アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
一生懸命文章を打ち込んでいる間にMaria さんの書き込みが投稿されていました。で、すぐ下の文章は、最新のMaria さんの書き込みを読んでなかったんですが、なんか関連のあることが書かれているので、もう一度考えます。
>Mariaさん wrote:
> 現代の義務教育における国語教育(特に小学校)は、具体的になにを教える、と>いう目標を欠いている気がします。けっきょく、漢字の書き取りのような、数値>化できるものに偏りすぎていると思うんですよ。それはそれでアスペっ子が適応>しやすい部分があって助かる部分はあるのだけれど、アスペっ子や外国人に「普>通の(日本人の)子供にとっては自明なこと」を教えるメソッドが欠落してたり>とか、思春期以降、自分を客観的に見つめるようになってから、そのための道具>としての基本的な「ことば」が身についていなかったりとかいった弊害を生んで>いるように思います。日本人は日本語という環境の中だけしか知らないこともあ>って、「ことば」を通じて自らを見つめる体験をしていません。
> だからイーデス・ハンソンさんにも「日本人は『異質なもの』を受け入れる能力>が低い」とか言われるんだよな。本当はそんな馬鹿なことはないんですよ。漢語>だってカタカナ語だって、日本人が積極的に取り入れてきた「異質なもの」なん>だから。そうではなくて、「自分」というものに対する問いかけというものが欠>けているのだと思います。だから、「自分」という規準に何の疑問も抱かなくな>ってしまう。自己中心的だとか社会性の欠如というのは、周囲が見えてないので>はなくて、自分が見えていないのだと思います。それは同時に「客観性」に身を>置くということで、「社会」という目を持つということです。おとなに必要なの>は、社会を見ることではなくて、社会の目でものを見ることです。
やっぱりMaria さんてすごいです。
僕がさっきの投稿で、苦労してごちゃごちゃと書いていたのは、結局こういうことなのかもしれません。
この部分、
>「自分」というものに対する問いかけというものが欠けているのだと思います。>だから、「自分」という規準に何の疑問も抱かなくなってしまう。自己中心的だ>とか社会性の欠如というのは、周囲が見えてないのではなくて、自分が見えてい>ないのだと思います。
そうなんですよ。
僕がこのところずっと感じているのはそういうことなんです。
って、ここでまたまた言葉が同じためにMaria さんの考えを理解したつもりになっているのかもしれませんが、もうそれを恐れずに、どんどん発言してみるとすると、
僕ははじめASを理解するつもりだったけど、もがいていく中で見えてくるのは、ほかならぬ自分の姿なんですね。
もちろん、まだ何も見えているわけじゃないんですが、それは単に今までの自分の物の考え方や感じ方を疑うと言う程度のものではなく、もっと根本的な、自分ってどんなヤツなんだろうと言う感じでしょうか。
始め、僕はASが理解できず、人間ってなんなんだろうと言う思いに苦しみました。
それを今、やっぱり人間は同じだ、同じ人間なんだから、きっと分かり合えると言う結論にもっていくんではなく、あー、もうここがうまく言えなくてイライラするんですけど、考えれば考えるほど、問題が自分に帰ってくるんですよ。
それは自分の方がおかしいんだとか、自分もASかも知れないとか、そういう具体的なことではなくて、くそー、もうほんとに、何でうまく言えないんだろう。
自分と言うものがいったい何から出来上がっているのかとか、どこから来たのかとか、そういうことなんでしょうかね。
って、人に聞いて分かるわけないですよね。
とにかく、そういう思いです。
>あさかぜさんwrote
>もちろん、人間はASという部分だけで成り立っているわけではない。男女の違>いというものもあろうし、育ってきた家庭環境や出会ってきた人間によっても違>いが生まれるわけだ。
>人間は「個」として確立している、とわたしは考えている。人間はひとりひと>>り、みんなちがうのだ。人と人が出会うことって、異文化接触そのものだと思っ>ている。たとえ親子の間であっても、だ。たとえばASという背景をしょってい>なくても、相手は「自分とはちがう人間」なのだから、ちがう考え方や受け取り>方をしても当然、というところがわたしの基本。
ここのあさかぜさんのお考え、確かに今の僕は受け止めました。頑張って考えていきます。
>でも、自分なりの誠意で接しても、相手に通じなければ失礼なだけですよね。
>だからね、「相手に通じなければ失礼なだけですよね」というのは、どこからく>るわけ?相手もまた自分と同じように思っているはず、というのは思い込みでし>かないかもしれない。どんなに誠意を尽くして接しても通じない相手なんてもの>は、世の中にゴマンと存在するんだよ。白さんには酷な言い方かもしんないけど>さ……。男女の違いとか年齢の違いとかを超えて、“通じない相手”というもの>はいる。
でも、ここはまだ同意しません。
間違っているかもしれないけれど、僕は「通じない」ことはないと信じます。
信じてます。
多分、この部分は僕の基本なので、「重い」とか何とかいわれても、人を信じて真剣に関わっていきたいという思い、それは僕を僕として成り立たせる重要な要素だと思うんです。
多分、皆さんがアスペでなくなれば、ご自分じゃなくなってしまうように。
なぜ僕がそんなふうであるのか、それはおいおい考えて行きたいと思います。
それがさっきから話していることなんだと思うんですよ。
で、最後ですが、
>(すっかり女性心理におびえている白)
>あのなー。これからやんけー。スタートラインに立ったとこじゃんか。
>「目覚めよ、冒険心!」だぜいっ!!
あ、はい、先輩、すいませんです。m(__)m
でも、女の子の心理には、基本的に別に興味ないんで、それこそそんなことを研究して、機嫌取りたくないわけで、微妙な心境なんです。
それじゃやっぱしダメでしょうか。(笑)
昨日はすっかりパニックで一日過ぎてしまいましたが、もう一度考えてみようと思います。
取り乱してすいませんでした。
とりあえずですね、僕は今、女の子のことがどうのこうなんじゃなくて、まだよくわかってはいないけれど、今やASの感性そのものに興味を持っているわけですよ。
いや、興味と言うと、なんだか失礼な言い方じゃないかと思うんですが、最初、これも失礼な言い方なんですが、敢えて伝えるためにそのまま表現すれば、とても受け容れられないと感じたASというものが、実はすごく面白い(これも失礼ですね)物の見方なんじゃないか、それがまだどういものなのかは、繰り返しますが、分かっているわけじゃないですよ。でも、ここを乗り越えれば、何かが見えてくるような、そういう感覚ですね。
うまく伝わらないかもしれないけれど、ちょっとどきどきするような。
僕もようやくここまで来ました。
だからもう、ある意味では、例の彼女がASかどうかということは、あんまり関係がないことなのかもしれません。
そりゃあ、実際には僕にとっては大問題なわけですが、ここでそういうひとつの具体例にこだわってしまうと、全体が少しも見えてこない。
例えばこれはようやく理解したことですが、ASの人と言っても一人一人個別の人間だと言うこと。
僕ははじめ、自分が受けた衝撃があまりに大きかったために、自閉症と言う、特殊な状態にいる人たちが、同じような状態で存在しているのだというような感じに、漠然とですが理解していたようです。
実際、色々書かれている本と言うのは、いわゆる善意の「普通人」の研究者が書いているんであって、いい意味にせよ、悪い意味にせよ、「普通人」的な感性で、皆さんの事を見てしまっているわけなんだと思うんです。
この間も書いたことですが、僕たちの間には、幸か不幸か共通の言葉が存在する。
全ての誤解はここから始まるのではないかと思うんですよ。
同じ言葉だけど、その内容というか、意味しているものというか、概念と言うか、いや、そういう単純な言い方では多分ダメですね。
もしかしたら、内容とか概念さえも同じなのかもしれません。
だからそうではなくて、同じことに対する感覚が違うと言うか。
うーん、この言い方でもダメですね。
誰か、もう少しうまく表現できる人がいてくれるといいんですが、一つの言葉が持つ語感というか、言葉の持つ背景が違うと言えばいいんでしょうか。
例えばなんですが、と言いながら、これもこの前から書いていることですが、ぼくと皆さんの間では、この比喩表現と言うのはけっこうこわいもんだと僕は思います。
よくわかるだけに、必ず自分の世界側の理解の仕方をしてしまう。
少なくとも、このところ、ぼくはそうだと思っています。
でも、とりあえずここでは、ぼくにはたいした表現力はないので、ゼロの理解よりはましかなと、それだけの注意書きをつけて表現してみると、
大阪の「あほやなあ」と言う表現。
関西の人ならわかると思うんですが、これって確か、ある意味誉め言葉、悪く言っても親しみの表現なんですよね?(実はちょっと不安。あってるんでしょうか。)
だから、「あほ」という言葉は「ばか」とも「まぬけ」とも「ろくでなし」とも決定的に違う言葉なのであって、言ってみれば、好意の表現な訳(違う例もあるんでしょうが)なんでしょうが、しょって立つ物が違うもの同士が話をすると、ここで多分混乱が起きる。
そこで、「あほ」だと言われている相手に対して、「だからあ、誉めてるんだって」といっても、それ以上説明しなければ、「こいつ、からかいやがって」とか最後には「ごまかしやがって」ということになるんじゃないでしょうか。
これを理解してもらうには、大阪における「あほ」という言葉の使い方を説明するのはもちろんですが、それだけではダメで、相手がどの部分に反応して怒っているのかを、きちんと把握しないと、意味がありません。
つまり、この場合なら、相手の「あほ」に対する同義語としての、「ばか」という言葉の使い方を知らないでは、違いを説明することが出来ないと思うんですよね。
さらには、大阪における「あほな人」に対する、大阪人の伝統的な受け止め方と言うものが、問題になってくると思うんですよ。
あほなこと、つまり、ドジ(この言いかえでいいのかこれも不安)だとか、発想が変っているとか、天然ボケとか人がいいからいつも損をするとか、こういう普通ならマイナスに評価されることを面白がってしまうと言う大阪の感性がわかって初めて、「あほやなあ」と言われて、悪い気がしなくなるわけですよね。
って、このあたり、実は全部兄貴の受け売りなので、もし大阪の人が読んで、これはおかしいと思われたとしたら、全部兄貴の責任です。(笑)
分かりやすいかなと思って、使ってみましたが、人の例ではやっぱなんとなく実感わかないんで、もう一つ僕の例。
「お前変ってるよなあ」は、僕と僕の友人たちの間では、明らかに誉め言葉です。
「変人」というのも、言ってみれば一つの称号ですね。
「おもしろいぞ」とか「受けてるぞ」とか「大好きだ」とか、場合によっては「お前は天才だ」という感じでしょうか。
だから思うんですが、今まで僕は皆さんに対して、色々なことを質問することで、皆さんを理解しようとしてきました。
でも多分、それだけではダメで、僕はこう受け止めると言うことを、もっと伝えていかなければならないのじゃないかと思うんです。
僕は、そういうことは皆さんもう十分にご存知だと思っていたので、そういう一般的な感じ方をここでごちゃごちゃ書くのはウザイだけだろうと思っていましたし、最初の方で、「好意を伝える」とか「頑張れ」がどうのこうのの話をしたときに、これはやっぱり言わない方がいいと思ってしまったんですが、
>Mr.Motoさん Wrote
>じつは白くんの書込みをその直前(つまり自分の文章を読み返す直前)に読んで>いて、「とはいえ同じ『わからない』でも、何を分っているつもりでいるのかに>よって説明も違ってくるのだよな」と感じていたのである。「普通の人」が「あ>たりまえ」だと思っていることが、我々にとっては全然「あたりまえ」ではない>ところに問題があったりするので、何かを「付け加える」ことで説明することで>は説明にならず、逆に「ここんとこの点についてこう思ってはいまいか?」と>>「あたりまえ」の部分を崩してゆかないといけないということが、あったりする>のである。
の部分を読んで、僕はこれからは、僕なりのアプローチをしていこうと思っています。
それにはまず、先ほど書いた、僕がどの部分に反応して、感情的になったり悲しくなったりするのかを、やっぱり正直に書いていかないといけないと思うんです。
僕は表現力がそうあるわけじゃないし、変なところに気を遣うタイプなので、なかなか率直な意見は言いにくいんですが、それにその過程では、また皆さんの気分を害することが出てきてしまうと思うんですが、僕も頑張るので、どうか付き合っていただけませんでしょうか。
そういう意味で、Mariaさんの論文、すごくよくわかるし、期待してます。早く次を載せて下さい。本当に有難うございます。
ただ、いい訳ですが、そういう過程では、やっぱり僕の生の実感として、彼女の話をすることはあると思うんですけど、あくまでも、そっちが主体じゃないんで、そう思って相手になってくださったら嬉しいです。
もちろん、そのことで相談に乗ったり、励ましたりしてくださっている皆さん、僕はそれは本当に、ものすごく嬉しいんですよ。
でも、もう潮時なんで、ミグさんの指摘もあったことだし、もう考えないようにしようと思います。(って、今まで何回そういう決意をしてるかわからないんですけどね。笑)
昨日の夜、さっきの例を聞くために、兄貴の部屋へ行ったら、
>好きじゃない人に言い寄られても、気分が悪いだけ。
>好きじゃない人が電話をして来ても、時間が無駄なだけ。
とかいう中島みゆきの歌がかかっていて、嫌なことにこの部分だけ鮮明に聞こえてしまいました。
よりによって、このタイミングでこんな歌かけるかなあ、って感じです。(笑)
僕としては、やっぱり彼女はAS傾向くらいはあると思うんですけどね。
>ふれさんwrote
>「あの人(白さん)、私のこと好きなのかなあ。ちょっとうれしい。でも、なん>となく、私の感性とちがうわ。悪気じゃなくて言っていることも、分かるけど、>あんまり詰め寄ってこられると、私苦しい。対応の仕方どうしていいかわからな>い。頑張れってこの間言ったのは、私のダメなところをよく知っているからだ。>自尊心傷つくな。でも、私もちょっとは好きだから、お土産あげちゃおうっと。>でも、あんまりヘンな関係にもなりたくない。だいいち、男の子と付き合うのな>んかどういうことなのか全然わかんない。そばに寄られると、なんか言われそう>だからやだ。す〜っとして、あっち行っちゃおう。わたしが、白さんのことで>>いろいろ感じていること、周りに悟られたくないよ、だから、無視が一番。これ>しかできない。私ってなんてヘンなやつなんだろう。」
>ASは、まるで傍からは想像も出来ないことで気持ちが変わることがあるので、>あまり突き詰めないで、適当に相手を受け止めてあげる度量の大きさって必要か>もと思います。わたしは、自分の思考回路をかき乱すようなことを言う人と交わ>ると、テキメンに奇行があらわれることがあり、ヘンな人だと思われることがあ>ります。私なりに自分の中では論理的な成り行きなのですが、一般の人にはまず>理解してもらえないことなので誰にも説明できず、一人で解決して(気持ち的>>に)自分で自分を慰めているようなところがあります。彼女もきっとどうしてい>いか分からなくて、無視という幼い結論にはまってしまったのかも知れません。
ふれさん、有難うございました。
この説明はよくわかるし、僕としては随分救われるものがあります。
お礼を言うのが遅くなってしまってすいませんでした。
僕は彼女がASだと思いたいんでしょうか。
でもね、僕は女性心理がわかってないんでしょうが、普通だったら、好きじゃなくて、僕に踏み込まれたくないと言うなら、
「あたし、白君のこと、どうしても好きになれない」とか、
「気持ちはうれしいけど、受け止められない」とか
「悪いけど、他に好きな人がいるし」とか
「白君って、いい人だと思うけど、恋愛の対象じゃない」とか
「白君のこと、いいお友達だと思ってる」とか
「あたし、今、そういうこと考える余裕ない」とか
「実はあたし、男の子ってダメ」とか
なんとか、はっきり断ればいいじゃないですか。
でもね、彼女の場合は、何かが違うんですよ。もう一度ここでは書きませんが。
でも、とにかくこれからそういうことで、頑張っていくんで、よろしくお願いします。
Yamoriさん、Mariaさん、KILROYさん、レスして下さって、有難うございました。
でも、なんかとっても難しくて、すいません、あんまり分かりませんでした。
特に、
>MariaさんWrote
>これはわかんない人にはわかんない話なんだけど、「ヤッちゃった」「ヤられち>ゃった」という関係は、すごく重いのね。「援助交際」とかいったものを認める>べきでないのは、この「重さ」がわかってない人間が、セックスという関係を結>んじゃいけない、ということだったりします。
> とはいえ、これは単にセックスという行為のことを言っているより、たとえば>登山においてザイルで結ばれた関係に近いものがあります。「バディ」とでも言>いましょうか。
> 言っとくけど、セックスって怖いぞぉ? 「気持が身体に持ってかれる」って>いうのがあるからな。
ここのところがすごく気になるんですが、もう一度聞き直してもいいでしょうか。
ところでMariaさん、僕ガンダム思いっきり知ってますよ。
「ジオンの系譜」っていう戦略シミュレーションゲームがあるんですが、それにはまって、初代ガンダムだけだけど、全部ビデオで見ちゃいました。
僕、実はマンガとか映画とかに関しては、結構オタクなんです。
「殴ったね」とか。(笑)
Joshya wrote:
> なお、毎時1852メートルは毎分30.87メートルとなり、これは毎分百フィートちょっとになります。毎分47フィート3インチでは「1852m/h」にはならないような気がするのですが。ひょっとしたら計算をお間違えではないでしょうか。
>
> (Joshya)
小学館の英和辞典「PROGRESSIVE」には、KNOTの意味として「(船の速さを測る)測程線の単位。47フィート3インチ。」とあります。つまり元は地球の1分の長さとは全くべつの基準を用いていて、後になってから、「そっちの基準が優れている」ということで、単位の変更があったらしいです。
風呂糸 wrote:
>こんにちわ風呂糸です。
>最近「わかってるのに出来ない脳」を読んで、
>日本で、脳のSPECT検査をしてくれて、それをADDなどの検査に使ってくれる病院をさがしています。
東京でしたら、御茶ノ水にある日本大学の精神科はやっていたと思います。
病院に電話して、相談してみたらいかがでしょうか??もし、やっていなかったら
ごめんなさい。
ちょいとご無沙汰いたしやした。ご心配いただいて、ありがとさんでございやす。なに、循環器系と消化器系にちっとばかり不具合がありやしてね。ま、たいしたことではござんせん。
あれこれ考えをめぐらしているうちに鯨夢ミグさんの鋭いご指摘があって、白さんも考えがすすんだようだと思いますんで、今さらわたしが書くことなんかありそうにないなーと感じます。でも、書いちゃう。
鯨夢ミグさん wrote:
> もし、白くんの好きな彼女がASだったとしても、それ以前に個人という、パーソナリティーがあります。
>本当に、ASだと診断され、生きている人間を見て下さい。
>ASである以前に、人間である、
これらのことは、とても大事ね。もっとも白さんも鯨夢ミグさんの言わんとするところがだいたいは掴めたと思う。以下の部分を引用してレスを書いているところから、わたしはそう判断したのだけれど。
>白くんはASと女性心理の違いを認識しているか、ということが少し気になったんです。
>人間関係で、深く関わりたいタイプは往々にして、男同士ならいい関係が築ける性格ですが、こと、男女間の係わりに関しては、そうでもないほうが多い。
>なぜか?
>男同士では良しとされることが女性社会ではそう、取ってもらえるとは限らない。
>多分、白くんの躓きの原因はその辺にもあるのではないでしょうか?
白さんwrote:
> 僕って、ASが理解できないんじゃなくて、女性心理が分かってなかったんですかー???!!!
一面は当たっていると思う。わたしが白さんに気づいてもらいたかったのは「彼女がASである」という思い込みがどこからきたのかを、もう一度考えなおしてみてほしかったということなのだ。それが、「自分の感覚というか、ものごとの捉え方を疑ってみたことはありますか?」と書いた理由だったりする。
ASという部分だけに焦点をあてても、いろいろな捉え方があると思うわけさ。「彼女がASで、白さんは普通の人」「彼女は普通の人で、白さんがAS」「彼女はASで、白さんもAS」「彼女も白さんもともに普通の人」とまぁ、いくつもの可能性はあるわけだし。
もちろん、人間はASという部分だけで成り立っているわけではない。男女の違いというものもあろうし、育ってきた家庭環境や出会ってきた人間によっても違いが生まれるわけだ。
人間は「個」として確立している、とわたしは考えている。人間はひとりひとり、みんなちがうのだ。人と人が出会うことって、異文化接触そのものだと思っている。たとえ親子の間であっても、だ。たとえばASという背景をしょっていなくても、相手は「自分とはちがう人間」なのだから、ちがう考え方や受け取り方をしても当然、というところがわたしの基本。
>でも、自分なりの誠意で接しても、相手に通じなければ失礼なだけですよね。
だからね、「相手に通じなければ失礼なだけですよね」というのは、どこからくるわけ?相手もまた自分と同じように思っているはず、というのは思い込みでしかないかもしれない。どんなに誠意を尽くして接しても通じない相手なんてものは、世の中にゴマンと存在するんだよ。白さんには酷な言い方かもしんないけどさ……。男女の違いとか年齢の違いとかを超えて、“通じない相手”というものはいる。
>この辺りには僕にも相当の葛藤があって、だからわかりたい、理解できなければ、とても出来ないと思ってしまうところなんですね。
なんか、わかるような気がする。似てるなー、と思う。それこそわたしの思い込みだけどね(笑) わたしはどっちかっていうと「男女の恋愛」より「男同士の友情」みたいなもんに憧れる人間なんでね。たぶん、「性」のアイデンティティを獲得する時期になにか“ひっかかり”みたいなもんに出合って、多少のゆがみが生じたんだろうくらいに思っているけど。別に困ることじゃないしね。
あー困った。時間がなくなってしまった。静ちゃんと朝倉南ちゃんに関してはまた書くから、勘弁ね。他にも書くことあったんだけど、次回にまわすっきゃないな。じゃ。
>(すっかり女性心理におびえている白)
あのなー。これからやんけー。スタートラインに立ったとこじゃんか。
「目覚めよ、冒険心!」だぜいっ!!
日本語処理の仕事というのはどこか「マジメにお仕事している」風情がないので困ったものだと思う。
「〜やか」「〜らか」型の語の一覧(「さわやか」「にぎやか」「なごやか」「あでやか」「おだやか」、「きよらか」「なだらか」「ほがらか」……)とか「〜な」(上記の語に加えて「綺麗」「達者」「頑固」……こうなるとすべて漢語という気がしてくるのだけれど、「見事」という例外があるのが困り物)がつく語の一覧とか、そんなのを点検していると、「あたしは何をやっているんだろぉ」みたいな気分になってきたりする。
さて。
突然気になってしまったのが、「綺麗」と「にぎやか」だったりする。
「綺」というのは「あやぎぬ」のこと。そんなわけで、「綺麗」というのは「美しく飾り立てられた状態」のことを言うのですね。それに気がついてから、世間の人がなんでもかんでも「きれい」と表現するのに無神経さを感じるようになってしまいました。まあ、あたしのほうがヘンなんだろうけど。「まず、傷口をきれいにしましょう」「レースで飾り立てたりとか?」「しません(-_-;)」。
「清らか」「清める」という言葉もあんまり使わないしね。言い換えのむつかしい言葉です。
「にぎ」というのは「和」と書きます。反対語は「荒」。「荒魂(あらみたま)」「和魂(にぎみたま)」なんていう言葉があります。自閉症方面の人の集まりというのは、「にぎやか」だけど騒々しくない、という点でちょっと特異なものがあります。
似たような言葉で「なごやか」というのがありますが、これは「凪(なぎ)」(風が止まって水面が静かであること)と同系の言葉ですから「仲がいい」という意味より「動きがない」「(動きが)静かである」が本来の意味。「心がなごむ」も、おそらくは「落ちついて静かになる」だと思います。
こうした「正しい意味で使うと通じなくなってしまった言葉」というのはなんとなくワタシの心を不安定にさせてしまうのだな。(←ちょっと詩人)
白くんは「アスペ語」という表現を使ったけれど、アスペっ子はアスペっ子で日常の言葉の獲得に苦労しています。「おきにいり」と「だいこうぶつ」はどうちがうの? 「わく」と「はえる」と「のびる」と「しげる」はどうちがうの? アスペっ子のお母さんたちは、こういう質問をされては毎日「?」「!?」「???」と思っていたりするのですね。「Mariaさん、アスペっ子向けの辞書を作ってください」とお願いされたこともあります。うーん、外国人向きにもいいかもしれない。
現代の義務教育における国語教育(特に小学校)は、具体的になにを教える、という目標を欠いている気がします。けっきょく、漢字の書き取りのような、数値化できるものに偏りすぎていると思うんですよ。それはそれでアスペっ子が適応しやすい部分があって助かる部分はあるのだけれど、アスペっ子や外国人に「普通の(日本人の)子供にとっては自明なこと」を教えるメソッドが欠落してたりとか、思春期以降、自分を客観的に見つめるようになってから、そのための道具としての基本的な「ことば」が身についていなかったりとかいった弊害を生んでいるように思います。日本人は日本語という環境の中だけしか知らないこともあって、「ことば」を通じて自らを見つめる体験をしていません。
だからイーデス・ハンソンさんにも「日本人は『異質なもの』を受け入れる能力が低い」とか言われるんだよな。本当はそんな馬鹿なことはないんですよ。漢語だってカタカナ語だって、日本人が積極的に取り入れてきた「異質なもの」なんだから。そうではなくて、「自分」というものに対する問いかけというものが欠けているのだと思います。だから、「自分」という規準に何の疑問も抱かなくなってしまう。自己中心的だとか社会性の欠如というのは、周囲が見えてないのではなくて、自分が見えていないのだと思います。それは同時に「客観性」に身を置くということで、「社会」という目を持つということです。おとなに必要なのは、社会を見ることではなくて、社会の目でものを見ることです。
小学校の国語教科書も、ちゃんとしたのが欲しいなぁ、と思います。
(Maria)
武田好史 wrote:
> 運が良かったですね。無理しないでマイペースでがんばってください。
>私も先週流通センターのようなところで、13:00から18:00までの仕事があったので面接を受けに行きましたが、採用責任者の「うちは誰かが20%しか仕事ができないと、みんながとばっちりを食らうんだよね・・・」の一言で、あきらめざろうえませんでした。
> ああ・・なんでノーマリゼーションなんていって、障害者に「働け!働け。働くやつが立派なんだよ!」って、この国はろくな支援もせずに俺たちの尻ばかりたたくんだろう・・俺たちは奴隷か??このままじゃ本当にお先真っ暗だ!
> ノルウェーのヴィダー・オースンみたいな、「障害者村」でも作ってくれたほうがまだましだ。
武田君、ありがとう。でもあんくさんのレスにも書いたのだけれどやっぱり自信がないし夫も私がナルコレプシーで居眠りばかりしてるのに、外回りの車に乗ることが多い仕事は危ないんじゃないかと反対したので今回は断ろうかと思っているのです。一応明日、主治医に相談に行こうかと思っているのだけど。武田君は優しいね。自分は仕事の面接に行ってうまくいかなかったのに私の就職が採用になったことは「がんばってください」と言ってくれる。自分が障害を持っていると自覚してる人って優しい。競争社会からはずれて生きてる人は人をうらやまない。
若いとき徹底的に仕事で苦労して疲れ切っていた私にとってある意味で結婚も就職のひとつという感じだったの。でも結婚という就職も私はあんまりうまくやっていくことができなかった。私の夫は少し鬱傾向のあるまあまあ普通の人、でも同居している私の母親と私、子供2人のADHD傾向が異常に見えるらしくすごく私を責めるの。子供が学校に遅刻ばかりしていること。我慢ということができないこと。部屋を散らかすこと。昼夜逆転してること。息子の方はゲームばかりに夢中になって他のことは一切しないこと。極端な偏食。子供2人に夫が文句ばかり言うものだから子供が夫になつかないこと。それらのことが夫にはつらいらしくぐずぐずと私に愚痴を言うんだけど私はそれがつらい。
私も自分一人のめんどうを見るのがやっとなのに子供はまあしょうがないとして夫の鬱につきあうのがつくづくめんどうになって生きているのもいやになってしまうの。
武田君、私も障害村で暮らしたいな。そして結婚はしても子供は作らないの。これは反発を受ける覚悟で書いているのだけれどAS、ADHDの子供を産んだら子供がかわいそう。ADHDでも幸せに暮らせる。そういう社会でないものね。日本は。
色々教えていただいて、たすかりました。
ありがとうございます。
武田さん、ちなみにSPECT検査した場合の金額とかはご存知でしょうか?
国保の対象になるのかな?
風呂
横レス失礼します。
SUNさんwrote:
>本ではないんですが、私は大日本インキ化学工業が出しているカラーガイドの中の
>「日本の伝統色」「フランスの伝統色」が気に入っています。
>見たことはないんですが、他に「中国の伝統色」もあるようです。
これ、すっごく欲しいんです。カラーチップは好きなんですが、高いんで基本色しか持ってません。
「中国の伝統色」も綺麗な色がいろいろとあるんで欲しいし。
由来が書いてあるとなればなおさら欲しくなってしまった。
Mariaさん wrote:(←すみません前回“さん”を抜かしました)
> じつは補色関係にもとづく色相環は別にあります。それがこれ。
>
> 青緑(SG)
> 青(T) 黄緑(LG)
> 藍(UB)○ 黄(Y)
> 紫(P) 橙(O)
> 赤(R)
あ、ちゃんとあるんですね。加色混合と減色混合だと、ちょっと違うんでしょうか。
それとも“紫←→黄”が補色、というのが私の思い込みなのかな。
> オストヴァルト表色系と同じように光の加色混合に基づく表色系としては赤・緑・青を三原色とするRGB系があります。これはコンピュータの世界ではほぼ常識とされています。それがこれ。
>
> 赤(R)
> マゼンタ 黄
> ○
> 青(B) 緑(G)
> シアン
あ、写真の色みをコンピュータでいじる時はこれを覚えておけばいいってことですね。
プロじゃないんで実際に仕事でやることはないですけど、カラーバランスという項目が
“シアン←→赤”“マゼンタ←→緑”“イエロー←→青”になってる理屈がよくわからなかったのでちょっとすっきりした。
> で、反対色的な色の見え方に基づく色名に基づいたナチュラル・カラー・システム(NCS)というのもあって、それがこれ。
>
> 黄(Y)
> 緑(G)○ 赤(R)
> 青(B)
>
> この表色系はスウェーデンで開発されてきて、もともとはドイツの生理学者ヘーリングの考え方に基づいたもの。
視神経のどこが反応するか、というような基準なのかな。調べてみます。
> 陰陽五行説だと、青龍(東)・玄武(北)・白虎(西)・朱雀(南)を配置して中央に黄色を置きます。つまり、こんな感じ。
>
> 玄
> 白 黄 青
> 朱
>
> (中略)
>
> 日本独自の表色系は、これ。
>
> 白
> 赤 黒
> 青
> よく見ると陰陽五行説の五色から中央の黄色が抜けたのと同じ形になっています。
> で、ここには白(はっきりした)−青(淡い)と、赤(明るい)−黒(暗い)という二つの対立関係があります。
> (中略)
> 面白いのは、「わかっている」「わかっていない」が「白−青」系列ではないことだったりすることです。「明るい」は「わかっている」、「蒙(くら)い」は「わかっていない」。「『七重八重 花は咲けども山吹の……』って、知らないか?」「……知らねぇ。」「おめぇ、歌道に暗れな」「門(かど)が暗ぇから、堤灯借りに来ただ」というのは、落語『道潅』のサゲ。
>
う〜ん、面白いです。日本人の色に対する感覚が。色に何を見ていたかってところ。
こういう話は自分の感覚を疑えるので楽しいです。
お日様を赤く描くのはステレオタイプって考え方も、こっちの方角から見たら赤く描くほうがスゴイって話にもなるなぁ。
自分ではわかったつもりになっていることも、実は私って「くらい」んだなぁと思えるのは面白いです。
東京生まれだからか、太田道灌さんの逸話はよく聞かされました。実のひとつだにってやつ。江戸っ子もみんな知ってたんでしょうね。
武田好史さん wrote:
>「いろいろな色彩を見てみたい!」と思う人には、次の本がお薦めです。
>
>渋川育由・高橋ユミ著
> THE COLOR 色と配色の事典
>河出書房新社 4854+税 円
>
>この事典には232色の色が載っています。印刷で色を指定するときに使う「濃度数字」もついています。
同じ著者のThe COLORING BOOK 配色事典、っていうのは持っています。
印刷の色指定のイメージを掴むのに便利ですよね。
「色のひとくち知識」とかも載ってて面白いですが、これは980円。
武田さんの紹介されている本はきっともっと厚くて大きい本なのでしょうね。
本屋さんでチェックしてみます。
truthさん wrote:
> 昔から、「パパラギ」という本を読んで、「いーなー、こーいう生活……」って思っていて、「おばあさんは川へ洗濯に……おじいさんは山へ芝刈りに」っていう生活に憧れていました。私が本当にしたいのは、「川で洗濯したり、木の実をとったりする野性的な生活」……なのかもしれないです。
えー、在宅プログラマーのような仕事をしていると、生活としてそれに近いものがあります。
漁撈採集生活において以外に知られていないのが、「採れるときにはめったやたらに採れる」ということだったりするんですよ。そんなわけで、「大量に保存食を作って、同じものを食べつづけること」が苦痛でなく、むしろ喜びである人でないと、そうした生活はしてても辛いと思います。大森総研の実験農場はごく狭いものですが、梅が八キロ、柿が百個以上採れました(それぞれ一本の樹です)。これ、採って梅酒にしたり干柿にしたりとかするのはけっこうな労働だぞ。
貯金通帳と冷蔵庫・貯蔵庫の中身とスケジュール表と工程表を睨みながら、いつごろ何があっていつまでに何をして、と日々思いをめぐらしながら暮すのはけっこういいものです。ちゃくちゃくと物事が進行してゆく感じがあたしは好きでした。ところがプロジェクトが頓挫したり会社が倒れたりとかいった「災厄」が襲いかかってきたりするととんでもないことになります。貯えがあるならいいけどさ、「凶作」が何年も続いて疲弊してたりするともう大変。
そんなわけで、「今年も一年無事に過ごせました」みたいな感謝の気持も湧いてきたりするのね。
現代社会は「フロー型」社会ですが、「ストック型」社会にあたしは向いていそうに思います。あたしとしては、税制や経済政策がストック型に移行してくれるといいな、と思っています。
(Maria)
truthさん wrote:
> 私の友達には、インターセクシャルという人がいます。又、性同一性障害の友達もいるのですが……その場合はどういう事になるのでしょうか?
じゃん。Mariaでございます。
性の分化、というのは、最近の用語でいうとアウトソーシングなのでございます。つまり、女は「エサを採ってくる」「力仕事をする」「外敵を追い払う」といった業務を専門に行なう「男」というものを発明して、業務委託を行なったわけです。
で、その過程でそれぞれ自分が行なわない業務に必要な機能を抑制し、その結果生まれた余剰資源を自分が行なう業務に回して効率化を計るわけです。これがリストラクチャリング(再構成)、略してリストラ(べつにレイ・オフ=リストラじゃないんだよ)というわけです。
インターセクシャルとか性同一性障害というのは、ホルモンの調節がうまくいかなかったりして、このリストラがうまくゆかなかったということだったりするわけです。
とはいえ、企業経営のありかた(つまり、生き方)そのものが大きく変化しちゃっているものだから、業務そのものも変わっているわけです。たとえばの話、歌舞伎の女形もいれば女子プロレスラーだっている。こんど「看護婦」が「看護士」になるそうだけど、そうするとニューハーフにもナースへの道が開けるということだったりするのだな。そうなると性同一障害の人のケアなんていうのも、ちょっと変わってくるはずです。
そんなわけで、単に「業務提携のありかたが変わってくる」というだけの話だと思っているんですよ、あたしは。KILROYさんはソフトウェア開発のような長期的な仕事は女性に向いていると思っているし、中間管理職としては女性のほうが有能だというのが持論です。男は一日二日徹夜すると後のダメージがひどいんだけど、女性はさすがに子供産むようにできているだけあって丈夫です。あとは「男女の共同作業は女が上になると具合がいいんだ」とかいろんなこと言ってる人もいるし(まあエッチ)。
進化の過程で、女が男に任せてきたこと、女が男には任せなかったこと、というのがたぶんあります。その意味であたしは「性的役割」というのはある、と思います。ただ、現代では必要ではなくなった仕事もあれば、現代になって必要になり、男女のどっちがそれを引きうけるべきかがまだ確定しておらず、文化として定着していないものもあります。編み物なんていうのは男の仕事だという文化もあるしな。
「男」とか「女」とかいった分類は、単に「肩書」でしかありません。「営業」「経理」「総務」「資材」「製造」みたいにね。べつにそのときどきで名刺を使い分けたっていいし、服装や態度だって変えてかまわないと思います。あたしたちはそれを実践してるしね。
(Maria)
武田好史さん wrote:
> ノットの語源は英語の「KNOT(結び目)」です。
> 大航海時代の船では、停船投錨のうえ、47フィート3インチという一定の間隔で結び目をつけたロープを海に流していくという方法で、海流の速さを測っていました。つまり一分間に3個ずつ結び目が海に消えれば、「ここの潮の流れは、毎分3ノットじゃ!」ということになっていました。
(中略)
> なお、「1ノット=1852m/h」です。
申し訳ありません武田さん、うちのMotoちゃんは性格的に説明に向いていないのです。そんなわけで、所長である私がご説明申し上げます。
1ノットは1ノーティカル・マイル/時であり、「ノーティカル・マイル(nautical mile。sea mileとも)」を和訳したのが「海里」です。ノーティカル・マイルは基本的に「赤道上の一分の長さ」(一分は一度の六十分の一)ですが、現在イギリスのノーティカル・マイルと国際単位としてのノーティカル・マイルの二種類があります。で、陸上の距離の単位の1マイルと1ノーティカル・マイルでは、1マイルのほうが1ノーティカル・マイルよりちょっと短い、という関係があります。
「マイル(mile)」の語源はラテン語の「千歩」で、1760ヤード(1609.3メートル)。ちなみに聖書時代の1ミリオンは約千四百八十メートルです。
イギリスのノーティカル・マイルは1853.2メートルで、米国では国際単位としてのノーティカル・マイル(=1852メートル)が一九五九年に採用されました。イギリスのほうの1ノーティカル・マイルの値は実際の地球の平均半径から求めた地球表面の一分に近く、国際単位のほうの値は地球の赤道上の周をぴったり四万キロメートルとした場合の一分に近いものです。ちなみに、一メートルは本来「地球の円周の四千万分の一」として定義されました。
そんなわけで、赤道上を真西か真東に向かって1ノットで航行してゆくと、六十時間後には経度一度分の距離を航行したことになる、ということになります。つまり、十ノットの速さで真西に向かって進んでゆくと、六時間で一度、二千百六十時間(九十日)で地球を一周することになります。ですから、赤道上空を九百ノットの速さで真西に向かって飛行していると、太陽といっしょに地球を回る(天動説的視点ですけれど)ことになります。
なお、毎時1852メートルは毎分30.87メートルとなり、これは毎分百フィートちょっとになります。毎分47フィート3インチでは「1852m/h」にはならないような気がするのですが。ひょっとしたら計算をお間違えではないでしょうか。
(Joshya)
武田好史さん wrote:
>Mr.Motoさん wrote:
>> 本来「ノット」は赤道上の一分(これが1ノーティカル・マイルなのだ)を一時間で移動する速度なので(四万kmを三百六十で割ってから六十で割ってみてくれ)、言ってみれば天測航法の時代の遺物(遺産というべきか)なのである。まあ、郷愁(ノスタルジー)の中にある単位だと思ってくれい。
>
>ノットの語源は英語の「KNOT(結び目)」です。
> 大航海時代の船では、停船投錨のうえ、47フィート3インチという一定の間隔で結び目をつけたロープを海に流していくという方法で、海流の速さを測っていました。つまり一分間に3個ずつ結び目が海に消えれば、「ここの潮の流れは、毎分3ノットじゃ!」ということになっていました。
> 現在の船では、走ったままで海流の流速の測定ができるように、「磁場の中で導体が動くと、その導体の両端に誘起起電力が発生する。」という、「ファラデーの電磁誘導の法則」を応用した「G.E.K」という測定システムが用いられています。もちろん単位は、相変わらず「ノット」です。
> なお、「1ノット=1852m/h」です。
これ読んで思い出しました。前のレスで、結び目についてのことについてふれる(お2人のレスで初見)のを忘れていました(by シュッツさん)。しかし、「ノット」が結び目とは…(これが元・外国語学部のセリフかいっ)。武田さんも、レスありがとうございました。
P.S.武田さんへ。先ほどのメールについてですが、私の携帯電話からのもののため、何かある時は、お手数ですがここへ返答願います。(人のHPで失礼ですが、自分のものと同社機のものでないと、メールを受けられないのです。お手数で申し訳ありませんが、よろしくお願いします!)
こんばんわ。グルンサさん。
グルンサ wrote:
> 私も、自分の得手不得手をきちんと捉えて、自分の得意分野に向かえれば…とは>思いつつも、「不得手な方向で苦戦してるんじゃないか?」とも思います。お互
>い、早く「これだ!」ってものが見つかるようにしたいですね。
> 私も、数日前に「とにかく頭と物事をシンプルにしたいー!」と突如、電車の中>で思いました。(それが、満員の通勤電車の中だったっていうのは…?[笑])
>1人で静かに過ごせる場所を探して、何も考えずボケーっとしてみたい(みよう
>か?)と思います。(この点は、No.10251の名加野さんのカキコ読んでて、「こ
>れ、良さそう」と思いました。)でも、まずはタイトルのごとく自室の片付け、掃>除でしょうか?(苦笑)それでは。
レス有り難う。
どうも・・・都会というのは・・・気力を奪うというか・・・それとも、日本の国がそうなのか・・・「頭をボヤッとさせて、思考を奪う」というような気がします。吉本バナナさんが何かの日記みたいなので書いていたのですが、「アジアの国に行くと、頭がクリアーになる。で、日本の都会に帰ってくると、だんだん、頭の中がぼやけてくる・・・というと、頭おかしいと思われるかもしれませんが」というような文章がありました。
そんな所があるなぁと思います。周りの音・雰囲気・・・雑音・・・情報に振り回されて、自分の声は聞こえなくなるみたいな気がします。反対に、自分の声に耳を澄ますと、反対に社会の流れが分からなくなるというか・・・。
昔から、「パパラギ」という本を読んで、「いーなー、こーいう生活・・・」って思っていて、「おばあさんは川へ洗濯に・・・おじいさんは山へ芝刈りに」っていう生活に憧れていました。私が本当にしたいのは、「川で洗濯したり、木の実をとったりする野性的な生活」・・・なのかもしれないです。
これは実現不可能・・・ではないけれど・・・難しい・・・という事で現実的に合った仕事を探そうとしても、「本当にやりたい」って感じではないのかもしれません。我が儘かな。
今、合っているかは別として、「家政婦まがい」「ホームヘルパーまがい」の仕事をしているのは、やりたい事に近いからなんだろうな・・・と思います。掃除のおばさんとかもいいかも・・・。トイレなんか綺麗にするのは気持ちが良さそうだ。
固執的に色々綺麗にしようとする癖が役立つかもしれない・・・。社会的には低い地位の仕事ですが・・・。
都会の情報と、日々の生活とかに流されると、一個の事を自分のために考えるのってとっても難しいなという感じ、します。後、合わなくても、何でも、一度仕事を始めて、「仕事の効率」はダメでも、その場所に行く事に慣れてしまうと、特に・・・新しい場所に慣れにくい・・・変化が苦手な私は、その場所を離れて新しい場所に行く・・・新しい仕事を始めるっていうのは辛いだろうなぁ・・・と思うと、やっぱり、惰性で仕事を・・・「辞めてね。」と言われない限り続けてしまう部分もあるなぁと思います。
でもっ・・・新年だし・・・1月だし・・・今年は・・・又、模索しつつ・・・頑張るっ・・・と決意しています。
グルンサさん、仕事中にパソコンしているのですよね?お家にはパソコンがないのですか?それだとしたら、忙しいのにレス有り難う。きにかけてもらって嬉しいです♪・・・。それでは・・・。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami