アスペルガーの館の掲示板(旧)

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午後の電車
No.10775  Thu, 31 Jan 2002 20:54:06 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

眠ってる 幸多き笑み 浮かばせて
どこへ向かうか ランドセルの子


見えない助力は感じています 10743へのコメント
No.10774  Thu, 31 Jan 2002 20:17:51 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 釈さん、どうもでっす!
 猫さんの回復は順調ですか? 寒い時期だから化膿はしないと思うけど、一日も早く元気になることを祈ります。

釈さん wrote:
> 私はヒトとの接触を嫌う傾向が(経済力のせいも)あったので、マッサージや指圧を受けたことがありません。そんな私が血道をあげたのは外気功です。

 おお、外気功! うらやましいです。これはやっぱり、お金を貯めておねえさまに会いに行って教えを乞うのが一番ですね。(←かなり真剣!) しかし……猫さんたちに受け入れてもらえるかどうか、自信がないな。感覚が鈍っているし、犬よりコミュニケーションがとりにくいんです。
 わたしは対人緊張が激しいんです。指圧は母に引っぱられていきました。子どものころから知っている人が先生だったので何とか耐えられましたが、その先生が亡くなってからは受けていません。それからが鍼。やはり母から引っぱられていきました(苦笑)。中医学を治めた先生ですので、信頼しています。でも、身体の緊張を完全に解くことはできないですね。

 中医学の原点は道教だったかな……? 二千年以上の歴史に裏打ちされた一大医学体系で、漢方薬学もその中に含まれるということくらいしか知りませんが、学ぶべきものが多く奥が深いです。現在の中国の大学で教えているのは新中医学だそうですが、西洋医学と対立しないでうまく融合する方向を目指していってほしいものです。(話がずれて、すみません)

> 幽霊の話は、外科医などの思いがけない人から聞いています。『見える』人がいつでも見えるわけでなくて生き方によって変わるらしく、居る居ないでなくて、見える見えないなのは確かみたいです。生き方によっては気づかずにたたられたりもするのでしょう。逆に、信じていなくても守護霊に守られていたり。

 わたしは見えないです。でも、守ってもらっていることは確かだと感じます。単なる思いこみかもしれませんが。
 昨年、もし死んだら「絶対に夫にたたってやる!」という気持ちもありましたね。(あ、本当のことを言ってしまった。うひょひょ)←これはいけませんねぇ。

> 現実の人とのコミュニケーションが難しい人は幽霊方面はどうでしょうか? 祖霊にしっかり守られているせいで、生の人間には溶け込みにくいという気はしないでしょうか?

 「幽霊方面」という言葉がいいですね。ろうそく立てて一晩中そっち方面の話がしたいですな〜。(←ガキ丸出しです。でも、やりたい。大好きだから)
 祖霊に守っていただいているんでしょうか、わたし? 生の人間にはさほどの執着は持たないような感じです。自分としては生きててもいいんだけど、死んでも別にかまわないし、死ぬときがくればちゃんと死ねるだろうという気がするんです。(こういう話ができるのは、ここだけですよ。他で言ったら病気だ気のせいだああだこうだ言われて、うっとおしいことになりますから)

> 見えない助力がこころもとなければ、大きいところを頼みましょう。南無阿弥陀仏です。お寺でかしわ手でも、私はおもしろいと思います。人や神は間違うと怒るけど、気持ちさえ間違えなければ通じるのが仏というものです。

 うちには仏壇というものがないので毎日というわけにはいかないですが、仏さまに手を合わせることは娘にもさせています。意味がわからなくても必要なこともあると思いますので。わたしは実家(自分のも夫のほうでも)へ帰ったときには真剣にご先祖さまに「どうか娘をお守りください」とお願いしています。
 真剣さが足りないと自分では思うこともありますけど……なんというか、素直な気持ちになれるのが、ありがたいです。


10772へのコメント
No.10773  Thu, 31 Jan 2002 19:27:49 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Mac(ことえり)では
[opt]+;
で「…」が出ます

ついでに
[opt]+:
では「‥」です


Re: 無理解について 10769へのコメント
No.10772  Thu, 31 Jan 2002 18:16:58 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>武田好史 wrote:
>>Mr.Moto wrote:
>>>pennpenn58さん wrote:
>>>
>>>Maria wrote:
>>>> 3)リーダーは三点リーダーを二個使い、『……』とする。
>>> よく読んでくれ。「リーダーは」「三点リーダーを二個使い」「『……』とする。」と書いてある。
>>> 「濁点」ではなくて、「リーダー」である。「リーダー」とは、「引出し線」である。内容がずるずるっと引出されて続いていることを示す記号である。
>>> で、‘・’は「中黒(なかぐろ)」といって、並列あるいは順列を示す記号なのである。で、『・・・・・・』というのは、「三点リーダー二個」ではなく、「中黒六個」である
>>
>
MS-IMEの場合、『てん』とディスプレーに出して、スペースキーで変換候補を検索すると見つかります!
『……』
 早だしするには、『緑の辞書と赤ペン』マークをクリックして、『用例の登録』で『語句』に『…』を、『読み』には何か自分が好きな『ひらがな』一文字を入れます。(『あ・い・う・え・お』か、『さ』『こ』『ゆ』『れ』など、子音と母音が近い方がいい!)


Re: なってくれー! 10761へのコメント
No.10767  Thu, 31 Jan 2002 17:55:21 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

syaku wrote:

> 幽霊でも無視するのはかわいそうだと思います。一言でも、「南無阿弥陀仏」と言ってあげてください。
 
 はあ、「南無阿弥陀仏」ですね。ありがとうございます。


Re: 無理解について 10760へのコメント
No.10766  Thu, 31 Jan 2002 17:52:40 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
>
> なんという間の悪さだろう。「自閉症方面の人間は諍いが嫌いだ」とかいった話がつい最近出たばかりだというのに、おれみたいな奴が出てくる羽目になるとは。

 私のパソコンでは原稿を書いている段階では、「・・・・・・」がつまってでるのですがなぜか掲示板投稿段階になるとリーダーがばらけます。間が悪くてすみません。


Re: 「興味の限局」は、ときにヒンシュクを買う 10758へのコメント
No.10765  Thu, 31 Jan 2002 17:45:49 +0900  Maria [この発言にコメントする]

みるらさん wrote:
> 考えてみましたがやはりMaltaのほうが好きなみるらでございます。

 うふふふふふふふふ。(←言いたいけど言えない。『ふたりで聖書を』を最後まで読むとオチがわかる)

I wrote:
>> Q6・桃を使った言葉「桃栗三年……」さてこのあとどう続く?
>  「桃栗三年柿八年、柚子はゆっくり十五年、梨のバカヤロ十八年。」

みるらさん wrote:
> 先日柚子のおしごとをしたので調べたのですが地方によって諸説ありました。
> 梨だけでなく柚子がおバカさんだったり成り下がっちゃったり。
> ところによって扱いがいろいろなので柚子が不憫でもあります。

 答えが複数あって、「正答」が一意(ユニーク(unique))に決まらない場合を、パズル・クイズ業界では「バースト(burst)」といいます。したがって、

 Q.桃栗三年、柿何年?

といったクイズなら問題はないのでございますよ。あたしは、「さてこのあとどう続く?」と、「元クイズ研究会」の鷲羽丸さんがバーストしちゃってる問題を出しちゃうのはどんなもんでしょうか、と言いたいのね。

 クイズというのは、問題の作成者と出題者が同一であるとは限らないし、作成者の意図を出題者がちゃんと理解していて、正答/誤答の判定をちゃんとしてくれればいいのですが、必ずしもそれが期待できないのですね。だから、いろいろ異説があって、解釈が問題になるような問題を、「これが正しい」みたいな形でクイズにされると、非常に不愉快に思う人もいるわけです。
 「『それでも地球は回っている』は誰の言葉?」とか言われても、ガリレオはそんなことは言っていませんし、「『ちょっと考えると不可能だが、実際に試してみると可能である』ことを、何の玉子という?」という質問に対しては、コロンブスが現在「アメリカ(アメリゴ・ベスプッチの名前から命名された)」とか「新大陸(昔からあって、ちゃんと人が住んでたんですがね)」と呼ばれる土地に行く前から、スペインには「ファネーロの玉子」という言葉があったということが知られています。そもそも、玉子というのは多くの場合、なんの仕掛も小細工もなしに立つんです。試してみてください。

 で、これは「南京で虐殺された中国の市民の数は何人?」といった問題を出して、「三十万人」と答えなければ×、みたいなことをやってはいけない、といった話でもあるわけです。特定のイデオロギーに依存したりしては、いけないんです。だから、「神が遣わされた最後の救い主は?」とかいった質問に、「イエス・キリスト」とか「ムハンマド」とか答えないと×、とかいうことも、やってはいけないわけです。

 パズルやクイズは、単に知識を問うものではないんですよ。「本当のことを知りたい」という思いや、「調べ、理解することの楽しさ」をかきたてるものでなければいけないんです。ただ問題とその答えを暗記するだけがパズルやクイズのすべてではないんです。だからこそ、「いい問題/悪い問題」があるんです。

 「鉄1キログラムと綿1キログラムはどっちが重い?」という有名なクイズがあります。
 「鉄1キログラム」と答える人がいます。正しい答えです。ISOの規格では、「キログラム」は「質量」の単位ですから、鉄1キログラムと綿1キログラムでは、空気による浮力の関係で、鉄のほうがわずかに重くなります。
 とはいえ「同じ」というのも正しい答えなのですね。工学単位系では「キログラム」というのは力の単位であり、現在の単位でいうと約9.80665ニュートンです。「重さ」というのは力ですから、「同一の力」であれば「同一の重さ」ということになります。
 だから、「『桜桃』と書いて、なんと読む?」みたいな問題は、出しちゃいけないんです。「桜桃」はシナミザクラであり、現在「さくらんぼ」と呼ばれているセイヨウミザクラではありませんから。

 パズルやクイズも、つきつめてみるとけっこう深かったりします。

 (Maria)


なってくれー! 10757へのコメント
No.10761  Thu, 31 Jan 2002 17:06:40 +0900  syaku [この発言にコメントする]

pennpenn58さん wrote:
>夜勤のときは大変なので死にそうな老人のところにところにきているお迎えさんに「今日はやめてよね」とお願いしていました。同僚から私の夜勤のときは死ぬ人が出ないということをとても不思議がられました。

う〜ん、すごいな。私は見えたことなくて、気配だけで見えないと「ケチッ!」なんて怒ってしまったことがあって。粗っぽいと駄目ですね。繊細な真剣さが要るんだと思います。正確に言うと第6チャクラを第4レベルあたりで開くとか。普通のところでうまくやれる人は、それ以外の領域の存在を嫌ってたいてい無視し通しますね。
 幽霊でも無視するのはかわいそうだと思います。一言でも、「南無阿弥陀仏」と言ってあげてください。ばぁーっと強い光が来て、幽霊さんを連れていくそうです。そう言ったのは、本山のIT(http://www.hongwanji.or.jp/)担当者の奥様です。エアロビクスのうまいとても健康な人。(こんな話していいんだろうか?)見えない私に、あの方のまねができるかどうか・・・・。(リーダーって何だろ???)
 医師の奥様は貸家の前住者の幽霊と『お話をする』感じになって、それで幽霊は成仏できたらしく、そのあと急に家運が開けて医院が開業できたとか。勤めていた病院を出て、外科医が小さな家で鍼だけ打っていた時の話です。
 なんとでも話す精神力が持てると、どんな境遇にあってもそこから跳ね上がれるらしいです。へたに逃げようとすると、かえって振り切れずに参ってしまうんじゃないでしょうか。優しい人は都合よく立ち回ろうとするよりも、大きな力に苦しみを委ねる境地を目指したほうがいいと思います。苦しさを感じる能力は、救いを呼べる能力なのです。めげないように、屈折してしまわないように、自分を生かして。


無理解について 10757へのコメント
No.10760  Thu, 31 Jan 2002 14:12:50 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

pennpenn58さん wrote:
> と『いきなり文章講座』を読んで濁点を・・・・・・にしてみました。

 なんという間の悪さだろう。「自閉症方面の人間は諍いが嫌いだ」とかいった話がつい最近出たばかりだというのに、おれみたいな奴が出てくる羽目になるとは。

 最初に言わせてもらおう。おれは上記の文章を読んで不快になった。べつに「人を不快にさせる文章を書くな」とは言わん(どだいおれに言えた義理ではない)。「あんたが悪い」と決めつけるほどの馬鹿でもない。

 ただ、「そういうことを書くと人を不快にさせることがあるから気をつけたほうがいい」と忠告だけはしておくことにする。

 おれは「私は愚かなんです弱いんです可哀相なんですよよよよよ」みたいな甘ったれた態度というのが大嫌いだ。そりゃまあいよいよ切羽詰まって掲示板で叫び声を上げるのは緊急時の一一九番通報みたいなもんだから仕方がないし、人の悪いことでは人後に落ちないおれですらそういう場合は誠実に対応しようと思っている。
 しかし掲示板というのは「公の場」だということになっているのだ。不特定多数の人間が出入りし、下手なことを書けば名誉毀損で訴えられかねん場所なのである。そんな場所でゲロだか下痢便だかわからんような感情たれ流しの文章を読まされるのはじつに不快である。だから、そういう連中には「もうちょい消化して血となり肉となってから発言していただきたい」と要求したい。

 そもそも「いよいよ切羽詰まって掲示板で叫び声を上げる」場合ですら、「うぎゃああああああああ!」だけでは何がなんだかわからんし、一一九番通報だって消防か救急かくらいのことは言ってもらわねば困るのである。そんなわけで各人(おのれの能力の許す限りにおいて)その場にふさわしい表現を模索しつつ、こうして発言しておるのだ。で、そのように「『外なるコトバ』で自分自身の苦悩を語る」ということが問題の所在を明らかにし、気持を整理し、それを共有することで癒しにつながる、とかいったことにもなるのである。単に「私は哀れなんです可哀想なんです同情してくださいよよよよよ」みたいな話をしたいのならば、みのもんたの番組にでも電話してくれと言いたい。

 これ以外にも「テレビでそういってたから」「ナニナニに書いてあったから」「だれそれさんが言ったから」みたいなあなたまかせの無責任な態度っちゅーのもおれは大嫌いだ(そうだ、だからおれはおれが嫌いだ(-_-;))。さらには人の話を聞かん奴もおれは大嫌いだ。

 そんなわけで話は戻る。これだ。

pennpenn58さん wrote:
> と『いきなり文章講座』を読んで濁点を・・・・・・にしてみました。

 そんなわけで原文を見てみよう。

Maria wrote:
> 3)リーダーは三点リーダーを二個使い、『……』とする。

 よく読んでくれ。「リーダーは」「三点リーダーを二個使い」「『……』とする。」と書いてある。

 「濁点」ではなくて、「リーダー」である。「リーダー」とは、「引出し線」である。内容がずるずるっと引出されて続いていることを示す記号である。
 で、‘・’は「中黒(なかぐろ)」といって、並列あるいは順列を示す記号なのである。で、『・・・・・・』というのは、「三点リーダー二個」ではなく、「中黒六個」である。「そんなことを言われたって、『三点リーダー』の入力方法がわからない」とか言うなよ? なにしろ、Mariaの文章にはこう↓書いてあるのだから。

>  とはいえ、「全角スペースの入力方法がわからない」「『……』やカッコ(『』)の入力方法がわからない」という人も、おそらくおられるのですね。そこのところはお手持ちのパーソナルコンピュータの文字入力の方法について勉強してください。

 世の中には、医者に「お子さんには、検査前の八時間は食事を与えないで下さい。水も飲ませてはいけません」と指示されて、ビスケットと牛乳をおやつに与えたりしてしまう親というのがいたりする。確かに「おやつ」は「食事」ではないし、「牛乳」は水ではない。で、これが単なる馬鹿かというとそうではないのだ。「腹を好かせた子供に何も与えない親」というイメージが自分に貼りつけられるのが厭だから、認識が歪んじまうのである。「常識で考えて、わからんわけがないだろう?」「いえ、そのときは『子供が可哀相だ』というだけで頭が一杯で、本当にわからなかったんです。」みたいな頭の痛くなるような会話というのは珍しくないのだ。

 「私はあなたの話を真面目に聞いていません」というメッセージを送りつづける人というのがいる。挨拶をされても返事をしない、というあたりからそれは始まる。相槌を打たない、なんていうのも多い。こっちの話を途中で遮って話しはじめ、「まだこっちの話が終わっていない」というと、「いや、もう分ったからいい」という。あるいは「いま言っておかないと忘れるから」といって自分のことを話し、もとの話をしようとすると不審げな顔で見つめ返されたりする。「その話はもう終わったんじゃないの?」ならまだ分るが、「なんの話? その話が私の話とどういう関係があるの? 変な人だなぁ。」くらいのことは言われたりするのだ。あるいは言ったこととぜんぜん違う理解をしていて、それを「どうだ」みたいに提示されたりすることがある。

 この場合、「本人はまったく悪気がない」かというと、嘘である。つまりは自分に都合がいいから止められないのであり、それが薄々分っているから「悪気がない」ということにしておきたいのである。そんなわけで、「わざとやってんじゃないの?」とか言われると、「私のような可哀相な人間に、なんてひどいことを言うんだ」とかいって大袈裟に泣き叫んだりするのである。

 こういう弱者のふりをして相手を苦しめ搾取する悪魔のような輩がいかに多いか、というのは岸田秀さんの本でも読めばよくわかる。罪悪感を植えつけることで子どもを支配しようとする母親なんていうのはおおむねこのタイプだ。で、子どもの欲求を撥ねつけるために、この「わからないフリ」をし、子どもの欲求をことごとく逆手に取ってしっぺ返しをし、子どもが「そうじゃないんだ」と言えば「私が何をしてあげても気に入らないんだから」と逆に子どもを責め、「親になにかを望んではいけないのだ」と挫折と絶望に追い込むのである。同じような、「誠実に対応するふりをして、相手が要求したことを罰する」手口はお役所でも会社組織でも常套的に行なわれている。「忌憚のない意見を述べてくれ」とか言われてその通り本当に「忌憚のない意見」を述べて死ぬほど痛い目に遭った奴など珍しくもあるまい。

 そんなわけで、相槌なんていうものはただ打てばいいというものではない。「私はあなたの話を真剣に聞いていますよ。ちゃんと理解していますよ」という意味で、「えー、私の認識が間違っていなければ、こういうことではありませんか? つまり……」と、相手の言っていることを、自分なりの理解のしかた、自分なりのコトバで言い換えてみるのである。逆にこの部分に断絶があると、話は決定的にこじれることになる。「つまり、君は私のやり方が気に喰わないんだろう!」とか「要するに、いくら欲しいんだ?」とかいうのも、確かに「相手の言っていることを、自分なりの理解のしかた、自分なりのコトバで言い換えて」いるわけだから。

 まあ、おれやMariaの場合は「あからさまなボケをかます」ことでツッコミを誘うといったテクニックも使うのだが、それはあくまでスパイスとして使うものであり、基本は「あなたを理解していますよ」ということを示すことなのである。で、それは「実際にわかっていること」を示すことが前提であり、素っ頓狂な解釈をしてる奴が「わかってるぞ」とか言ったら逆に相手を怒らせることになるのである。

 おれの個人的な感想ではあるが、自閉症方面の人間は、相手に無関心なふりをしながら、ちらっ、ちらっと「わかってるぞ」といったメッセージを送ってくる奴が多い。
 反面、面と向かっての「わかっているぞ」攻撃には辟易する。たとえば「じつは私は自閉症なのですが」とか言ったとたん、相手が、「なんて可哀相な人だ。さぞかしご苦労があったことでしょう。いや、あなたはまったく自閉症には見えません。頑張ったんでしょうね!」とか言われて号泣されたら『なんのこっちゃい』と思うわな。「いや、べつに人並みの苦労しかしとらんし、べつに頑張りもせんし治ってもいないんですが……」「いやいや、わかります。わかってます。言わなくていいんです。わかってます。」。こういうの、厭だよなぁ。

 そんなわけで、自分に都合よく自己欺瞞しているように見える奴は敵を作る。あんまり敵を作らんことだ。おれみたいな奴に叩かれるかも知れんから。

 (Mr.Moto)


Re: 「興味の限局」は、ときにヒンシュクを買う 10749へのコメント
No.10758  Thu, 31 Jan 2002 11:49:18 +0900  みるら [この発言にコメントする]

Maria wrote:

Mariaさん、こんにちは。お話拝読いたしております。
考えてみましたがやはりMaltaのほうが好きなみるらでございます。
ちょうど柚子こんぺいとうを食べていたものですから出しゃばらせていただきました。

>> Q6・桃を使った言葉「桃栗三年……」さてこのあとどう続く?
>
> 「桃栗三年柿八年、柚子はゆっくり十五年、梨のバカヤロ十八年。」

先日柚子のおしごとをしたので調べたのですが地方によって諸説ありました。
梨だけでなく柚子がおバカさんだったり成り下がっちゃったり。
ところによって扱いがいろいろなので柚子が不憫でもあります。
(詳しくはメモリが足りないのですぐ頭から出ていってしまいましたが)
見た目にいちばん可愛い「花盛り」を使い「などと言われる」と
「など」をつけて使いました。「など」便利ですね。

甘酒こんぺいとうが止まらない みるら


Re: なってくれー! 10743へのコメント
No.10757  Thu, 31 Jan 2002 11:24:28 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

釈 wrote:

>現実の人とのコミュニケーションが難しい人は幽霊方面はどうでしょうか? 祖霊にしっかり守られているせいで、生の人間には溶け込みにくいという気はしないでしょうか? 

おお、釈さん、ばっちりです。現実の人とのコミュニケーションが苦手な私。幽霊さんにはばっちり好かれているいる気がします。以前勤めていた老人ホームではよく亡くなったお年寄りの幽霊を見ていました。そういう時はどうするか?正解。無視する。当たっていますか?

夜勤のときは大変なので死にそうな老人のところにところにきているお迎えさんに「今日はやめてよね」とお願いしていました。同僚から私の夜勤のときは死ぬ人が出ないということをとても不思議がられました。そう?と知らん顔していましたが。ずるいぞ。私。

祖霊にしっかり守られているせいで、生の人間に溶け込みにくいという気は・・・・・・します・・・・・・。でも守られているというより突き放されている気がするのですが・・・・・・。と『いきなり文章講座』を読んで濁点を・・・・・・にしてみました。


Re: 「どっちでもいいこと」が決められない。 10728へのコメント
No.10756  Thu, 31 Jan 2002 10:52:59 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> 秩序がゆきわたっていると、安心できます。ただ、「秩序は絶対に乱されてはならない」といったものでは、ないように思います。
> 仮にそれが乱されても、回復されればいい。「因果応報」「天網恢恢疎にして漏らさず」。そういう原則が貫かれていれば、安心できる。

 成長するにつれて、上記のことは理解できるようにはなります。ただ、感情コントロールはまた別の問題になると思います。

> だけど、理不尽なことが当然のようにまかり通っていると、これは、耐えられない。

 そうなのよー。ASの場合、これを「耐える」ことは大人(と呼ばれる年齢)になっても、かなりのエネルギーを要すると思います。いわゆる「普通の人にとっては何でもないこと」を受け入れるまでの努力といったら、並大抵のもんではないんだぞ!と感じているのね、わたしは。

> 少なくとも義務教育の場では、「大人の理屈」なんて通用しないんだいっ! いじめに加担した教師なんていうのは、校長が手打ちにして自分も切腹するくらいの覚悟で教育しなくて、なにが教育なんだっ!
> でまあ、「そっち側」の人間になりたくない、という気持はすごくあるのね。

 あります。気持ちだけは大あり。だから常に自己反省が欠かせないの。特に親になってからはね。判断から行動に移すまでのどっかでコケてるんじゃないかと思って、おびえてるんですけどね……。

> ボロボロになるまで戦ってしまう、というのがあります。だから、挫折したときの傷は深いんですよ。

 それで命を落とした人はかなりの数にのぼるんじゃないかと思います。自己防衛機能がちゃんと働いていればね、また出直しもできるんだけど。
 「わたしだって生き物のはしくれなんだから、自分の身を守る権利があってもよさそうじゃないか?」と頭で(言葉で)理解できたのは約一年前……棺桶に片足突っ込んでからでした。冷静になって思い起こせば、過去に何度も危機があったんですよ。よくもまあ今まで生きのびてきたもんだと思っちゃった。心のほうはともかく、身体だけは頑丈にできていたらしい(苦笑) でも年くってきましたから、さすがに身体にもガタがきていることは否めないですね。立ち直りに時間がかかります。

> 「切実さ」が伝わらないところに問題がありそうな気がするんですよ。で、これって問題の根はとても深いのね。

 これです、これ! アスペっ子に限らず、すべての「人の子の親」になった方々には知っておいてほしい問題です。

   ***大事だと思う***↓
> 単に「『切実さ』が伝わらない」というケースは、全体のごく一部だと思います。むしろ、「自分ではどうにもならないので、なんとかしてほしい」と思って訴えるのに、「どうにもならない」ものだから、「我慢しなさい」としか言えない。で、訴えられたほうは、「我慢させている」苦痛に耐えかねて、認識が歪んでしまうんです。で、「本当は大したことがないのに、大袈裟に訴えている」みたいに思い込んでしまう。で、訴えられても、「ああ、まただ」と思って、「いい加減にしなさい」みたいに、逆に罰してしまう。その結果、「『切実さ』『つらさ』を訴えると、逆に罰せられて、ますますつらくなる」ということを学習します。
> そんなわけで、「感情的な説得」を諦めて、「論理的な説得」を行なうようになるんだけど……それは子供には無理なのね。で、ある程度成長して「論理的な説得」ができるようになったとしても、「言われたほうもどうしようもない」という状況は変わっていないので、「言ってることがむつかしくて、さっぱりわからない」とか言われてしまう。
> そういう状況が積もり積もって、「キれる」性格が形成されて、「危ないヤツ」と思われることで、自分を守るという方法を身につけてしまうわけです。

 親の側の「切実さ」は子どもに伝わっています。理解できなくても「受けとめる力」が子どもにはあるのね。それを知らない親御さんが多すぎる。もっと反省して、「子どもの切実さ」を受けとめる努力をせんかいっ!とわたしは言いたい(あ、私怨はいってます……へへへ)。

> そんなわけで、「子どもの切実さを理解しようと努める」「自分の無力さから逃げない」「『なにがなんでも、なりふり構わず子どもを守る』という態度を、はっきりと表わす」の三点が、いちばん重要なんじゃないかなぁ。

 ですねぇ。自分の無力さをこれでもかと思い知るのも、親のつとめです。でも、どんなに苦しくても「逃げちゃいけない」のよ。
 「親」っていうのは「諸刃の剣」に似ているような気がします。我が子を守って戦うか、知らずに我が子を傷つけるか……どちらにもなれるのよね。偉そうなコト言えないんだけどね、わたしも。刃を向ける相手を間違えるような人間にはなりたくないなぁ。

> そんなわけで、幼児期・少年期・思春期とそれぞれ状況は違うだろうけど、「コミュニケーションに対する挫折と絶望」というのが、いわゆる「言葉の遅れ」の中にはあると思うのね。それは、「自殺した子どもがどれだけ苦しんでいたかに、親や教師がまったく気づいていなかった」みたいな話と同じような話なんです。「『言われてもどうしようもない』ものだから、『言わせない』態度が身についてしまっていた」んです。で、それは親や教師自身も気づかないほど、「大人の態度」として身についちゃってたんです。

> 「いい親」「いい教師」であろうとするツケを他人に払わせようとする親や教師は総じてロクなもんじゃありません。で、そういう親や教師に、子供は心を開きません。
> 体裁より、子どもです。そこんとこは、わきまえるように。

 真摯に受けとめます。
 ありがとう、Mariaさん。

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