アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
オレンジブルーさん、メールありがとうございます。
ASの発生は圧倒的に男性が多いと聞きます。
私はいかにも「変人」っていう男の子とカップル扱いされてしまいます。
郵便局ではまさにそうでした。私にはそれが大きな精神的苦痛でした。
できれば女性のASの人と友達になりたい。そうすれば、私の価値観も変わるし、
心も和らぐと思います。
去る1月26日に、オフ会にお集まりいただきました、皆々様、本当にありがとうございました。
私のほうからも、お礼を申し上げたいと思います。
特に準備に奔走していただきました、こうもり様、こちらの掲示板を運営して下さっている管理人様、ありがとうございました。
お陰を持ちまして、つつがなくオフ会を持つことが出来ました。
これも一重に皆様のお陰です。
こうもり wrote:
> 準備まではやっていたけど、オフ会当日は自分の関心のあるテーマ
>に熱中してしまい、幹事役をほったらかしにしてしまっていたこうも
>りです。(ミグさん、みなさん、ごめんなさい)
いいえ、そんなことないです。
きちんとやって下さいました。
ほったらかしだったのは私のほうだったかもしれません。
ただ、参加して下さった皆様が、思った以上にとても協力的で、特に何かしなければならない局面というのもありませんでしたので(と私一人で思っているかもしれない)、私自身、参加者として楽しく過ごさせていただきました。
> 土曜日の正午という時間帯にも関わらず、12人もの人が参加し、
>自分でもびっくりするぐらい盛況のうちに終わることができました。
>これも一重に参加してくださった皆様の多大なご尽力のおかげです。
全くその通りです。
今回お会いできた方にも、今回はお会いできなかった方にも、また機会があれば、是非にお会いしたいと思っております。
個人的に、今回、皆様に会えてテンション高めで暴走気味(自省)でしたが、これに懲りず、またお会いして頂けたら、と思います。
良かったら、また、遊んでやって下さい。
本当は、いっぱい、いっぱい、書きたい事はある(オフ会で考えされられたこととか、その続きとか)し、掲示板のカキコ見ながら、「あ、あ、あ、そうそう、そうなのよ〜っ」と相槌打ったり、「あ、それでね」とレスしたくなったりするのですが、先ずは、オフ会でお会いできた皆様にお礼を言いたいのです。
ありがとうございましたm(__)m。
(鯨夢ミグ)
初めて投稿させていただきます。私もつい2週間前にアスペルガーといわれました。会社が契約している心理相談室に行ってそういわれたので、きちんと診断を受けたわけではありませんが。
はじめアスペルガーだと言われたときも、なんのことやら分からず目がテンになりましたが、だんだん話をきいてゆくうちに、なるほどなと思い当たるところがあって、「そうだったのか!」というのが正直な感想でした。今まで人間関係がうまくいかないことも、場が読めない取り回しのきかなさも全部自分の性格が悪いせいだと責め続ける日々でしたが、先天的なものであるならばある程度それも仕方がないと、少しですが思えるようになりました。
それでも今は会社づとめですので、周りの人たちには「おかしな人」とか「心のうちを見せない水臭いひと」だとか思われているようです。確かに私に対して心を開いてくれる人に対しては、それに報いてあげることができなくて申し訳ないなと思う気持ちはあります。でも駄目なのです。毎日顔をあわせる、その無期限さに押しつぶされそうになるのです。そばにいればいるほどその人の気持ちがわからなくて、それ故いつか傷つけてしまうのではという恐怖心がだんだん膨れ上がってくるのです。毎日会っていれば、普通のひとは遠慮の垣根がとれて仲良くなっていくのでしょうが、私は全くその逆です。こういうのもアスペルガーの症状なのでしょうか?
最後に、面談してくださった児童精神科医の先生が、「人と人とがわかりあっているのはある意味幻想なのですよ」と言ってくださいました。今はこれを支えに何とか毎日社会に出ていっています。しかし周り全部が知人という人間関係の中で、ひとりでいるのはさすがにかなり辛いものがありますね。誰もいないところで自分ひとりとか、見知らぬ人たちの中でひとりぼっちというのは全然平気なのですけれど。
オレンジブルーさん wrote:
>わあ。こうもりさん、私ねえ「フォレストガンプ」見た時は、「自分に似ち
>ょる」とおもいました。あの単独一方通行運動系。。同じことばっかりやっ
>てて「凡人離れ」した集中力。かっくいい!と、しびれました。
今まで見た障害者ものの中では1番好きな映画です。とことんまで考え悩
み抜く障害者というのも好きですが、ああいう障害者も大好きです。
>「レインマン」がテレビで放映された時は、家の親から
>(私は女の癖にマザコン傾向です)「家に似たようなイキモンがいるから別
>に画面でまで観たくないわい」と発言されてしまいました。<ぶほっ
ひで〜。ちなみにわたしは子供の頃、同じクラスの自閉児の母親から
妙に親近感を持たれていました。「うちの子にそっくりだ」という理由
で。今から見れば、卓見ですね。
そういう意味ではわたしはずいぶん得をしました。
「外なるコトバ」において、複数の人の間で話を通じさせるためには、話に参加している人それぞれの言葉の定義が一致している必要があります。
ここでは、直接の会話やインターネットなどの文字の交換など、話を交わすことをまとめて「対話」と呼ぶことにします。
自閉症の子供によく見られる現象として、独自の言葉を作り出すというのがあります。
成人になると作り出すことは減ったとしても、既存の言葉に独自の解釈や定義を与えることはあるようです。
ただ、健常者であっても独自の言葉を作ることはあり得るので、程度および頻度の違いと捉えた方がいいかも知れません。
言葉の定義を共通化するためには、対話に参加している人が個人それぞれの定義から(定義の妥当性も考慮して)お互いに歩み寄るのがいいと思います。
しかし自分の定義以外を認めようとしない人もいます。
自分が絶対的に正しいと思っている人か、定義の重要性を認識していない人でしょう(他にも理由があるかも知れない)。
その時には対話をあきらめるか、不本意ながらも相手にできるだけ歩み寄ることになるでしょう。
それだけ自分の負担が増大することになります。
どうやって共通する定義まで歩み寄るかですが、私の場合を分析すると、数値計算におけるiteration(繰り返し計算)のように、ずれの修正(つまり歩み寄りにおける一段階)を何段階も繰り返して、目的とする「共通の定義」に辿り着く、あるいは辿り着こうとしているようです。
試行錯誤と似ていますが、どれだけずれていてどれだけ修正すればいいかをできるだけ精度良く推定する点が、試行錯誤と違います。
繰り返しは意識的に行っているとは限らず、無意識の内にこの作業が脳内で行われていることもありそうです。
ASではない人はどうしているかというと、これは私の想像でしかないのですが、数学で言えばファジー理論に相当するやり方をしているのではないかと思います。
修正量を一点に固定せず、一回の修正で辿り着く先を点ではなく(面のように)範囲を持たせることで、早く一致点(共通の定義のこと)に行き着いているのではないかと思うのです。
あるいは、点と面ほどの決定的な違いではなく、範囲の大きさの違いかも知れません。
独自の言葉(内なるコトバ) →(繰り返し修正)→ 定義の共通した言葉(外なるコトバ) → 対話
という流れの中での修正における繰り返し回数が、ASであるかないかで格段に違うのではないかと考えています。
言語優位の人の場合は以上ですが、ビジュアルシンキングをしている人の場合には、さらにこれに加えて「映像から言葉を作る」という作業が必要になります。
つまり、映像という形の思考を基にして他人と話を通じさせるために、最初に映像から独自の言葉(内なるコトバ)を作る段階があります。
しかし、それ以上に大変になるのは繰り返しの作業の中で、映像←→言葉の変換を毎回行っていることです。
内なるコトバ、外なるコトバの映像との変換はもちろん、修正量も一旦映像に直して映像ベースで内なるコトバに修正を加えて、という作業が繰り返しの度に行われているのです。
そのためますます修正作業に手間がかかり、つまりは考えていることに基づいて対話をするのに時間がかかってしまいます。
ただしこれは完全にビジュアルシンキングの人の場合なので、実際には言葉と映像を混ぜていることが多いのではないかと思いますが、映像の比率が大きくなるほど、負担も大きくなるでしょう。
負担の大きさが対話(特に会話)の遅さにつながっているし、手間の多さに途中でギブアップしてしまい、対話を打ち切ってしまうこともあります。
あさかぜお母さん wrote:
> ホントはね、ちょっと疲れてる。
> 掲示板で元気なフリもできなくなるほど。
どうしたの、あさかぜさん?なんか辛いことでもあった
の?なんか分からないけど、ボクもちょっと辛くなってき
ちゃった。
> おやすみなさい。
> みんな、元気でね。
おやすみなさい。素敵な夢を見てね。あ、ボクへのレス
は今はしなくていいからね。じゃあ
寺林 wrote:
>武田好史 wrote:
>>お互いに支えあいながら生活できる場が欲しいなと思ったりしますが、なかなかうまくはいかないでしょう。
>
>高機能の人たちを取り巻く環境は厳しいです。私も支え合いながら生活できる場、作業所があればいいと思います。
私に自閉の診断をくだされた、1年間じっくり向き合ってくれた主治医が初めから私に言ってました。
「オレンジブルーさんのような人達が利用できる施設が、まだどこにもできていないという現状なんです。」と。
初め、私の利用できる施設を色々と先生、探してくれていたのです。
授産施設の話しは、在学中の保健婦さんを通して相談したら、「ゆっくりとした
時間だし偏見もつ心配は無いから、一度とりあえず見学に行ってみたら?」といわれました。お世話になった在学中の知人にも同じ事をいわれました。
後に、主治医は私を通して自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群・高機能自閉症の情報、勉強を結構されたようでした。非常に勤勉な誰にでも平等の視点で話しをしてくれる先生です。頭が下がる思いです。←しかし甘えたのアホみたいな子ども丸出しです。
日本にだいたい 60万人も居ると思われている発達障害。
みんな集まって、施設設立の運動起こしてもいい気もしちゃいます。
主治医は授産施設の作業をむしろ私には勧めない気のようです。
「そこを通してできる仕事があるならやりたいんです」と言いましたが。。
施設で働いている従業員が誰もまだ自閉を学んでいる人が居ないのだそうでうす。
私はこのたび高機能広汎性発達障害関連のサイトを立ち上げました。
アドレスはこちらです。
http://eclat.gaiax.com/home/teraba
良かったら、遊びに来て下さい
武田好史 wrote:
>お互いに支えあいながら生活できる場が欲しいなと思ったりしますが、なかなかうまくはいかないでしょう。
高機能の人たちを取り巻く環境は厳しいです。私も支え合いながら生活できる場、作業所があればいいと思います。
グルンサさん、はじめまして。
グルンサさん wrote:
> お二人のレスと相前後して思ったこと。そもそも、この「自閉=自らを閉ざす」という言葉自体が、非自閉者から見た(場合によっては、決めつけられたか、そう思い込まれている)わたしたちの姿であって、逆にわたしたちからすれば、わたしたちなりに心を開いているのが、非自閉者に伝わっていない、そして双方のすれ違いにつながってはいないだろうか?と思います。(AS自体をほとんど知られていない、というのもあるとは思いますが。)
> ↑この、「心を開いている」の後に、『、もしくは、関心を持っている』を入れ忘れてしまいました。お手数ですが、『 』の中の文章を入れて読んでやって下さい。よろしくお願いします。
自閉の人が結婚してる、という事実は、「そうか!彼らなりにひとと一緒にいるんだ」じゃなくて、「ほんとにそのひとは自閉なの?」と、受け止められることが多いですよね。
例えば自閉かもしれない、って思われた子供が、「友達をほしがってるからこの子は自閉じゃない」と、診断をきちんと受けられなかったすることも、まだまだあるような気がします…。成人の場合もそうだし。
もちろん言葉自体が誤解されやすいということはありますけれど、そういう発言に行き当たるたびに、ちょっとかなしいなぁと思います。訂正できる間柄であれば、むきになって説明してみたり。
寺林 wrote:
>今、YAHOO掲示板の高機能発達障害のトピックを全て見て、それの障害関連の専門ページを一通り見てきたのですが、
>どれも小・中学生を取り扱っものばかりで、私のようにおとなのASを支援してくれるページは少ないと思います。
>今、障害者職業センターでPCを習っています。4月からは県外の障害者職業センターで本格的な職業支援を受けたいのですが、
>多くが身体障害者か手帳を持っている人が対象になっていて、知能の高いASへの支援はなかなか受けられないのが現実です。
>職業センターの人も「あなたは高い能力を持っているのだから、そう行った支援を受ける必要はない」と片付けられてしまいます。
>私は小さいころから回りと馴染めず、手先も不器用で、学生時代はずっといじめられつづけてきました。
>今でも仕事ができなかったり、知らず知らずに周りを不愉快にさせたりしてますが。
>本当は正式な診断を下される方がいいと思いますが、親も「診断を下されたって何もならない」と言われるばかりです。
>私は自分を受け入れてくれる場所があれば、どこへでも行きたいです。早く自分の居場所を見つけて、普通の生活を送りたい。
私もここ3.4ヶ月ほど、週一ペースで職安に足を運んで仕事を探しているのですが、とにかく不器用な自分には、二の足を踏むようなものばかりしかありません。
いっそのこと、ASの有志が集まって、お互いに支えあいながら生活できる場が欲しいなと思ったりしますが、なかなかうまくはいかないでしょう。
ああ東村山のホームレス暴行死、10年後は自分がああなってしまうのかな・・・
Mariaさん wrote:
> 普通の人にとって「自然なこと」でありながら、自閉症方面の人間にとっては「思いもよらないこと」「努力しないとできないこと」「苦痛なこと」だったりすることも、けっこうあります。
>
そうですよねー。私は今「あなたは自閉に見えない」ってよく言われるのですが、発言のタイミング、失敗したときの慌てない方法、沈黙が続くときのなにかのネタ、などなど日々の生活の中で、ずいぶん練習を積んできたように思います。
高校ぐらいの頃は、実行したくてもうまくいかないことに苦しみましたが、今ではすっかり防衛機構として機能してます。
それでも、あああーと言いたいぐらい自閉ゆえの失敗はまだまだころがってますけどね。
>
> 仕種とか表情とかが、「自分の中から出るもの」だと思うと、けっこう気持の上で負担になります。手話では、表情も含めて「言語」ですから、「コミュニケーションの手段としての表情」というものを考えることで、あたしは気分的に楽になりました。
なので、これはそうだよなーと思います。
心のそこからそう思って言わないと、って思い込んでいた方が内面的には苦しかったんです。
> 英語を喋っているときは、日本人でもオーバーアクションになって、アメリカ人みたいな大仰な仕種や表情や口調になってしまいます。『テレビの英会話教室の講師のモノマネ』じゃないけど、「『普通の人』とコミュニケートするには必要な技術」くらいに思っておくのがいいかもしれません。
↑のようなある種の割り切りはとても大切です。
今に至るまでは「なんで自分は演技を重ねて周囲を騙しているのだろう」という罪悪感のプロセスも経ています。
aya wrote:
>> できないことももちろんたくさんあるけれど、できないと知ってたら、違うやり方を見つけることもできます。これができないから、返って他のところはできる、ということもあると思います。(例えば、私は全体の構造を掴んでまとめあげることは苦手ですが、細部に熱中して深めることが、ユニーク、おもしろいと評価されることもあります。まとめるのに果てしなく時間がかかるのはかなしいのですけど。)
Mariaさん wrote:
> 「仕事」ということに限れば、KJ法とかPERT/CPMとかいったシステム分析や問題解決技法なんかを活用することで、一般には「勘」とか「才能」の問題とされているものを、「技術」「知識」「経験」といったものに置き換えることが、かなりの場合で可能です。あたしの場合、「まとめる」ことに関しては、ソフトウェア開発における構造化プログラミングという考え方がかなり役に立ちました。
>
> これも人によって向き不向きはあるのですが、そうした技術があるということを知っておくこと、あるいは「役に立つ技術があるかもしれない」とおもって目配りをしておくこと、というのは、有効かもしれません。
実は子供の頃「発想法・勉強法おたく」で、自分に欠けてるものを埋めようと必死になってました。
でも、いくら文章の書き方をたくさん読んでも、そもそも自分に書くべき何かも欠けてるってことには気がつかなかったのです。
でも今は、書きたいことやまとめたいことがあって、改めて、まとめあげる技術が足りないことに気がついている。
今こそ、そういう「枠組み」「テンプレート」を見直す時期なのかもしれないですね。思い出させてくれてありがとう。Mariaさん。
今、YAHOO掲示板の高機能発達障害のトピックを全て見て、それの障害関連の専門ページを一通り見てきたのですが、
どれも小・中学生を取り扱っものばかりで、私のようにおとなのASを支援してくれるページは少ないと思います。
今、障害者職業センターでPCを習っています。4月からは県外の障害者職業センターで本格的な職業支援を受けたいのですが、
多くが身体障害者か手帳を持っている人が対象になっていて、知能の高いASへの支援はなかなか受けられないのが現実です。
職業センターの人も「あなたは高い能力を持っているのだから、そう行った支援を受ける必要はない」と片付けられてしまいます。
私は小さいころから回りと馴染めず、手先も不器用で、学生時代はずっといじめられつづけてきました。
今でも仕事ができなかったり、知らず知らずに周りを不愉快にさせたりしてますが。
本当は正式な診断を下される方がいいと思いますが、親も「診断を下されたって何もならない」と言われるばかりです。
私は自分を受け入れてくれる場所があれば、どこへでも行きたいです。早く自分の居場所を見つけて、普通の生活を送りたい。
そういえば今年の新年の誓いは、「寛容」だった。
どうしてこう忘れっぽいんだろう。まだ1月だというのに。
あさかぜさん wrote:
> ホントはね、ちょっと疲れてる。
> 掲示板で元気なフリもできなくなるほど。
>
> 旅に出たいな。
> ひと休みしたいな。
>
> でも、できないから……
> ドヴォルザークの「新世界より」でも聴こう。CDで。
>
> おやすみなさい。
> みんな、元気でね。
わたしも、10年近く突っ走ってきて(と、自分でいうのもなんですが)、少し休みたいな…と思います。なにより、自分というものを知らないままできてしまったことが大きかった気がします。なんとか軌道修正したいな…。(もちろん、自分自身をきちんと知って、かつ、それを受容した上で…ですが。)
あさかぜ さんwrote:
> ホントはね、ちょっと疲れてる。
> 掲示板で元気なフリもできなくなるほど。
>
> 旅に出たいな。
> ひと休みしたいな。
>
> でも、できないから……
> ドヴォルザークの「新世界より」でも聴こう。CDで。
>
> おやすみなさい。
> みんな、元気でね。
いつだったかなぁ、あさかぜさんが夢に出てきたの
私が住んでる町のお祭りを見物していたら、私の隣にあさかぜさんが居たの
一度も会ったことがなかったのに「あっ!あさかぜさんですか?」って訊いたら
「そうです」ってあさかぜさんが言ったの
今夜も、夢の中であさかぜさんに会えたらいいな
こんばんわ〜*オレンジブルーです。
こうもり 兄様wrote:
>tasukさん wrote:
>>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>>ありますか?
私なんか非自閉者と知人挟んでの初顔合わせであろうと、
超馴れ馴れしくって喋りっぱなしですよ@**@
>>私は人並みに誰かと仲良くしたいとか、楽しくおしゃべりしたい、と
>>思っているのですが、いざおしゃべりの輪の中に
>>入ると、頭が空白になり、なにもいえなくなってしまいます。
高校生までは私もそれがきつかったです。
しかし、大学受験を控えるやいなや、「開放感」で受験しに県外
へ一人旅立ったり勉強するのが好きで好きでしょうがなかったです。
その頃からでしょおか。
結構自分の思いなどが、「開放」されて結構自由に喋れるように
なったのは。。経験や環境の影響もあるのだろうなあ、、って気もします。
> でも、個人的な考えを言えば、おしゃべりを楽しむことができる少
>数の友達の方を大切にしていった方がいいと思います。むかし見た『
>フォレスト・ガンプ』という映画に登場したIQ70の主人公は友達
>が少ない代わりに、とてもよき友達に恵まれていました。そういう人
>生もまた素晴らしいです。
わあ。こうもりさん、私ねえ「フォレストガンプ」見た時は、「自分に似ちょる」とおもいました。あの単独一方通行運動系。。同じことばっかりやってて「凡人離れ」した集中力。かっくいい!と、しびれました。私は斜め懸垂を七十回やったり、持久飛びを体育の時間の終わっても飛び続けてた口でして、きかい体操に推薦されたこともありました。しかし体力の持続性が弱いので辞めました。
最近ちょと思っているのは、「自閉者の身体に筋肉は付きにくい?」ということ。単に強靭じみてみえるのは、「キャッチ」できない神経伝達の困難さからくるものだろうと私は思うのです。
「レインマン」がテレビで放映された時は、家の親から
(私は女の癖にマザコン傾向です)「家に似たようなイキモンがいるから別に画面でまで観たくないわい」と発言されてしまいました。<ぶほっ
ホントはね、ちょっと疲れてる。
掲示板で元気なフリもできなくなるほど。
旅に出たいな。
ひと休みしたいな。
でも、できないから……
ドヴォルザークの「新世界より」でも聴こう。CDで。
おやすみなさい。
みんな、元気でね。
るう wrote:
>子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
わーおんなじです。
私の場合、つい最近いなくなりました。
高校生の頃は、なんだかうじゃうじゃいましたけど。
だんだん、統合・整理されて、ひとりかふたりになりました。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でも
イワンが、そういうもう一人の自分に脅迫されてましたが。
天使だか悪魔だか、よく分からなくなったものです。
スナフキンに憧れていたので、
旅人のトム・トラベラーという人も登場しました。
今では、私が彼にかわって旅をしています。
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