アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
風呂糸さん wrote:
>うちの地方の新聞に気になる記事が出ていたので、紹介します。
>
>http://www.scn-net.ne.jp/~shonan-n/news/020209/020209.html
読ませていただきました。興味深い記事でした。
>自分自身の症状は先天的なものだけで無く、頭を打ってAS+ADHDっぽくなってきたのかな??
>とか考えていたりします。
エイメン博士の説を読んでから、わたしも同じようなことを考えました。AS傾向は子どもの頃からあったように思うけど、ADD傾向は頭を打ってからのほうがより強くなったかもしれないという気がしています。記憶があやふやで確かなところはわかりませんけど。
>あと、この”高次脳機能障害”をケアしているお医者さんとか、グループは”発達障害”について知っているのでしょうか?
知らない可能性が高いと思います。連携を求めるには、まず問い合わせてみることから始めるしかないでしょう。
大学の医学部と大学病院がある地方でしたら、脳神経専門医もいると思います。わたしは県内の信州大学病院にアタックする方法を模索しています。もう誰かがやっているかもしれないですけどね。ただ、教育学や心理学の方面で18才という線を引いてしまって専門が分かれるのと同じく、脳の専門医でも子どもと大人では別の分野というような状態になってしまっているのが現状でしょう。そこにどうやって橋をかけるか?あるいは橋がかかりつつあるのか……まだまだ情報不足です。
外傷を受けてから障害に至った方々と発達障害の場合とでは、本人と周りの人々との考え方に違いがあるような気がします。でも、通じ合える部分はきっとあると思うのですよね、本人同士なら。
>もしかして、このネタすでにみなさんご存知でしたら、ごめんなさい。
いえいえ。貴重な発言だと思いますよ。わたしは色々な方向に興味が向いてしまうので、ときどき自分のなかの引き出しの整理をしないとダメなんです。整理の指針になるきっかけを与えてくださった風呂糸さんに感謝です(^o^)
活発に活動している方々のネットワークと連絡を取ってみるのもひとつの手かな〜と思いました。身障者主体のグループでも、脳機能障害をお持ちの方もいるわけですよ。
「純粋語聾」という、音は聞こえるが言葉の意味が分からないという障害は非常にめずらしいのだそうですが、自閉症方面と一部重なるような感じがするのはわたしだけでしょうか……。「純粋失書」(言語を書けない)「純粋失読」(言語が読めない)あるいは人の顔が覚えられない等、脳の機能に由来する障害は後天的に出る場合もあれば、先天的に持つ場合もありうると思うのですが。
ありゃりゃ、何を書きたかったのかわからなくなりました。
思考能力と文章構成力に難あり(苦笑)の、あさかぜでした。
風呂糸さん wrote:
>(前略)なんかここら辺の(脳の障害、発達障害等)、障害を見ている病院とか機関とか、管轄で、うまく統合して何か総合的な脳に関する”脳障害科”のような物を病院に、作れたらいいのでしょうけど。
>
>その方が絶対効率もいいだろうし、より患者さんのためになると思うのですけど。
同感。こういうの、ほしいですね。(←この表現、合ってるかな?)
>
>なんだか文章がまとまらないや……すいません
>それと、もしかして、このネタすでにみなさんご存知でしたら、ごめんなさい。
私は初見でした。ありがとうございます♪
こんばんわ
風呂糸です、うちの地方の新聞に気になる記事が出ていたので、紹介します。
http://www.scn-net.ne.jp/~shonan-n/news/020209/020209.html
この記事によると、「高次脳機能障害」とは、
交通事故などで頭部に、衝撃・損傷等があった際に、
起こる症状とされています。
しかしこの記事を読んで思い出すのは、やっぱり「わかってるのにできない脳」
です、エイメン博士も、頭部に強い衝撃が加わるとADDの症状が表れることも有ると、
書かれています、(すいません正確な引用の仕方ではないのニュアンスが違うかもしれませんが……)
僕自身、子供の頃から、最近にいたるまで頭を打ったり気を失ったりする事が、
何回か有ったので、
自分自身の症状は先天的なものだけで無く、頭を打ってAS+ADHDっぽくなってきたのかな??
とか考えていたりします。
その上さらに、このような”高次脳機能障害”などの話しを読むと、
ますます混乱しそう…(^^;
あと、この”高次脳機能障害”をケアしているお医者さんとか、グループは”発達障害”について知っているのでしょうか?
なんかここら辺の(脳の障害、発達障害等)、障害を見ている病院とか機関とか、管轄で、うまく統合して何か総合的な脳に関する”脳障害科”のような物を病院に、作れたらいいのでしょうけど。
その方が絶対効率もいいだろうし、より患者さんのためになると思うのですけど。
なんだか文章がまとまらないや……すいません
それと、もしかして、このネタすでにみなさんご存知でしたら、ごめんなさい。
シュッツさん wrote:
>現在の東武東上線は、東上鉄道として大正3年に開業しました。(中略)
>その後、大正9年に東上鉄道と東武鉄道が合併し、現在の東武鉄道となりました。
>
>一方の西武池袋線は、大正4年に武蔵野鉄道として開業しました。
>昭和20年に武蔵野鉄道と西武鉄道が合併し、現在の西武鉄道となりました。
↑…ということは、西武新宿線も同じなんでしょうか?
>どちらも、池袋駅ができたときには、東武でも西武でもなかったのです。
東西の区別(といっていいのかしら?)って、池袋駅ができた後だったんですね(初めて知りました)。レスありがとうございました。
HELIX wrote:
>皆さん、初めまして。
>去年の秋頃からROMしていました。
>ADDを疑いながらもどこか違う、と本やネットの波間を漂いつづけ、
>こちらに漂着しました。
>未診断ですが、自分では広い広いスペクトルのどこかに位置していると思っています。
>
>自己アイデンティティの混乱から、やはり診断が欲しいと思いました。
>脳波検査は異常なし。感覚過敏(聴覚、視覚)は認めてもらってますが、
>そこで止まっています。どちらかと言うと精神分裂病が得意なドクターですが
>カウンセリングは続けています。
>そう簡単に診断がつくものではないことはわかっていたので、未診断ですが書き込み
>させていただきました。
>最近、どこまでが自閉的部分でどこからが個性なのかなぁと考えています。
>結局は考えてもわかりませんでした。
>過去ログもちょっとづつ読んだりしてますが、あまりに膨大な量なので全部は
>読めていません。今後の書き込みで重なることがあったらごめんなさい。
>
>それと、東京在住なのでもし体力と気力の都合がつけば3日のオフ会参加して
>みたいのですがいいですか?
>
>今後ともよろしくお願いします。
遅れましたが、はじめまして。
HERIXさんは、今はアイデンティティを模索中
という段階なのでしょうか?
これからもよろしくお願いします。
鷲羽丸 wrote:
> ♪不思議な不思議な池袋
> ひがしが西武で にし東武
> たーかくそびえるサンシャイン
> ビーックビックビック ビックカメラ
気になって地図を引っぱり出して調べたところ、
この歌は正しかった……
実は自分は池袋はほとんど行かないから単純に
西武→西口
東武→東口
と思ってました(汗)
でも、この歌を口ずさみながら行けば
迷わないかも?
> 「ブクロ」なんてもう、言いませんかね? 鷲羽丸
言ってる人いますよ。
でも自分は「ブクロ」という言葉の響きが嫌なので
あくまで「池袋」で通してます。
変なところにこだわってしまうメロディでした♪
グルンサ wrote:
> 上記の歌の「ひがしが西武で にし東武」のくだりを初めて聞いたとき(何年前かはもう忘れてしまいましたが)、「なんで、『ひがしが東武で にし西武』じゃないんだろ?」と思いました(ホント)。最初から、「ひがしが東武で にし西武」という方が、よほどわかりやすいと思うんだけど…?
>
>(どなたかこの謎知りませんか? グルンサ)
現在の東武東上線は、東上鉄道として大正3年に開業しました。
名前の由来は、東京と上州を結ぶことからです。
その後、大正9年に東上鉄道と東武鉄道が合併し、現在の東武鉄道となりました。
一方の西武池袋線は、大正4年に武蔵野鉄道として開業しました。
昭和20年に武蔵野鉄道と西武鉄道が合併し、現在の西武鉄道となりました。
どちらも、池袋駅ができたときには、東武でも西武でもなかったのです。
こうもりさん、Mariaさん、まろんすさん、あんくさん、さっそくレスありがとうございます。
「打てば響く」掲示版ですね。すごくうれしかったです。
こうもりさんへ
参加の許可ありがとうございました。
後ほどメルアド送らせていただきます。少々お待ちください。
Mariaさん wrote:
> あたしは以前、「スペクトル」という言葉には本来「領域」という意味はないので「方面(region)」を使おう、という提言をしたのだけれど、HELIXさんの表現を見て「赤外領域」という言葉を思い出してしまいました。
>
> 「自閉症スペクトル」ということを考えると、痴呆症とほとんど区別がつかない「紫外領域」のひともいれば、医学上は「正常」とか「個性のうち」とか「性格の偏り」とか診断される「赤外領域」のひともいるわけです。ただ、「紫外」は“ウルトラバイオレット(直訳すれば「超紫」。UV)”、「赤外」は“インフラレッド”(「内側の赤」。IR)だから、ちょっと意味がそぐわない。自閉症のほうに「外れている」感じはあんまりしないのね。自閉症のほうに「寄っている」感じがあります。
> 「典型的な自閉症者」というのは、人間のありかたとして、あると思います。それは現代の社会のありかたとは整合しないかもしれないけど、確かにある。
>
> これは、「自閉症者には知的障害や学習障害がある」という考え方とは対立した考え方です。「自閉症」の中心症状は「関係性の発達障害」であって、知的障害はおそらく自閉症と共通の原因で起こった「相関の高い別症状」(これは「自閉症児童は知能の点では正常」といわれることがあるのと関係してきます)であり、学習障害というのは、「現在の教育システムと、自閉症者とのミスマッチ」に起因する部分がかなり大きい、と思っています。
>
> そんなわけで、「典型的な自閉症者の像」というのは、むしろ「高機能自閉症」に近いものではないかと思ったりもします。『レインマン』が自閉症者のひとつの典型と見られているというのは、あながち悪いことじゃないんじゃだろうか、と思っています。
>
> そんなわけで、「重度の自閉症」とされる症例も、あたしのような境界症例も、どちらも「自閉症方面」の「周辺領域」あるいは「辺境領域」に位置するような気がします。
そうなんですよね。
確かにスペクトルと言うと、紫から赤への直線的な変化ですよね。
前にも書いたんですけど、性格と人格の違いってなんだろうと考えているんですが、
ちょっとわかりにくいんですよね。
もう少しまとまってから、書き込もうと思っていたんですが、以前色彩についての
ログがありましたよね。
ここから先はあくまで私個人の考え方なのでそのつもりで読んでいただけると幸いです。
私は自閉とその周辺も含めたものを色立体で表せると思ったんです。
(マンセルかオスワルトかは忘れましたが)
つまり、いちばん飛び出ている彩度の強い部分を結ぶとスペクトルになり、
各色の奥行部分が中心に行くほどニュートラル(NT)に近くなります。
で、縦方向は明度の変化なのでコレが個性に当たるのではないかなと思いました。
つまりいちばん飛び出ている部分が、いろんな自閉傾向の特徴が色濃く出ていて
中心に向かうにつれて、NTに近くなり、さらに見分けのつきにくい「個性」
がどの位足されているかが縦軸方向で表すということです。
ただコレだと、一人の人が色立体のあっちこっちに当てはまってしまうんですよね。
それに知的障害についてはこの場合どう考えていいのかわからないです。
ちょっとムリがあるかなぁ?でも1次元のスペクトルというのもムリがあるように思う。
まあまだ考え始めたばかりなのでお粗末なんですけど、どなたか意見をいただけると励みになります。
> で、現在あたしが考える「もっとも典型的な自閉症者の像」にもっとも近いのは、ピーター・セラーズ主演の映画『チャンス』の主人公、「庭師のチャンス」だったりします。
>
> 『二〇〇一年:宇宙のオデッセイ』と同じ『ツァラトゥストラかく語りき』をテーマ曲に使ったこの映画、意外に知られてませんが、お薦めです。ピーター・セラーズは『博士の異常な愛情:またはいかにして私は心配するのをやめて原子爆弾を愛するようになったか』の一人三役、『ピンクの豹』のクルーゾー警部と、「キチ×イを演らせたら世界一」という感じはします。
>
> (Maria)
まだこの映画見たことがないんですが、Mariaさんのレスを読んでとても興味を持ちました。
機会(チャンス)を見つけて見てみたいと思います。
ありがとうございました。
ちょっと追加です。
I wrote:
> 上記の歌の「ひがしが西武で にし東武」のくだりを初めて聞いたとき(何年前かはもう忘れてしまいましたが)、「なんで、『ひがしが東武で にし西武』じゃないんだろ?」と思いました(ホント)。最初から、「ひがしが東武で にし西武」という方が、よほどわかりやすいと思うんだけど…?
そもそも、東口の西武デパート・西口の東武デパート(両方とも『デパート』でよかったんだっけ?)、先に造られたのはどっちなんだろ?
横からおじゃまします。
鷲羽丸さん wrote:
>武田好史さん wrote:
>>JRを中央通路に入るように降りて、階段を上がって東の西武池袋線改札前広場を出たところ、丸の内線の出口の外の大きな『SEIBU』のきれいな青いたて長の看板の下が、待ち合わせ場所にぴったりか……
>
> 全く主旨からは外れますが、以前わしが池袋に行ったとき、ビックカメラの前でこんな歌が流れていました。
>
> ♪不思議な不思議な池袋
> ひがしが西武で にし東武
> たーかくそびえるサンシャイン
> ビーックビックビック ビックカメラ
>
> これは紛らわしいです。そのうえ、池袋駅はいつ来ても迷路のような造りで、案内板を頼りにしても、その通りに目的の場所にたどり着ける確率が低いです。目印にできるもの、場所が少ないんですよねー。
上記の歌の「ひがしが西武で にし東武」のくだりを初めて聞いたとき(何年前かはもう忘れてしまいましたが)、「なんで、『ひがしが東武で にし西武』じゃないんだろ?」と思いました(ホント)。最初から、「ひがしが東武で にし西武」という方が、よほどわかりやすいと思うんだけど…?
(どなたかこの謎知りませんか? グルンサ)
あんくさん wrote:
> ちゅーか別に意味ないんですけど、こーゆータイトル流行ってる(?)みたいなので、悪戯でつながってみましたというお話(笑)。
こんばんは。Mariaさんもあんくさんも、いいなあ、こういう感性(というのかな?)をお持ちの方って。(ユニークで、好きです。[笑])
武田好史さん wrote:
>JRを中央通路に入るように降りて、階段を上がって東の西武池袋線改札前広場を出たところ、丸の内線の出口の外の大きな『SEIBE』のきれいな青いたて長の看板の下が、待ち合わせ場所にぴったりか……
全く主旨からは外れますが、以前わしが池袋に行ったとき、ビックカメラの前でこんな歌が流れていました。
♪不思議な不思議な池袋
ひがしが西武で にし東武
たーかくそびえるサンシャイン
ビーックビックビック ビックカメラ
これは紛らわしいです。そのうえ、池袋駅はいつ来ても迷路のような造りで、案内板を頼りにしても、その通りに目的の場所にたどり着ける確率が低いです。目印にできるもの、場所が少ないんですよねー。
また話は変わります。
西武の池袋駅に、電車の発車時刻案内板があるのですが、そこには4本あとまでの電車の時刻が表示されます。
その表現のしかたが、わしにとっては興味深いものでした。どういったものかと言うと、早く出発する電車から順に、
「こんど」(いちばん早くに出る)
「つぎ」(2番目)
「そのつぎ」(3番目)
「そのあと」(4番目)
と表現されているのです。「考えるものだな〜」と思いました。
わしは一時期、埼玉の秩父に住んでいたことがあるので、西武線でつながっている池袋には親しみがあるのです。
水族館へも行きました。そしてわしが初めて地下鉄というものに乗ったのは、池袋から出る丸ノ内線でした(当時の丸ノ内線の電車の模様、好きでした。今は日本国内では絶滅。海外で運行されているそうです)。
今度わしが東京へ行けるのは、いつになることやら。
「ブクロ」なんてもう、言いませんかね? 鷲羽丸
こうもり wrote:
>武田好史さん wrote:
>
>>>> ちなみに武田さんは当日のオフ会には参加されますか?参加されるので
>>>>あれば、上記の店がある場所まで案内していただけると助かります。わた
>>>>しは方向感覚が極端に悪すぎて、人を道案内するのがすごく不安なんです
>>>>よね。
>>
>>はい参加します(^0^)
>
> 了解です。では、当日はランチタイムの会場までの移動の案内だけ、よろ
>しくお願いします。
JRを中央通路に入るように降りて、階段を上がって東の西武池袋線改札前広場を出たところ、丸の内線の出口の外の大きな『SEIBE』のきれいな青いたて長の看板の下が、待ち合わせ場所にぴったりか……
10年ぶりの恋に落ちてしまいました。完全なる片思いです。相手は某世界的有名人、熱狂的なファンがたくさんいるような人です。もちろん会ったことなどありません。
彼がオリンピックに出ているので、テレビを見たり、ロイター電を検索したり忙しく、ほかにはなにも手につかない日々。 …こんな状態が続いたらやせてしまうぞ。(やせたいんだけど)
syaku wrote:
> 余計なお世話だけど、ちょっと言わせて。責任の怖さはわかるけど、動物は不安を減らすために一緒に暮らすもの。生き甲斐ができて、それを維持するために自然にケアする衝動がでてくるものです。御恩報謝って仏の道なのです。満たされる魂の乾きがなければ、ただ有り難がりなさいったってできるわけありません。
> みどりさんはとてもしっかりしてるけど、早くから背伸びして無理して高いところへ上がったような感じがするの。低いところの栄養が足りてないせいで、自信が充分でないような。あらためて自分を育てなおすようなつもりで、動物の世話をしてみたらいいと思います。甘え方や、魅力のあらわし方が学べるでしょう。いつか来るつらい別れにも意味はあるもの。どんな悔やみも、それがやがてこころの肥料になります。悲しみは年月が消していくけれど、出会えたことの幸福は時間に洗われても曇りません。
> 不幸にするのが怖いなら、見捨てれば生きられない不幸な境遇の動物を探して。そして1秒でも多く愛をそそいであげてください。何を返してくれるか、感じ取る力を多分みどりさんは持っています。そういうことを感じることは、お金の心配よりも基本的に大事なことです。それがなければ、私はこの年まで生きてません。ローティーンの頃から自殺マニアのリストカッターでしたから。慕ってくれるいのちは、支えてくれるいのちです。
> 私はあさかぜさんと一緒で、ヤギも欲しい。希少で高価なアワやヒエなんかを常食できるように畑も持って、動物といい関係で暮らしたい。
気をつかってくれてありがとう。
私が怖いのは相手を不幸にすることよりも、なぜか相手を見捨ててしまう自分を見つけて辟易してしまうことです。
初めてポトスを育てたときは、友人に株を分けてもらいました。もらう前からわくわくして、もらってからは毎朝おはようとおやすみをいっては眺めていました。
しかし、半年くらい経ったところで、なにかが変わってしまいました。それからは、水をやるのも遅れがちになり、そのうちほとんどやらなくなり、私のまくら元でただ枯れてゆきました。
それを悲しいとも思わず、どちらかというと目ざわりだなと思っていました。
ほとんど完全に枯れかけた頃、母が見かねてもってゆきました。まだ家のどこかに鉢があるのかもしれませんが、私はどこにあるかも知りません。
数年経って、木を育てたときもほぼ同じような経緯をたどりました。こちらは完全に枯れました。枯れたまま1年くらい放っておきました。ベランダで工事があったときに誰かが捨てたらしく、いつの間にかなくなっていました。
ポトスを毎日いとおしく眺めていたときの気持ちはよく覚えているのに、それでも、目の前で明らかに乾いてゆく同じポトスに水をやろうという気も、枯らしたら可哀想という気も、なぜか滅多におこらないのです。
私の感情には連続性というものが欠けています。私は明日の自分の行動を信じることができません。明日の自分はいともあっさりと今日の自分を裏切ります。
記憶はちゃんとあるのですから、たとえ感情に連続性がなくても、理性にもとづいてそれなりの行動を取れればいいのでしょうが、過去の実績からするとこちらもまったく期待できないのです。まったく情けなくていやになります。
まろんすさん wrote:
>はじめまして、よろしく。
>それにしても3日にオフがあるなんて知らなかった。
>東京であるのですか?
はい。とりあえず、池袋で集合して、上野で遊ぼうという話になっ
ております。まあ、明日かあさってあたりに正式な告知を出す予定な
ので、乞うご期待!!
Lingkoさん wrote:
ちゅーか別に意味ないんですけど、こーゆータイトル流行ってる(?)みたいなので、悪戯でつながってみましたというお話(笑)。
妖精 wrote:
あんたの考えてることって言ったらばさ、自分よりは確実に弱そうな奴を見付けてせせら笑うことだけ。
出てきなハナクソ野郎。ここは気の長い人間ばかりだと思ったら大間違いだぜ。
まろんすさん wrote:
>それにしても3日にオフがあるなんて知らなかった。
>東京であるのですか?
3月3日は叔母のところへ行くので、出席不可。4・5月はイギリス(ブリストル方面)へ...
なにかしら情報を持って帰れるよう奮闘してまいります。現地に詳しい方、助言よろしく。
おっとここはHELIXさんへのレスだった。
こちらこそ未診断ですがよろしく。3日、楽しんでらしてください。
HERIXさん
はじめまして、よろしく。
それにしても3日にオフがあるなんて知らなかった。
東京であるのですか?
HELIXさん wrote:
> 未診断ですが、自分では広い広いスペクトルのどこかに位置していると思っています。
あたしは以前、「スペクトル」という言葉には本来「領域」という意味はないので「方面(region)」を使おう、という提言をしたのだけれど、HELIXさんの表現を見て「赤外領域」という言葉を思い出してしまいました。
「自閉症スペクトル」ということを考えると、痴呆症とほとんど区別がつかない「紫外領域」のひともいれば、医学上は「正常」とか「個性のうち」とか「性格の偏り」とか診断される「赤外領域」のひともいるわけです。ただ、「紫外」は“ウルトラバイオレット(直訳すれば「超紫」。UV)”、「赤外」は“インフラレッド”(「内側の赤」。IR)だから、ちょっと意味がそぐわない。自閉症のほうに「外れている」感じはあんまりしないのね。自閉症のほうに「寄っている」感じがあります。
「典型的な自閉症者」というのは、人間のありかたとして、あると思います。それは現代の社会のありかたとは整合しないかもしれないけど、確かにある。
これは、「自閉症者には知的障害や学習障害がある」という考え方とは対立した考え方です。「自閉症」の中心症状は「関係性の発達障害」であって、知的障害はおそらく自閉症と共通の原因で起こった「相関の高い別症状」(これは「自閉症児童は知能の点では正常」といわれることがあるのと関係してきます)であり、学習障害というのは、「現在の教育システムと、自閉症者とのミスマッチ」に起因する部分がかなり大きい、と思っています。
そんなわけで、「典型的な自閉症者の像」というのは、むしろ「高機能自閉症」に近いものではないかと思ったりもします。『レインマン』が自閉症者のひとつの典型と見られているというのは、あながち悪いことじゃないんじゃだろうか、と思っています。
そんなわけで、「重度の自閉症」とされる症例も、あたしのような境界症例も、どちらも「自閉症方面」の「周辺領域」あるいは「辺境領域」に位置するような気がします。
で、現在あたしが考える「もっとも典型的な自閉症者の像」にもっとも近いのは、ピーター・セラーズ主演の映画『チャンス』の主人公、「庭師のチャンス」だったりします。
『二〇〇一年:宇宙のオデッセイ』と同じ『ツァラトゥストラかく語りき』をテーマ曲に使ったこの映画、意外に知られてませんが、お薦めです。ピーター・セラーズは『博士の異常な愛情:またはいかにして私は心配するのをやめて原子爆弾を愛するようになったか』の一人三役、『ピンクの豹』のクルーゾー警部と、「キチ×イを演らせたら世界一」という感じはします。
(Maria)
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