アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
tasukさん wrote:
>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>ありますか?
沈黙してしまう人もいれば、わたしのように話し出すと
止まらなくなる危険性を持ったASもいます。わたしは処
世術として普段はできるだけ聞き役に回るように努めてい
ます。
(補足)
昨日のオフ会でわたしと話した人は「うそこけ。よくし
ゃべっていたやんけ」と思うかもしれないが、恐ろしいこ
とに事実である。ちなみにわたしには受動型のASだとい
うあまり信じてもらえない事実もある。
>私は人並みに誰かと仲良くしたいとか、楽しくおしゃべりしたい、と
>思っているのですが、いざおしゃべりの輪の中に
>入ると、頭が空白になり、なにもいえなくなってしまいます。
>しゃべらないので、つまらない人だと思われ、
>そのうち話し掛けられもしなくなり、疎外感を感じて
>いつも嫌な思いをしてます。
(中略)
>ごく少数の仲の良い人とはわだかまりなくおしゃべりを
>楽しめるのです。
(中略)
>時間がかかります。
>同じような人いらっしゃいますか?
これはありますね。どちらかというと少人数でしんみりと話すのが
好きです。やはり、オフ会に来ていた人には信じにくいかもしれませ
んが。シクシク
でも、個人的な考えを言えば、おしゃべりを楽しむことができる少
数の友達の方を大切にしていった方がいいと思います。むかし見た『
フォレスト・ガンプ』という映画に登場したIQ70の主人公は友達
が少ない代わりに、とてもよき友達に恵まれていました。そういう人
生もまた素晴らしいです。
元気?
昨日のこと気にして、落ち込んでない?
昨日はみんな大声で話してしまって、本当に申し訳ない・・・
もし「『音』という刺激に慣れたい」と思うんなら、音楽鑑賞を1日1回ぐらいやってごらん。
君の場合は、できるだけスローテンポで、ゆったりとした曲から始めるといいと思うよ。ボリュウムも中よりも下で・・・
tasukさん、みあんにゃさん、はじめまして。
>tasukさん wrote:
>>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>>ありますか?
みあんにゃさん wrote:
>おしゃべりしたいのに「こんなこと言ったら怒られないかな?」と恐くて何も言えないこともあれば、話すことが何も思い浮かばなくて(頭が空白、というのがぴったりです)ただうなづいてるだけのこともあります。
>>何か話そうとすると、言葉が出てくるまでにすごく
>>時間がかかります。
>
>私は話せるまでに言葉が頭の中で育つころには話の流れが進みすぎてしまって、次の話題に移ってます。結局、言いそびれます。
横レス失礼します。(話がずれますが。)私は、話そのものがかみ合わない、と指摘され、人前で発言するのがイヤになってしまったクチのタイプです。(しかも、これを人に言われるまで気づきませんでした。)実際、電話でも会話でも、話が込み入り出してくると、混乱することもあります。(一旦しゃべり出すと、今度は自分が一方的になっているようです。←というのも、これも人から指摘されたので。)また、人の話の流れの中に、途中から入るというのもうまいとはいえない方ですね。
私自身も(話す事に対して)ぴったりの言葉が出て来るのに、時間がかかる方かな、と思います。最初からこんなカキコでごめんなさい。
るうさん wrote:
>でも、忘れてました、いつの間にか。
>多重人格とはあきらかに違うものです。
>彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
たくさんいました♪
名前がついていたかどうか覚えてはいませんが。いっしょに冒険していました。ファンタジーやアニメの中から引っ張ってきたものでしょう、多分。悪を倒す正義の勇者みたいなヤツかなぁ……。
かならず「仲間」がいましたねぇ。お互いに信頼し合える仲間が。現実の世界には存在しなかったんですけど。
同人誌を自分で作ってコミケで売ったりするようになってから、自然消滅しましたかね。消えたのは30代になってからですが(笑)
るう wrote:
>子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
アメリカのテレビドラマ (家族もの) を見ていると、"imaginary friend" とか言って、わりと頻繁に登場するみたいです。
子供が幼稚園かその前くらいのときに出てくるのかな?
で、ほかの家族が「おれの『想像の友達』はこんなやつだった」という思い出話をして盛り上がったりとかいうのが典型パタン。
つまり、みんな経験があるっていう前提らしい。
私はといえば… 想像力に欠けていたのか記憶力に欠けているのか、覚えてません。
中学生くらいの頃、実在の人物を勝手に想像の友達のような存在にして、日記などで話しかけたりしてはいましたけど、これはちょっと違うかな。なんだか残念。
みあんにゃ wrote:
>ただ、職場では「お仕事モード」になるので、おしゃべりな方かもしれません。別の人格がいるのかと思うくらいです。たまにリミッターが外れ過ぎて、口が別の生き物になります。後で疲労と自己嫌悪に襲われます。
>おしゃべりしたい気持ちはあるのに、いざおしゃべりができると後でぐったりして「口なんか聞けない方がいい」とまで思ったりすることが多いです。
すごくわかります。まるで別の自分がいるような気がします。話が終わると、夢を見てたのかと言うような気分になります。
で、話を反芻しては、後悔が爆発して収拾つかなくなったりします。
大量に投稿してるので信じてもらえないかもしれませんが、ここでの投稿でも似た感じがあります。
武田好史 wrote:
>みどり wrote:
>>武田好史 wrote:
>>> 他の人の抱えている「障害」について理解し、汲み取って自分の置かれた立場を理解していくということは、自らの「障害」というものの本質を知るということに関して、非常に重要なことであると私は思います。そのようにして、人というのは本当の意味での「生きていく力」「他人に対するいたわりの能力」を回りの人から分けてもらっているのです。
>>
>>他と自分を理解するところまではまったく異論はありませんが。
>>
>>で、理解した結果が「私は〜よりは幸せ」なわけ? それが「本当の意味での生きてゆく力」で「いたわり」なわけ?
>>…私はそうは思わん。
>
> AS以外の障害者と接した経験のある自分から見れば、なんとなくそう見えてしまうということです。
武田さんはAS以外の障害者と接しながら「あぁあなた達よりは私は幸せだ、おかげで生きてゆけそうだ」と思うわけですか?
> 最も「自分はそれじゃあ、どうすればよいのか?」という答えは、自分自身もまだ解りません。一つだけ言えることは、「できない!」とくよくよするよりは、「こんな自分でも、何かできることはある!」と信ずることなのだと思います。
自尊心を得るためには、「なにかと比較して相対的に」ではなく、ただ単に自分を信じられることが重要らしい。
残念ながら私にはまだできないのだが。
アメリカ的子育て (ただひたすらほめる) と言われるもの (実際にはアメリカに限ったものではなくもちろんアメリカでも誰もがそうだというわけではないけど) も、
根拠はなくても根強く絶対的な自信をもてるようになるという点ではとても役に立ちそうだ。
(で、中身が伴わないとすごくハタ迷惑な世間知らずが育ったりするわけだが、本人たちはそれで幸せそうな感じだから、それはそれで教育としては成功であろう)
はじめまして。みあんにゃ と申します。
>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>ありますか?
わたしはおしゃべりしたくてもできないことが多く、話の輪の中では座敷童です。
自分ではASに近いような気がしていますがASの診断は受けたことがないので、ASの人にその様な傾向があるかわかりません。ごめんなさい。
おしゃべりしたいのに「こんなこと言ったら怒られないかな?」と恐くて何も言えないこともあれば、話すことが何も思い浮かばなくて(頭が空白、というのがぴったりです)ただうなづいてるだけのこともあります。
口は出さなくても人の話は聞いていてあいづちを打っている(つもり)でも、「話に加わってない。」と言われます。どうやら話すことの他にも表情とか仕種とか、とにかく出力系がOFFになっているようです。留学生と思われたこともありました。
わだかまりなくおしゃべりできるのはほんとにごく少数の人です。
>何か話そうとすると、言葉が出てくるまでにすごく
>時間がかかります。
私は話せるまでに言葉が頭の中で育つころには話の流れが進みすぎてしまって、次の話題に移ってます。結局、言いそびれます。
ただ、職場では「お仕事モード」になるので、おしゃべりな方かもしれません。別の人格がいるのかと思うくらいです。たまにリミッターが外れ過ぎて、口が別の生き物になります。後で疲労と自己嫌悪に襲われます。
おしゃべりしたい気持ちはあるのに、いざおしゃべりができると後でぐったりして「口なんか聞けない方がいい」とまで思ったりすることが多いです。
I wrote:
>私も、“thread”がカナ書きでわからなくて、聞いた事があります。
↑多少、文意が違ってました。
正しくは、「スレット(TO)」か、「スレッド(DO)」かがわからず、教えて頂いたのでした。(正解は“thread”でした。昨年、Mariaさんが教えてくれました。)
こうもりさん wrote:
> 土曜日の正午という時間帯にも関わらず、12人もの人が参加し、
>自分でもびっくりするぐらい盛況のうちに終わることができました。
>これも一重に参加してくださった皆様の多大なご尽力のおかげです。
>
> かなり行き当たりばったりな企画ではありましたが、今後も時折
>、開催してみたいと思います。まだお会いしたことのない皆様の参
>加を心よりお待ちしております。あるいは、今回参加された皆様が
>懲りずに参加してくださることを心よりお待ちしております。
>
> では、お休みなさい。
こうもりさん、ミグさん、お疲れさまでした。
皆さん、いろいろありがとうございました。
おやすみなさい。
P.S. この場をお借りして。私のハンドルを読みづらい方がいらしたようなので、改めて。『GURUNSA』と読みます。(でも、確かにカナ書きではわかりづらいかもしれませんね。私も、“thread”がカナ書きでわからなくて、聞いた事があります。)
るうさん wrote:
>子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
わたしがこの掲示板に登場させているキャラクターのう
ち、蝙蝠(混乱型),蝙蝠(狂人型),蝙蝠(悪魔型)の
3名は、わたしの想像の世界の住人たちでした。
>私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
>でも、忘れてました、いつの間にか。
>多重人格とはあきらかに違うものです。
わたしは今も見ます。さらに蝙蝠(激怒型),蝙蝠(内
省型)というキャラクターが加わって。
それ以外にも下記のようなキャラクターたちと友達にな
っていたことがあります。
(1)鬼畜のバクヒン
原因不明の熱病により全身の体毛を失ってしまった身長
190センチぐらいの大男。破壊こそが彼の全て
(2)タシス・トルガ
薬を飲むことによって獣人となることができる軍人。あ
る時、獣人になったまま戻れなくなった。
(3)道化師のサタニコ
去勢された過去を持つ太った金髪の道化師。人を笑わせ
るのは得意だが、本人は笑わない。
(4)ウーラン・ゴルベーザ
全身にタトゥーを施したアメリカの空手家。人を殺して
服役した過去を持つ。
(5)オコジョ
焼けただれた顔を持つ小男。火薬と劇薬を使いこなす天
才。
(6)ヤクシャ(夜叉)・ラムジン
騎兵隊を率いる若き女将軍。性同一性障害を抱える。
(6)以外は、全体的に異形の人が多いのが特徴です。
>彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
これらの人物が想像界に登場したのは、自分の障害に対
して病識を持ち、周囲との違和感に苦しみ始めた頃でした。
何か大多数の人とは異なる特徴を持っている人物を作り出
すことによって、それらの人物に自分を重ね合わせていた
のかもしれません。
Maria wrote:
>るうさん wrote:
>> 子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>> いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
>> 私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
>> でも、忘れてました、いつの間にか。
>> 多重人格とはあきらかに違うものです。
>> 彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
私はいつも見張られていました。怒られていました。脅えていました。
人とは思いませんでしたがなんだったのでしょう???
準備まではやっていたけど、オフ会当日は自分の関心のあるテーマ
に熱中してしまい、幹事役をほったらかしにしてしまっていたこうも
りです。(ミグさん、みなさん、ごめんなさい)
土曜日の正午という時間帯にも関わらず、12人もの人が参加し、
自分でもびっくりするぐらい盛況のうちに終わることができました。
これも一重に参加してくださった皆様の多大なご尽力のおかげです。
かなり行き当たりばったりな企画ではありましたが、今後も時折
、開催してみたいと思います。まだお会いしたことのない皆様の参
加を心よりお待ちしております。あるいは、今回参加された皆様が
懲りずに参加してくださることを心よりお待ちしております。
では、お休みなさい。
るうさん wrote:
> 子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
> いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
> 私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
> でも、忘れてました、いつの間にか。
> 多重人格とはあきらかに違うものです。
> 彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
「私はペルソナだと思ってるんだが」とJoshyaさん。「私はシステムエンジニアで研究者だし、KILROYはプログラマーだし、Motoちゃんはハッカーだし、Mariaは使い走りだし。」
「それは違うでしょう」とKILROYさん。「それは対外的なもので、『自分の中での友達』じゃありませんし。むしろ他者の投影じゃないでしょうか。『もし自分がこういう立場だったら、こう思う』みたいな、社会における自己を確立してゆく過程において取込んだ他者。塩野七生さんの『わが友マキャベリ』なんかもそうだけど、そういう意味での『友人』を持っている人は珍しくありませんよ。Joshya氏にとってのイエス先生というのが、それだという気がする」
「『陰』っつー可能性もあるぞ」と、これはMotoちゃん。「『生きられなかった自己』。おれらの場合は、『生きられなかった自己』を、仕事の上でどさくさのうちに自己実現しちゃったもんだから、それぞれの形で『自己』として独立しちゃったという」
「ユング心理学における『アーキタイプ』というのはどうでしょうか」と、あたし。「Joshyaさんが『老賢者』。Motoちゃんが『トリックスター』。あたしが『アニマ』」
「私は?」とKILROYさん。
「単なるセルフでしょう。『アスペルガーの館の掲示板』に最初にデビューしたのもKILROYさんだし、オフ会とか出てんのもKILROYさんなんだから。」
「……なるほどね。」
「するってぇと、私は実在の人物じゃないのかね」とJoshyaさん。
「営業用の顔というか、仕事上の顔じゃないですか? でなかったら、『普通の人』向けの顔」
「いちおう素顔ということになってるんだけどね。生まれた時からこの顔だから。」
「だから、周りがぜんぶ『普通の人』なんだもん。お仲間ができて、ようやく“KILROY”っていう素顔が出たんじゃないですか?」
「つまり、あっちが地であると。なるほど」
「その割には窮屈ですがね」と、KILROYさん。「優等生の裏の顔にしちゃあ、ちょいと真面目が過ぎませんか。」
「……悪かったな、即物的な悩みしかなくて。とはいえ、自閉症方面の人間なんて、そんなもんじゃないか?」
「うーむ」と、一同。
(Maria)
ミルラです。(パスワードを失念いたしましたので平仮名にいたしました)
中途でお暇いたしまして失礼をいたしました。
本日はみなさまありがとうございました。
いろいろと引け目に感じていることが多かったこともあり
またはじめての機会でしたので緊張いたしましたし不安もございましたが
ほんとうに充実した時間を過ごすことができ嬉しく思っております。
新参者ですのでもし不適切な振る舞いがございましたら申し訳ございません。
多くの方の中に入ってこれほど楽でいられたのははじめてと言っていいほどです。
どうぞまたご一緒させてくださいませ。
お骨折りくださいましたみなさま、お話してくださったみなさま、
本当にありがとうございました。今夜は静かな水面の気分です。
”けい” wrote:
>こんばんは。けいです。新宿オフ会参加してよかったです。
>
>自分と同じ悩みを共有できたので。アドバイスを下さった
>皆さん、有難うございました。
>
>又、機会があったら参加させて頂きますので、またまた
>宜しくお願いします。
みなさんありがとうございました!
おやすみなさい(〜Δ〜**)。
みどり wrote:
>武田好史 wrote:
>> 他の人の抱えている「障害」について理解し、汲み取って自分の置かれた立場を理解していくということは、自らの「障害」というものの本質を知るということに関して、非常に重要なことであると私は思います。そのようにして、人というのは本当の意味での「生きていく力」「他人に対するいたわりの能力」を回りの人から分けてもらっているのです。
>
>他と自分を理解するところまではまったく異論はありませんが。
>
>で、理解した結果が「私は〜よりは幸せ」なわけ? それが「本当の意味での生きてゆく力」で「いたわり」なわけ?
>…私はそうは思わん。
AS以外の障害者と接した経験のある自分から見れば、なんとなくそう見えてしまうということです。
最も「自分はそれじゃあ、どうすればよいのか?」という答えは、自分自身もまだ解りません。一つだけ言えることは、「できない!」とくよくよするよりは、「こんな自分でも、何かできることはある!」と信ずることなのだと思います。
子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
でも、忘れてました、いつの間にか。
多重人格とはあきらかに違うものです。
彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
ayaさん wrote:
> そういえば、私も息子さんぐらいの年の頃は、自分がいろんなことができないのかどうしてかわからなくてとても苦しみました。
> なんとかしようにも、どうしたらいいのかわからず、理由がとても知りたかったのです。
普通の人にとって「自然なこと」でありながら、自閉症方面の人間にとっては「思いもよらないこと」「努力しないとできないこと」「苦痛なこと」だったりすることも、けっこうあります。
たとえば視線や表情によるコミュニケーションなんていうのがそう。鏡に向かって「ニッコリ笑う」練習をした、というひともいました。あたしはといえば、「相手の目を見て話す」というのがどうも苦手で、相手の話をちゃんと聞いていないと思われたり、なんとなく不機嫌そうに見えてしまったり、といったことがよくありました。
で、漫才の人は、相手の目を見ないで、眉と眉の間とかを見る(うっかり視線を合わせてしまうと、とちってしまったりする)、というのをどこかで読んで、「なるほど」と思ったのですね。で、相手の緊張とか、そういうのを見るのは宮本武蔵の『五輪の書』に出てくる「遠山の目付」という、ちょうど鎖骨のつなぎ目あたりを見ると、相手の表情とか肩の力の入り具合があってよい、のを知りました。
相手はこっちの視線の先を見るので、図などを使って説明をしているときは、少なくとも顔は説明している部分に顔だけは向けておくこと。で、「ここが重要です」のときに視線を相手の目に(ちらっと)向け、相手の目線がこっちを向いたら説明する対象に向け、説明の区切りで「おわかりですか?」みたいに確認を取るときは顔ごとむけて視線を送り、相手が頷いたり相槌を打ったら、「にっこり」というのを覚えました。
ところが、この「にっこり」が結構つらいのですね。なんか、疲れてしまうのですよ。気持の上で。そこで、「眉を上げる」というのを身につけました。これは万国共通の「友好」のメッセージです。だから、乳幼児と目が合ったら、この「眉を上げる」のサインを送って、相手がニッコリしてくれると「よし!」みたいなトレーニングを続けました。いまでも子供を見るとついついやってしまいます。
「一流のグラビアモデルは、鼻から上の表情と鼻から下の表情のバランスが取れているから、顔の下半分を隠しても顔の印象が変わらない」ということも誰かから教わりました。だから、下手なモデルさんは口元は笑ってるんだけど目が笑っていなかったりします。だから顔の上半分で「興味」とか「困惑」とかの表情を出せるよう鏡を見ながら練習しました。「笑ってないぞ」と言いながらしっかり目は笑っているとか、口元は笑ってんだけど目が笑ってないとかいったバリエーションが使いこなせるようになると、ちょっと対人コミュニケーションにも自信がついたりします。
とはいえ、ときどきどういう表情をしていいか分らなくなることもあります。
大森総研で使っている資料には「取扱注意」「秘」「極秘」とかいう区分があって、社外の人と仕事をするときは、「申し訳ありませんけどここから先はお教えできません」みたいなこともあったりするわけです。まあ、実際には他のお得意さんのノウハウにかかわる「秘」以外はほとんど意味がないのですけどね。「取扱注意」は他の会社に知的所有権を押えられてしまうと困るもの(発表前の資料など)、「極秘」は「説明を求められると都合の悪いもの」(説明がとんでもなく専門的になるので、説明にめちゃくちゃ手間がかかり、しかも相手に理解してもらえない可能性が高いもの)ということだったりします。
で、うちで日本語処理の仕事で使っている活用表は「あいうえお」順ではなく「いえあおう」順になっています。で、仕事先でうちのJoshyaさんがマシンに向かっているときに、後ろから「なんで『あいうえお』じゃなくて『いえあおう』順なんですか?」みたいに質問した人がいました。で、その理由がじつは「極秘」で、「どう返事しようか」と悩みながら振り返ったら、「口元に硬直した笑みを浮かべつつ、目が全然笑ってない」状態で目が合ったものだから、相手が思わず「こ、怖い」とびびって退いてしまった、ということがありました。「ああっ、私はきっと触れてはいけない秘密に触れてしまったのだ」と思ったそうです(まあ、そうなんですが)。
以来、Joshyaさんは仕事場でなごやかに談笑しているときに不都合な質問をされたときは、この笑顔を浮かべて「……世の中にはね、知らないほうがいいこともあるんですよ。」と冷たい声で言う、というワザを身につけてしまいました。
「……私は、なにかまずいことを訊いてしまったようですね。」「君は、何も言わなかった。私もなにも聞かなかった。そうだろう?」「了解しました。」とかね。「あれは、何人か殺してるな」とか陰で言われているかもしれない。
仕種とか表情とかが、「自分の中から出るもの」だと思うと、けっこう気持の上で負担になります。手話では、表情も含めて「言語」ですから、「コミュニケーションの手段としての表情」というものを考えることで、あたしは気分的に楽になりました。
英語を喋っているときは、日本人でもオーバーアクションになって、アメリカ人みたいな大仰な仕種や表情や口調になってしまいます。『テレビの英会話教室の講師のモノマネ』じゃないけど、「『普通の人』とコミュニケートするには必要な技術」くらいに思っておくのがいいかもしれません。
自閉症方面の人間同士が話をしているのを「普通の人」が見ていると、お互い仲悪いのかと勘違いされることもあります。憮然とした表情で向きあって、抑揚のない低い声でぼそぼそ喋ってて、あんまり目とかも合わせないしな。お酒とか呑んでても、「普通の人」が混じってたりすると、ときに「ううううう、緊張に耐えられないよう」とかいって泣きが入ってしまいます。なんか、「一触即発」みたいな雰囲気に見えるらしいです。本人同士は和んでんだけどなぁ。
> できないことももちろんたくさんあるけれど、できないと知ってたら、違うやり方を見つけることもできます。これができないから、返って他のところはできる、ということもあると思います。(例えば、私は全体の構造を掴んでまとめあげることは苦手ですが、細部に熱中して深めることが、ユニーク、おもしろいと評価されることもあります。まとめるのに果てしなく時間がかかるのはかなしいのですけど。)
「仕事」ということに限れば、KJ法とかPERT/CPMとかいったシステム分析や問題解決技法なんかを活用することで、一般には「勘」とか「才能」の問題とされているものを、「技術」「知識」「経験」といったものに置き換えることが、かなりの場合で可能です。あたしの場合、「まとめる」ことに関しては、ソフトウェア開発における構造化プログラミングという考え方がかなり役に立ちました。
これも人によって向き不向きはあるのですが、そうした技術があるということを知っておくこと、あるいは「役に立つ技術があるかもしれない」とおもって目配りをしておくこと、というのは、有効かもしれません。
(Maria)
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami