アスペルガーの館の掲示板(旧)

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「人間関係が振り出しにもどる」について 0118へのコメント
No.0124  Sat, 22 May 1999 23:30:19 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 No.0118(おサルのジョージさん)へのコメント:
 状況が変わると、うまくいっているように見えた人間関係が振り出しにもどってしまうというのは私にもあります。
 私の場合、転勤したり新しい仕事を始めるとき、思いっきり張り切るんですね。ところがまわりの人とトラブル頻発。はっきり説明しにくいのですが、仕事のやり方に自分なりのこだわりをもっていたり、仕事の構想が思弁的で、現実や過去の経験や人々の理解とのすりあわせがされていないところに問題があるらしい。
 それでもしばらくすると、トラブルは激減していきます。自分が努力したから、自分が慣れたから、と思っていたんですが、どうもいちばん大きい要因は「まわりの人が私に“慣れて”くる」かららしい。これじゃあ次の配置換えや転勤でまたひと騒動起こるなあ。自分がASだとわかったので、“思弁”から出てきた“芸術的夢想”を生のまま使うのはやめて、一度冷静に見直したり他の人にチェックしてもらったりしたいと思います。


自閉症とアスペ(雑感) 0121へのコメント
No.0123  Sat, 22 May 1999 11:20:20 +0900  塩入 正芳 [この発言にコメントする]

キマイラさん wrote:
> ただの物知りの顔をして「自閉」の子供達のすること・言うことの謎解きをしていたのです。
> 私がHPを作ろうと思ったのも、始めはその延長でした。
> そのためにいろんなHPを見ているうちに行きついたのが、「アスペルガーの舘」で、
> 「自閉症(?)だった私」に気づかせてくれたのは、舘の管理人さんでした。

そうでしたか。「アスペルガーの舘」って素晴らしいと思います。

館の管理人 さん wrote:
> ぼくの書いたことで気をわるくして、
> みんなの書き込みが止まっちゃったのかと心が痛みます。

書込みが多すぎてどれにコメントしようか?
と、皆迷っているのじゃないかな〜?

キマイラさん wrote:
> 私みたいに分裂病っぽい人もいる。いろいろいていいんだから、
> 何もここで用語の定義をすることも無いんじゃない?
> 何か、悲しくなってしまう。

ここではあえて用語の定義をする必要はないでしょうが、
一般的には誤解の基になるのが定義の解釈の違い、
定義そのものの微妙な違いなんですよね〜

おサルのジョージ さん wrote:
> ジョージも勉強は、学校にいかなくても本をよめばできる、
> 時間の無駄だから、学校には、行かない。といいだすしまつ。

教育システムの矛盾なんでしょうねえ〜

森ぽん さん wrote:
> みなさんにとって「人と心を交わす」「親密になる」というのはどんなことですか?

誰とでも、って訳には行かないよね〜きっと。
そういう人にまだ巡り合っていないだけかも?

森ぽん さん wrote:
> 「あなたの発言を読んで気分が悪かった」という人がいてもかまわないと思います。
> 気分が悪いと思う人がいる、ということがわかることも大切だから。

そうですよね〜

館の管理人 さん wrote:
> 「高機能自閉症とアスペの違い」というのは、
> 研究者の間でもいろいろもめていることのようです。
> どういう生き方ができるかということは、
> 医者がどういう診断名をつけたかとは別のことだと思います。

私の娘は自閉症なのでアスペも自閉症の仲間なら良いなあ、
なんて勝手に思ったりしています。

http://www.eve.ne.jp/user/shioiri/index.htm


大家さん、ゴメンナサイ。 0121へのコメント
No.0122  Sat, 22 May 1999 08:26:08 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

館の管理人 wrote:
>ぼくの言いたかったこと。
>自分のイメージに合った言葉を使いたい。「自閉症」という言葉が自分を的確に表しているようには思えない。
>自分を自閉症だと考えると、ぼくはほんとうに自閉症的になってまわりが見えなくなってしまう。それではとても働いて人間関係を維持して生活していくことができない。
>自分を自閉的であるともあまり意識しないで暮らせている今の生活に、ぼくは満足している(パートナーに恵まれマイペースで働けて……そのうちしっぺ返しがくるかな)。

多分、私がこんな分裂病みたいになってしまったのも、同じ理由だと思います。そう、「自閉」的な部分は「悪いこと」だって、親からずっと吹き込まれていたし、自分にとっても「良くないこと」が起こる大元だった。だから、私はずっと、「みんなと同じにならなければいけない」、というか「同じだと思いこんで」、そういう本当の自分を封印して来ました。仕事をしたり、最低限の人付き合いができているのは、そのおかげです。
そして、自分の子供達が、やっぱり私みたいな子供で、その同級生に「自閉傾向」の子供がいて、その親達にも「自閉的」なところがちょっとあって、という今の状況になっても、まだ私は「社会的使命感」で治療教育をしていました。「自閉傾向」のある子供達だって、「やれることがたくさんあるのに、親も先生も手をこまねいて見ているだけで、何もできずにいる」のが、とても悲しかった。というより、憤慨していました。
それでもまだ、私自身の封印は解けませんでした。それはずっと、括弧にいれたまま、ただの物知りの顔をして「自閉」の子供達のすること・言うことの謎解きをしていたのです。私がHPを作ろうと思ったのも、始めはその延長でした。そのためにいろんなHPを見ているうちに行きついたのが、「アスペルガーの舘」で、「自閉症(?)だった私」に気づかせてくれたのは、舘の管理人さんでした。
ちょうど、日頃接する「自閉」の傾向の無い人達との違和感がピークになっていた時だったこともあって、まず、とにかくうれしかった。生まれて始めて(かなり経ってます)、「私と同じ人が、世の中のどこかにいる!」と思えたのです。とっても楽になったと同時に、固く閉ざしていた封印が一気に解き放たれて、自分でも収拾がつかない状態になってしまいました。
今は、こんなに平静を装っていますが、半年もまだ経っていないその間には、心臓神経症で寝込んでいた時期もありました。やっぱり、ショックはあったのです。確かに、子供に診断を宣告された時以上でした。だって、自分のことだから。

せっかくの恩人の"舘の管理人さん"なのに、今度は私の方が苦しめてしまったようで、ゴメンナサイ。自分のことを知った上で、社会とも何とか折り合いをつけていく「アスペの生き方」を作っていくのは、「これから」の私達の仕事にしましょう! まだ、いろんなことが始まったばかりだから、いろんなことがありますね。


>ぼくの書いたことで気をわるくして、みんなの書き込みが止まっちゃったのかと心が痛みます。(昔パソコン通信していたときも、何度か失敗したものだ。またやっちゃった。)

なんか、これ、私のことを言ってるみたい! 

本当に、うるさくてゴメンナサイ。


Re: 心が痛いよ〜! 0117へのコメント
No.0121  Sat, 22 May 1999 01:10:13 +0900  館の管理人 [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>一口にアスペと言っても、自閉に近い人もいれば、普通(?)に近い人もいるだろうし、私みたいに分裂病っぽい人もいる。いろいろいていいんだから、何もここで用語の定義をすることも無いんじゃない?
>何か、悲しくなってしまう。

悲しくさせて、ごめんなさい。

用語などから自由でありたいです。

「心の理論」がどうのこうのと自分でもよくわからないことを書いたことも後悔します。

ぼくの言いたかったこと。
自分のイメージに合った言葉を使いたい。「自閉症」という言葉が自分を的確に表しているようには思えない。
アスペのことを「能力の高い自閉症」などと説明される。でも、「能力の低いただのひと」といったほうが少なくとも自分には合っているように思う。

「自分は自閉症か(診断規準とは別の、本質的な意味で)」なんて命題を考えるのはやめていたのに、また考えてしまった。仕事の打ち合わせに行く途中、ぼーとして歩いててうっかり赤信号を渡ろうとしてクラクションで我にかえった。
自分を自閉症だと考えると、ぼくはほんとうに自閉症的になってまわりが見えなくなってしまう。それではとても働いて人間関係を維持して生活していくことができない。
自分を自閉的であるともあまり意識しないで暮らせている今の生活に、ぼくは満足している(パートナーに恵まれマイペースで働けて……そのうちしっぺ返しがくるかな)。

ぼくの書いたことで気をわるくして、みんなの書き込みが止まっちゃったのかと心が痛みます。(昔パソコン通信していたときも、何度か失敗したものだ。またやっちゃった。)

広報誌にぼくの文章を載せてくれて、さらに質問を寄せてきている某市自閉症児親の会には、ここでのやりとりをふまえたうえで返事を送るつもりです(相手はパソコンが使えないというので封書で来ているのだ。)


これからのアスペの生き方? 0118へのコメント
No.0120  Thu, 20 May 1999 13:30:37 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

おサルのジョージ wrote:
>じゅんまる wrote:
>
>>私の今までの生き方で、間違っていたのは、いわゆる一般の普通の人になる事を目指してきた事です。その為に話し方教室やセミナーや福祉の専門学校に通ったりなど、無駄な時間を費やしてきました。
>>アスペルガーは、自分の個性に逆らわず、何かに固執する才能を徹底的に生かす生き方をすべきです。私は、アスペルガーの範囲内の生き方をこれからしていきたいと思っています。

>したがって、専業主婦になったとたん、それまで、つみかさねた
>職業上の、対人マニュアル(みたいなので、乗り切ってたんですね今思うと)
>が、つかえなくなって、まるで、中学生に戻ったみたいに、人付き合いの
>下手な人間にもどってしまいました。

私も、追い立てられるように「普通にならなければならない」とずっと思ってきて、「話し方教室」に行ったり、わざと人中に乗り出して行ったり、いろんなことをしました。世間から逃げたり、まねしたり、演技したり、いろんな切り口で入って行こうとしたけれど、何一つ身につかなかった。
でも、自分が人間で無いモノに向かっていた方が安定できるのが判ったから、人間に合う時は、無理につきあうのはやめようと思った。そうしたら、とっても楽になった。これからは、こういう生き方をしていきたいと思っています。

それから、私が療育をやっているからと言って、なにもASや自閉を治そうとしているのではありません。確かに、学習に現われるところでは、やれることがあります、小さい頃は特に。でも、他の点では「そのまんま・それなりに・こういう自分を楽しんで」生きていく自信をつけさせてあげたいと思っています。

>
>好きなものがある、夢中になれるという面は
>ぜひ、リハビリなんかしないほうがいいのではないか、とおもった思いを
>じゅんまるさんも持ってらっしゃるようなので、かかせていただきました。


標題は内容の要点を書きましょう! 0104へのコメント
No.0119  Thu, 20 May 1999 09:11:30 +0900  塩入 正芳 [この発言にコメントする]

今の話題から外れますが聞いてください。

ゆみっちさん wrote:
> 話の展開が早いので中には何が起こっているのか理解しづらい方も
> いらっしゃると思います。何日かに1回でいいですから,
> 「現在掲示板ではこういう話題が中心になっている」という
> 簡単なあらすじなり要約なりつけていただけるとありがたいです。

キマイラさん wrote:

> 誰か、やっていただけませんか! キマイラさんには、ちょっと荷が重いです。

# そこで提案

標題が「Re: お久しぶりです」などのようになっていると
話しの内容が不明になってしまいます。
人の発言にコメントするとき、標題は「Re: 〜〜」を書き換えて
内容の要点を書くようにすれば良いと思います。
そうすれば、掲示板の下のフレームを見れば
話しの流れが分かりやすくなると思います。
書くのが面倒という人は文章の中のポイントの部分をコピーして
貼り付けすれば良いですよ。
皆さん協力をお願いしま〜す!

http://village.infoweb.ne.jp/~fwhd7909/


Re: アスぺの生き方(おためしと重複) 0111へのコメント
No.0118  Thu, 20 May 1999 09:03:27 +0900  おサルのジョージ [この発言にコメントする]

じゅんまる wrote:

>私の今までの生き方で、間違っていたのは、いわゆる一般の普通の人になる事を目指してきた事です。その為に話し方教室やセミナーや福祉の専門学校に通ったりなど、無駄な時間を費やしてきました。
>アスペルガーは、自分の個性に逆らわず、何かに固執する才能を徹底的に生かす生き方をすべきです。私は、アスペルガーの範囲内の生き方をこれからしていきたいと思っています。

こんにちは。うちには、アスペルガーの傾向が、無いとは、いいきれません
といわれている8歳の息子ジョージがいます。
私も、子供が、学校でおもいっきり、トラブルまで、自分を、一人っ子の
せいで、内気で世渡りが下手な人だとおもっていました。

授業に関しては、じゅんまるさんと、良く似た経験をしています。
はっきりいって、授業をきいて、教科の内容がよくわかる、、、という
経験は、あまりなく(先生の、無駄話はすきでしたが)ほとんど自分で
参考書で、べんきょうしたことしか、身についていません。
(受験も、だから、自分で時々学校を休んで、集中して、やってました。
歴史とか、生物なんかは、これに、限りました)
だから、世の中の人は、なんで、塾にいくんだろう、一日中人の話を
きいていたら、馬鹿になってしまうのに。とおもっていました。
私の経験では、学校にあまり長くいるとばかになる。と、いう感じだったんです。
不思議なことに、私の父も、よく、こういっていました。
勉強なんて、自分でするものだ。人の話を聞いているだけじゃ馬鹿になる。
と。そのうえ、小さいときは、悪いことも、意地悪もしていないのに
いじめられたり、なかまはずれにされたりしたので(さいわい、それにも
あんまり、気づかないほど、ぼーっとしていたらしく、おもしろくないと
いうことで、いじめは、つづきませんでしたが)どうしてかなあと、
このあいだまでおもっていました。
そして、なんとなーく、いやなおもいののこる、学校生活に
子供が突入したら、いじめの嵐と、それに反発する(ジョージは、わたしと
違って、積極的なひょうきんタイプなんです)ジョージとのし烈な
戦いになりました。おまけに、ジョージも勉強は、学校にいかなくても
本をよめばできる、時間の無駄だから、学校には、行かない。といいだす
しまつ。そのうちに、アスペルガーのことを知ったのです。
とりあえず、子供は、自分と学校の関係を自分なりに整理して、まあ、
面倒だけど行ってやるか、、、という、感じになりつつあります。
思春期に入るとまた、どういう変化があるかわからないのですが。

私自身は、じゅんまるさんのお話しにあるように、自分は、対人経験が
すくないから、上手く行かないんだということで、わざと、対人関係が
必要なくらぶとか、仕事を選んできてしまいました。とても、苦しいおもいも
して、それなりに、対人関係もこなせるようになったか、、、、とも
おもうのですが、面白いことに、(面白くないですが)場面や、自分の役割が
その集団の中で、へんかすると、 なんだか、また、はじめから、やりなおし
という感じになって、経験が蓄積出来ない感じ。応用問題が出来ない感じ
があったんです。したがって、専業主婦になったとたん、それまで、つみかさねた
職業上の、対人マニュアル(みたいなので、乗り切ってたんですね今思うと)
が、つかえなくなって、まるで、中学生に戻ったみたいに、人付き合いの
下手な人間にもどってしまいました。
苦労のが、これでもあったとかんがえるべきか、
それとも、その辺、もし、私が、学生の頃、アスペルガー症候群というものを
しっていて、自分にその傾向があることを知っていたら、もっと、
自分の得意分野をいかした、道があったのではとおもわなくもありません。

ニューヨークタイムズに、アスペの特集が載ったのをご存知の方もおおいかと
おもいますが、そのなかで、アスペと、診断された女の子が
大変なこともあるけれど、でも、何かを好きになると、他の人の何倍も好きに
なれるから、アスペにもすばらしい面がある、、、というようなことを
いっていました。
私にもとても、好きなものがあって、たまたま、仕事は、それに関するもの
だったので、子供が生まれるまでは、続けられたかなあと思うし、仕事を
辞めたいまでも、その好きなものは、私の人生でとても大事な部分を占めています。音楽も映画も好きで、結構見る目があるようで、友達には**のお勧めは
たいてい、当たりだねとよくいわれたものです。
長くなってしまいましたが、好きなものがある、夢中になれるという面は
ぜひ、リハビリなんかしないほうがいいのではないか、とおもった思いを
じゅんまるさんも持ってらっしゃるようなので、かかせていただきました。
なんか、まとまりがなくてすみません。


心が痛いよ〜!
No.0117  Thu, 20 May 1999 07:19:30 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

一口にアスペと言っても、自閉に近い人もいれば、普通(?)に近い人もいるだろうし、私みたいに分裂病っぽい人もいる。いろいろいていいんだから、何もここで用語の定義をすることも無いんじゃない?
何か、悲しくなってしまう。


心を交わす・親密
No.0116  Thu, 20 May 1999 05:26:05 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 私も人間相手の仕事をしています。もっとも、いままでいろいろうまくいかない点がありました。ASだと自覚したことは仕事の上で強力な支えになっています。何に気をつけなければならないか、何について努力すればよいのか、はっきりしたからです。いままでは霧中を歩いているようなものでした。同時に、仕事で接する人々にもいろいろな発達障害がありうることが理解できるようになりました。

 心の理論の欠如というのがどういうことかよくわからないのですが、他人の気持ちをあとで考察することは私にだってできます。ただし、とっさに対応したり新しい状況が生じたときにまちがえるわけです。このギャップがいつもいつも落ち込む羽目になる原因です。あとで、失敗したと感じるから。

 またこういう場だから正直に言いますが、「人と心を交わす」「親密になる」というのがどういうことか私にはわかりません。私は言葉を選びながら人と話していて、いつも安心できないので、それでは心を交わしているとか親密とは言えないような気がします。みなさんにとって「人と心を交わす」「親密になる」というのはどんなことですか?


言葉づかい
No.0115  Thu, 20 May 1999 04:05:40 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 みなさんは言葉づかいのこと、どうされていますか?私の場合、ていねいな言葉づかいをするときと、そうでないときの使い分けがうまくできません。
 昔、口が悪いといわれたことがありまして、そのあとほとんど誰に対しても同じように、かなりていねいな言葉づかいで話しているというのが現状。そのほうが安全ですし。いつも言葉をくずさない人ですね」とほめられたけど複雑な気分です。あと、人をあだ名で呼ぶことがありません。困難です。でもほかの人はあだ名でよびあって楽しそうだし、そろそろ試してみようか?


掲示板コミュニケーション
No.0114  Thu, 20 May 1999 03:46:18 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 掲示板のたくさんのご発言に返事したいのだけど、うまくできないことがあります。たとえば、職場などでASの(ような)人同士、互いに相手の考えていることがわからなくて気を使いあって疲れてしまうことってありませんか。それで引っ込み思案になるのも具合が悪いので、提案です(あくまで提案)。

 1.主旨は明瞭に書いてもいいでしょう。基本的マナー(それが何かはそれなりに問題ですが)に反していないなら、だれかがそれを読んで、個人的事情でいやなことを思い出しても発言者の責任でないと思います。それより婉曲に書きすぎてわけがわからないほうが読んで混乱します。
 それを読んだ人は、思ったことがあったら書いたらいい。「あなたの発言を読んで気分が悪かった」という人がいてもかまわないと思います。気分が悪いと思う人がいる、ということがわかることも大切だから。

 2.自分のこと(症状とか、対人関係で起こっている現象とか、幼少の頃のこととか)、もっと書いたほうがいいと思います。このごろ書いてくれる人が多いのでいい。ASといっても、ある部分は共通でも、一人ずつちがうところがあるでしょう。とくに障害とどう折り合っているかという点になると非常に多彩なのでは?科学的研究もまだまだこれからのようですし、この掲示板でいろいろな面から追究したいと思います。

 3.管理人さんの指示に従うのは当然として、それ以外は「こうでなければならない」という暗黙の習慣はなるべくないほうがいいですね。都合・不都合の点があれば明示して議論するのがよいでしょう。


Re: アスペと自閉症 0110へのコメント
No.0113  Thu, 20 May 1999 03:43:11 +0900  館の管理人 [この発言にコメントする]

さんどる wrote:
>ここを読んで誤解をされる方もでそうな気がしたのですが、自閉症の3割くらいは知的障害が伴いません。その3割の方達は、「高機能自閉症」と呼ばれますが医者は必ず「高機能」と付けてくれるわけでもありませんし、症状的に軽くても(学校側にに特に告げずに普通学級で過ごせる程度)親御さんも「うちの子は自閉症」とおっしゃいます。
>アスペでも問題行動やこだわりの強い方もありますし。
>それでは高機能自閉症とアスペの違いは?というと「3才までの言語の発達遅滞の有無」が最もポイントになるそうです。(ひとことで言えば無し、がアスペ)

説明をおぎなってくれてありがとうございます。
でも「高機能自閉症とアスペの違い」というのは、研究者の間でもいろいろもめていることのようです。さらに、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動症候群)との関係(どこで区別するか、重複を認めるか)ということもはっきりしません。
どういう生き方ができるかということは、医者がどういう診断名をつけたかとは別のことだと思います。

たとえば私のつれあい(ゆみっち ですが)は4才まで言葉が出ず、「高機能自閉症」などといわれました。そのときの診断としては、それが正しかったかもしれません。
でも現在の彼女は、社会に出て、人間が相手の、とても自閉症らしからぬ仕事をしています。人づきあいは、かなりまめです。その今の彼女を自閉症と呼ぶことに意味があるでしょうか。

自閉症の特徴として専門家からいわれていることに「心の理論の欠如」(人の心を理解できない)ということがあります。(「自閉症だから人の心は分からないだろう」などと言われたらとても働きにくいでしょう)
私は2年前、アスペルガー症候群=高機能自閉症(同じもののように書かれていた)の記述を見て自分はそれだと思ってから自閉症について書かれたものを読み「自閉症=心の理論の欠如」という説を知ったのですが、そのときの私の気持ち、「心の理論」がある方ならわかっていただけるでしょうか。

「自分が今まで人と心を交わしていたと思っていたのはすべて幻だったのか」
「だれかと親密になったりすることは、永久に不可能なのか」
「このさき一生を孤独に生きなければならないのか」
そんなふうに絶望的気分になったりもしました。

まあ最初情報があまりなかったうちは混乱して、「自閉症の自分には心の理論がないのだ」と思いこんだりしてたのですが、もっと知るうちにその間違いにも気づいてきました。
アスペルガー症候群では「心の理論」の獲得時期が普通より遅れるために問題が起きるということはあっても、それがずっと欠如したままというわけではない、というのが本当らしいです。
アスペと自閉症との区別ということでも「心の理論」の獲得の有無によるほうがより本質的であると思います。ですから子供のとき言葉の遅れなどで「自閉症」と診断されても、大きくなってもずっと「自閉症」といわなければならないかというと、それは違うと思うのです。

「人の心がわからない」と私たちが嘆いたとしても、それはほんとうにまったくわからないというのではなく、すくなくとも人の心を理解することの難しさを自覚できる程度には人の心をわかっているのです。

もちろんアスペも自閉症もいろいろです。どちらと言っていいのかわからない部分もあります。自閉症的特徴がいろいろあるにもかかわらず、言語能力などすぐれたものを持っている人たちもいます。そういう方は「自閉症者」として語る資格があると思いますが、私がそれをやろうとしたら、自閉症についての誤解を生むだけだと思うのです。


パスワードについてのお願い
No.0112  Wed, 19 May 1999 14:48:08 +0900  管理人 [この発言にコメントする]

掲示板の管理人です。パスワードを忘れたというメールをもらったのですが、ちょっと困ってます。まず、掲示板に書きこんでいるときの名前がそのメールに書かれていません。それから、メールの返事を出そうとしたのですが、メールの差出人のアドレスが不正確なのか、メールが届かないというエラーが返ってきてメールが送れません。

パスワードを忘れてしまったというメールを管理者に送るときは、掲示板に書き込みをしたときの自分の名前を必ず書いてください。そして確実に本人がメールを受け取れるメールアドレスを添えてください。

掲示板管理者が、発言の削除やパスワードの変更を代行することはできます。もしそのような依頼をするときは、その理由と、書いた本人からの依頼であるということがわかるようにお願いします。


アスぺの生き方(おためしと重複)
No.0111  Wed, 19 May 1999 12:55:06 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

私はアスペルガーで6歳の自閉症の息子がいます。旦那は、妄想型の分裂病です。
アスペルガーで一般社会を生きてくのって、本当っに辛いですね。無理があります。普通学級でやっていくのって、死ぬほど大変だった。
先生の言葉が頭に入らず、何か指示があるたびに、自分の近くにいる人を目印にしては見よう見まねをしてました。
授業中、その教科の教科書は開きませんでした。どうせ先生の話を聞いても、とびとびの単語でしか聞こえなかったりして、つまらないからです。家で、自分で勉強した方が効率的で、テストでは、好きな教科だけとてもいい結果が出ました。
先生は自信たっぷりに「皆さん。この人の点数は、日頃真面目に授業を受けていた結果です。」と言いました。先生は、私が数学の時間に先生の声をシャットアウトして、単独で好きな教科の勉強をしていた事を見ていなかったのです。
自閉症の息子の事に関して調べなかったら、私は一生、自分の事を対人恐怖症と思っていたことでしょう。
でも、対人恐怖症とアスペルガーは、はっきり違うところがあります。
アスペルガーはいい意味でも悪い意味でも正直で、思ったことを言わずにはいられず、相手を怒らせてしまいます。結果、本当の事を言っただけなのに、どんどん人から嫌われたり恨まれたりします。
そして、自分ではとても真面目にしている事でも、普通の人から見たら、たいへん非常識な事をやっているようにも思われたりします。私にとっても、何が常識か非常識か、いまだによくわかりません。人から指摘されてようやく理解できるという感じです。
私の今までの生き方で、間違っていたのは、いわゆる一般の普通の人になる事を目指してきた事です。その為に話し方教室やセミナーや福祉の専門学校に通ったりなど、無駄な時間を費やしてきました。
アスペルガーは、自分の個性に逆らわず、何かに固執する才能を徹底的に生かす生き方をすべきです。私は、アスペルガーの範囲内の生き方をこれからしていきたいと思っています。


アスペと自閉症
No.0110  Wed, 19 May 1999 11:14:52 +0900  さんどる [この発言にコメントする]

はじめまして。アスペの子を持つ親です。このような場があることは素晴らしいことだと思いますし、小二の息子もいずれ参加できる日が来たら..と思います。管理人さんはお忙しいと思いますがよろしくお願いいたします。

>ぼくには自分が「自閉症」であるという病識は持てない。自閉症のなかまのアスペルガー症候群とはいえるか
>もしれないけど、それだって絶対的なものではない。診断名なんて専門家の立場によるものだし。
>言葉をもたない、あるいはたいへんに困難な「ほんものの」自閉症者とぼくと、似ているところはあるかもし
>れない。でもぼくは彼らではない。
 
ここを読んで誤解をされる方もでそうな気がしたのですが、自閉症の3割くらいは知的障害が伴いません。その3割の方達は、「高機能自閉症」と呼ばれますが医者は必ず「高機能」と付けてくれるわけでもありませんし、症状的に軽くても(学校側にに特に告げずに普通学級で過ごせる程度)親御さんも「うちの子は自閉症」とおっしゃいます。
アスペでも問題行動やこだわりの強い方もありますし。
それでは高機能自閉症とアスペの違いは?というと「3才までの言語の発達遅滞の有無」が最もポイントになるそうです。(ひとことで言えば無し、がアスペ)

自閉症が世間に正確に認識されていないので、私も自分の子が「アスペ」と言われてちょっとラッキーだったと思っているいやな部分もあります。まわりに「自閉症」と言うと「知的障害で、症状も重い」とか、「親の育て方が悪い」と思われがちですが、
アスペというとほとんどの人が知識がないので、「症状はこういうもので」と言うところから入って最後に「自閉症の一種または親戚」ともってこれるので。特に息子は2年前から「家族と祖父母以外の人の前では恥ずかしいのでしゃべらない」のが基本ですから、口が利けない、知的障害だ、と思われるので。

>「早速、村上様の文章について、保護者や先生方から『言葉をもたない、或いはもっていても上手に伝えられ
>ない子供達の心の声を聞いたようで深く感銘した。』との言葉を聞きました。さらに、もっと知りたいという
>声も多く寄せられ……」
>ということでいくつか質問が書かれてあった。

子供の視点から物事を見れば、村上さんに聞かずにもっと我が子の心の声を聞けるのじゃないかなあと思います。私自身もそういうのが苦手なダメ母なので、努力するしかないのですが、私も以前就学の時に質問したことがあって、もしかして失礼があったかも...と思ってしまいました。


ASの自立は?
No.0108  Tue, 18 May 1999 19:03:44 +0900  せっかち母さん [この発言にコメントする]

管理人さんのメッセージを読んで、この方面の診断がとても難しいという事が
よくわかります。 息子の事ですが、かぎりなくAS的で、脅迫性神経症もあると
思うし、そんな息子を理解せずヒステッリクに育てた結果、ACの傾向にも
なってしまったと今さら自責の念に陥っています。
そして今は、これまでの反省から、息子のこころに一生懸命よりそい、受け入れ
て、大きな体で甘えてきても、よしよしと頭をなでてあげるのですが、これから
この子が自立していくにはどうすれば良いのだろうかと悩んでいる毎日です.


Re: 「自閉症者の心の声」? 0106へのコメント
No.0107  Tue, 18 May 1999 14:20:08 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

館の管理人 wrote:
>ぼくには自分が「自閉症」であるという病識は持てない。
>言葉をもたない、あるいはたいへんに困難な「ほんものの」自閉症者とぼくと、似ているところはあるかもしれない。でもぼくは彼らではない。
>アスペルガー症候群という範疇にしてみても、ぼくはそれを代表できるわけじゃない。

私が、「自閉症」「注意欠陥障害」「LD」の子供とその親達に囲まれて生活するようになったのは、運命なのかもしれない。でも、私は上の診断のどれにも当てはまらない。私は、そのどれでもあってどれでもない「何か」なのだ。そして、それがASかどうかさえ、本当はどうでもいいことなのだ。
ただ、「自閉症」が理解できずに悩んでいる人達に敵対するかのように「自閉症」の子供達の味方をしてきた。何故か解らないけれど、楽だ。そして、一般には奇妙と思われることにもすんなり説明ができた。
それは、私の使命ではあるかもしれないけれど、私自身ではない。本当のキマイラさんは、ただ、誰でもない誰かに向かって日記を書いていたいだけの人だった。人に係わりたくないし、人が恐いキマイラ。そして、校長だろうと教育長だろうと、物怖じしないペンギンの二人を、私は使い分けているわけではない。ましてや、演じているわけじゃない。ドナ・ウィリアムズさんには3人いたキャラクターが、私には二人いるのだ。そのどちらもが私なのだ。
でも、最近キマイラさんは頭が痛い。いったい、私って、何者なんだろう?


「自閉症者の心の声」?
No.0106  Tue, 18 May 1999 07:51:25 +0900  館の管理人 [この発言にコメントする]

2年前書いてこのアスペルガーの館のどこかにも置いてる「アスペのことを知って」というような文章を、某自閉症児親の会が会報に載せたいというので承諾していたが、数ヶ月前、送られてきたのを見たときはちょっと後悔した。「心の声/自閉症者からのメッセージ」という見出しがつけられていた。

また同じとこから次のような手紙。
「早速、村上様の文章について、保護者や先生方から『言葉をもたない、或いはもっていても上手に伝えられない子供達の心の声を聞いたようで深く感銘した。』との言葉を聞きました。さらに、もっと知りたいという声も多く寄せられ……」
ということでいくつか質問が書かれてあった。

なんか違和感があるのだ。

ぼくには自分が「自閉症」であるという病識は持てない。自閉症のなかまのアスペルガー症候群とはいえるかもしれないけど、それだって絶対的なものではない。診断名なんて専門家の立場によるものだし。
ぼくはたまたまアスペルガー症候群の記述に出会って自分はこれだと思い、「アスペルガーの館」を作ったけど、もしもそれよりさきに○○症候群の記述を見つけていたら「○○の館」にしていたかもしれない。そうしていたら、「自閉症者の心の声」などとしてぼくの書いたのが載せられるというようなことは決してなかっただろう。

言葉をもたない、あるいはたいへんに困難な「ほんものの」自閉症者とぼくと、似ているところはあるかもしれない。でもぼくは彼らではない。
アスペルガー症候群という範疇にしてみても、ぼくはそれを代表できるわけじゃない。
ほかのアスペだろうという人とぼくとでは、一致するところばかりじゃなく、ぜんぜん違うところも正反対のところもある。人間だれかとだれかとを比べれば、いっぱい共通点もあれば違うところもたくさんあってあたりまえ。アスペであろうがなかろうが。(だからこの範疇がそれほど意味があるかもほんとは疑問なんだ)

まあ某親の会がぼくにいろいろ訊きたいわけもわからないではない。
ぼくだって、ほかの人がどうなのかって知りたいと思う。
そのうちアンケートでも作ろうかな。「アスペルガーの館」に来てくれている人たちにどんな傾向があるかとか、同じアスペの傾向をもつものでもここのところはいろいろ違うとか、アスペであろうがなかろうがこれはいろいろだとか、いろいろ分かってくると面白いかもね。


私って、なにもの?
No.0105  Mon, 17 May 1999 23:39:37 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

「わたしは自分で理解している限り、世の中から疎外されて生まれてきた。さらに後には、その「世の中」にかかわろうとするたびに、今度は自分自身から疎外されることとなった。」
       ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』エピローグより

ドナさんと私、そんなにはっきりと自閉症らしい症状を持っているわけじゃないのに、けっこういっぱい共通点がある。いったい、私って、なにもの?

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