アスペルガーの館の掲示板(旧)
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Niki Lingko(マルハナバチ) wrote:
>いやー、KOさんの質問がじゃなくて、KOさんが引用しておられる先生のお話が
>難しくてさっぱりわけわからないもので・・・
さらに、質問の内容自体が、ちっともおもしろくない(笑)
>>「自閉症の人は、時間と空間の中に自分を位置付けることができない。」
なんせ、忙しいそうな先生だから、先生の所に行って質問できなくって・・。
(最後の質問の時間に、多勢の前で質問するのは、恥ずかしくって・・・)
>>また、「終わりと始まりの概念がない」んだって。
>これも、意味不明。
ごめん。これは私が悪い。実は、これにはエピソードがあったんですよ。
あるお母さんの話があったんです。彼女の子供はトイレの後、何度言い聞かしてもトイレの水流しを止めないらしいのです。それで、そのお母さんはずーと困ってたみたいなんですけど、それが、トイレの使用手順を示したした絵に、最後に”おわり”という言葉を付け加えると、それまでずっと直らなかった水を流し続ける動作がピタっと止んだって話です。
私は、何かをしだすと途中では止められなくなって融通が利かないが(困ったもんだ)、 ↑という意味では、無いからね。
>>あと、自閉症の人は、
>>「ひどいこだわり 自傷 睡眠障害」 なんだって。
>これは、全員に全部がそろっていないといけないってことはないんじゃないかな? ある人もある、っていう意味じゃないでしょうか。
これね、先生が上記の様に言われたんで、私は、「そうか、これが全部揃って自閉症なんだ。だとしたら、私は違うのか? 」って思い込んじゃったんですよ。
実は自閉症ではないのに、自分でそうだと思い込んで勘違いしているのは、無意味ですから。 (私は、ただのレッテルが欲しワケではない。)
>私は、こだわりはあるけど軽いです。しかも、この軽いこだわりがないと生活習慣が崩壊するからな。自傷はやりますよ、たまーにね、必要に応じてホドホドに。
自傷は、不安を軽減するための行為だとか。自傷をすると落ち着くとか?
テンプルさんは、頭をコンコンと壁にぶつけるとか。
私にも自傷らしきものはあります。緊張が続くとやってしまいます。
#直らないし、自分で止められない。(コントロールできない)
#私の自傷は、ちっとも役立ってくれているもんじゃない。(グチ?)
マルハナバチさん、ありがとう。モヤモヤしていたものが、すっきりしました。
よかったー。
今まで、私もコレに属すると確信し、(同じ人達がいたので)少々、安心してたもんですから。
小説になった『君が教えてくれたこと』の案内ありがとうございます。
koushin wrote:
> なお、発売は6月30日の予定ですが、現在特典つきで下記のHPにおいて予約注文を承っておりますので、よろしければ一度お立ち寄りください。
>
> http://www.koushinaya.co.jp/
見ようと思ったのですが、つながらないみたいです。お休み中かな。
はじめまして。
このたび「君が教えてくれたこと」のノベライズを刊行させていただくことになりました。
「少しでも多くの人に自閉症の正しい理解を」という制作サイドの姿勢に共感し、つくってきたつもりです。
小説中に自閉症の説明を加えたり、ドラマよりもわかりやすい内容になったと思っていますが、
ぜひ皆さんのご感想もお聞かせいただければ幸いです。
なお、発売は6月30日の予定ですが、現在特典つきで下記のHPにおいて予約注文を承っておりますので、よろしければ一度お立ち寄りください。
http://www.koushinaya.co.jp/
おひさしぶりです。まりあです。
このページに出てこなかった間も、実は、ずっとみなさんのお話を聞かせていただいていました。(いやーん!のぞき見してるみたい?)
最初にここにやってきたときは、なんだか凄く不安だった。
それも、訳の解らない不安?「自分はどうなっちゃってんだー」とか
「なんか変なのかー?」とか「どーすりゃいいのさー」とか。
とにかく、つかみ所のない不安があって、迷子だったんだと思います。
今?実は何も変わっていないのですが、なんか、大丈夫だー!って気がしていて、ひさしぶりにこれを書かせて頂いています。
これは単なる心境の変化です。
でも、これって、私の中ではとっても有り難いことでした。
今日の昼間に友人と長電話をしました。
この電話で、自分の不安の中身を友人にちゃんと説明できたこと!
なんか、整理がついてきたって、感じなんだと思います。
これって長く書いちゃってます、ごめんなさいね。
ここにはじめたきたときには、つかみ所がなかった自分のことを、
少しわかってきたのかも知れない。
ここ1年半ぐらいの間に、私の仕事環境が大きく変わったんです。
同じ仕事をしながらも、
自分で飛び出したわけでもなく私はフリーの立場となりました。そして、
勤めていた会社の別の部署から仕事をもらう立場になった。
キャリアはあっても、人間関係が全く新しくなったんですね。
そして、新しい雑務の山があらわれた。
それに対して、相談相手がいなくなった。
以前からの職場の同僚は近くにんたんだけど、部署が変われば私の事情を
掴みにくくなるでしょ。それに、新しい部署の人とはどこまで親しくしていいのやら解らなくて。(だって、社外の人になったんだから。頼っていいところと、踏み込んではいけないところが出てくるでしょ。)
私はいろんなストレスをね、溜めるタイプなんだと思うんだけど・・・
いろんな失敗とか、後悔とかが重なって、たくさんのナゾとなってて
そのうち自分の中で反省すべきことになって。
でも、実体が見えなかったんです。
ここに書けるようになったのは、つまり、
自分が何を苦手としているかが解ったからだと思うんです。
みなさんの話の中に出てくるエピソードが、私のナゾを少しずつ解いてくれていたんだと思います。
電話のむこうの友人は「大変なことがたくさんあったんだね」と、言ってくれました。具体的に、今までの経緯を話しまくったわけではないけど、私の話を聞いて、その中にいろんな出来事があったことを感じてくれたみたいです。
「私は、他の人ならわかる程度のニュアンスを汲み取れないことがあるよね。」って、思いきって聞いてみました。
友人は、ちょっと困っていたけど、あることを認めてくれました。
そうして、今まで話し辛かったこと(実は、この友人とは、数年前に、ニュアンスを汲み取れなかったことや、お互いの感覚のずれから、大きな喧嘩をしたことがあったんです)を、自然と話すことができました。
「今日、話ができて良かったね」って言って、私達は電話を切りました。
私には、たくさんの友人がいて、今までは職場でも、その人たちに助けられてきたんだと思います。
きっと、私がこの友人との喧嘩で初めて気付いた、自分のコミュニケーション能力の課題を、周りの友だちはずっと前から感じていた。
恐くてきけなかったんだけど、すでに助けてもらっていたのだと思います。
で、今回の環境変化で、新しい人間関係の中で、この課題が、問題として出てきてしまって、私は驚いてしまい、迷子になった!きっと、そうだ!!
本当に、本当に、長くなってしまいました。ごめんなさい。
でも、自分でも、こんなにハッキリ、説明できるとは思わなかったので、
うれしくって。
みなさん感謝します。
もちろん、たくさんの友人達や、今日の電話の大切な友人にも。
こんなに長く書いたけど、
この話は小説ではないので、まだまだこの先は続く(というか目の前の問題はひとつも解決してない)のだけれど、行けそうです。
また、たまに、オジャマシマス〜!!ありがとう。
たま子 wrote:
>(マルハナバチさんも大学に行かれたのか、本を翻訳された経験に
>生かされているのかな?やっぱり。
大学で習った内容自体は、全然役に立ってないです。
それ以前に、後で役に立つような科目を選べばいいんだってことも知らなかったし、何が役にたつかを知る術もなかった。
大学に行ったのは、保育園のときにこだわりの本だった、平凡社の「えほん百科」の「がっこう」というページで、幼稚園の次は小学校、次が中学校、高校、その次になぜか「大学」と「調理の学校」と「テレビの修理の学校」が載っていたせいだと思います。調理は習わなくてもできるし、テレビの修理は難しくてできそうにないから大学しかないやと思ったようです。
さて、大学で習った内容は役に立っていませんが、大学で学んだことは一つあります。前の書き込みを見てもらえればわかりますが、「集中講義だと、なぜか自分は見ちがえるように勉強に身がはいる」ってことです。
これをきっかけに、っていうか、ヒントにして、「自分はいろんな作業の間で頭切り替えるより、一つだけのことを長時間やる方がいいんだなあ」と気がついたのでした。
だから、翻訳をすることにしたときに、書類や論文といった、短い、小さい仕事を数こなすのではなく、書籍のような時間のかかる物を数すくなく手がけるようにしようと思ったのは、そのときの教訓によるものです。大学で学んだ最大の財産はこれでしょうかね。
私が英語を勉強したのも、大学を離れて何年も何年も後のことだし・・・
>進級できなかったということは、
>留年?単位は残ってるのかな?
中退しました、2回とも・・・
単位は・・・ どうでしょう、あるんじゃないかなあどっかに(爆)
ああ、もう一つ、中退したことが役に立ってるってのもありますね。普通に就職活動できなかったし、履歴書がボロボロ。履歴書に書けることがない。突っ込まれたら答えられない。
だから、「履歴書を見せずにすむようにがんばろう」とか、そういう突っ張りにはなっています。「学校もとちゅうでやめてるし、職歴ナシだから、ここでふんばらないと、ツブシがきかないぞ」と、自分に言い聞かせることができる。
学歴がない、免許も資格もない、ということで、過去の作品と企画書しか頼りにするものがない、という緊張感を演出するのには「大学中退」は役立ってます。
KO wrote:
> 誰も、返事くれない。 ちょっと、質問の書き方が乱暴だったかしら?
いやー、KOさんの質問がじゃなくて、KOさんが引用しておられる先生のお話が
難しくてさっぱりわけわからないもので・・・
だれか詳しいかたが答えてくれるんじゃないかと・・・
#(全員がそう思ってたのかな)
>「自閉症の人は、時間と空間の中に自分を位置付けることができない。」との言葉です。うーん、私には抽象的すぎるのかピンとこなかったです。
どーゆうことだろう? 私も全っ然、わからないです。
>また、「終わりと始まりの概念がない」んだって。
これも、意味不明。当てはまるか当てはまらないかという以前に、どういうことを指しているのかがわからないので、当てはまるかどうか、言えませんね。
私は「終わり」っていう概念は持っていたけどなあ。
ただ、何かに熱中したら、時間の流れを『そのときは』忘れるから、始まりや終わりが関係ないというか関心ない状態になるけど。
>あと、自閉症の人は、
>「ひどいこだわり 自傷 睡眠障害」 なんだって。
これは、全員に全部がそろっていないといけないってことはないんじゃないかな? ある人もある、っていう意味じゃないでしょうか。
私は、こだわりはあるけど軽いです。しかも、この軽いこだわりがないと生活習慣が崩壊するからな。自傷はやりますよ、たまーにね、必要に応じてホドホドに。でも、やらない人はたくさんたくさん知ってます。睡眠障害は全然そのケもなし。
誰も、返事くれない。 ちょっと、質問の書き方が乱暴だったかしら?
沢山の事を1度に書きすぎたかしら?
私は、別に自分の事を、レアな障害だ、とか、これで自分のいい訳になるとか
目論んでいるわけではないのです。ただただ、純粋な質問だったんです。
(分らないと気持ち悪いし。)
あっ、でも、今、言いたいのは返事を強制しているわけではないんですよ。
質問が、難しかったかもしれないし。 残念ですが、ではでは。
たま子 wrote:
>もう少し若ければ──というご指摘はもっともです。
>しかし、OLになってからクラシック・バレエの教室に通う方もおりますし、
>50代でフラメンコを始める方もおります、60代から英語を習い始め、
>70代で英会話講師になられる方もおります。中高年になった頃のことを
>考えれば今から「生涯学習」とおもって学校で身につかなかった学問を
>もう一度学び直したいと思ったのですが、無理ですか?
>
私もこれは考えてます。
40くらいで仕事休んで、通信制の大学に入りたいなあと。
ただ、苦手な理工系ではなく、
狙っているのは社会学なんですけどね(笑)。
逸脱の社会学っていうか、スティグマ社会学っていうか、まあそんなやつ。
なぜ通信制かっていうと、通うのがいやなんではなく、
通学制の大学のカリキュラムが、私の注意の切り替えのパターンに合わなかった。
一日だけでも何科目もあって、
しかも一週間に5日(当時は6日)、毎日時間割が違う。
そんなのは私には向いてない。中退してから気づいたけど。
大学のとき、唯一楽しく勉強できたのが、「集中講義」でした。
一週間ぶっとおし、一日ぶっ通しで同じ科目をやれる。
頭を切り替えなくていい(教室も移動しなくていいし)。
それができそうだから、通信制(笑)。
その他に、「学問」としてではなく、
「遊び」として、中学・高校の数学(主に解析)をやってみたい。
それでもし面白かったら線形代数も・・・
これは年取ってからでいいや。ハマり過ぎそうだし。
公文がよさそうだなあと狙っているんだけど、
お年寄りに高校の解析なんてやらせてくれるもんだろうか。
たま子 wrote:
>今まで、自問自答ばかりで誰もコメントできない
>つまんない話ばかりしてきたたま子ですが、
「コメントできない」っていうのと、「つまんない」っていうのは、別々の概念だと思います。つまんなくなくても、文脈的に自己完結しているものは、「コメントしないでおこう」って思うことがありますからね。
>ようやく決心がついたのでここに書き込みをしたかった本当の
>目的を明かします。
>
>実は私はある医療系の資格を取りたいと思っています。
>看護婦よりももっと知識や理論が必要とされるような、
>できれば将来、事故の後遺症により脳に高次機能障害を負って、
>エピソード記憶などの微妙な記憶障害になられた方の治療に役立ちたい、
たま子さんがこれまで、高次脳機能障害の人たちとどういう種類の接触があったのか(身近に当事者がいる、新聞やテレビなどの報道で知った、単行本などの書籍で知った、原因は違うものの症状的には類似の問題をかかえているから親近感がある、等々)は知りませんが、
もしも、「高次脳機能障害の人たちの役に立ちたい」ということが最大の目的なのであれば、(もちろん問題の資格が必要となる職種も含めて)、高次脳機能障害をとりまく職種としては何があるか、当事者たちとのつながり方、関わり方にはどんな種類のものがあるか、思いつく限りリストアップしてみて、その中から大変でなさそうなものを選ぶ、あるいは自分で作ってしまうというのはどうでしょう?
数学が苦手だったら何でもかんでもとにかくあきらめろ、というのではありません。もしかしたら、今のたま子さんがまだ知らない職種があるかもしれない。あるいは、一見、無関係に見える職業の、一見無関係に見える技能を活かして当事者の役に立つことができるかもしれない。
たとえば、アシスティブテクノロジーの情報のクリアリングハウスとか。啓蒙・広報とか。当事者たちが暮らしやすい制度を実現するための法律の改正を求める運動を支えられる仕事もあるかもしれない。臨床も、その中の一つなんですよね(そのうちのどれが、金銭的に職業として成立しうるのかはわかりませんが)。
たま子さんご自身が、現在、既に当事者・関係者の方々と直接のおつき合いがあるのであれば、当事者の周辺でどんなニーズがあるかは、ある程度イメージできることでしょう。それでも、調べればもっと出てくるかもしれない。あるいは、現在かかわられている方とは別の種類の障害の出ている方やその関係者は、別のニーズを持っておられるかもしれませんしね。障害の程度、受傷時の年齢によっても、ニーズは違ってくるでしょう。
たくさん、情報を収集されてはいかがでしょう。あるいは、日本にはまだ存在しないけれども、たとえばオランダやカナダでは成立している職種があるかもしれない。アイスランドにはあるかもしれない。アメリカにはあるかもしれない。その第一号になることもできます。
あるいは、一見関係なさそうな職業について、ときどき、彼らに貢献できる作業を(本業として)受注するという形もあります(私は翻訳家として、普段はアスペともADHDとも関係のない文献を訳していますが、ときおり、アスペの人の自伝や、ADDの本の翻訳をして、出版社からお金をもらっています。)。普通の道具も扱いながら、上肢障害者用の生活用具を扱うデザイン会社や小売り業者なども、これにあたります。
逆に、同様に一見関係なさそうな商売を始め、当事者に向いている作業を発注するという貢献のしかたもあります。お得意さんになって、支払いをすることで当事者を支える方法です。
一方、同様に一見関係なさそうな職業について、ときどきその職業のスキルを、ボランティアで提供する人もいます。離婚訴訟や不動産がらみの訴訟で稼いで、公害訴訟や冤罪事件の弁護をタダ同然で担当する弁護士などが、これにあたります。
いま考えている資格をあきらめなさいって言ってるわけじゃないですよ。情報を集めて、選択肢はできるだけ多くしておいて、その中から選びましょう、ってことです。そうやって、比較検討して、やっぱりその職種しかないってことなら、それはもう、何とかするしかない。
だけど、こうして最初に思いっきり選択肢を増やしておけば、万一、どれかに挑戦しかけて断念するようなことがあっても、途中まで身につけた技能を、よそに持って移ることができます(万一挫折したときに、次の選択が、ゼロからの再出発ではなくなるわけですね)。
さて、ご質問の数学ですが・・・ 私も数学ダメダメ人間の理科系ダメダメ人間なんで(じゃあなぜ理学部へ行ったんだよ!)、さっぱりわからないです。実は私、教養課程の自然科学分野でつまずいて、進級できなかったんですよねー(爆)
たま子 wrote:
>LDのそれぞれの特徴を活かした学習指導とか
これについてはまず、たま子さんがどのようなタイプのLDかと言う
診断が無い限り対策の打ちようが無いのです。
LDは義務教育期間を過ぎればよほどのことが無い限り診断される事
は無いです。と言うのは、LDと言う概念は発達障害としてとらえら
れているためです。
ただし、LD影響(後遺症)を強く残している場合は診断される時があ
ります。
それとですが・・・・
たま子さんはだいぶ数学が苦手なようなんですが、お歳を考えるとも
うご自分の得意な分野を生かした職探しの方が良いかと思われます。
確かにもう少し若い頃であれば、得て不得手別にして自分がやりたい
事をやってもよろしいかと思われますが、今は自分が"出来ること"を
軸にした良いかと思われます。
ちなみに僕も数学(物理も)は苦手で、高校卒業時の偏差値は28でし
た。そのため幾らやってなかなか伸びませんでした。
仕方が無く数学・物理共にぜーんぶ暗記してしまう事でなんとか国立
大学の理学系に進学出来ましたが、3年もかかりました。
YAHOO!で検索してきました。
真の健康を考えるサイトをご紹介させて下さい。
http://www.tokyo-reimei.or.jp./
場違いと思われるでしょうがぜひのぞいてみて下さい。
管理人さんが、「ふう」というタイトルをつけていたので、即、頭の中の発音鑑賞回路にスイッチが入ってしまいました。
はい、毎度おなじみ「細部志向」でゴザイマス。診断前は、こういう反応を「不謹慎」と思って矯正しようとしていた。
そこで、「ふぃい」とか「ふぇえ」とか言いたくなってしまったので、自分の言いたいことを、四つに分けて、心の準備をしました。「ふぃい」「ふぇえ」「ふぁあ」「ふぉお」とするつもりだったのです。
でも、「ふぃい」と「ふぇえ」を書いたところで、何か自分が馬鹿みたいに思えて恥ずかしくなってしまった。いや、発音に反応したタイトルが恥ずかしくなったのではなく、内容自体が。どこまでを「当たり前すぎるから省略しないと恥ずかしい」のか、どこからは「省略するとその部分に突っ込まれてしまう」のか、それが区別つかないので、身動きとれなくなっちゃった(笑)。
そして最後に、大量の文章を書くこと自体が、偶然とはいえ、ナルシシズム的な執着と結果が似ているので、それも誰かに笑われそうだし。私にとっては、文章の分量と執着の激しさには少しも相関がないのだけれど、相関があると思われてしまうことが多いらしいということを、最近知ったし。執着の激しさも、単にこだわりのスイッチが入っただけであってナルシシズムの発露ではないことが多いのだけれど、ナルシシズムの発露だという前提で笑われることが多いらしいってことも最近発見して「ひょえー状態」なのです。
とにかく、長い文章をたくさん書くことは、外の世界では「恥ずかしいこと」とされているらしいことを知ったので、しばらくその規準の研究に没頭しようかな。
翻訳家になって良かったと思うことの一つは、文章を大量に書いても笑われないってことです。なんてったって他人(原著者)の文章なのですから、いくら書いても、私自身の執着とかナルシシズムとかと見間違えられる心配がない。それでいて、作文はできるんだから。
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