アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: たてがみ通信2 10649へのコメント
No.10655  Fri, 25 Jan 2002 23:44:56 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

あんく さんwrote:
> あんくです。昨年10月から始めた乗馬、今日はじめて「かけあし(駈足)」に挑戦しました。いやー「爽快!」の一言でしたね。ジェットコースターのような独特の浮揚感があるので、好きな人にはたまらないと思う。

大学時代、馬にのってた、タレイヌです。
調教師になって、馬と寝起きしたかった・・・・・でも、夢で終ったわ。
そうね、早足、軽早足より、駆け足が、気分いい!!知ってる。

> 馬場ではいまだ「ともだち」はできないです。いつもひとりきりです。でもめげないつもり。

自分の馬がもてたら、一人じゃないって!

馬の気持ちを考えて、顔(いや、あの大きな目)をみていても、感情の動きが読み取れず、自分の方が、落ち込んで悩んでいた・・・・。3ヶ月ぐらいして、夏の合宿に行くようになった頃、体全体で、表現している事に気付き、気にならなくなったのでした。犬などの方が、読み取りやすいですよ、目が訴えるからね。(草食動物のほうが、肉食動物より、感情表現が穏やかに、感じます)

頑張って練習を重ね、モアイの間を、駆け抜けてください!!

   (タレイヌ)
あの―、たてがみ通信1って、あったんですか?見逃しているようです、ごめんなさい。


Re: 2つの自閉 (追記) 10648へのコメント
No.10654  Fri, 25 Jan 2002 23:23:09 +0900  直子(旧マザー) [この発言にコメントする]

オレンジブルーさん wrote:

>成人すればするほど、ヒトとの距離は離れてしまって「なんで私は自閉なんだあ!!」と騒ぎ立てて泣き叫んだ時は、逆に悲痛な顔で怒鳴られてしまいました。
>そして、「親の寿命を減らさんといてくれ」と頼まれました。
>
>ありのまんま書いてしまったつもりです。
>いちいち言わなくて良い事書いてしまってすみません。。
>私の時と似てたので。。。

オレンジブルーさんレスありがとう(^O^)
めっちゃ嬉しかったっす!!(笑)
オレンジブルーさんの親御さんは、オレンジブルーさんときっちり向き合っておられて、素晴らしいと思う。

オレンジブルーさんのカキコは息子に言われているようで、ビンビン胸打つものがあるよ。ああ!親がもっとしっかりしなくては、と反省してしまう。

最近息子の甘えがひどくて、私も我慢の限界に達したときは爆発するけど、しっかり向き合っていますよ。

はぁーきつい!と弱音を吐きたくなったりするけど、子供の気持ち受け止めてあげられるのは親だけなんですよね。
これからもよろしくね! ってなんか変?


Re: 自閉と失語 10650へのコメント
No.10653  Fri, 25 Jan 2002 22:54:11 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Nobusan wrote:
> 質問の直接のお答えは、自閉症方面の人との会話は曖昧な物言いはペケということで理解してもよろしいでしょうか。

 えー、そう言ってしまうとすでにして「普通の人」と「自閉症方面の人間」との認識のギャップに落っこちてしまうのですね。「普通の人」にとって明々白々な表現であるものが、自閉症方面の人間には曖昧この上なかったりもするわけです。

 普通の人にとって、一つ一つのコトバの意味は、ほとんど「みんなが使っている使い方」を天下りにそのまんま引っ張ってきたようなものなのですが、自閉症方面の人間にとって、一つ一つのコトバの意味は、「みんなが使っている使い方」から、帰納し抽象することで推定されたものなのですよ。
 そんなわけで、「普通の人」にとってのコトバというのは、「外なるコトバ」であり「コミュニケーションの道具としてのコトバ」であり「共通のコトバ」なんですが、自閉症方面の人間にとってのコトバは「内なるコトバ」の延長であり、「思考の道具としてのコトバ」であり「個のコトバ」なんです。だから、自閉症方面の子供はいろんなコトバを創作すると言われます。

 ところがですね、以前この『アスペルガーの館の掲示板』で武田好史さんが「そういう『自分だけのコトバ』というのがありますか?」みたいなアンケートをしてみたところ、ほとんど「思い当たらない」という意外な結果が出てしまいました。つまり、「コミュニケーションの道具としてのコトバ」として通用しないコトバは、消えてしまうのですね。これは、自閉症方面の人間の沈黙が、コミュニケーションの断絶に対する絶望のあらわれではないか、という仮説をちょっとだけ支持するようにも思えます。

 ……ですが、おそらくは自閉症方面の人間の密度がめっちゃ高いと思われる「ハッカー(いわゆるコンピュータ犯罪者ではなく、魔術的なコンピュータ使いども)」の世界では、この「個のコトバ」が「個のコトバ」にとどまらず、「コミュニケーションのための道具としてのコトバ」として機能してしまうがために、「ジャーゴン(俗語)」として通用してしまうのですよ。

 つまり、「ソフトウェア開発」というのは、「ある事象・現象を端的に表わす表現を捜す」ことにその本質があったりするのですね。で、説明に苦しんでいる事象・現象がほぼ共通しており、その帰納・推論・抽象のプロセスがとてもよく似通っているので、誰かの「個のコトバ」(=「内なるコトバ」)が表現として発せられたときに「それや!」(なぜか関西弁)ということになり、「コミュニケーションのためのコトバ」(=「外なるコトバ」)として定着してしまうんです。

 たとえばの話、「ロジカル」とか「美しい」というのは、「よくできている」「うまくできている」とほぼ同義語として使われています。「うーん、ロジカルだ」とか「美しいなぁ」というのは、ほとんどハッカーの口癖のように使われています。
 もう一つ、「つまらない」(口語的には「つまらん」)というのがあって、これは「論理的帰結として当然の形であって、それ以外の可能性がほとんど考えられない」場合を言います。だから、「うーん、つまらんプログラムだ」というのは、プログラムの完成度の高さを褒めているのね。で、逆に「はっはっは、こりゃあ面白れぇわ」というのあからさまに馬鹿にされているわけです。とはいえ、「予想に反してロジカルで分りやすいので、認識を改めさせられる」みたいなプログラムは「おお、これは面白い」と賞賛されます。で、なおかつプログラムが短くすっきりしていると「エレガント」。「誰でも思いつくし分りやすくもあるんだけど長大でどんくさい」のが「エレファント」。
 あと、「ワイルドカード」とか「デフォルト」とか、「ハッカーだったら初めて聞いても一発でわかるコトバ」、あるいは「初めて聞いてもすでに日常語として認識されてしまうコトバ」というのがあります。「あいつの味覚はデフォルトが醤油でワイルドカードがマヨネーズだ」「おれのデフォルトは塩胡椒にレモンだな。コロッケに塩胡椒とレモン。海老フライに塩胡椒とレモン」「刺身に塩胡椒とレモン。意外に悪くないかも。」「ハワイ料理にありそうだな」「目玉焼に塩胡椒とレモン。天麩羅に塩胡椒とレモン。なるほど。けっこうワイルドカードだな」

 そんなわけで、自閉症方面の人間同士だと、言葉の使い方が「普通の人」と微妙にズレていて、そのズレ加減が似通っている場合が割合に多く、「言うよね?」「言いますねぇ。」みたいなことになりがちです。

 そんなわけで、「相手が自分と同じ意味で同じ言葉を使っていると思わないこと」「相手がその言葉をどういう意味で使っているかをつねに考えること」「相手と自分の言葉の使い方が違うときに、自分のほうが正しいと決めつけないこと」が重要です。

 外国人の言う「スシ」「スキヤキ」「テンプラ」「テリヤキ」と日本人にとっての「寿司」「すき焼」「天麩羅」「照焼」が同じものとは限らないでしょ? 蛸のかわりに海老が入ってたり鰒が入ってたりする「たこやき」があったりするんだけど、食べると確かに「あ、たこやきだ」と思います。だけど、蛸は水っぽく、タネには舌が痺れるほどグルタミン酸が入っていて、中はぐじゅぐじゅ外はべしょべしょ、そんでもってソースが甘ったるいだけの代物、とかいうと「こんなん『たこやき』ちゃうやん!」と怒ってしまうのね。「蛸が入ってるだけで『たこやき』だっちゅーなら、『たこやき』やのうて『焼き蛸』やんけっ!」みたいな話にも、なります。「あの、蛸の頭のようなくりくりっと丸い可愛らしさ、外はカリッとしてて中はジューシー、だしの効いたうま味、ぶりぶりシコシコとした歯ごたえ、それが『たこやき』の本質だっ!」という意見も、あるわけです。

 下戸だって「お酒が好き」というひとは、います。「お酒の席の雰囲気が好き」という意味で、ですけどね。昼下がりで客も空(す)いたお蕎麦屋さんの隅とかで、お年寄りが一人で、お銚子一本をちびりちびりと、口の中でころがすようにして楽しんでいるのを見ると、「ううむ、やるものだ」と見愡れてしまうのね。自分は呑まないけど、そういう人にお酌するのが好き、というひとはふつうだと思う。

 そんなわけで、相手がどんな気持をその言葉に込めて喋っているかというのを、よく考えながら話を聞く、というのは、「相手が自閉症方面の人間だから」ということではないはずです。で、これができない人は、「人の言葉尻ばかりを捉えるイヤな奴」とみなされたりするのだな。逆に、言葉の使い方が無神経で粗雑な人に対しては、つい言葉尻を捉えたくなったり、話をするのがイヤになってしまうものです。

 と、いうわけで、まずは自分の文章、人の文章をじっくり読むことからはじめてはどうでしょうか。会話より読み書きのほうが、じっくり吟味するにはやっぱり楽なので。

 (Maria)


Re: 2つの自閉 (追記) 10651へのコメント
No.10652  Fri, 25 Jan 2002 22:37:55 +0900  aya [この発言にコメントする]

ちょっと気になったので…。
>
>>私は「あなたには自閉症という軽い障害があるのかもしれない」と、正直に話をした。
>>息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
>>息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
>>心を閉ざしているわけでもないのに。
>
>「あなたは言葉を理解できるぶんだけ、養護学校に通っているような自閉症の子よりも幸せなの。」とでも言って聞かせてください。ASの子はは「なぜ」「どのように」だけがどうしても解りませんが、重度の自閉症の子は、これに加えて「いつ」「どこで」「何を」「誰と」ということも、理解することが困難なのです。

自分より大変な子がいることと、自分がしんどいことには因果関係はないと思うのです。
もっと大変な子がいて、だからあなたは幸せな方に入るのよ、と言われてしまうと、本人の苦痛をなかったことにされてしまうような気がします。
というより、私がそう言われると、そう思ってしまうだけなのかもしれないですが。

人を求める気持ちがあっても、やり方が違うのでなかなかうまくいかない、というようなことだと思います。
医学書の説明だと、古い自閉症観が載っているかもしれないので、ちょっと心配です。

直子さんの息子さんが、自分とうまく折り合いをつけられるようになるといいのですが。


Re: 2つの自閉 (追記) 10646へのコメント
No.10651  Fri, 25 Jan 2002 21:53:28 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

直子(旧マザー) wrote:
>>
>息子は思春期に入ってどんどん人に興味を持つようになった。友達をほしがった。
>だけど、自分なりに友達を作ろうとしても、うまくいかず少しずつ抑うつになってしまった。
>息子は中学生の頃から躁状態のように、急にはしゃいでバカ笑いをすることが目立ってきた。

そのころまたは最近彼には、「誰か好きな子ができた!」ということはありませんか?
 私もそうだったのですが、案外男の子という生き物は、そういったときについ舞い上がってしまって、そのような振る舞いをしてしまうことがあるものなのです。

>クラスの子に「なんだよ急に!お前バカか!シンナーでも吸っているんじゃないのか」と言われショックを受けて悩んでいた。
>ある時、「お母さん、俺って障害者? それとも精神病?」「俺、なんでこんなに変なんだ?」と息子に詰問された。
 僕も小学6年生のとき、なんとなく『思い出し笑い』をする癖があって、担任の先生に「おまえ、分裂病かもしれないぞ!」と言われて、すごくショックでした。

>私は「あなたには自閉症という軽い障害があるのかもしれない」と、正直に話をした。
>息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
>息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
>心を閉ざしているわけでもないのに。

「あなたは言葉を理解できるぶんだけ、養護学校に通っているような自閉症の子よりも幸せなの。」とでも言って聞かせてください。ASの子はは「なぜ」「どのように」だけがどうしても解りませんが、重度の自閉症の子は、これに加えて「いつ」「どこで」「何を」「誰と」ということも、理解することが困難なのです。


Re: 自閉と失語 10618へのコメント
No.10650  Fri, 25 Jan 2002 21:17:22 +0900  Nobusan [この発言にコメントする]


Mariaさん wrote:
 そんなわけで、「自分を突き放して考える」訓練をしてください、というのが、アスペっ子の親御さんに対する第一のアドバイスということになるでしょうか。子供を突き放しちゃったら駄目だよ。つかまえておこうとするのをやめるのは大事だけど。
>
ご助言ありがとうございました。なにせ私、息子命、家族命で生きているようなNP(Neurotypical)シンドロームの典型なものですから、自分を突き放しても、次の瞬間、自分がバックスライド式に跳ね返ってくるというか、自分が自分に取り込まれて落ち込みがさらに激しくなってしまうのです。まあ、慣れると言うことを信じて何度も挑戦してみます。

質問の直接のお答えは、自閉症方面の人との会話は曖昧な物言いはペケということで理解してもよろしいでしょうか。この掲示板によって、NPたる私は、相手が誰であるにせよ、会話の時は意識せずに曖昧語を駆使していることが解ってきました。この曖昧語の正体は、理解するのに「心の理論」が必要となるものらしいですね。
「右」「左」なんかは人の位置や、方向によってまさに「心の理論」を必要とする曖昧語の典型ということになります。しかしながら、このような曖昧語は、一方で、キープレフト、右側通行を守りましょうといったふうにこの語がなければ膨大に場面を設定して条件付きで説明しなければならないものをいとも簡単に相手に説明してしまうことが出来るという魔法のような言葉でもあります。NPはどれが曖昧語で、どれが意味の曖昧さを許さない語句なのか、簡単に判断することが出来無いという障害を持っています。曖昧さのない客観的語句のみで会話をするというのはNPにとっては確かに外国語に近いものだと思います。それは自閉傾向の人にとっては曖昧語を駆使した普通人の会話が外国語のように理解できないのと同じことであると思います。どうやら我々は、似て非なる言語を混在させる形でコミュニケーションしようとしているのかもしれません。自閉傾向の人のために曖昧語を省いた新しい言語体系を手話のような形で作らなければならないのかもしれません。

これって飛躍ですか?


たてがみ通信2
No.10649  Fri, 25 Jan 2002 20:40:06 +0900  あんく [この発言にコメントする]

 あんくです。昨年10月から始めた乗馬、今日はじめて「かけあし(駈足)」に挑戦しました。いやー「爽快!」の一言でしたね。ジェットコースターのような独特の浮揚感があるので、好きな人にはたまらないと思う。
 馬場ではいまだ「ともだち」はできないです。いつもひとりきりです。でもめげないつもり。だって自由に駈足が出せるようになったら、イースター島へ行って、モアイ像たちの間を駆け巡ることになっているんですもの(笑)。ほかにもたくさん、行きたいところがある。待ってろー!


Re: 2つの自閉 (追記) 10646へのコメント
No.10648  Fri, 25 Jan 2002 20:33:29 +0900  オレンジブルー [この発言にコメントする]

直子(旧マザー)さん wrote:
>>たとえば息子の(AS)は人を求めているタイプです。おしゃべりです。
> 追記
>息子は思春期に入ってどんどん人に興味を持つようになった。友達をほしがった。
>だけど、自分なりに友達を作ろうとしても、うまくいかず少しずつ抑うつになってしまった。
>息子は中学生の頃から躁状態のように、急にはしゃいでバカ笑いをすることが目立ってきた。
>
>クラスの子に「なんだよ急に!お前バカか!シンナーでも吸っているんじゃないのか」と言われショックを受けて悩んでいた。
>ある時、「お母さん、俺って障害者? それとも精神病?」「俺、なんでこんなに変なんだ?」と息子に詰問された。
>私は「あなたには自閉症という軽い障害があるのかもしれない」と、正直に話をした。
>息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
>息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
>心を閉ざしているわけでもないのに。

直子さんはじめまして。
私なんかもメッチャンコ嬉しくなると、誰それナニソレ構わずにシッポ振ってた
口です。興味が無い場では全く話しの音声自体が機能しなくなっていました。

私は24歳の時に、はっきり自分がヒトと違うことを自覚し、どうしようもなくなって、虚脱状態になりました。こればっかりは、友達にも言えなかったです。
母親に何度か「私は分裂病かしら・・・・」と何度ももらしました。
「自閉」を知ってから、親は「全く別なの。病気じゃないんだ。」と心の穴にフォローしてくれるようになりました。
成人すればするほど、ヒトとの距離は離れてしまって「なんで私は自閉なんだあ!!」と騒ぎ立てて泣き叫んだ時は、逆に悲痛な顔で怒鳴られてしまいました。
そして、「親の寿命を減らさんといてくれ」と頼まれました。

ありのまんま書いてしまったつもりです。
いちいち言わなくて良い事書いてしまってすみません。。
私の時と似てたので。。。


Re: 2つの自閉 (追記) 10609へのコメント
No.10646  Fri, 25 Jan 2002 17:56:17 +0900  直子(旧マザー) [この発言にコメントする]

I wrote:

>たとえば息子の(AS)は人を求めているタイプです。おしゃべりです。

 追記

息子は思春期に入ってどんどん人に興味を持つようになった。友達をほしがった。
だけど、自分なりに友達を作ろうとしても、うまくいかず少しずつ抑うつになってしまった。
息子は中学生の頃から躁状態のように、急にはしゃいでバカ笑いをすることが目立ってきた。

クラスの子に「なんだよ急に!お前バカか!シンナーでも吸っているんじゃないのか」と言われショックを受けて悩んでいた。
ある時、「お母さん、俺って障害者? それとも精神病?」「俺、なんでこんなに変なんだ?」と息子に詰問された。
私は「あなたには自閉症という軽い障害があるのかもしれない」と、正直に話をした。

息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
心を閉ざしているわけでもないのに。


Re: あたしたちの場所 10639へのコメント
No.10645  Fri, 25 Jan 2002 16:59:22 +0900  オレンジブルー [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> Mariaだじょ。(↑書いてあるって)
わーい。だじょだじょ。<ははっは(^^)

> うちの所長さんが「マイクロプロセッサ」というものに出会ったのは、たぶん一九七五年です。

うわっつ。私は生まれていませんね!

それまで、なんだかわからない、とにかく「すごい」ものだった「コンピューター」というものが、手の届きそうなところにやってきた、というので大昂奮しました。
>
> それから八年くらい経ったころでしょうか。「自分の書いたプログラムが誰かの役に経つ」ということを知ったのは。それ以降、「基本的に、プログラムを書いて食えればそれでいい。取れるところからは取り、払えないところに回して、つましく生きてゆこう」と思ったそうです。
>
> それから紆余曲折を経て就職した会社(「エー・アイ・テクノロジー」というのですが)は「魔窟」と言われました。なんつったって「自分が欲しいソフトを作る」「自分が払ってもいい値段をつける」で商売してて、しっかり儲かってたんだもん。そうやって築いた資産は、次の製品の開発費に叩っこんでました。

プログラムって、楽しいんですか?
私は高校まではバリバリの理系派だったんですが、
(センターも理数で確保しました。)
どちらかというと、大学の選択自体誤ったのだろうか・・・。と
中退してから思ってしまう。← 理由の擦り付けです。
子どもの時からテレビゲームはクラスの男子と本格的に
競っていたくらいでした。パソコン自体はあまり興味無かったんですが
(解説文章で参ってしまう)今、父親のパソコンを占領して
結局自分だけで使っています。

でも、今更一から自分のできそうな分野でスタートから
周囲と競おうなんて気すら起きない。。。
気象データ入力のアルバイトの時は、秘書さんみたいな人から、
「あら。コンピュータ好きそうねえ?!」←関西人で機関銃のような人だった
と、教えてくれていましたが、とても、周囲バスケのような情報キャッチ
には付いていけなかった(涙)
それに、電話が駄目だし、一回一回周囲との会話にも付いていけない。
田舎だからか、みんな同じようにできないとすぐに話しでぼろくそに出される。
デスクみんなのところに行って、お茶をだすのもひっどイ苦労。
毎日毎日、なんでお茶の為にこんなに苦労を?
後でマックでの仕事しないか?と言われけど、そ、それわ
「美術系」と思い込まれていて期待されていたに違いない。
居るだけで死にそうで睡眠もぶっ飛ぶ。

> 「あたしたちは、生きててやってるんだ! 世の中に必要とされてるから、こうやって生きてるんだ! 自分の為すべきことをちゃんとしている人間が幸せになるのは、自分のためじゃなくって世間のためなんだ。努力が報われなかったら、みんな安心して働いていられないでしょ? だったら『仕事』がいちばん楽しいっていうあたしたちを、うまく利用してどんどん儲けてくださいよ。あたしたちは、自分の才能をめいっぱい活かすことで、その期待に応えてあげるから」。それが、あたしたちのスタンスだったのね。

> なんで世間に「生きさせてもらっている」なんていう目で見られなきゃいけないの? あたしたちは「ちゃんと生きる権利」を、奪われているだけなのよ!

そうですとも。奪われているんですよ!
私だって、自分ができることで満たされたい。

> ……もちろん、「働けない」ひともいるのは確かなのね。あたし自身が「働けない」存在だったことがある(突発性拡張型心筋症で、ベッドから降りることすらできなかった時期がある)から、それは分ります。だけど、「人間として生きている」ことと、「自分のことを自分で決められる」というのは、それだけでも重要なことなのね。
> だから、あたしたちの「寄合所帯」というのが、あるとうれしい。自分の基盤になる場所が、欲しいと思ってます。
>
> 本気で作っちゃおう、と、思ってたりもします。

創ってよおお・・・・・!創って欲しいよお・・・!
小会社でもいいじゃあないですかあ。
自由に才能開発できる場を設けてよおおお。

うちのポカホンタス田舎では、どおおおでもいいよううな
デッカイデッカイ子どもの学習会館を創りおって!
変な城のような建物の前にはでっかい広い広い芝生だじょ。
敷地面積一体どれほどか?
「もったいねえー!」って思った。
なんでこんな物造っちまうんだ?田舎って。
安藤忠雄さんの円形寺の方がよほど為になる←意味不明


明日のカッコウは・・・
No.10644  Fri, 25 Jan 2002 13:30:39 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

え、明日のオフ会待ち合わせ場所では、私は

うえ:オリーブ・グリーンのコート
した:ジーンズ

というカッコウをしております!
 私は眼鏡をかけていて、髪は縮れ毛です。

以下、参加する人がいたら、服装をお書き下さい!


Re: 武田好史君よ 10640へのコメント
No.10643  Fri, 25 Jan 2002 13:22:09 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
>ひま人さん wrote:
>>(前略)そんなに天体のことが好きなら、いっそのこと天文学者になればよかったのに?
>
> 横レスします。
> 小学校の卒業文集に「わたしは将来、小説家か天文学者になりたい」と書いていた者です。
>
> どちらにもなれませんでした。学力や能力の足りなさを痛感できたのは、高校時代です。今でも専門書を読むほどの知識はないけれど、一般向けの解説書でたとえば『重力と一般相対性理論』なんか読んでて楽しいし、しし座流星群を見るために夜中に休耕田まで出かけて行ったりくらいのことはします。
> 好きだから好き……それだけじゃいけないの?

そう、だから学者にはならなくっても、ちょっとずうずうしい「愛好家」でいたいです(^O^)。


Re: 「どっちでもいいこと」が決められない。 10641へのコメント
No.10642  Fri, 25 Jan 2002 11:30:48 +0900  みどり [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
> 「正しくないことを認めにくい」というか「(自分が教わってきた、あるいは信じてきた)正しいことが、ちゃんと行われていないことに対する嫌悪感がある」とでも言いましょうか。(ホントに説明しにくい)
> 「人をいじめちゃいけないよ」「人の悪口を言ったり、叩いたりしちゃいけない」などは、幼児の頃から誰でも言われて育ってくると思います。それが「正しいこと」としてストレートに心に定着していて、正しくないことに対する違和感や嫌悪感が生まれているような感じです。これはどちらかというと「融通がきかない」ほうの部類に属するのではないかな?とわたしは思いました。こういう子は「やられたら、やりかえせ」などと言われたら泣き叫びます。「正しくないこと」をするのは自分自身と「矛盾」するからです。

うわぁんうわぁんびいびぃ〜 (ちょっと子供返りしてます)

やなのよー。そうなのよー。正しくないことをする人、しかも平然とする人たち、そんな人たちがいるなんて信じられない。
ニュース見るは耐えられないことが多いし、親しい大好きな友人が相手でも批判的に思ったりしてしまうの。

しかももっと嫌なのは、実は自分がたくさん正しくないことをしちゃってることに気づいたとき。
もうどうしようもなくイヤなのよー。もうどうしようもなく腹立たしくなるのよー。どうしていいかわからなくなるのよー。

うえーん

冷静でなくてごめん の みどり (こんな追記をしちゃう性格もきらいだ)


Re: 「どっちでもいいこと」が決められない。 10630へのコメント
No.10641  Fri, 25 Jan 2002 09:17:28 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 えーと、思いついたことだけを書いてみます。
 うちの娘を見て、ということだけなので、アスペっ子全体に言えるかどうかはわかりません。(なら書くな?そんなことおっしゃらないで〜)

Mariaさん wrote:
> アスペっ子は、他の子供をいじめることがない。
> アスペっ子は、他の子供にいじめられることが理解できない。
> アスペっ子は、明確な危険やはっきりとした苦痛に鈍感であると言われている。

> アスペっ子は、相手が誰であれ、苦痛を受けているのを見るのが苦痛だったりします。だから、いじめができない。
> 逆に、なぜいじめられるのかがわからない。相手だって同じように苦痛を受けているはずだから。

 娘が「学校に行きたくない理由」を三択クイズ形式(こういうの好きみたいです)で突き詰めていって、「同じ部屋(教室とは言わない)の男の子が、お友達の悪口を言うのがいや。そういうのは聞くのも見るのもいや」という原因が出てきたことがありました。
 娘自身も悪口を言われたり、イスを蹴飛ばされたり叩かれたりという意地悪にあっているので、これはその時のことが蘇って思い出されたせいかな?と最初は思いました。でも、少しちがうような気がします。うまく言葉にならないんですけど。

 「正しくないことを認めにくい」というか「(自分が教わってきた、あるいは信じてきた)正しいことが、ちゃんと行われていないことに対する嫌悪感がある」とでも言いましょうか。(ホントに説明しにくい)
 「人をいじめちゃいけないよ」「人の悪口を言ったり、叩いたりしちゃいけない」などは、幼児の頃から誰でも言われて育ってくると思います。それが「正しいこと」としてストレートに心に定着していて、正しくないことに対する違和感や嫌悪感が生まれているような感じです。これはどちらかというと「融通がきかない」ほうの部類に属するのではないかな?とわたしは思いました。こういう子は「やられたら、やりかえせ」などと言われたら泣き叫びます。「正しくないこと」をするのは自分自身と「矛盾」するからです。

 「矛盾」を越えてまで行動に出るほどのところまで達していない(うーん、言葉が変です)という気がします。

> で、危険や苦痛はおそらく感じているのだけれど、それが「自分のこと」だというのが、よくわからない。そわそわしたり、イライラしたり、パニックを起こすことはあっても、状況と自分の中の「感覚」がどう結びついているかが、いまひとつよくわからない。

 この辺も、「我慢しなさい」と「我慢は正しいことである」という教えを受けてきた場合には、「外に向かって痛みや苦しみを表現する」ことは「正しくない」という状態におちいっている可能性もありうるかもしれないという気がします。すべての危険や苦痛に対していえる事柄ではありませんが。

 あくまでも、わたし個人の考えです。


Re: 武田好史君よ 10633へのコメント
No.10640  Fri, 25 Jan 2002 07:15:17 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

ひま人さん wrote:
>(前略)そんなに天体のことが好きなら、いっそのこと天文学者になればよかったのに?

 横レスします。
 小学校の卒業文集に「わたしは将来、小説家か天文学者になりたい」と書いていた者です。

 どちらにもなれませんでした。学力や能力の足りなさを痛感できたのは、高校時代です。今でも専門書を読むほどの知識はないけれど、一般向けの解説書でたとえば『重力と一般相対性理論』なんか読んでて楽しいし、しし座流星群を見るために夜中に休耕田まで出かけて行ったりくらいのことはします。
 好きだから好き……それだけじゃいけないの?


あたしたちの場所 10635へのコメント
No.10639  Fri, 25 Jan 2002 00:54:04 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 Mariaだじょ。(↑書いてあるって)

オレンジブルーちゃん wrote:
> という前に、私はどこにも安心して認められる「場」があまりにも無いと感じている。被害妄想でしょうか? 自閉の診断をもらったって、現実の場に、どこにもその自閉者に対する「場」が設けられていない。
> ノースカロライナ州の話を見たって、とんだお伽話だ。
>
> この生き辛さ、見せしめに為に障害者が集団自殺なんか起こしてしまえば いいのに。なんて思ってしまいました。
> 精神的に弱っている弱者が居るはずの世界に向かってこんなこというのは犯罪ですが、ごめんなさい。私は今日、本当にそうなっちまえばいいのに、っておもいました。
>
> 先天的に気楽に安心していられる場所が無いなんて、 (私にとって)死んだ方がよっぽどマシな世の中です。

 うちの所長さんが「マイクロプロセッサ」というものに出会ったのは、たぶん一九七五年です。それまで、なんだかわからない、とにかく「すごい」ものだった「コンピューター」というものが、手の届きそうなところにやってきた、というので大昂奮しました。

 それから八年くらい経ったころでしょうか。「自分の書いたプログラムが誰かの役に経つ」ということを知ったのは。それ以降、「基本的に、プログラムを書いて食えればそれでいい。取れるところからは取り、払えないところに回して、つましく生きてゆこう」と思ったそうです。

 それから紆余曲折を経て就職した会社(「エー・アイ・テクノロジー」というのですが)は「魔窟」と言われました。なんつったって「自分が欲しいソフトを作る」「自分が払ってもいい値段をつける」で商売してて、しっかり儲かってたんだもん。そうやって築いた資産は、次の製品の開発費に叩っこんでました。

 「あたしたちは、生きててやってるんだ! 世の中に必要とされてるから、こうやって生きてるんだ! 自分の為すべきことをちゃんとしている人間が幸せになるのは、自分のためじゃなくって世間のためなんだ。努力が報われなかったら、みんな安心して働いていられないでしょ? だったら『仕事』がいちばん楽しいっていうあたしたちを、うまく利用してどんどん儲けてくださいよ。あたしたちは、自分の才能をめいっぱい活かすことで、その期待に応えてあげるから」。それが、あたしたちのスタンスだったのね。

 なんで世間に「生きさせてもらっている」なんていう目で見られなきゃいけないの? あたしたちは「ちゃんと生きる権利」を、奪われているだけなのよ!

 ……もちろん、「働けない」ひともいるのは確かなのね。あたし自身が「働けない」存在だったことがある(突発性拡張型心筋症で、ベッドから降りることすらできなかった時期がある)から、それは分ります。だけど、「人間として生きている」ことと、「自分のことを自分で決められる」というのは、それだけでも重要なことなのね。

 だから、あたしたちの「寄合所帯」というのが、あるとうれしい。自分の基盤になる場所が、欲しいと思ってます。

 本気で作っちゃおう、と、思ってたりもします。

 (Maria)


Re: 2つの自閉 10537へのコメント
No.10638  Fri, 25 Jan 2002 00:42:45 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

蝙蝠(内省型) wrote:
> ここに書かれていることは医学からは完全に脱線している…。
>
> 自閉とは本人にとって2つの意味がある…。1つは生まれつき
>持っている対人交流の障害…。もう1つは社会と折り合いをつけ
>ていくために自らの心を閉ざしていくこと…。

自分で話題を提供しておきながら、完全にレスが遅れてしまっ
た〜。情けないっす。武田さん,直子さん、丁寧なレスをありが
とうございました。


Re: 1月26日ミニオフ会 10458へのコメント
No.10637  Fri, 25 Jan 2002 00:34:03 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

こうもりです。これはあさってのオフ会の確認メールです。

こうもり wrote:
> こうもりです。鯨夢ミグさんとの間でオフ会の大まかな予
>定が決まりましたので、ここに告知します。
>
> 日程:1月26日(土曜日)
> 時間:11時30分集合(お店に11時50分を目標)
> 集合場所:JR新宿駅南口(改札を出た辺り?)
> 開催場所:「ぴーまん」
> 集合時の目印:不肖こうもりが中国で買った人民解放軍の
>       のコートを着て立っております。
>
>緊急時の連絡先
>
>鯨夢ミグか、繋がらなければこうもりの携帯電話へ。なお、
>携帯番号は不肖こうもりが直接メールでお知らせしますので
>参加希望者は下記のメールまでご連絡いただければ幸いであ
>ります。
>
>(連絡先)seijinld@msg.biglobe.ne.jp
>
> 上記の連絡先はオフ会の申しこみ先にもなっています。ち
>なみに会場の住所と連絡先は以下の通りです。
>
>新宿 ぴーまん
>新宿御苑の緑の展望台
>
>東京都新宿区新宿2-2-1 ビューシティ新宿御苑1F
>TEL:03・3341・9472
>営業時間:10:00〜19:30/11:30〜13:30ランチタイム
>定休日:なし
>
> 皆様の参加を心よりお待ちしております。では

 


Re: 「どっちでもいいこと」が決められない。 10630へのコメント
No.10636  Fri, 25 Jan 2002 00:01:08 +0900  Maria [この発言にコメントする]

I wrote:
> (5)の「赤ちゃん言葉がない」というのは、その過程における試行錯誤が表に出てこない(いわゆる『魔術としてのコトバ』と『外なるコトバ』の間にギャップがある)ためであるように思われる。

 えー、とある本に「自閉症に特徴的な行動」として、こんなものがあげられていました。

  ・通常の教育方法にはのらない
  ・不適切な笑い方やクスクス笑いをする
  ・エコラリア(反響言語)
  ・耳が聞こえないような振舞をする
  ・明らかな危険に対して恐怖心を示さない
  ・痛みに対して鈍感
  ・泣き叫びやかんしゃくを起こす/わけのわからない激しい苦悩を示す
  ・物をクルクルまわす
  ・あやしても反応がない
  ・おかしな遊びに没頭する
  ・他の子供たちと一緒に遊べない
  ・日課や習慣を変えることに抵抗を示す
  ・視線が合わない
  ・冷淡な態度を示す
  ・粗大運動と微細運動にアンバランスがある/ブロック積みはできてもボール蹴りをしようとしない
  ・物に不適切な愛着を示す
  ・非常に他動であったり極端に受け身的であったりする

 これはなんでもオーストラリアのJ・レンドル・ショートという人の資料に改訂を加えたものだそうですが、うーん……偏見入ってるなぁ。だいたい「通常の教育方法」「不適切な」「鈍感」「わけのわからない」「冷淡」「不適切な」ってなんやねん(-_-X)。

 でもって、今回はあたしが「常識」だと思っていることと、アスペっ子の教育の世界、あるいは発達障害児教育の世界で「常識」とされていることのギャップについて語っておこう、と思っているのね。

 遠山啓先生の著作集やピアジェの『発生的認識論序説』あたりはまあ読んでもらっているとして(コメニウスの『大教授学』まで読めとはいいません……とかいって、まあ、普通は遠山啓やピアジェやブルーナーまで読まないわな)、現今の教育制度の欠陥についてちゃんと認識してもらってないのは困ったことであるなぁ、とあたしは思ってしまうのですよ。
 「通常の教育」とはいうものの、「普通の子供にとって適切な教育」=「通常の教育」というわけではまったくないのですね。だからこそ塾やら教材屋やらといった商売が成立っているわけで、「普通の子供にとって適切な教育」というものは、アスペっ子にとっても適切なものなのですよ。だけど、「集団生活を通じて社会性を身につける」という目的と、「横並び意識と競争原理という相反する条件をうまくクリアしていく」という課題が、アスペっ子にはちょっと荷が思いわけです。高度成長期以前の田舎の分校みたいなとこだったら、たぶんアスペっ子も「難産だったから(あるいは、「子供の頃に重い病気をしたから」とかいった、適当な理由のついた)ちょっとおかしい子供」かなんかの扱いで、「ふつうに」育てられたんじゃないかなぁ。

 「不適切な笑い方やクスクス笑いをする」とかいうのも、場違いな馬鹿笑いをする人なんかべつに珍しくないし(←ひょっとしてアスペだったのかも)、オヤジギャグのオヤジギャグたる所以はその「不適切さ」にあるわけだし、『伝染るんです』や『大人袋』や『かいしゃいんのメロディ』みたいなギャグのセンスが一般的だとも思わないのね。
 だから、それは「何が不適切か」みたいなものを無意識のうちに察知して自己抑制をする(あるいは適切と思われる行動を取る)という訓練がなされているかいないか、みたいなわりと動物的なレベルの問題であって、本質的な部分とは関係がないと思うのね。だからこそ、「耳が聞こえないような振舞をする」「明らかな危険に対して恐怖心を示さない」「痛みに対して鈍感」「泣き叫びやかんしゃくを起こす」「わけのわからない激しい苦悩を示す」「物をクルクルまわす」「あやしても反応がない」「おかしな遊びに没頭する」「他の子供たちと一緒に遊べない」「冷淡な態度を示す」「物に不適切な愛着を示す」「非常に他動であったり極端に受け身的であったりする」といった要素は「診断規準」にはなりえないのね。

 大人になって社会性を身につけることで、こうしたことを社会において適切な形で解放するひとは、べつに珍しくありません。「作業に熱中すると、周囲のことがまったく目に入らなくなる」「仕事に関しては勇猛果敢であるが、それ以外ではからきし意気地がない」「いざという時には傷みを忘れる」「普段は冷静なように見えて、酒が入るとしばしば泣き崩れたり、怒りをあらわにすることがある」「他人にはわからない、仕事上の悩みを抱えている」「意外に子供っぽいところがあり、遊園地に行ったりすると子供よりはしゃいでいる」「私生活では無愛想」「あまり一般的でない趣味がある」「本当は人付き合いが苦手」「他人の私生活に首を突っ込むのが厭」「めちゃめちゃ凝り性」「やたらに多趣味/休日とかいうとゴロゴロしてばっかり」。こういうのは、べつに「異常」とは見なされないわけです。

 人間は、全能感に支配された「原初ナルチシズム」の段階(「黄金期」)から、多くの挫折を経て、真に自分にとって必要なものを認識し、不必要なものを切り捨て、社会にうまく適応して自己実現することによって、「黄金期」に回帰しようとします。
 高田栄一さんという人がいて、椎名誠の『新橋烏森口青春編』にも登場しています。NHKでテレビドラマ化されたときは、伊東四朗さんが演じていました。高田さんは幼少のころ、錦蛇を見て、その身体にみっしりと抱き締められたい!呑み込まれたい!と切望したそうです。
 で、高田さんは編集者その他を経て、いまや詩人でもあり、世界的に有名な爬虫類研究家としても知られています。椎名さんはニシキヘビの餌用のヒヨコの番をさせられて辟易した話を上述の『新橋烏森口〜』で書いています。

 行政レベル、あるいは社会レベルで言うとですね、納税者、あるいは「社会にとって必要とされる人間」として自己実現してもらって、同時に社会に迷惑でなければ、どうでもいいんですよ。ジョン・F・ケネディが打ち出した政策のひとつに、「すべてのハンディキャッパーを納税者にする」というのがあります。社会に利用されるのはむしろ歓迎すべきことです。「搾取」と「利用」というのはまったく別の話ですから。あたしたちは社会に「寄生」したいとはまったく思ってないし、「共棲」できるのならむしろ願ったり叶ったりなのね。障害者プロレスや小人(こびと)プロレスがビジネスとして成立するなら、べつにいいじゃない、とあたしは思います。
 高橋竹山や長谷川きよしやスティービー・ワンダーやレイ・チャールズはすでに「盲目であること」を除いても偉大なミュージシャンだけど、そうなる過程に「盲目であること」によるハンディキャップもあればアドバンテージもあったというのは当然のことなのね。で、あたしはそうした彼らを祝福したいし、そうなれなかった人々を悼みます。だから、可能性を拓かせてもらいたいと思うのね。あたしも、語彙収集という「あたしだからできること」に出会えてどれだけ救われたか、という思いがあるから。

 「魔術としてのコトバ」についての解説がどっか行っちゃったけど、「(乳幼児にとって絶対的な主体である)母親に好かれたい」から「(社会人にとって絶対的な主体である)社会に認められたい」に至る過程で、どこかで自分をやりくりしてかなきゃいけないのね。

 「社会に組みいれられるべき部品」としては、自閉症方面の人間はかなり「良質」です。だけど、それは「自己実現の方法の一部」であり、基本的人権の一部として尊重されるべき存在なのね。

 使い捨てされちゃった人間としては、あたしたちの「プロ意識」っていうのは、自己のよりどころであるぶんだけ、「尊重してくんないと線切っちゃうぞ」という部分は、強調しておきたいと思います。

 (Maria)

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