アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みなさんの中でオフ会の案内やお約束の時に、
掲示板上で「どこそこに何時」「服装はこんなです」とか言うような
発言をなされている方がいらっしゃいますよね。
そういうのって、ものすごく怖くないですか?
「アスペなんて人間じゃない」なんて思っている悪意ある人物も
この掲示板を覗いている可能性がありますよね。(それも多数)
そういう人がそういう情報を知ったら怖いと思いませんか?
そういう悪意の人間が、その時間その場所に行って、集まった人間を見て、
そしてある特定の人物を狙って自宅まで後をつけて、そして嫌がらせを始める。
そういう可能性もないわけじゃないですよね。
怖いと思いませんか?
ここで、そういうオフ会の案内や約束を見る度に、
他人事ながら不安になってしまいます。
できたら時間・場所や目印等は、万人には分からないように
メールでやり取りした方がいいと思うのですけど・・・。
みりあむさん wrote:
> ●●●新著案内
> 『平行線・・ある自閉症者の青年期の回想』 森口奈緒美 著
そういえば、戸部けいこ『光とともに… 自閉症児を抱えて』(秋田書店)の2巻も書店の店頭で見かけたぞ。
自閉症児を“抱えて”という副題がちょっと気になるのと、光くんが可愛いすぎてご両親が美男美女なのがちょっと気にいらないけど、まあ、そこんとこは作画上のお約束ということで(^_^;)。大和和紀さんの『はいからさんが通る!』の花村紅緒さんだって、本当なら「ジョン・デンバーまっ青の丸顔」で「見事なちんくしゃ」のはずだしな。
(Maria)
近くにあり
しかも捉えがたい神。
だが危険のあるところ、
そこに救うものもまた育つ。
くらやみの中に鷲が住んで居るのに
恐れげもなくアルペンの子らは
深淵を越えて
あやうげな橋を渡る。
まわりには重なり合って取り囲む
時の峰々、
愛し合う者たちは
近くに住んで居りながら、疲れ果てて
最も遠く離れた山と山とに離れ居る、
だからけがれなき水を与えよ、
おお、翼をわれらに与えよ、最も誠実な心して
超え行きまた帰り来るために。
( by ヘルダーリン 川原栄峰訳 )
みなさま、つじっちさま、こんにちは。みるらと申します。
つじっちさまのお考えについて、Mr.Motoさんとほとんど同じような考えでおります。
つじっち wrote:
>私には、皆さんのほうが「マトモ」で
私は、自分で言うのも何ですがかなり「マトモ」に見えると思っております。
物心ついたときから「普通に」「マトモに」なれと言われて40年弱、
ただそのためだけに様々なことを犠牲にして精進し、環境にも恵まれた結果です。
何しろ小学校のとき、将来の夢に「普通の主婦」と書いていたくらいですから……。
そしてその結果、あたりまえですが大切なものをずいぶん落っことしてきてしまったようです。
今になってDr.から言い渡されたのは「子供時代からの生き直し」。
やっぱり「マトモ」にはなれなかったのです。なろうとしすぎてはいけなかったのでした。
今から私は「マトモ」ではない人生をやりなおすことにいたします。
お若い方が、こんな2度手間人生をなさることのないように……というのが私の切なる願いです。
>「人の気持ちに共感できる」ように思えるのですが・・・。
これは痛いところです。「人の気持ち」や「共感」というようなものを
長じてからようやく書物によって理解するに至った者としては、
自分が共感と思っているものが、世間一般でいうところの「共感」であるかどうか
いまだにちょっぴり自信がないものですから。
>AS傾向の息子が成長して人間関係で悩んだら、この掲示板を教えるつもりです。ときどきまた、書き込みさせてください。
お母さまの温かい眼差しは、やはりいちばんの力になると思います。
息子の温かい眼差しも期待している みるら
自閉症方面の子どもの特徴として、
・明確な危険に反応しない。
・痛みに鈍感。
・くるくる回るものが好き。
・こだわり。
といった傾向が見られる、という話があります。で、これは自閉症の中心症状(「症状」と言っていいのかどうか)である「関係性の発達障害」に直接起因するものではなく、変性意識状態に入りこみやすいという傾向に起因する、という可能性がある、ということを、以前ちょっと述べました。
そんでもって、須原一秀さんというひとは、「変性意識は、『価値』や『意味』と不可分に結びついている」と言っていて、「変性意識状態では、自己保存本能、あるいは自己防衛機構が弛んでいる」と指摘しています。
でまあ、あたしが問題にしたいのは、「関係性の発達障害」と「変性意識」の関係というのはいったいどうなっているのか、ということなのですね。
たとえば、「目の見えない人は、聴覚が発達する」みたいな形で、「関係性が把握できないことから起きるパニック等を避けるために、変性意識に入り込むことを身につけた」という可能性があります。あるいは、空間認知の能力がすぐれているというところから、絵画的能力がすぐれていると同時に方向感覚もいい、みたいに、同一の原因からそれぞれが派生している可能性もあります。
うーん。困ったな。ぽりぽり。(←頭を掻いている)
変性意識と「意味」あるいは「価値」の関係という点に関しては、たとえば「タヌキ寝入り」みたいな状況が想像できます。つまり、万策尽きたときに、何もできなくなって対処すること自体を放棄してしまう(つまり、変性意識状態に入っている)。だけど、その結果助かっちゃうことが、あるわけです。で、後になって、その「助かったこと」の原因を懸命に模索するのね。あるいは、対処できないような悲惨な事態が起きたあとで、「なぜそういうことが起きたのか」ということの原因を模索しようとする。で、その過程で、そうした出来事を「消化」するのに、「意味」とか「価値」とかが必要になってくる。で、消化しきれないとPTSDを起こす、とかいった説明は可能ではあります。なんか話がうますぎてちょっと気に入らないけど。
たとえばの話、です。人間というのは「文化」とか「文明」とかいったものを生み出してきました。つまり、「本能」という、「もとから組み込まれているもの」ではなく、「文化」とか「文明」とかいった、「後から伝わるもの」に、世代から世代へと伝わる情報をシフトさせることで、生き延びてきたわけです。その意味で、あんまり強力すぎる本能というのは邪魔なのね。本能丸出しの人間は、文明社会では生きてゆけません。後から与えられた「文化」「文明」をよりどころにして、生きていってくれなければ困るわけです。そんなわけで、人間はサルよりも胎児により近い状態で生まれ、本能というものをほとんど持ち合わせておらず、「文化」や「文明」を本能に代わるものとして成長するわけです。
ところが、気の早い個体が、まだ捨てるには早すぎる本能を捨てて生まれてきちゃったらどうなるだろう、とあたしは考えてみました。「自閉症」というのは、そういうものなのではないだろうか、と。自閉症の人間は、新しい人間の進むべき方向を模索するために播かれた種なのではないだろうか、と。
そうすると、「関係性の発達障害」というのは、本能がちょっと弱い、というのが起因してんじゃないか、と思ったりもするのですね。「だけど、サルの他者認識って人間みたく発達してないじゃん」と言われると、「うーん……」と困ってしまうのですけれど、健常者が本能のレベルで他者を認識しているのに対し、自閉症方面の人間は理性で他者を認識していて、結果的には似たような(あるいは、本質的に同じ)対人関係にたどりつく、という意味では、「本能→文化」というシフトが起きていると言えないこともない。
で、そうした「本能→文化」という流れの中から、「先験的な価値観」「先験的な意味の獲得」というありかたから、「体験から得た価値観」「体験から得た意味」にシフトしてきた結果、変性意識状態に入りやすくなっている、という考え方ができるわけです。
……自分で言ってて怪しげだなぁ(-_-;)。
つまり、人間に個性というものがなくて、みんな一緒だったら、ダメになるときもみんな一緒にダメになっちゃうんだト。そこで、それぞれの人間がそれぞれ体験した経験にもとづいて、いろいろと生き方のバリエーションをもって生きたほうが安全なんだト。で、それには本能べったりの画一的な生き方をしてたんじゃダメなんだト。だから、本能がちょっと緩い個体がときどき生まれて、素っ頓狂な生き方にハマって生きてみたりするんだト。で、そういう中から、いろんな人間のありかたというのが生まれ、人類の可能性が広がってゆくんだト。
そんなええもんかい、という気はするのですけどね、あたしたち自閉症方面の人間は、「人類の試作品」「人類のテストピース」(モルモットという気もするけど)なのではなかろうか、という気が、しないでもない。
ただ、単なる個体では、遺伝子プールとしては役に立たない。ある規模を持った集団として、「棲み分け」をする必要がある。そのためには、明確な方針というのが必要なので、「ただなんとなく他人と違ってみた」とかいうのでは、あんまり役にたたない。「われわれは、これこれこういう理念に基づいて、独立した集団を作るのだ」といった、「多極化」が、進化の過程ではどうしても必要になってくる。だからこそ、『「どっちでもいいこと」が決められない』んじゃないだろうか、とも思ったりするのですね。何か、核になるというか、求心力として働くイデオロギーみたいなもの、すなわち、ある程度普遍的な「意味」とか「価値」というものが必要になってくる。
そういったことが、「自閉症」というものの存在の根底にあるのではないか。そう思ったりもします。
「イノベーター気質」「お先棒担ぎ」「堤灯持ち」といった特性が、自閉症方面の人間には、本来的にあるのかもしれない。
どうなんでしょうか。
(Maria)
武田好史 wrote:
>つじっち wrote:
>>>私には、皆さんのほうが「マトモ」で「人の気持ちに共感できる」ように思えるのですが・・・。
>
いえいえ私は、30といういい年になっても、自分でお金を稼げない馬鹿な息子に過ぎません。
ωωω
C・ヽ・)
( へ )
l l
l l
つじっちさん wrote:
> こちらの掲示板で拝見する限り、(ごく一部の方を除いて)皆さんは知識も豊富で他人の痛みや悩みを真摯に受け止め、共感できる力・状況を客観的に分析する力が備わっています。
> 私には、皆さんのほうが「マトモ」で「人の気持ちに共感できる」ように思えるのですが……。
老婆心ながら、ひとこと言わせていただきたく思う。
おれなんかは子どもの頃から「ヘンな奴」扱いをされてきたのでついつい「マトモ」であろうとしてしまう(←それでもこの程度かい(-_-;))。ただ、そういう生き方が息苦しいのは確かでもあって、むしろ過剰適応気味という気もしないでもない。
実際のところ、「多少扱いにくくはあるが、悪いひとではない」くらいのポジションというのが、われわれみたいに根っから「ヘンな奴」には生きやすくはあるのだ。キれるべきときに断固としてキれる、というのがわれわれには難しいので、どうしても適当に丸めこまれてしまって割を食うことが多いのである。
ASの融通の利かなさは、ひょっとしたら「障害」ではなく、社会に適応して生きるための手段なのではないかと最近思うようになった(この件についてはMariaにゆずるが)。ASはあんまり「マトモ」に育てんほうがいいかも知れない、というのを頭の隅っこにちょっとだけ置いておいてもらいたい気がする。われわれも「ASなりのマトモ」を追求した結果、こうした「マトモさ」を身につけたような気がするから。
(Mr.Moto)
あんくさんwrote:
> 私としてもこれ以上煽るつもりはないのだけれど、弱い者への攻撃にだけ
>はお互い気をつけましょう。
了解です。しばらくは蝙蝠(激怒型)の兄貴がいつでも出てこれるように、
スタンバイしときます。
元々、激怒型の兄貴はこういう時のために生み出されたようなものでした
から。
●●●新著案内
『平行線・・ある自閉症者の青年期の回想』 森口奈緒美 著
発行:ブレーン出版 http://www.brain-shuppan.co.jp
定価¥2.800円+税、ISBN4-89242-680-6
2002年2月20日 発売
★『変光星・・ある自閉症者の少女期の回想』の続編です。
久々に書き込みさせていただきます。私は現在某ガス会社で電話受付のパートをしてます。毎日数十本の不特定多数の電話に応対していると、「マトモ」でない人の多さに呆然とします。顔の見えない「電話」という媒体がそうさせるのかもしれません。社会人・家庭人・会社人として問題なく暮らしているであろう人たちの、傲慢さやふてぶてしさ、横暴さをまざまざと見せ付けられます。自分を恥じることさえないその態度は、到底「マトモ」な精神構造とは思えません。私は幼いころから、人に迷惑をかけない・ウソはつかない・他人を見下さないのが「マトモ」な人間であると教えこまれてきました。今でもこれらは間違ってないと思ってます。今年小学生になる息子にも同じように教えてゆきたいのですが、世の中の荒れ様に不安を感じます。
こちらの掲示板で拝見する限り、(ごく一部の方を除いて)皆さんは知識も豊富で他人の痛みや悩みを真摯に受け止め、共感できる力・状況を客観的に分析する力が備わっています。
私には、皆さんのほうが「マトモ」で「人の気持ちに共感できる」ように思えるのですが・・・。
AS傾向の息子が成長して人間関係で悩んだら、この掲示板を教えるつもりです。ときどきまた、書き込みさせてください。
あんく wrote:
>こうもりさん wrote:
>
>> だいじょびです。きっと第2のchip氏や妖精
>>氏が登場してくるはず。
>
> 彼氏の行動パターンを見るに、書込みは週末に集中している模様です。学校か仕事の合間にアクセスして来ているのか?来週末あたりがXデーなのではないかと、私はにらんだね。
> 私としてもこれ以上煽るつもりはないのだけれど、弱い者への攻撃にだけはお互い気をつけましょう。
案外兄弟に引きこもりかASみたいなやつがいて、ほとほとに業を煮やしての凶行かもしれない…
こうもりさん wrote:
> だいじょびです。きっと第2のchip氏や妖精
>氏が登場してくるはず。
彼氏の行動パターンを見るに、書込みは週末に集中している模様です。学校か仕事の合間にアクセスして来ているのか?来週末あたりがXデーなのではないかと、私はにらんだね。
私としてもこれ以上煽るつもりはないのだけれど、弱い者への攻撃にだけはお互い気をつけましょう。
ホウギョ改め芳魚さん wrote:
>芳魚(ヨシウオ)と申します。
>ろくに発言や書き込み等をしている訳ではありませんが
>三月三日の上野オフ会に参加したく打診しました。
>ウジムシの中傷が少々イヤですがASについてもっと見聞を深めたいので
>どうかよろしくお願いします。
了解です。確かに参加を受けつけました。もし可能であれば下記のメー
ルアドレスまでメールを送っていただけると幸いです。
(連絡先)seijinld@msg.biglobe.ne.jp
ふれさん wrote:
>みんなが色々なコメント書くから、奴も調子に乗るのです。何にも言
>わないのがいいと思うのだけど。こういう私もコメントしちゃったこ
>とになるけどね。
基本的にはそうしたかったのですが、昨日の場合は議論をしている
最中だったたかよさんに多大な迷惑をかけてしまったこともあり、お
詫びの意味も含めて妖精氏への反論コメントを書いておきました。
たかよさんへ
ほんとうに巻きこんでしまってごめんなさい。
黒Mariaさん wrote:
> 出番がなかった……ずるい。ずるいぞー(T_T)。
>
> (黒Maria)
だいじょびです。きっと第2のchip氏や妖精
氏が登場してくるはず。わたしとしてもそういう人
が登場してこないと、激怒型や悪魔型が発動しにく
いんです。最近も激怒型の兄貴から「出番がないの
になぜ作った!!?」こっぴどく怒られております
る。ふう…
I wrote:
> おれ自身にしても、分別臭いすれっからしの大人である自分より、アスペっ子である自分のほうがよほど好ましく思う。信じてもらえないかも知れんが。
> (Maria)
↑アスペっ子である自分
↓分別臭いすれっからしの大人である自分
(Mr.Moto)
武田好史さん wrote:
> バキュウムカーやゴミの収集車の人をさげすむなかれ!
> 彼らがいるから町はきれいになる。
そういう視点というのはいかがなものかな(-_-;)。
「役立っているから、蔑むな」という主張には、その根底に「役立ってはいるが、穢らわしい仕事」といった視点があるように思う。
「役に立つから」という視点は確かに重要ではあるのだが、それ以前に「仕事における創造性」とか「仕事それ自身の価値」というものに目を向けるというのが正しいありかたのように思う。
近代においては確かにゴミだの埃だの排泄物だのは単に無用のものという位置づけになってるのだが、そもそも中世においては生命の根源たる「聖なるもの」だったりもするのだ。古代日本においてもそれは同様で、『古事記』『日本書紀』を読んでいただければ、「穢れ→豊穣」という一貫した原則があることが見てとれる。
また、屎尿というのは十分に醗酵・熟成させることによって安全かつ優良な肥料になる(筒井康隆の『最高級有機質肥料』とかを思い出す人もあろう)のはよく知られたことである。かくして江戸の町は世界に例のない清潔かつ安全な大都市として四百年の長きに渡り存在しえたのである。同時代のパリやロンドンや北京とかいったら伝染病は蔓延するわ犯罪は多いわと、お話にならんくらい不潔で危険な町だった。
おれは「資源リサイクル」という発想自体がどっか違うと思っている。そもそも自然は循環しているのだ。それを「開発→利用→廃棄」という直線的な視点で捕えるところに発想の貧困を見てしまうのである。
> 町の道路に穴を掘ってそのなかで作業をしている人をさげすむなかれ。
> 彼らがいるから電気・水道・ガス・通信が正常に我々の元に届き、町は下水道で汚物に繁殖した悪い微生物から守られているのだ!
どうでもいいことだが、「水道方式」で有名な遠山啓(とうやま・ひらく)さんと同じ字を書く遠山啓(とうやま・けい)さんという人がいて、その『下水道』という著作がある上下水道の専門家である。
上水道が上で下水道が下、というのは単なる位置関係あるいは水圧の問題であり、動脈と静脈のどっちが上でどっちが下、という問題ではなかろう。
さらには微生物濾過に使われる原生動物なんかは顕微鏡で見ているとまことに愛らしい。
> 堆肥混じりの泥まみれになって畑を耕す人をさげすむなかれ!
> 彼らがいるから我々は本当に美味しい野菜や米を口にできたり、呼吸に必要な酸素の一部を確保できる。
「生きた土」というのはそれ自体美しいものである。まあ、ときに炭疽菌やら破傷風菌やらレジオネラ菌やらが巣食っていたりするのがちょっとイヤだが、子どもは土が大好きだ。とくにアスペっ子なんつったら「うふふふふふふふふ」である。北米インディアンの一部はこうした「聖なる土」をほじくり返すことをよしとしないので、原則として農耕というものをしない。彼らにとっての「農」は、神の許しを得て大地の恵みを戴く、という宗教行事の一部である。それは日本人にとっての「米」と同じものだ。そんなわけで、「米を作る」というのが天皇の重要な仕事だったりするのである。
> 在宅や病院に入院したり・作業所やデイケア施設で暮らしている精神障害者をさげすむなかれ!
> 彼らは今、自らの疲れた心に空色の希望の種がまかれ、ゆっくりと明るい明日という大樹が育っていくのを待っているのだから…
この件についてはちょっとコメントしづらいのだが、回復の見込みがなかったらどうするのか、みたいな点だけは指摘しておこう。
文化的にいうと、女・子ども・老人・白痴・狂人は「神に近い者」「神との通行の仲立ちをする者」という役割が古来からあった。人間の本来の性とはいかなるものか、というものを具現する者として、こうした者たちは世の標(しるべ)とされたのである。
おれ自身にしても、分別臭いすれっからしの大人である自分より、アスペっ子である自分のほうがよほど好ましく思う。信じてもらえないかも知れんが。
(Maria)
バキュウムカーやゴミの収集車の人をさげすむなかれ!
彼らがいるから町はきれいになる。
町の道路に穴を掘ってそのなかで作業をしている人をさげすむなかれ。
彼らがいるから電気・水道・ガス・通信が正常に我々の元に届き、町は下水道で汚物に繁殖した悪い微生物から守られているのだ!
堆肥混じりの泥まみれになって畑を耕す人をさげすむなかれ!
彼らがいるから我々は本当に美味しい野菜や米を口にできたり、呼吸に必要な酸素の一部を確保できる。
在宅や病院に入院したり・作業所やデイケア施設で暮らしている精神障害者をさげすむなかれ!
彼らは今、自らの疲れた心に空色の希望の種がまかれ、ゆっくりと明るい明日という大樹が育っていくのを待っているのだから…
我を殺せ
我が意志で
消すことの出来ぬ
この身体
汝の血を以って
我が身を描いてくれ
汝の命で
我が命を生かしてくれ
殺すことでしか
実体化出来ぬ
この存在
汝の吐息で
我が魂を
燃やしてくれ
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