲示板』以外でこのネタやったら大顰蹙だろうな。
(Maria)
あんくさん wrote:
>武田好史さん wrote:
>>今日はこんなことをお尋ねします。
>>
>>相性がいい(=友達になりやすい!)ホロスコープ・血液型って、ありますか?
>
> ホロスコープに関しては、「これだ!」と合点のいくような相性を感じたことはないけれど、私自身に関して言えば、私は牡牛座O型なのだが、なぜかAB型にはなつかれやすいというデータがある。
はじめまして、あんくさん。これを読んで「お、仲間だ」と思いました。というのは私も牡牛座なので。(ただし、血液型はA型ですが。)武田さんの質問については…うーん、わからないな…。(すみません、答えになってないレスで。)
(けいさん wrote:
>こんにちは。けいです。皆さんは”あれ”、”これ”、”それ”、
>”だいたい”など、曖昧な表現はわからない事がありますか?
>
>(中略)人に”あれこれじゃなく名称で言って欲しい”と私の心の中で
>叫んでいます。
>
>”あれこれそれ”を理解するのは困難です・・・。
こんばんは。私も時としてありますね、これ。(失礼ですが、この書き方で大丈夫でしょうか?)
職場で「あれ取って」と言われた場合、「あれって何だ?」と思いつつ、これかなあ…と思って相当しそうなものを取ってきてみれば、「違う違う、その右」なんて言われたり。(幸い、今はあまりありませんが。単に話をしないだけかも?)
「んなこと言うなら、名詞で言えっ!」と言いたくなりますね、ホントに。
(ちゃんと名詞で言ってくれる上司もいますが。)
蛇足ですが、私の高校時代(だったかな?)、当時60代位の男性の話。(私には、その話が聞こえてきただけでしたが。)その男性、「それ」だけで話を進めていたそうです。はたして、周囲の人はその男性の話についていけたんだろうか…?とふと思ってしまいました。(その事を話していた先生[だったかな?]も、なかばあきれ顔といった感じで話していましたが…。)
こうもりです。東京オフもまだ準備段階なのですが、関西オフのお知
らせをしておきます。
不肖こうもりは2月9日〜11日の連休中に大阪に遊びに行く予定が
あり、MLの知り合いと示し合わせて、2月10日(日)の正午から関
西(おそらく大阪の難波地区)でオフ会を開く予定でおります。
まだ、予定が決まってないのですが、参加したいという人がおられた
らこの掲示板か下記のメールアドレスに連絡していただければ幸いであ
ります。
(連絡先)成人LDの会seijinld@msg.biglobe.ne.jp
正式な告知は後日アップします。個人的には関西にお伺いする機会が
あまりないので、関西のみなさんとお会いできることを楽しみにしてお
ります。では
こんばんは、truthさん。(あ、出だしが同じですね。(^^))
truthさん wrote:
>(前略)そんな所があるなぁと思います。周りの音・雰囲気・・・雑音・・・情報に振り回されて、自分の声は聞こえなくなるみたいな気がします。反対に、自分の声に耳を澄ますと、反対に社会の流れが分からなくなるというか・・・。
そうですね。今、正にそう思います…。
>昔から、「パパラギ」という本を読んで、(中略)これは実現不可能・・・ではないけれど・・・難しい・・・という事で現実的に合った仕事を探そうとしても、「本当にやりたい」って感じではないのかもしれません。我が儘かな。
いえいえ、わがままとは思いませんよ。せめて、表に出す・出さないは置いといて(可・不可も[笑])、可能な限り自分の気持ちに正直な方が良いのではないでしょうか?(でもやっぱり、1つでも多く可能にしたいですね。)
>都会の情報と、日々の生活とかに流されると、一個の事を自分のために考えるのってとっても難しいなという感じ、します。後、合わなくても、何でも、一度仕事を始めて、「仕事の効率」はダメでも、その場所に行く事に慣れてしまうと、特に・・・新しい場所に慣れにくい・・・変化が苦手な私は、その場所を離れて新しい場所に行く・・・新しい仕事を始めるっていうのは辛いだろうなぁ・・・と思うと、やっぱり、惰性で仕事を・・・「辞めてね。」と言われない限り続けてしまう部分もあるなぁと思います。
これ、私にもあると思います。(自慢じゃないけど、去年はボロクソに言われましたね、ホントに[涙。]…って、こんなの自慢にならないってば(--;)。)
>でもっ・・・新年だし・・・1月だし・・・今年は・・・又、模索しつつ・・・頑張るっ・・・と決意しています。
そうですね。お互いに、「これだ!」ってものが見つかるように…。では。
こんにちは。けいです。皆さんは”あれ”、”これ”、”それ”、
”だいたい”など、曖昧な表現はわからない事がありますか?
私はしょっしゅう解らないです。人に”あれ取って”といわれたら、
”あれってこれ(物を持ったり、指さしたりしながら)ですか?”と
確認してばかりなので、仕事先、学校では”この人(けいの事)変だ”
と言われています。
初めて精神科を訪れた時、医師から”ここで治療しましょう”と
言われて”ここってどこですか?”と聞いてしまいました。
私は、他の病院で治療するのかな?どこの診察室で治療するのかな?と考えて
いたのです。
人に”あれこれじゃなく名称で言って欲しい”と私の心の中で
叫んでいます。
”あれこれそれ”を理解するのは困難です・・・。
Maria wrote:
> 以前勤めていた職場で、「あたし、昭和天皇陛下と誕生日が同じなんですよ」と言った女性に、思わず「へー、そんな年齢(とし)には見えませんね」とツッこんでしまい、ちょっと恨まれてしまいました。
それは秀逸なネタなのに。
自分が手を叩いて転げ回りたいほどすばらしいと思うジョークが、周囲からみると単に辛辣かつまらないかだったりするらしいこと多数。
周囲がおもしろがっていることを自分がおもしろいと思えることはそう多くない。
いわゆる「お笑い」の人ってさっぱりおもしろいと思えないし。もっとおもしろいものを提供してくれる芸人を出せー。
…まったくおもしろくないったら。
ここ数日かなり不機嫌な みどり
グルンサさん wrote:
> 「7年前の同じ日」という表現、『今から7年前のこの日』とすべきだった…。
…情けない訂正レス…。
以前勤めていた職場で、「あたし、昭和天皇陛下と誕生日が同じなんですよ」と言った女性に、思わず「へー、そんな年齢(とし)には見えませんね」とツッこんでしまい、ちょっと恨まれてしまいました。
これだからASは……(-_-;)。
(Maria)
武田好史 wrote:
>
>相性がいい(=友達になりやすい!)ホロスコープ・血液型って、ありますか?
若い頃は血液型に大分こだわっていましたが年をとったら丸くなったのでしょうか。人間ができたきたわけはないのですが、まあまあどの血液型の人とも平均につきあっています。正確に言えばどの血液型の人からも遠ざかっているというか。たはは。でも若い頃は、O型の人とつきあいやすい感じだったので今もつきあいの続いている友人はO型の人が多いですね。ちなみに私は、A型の蟹座です。今は血液型にはつきあいの偏向はないのですがホロスコープでいうと不思議に私と同じ水の星座、魚座、蠍座、蟹座の人とは気楽な感じで話せます。でもやっぱり、どの星座、どの血液型よりAS、ADHDの人と合う感じです。
武田好史さん wrote:
>
>相性がいい(=友達になりやすい!)ホロスコープ・血液型って、ありますか?
血液型占いが当たっているかどうかわかりませんが、血液A型の人は会話がしやすいです。
とにかくフォローがうまく、話をちゃんとつなげてくれて、軌道がはずれたら修正してくれる人が多い。
B型は、合う人と合わない人が極端で、話が合う人は、「くだらない話」で盛り上がってボケ合戦になって、話題がどんどんずれる。
合わない人だと、とことん合わない。相手の興味のない話だと「は?」で終わり。
こういうのを相性と言わないのかもしれませんが、どうでしょう?
ちなみに私はB型です。普段おとなしいのでA型と間違われがちですが、話をすれば「やっぱりB型!」と言われてしまいます。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami