アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
オレンジケーキさん wrote:
>突発的な事も少ないし、ある程度自分のペースで出来ますよね?
あー、私はまだ、「自分のペース」ってのが見つかってないんだと思います。
というか、「日常の用事」の手順が身についてないんでしょうね、たぶん。「肌シャツを着る」とか「パーカを着る」とかいった、一つずつの動作はできるんだけど、(肌シャツを着る→シャツを着る→パーカを着る→すててこをはく→ズボンをはく)っていう一連の動作にしようと思ったら、「???」なんですね。
学生のときは、よく、朝おきて学校に行こうと思って、着替えようとしていたらお昼になっていて、午前中の授業は出られない、なんてことがありました。
小学校から高校までは、制服だったんですよ。それも、1回もセーラーになったりしないで、ずっとベストにブレザー。リボンもタイも一度も無かった。
そのせいか、朝はなんとか20分か30分で着替えできてました。まー、親の声かけが必要でしたが。でも、帰宅して私服に着替えるってのは何かうまくいかなかったな。鍵っ子だったから、制服か半裸で何時間もごろごろしてました。
いまも、1日かかっても着替えが完了してないことって、よくあります。もういいや、って思って、パジャマで出勤しちゃうことも(笑)。
> それは素晴らしいことですネ!ものすごく羨ましいです。
ありがとう。いま、「羨ましい」って言われたとき、「ごめんなさい」の代わりに「ありがとう」って言うおけいこをしているところ。なかなか身につかないけど、ときどきはできる日もあるようになってきた。えへん。
>文面からフリーのお仕事だと読み取れましたが、差し支えなかったら、いつかお仕事の内容などを少しでも良いので聞かせてください。
えっと、自分で好きな洋書を見つけてきて(っていうより、読み終わった本の中で、「あ、これはあの人にも、この人にも、読ませてあげたいな」って思った本を、しまい込まないで、見やすい棚によけておいて)、出版社さんに版権を取得してもらって、日本語に翻訳してます。
結局、私は読書好きだったから、読み終わった本のことを人にいいふらすことが好きで、それをそのまんま仕事にしたんですね。遊びだったものを仕事にしたようなものなんです。その意味では、とても恵まれていると思います(う……。いま、「ごめんなさい」って言わないようにふんばってこらえている)。
だから、仕事と遊びは私の場合、くっついてるんです。好きだから、ちゃんと机に向かって始めることができちゃえば、楽しいのはわかってる。だから、本当はもっと仕事したいんです。
それなのに、着替えの途中で混乱してしまって裸でぼうっとしていたために風邪をひいて、横にならなくてはならなかったり、やっと歯磨きが終わったら次のごはんの時間になっていたり、布巾が燃え上がったショックで集中できなかったり、先に眼鏡を外すのを忘れてTシャツを着ようとしたらあたまが通らなかったらしく(というのが、第一発見者の証言)ずっと前が見えないまま泣いていたり、そういう時間が惜しいのかもしれない。
オレンジケーキさん wrote:
> 私も、母=自分といった感覚がいまだにあり、母の存在が私の人生の支えのようになっています。情けないのですが、母がいなくなったら生きていけそうにないのです。
わたしも、子供のころはそういう思いがありました。
> 成人のASや自閉症の方は、この課題をどのように受けとめて(そして乗り越えて)いますか?
個人差があると思います。それと、母親の側がちゃんと手を離してくれるかどうかにも左右されると考えます。すんなりいったという人は、親の側も手を離す時期を見極めることができていたということでしょう。
わたし個人は、戦い続けました。何年かかったか数えるのもおっくうなほど、長く……。
> それと、私の考えでは、どちらかというと女性より男性のほうが精神的自立が出来ているように思うのですが、どう思われますか?
逆だと思います。女性のほうが、社会から要求される内容が細かい分、負担も大きいですが自立は早いという感じがします。
Mariaさん wrote:
> 修正版です。一応の正式版と考えてください。文責はすべて大森総合研究所のJoshyaさんおよびあたしにありますが、配布は自由です。
了解しました。
14日のセミナーに持っていってみます。
オレンジケーキさん wrote:
>>仕事をしている時間だけを切りとって見ると、仕事はできていることになっている。
> それは素晴らしいことですネ!ものすごく羨ましいです。人間関係、技術面、ペース配分などどうやってこなしていらっしゃるんですか?
あ、ペース配分とか、全然できてないです。ダメです。自分を削ることでこなしてる。
「仕事をしている時間だけ」というのは、珍しく心身の調子が悪くなくて、やっと仕事にとりかかることができて、集中することができて、という、たまーにしかないわずかな時間を切りとったら、っていうイミです。
つまり、その日の、その時間だけを切りとったら、「仕事ができている」ことになっているんだけど、ペース配分とか、気持ちの切り替えとか、健康管理とかを含めて、トータルで見たら、仕事ができてることにならないっていう意味ですね。
>それに予想外の事もいろいろと起こるので、仕事の方が難しくないですか?
予想外のことは起こるけど、「お金、時間、信用の面から、迷惑をかけない」という原則に立ち返ると、なんとか判断がつくことも多い。場合によっては、先方に「どうしてほしいですか?」ってきいちゃうという手も使える。
でも、私生活や日常生活は、考えても考えてもわからない。きく相手もいない。
それと、日常生活の方が、作業の種類かずが多いんです。
仕事は、作業の種類が2、3種類しかないけど、日常生活は覚えきれない。仕事に使う道具は、4つか5つしかないけど、日常生活に使う道具は、何百種類もある。玄関で、お手洗いで、台所で、「私、何してるの?」「この左手にあるやつ、何?」って、うわーーんと泣いたり、そんなことばかりしてる。
仕事のときは、いま、何をしてる途中だったのかがわからなくなっても、パソコンの画面を見たら、さっきまでやっていた作業の内容が表示されているから、その続きをやったらいいんだって思い出せる。でも、日常生活の用事は、動き回りながらすることが多い(物を、運ぶとか、歩くっていう作業が多い)から、部屋の中で迷子になったとき、呆然と立ち尽くすしかない。
いま、靴下をはこうとする途中での転倒や打撲を避けるため、「靴下をはくときは、座ってはく」っていうことを、覚えようと努力しているんだけど、もう2か月も練習しているのに、なかなか身につきません。
オレンジケーキ wrote:
> それと、私の考えでは、どちらかというと女性より男性のほうが精神的自立が出来ているように思うのですが、どう思われますか?
むしろ逆で、男性の方がそういった点は遅れています。
てらば wrote:
>富山の障害者職業センターは私のような職業能力の高い自閉者に対して、適切なアドバイスを
>してない。精神科医も親も一緒。信用できない。手の遅い私には流れ作業は向いてない。会社も「彼女は間に合わない」
>と言ってるのに、いざやつらに相談したところで「君は気力がないから続けられない。
>食らい付け」としか言ってくれない。私は本気で転職を考えている。
そうなんですよね。障害者職業センターっていうところは、そもそも一般企業に就労して、健常者と一緒の職場で働くっていうことをゴールに設定してしまっているので、どうしても「後ろ向きの自由」ということが、保障されていないんですよ。
僕も幕張のNIVRにいたときは、いっつも「がんばらなきゃ!」と身構えていました。 実習半ばのパンクッキーのケーキづくりの実習のあった日の夜、「しまった!ケーキの生地にバニラエッセンスを入れなかった(〜_〜*)」と思ったときに、それまでの疲れが一気に出て、その次の日の朝ひどいめまいがして、一日ベットで横になる羽目になりました。
なんかいっそのこと生活共同体みたいなのを作っちゃって、みんなで力を合わせて、社会参加していく方が我々に向いた生き方だと思えて仕方がない、今日この頃です…ハイ。
Lingko wrote:
>困るのは日常生活の方が多い。着替えとか、ゴミ捨てとか。
私の場合は反対で、仕事より日常生活のほうがこなしやすいんですよ。「〜時起床、朝食は〜、〜時頃お掃除に洗濯、ごみ捨ては〜曜日」のようにインプット(?)されていて、それを繰り返している、という感じでしょうか。突発的な事も少ないし、ある程度自分のペースで出来ますよね?
>仕事をしている時間だけを切りとって見ると、仕事はできていることになっている。
それは素晴らしいことですネ!ものすごく羨ましいです。人間関係、技術面、ペース配分などどうやってこなしていらっしゃるんですか?それに予想外の事もいろいろと起こるので、仕事の方が難しくないですか?文面からフリーのお仕事だと読み取れましたが、差し支えなかったら、いつかお仕事の内容などを少しでも良いので聞かせてください。
>私の言ってること、何か変? やっぱりおかしい?
全然変じゃないですよー。仕事ができている事が立派だと思います。日常生活は、重要な事、期限がある事を先に片付け、(慎重に、時間的余裕を持って)その他のことは余力のある時にまとめてこなす、とかでも良いのではないでしょうか?
なんだか、単純な意見しか書けずごめんなさい・・・。
自閉症に関する本に、「自閉の人は、親(特に母親)との精神的結びつきが強いため、成人になってからの精神的自立が一つの大きな課題です。」といった内容が書かれていました。
私も、母=自分といった感覚がいまだにあり、母の存在が私の人生の支えのようになっています。情けないのですが、母がいなくなったら生きていけそうにないのです。
成人のASや自閉症の方は、この課題をどのように受けとめて(そして乗り越えて)いますか?
それと、私の考えでは、どちらかというと女性より男性のほうが精神的自立が出来ているように思うのですが、どう思われますか?
Mariaさん wrote:
> 修正版です。一応の正式版と考えてください。文責はすべて大森総合研究所のJoshyaさんおよびあたしにありますが、配布は自由です。
>
わー。タコの話がなんかすてき! いつかの、「だから、タコだと言うちょろーが!」が下敷きにあるのですね。
いいな、タコ。
わーい、タコ。
タコ、タコ、タッコング!(←壊れている?)
タコって、足が8本なのも好き。だって8っていい数字だもの。
何か、たこ壺ってすてきね。身体がうにうにとたこ壺の形に変形するってのもうらやましいな。おおきささえ合っていれば、どんなかたちの隙間にも、すっぽりんこ、ぴったりんこの感覚が楽しめるんでしょう? 私もたこ壺で仕事したいな!
タコといえば思い出すのが、「黒のもんもん組」のルーちゃん。
シュッツさん wrote:
>特に「軽度」という言葉は曖昧さが大きいので、定義などに気をつけて使う
>べきだと考えます。
そうなんですよね〜。すると、AS,高機能自閉症,LD,ADHD,D
CD,言語性発達障害などを網羅した言葉としてどんなものがあるのか?す
ご〜く悩んでいます。個人的に好きな定義としては「裏問題児」(特にAS
とか非言語性LDに対してよく使用される)というのがありますが、なかに
は「わたしはかなりはっきりした特徴を持つ発達障害者だ」と主張する人も
多いので、全てを網羅できる概念とは言えません。医学ではなく教育学で使
用されるLDという概念は全てを網羅していると言えますが、医学的LD(
読み書き計算の障害)と混同した関係者から「大学院まで進学しているのに
どこがLDなんだ?」と侮辱(?)された苦い経験がわたしにはあり、使用
することを少し躊躇しております。
う〜む、どんな表記がいいのだろうか…。
困るのは日常生活の方が多い。着替えとか、ゴミ捨てとか。
でも、日常生活で困ると、それが二次的に仕事に食い込む。
着替えの途中でケガをしたり、やけどをしたり、ゴミ捨てのために風邪を引いて熱を出したりすると、その分、仕事を休まなくてはならなくなるから。
仕事をしている時間だけを切りとって見ると、仕事はできていることになっている。
でも、歯磨きをリーズナブルな時間内に済ませることができないと、就業時間を十分に確保できないし。
フリーに納期は付き物。信用なしには受注できない。そう考えると、安定して仕事を続けていくためには、着替えの途中でやけどしたりケガしたり風邪を引いたりは、あんまりしない方がいい。
私の言ってること、何か変? やっぱりおかしい?
てらば wrote:
>「秘密結社A」というネーミング自体が好きじゃない。一般の人に成人
>になったLDやASに対して理解されるようなもっとやさしい雰囲気の
>にしてほしい。
あの〜、秘密結社Aというのはこの組織の裏の名前であって、この団
体の正式な名称はまだ決められておりませぬ。その辺は誤解なきように
お願いしまする。で、優しい雰囲気のネーミングというのはそれこそ会
員希望者やこの掲示板の常連から公募したいぐらいだす。シュールなネ
ーミングが大好きなわたしに任せない方がいいかも???
修正版です。一応の正式版と考えてください。文責はすべて大森総合研究所のJoshyaさんおよびあたしにありますが、配布は自由です。
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この世から「自閉症」をなくそう
○「自閉症」が増えている
「自閉症」と診断される子どもが、増えてきています。
一九八十年代以前には、「自閉症」は「二千人に一人」とか「千人に一人」とかいった割合で発生する病気であると云われていました。ところが一九九十年代には「自閉症スペクトラム」と診断される子どもは「五百人に一人」程度存在すると云われるようになり、今世紀に入ってからは「百人に一人」という数字が定着しつつあります。
とはいえ、「自閉症」というものの“発症率”(←この言葉自体も見直されつつあります)自体が増加したわけではありません。かつて「自閉症」と呼ばれていたものが、より深く理解され、その概念も大きく変化してきたから、こういうことになってきたわけです。
「以前は単に『知的障害児童』とされていた子どもの中に、精神分裂症(現在でいう「統合失調症」)によく似た一群の子どもがいる」。二十世紀の前半に、そう報告した研究者がいました。以来、この一群の子どもが持っている“障害”を、「自閉症(autism)」と呼ぶようになりました。
それ以後、半世紀以上の研究の結果、診断技術は向上し、診断規準の見直も見直されました。その結果、「自閉症」の子どもは当初予想されたよりもずいぶん多い、ということがわかりました。 同時に、「『自閉症=知的障害』という図式は成立たない」「『自閉症』の中心症状として『人間関係を直感的に把握することができない』というものがあるけれど、もっと深い部分に、何か本質的な“違い”というものが存在する」といったことが、わかってきました。
現在、「知的障害」は「自閉症スペクトラム」の診断規準には入れられていません。「自閉症スペクトラム」と診断される子どものうち、「知的障害」と見なされる子どもの比率は約二割でしかなく、残りの約八割は、「知能は正常」あるいは「知能的には優秀」とされる子どもたちだったりします。
「自閉症スペクトラム」、すなわち自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群・高機能広汎性発達障害といったものは、現在ではべつに「珍しい病気」でもなんでもない、ということになっています。
実際のところ、「自閉症スペクトラム」の“主たる自覚症状”は、「『家族や周囲の人と感覚・感情を共有できない』というはっきりした違和感」「息苦しいような生きにくさ」といった「とらえどころのない」ものであり、明確な「症状」と呼べるものではありません。ですから、「自閉症スペクトラム」と診断されるというのは、「なんでもかんでも世間の規準に合わせようとしないで、自分に合った生き方をしないと、生きてゆくのがしんどいですよ」というお墨付みたいなものだと思っていいでしょう。
「自閉症スペクトラム」と診断されるというのは、「健常者としての人生」の終わりではなく、「ほんとうの人生」の始まりだとあたしたちは考えています。
これ、決してひがみとかいじけとか、そういうので言ってんじゃないんですよ? あたし自身の「自閉」傾向というのは、ソフトウェア開発やアルゴリズム開発といった、あたしのプロフェッショナルとしての仕事の上での強力な武器でした。あたしは、自閉者(「じへいしゃ」ではありません。「ジヘイモノ」と読んでください)としての自分に自信を持っています。えっへん。
○「自閉症」は必ずしも“障害”ではない
「自閉症」は先天的な脳の機能障害であり、育て方が悪いから「自閉症」になるわけではありません。
その反面、はっきり自閉者でありながら、うまく育ったか育てられたかして、一見フツーに育っちゃう子どもというのがけっこう多いのですね。大人になってから、「私はどこか普通の人間とは違うのではないだろうか」「この息苦しいような“生きにくさ”はなんとかならないだろうか」と悩み苦しみ、「自閉症スペクトラム」の診断を受けて「おお、そうだったのか」と納得するヒトも少なくありません。
また、「『自閉症』は治らない」とも云われています。
とはいえ、子どものときに「自閉症スペクトラム」と診断されながら、大人になったら子どもの頃の「自閉症らしさ」が陰も形もなくなっちゃったというヒトも多かったりします。「自閉症」は、「“治らない”けれど“消える”ことがある」という、謎の病気でもあったりするわけです。
じつのところ、自閉者同士では、発達歴の分析や知能・運動能力テストや各種の脳機能検査に頼らなくても、「あのひと自閉だよね?」「ほぼ間違いなく自閉でしょうねぇ」と分かってしまうものなのですよ。だけど、周囲の人はその人が「自閉症」だなんてまったく思っていなくて、「ちょっと変わった人」「癖のある人」くらいに思っている。そういう人が、世間には少なからずいます。少なくとも、コンピュータのプログラマーには珍しくなく、ある特定の分野で特に優秀なプログラマに至っては、ほぼ全員が自閉者である、というのは、自閉者の間ではほぼ定説になっています。
「自閉症」は、必ずしも「障害」ではありません。それは一つの「特性」であり「特徴」です。そして、時には「特長」だったり「個性」だったりもします。
○「自閉症」から「自閉」へ
「『自閉症』は果たして病気か」という議論が、最近ではあります。
自閉者と非・自閉者はタコとイカのように異なっているのではないか。そう言う人がいます。タコは決して「奇形のイカ」でもなければ「障害を持ったイカ」でもありません。タコとイカは別の環境に適応し、別の生き方をする、それぞれ別の個性を持った、別の生き物です。
ただ、タコとイカと違って、同じ人間同士でありながら、非・自閉者カップルから自閉くんや自閉ちゃんが生まれたり、自閉者カップルから非・自閉者の子供が生まれたりするから話がややこしくなるのではないだろうか、といったことが、自閉者の間では云われています。両親がイカなのに子供がタコとか、両親がタコなのに子供がイカとかいったら困っちゃいますよね? とはいえ魚類などでは、一つの種の中に、外見や生態の上でほとんど別種のように違う複数のタイプの個体が存在する場合がありますから、「自然界ではそういうこともある」としか言いようがありませんが。
そんなわけで、人間には、大多数のイカ型人間(非・自閉型)と少数のタコ型人間(自閉型)が一定の比率で生まれ、それぞれ別の役割、別の生き方で生きてゆくようにできているのかもしれない、とマジメに考えている人もいたりします。こういう「自然界の中の役割」のことを「ニッチ(niche)」というのですが、非・自閉者は非・自閉者のニッチに、自閉者は自閉者のニッチに納まればそれぞれ居心地よく生きてゆけるように世の中はできていそうに思うのですよ。タコは蛸壷の中で暮してゆくのが身体に合っているわけです。イカにとってはそれはとても不自然なことなのだろうけれど、そもそも身体の“つくり”が違うのだからしょうがない。
実際、世の中には自閉者にとっては非常に面白いと思われるのだけれど、非・自閉者にはちょっと耐えられないんじゃないだろうか、みたいな仕事はけっこうあります。あたし自身が長年身を置いてきた自然言語処理システムの開発の世界なんていうのはまさにそれ。「普通の人」は「文法」と聞いただけで逃げてしまいますが、なんでか自閉くん自閉ちゃんとは日本語の文法に関するあれやこれやの話題で盛り上がっちゃうんだよね(-_-;)。
イカが社会の大多数である社会で、タコがイカのように育てられたとしたら、うまく育つわけがありません。ですが、そのイカ社会の中に、なぜか代々タコの家系(自閉症は遺伝するのではないか、と云われています)があって、タコがタコとして育てられ、タコとしてのニッチに安住し、社会で生活してなんの不自由も不都合も違和感もない、ということがあったりするわけです。
「いまにして思えば、うちの母方の祖父はあからさまに自閉症だった」「そういえば、父方の叔父さんも自閉症のような気がする」「従姉の子供がやっぱり自閉症スペクトラムと診断された」みたいな「自閉症一族」みたいな家系は珍しくないのね。で、「あそこの家はちょっと変わっている」くらいで通っていたりします。
そんな家系で生まれた子供が「自閉症スペクトラム」と診断され、「普通に育てよう」みたいな話になるとかえって妙なことになったりします。
逆に、順調に育っている自閉くん自閉ちゃんのお母さんに「どうやって育てたんですか?」と訊くと、「普通に育てただけ」と答えられることがとても多いのね。だけど話を聞いてみるとあんまり一般的な「普通」ではなく、自閉系の「ふつう」だったりします。で、よく考えてみるとお母さん自身が自閉系(-_-;)。あたしたちにとっては、「自閉症」なんていうのはその程度のものなのね。
こうなると、「自閉症」の“症”の字はいかにもジャマという気がします。いいとか悪いとかいった問題ではなくて、ただ“違う”だけなのだ、ということであれば、「自閉症」ではなく「自閉」でいいのではないか。あたしたちは、そう考えています。
○「自閉」という自由。「自閉」という自然。
「自閉症」という言葉は、「精神的な孤立」というところから名付けられました。
ところが、「自閉症スペクトラム」と診断された人同士が集まってみると、「自閉者には共通する感性がある」というのがわかってきました。インターネットのおかげで自閉者同士が知りあう機会が増えた現在では、「自閉はひとつの文化である」というところまで話は進み、「異文化としての自閉」ということまでが云われるようになっています。だけど盛り上がりには欠けているぞ。なにしろ「職人」「技術屋」「研究者」といったメンタリティと共通部分が高いので、集まっても「学会」みたいなノリになってしまいます。
ただ、この地味さ加減・マトモさ加減については反省の余地がある、とあたしたちは思うようになりました。あたしたち「社会にうまく適応している自閉者」だけでまとまっちゃって外に広がってゆかないから、社会的に孤立し苦しんでいる「自閉症」の人たちがあたしたちの存在に気がつかない。こういう文化、こういうコミュニティがあるんだよ、ということを、広く世間に知らしめる義務があたしたちにはあるのではないか。そう思うようになったのですね、あたしたちは。
あたしたちは、普通の人たちからは、堅苦しく、狭い、歪んだ世界に生きていると見られがちです。「こだわり」という檻の中に閉じこめられ、あるいは閉じこもっていると考えられがちです。けれど、あたしたちはあたしたちの規律を持ち、あたしたちの美学に従って慎み深く生きています。それと同時にあたしたちはとても“自由に”生きていたりするわけです。ただ、普通の人たちとはその“自由”のありかたが違い、普通の人にはあたしたちの生き方が理解しにくい、というだけのことなんです。
たとえばの話、「自由」というのは、単に「あらゆる行ないが許される」ということではありません。そこには、「人間本来の自然な欲求に基づいた行い」という規範が、おのずと組みこまれています。
「自閉」というのは、単に「異なっている」のではなく、「人間という種そのものの本質に根ざした、非・自閉とは別のありかた」です。その意味で、人間には「“自閉”である自由」があり、あたしたちにとって「“自閉”であること」は「自然なこと」だっ
たりもします。
そんなわけで、あたしたちから見ると、「普通の人たち」というのはなんて不自由な生活をしているのだろうか、と思えたりもします。自閉的なライフスタイルというのは、自然であり、とてもラクな生き方でもあります。それはいわゆる「文明人」が、「自然人」のありかたとしてある意味理想としていながらも、「そんな生き方ができるわけがないじゃないか!」と自ら遠ざけている生き方に、かなり近いものだったりもするわけです。
あたしたちは、「自閉」という自分たちの文化の中で安穏としていてはいけないと思うようになりました。世の中には、「自閉症」に苦しんでいる人がまだ大勢いるからです。 それは同時に、「非・自閉症」に苦しんでいる「普通の人」を救うことにもつながりそうな気が、あたしにはするのね。
この世から「自閉症」をなくそう。「自閉」という文化をこの社会に定着させよう。そう思ってあたしたちは活動を始めました。
「自分は“自閉症”ではないか?」と悩み苦しんでいる人。お子さんが「自閉症スペクトラム」と診断され、どうしたらいいか、誰に相談したらいいか分からなくて困っている人。そういう人は、どうか、あたしたちに連絡してください。
お役に立てると思っています。
発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワーク
大森支部 蘇好美(Maria)<cfb47300@syd.odn.ne.jp>
(Maria)
こうもり wrote:
>つまり、障害の軽い重いは「知能の高さ」だけではなく、「自閉
>度の重さ」や「適応状態(二次的障害の有無)の良し悪し」なんかを考
>慮に入れなければならない、と。
「軽度」や「高機能」など、程度の大きさ・強さをどんな基準によって測るかを決めておくことは重要だと思います。
「どの言葉を使うか」や「どういう場面で何の目的で程度を測るか」によって、適用すべき基準も変わってくるでしょう。
「仕事などの面で、社会に適応できているかどうか」だけを基準とするのも一つの例だし、「自閉度の強さ」だけというのもあるし、いろいろ組み合わせた総合的基準もあるでしょう。
ここで言う「自閉度」はDSMなりウィングの三つ組なりのどれかであって、それらのうちのどれを採用するかはまた別の問題として存在しますが、ここではひとまず置いておくことにします。
「知能が中程度で、自閉度がそれほど強くないけど、その自閉度のために仕事にいつも失敗している人」と「自閉度は強いが、非常に高い知能である部分は補っていて、適性にぴったりと合った仕事と環境が見つかった人」とではどちらが障害が重いか。
それは仕事の面、子供の時の学習の面、人付き合いの面、医学的研究からの視点など、場面によってどちらが重いと見なされるかが違ってくるでしょう。
特に「軽度」という言葉は曖昧さが大きいので、定義などに気をつけて使うべきだと考えます。
「秘密結社A」というネーミング自体が好きじゃない。一般の人に成人になったLD
やASに対して理解されるようなもっとやさしい雰囲気のにしてほしい。
富山の障害者職業センターは私のような職業能力の高い自閉者に対して、適切なアドバイスを
してない。精神科医も親も一緒。信用できない。手の遅い私には流れ作業は向いてない。会社も「彼女は間に合わない」
と言ってるのに、いざやつらに相談したところで「君は気力がないから続けられない。
食らい付け」としか言ってくれない。私は本気で転職を考えている。
有効期限切れたらゴミでしょう?
賞味期限切れたものは捨てるでしょう?
冷蔵庫の中に賞味期限切れた卵があって、割ってみたら黄身が青かった。誰も青い黄身の卵は食べないでしょう?
有効期限切れた書類を捨てたら、わざとやっていると早合点された。誤解されてばかりで疲れた。
4月1日でバイトは辞めた。でも、辞めるんじゃなかった。このままじゃ生活費が無くなる。
一生、このままわけのわからない誤解をされながらやっていかなきゃならないんだろうなぁ。
るかさん wrote:
> 絶対いるはずのない女性の名前が出てくる。
> 物を何でもかってくれ、とねだる。
> 性的なことにかなり関心をもっている。
> こうもりさんのアドレスって、メールいきますか?
> 個人的にメール出しても良いですか?
>
> こうもりさんの彼女の話もききたいなぁ・・・。
我輩の彼女の話はあまり公開しない姿勢ではおります
が、個人的にメールをくださることはOKです。DMは
下記のメールまで
(連絡先)seijinld.msg.biglobe.ne.jp
これは成人LDの会のメールなのですが、ここにて個
人のメル・アドを公開いたします。では
すみません〜。秘密結社A計画に参加を希望された方や興味を
持っておられる方にMLの招待状を送ったのですが、無事届きま
したでしょうか?届いてないという方はご一報ください。もし、
届いていないとしたら元々、メル・アドを入力ミスをしていた可
能性が高いと思われますので、掲示板にもコメントしました〜。
(連絡先)こうもりseijinld@msg.biglobe.ne.jp
(ちょっと情報が流出しすぎ???こんなにオープンな秘密結社
でいいのか???PCが苦手なために障害者関係の雑誌でPCの
苦手な障害者の代表としてコメントを書く羽目にもなってしまっ
たことがある こうもり)
るかるかです。
今日も仕事帰りにネットカフェに寄って、始発を待ってます。
最近、この生活パターンが定着しつつあります。
こうもり wrote:
> だいじょうびですか?無理はなさらないでくださいね。
心配してくれて、アリガト!
るか的に嬉しかった。
> 誤解もあるけど、ASに興味を持つ人が増えるのはうれ
>しいことです。
確かに。
> 今つきあっている女性とは会えなくなる時もあるので、
>その時はさびしいと感じます。今までどんな孤立していた
>時でもさびしいと感じたことはなかっただけにちょっと意
>外でした。
>
> もっともこれはAS特有のさびしさと言えるのかどうか
>…。ただ、わたしには他人とのつながりが大切であると同
>時に孤独な空間や時間もやはり大切だということは言えそ
>うです。
私にとっても、やはり自分だけの空間・場所みたいな物は
必要です。
昨日もまた、いつもの様にネットカフェにいたら
彼から電話がかかってきて、「遊びに行こう」と。
で、2人でカラオケに行って(彼は抜群に歌がうまい!)、
その何時間か後にまた会いました。
気になる点がいくつかあって・・・
絶対いるはずのない女性の名前が出てくる。
物を何でもかってくれ、とねだる。
性的なことにかなり関心をもっている。
私は彼といて、すごく楽だし落ち着く。
でも、上にあげた点は
やはり気になってしまいます・・・。
本当に好きだから故に。
こうもりさんのアドレスって、メールいきますか?
個人的にメール出しても良いですか?
こうもりさんの彼女の話もききたいなぁ・・・。
さぁ、今から家に帰って寝ます!
じゃ、るかるかでした☆
お久しぶりです、るかさん
るかさん wrote:
> この時間帯に終わる仕事を始めたので、
> 少々お疲れ気味の、るかです。
だいじょうびですか?無理はなさらないでくださいね。
> 私は良く本屋さんに行って、ASの本を見るのですが
> 4月に入ってASの本が
> すごく売れていっているのが気になりました。
誤解もあるけど、ASに興味を持つ人が増えるのはうれ
しいことです。
> 最近ではよく「殺す」「刺すなら刺せ」とか、
> 命関係の言葉を口にしてますねぇ。。。
むむむ、ちょっと強烈。
> 私が寂しい時も
> 彼は寂しいのだろうか・・・
> ASゆえの特有の寂しさってあったりするんですか?
今つきあっている女性とは会えなくなる時もあるので、
その時はさびしいと感じます。今までどんな孤立していた
時でもさびしいと感じたことはなかっただけにちょっと意
外でした。
もっともこれはAS特有のさびしさと言えるのかどうか
…。ただ、わたしには他人とのつながりが大切であると同
時に孤独な空間や時間もやはり大切だということは言えそ
うです。
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