アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
せっかち母さん wrote:
>皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。よろしくお願いします。
アイデンティティ? 最近あまり考えたことはなかったような気がします。
9才の娘では、獲得はこれからだろうし……。
「おい、お母さんは『女』の見本にはならんからな。どっかで『いい女』みつけて、それをモデルにして自分を組み立てていけよ!」と言い渡してあるしな……。今のところ理解はしていないようだけど。
センター試験を受ける年齢の息子さんでしたら、すでに「何かのモデル」を見つけていらっしゃるのでしょう。お心当たりはありませんか? そのモデルに惹かれた理由、気になるワケなど分析してみると、今までとは違った方法で支援できる道がみつかるかもしれません。
モデルは実在の人物とはかぎりませんぞ。
せっかち母さん wrote:
>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
>デイケアや作業所を、カッコ悪いと言います。
>しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います) パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日、「今日は何しようか」ばかり言います。
>皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。
>よろしくお願いします。
アイデンティティだけの問題とは思えません。
これは「精神的な問題」か「甘え」のどっちかにしか思えません。
障害だから仕方ないってのは「甘え」でしかないし
でもひょっとしたら「とじこもり」なのかもしれない
かかりつけの精神科医がありましたら相談した方が良いと思います。
(私だったら「勉強もしない、働く事もしない怠け者なんか
家には不必要だ出ていけ」と叱り飛ばしますけれどね)
そもそも「物理の研究室」って何ですか?
息子さんは何を研究したいのですか?
(これがアイデンティティーですね)
まずは物理学の研究所や大学研究室のHPを見せてみたらどうでしょう?
国立の研究所は大概年に一回一般公開しています。
たいしたところは見せてもらえないけれど、
サイクロトロンやシンクロトロンの機械を見せてもらい
私はあまり興味の無い分野でしたが、
それでも「すごいなぁ〜〜〜っ」と感動しました。
大学でも学園祭などで見学できると思いますし、
そうでなくても見学したいといえば見せてくれそうな気がします。
(無断で入り込んでもわからなそうだけどね)
私は生物学的な研究をするところの実験補助をする、
技術系の派遣社員ですが、研究に携わるそんな道もあります。
物理学の研究所にも派遣されていた事があります(放射線関係) ------------------------------------------------------------------------
せっかち母さん wrote:
>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!
本人の能力が理系の場合問われます。
研究者になるのには、学問を知っているばかりでなく、自分の周りの人との折り合いも大切です。本当に対人関係の苦手な人には、孤立無援になってしまいます。
また物理の場合、難しい数的な概念を扱う分野が多いです。
∇・E=0
∇・B=0
∇×E=-∂B/∂t
∇×B=εμ(∂^2E/∂t^2)
というのは、マックスウェルの方程式という電気と磁気の関係を表した式で、電気と磁気の間に働く次のような法則を表しています。
1..違う種類の電荷は引き合い、同じ種類の電荷は反発しあう。
2..単一の磁極はない。
3..電流は磁場を発生させる。
4..磁場の変化は電流を発生させる。
上の式は、科学の言葉である『数学の記号』で、これらのことを示したものです。
さらに学者にふさわしい素質は英語ができるということです。研究をしていくためには、英語の生の論文をたくさん読んでいく必要があるからです。学部の上の『大学院』に上がるためには、自分の専門分野の試験の他に、英語の読解力の試験もあります。
息子さんが『研究者』になるには、いろいろなハードルを乗り越えないといけません。私も昔は『学芸員』という博物館の研究スタッフを目指しましたが、途中で転んでうつ状態になり、大学院を卒業した後は、引きこもりを続けてしまっています。
須原一秀(すはら・かずひで)というひとの本を読んでいたら、こんな事例にぶつかりました。
《事例1》
僕が小学校三四年生の頃、家に唐草模様の入ったガラス窓があって、それをずーっと見つめていると、ガラスの模様がだんだん大きくなってきて、目の中に飛び込んでくるのです。それが、波紋のような感じで、ピシピシと身体の中に入ってきて、身体がガクガクふるえているような感じになってきて、目の前が真っ白になりました。その感じが、怖いのですが、とても気持ち良く、やみつきになり、毎日ガクガクとなって遊んでいました。
《事例2》
机の上でピンポン玉を手で押さえて、指先から逆回転を与えて弾き出させて、遊んでいました。右へ左に動くピンポン玉を目で追っておりましたが、そのうちに、ピンポン玉は円柱などと違ってどの向きから見ても「円」なんだなー、と考えはじめたあたりから、なんだか記憶が薄い。(中略)その時ふとピンポン玉を口の中に入れてしまっていたのである−飲み込もうと思っていたのか?
その瞬間ふと我に帰った。一瞬青ざめた。何故そんなきたないものを口にしたのか、今考えても分からない。
《事例3》
保母をしている母から聞いた話です。ある3歳児の女の子がガラス窓に右手を突きこみました。しかし、彼女の手から一滴も血が流れず、指の骨がきれいに見えていたそうです。彼女は相当の傷みだったでしょうに泣き声ひとつあげず、じっと自分の手を見た後、突然、隣の窓ガラスに再び突っこみ、直後に大泣きして病院に運ばれていったそうです。
《事例4》
小学生の頃、授業中にカッターナイフの刃を出したりしまったり、カチカチ動かしていました。そのうちに何故か「切ってみよう」と思ってしまいました。で、切ってしまったのです。不思議と傷みはなかったです。切り口からじわーっと血がわいてきて、肉片をカッターナイフでつついていました。ここで、となりの女の子がギャーギャー泣いているのに気付きました。そうすると、我に帰ったのか、強烈に委託なりました。その時の血の赤い色が強烈に映えていたのを今でも覚えています。
《事例5》
私が小学二年の頃、「文房具」という字が読めずに母に聞いて、「ぶんぼうぐ」ということが判明した時、うれしくなって、ずーっと「ぶんぼうぐ、ぶんぼうぐ、ぶんぼうぐ、……」と何回も言っておりました。すると、何故か不思議な気持になってきて、宙に浮いた感じで、ひょっとすると本当は私は違う人ではないかという考えが浮かんできたのです。その不思議な感じはとっても心地よく、時々「ブンボウグブンボウグブンボウグブンボウグ……」と呪文のように唱えて楽しんでいました。
《事例6》
体操競技のつり輪をしている時、リングから手がするりと離れて回転しながら落ちたことがありました。その瞬間から音がまったく聞こえなくなり、「あれっ、まわっている。なんでやろ」とか「床が攻めてくる」とか考えながらわらけてしまいました。
えー、こうした例を見ても、おそらくはこの掲示板に出入りしているご本人さんは、「ふーん」とか「なるほど」とかいった反応をしてしまいそうに思います。
ところが、この事例を挙げた須原さんは、その本の中で、こうした例を列挙したあとに、こう言っています。
『ここで、つぎの二つのことを確認して、本論の基本的態度を明確にしておきます。
一、これらが何か不思議な神秘的な原因をもつものとする考え方は拒否する。
二、これらを異常な病的なものとする考え方にも反対する。
決して、霊のせいでも、脳内の神経障害や精神病のせいでもないと考えます。また、欲求不満や心理的葛藤が背景にあって、そのせいであんな変な気持ちになったりするのだ、という考えにも反対します。
つまり、「これらは普通人の正常性の揺らぎの範囲内の出来事である」と考えるのですが、もちろんそれには根拠があります。と言うのも、病的なケースとはいくつかの点で違っているからです。』
なお、この本の書名は、『高学歴男性におくる 弱腰矯正読本 男の解放と変性意識』(新評論)。上記の例は、自閉症方面の人間の体験ではなく、“普通の人”の「変性意識状態」の例だったりします。
さて、自閉症児には、
●明らかな危険に対して、恐怖心を示さない。
●痛みに対して鈍感。
●音が聞こえないような振舞いをする。
●物をクルクル回す。
●おかしな遊びに熱中する。
●物に不適切な愛着を示す。
といった特徴がある、と言われています。つまり、これは「自閉症児は変性意識状態に入りやすい」という言い方で、ひとまとめにできてしまうのですね。
で、どうやら、「こだわり」というのも、この「変性意識状態」に関係していそうな気が、しているのですよ。
このあたり、もうちょっと整理したうえで、あらためて書いてみたいと思います。
(Maria)
せっかち母さん wrote:
>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
>デイケアや作業所を、カッコ悪いと言います。 しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います) パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日、「今日は何しようか」ばかり言います。 皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。
>よろしくお願いします。
僕は精神障害者あるいは知的障害者の作業所を「入ろうかな?」と、見学していく予定です。
タレイヌさんwrote:
> すみません、ちょっとこの場をお借りします。
> 釈さ〜〜ん、えころ寺が、あかないの。どしたのかな??
えー、このところ掲示板上の事務連絡が多いのでひとこと。
『No.11137 Thu, 21 Feb 2002 09:53:54 +0900 タレイヌ』みたいな行がありますよね? 最初の「No.11137」の部分はメッセージ番号、「Thu, 21 Feb 2002」は日付、「09:53:54」は時刻、「+0900」の部分はその時刻がグリニッジ標準時から何時間ずれているかを表わしています。
で、次の「ハンドル」(「ハンドル・ネーム」というのは正確ではありません。もともとはCB無線(「シチズン・バンド無線」といって、アメリカで長距離トラックの運転手なんかがよく使っている、免許のいらない無線。映画『コンボイ』とかを見てください)の言葉)の文字が青く表示されているときは、そこをクリックするとメールが送れます。
レスは例外としても、個人対個人のやりとりには、なるべくメールを利用しましょう。
(Maria)
アイデンティティの滅却を私は求めてきました。子のつく名前を捨てることが、長い間の最重要課題でした。法名(戒名でなくて、洗礼名のようなもので僧でなくても生前からつけられます)を本名にできた時に、とても重かった負のアイデンティティから逃れられたのです。アイデンティティを個に置かずに世界の側に置き、世界を救う力から見た自分のみ意識する。なだれかかる蔑みを、淡雪のように溶かし続ける力を卑小な私は持てません。ひたすらナモ阿弥陀仏で、熱を呼ぶしかないのです。
ヒトの親というのは子をフォーマットするのが仕事じゃないでしょうか。親の七光り的に育つと牢名主的な人間ができあがるみたいです。教師の仕事もたいていは反面教師ですよね。私の場合は阿弥陀如来が親であり帰る処であるとして、そこから未来を見ています。
タレイヌ さん、えころ寺がお粗末ですいません。何とかもっと、アイデンティティはっきりさせないとね。
Lingkoさんへ
こんにちは。
先週は電話がらみで大変な目にあいましたね。
ご愁傷さまでした。
携帯電話が普及してから、明らかに公衆電話の数が減りました。
迷惑なことです。
(ちなみにNTTは、去年くらい(?)に、各地にあった事務所を地域ごとに統合してしまいました。だから、地図にのっているのに機能していない事務所がたくさんあることになります。まったく迷惑なことです。)
私もずっとケータイを持っていなかったので(なんとなく抵抗があって)、
公衆電話を探したり、順番待ちがメンドウで、家への連絡(何時に帰るとかゴハンをどうするとかの連絡)ができなくて、家の者が困っていました。
そこで、いやいやながら、去年の暮れ頃にケータイを導入したところ、意外なことに結構快適で、生活も改善しました。
もちろんケータイ番号は身内にしか教えてありません。
(会社の人には、ケータイ持ってることじたいナイショです。)
マナーモードにして、受信音もブルブルも鳴らさないようにしておきます。
これで、いきなりケータイが鳴ってびっくりすることもありません。
電話する相手といえばほとんど夫で、それも2言、3言で切ってしまうので、
まるでトランシーバーのような使い方ですが、これでいいのだ。
街中で公衆電話を探す手間がなく、いつでもどこでも電話ができるって、
予想以上に便利です。
いかがでしょう、Lingkoさんも、試してみては?
(※ケータイ会社の回し者…ではありません。)
Lingko wrote:
>電話料金の請求書をなくしたから、直接払いに行っちゃおうと思ってNTTに行ったら、NTTが無くなっていた。地図には載っていたのに。
>
>で、貼り紙がしてあった。「請求書の再発行のお申し込みはこちらの番号へ」
>
>あのー。電話したくないから地図でしらべて電車に乗ってあるいて行ったのに。
>
>貼り紙に書いてあった電話番号を暗記して(幸い、番号の暗記は得意なのだ)歩けども歩けども歩けども歩けども、公衆電話がない。公衆電話のあった跡(というより痕か)とおぼしきものはいくつかあったけど。
>
>やっと見つけた公衆電話は誰かが長電話していて、私は邪魔するわけでもせかすわけでもなく、気を使わせては悪いと思ってわざわざ離れたところでおとなしく待っていたのに「あっちにもあるやろ」と怒られてしまった。どうして順番を待っているとバレたんだろう。カードや硬貨を見えるように持っていたわけでもないのに。
>
>ま、こーゆー日もありますわなー。
>
>また歩いて歩いて歩いて歩いて別の電話ボックスで再発行の申込みをしていたら、ドアを開けられて「いつまでやっとんねん」と怒鳴られてしまった。
>
>あわてて途中で切って出てきてしまいました(笑)。ま、こーゆー日もありますわなー。
せっかち母さんwrote:
> こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。
> 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで、デイケアや作業所を「カッコ悪い」と言います。
> しかし、まともに試験を受ける気もなく(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います)、パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日「今日は何しようか」ばかり言います。
> 皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。よろしくお願いします。
このところ文章が散漫になっていて反省しきりの Maria でございます。へこへこ。
たしか講談社現代新書の中の一冊でしたが、『自己実現の方法』とかいった書名の本があり、その中にはアイデンティティを支えているものが三つあり、そのうちいちばん大きいのが社会的なもの、次が家族的なもの、最後が自我的なもの、なのだそうです。
でまあ、確かに大多数の日本人においては、「社会的に認められる→家族や友人に認められる→自分を認める」といったステップを経て大人としての自己が確立してゆく部分はあるのですね。
とはいえ、こうした自己形成の過程で「自我が押しつぶされてしまう」人もいるわけです。で、その原因というのが、その人の周りにいる「社会」「家族」といった人たちと、本人との「社会」の捉えかたの齟齬(そご。食い違い)、だったりするわけです。
ここで単純に「社会」という言葉を使ってしまったのだけれど、この「社会」には、「宇宙」「世界」「世の中」「時代」「世間」みたいないろんな意味が詰まっているのね。で、高潔だったり崇高だったり純粋だったりする生き方と、現実的だったり卑賎であったり即物的だったりする生き方の間のバランスの取りかたについて、多くの場合周囲の人と本人の間で食い違いがあるわけです。
で、人を騙したり陥れたり食い物にしたり蹴落としたり人の足を引っ張ったり媚びたりへつらったりなだめたりすかしたり脅したり、といった生き方がどうしても我慢できない人が、宗教や学問や芸術の世界にあこがれたりもするわけです。もっともそういう世界だって決してそうした人間的なドロドロと無縁ではないのですけれど、そこに理想を見てしまうのが、「あこがれ」なんです。で、周りの人はそうした人間関係と無縁ではいられない自分を蔑んでいて、そういう「穢い」自分を嫌っている。で、なおかつその嫌悪感を抑圧している。だもんだから、本人がそういう人間的なドロドロを嫌悪しているのが許せないので、「そういう人間的なドロドロが嫌い」という表明を許さない。だもんだから、「物理」とか「数学」とかいったことが、当たり障りのない理由として出てくるわけです。
で、こういうときに、「どんな世界にもそういった人間的なドロドロしたものはあるのよ」と言っちゃうというのは、明らかにまずいです。それが解っているから、「あこがれ」を「あこがれ」のままにしておこうとしてるんだから。
こういうときに必要なのは、「できる事からコツコツと」といった地道な努力なのですが、これを邪魔するのが「焦り」なのね。人間というのは焦ると目先のことしか見えなくなり、思考が短絡的になります。だから地道な努力ができなくなる。本人がのんびりしているように見えても、周りがせっつくものだからますます焦り、状況はさらに悪化します。「とりあえず成績がいいと安心する」とか「とりあえず机に向かっていると安心する」とか「とりあえず真面目に塾通いをしていると安心する」とかいった親が多くて、「親を安心させるために勉強している」子どもが少なからずいる。だけど、勉強が「自分のため」だという実感がないので、親から「自分のためでしょう?!」と言われても、納得できない。で、成績が落ちたりなんかすると、そのまんま転がりおちて落ちこぼれになってしまうことが多い。「子どもは落ちこぼれているのでなく、落ちこぼされているのだ」というのは、こういう状況をいいます。
で、まず焦りを解消し、できる事からコツコツと実力を貯えてゆき、成功体験を積み重ね、修羅場をいくつもくぐり抜け、「社会」に認められ、ようやく自己実現することができるわけです。
……ところがですね、いかに力をつけたとしても、「人間的なドロドロしたもの」の毒というのはとても強いのですね。で、しばしば人間を精神的にも肉体的にも破滅させてしまいます。真面目で誠実で有能なひとが過労死したり自殺したりすることがいかに多いか、ということからも、それは明らかです。
「本音とタネマエ」という言葉があります。本来、この言葉には「タテマエは尊重されるべきもの」というニュアンスがありました。英語でいう「ダブル・スタンダード」も、「状況による使い分け」ということであれば、べつに悪いことではない、という気持があります。
ただ、グレゴリー・ベイトソン言うところの「ダブル・バインド(二重拘束)」というのが、「本音とタテマエ」「ダブル・スタンダード」の中に入りこんでくると、これがいけません。
「なんでも言いたいことを言っていいんだよ」と言われて、「本当に言いたいこと」を言うと罰せられる。「『なんでも言いたいことを言っていいんだよ』って言ったじゃないか」と言うと、「それとこれとは話が別」「本気にする馬鹿がいるか」みたいに言われてしまう。つまりは、「『相手が言ってほしいと思っていること』を『自分が言いたいこと』として言え」ということなのね。
学校のテストというのが、そもそもがそういうものです。「教師が正しい答えとして要求しているもの」を「自分が正しいと思っていること」として答えなきゃいけないわけです。「日本の軍隊が三十万人の中国の一般市民を虐殺したのは中国のどこでしょうか」みたいな問題が出たら、「南京」と“正しく”答えなければなりません。
「この生物はなんという名前でしょうか?」と質問されたら、それが仮に「スジグロシロチョウ」であっても「モンシロチョウ」と答えねばならず、「トウキョウダルマガエル」であっても「トノサマガエル」と答えなければなりません。「鉄1キログラムと綿1キログラムでは、どちらが重いですか?」という質問に、「空気の浮力は考慮するんですか?」と質問で応えてはいけなかったりします。
「何が正しいのか考えろ」と教師は言います。ですが、これは「教師が『正しい』こととして教えていることは、本当に『正しい』のか?」なんていうことを考えるな、という命令なのですね。
「正三角形」と「三角形」があり、「正三角形」は「三角形」の一種です。「正方形」という言葉があるのだから、「方形」という言葉があっていいはずだし、「正方形」が「長方形」の一種だというのは何かおかしい。だって、正方形は「長く」ないんだから。で、こういうことを言っていると、「つまらんことを考えるな」と叱られてしまう。「矩形」ということばがあって、それの言い換えが「長方形」なのですよ、みたいなことを教えてくれればいいと思うんですけどね。「『矩形』の“矩”ってなんですか?」「『さしがね(曲尺)』、あるいは直角定規のことです。『矩規準縄』という言葉があり、それぞれ曲尺・ぶんまわし(コンパス/ディバイダー/パス)・みずはかり(水準器)・墨縄のことで、『ものごとを決める基本になること(もの)』という意味があります」「ふーん」「詳しいことは、岩波新書の『大工道具の歴史』に出ています。図書館にあるので、興味があったら読んでみてください。国語のテストの読解問題の例文としてよく使われます」「ふーん(メモしている)」
「こんなん小学生に教えてもわからんわ!」という人もいるだろうけど、べつにわかんなくたっていいと思うのね。とにかく自分の歩いている道のずーっと先に、なんだかわかんないけど世界が広がっている、みたいなことが解ればいい。
小学生が「私は将来キュリー夫人のようになりたいです」とか「アインシュタインのようになりたいです」とか言ったって、核物理学について何らかの知識があるわけじゃないんだから。「あんたの限界はここまで」と、周りの影響力のある人間が決めつけて勝手に道を閉ざそうとするな、ということなのですよ。野茂や佐々木やイチローや新庄だってそうでしょう? 他人のことを勝手に仕切ろうとするのが日本人の悪い癖、だと思います。
あたし自身はといえば、中学を卒業して高校に入るまで「なんだかわからないヒト」でした。漠然と自然が好きで生物が好きで植物が好き、というだけで、とりあえす数学と物理はできたけど英語はボロボロでした。世の中にコンピュータというものが普及して、ようやく使い道ができたような人間なのね。で、あろうことか現在は「日本語文法のエキスパート」を名のって恥じなかったりするわけです。冷静に考えると、生物にも植物にも数学にも物理にもコンピュータにも関係ないぞ。
道はどこかに続いています。歩くことを止めなければ、どこかには到達すると思うのね。ただ、歩くためには知的な体力(基礎学力)は必要だし、通らなければならない道(問題集をコツコツと解いていったり、文献をじっくり読みこんでみたり)というのもあります。
高木貞二さんの『解析概論』とか、遠山啓さんの『初等整数論』とか、原島鮮さんの『力学』とかを、夏休み一杯かけてコツコツコツコツ読んでゆくとか、そういう体験っていうのは財産になります。
で、そういうものは、たぶん親から与えられるものなのですよ。親が「こうしろ」というのではなくて、親自身が「学ぶ」ということを止めないこと。それは家の中に百科事典や辞書が置いてあって、何かにつけてそれを引いている。コンピュータの使い方でも、新しい料理のレパートリーでもいいから、何かを身につけることを続けること。そういう姿から、子供は学ぶように思うのですよ。
そんなわけで、あたしのアイデンティティというのは、祖父や高校・大学の先生から受けついできた「健脚」と「歩いてきた道程」かな。座右の銘は「毒蛇は急がない」「ゆっくり歩く者は、遠くまで行く」。
そういえば、うちの高校の陸上部が作った映画のタイトルが、いまだに気に入っています。
『健脚商売』。
(Maria)
すみません、ちょっとこの場をお借りします。
釈さ〜〜ん、えころ寺が、あかないの。どしたのかな??
こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
デイケアや作業所を、カッコ悪いと言います。 しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います) パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日、「今日は何しようか」ばかり言います。 皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。
よろしくお願いします。
てらばさんへ
先の書き込みお名前まちがえてました。すみません。
>オレンジブルーさんへ
>「君は一体どういう眼をしているんだ?すごいなー」って言われていました。
>しかし、この時は自分が自閉とは知らなかったのでした。
言われる言われる
目が良いとかの問題じゃないよね
健常者はどんな目をしているのだろう。
>しかし、かなりハンディーキャップから周囲とは差が在り過ぎますよね(涙)
>ロッキングやクリップの音にずっと聞き入っていると、やはり身近な人には「んん??」と見られるし、「ちょっと、ファックスとどいてるじゃない!ナにやってるのよ!」とすんごい睨まれて、あまりミスが続いて爆発寸前になったらいざ、「障害の説明」をする切り札を用意しようと思っています。
そうなんです、それで、自分の切り札として、
自閉症サイトを作ろうと思ったのです。
先日みなさんにみてもらったよりは形になってきました。
http://members.goo.ne.jp/home/takayo55
健常者を引き付けるためにアインシュタインとかの話をいれてしまいましたが・・・・
まぁ、自閉症だって障害だけではないって知って欲しいな
っていう部分もありますしね〜〜〜〜
ネクラに悩んでばかりじゃないんだよ!って
オレンジブルーさんの液晶の話はそういう意味で良いエピソードですね
紹介させてもらって良いですか??
>っつーか、気付くよね。普通。「何かオカシイわ、デキナイようだ」って。
知的障害とかないとそうは思えないらしいです。
できる事は才能を発揮するし
こっちはできるのに、こっちは出来ないなんてはずは無い
そう思ってしまうそうです。
隣のLDの子は可哀想でした
先生にも家族にも覚えられないって解ってもらえないんです
・・・・・
グルンサさん wrote:
>> ちなみに現時点では5人の人から参加の申しこみがありま
>>す。緊急連絡先はDMで参加希望者に送らせていただきます。
>>
>> 当日、みなさんとお会いできることを楽しみにしておりま
>>す。では
>
> わたしも参加希望します。
了解ですじゃ。ちなみにわたしの緊急連絡先はご存知ですか
の〜???
ともあれ、これで参加希望者6人目、と。
百日紅(さるすべり)さん wrote:
>武田好史さん wrote:
>> 動物の剥製を見ると、パニックになっちゃう??怖い(°へ°)
>>当日のかはくの案内は、僕が担当することになるかも……
>
>多分大丈夫でしょう。
>ご心配、どうもありがとう。
では、当日行く博物館は科学博物館ということでよろしいでしょう
か?特に参加希望者の異存がなければそれで決めてしまいます。
むかし、大学のサークルで目黒寄生虫館ツアーを企画しようとして
ヒンシュクを買ったことがある こうもり
武田好史さん wrote:
>>ティータイムになったら、お茶をしながら話し合う。(い
>>> ちおう5:00ぐらいには解散)
>>>
>上野にある喫茶店を検索で調べたら次の2店が出てきた!
>>
>カフェラミル上野広小路店
>http://machi.goo.ne.jp/03-3839-0816
>
>ドドールコーヒーショップ上野6丁目店
>http://machi.goo.ne.jp/03-3837-4907
情報提供ありがとうございました。どっちがいいか検討し
てみます。
たかよさん wrote:
>てらばさん wrote:
>>今思えば、私に出来る仕事は郵便区分の仕事しかなかったです。クビになったのだから、
>>もう戻れない....窓口にさえ入れられなければ.....
郵便局の区分け、わたしも高校生の時バイトでやっていましたよ。あれ面白かったです。
>まだまだ世の中には沢山の種類の仕事があります。
えーっと。わたしの今までやった中では、パソコンや電子手帳の液晶画面の検査は
かなり周囲にも重宝がられましたよ。
「周囲に見えない汚れ」をいち早くキャッチし、その分類表を自分で追求して勝手に作り出し皆に喜ばれました。
しまいにはその原因調査を依頼されていました。体力が続かなかったけど、「給料上げるからいて欲しい」といわれました。顕微鏡検査などもありました。
「君は一体どういう眼をしているんだ?すごいなー」って言われていました。
しかし、この時は自分が自閉とは知らなかったのでした。
>たらばさんの見たのはごくごく一部だけです。
>ニガテな仕事でも、上司の理解が得られればまた違うと思います。
>今の職場でも私の抱える難しさを理解し、
>心配してくれる人が居ます。
>上司ではないので、私をかばう事はできません。
>でも、そういう人がいるってことは、
>そういう風に思ってくれる上司となる立場の人がいるかも知れません。
>世の中鬼ばかりではないですよ。
そうですよ。私もバイト先の先輩的な人にこの障害について伝えまして、
「外注する性格の仕事だと、すごく能率も上がるし作業し易い」ことや、
仕事上のミスを連携でカバーしてもらう為に、利点と欠点を伝えました。
「仕事」やっている関係の、ある意味運命共同体ですよね。
「全然そういう相談なら構わないし、困ったことがあったら何でも聞いてくださいよ。」と言ってくれて涙ちょちょ切れでした。
しかし、かなりハンディーキャップから周囲とは差が在り過ぎますよね(涙)
ロッキングやクリップの音にずっと聞き入っていると、やはり身近な人には「んん??」と見られるし、「ちょっと、ファックスとどいてるじゃない!ナにやってるのよ!」とすんごい睨まれて、あまりミスが続いて爆発寸前になったらいざ、「障害の説明」をする切り札を用意しようと思っています。っつーか、気付くよね。普通。「何かオカシイわ、デキナイようだ」って。
武田好史さん wrote:
>引きこもり中・経験者の方に質問します。
わたしは以前、スーパーテレビを見た印象から引きこもりは「我が侭だ」発言を致してしまった者ですが、
例えば、「自分の腹が減ったから食料を買わねば」という場合、何らかの訳があって外に自分で出られない、作れないというのは分かるのですが、超簡単なことでも何でも周囲の家族にやってもらっているダラケが「引きこもり」という意味でわたしは取っていました。一歩も外に出ないで家にいてレトルトの昼食まで母親に大量に買って来てもらっている人は、やはりちょっと「謎」でしたよ。
「何もしていないで家にいて動けるなら飯ぐらい自分で動いて作れるじゃろお?」という思いでした。わたしの場合、何かに集中していると、食事をとるという事自体がすっ飛び顔がこけて初めて「ご飯まだだ」ということはよくありますが。。。
わたしは今働いていない状態ですが、できる範囲で家事やら自分の身の回りは自分でやっていますです。
この障害の何か解決法がきっとあるはずだ、生き残る為に何かできるとっかかりをどうやっていけば良いか、話しをします。
今は働いていない状態なのですが、これは心理的作用などからずっと家に「引きこもっている」訳でもないのでした。
外に出たら出たで、伝達の悪さでズレは絶え間無く続き哀しくなることの方が多いですが。。
>1.周りの人の接し方で困る(た)ことは何ですか?
いきなり自分のことを聞かれ話し掛けられる世間話ですかね・・・。
特に「若いからねえ」なんて会話は全然よく分からないですよ・・・。
何かをやっている最中にちょっとした注文をされて「あれしておいて、これはどうなった?」と四方八方からいわれ、「しておいてっていったでしょ!」と怒られっぱなしは困りますね。
「できない」んだから。メモでも顔に張って欲しいです。
体力が周囲と同じように持続できないこと。単純作業はむしろ続く。
>2.あなたはどんな感じの癒しが欲しい(欲しかった)のですか?
人とのうまい間をとって自分のポジションが安定することですね。
>3.引きこもりの体験を人前で話すとなったら、抵抗を感じますか?
わたしは「引きこもり」という状態の理由を人前で演説しているのでした・・・・。
武田好史 wrote:
> 動物の剥製を見ると、パニックになっちゃう??怖い(°へ°)
>当日のかはくの案内は、僕が担当することになるかも……
多分大丈夫でしょう。
ご心配、どうもありがとう。
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