アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 名前について 11982へのコメント
No.11998  Wed, 10 Apr 2002 22:36:50 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 七転び八起き七転八倒状態のこうもりです。ぐえ〜。

Mariaさん wrote:

>1)「軽度」を外したい。
> 何をもって「軽度」とするかといえば、「重度でない」ということなの
>だと思います。だったら、「普通の発達障害者と違うのよ、私たちは仕事
>ができるくらい“軽度”なのよ」みたいなイメージを持たれたくはない、
>ということを考えると、取っちゃっていいんじゃないかと。かつて「高機
>能」という言葉がそういうふうに受けとられた経緯がありますから。

考えてみれば軽度という言葉の問題点を指摘していたのはわたしでし
たな。つまり、障害の軽い重いは「知能の高さ」だけではなく、「自閉
度の重さ」や「適応状態(二次的障害の有無)の良し悪し」なんかを考
慮に入れなければならない、と。さらに追加すればアメリカにおける障
害の軽重を判断する基準として「仕事をすることができるか、どうか」
というのもあるという話を聞きました。確かに軽度という言葉は不適切
でしたね。

> そんなわけで、
>
> 「発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワーク」

 わたしはこれでOKだと思います。まあ、裏の名前としては「自閉幇
」とか「閉幇」というのも好みですが。


Re: 教科書について 11996へのコメント
No.11997  Wed, 10 Apr 2002 22:33:36 +0900  Maria [この発言にコメントする]

あさかぜさん wrote:
>  とりあえず、「自閉症スペクトラム」と「自閉症スペクトル」を、文中で両方使用するのはどうかと思います。どちらかに決めて使ってほしいです。

 しくしくしくしくしく。(T_T)

 最初、あたしは一般的であると思われる「自閉症スペクトル」と書いておったのどした。
 ところが、「文部省では、『自閉症スペクトラム』とするか『自閉スペクトラム』とするかでけっこう議論があったらしい」とかいった話が漏れ聞こえてきて、「自閉症」にするか「自閉」にするかに悩みつつ「スペクトル」を「スペクトラム」と書き換えていたものだから、一部に変更のし忘れがあったのですよ。

 本当なら、「“自閉症”スペクトラム」と「“自閉”スペクトラム」もちゃんと使い分けなければいけないのどした。しくしく。(;_;)

 そんなわけで、「スペクトル」→「スペクトラム」と書換えてください。近いうちに正式版はまたUPします。

 (Maria)


Re: 教科書について 11991へのコメント
No.11996  Wed, 10 Apr 2002 21:04:20 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 「ひとくさり」は「お経の一行」でしたか。勉強になりました。

Mariaさん wrote:
> 焼死体だったら、言う。(-_-)

 あ、ホントだ。気がつきませんでした。アリガト(^-^;)

> そういえば、この『アスペルガーの館の掲示板』の過去ログを全部保存している人もあんまりいないだろうし、いちいち拾い読みをするのも大変だろうし、まとめて読んだとしても議論がごちゃごちゃしているし、場合によっては図とかつけてちゃんと解説したほうがわかりやすいものもあるので、テーマ別にまとめたものを作って出版する、というのは面白いかも。『秘密結社A』の活動としても適切だし。
> いかがなものかな?

 いいと思います。イラストとかマンガも描けるとうれしいです。わたしの画力では無理かもしれないですが……。

 あさかぜの絵を見てみたいという物好き(?)な方がいたら、「信州松本Ma-net'21」というサイトのお絵かき掲示板でも、のぞいてみてください。最近は描いていないので、一番小さいサイズの過去板をあたってみるとよろしいかも。ちなみにそこの主さんは、自閉症児のお父さんです。息子さんは今年小学校へ入学されました。

 発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワークのアジビラ原案は、プリントアウトして知り合いのお母さまがたに見せてみたいです。感想を聞いてみたいと思います。(しかし、ちゃんとプリントできるだろうか? この前失敗したしな〜)
 とりあえず、「自閉症スペクトラム」と「自閉症スペクトル」を、文中で両方使用するのはどうかと思います。どちらかに決めて使ってほしいです。

 では、また。


Re: 悩んでしまいます。 11962へのコメント
No.11995  Wed, 10 Apr 2002 20:50:36 +0900  川合 哲也 [この発言にコメントする]

こりっこ wrote:
>川合 哲也 wrote:
>>もうどうしよう!
>
> 高校生は、学校に行きましょう。
> 授業中は、先生のお話しをよく聞きましょう。
> 休憩中は、お友達と遊びましょう。
> お友達がいなかったら、一人で遊びましょう。
> 放課後は、部活動をしましょう。
> 部活動が、嫌ならアルバイトをしましょう。
> アルバイトをしたお金で、好きな事をしましょう。
> 両親達が、反対するのなら「死ぬ!」と叫びましょう。
>
> それが、あなたのする事です。
>
> 将来の事は、考えなくていいのです。
> 聞かれたら、りっぱな人と答えるのです。
> そうすれば、りっぱな人になるのです。

こりっこさん、ありがとうございます!僕が通ってる高校では明日が部活の発足式です!僕はパソコンの関係の部活に入りたいと思っています。こりっこさんが提案してくれた、僕がやるべき事、1つが出来そうです。本当にありがとうございました。


Re: 悩んでしまいます。 11965へのコメント
No.11994  Wed, 10 Apr 2002 20:47:11 +0900  川合 哲也 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>川合 哲也 wrote:
>>皆さん、こんにちは。先日、僕は掲示板に投稿したんですが、今回はこの前の続きを書きたいと思います。診断された原因だとは思うんだけど、僕の親は僕の行為に対していつも先走っているって言われてしまいます。何か分からないんだけど、親や姉に「発達障害」と言われてるように受け取ってしまうんです。最近はスペルガーもしくは自閉症と診断されたり、親に「先走っている」とか言われたり、どうせ発達障害が原因で指摘されてばっかりで、もうやって行けないような感じです。もし学校でクラスの人達に知られて、「障害者」と言われたらどうしようとも考える時もあります。もうどうしよう!
>
> あまり特別なことと捉えずに、自分の持ち前の長所をどんどん発展させていったほうがいいと思います。『何もできない人間だ』と思って萎縮してしまうと、もうとにかく人生を無駄にしてしまいます。私はその典型です(*.*)
> だからといって無理は禁物です。悠悠自適・気長が最善です。

武田好史さん、ありがとうございます。かえって、僕は特別に学校や友達に特別に配慮してもらいたくありません。なぜかというと僕が「どうせ障害者なんだから」と思っちゃうかもしれません。今までどおりの自分でやっていけば大丈夫ですよね!?


Re: 悩んでしまいます。 11972へのコメント
No.11993  Wed, 10 Apr 2002 20:43:14 +0900  川合 哲也 [この発言にコメントする]


オレンジケーキ wrote:
>川合 哲也 wrote:
>>察するに、川合さんはどちらかというとせっかちで、気ぜわしい性格の持ち主なんでしょうね。スローテンポの私には羨ましいくらいです。。 
> 早合点して失敗したり、先走りして勘違いしてしまったりするのであれば、ご両親のご指摘にも一理あるのかもしれませんね。その時は、意識的に、今よりも1秒長く考えたり、1秒長く人の話に耳を傾けてから行動してみたらどうでしょう?そうすることによって気持ちが落ち着いて、ミスが未然に防げるのであればラッキーですよね?
>「急がば回れ」ということわざがあるようにネ!
> でも、日常生活に特に支障がないのであれば、あまり気にしなくて良いと思いますよ!
> お友達のことも、あまり心配せず、今まで通り自然体でお付き合いしてください。きっとお友達は川合さんの長所も短所も分かってくれていると思うので・・・。
> 最後にもう一度言いますね。「先走りする」というのは決して悪い事ではないので、あまり気にしなくて大丈夫です。そして、友人との交流を大切にして楽しい学生生活を送ってください。

オレンジケーキさん、ありがとうございます。僕の性格はせっかちです。いっつも失敗ばかりしています。いっつも「先走り」してしまうって言われてショックな所もあるけど、じっくり考えればいいのかって思います。1秒でも他人の話を聞いたり、耳を傾けられるようにしたいです。またアスペルガー症候群もしくは自閉症で困った事があったらまた相談に乗ってください!お願いします。
かわいてつや


Re: 気がつけば10年すぎた。 11980へのコメント
No.11992  Wed, 10 Apr 2002 19:48:41 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

 こんばんは、砂川さん。

砂川さん wrote:
> 10年も同じ職場に在職しているのですか?

 周囲は、(私が)10年もいることに絶句してました…(実は、短期間で辞めると思われていたらしい(-_-)。←実際、何年か前に言われました。まあ、私もしょっちゅうグチとばしてますが[笑])。

>期待しています。無理を重ねず健康を大切に

 ありがとうございます。砂川さんも、心身ともどもお大事に(^^)。


Re: 教科書について 11990へのコメント
No.11991  Wed, 10 Apr 2002 17:34:55 +0900  Maria [この発言にコメントする]

I wrote:
> さて、ここで問題です。「ここで講釈をひとくさり」「〜くさり」というのは、何を数える単位でしょう?(syakuさんは知ってると思う)

あさかぜさん wrote:
>  知りません。
>  「一鎖」というくらいだから、具足でも数える単位かな〜?と、あてずっぽうを言ってみる、よれよれくたくたのあさかぜでした。(違うだろうと思う)

 いま『塵劫記』をチェックしてみたけれど出ていませんでした。たぶん、『和算入門』(現在はおそらく絶版。『新・和算入門』が出ています)だったかな? それで知ったのだけれど、「お経の一行」だそうです。たしか、一くさり=十七文字のはず(十九文字かもしれない。うろおぼえ)。普通の辞書だと「一区切り」と出ています。

>  別の話してごめ〜ん。
>  「冷める」と「冷える」はどう違うのか?

 冷める:高温→常温。
 冷える:常温→低温。

 なお、

 温(ぬる)い:本来ならば常温より一定以上温度が高かったり低かったりしていなければならないものが、常温に近い状態であること。

なのだから、

 温(ぬる)む:低温または高温→常温。

のはず。

 「水をじゃんじゃか足したら、ようやく風呂の水がぬるんできた」

とかいった表現は、ありそうに思う。

>  ある日……
> 「そういえば、『死体が冷める』とは言わないよね」(←直前まで“ご臨終ごっこ”をしていた娘とわたし……娘の疑問にとまどう)

 焼死体だったら、言う。(-_-)

 お寿司のように、「熱い」でも「冷たい」でもない温度がおいしいという料理がある。さりとて「常温」でもないのですね。「温(ぬく)い」のがいいわけです。この「温(ぬく)まる」とか「温(ぬく)もり」とかいった感覚は、「身体から熱が逃げてゆかない」感覚であって、「身体に熱が入ってくる」感覚とは、また別だったりします。
 ただ、多くの暖房器具は「温(あたた)まる」ためのものであるのに対し、「炬燵」の場合は「温(ぬくまる)」感じである、ということについては、もうちょっと突っ込んだ考察が必要であると考えます。

 そういえば、この『アスペルガーの館の掲示板』の過去ログを全部保存している人もあんまりいないだろうし、いちいち拾い読みをするのも大変だろうし、まとめて読んだとしても議論がごちゃごちゃしているし、場合によっては図とかつけてちゃんと解説したほうがわかりやすいものもあるので、テーマ別にまとめたものを作って出版する、というのは面白いかも。『秘密結社A』の活動としても適切だし。

 いかがなものかな?

 (Maria)


Re: 教科書について 11989へのコメント
No.11990  Wed, 10 Apr 2002 12:54:47 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

わたしwrote:
> 知りません。
> 「一鎖」というくらいだから、具足でも数える単位かな〜?と、あてずっぽうを言ってみる、よれよれくたくたのあさかぜでした。(違うだろうと思う)

 お数珠のほうが、らしいよねぇ……。


Re: 教科書について 11988へのコメント
No.11989  Wed, 10 Apr 2002 12:51:21 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> さて、ここで問題です。「ここで講釈をひとくさり」「〜くさり」というのは、何を数える単位でしょう?(syakuさんは知ってると思う)

 知りません。
 「一鎖」というくらいだから、具足でも数える単位かな〜?と、あてずっぽうを言ってみる、よれよれくたくたのあさかぜでした。(違うだろうと思う)

 別の話してごめ〜ん。
 「冷める」と「冷える」はどう違うのか?

 ある日……
 「そういえば、『死体が冷める』とは言わないよね」(←直前まで“ご臨終ごっこ”をしていた娘とわたし……娘の疑問にとまどう)
 「辞書では『冷める』は、熱いものが熱い状態でなくなること。『冷える』は、冷たくなるとか寒くなること、あるいはそう感じること、ってなってるねぇ。てことは、『冷める』は元の状態が熱いものを言い、『冷える』は熱いものを含めてある程度の温度のものが、冷たくなっていくことを言うんじゃないの?」
 「ある程度の温度って、何度から何度くらい?」
 「うが〜〜」
 「600度? 6000度?」
 「そんなに熱いわけないだろうがっ!」
 「いちまん度?」(←すでに笑っている)
 「こんにゃろお〜!!」
 「『冷める』と『冷える』をどうしてべつべつに使わなければいけないの?」
 「…………」(←バンザイしながら、踊るあさかぜ)

 大変失礼をばいたしました……。


Re: 教科書について 11987へのコメント
No.11988  Wed, 10 Apr 2002 09:42:28 +0900  Maria [この発言にコメントする]

I wrote:
>  ひ、ふ、み、よ、い、む、なな、や、ここの、とお

 ……そうじゃないだろ(-_-;)。

 ひと・ふた・み・よ・い・む・なな・や・ここの・とお

が正解。

 hito:huta
 mi:mu
 yo:ya

といった具合に、倍数関係にあたる数詞には

 i:u
 o:a

という、母音の音韻調和の関係があります。

 ついでながら、「シ」が「死」に通じるというので、「シ」→「よ(よん)」と呼びかえることがあります。「三四人」は「さんしにん」ではなく「さんよにん」。

 また、「ニ」と「シ」、「イチ」と「シチ」が区別しにくく、「ク」が聴き取りにくいので、軍隊などでは

 イチ、ふた、サン、よん、ゴ、ロク、なな、ハチ、キュウ、ジュウ

が使われます。

武田好史さん wrote:
> 本は1冊、青菜は1把、ビー玉は1個、猫は1匹、Tシャツは1着、丸太は1本…

 兎は一羽、羊羹一竿、刀は一振、鉋は一丁、烏賊や蛸は一杯、屏風は一曲……

 さて、ここで問題です。「ここで講釈をひとくさり」「〜くさり」というのは、何を数える単位でしょう?(syakuさんは知ってると思う)

 (Maria)


Re: 教科書について 11986へのコメント
No.11987  Tue, 9 Apr 2002 23:21:41 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> ○「サンホン」「ハチホン」
> △「サンボン」「ハッポン」
>
>として、△を「慣用」「口語的に崩れた形」と教えるのが適切だ、くらいに思っています。
>
もう一つあった!
日本語には、いろいろな個数の単位があること。

本は1冊、青菜は1把、ビー玉は1個、猫は1匹、Tシャツは1着、丸太は1本…


教科書について
No.11986  Tue, 9 Apr 2002 22:13:46 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 小学校の「算数」の時間では、

  A.数と計算
  B.量と測定
  C.図形
  D.数量関係

の四つの領域について教えることになっており、一年生の「数と計算」の授業では、

 数:100までの数
 計算:一位数と一位数の加法と、その逆としての減法

を教えることになっています。

 おそらくは、この授業の中で「1から100までの数えあげ」というのが教えられ、ご家庭でも「100までの数が数えられるように」と思って訓練をしていると思うのね。

 だけど、「ちょっと待ってください」とあたしは言いたかったりします。ひらひら。(←舞っている)

 仮に1から100までの数を数えられたとしても、それは必ずしも数を理解したことにはならないのね。それよりは、

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお
 ひ、ふ、み、よ、い、む、なな、や、ここの、とお

というやまとことばの系列と、

 イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウ

という漢語の系列の二つがあって、「算数」では漢語系の表現が使われる、といったことをしっかり教えておくことのほうが重要なわけです。

 このとき、「211」を「ニヒャクジュウイチ」ではなく「ニヒャクイチジュウイチ」と読むのは間違いかどうか、とかいったことをちゃんと考えておく必要はあります。あるいは、「三本」を、「サンボン」ではなく「サンホン」、「八本」を「ハッポン」ではなく「ハチホン」と読むのは正しいのかどうか、とかいったことをね。

 個人的には、

 ○「ニヒャクイチジュウイチ」
 △「ニヒャクジュウイチ」

 ○「サンホン」「ハチホン」
 △「サンボン」「ハッポン」

として、△を「慣用」「口語的に崩れた形」と教えるのが適切だ、くらいに思っています。

 ただ、こうしたことを現行教科書に盛り込め、といってもおそらく無理なのね。で、自分たちが教えるために使うのならば検定を受けた教科書である必要はまったくなくて、あたしたち独自の教科書を作ってもまったく問題はない……というより、作んなきゃしょうがない、という気はしています。

 どんなもんでしょうか。

 (Maria)


Re: 質問(軽度発達障害児の教育について) 11979へのコメント
No.11985  Tue, 9 Apr 2002 18:58:04 +0900  りげる [この発言にコメントする]

こんにちわ。

砂川さん wrote:

>>2.現行の特殊学級が良い!
> 特殊学校の知識が無いので書けません。

特殊学級について、私自身が特殊学級の生徒と触れあって体験をもとに
補足したいと思います。
●1980年代のケースですので、現在では少し違うかもしれません。
前置きが長くなりますが、私には知的障害の妹がいまして、私が通っていた
小学校(B小学校)に特殊学級がなかったため、妹は特殊学級のある
小学校(A小学校)へ通っていました。
私が中学生になった時、A小学校の特殊学校で妹より年長だった女の子
から「○子のお姉ちゃん?」と声かけられ、仲良くなりました。
普通学級で浮いていた私に、特殊学級の女の子たちはなついて
くれました。心のすさんだ普通学級の子より、特殊学級の子は
優しくて思いやりのある子が多かったです。
中学の特殊学級は、3学年合わせて10名前後、普通学級で生徒から
も教師からも受け入れない発達障害の子にも、特殊学級の子は普通に
優しく接してくれます。こういう環境を考えますと、普通学級、
特殊学級という区分しかない現代の義務教育制度において、
発達障害児の精神面では、特殊学級は理想的な環境に近いと言えます。
ですが、周知のように、中学の特殊学級では、高校受験に必要な
国語、数学、理科、社会、英語の5教科を教えません。私の出身
中学の特殊学級の思いやりのある子たちは、5教科は小学校の教科書
で学び、体育、音楽、美術、家庭科の授業の時のみ、普通学級
(親学級)で学んでいました。以上のことから、特殊学級は、
発達障害児の心のケアという面では(特殊学級の担任に障害児教育
への理解がない限り)比較的理想に近い環境ですが、高校進学へ
の道は閉ざされてしまいます。

以上のことを踏まえて、武田さんの質問に、こう回答致します。

-------------------------------回答-------------------------------------------
ケース(1) 発達障害児に高校進学の意志がない場合。

>2.現行の特殊学級が良い!

ケース(2) 発達障害児に高校進学の意志と学力がある場合。

>>4.平日(月〜金曜日)は普通学級に通わせ、土曜日にこういった子が苦手としている分野を丁寧に指導してくれるようなサブ・スクールに通えるようにする。
--------------------------------------------------------------------------------
>5.その他。

>「3.こういった子が通うための専門の学校を創るべきだ!」
については、砂川さんと同じく、現状ではまだまだ実現が遠い気がします。

個人的な意見ですが、特殊学級のマイナスイメージを変えることが大事
だと思います。特殊学級の子は、普通学級の子より、優しくて思いやり
のある生徒が多いのに、自分の子を特殊学級へ通わせることを反対する
親御さんが多いのは、悲しいです。
反対する気持ちはわかります。現状では高校進学への道がほとんどない
と言っていいですから。
そのため、その他の案として、こういう道が是非あって欲しいと提案します。
#発達障害児を、精神面で安心できる特殊学級に入れ、普通学級の授業に
#ついていける生徒は、その授業だけ普通学級で受けさせる。

このことが実現すれば、将来、中学の特殊学級出身の児童が、理工系の
有名大学へ進学し、能力を発揮することも遠い未来のことではない気が
します。


Re: 名前について 11978へのコメント
No.11984  Tue, 9 Apr 2002 18:25:23 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

こうもり wrote:

> あと、思いっきり脱線した団体名としては「斜めから見る会」(これが
>団体名)というのを考えてみました。つまり、大人になった軽度発達障害
>者(未診断の人も含む)が子供の頃の体験を踏まえながら支援関係者とは
>別の角度(斜め)から軽度発達障害児の問題を考えていくというイメージ
>のグループ名です。

大人も子供もいるから、

「アスペ・ファミリー」ASPE FAMILY

というのはどうでしょうか?
私たちはどんなに離れていても『家族』だということで!


Re: 名前について 11982へのコメント
No.11983  Tue, 9 Apr 2002 12:55:02 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 えー、活動というものは内輪でゴソゴソやっててもなかなか発展しません。実体はなくてもヒト・モノ・カネが動けばそこに何かしら生まれるものがある、という本末転倒な意見にもいささかの説得力というのはあるわけです。

 そんなわけで、活動の主体たる自閉症方面の人間およびその関係者に、あたしたちの存在を認知してもらい、情報伝達のルートを確保するということがます最初のテーマとなります。

 そんなわけで、「アジビラ書かせりゃ天下一品」といううちの所長(日本ソフトウェア科学会のニューズレターにアジビラを載せたこともあります)の指導のもと、こんなものを作ってみました。こういうのを公共施設に置かせてもらうなり、どこかで配布するなりというのは、いかがなものでしょうか。

 内容についての、ご意見・ご批判をお待ちしております。

 ---

 「自閉症」をなくそう

○「自閉症」が増えている
 「自閉症」と診断される子どもが増えてきています。かつては「二千人に一人」とか「千人に一人」云われていたものが、最近では「五百人に一人」と云われるようになり、現在では「百人に一人」という数字が定着しつつあります。

 「以前は単に『知的障害児童』とされていた子どもの中に、精神分裂症(現在でいう「統合失調症」)によく似た一群の子どもがいる」。二十世紀の前半に、そう報告した研究者がいました。以来、この一群の子どもを「自閉症(autism)」と呼ぶようになりました。
 それ以後、診断技術の向上や規準の見直しにより、「自閉症」の子どもは当初予想されたよりもずいぶん多い、ということがわかりました。
 現在、「知的障害」は「自閉症(自閉症スペクトラム)」の診断規準には入れられていません。自閉症スペクトラムと診断される子どものうち、「知的障害」と見なされる子どもの比率は約二割でしかなく、残りの約八割は、「知能は正常」あるいは「知能的には優秀」とされる子どもたちだったりします。

 自閉症スペクトラム、すなわち自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群・高機能広汎性発達障害といったものは、現在では「珍しい病気」でもなんでもない、ということになっています。

 「自閉症スペクトラム」と診断されるというのは、「なんでもかんでも世間の規準に合わせようとしないで、自分に合った生き方をしないと、生きてゆくのがしんどいですよ」というお墨付みたいなものだと思っていいでしょう。

○「自閉症」は必ずしも“障害”ではない
 「自閉症」は先天的な脳の機能障害であり、育て方が悪いから「自閉症」になるわけではありません。
 その反面、はっきり「自閉症」でありながら、うまく育ったか育てられたかして、一見フツーに育っちゃう子どもというのがけっこう多いのですね。で、大人になってから、「私はどこか普通の人間とは違うのではないだろうか」と思い悩み、「自閉症」の診断を受けて「おお、そうだったのか」と納得するヒトも少なくありません。

 また、「『自閉症』は治らない」とも云われています。
 とはいえ、子どものときに「自閉症スペクトラム」と診断されながら、大人になったら子どもの頃の「自閉症らしさ」が陰も形もなくなっちゃったというヒトも多かったりします。「自閉症」は、「“治らない”けれど“消える”ことがある」という、謎の病気でもあったりするわけです。

 じつのところ、「自閉者(「じへいしゃ」ではありません。「ジヘイモノ」と読んでください)」同士では、発達歴の分析や知能・運動能力テストや各種の脳機能検査に頼らなくても、「あのひと自閉だよね?」「ほぼ間違いなく自閉でしょうねぇ」と分かってしまうものなのですよ。だけど、周囲の人はその人が「自閉症」だなんてまったく思っていなくて、「ちょっと変わった人」「癖のある人」くらいに思っている。そういう人が、世間には少なからずいます。コンピュータのプログラマーには珍しくない、というのは、自閉者の間ではほぼ定説になっています。

 「自閉症」は、必ずしも「障害」ではありません。それは一つの「特性」であり「特徴」です。そして、時には「特長」だったり「個性」だったりもします。

○「自閉症」から「自閉」へ
 「『自閉症』は果たして病気か」という議論が、最近ではあります。

 自閉者と非・自閉者はタコとイカのように異なっているのではないか。タコは決して「奇形のイカ」ではありません。タコとイカは別の環境に適応し、別の生き方をする、それぞれ別の個性を持った、別の生き物なのです。
 ただ、ときどきタコからイカが生まれたりイカからタコが生まれたりするから話がややこしくなるのではないだろうか、といったことが、自閉者の間では云われています。魚類などでは、一つの種の中に、外見や生態の上でほとんど別種のように違う複数のタイプの個体が存在する場合があります。

 人間には、大多数のイカ型人間(非・自閉型)と少数のタコ型人間(自閉型)が一定の比率で生まれ、それぞれ別の役割、別の生き方で生きてゆくようにできているのかもしれない、とマジメに考えている人もいたりします。職業の中には、自閉者にはかなり向いていそうだけれど、非・自閉者にはちょっと耐えられないんじゃないだろうか、みたいな職業はけっこうあります。数学でいえば数学基礎論、コンピュータのプログラミングでいえば自動販売機の制禦プログラムなんていうのは、「まともな神経の人間にはちょっとムリ」だけど「そういうのに絶対的に強い奴が確かにいる」というのは、事実です。

 イカが社会の大多数である社会で、タコがイカのように育てられたとしたら、うまく育つわけがありません。ですが、そのイカ社会の中に、なぜか代々タコの家系(自閉症は遺伝するのではないか、と云われています)があって、タコがタコとして育てられ、タコとして社会で生活してなんの不自由も不都合も違和感もない、ということがあったりするわけです。
 「いまにして思えば、うちの母方の祖父はあからさまに自閉症だった」「そういえば、父方の叔父さんも自閉症のような気がする」「従姉の子供がやっぱり自閉症スペクトラムと診断された」みたいな「自閉症一族」みたいな家系は珍しくないのね。で、「あそこの家はちょっと変わっている」くらいで通っていたりします。
 そんな家系で生まれた子供が「自閉症スペクトラム」と診断され、「普通に育てよう」みたいな話になるとかえって妙なことになったりします。
 逆に、順調に育っている自閉くん自閉ちゃんのお母さんに「どうやって育てたんですか?」と訊くと、「普通に育てただけ」と答えられることがとても多いのね。だけど話を聞いてみるとあんまり一般的な「普通」ではなく、自閉系の「ふつう」だったりします。で、よく考えてみるとお母さん自身が自閉系(-_-:)。あたしたちにとっては、「自閉症」なんていうのはその程度のものなのね。

 こうなると、「自閉症」の“症”の字がけっこうジャマという気がします。いいとか悪いとかいった問題ではなくて、ただ“違う”だけなのだ、ということであれば、「自閉症」ではなく「自閉」でいいのではないか。あたしたちは、そう考えています。

○「自閉」という自由。「自閉」という自然。
 「自閉症」という言葉は、「精神的な孤立」というところから名付けられました。

 ところが、「自閉症スペクトル」と診断された人同士が集まってみると、「自閉者には共通する感性がある」というのがわかってきました。インターネットのおかげで自閉者同士が知りあう機会が増えた現在では、「自閉は異文化である」というところまで来ちゃってます。だけど盛り上がりには欠けているぞ。なにしろ「職人」「技術屋」「研究者」といったメンタリティと共通部分が高いので、集まっても「学会」みたいなノリになってしまいます。この地味さ加減・マトモさ加減については反省の余地があります。あたしたち「社会にうまく適応している自閉者」だけでまとまっちゃって外に広がってゆかないから、社会的に孤立し苦しんでいる人たちがあたしたちの存在に気がつかないわけだから。

 たとえばの話、「自由」というのは、単に「あらゆる行ないが許される」ということではありません。そこには、「人間本来の自然な欲求に基づいた行い」という規範が、おのずと組みこまれています。
 「自閉」というのは、単に「異なっている」のではなく、「人間という種そのものの本質に根ざした、非・自閉とは別のありかた」です。その意味で、人間には「“自閉”である自由」があり、あたしたちにとって「“自閉”であること」は「自然なこと」だったりもします。

 あたしたちは、「自閉」という自分たちの文化の中で安穏としていてはいけないと思うようになりました。世の中には、「自閉症」に苦しんでいる人がまだ大勢いるからです。

 この世から「自閉症」をなくそう。「自閉」という文化をこの社会に定着させよう。そう思ってあたしたちは活動を始めました。

 「自分は“自閉症”ではないか?」と悩み苦しんでいる人。お子さんが「自閉症スペクトラム」と診断され、どうしたらいいか、誰に相談したらいいか分からなくて困っている人。そういう人は、どうか、あたしたちに連絡してください。

 お役に立てると思っています。

    発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワーク

   大森支部 蘇好美(Maria)<cfb47300@syd.odn.ne.jp>

 (Maria)


Re: 名前について 11978へのコメント
No.11982  Tue, 9 Apr 2002 10:10:35 +0900  Maria [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:
>  掲示板への報告を任せっきりで申し訳ありませぬ。Mariaさん。

 いえいえ、あたしの仕事と心得ておりまする。実務の所長に口しか出さないMaria。

I wrote:
> とりあえずの叩き台としては、「学習障害児就学支援ネットワーク」なんていうのはどうでしょう。

> 1番、非難が出にくい名称としては「軽度発達障害児支援ネットワーク」という名前がお薦めです。学習障害のように特定な障害名をつけると、診断上の不毛の争いにまきこまれてしまう危険性があります。また、どんなに診断基準が変わっても知的障害を伴なわない発達障害児をいかに支援していくかという問題だけは消えることがないでしょう。普遍性があるという意味でわたしは軽度発達障害という言葉が1番お気に入りです。

 あたし自身としては、

1)「軽度」を外したい。
2)「就学(就労)」あるいは「自立」「学習」あたりを入れたい。
3)「支援」よりは、なるべく「応援」「互助」としたい。

という希望があります。

1)「軽度」を外したい。
 何をもって「軽度」とするかといえば、「重度でない」ということなのだと思います。だったら、「普通の発達障害者と違うのよ、私たちは仕事ができるくらい“軽度”なのよ」みたいなイメージを持たれたくはない、ということを考えると、取っちゃっていいんじゃないかと。かつて「高機能」という言葉がそういうふうに受けとられた経緯がありますから。

2)「就学(就労)」あるいは「自立」「学習」あたりを入れたい。
 生活支援(特に直接的な経済的支援)はあたしたちの手に余り、国や地方公共団体でなんとかしてもらわないと困ります。で、学校や企業に発達障害者を受け入れる体制を作るように働きかけ、国に対しても法制度を整備するよう働きかける、といったことはやっても、基本的にあたしたちが考えているのは「自助努力」です。
 そんなわけで、明確な当面の目標を前面に押し出す、というのがよろしいのではないかと。

3)「支援」よりも「応援」「幇助」「互助」としたい。
 「何かをしてもらう」ことを期待して入ってこられても、もともと金も力もない人間が寄りあつまってなんとかしようという団体なのですから、潰れてしまいます。

 そんなわけで、

 「発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワーク」

あたりが順当かと(ああ長い(-_-;))。

>  あと、思いっきり脱線した団体名としては「斜めから見る会」(これが団体名)というのを考えてみました。つまり、大人になった軽度発達障害者(未診断の人も含む)が子供の頃の体験を踏まえながら支援関係者とは別の角度(斜め)から軽度発達障害児の問題を考えていくというイメージのグループ名です。

 「分科会」として立てるのはいかがでしょうか。「成人発達障害者懇話会(「斜めから見る会」)」とか。「出版部(「かえる屋」)」「研究会(大森総合研究所・知識処理ディビジョン内)」みたいなもんで。

 (Maria)


気がつけば4月・・・ 11977へのコメント
No.11981  Tue, 9 Apr 2002 05:16:14 +0900  るか [この発言にコメントする]


 こうもりさん、おひさしぶりです。
 毎回「おひさしぶりです。」で、書き出しが始まっている気がします。

 この時間帯に終わる仕事を始めたので、
 少々お疲れ気味の、るかです。

 私は良く本屋さんに行って、ASの本を見るのですが
 4月に入ってASの本が
 すごく売れていっているのが気になりました。
 
 
 彼との距離は近いのですが、
 やはりうまくやって行くのは難しい。
 バランスってものを保つのが、ホント難しくて
 私が彼を掴めなかったりすることが多いので、怒らせてしまうことが
 よくあります。

 最近ではよく「殺す」「刺すなら刺せ」とか、
 命関係の言葉を口にしてますねぇ。。。

 でも、この間は「お前はマリア様だ」とか言うし・・・
 
 ちょっと会っていないので、少し寂しくて
 前にカウンセラーの先生に
 「私が苦しんでいる時は、彼も苦しんでいる」
 と言われたことがあって。

 私が寂しい時も
 彼は寂しいのだろうか・・・

 ガ―ッてパニック状態で怒らせてから
 声を聞いていないから、
 ホント寂しくて。

 ASゆえの特有の寂しさってあったりするんですか?

 

 


Re: 気がつけば10年すぎた。 11952へのコメント
No.11980  Tue, 9 Apr 2002 02:58:23 +0900  砂川 [この発言にコメントする]

グルンサ wrote:
 久しぶりです。砂川です。 
>
> とある日の会話。上司から「あんたたち(私の他に同僚がいた)何年目?」と聞かれ、「11年目です」と答えた。
>それを聞いた上司と部下、
> 上司「えっ、もう11年目なの!」
> 部下「10年もやってきたんですか!」
>と両方に驚かれた。
 10年も同じ職場に在職しているのでですか?
自分には決して真似できませんでした。
長くても3年だったのですごいと思いました。

> …が、一番驚いたのが、当の本人である私。
>言ってから気がついたのだが、まさか10年もいたとは思わなかったのである
>(別の上司からも「おまえが10年いるとは思わなかったよ!」と言われたが)。
> 自分で言ってから、10年という時間の長さを改めてかみしめた。

自分は高校を卒業して11年すぐに働きましたがいまのアルバイトを含め15回ほど
転職を繰り返し。今では周りの人はあきれています。
ただ働いていただけ生活でした。つかの間の10年でした。

> 自分のことを知らないまま過ぎた10年間だったが、診断が下ったこともあり、今年はそんな状況を変えていけたらいいな…と思っている。
>
>期待しています。無理を重ねず健康を大切に
> 


Re: 質問(軽度発達障害児の教育について) 11966へのコメント
No.11979  Tue, 9 Apr 2002 02:21:37 +0900  砂川 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:


> あなたの経験から言って、軽度発達障害児(7〜15歳・義務教育年齢層)の教育は次の選択肢のうちのどの形式にすると良いと思いますか?
>
>1.普通学級に通わせる!
孤立し、いじめなどの行為が行われないよう注意し
本人がついていける学習を取り入れるようにしていくべきだ。

>2.現行の特殊学級が良い!
 特殊学校の知識が無いので書けません。

>3.こういった子が通うための専門の学校を創るべきだ!
 ぜひこのような学校があれば進んで入校したかった。
将来、創立して欲しいと希望します。

>4.平日(月〜金曜日)は普通学級に通わせ、土曜日にこういった子が苦手としている分野を丁寧に指導してくれるようなサブ・スクールに通えるようにする。

今、現在実現が可能だと感じています。

>5.その他。

 自分の考えでは、1、は個人の精神的苦痛があります。
3、はまだまだ先のような気がします。
4、については、いますぐにでもできそうに感じました。
 もう少し教育者に発達障害の知識や配慮があれば良いと感じています。

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