アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
風呂 wrote:
>はじめまして風呂です。
>
> 鉄道、僕も子供の頃大好きでした。
>用水路!?初めて聞きましたが、確かに僕も子供の頃、
>庭にスコップで溝を掘り水を流して遊んでいました。
>それがこうじて用水路マニアになるのかな??
ようするに、コンクリートで作った川のことでしょう。
>でも自分の作った通りに水が流れてくれるのは確かに嬉しかったなァ。
>
>僕は17歳になって友人達に影響されてバイクが好きになり、バイクの免許を取りましたが、
>バイクに乗るのも好きでしたが、知人とかのメカに詳しい人に教わって、
>バイクをイジリ出したらもう止まりませんでした(^^;
>
>機械というのは理屈の固まりだし、本、マニュアル、雑誌、ありとあらゆるバイクのメカニズムの本を読み漁り、
>自分のバイクを全部バラバラにしてまた組みたてたり、マニュアルと照らし合わせてメカニズムを実際に目で見て手で触って動かして、納得したり、
>本当に楽しかったです。(^^)
>
>それに組みたてた後に実際走らせて、乗る事が出来るというのが、なによりも楽しかったし。
>実物大のプラモデル。ですね。
>
>でも何故かASとか自閉系の人で車やバイクを好きな人は少ないなァ……
>やっぱ鉄道好きが多いですね〜
>でも鉄道を所有して走らせるのは、かなり大変そうだし、
ですから、あのような超小型の鉄道を提唱しているのです。
>やっぱり車かバイクいじり辺りが簡単ですかね。
僕はこう解釈しています。視覚的な情報処理にやや難があるため、車やバイクだと走行する方向を自分で操作しないといけないので、そこが無意識のレベルで拒否反応を起こしているのではないかと・・・(無意識の不安定感)
鉄道だとこういう不安は皆無です。そもそも鉄道にはハンドルなどありませんし、車輪が回転すれば、どうあがこうがきまった軌道の方向にどんどん進んでいきます(一次元の世界)。分岐器の方向を間違えたり、カーブを走行するときスピードを出し過ぎれば横転してしまいますが、それでも車両の不安定感はずっと少ないです。
このほかにもありそうです。機械(機構)のごちゃごちゃしたものを眺めるのが好きなひとはわりといると思いますが、車はボディーで覆われているため、外から見えません。列車の場合は、軸受け軸ばねブレーキシュー砂箱といった、あのごちゃごちゃした機械が露出しているので、直接眺めることができます。
ほかには、ホームに立って列車の通過するのを眺めていると、台車部分や床下に取り付けられている各種の箱状のものが、線路上をこすりそうなくらいに接近していながらこすれないといったことや、脱線を防止するフランジ部の出っ張りが、たった3cmほどしかないにもかかわらず、ほとんど脱線事故は起こさずスムーズに走行するとか、在来線の車両の最大幅は3m近くもあるのに、線路のゲージ(軌間)は1067mmと、三分の一ほどしかないのにそのわりには安定しているということや、機関車の軸重が16tもあるのに、それをあの細いレールで支えているという、つまり一見華奢なようでいて、その上を重量物が通過していくという感覚。
どんな種類の車両であれ、軌間さえ合えば走行できるため、すべての車両が共通の法則でつながっているという共通感覚。
などなど・・・
こうもり wrote:
>名づけてAS本人による専門家自家生産計画!!(うまくいくの
>か…、ちょっと不安)
>
> 当然、心理や教育などにはAS人が苦手とされる能力を要求さ
>れる分野もあるのですが、そんなことを言ってられないぐらいの
>人手不足です、大人の発達障害支援の世界。じっさい、自分が専
>門家になることができなかったとしても、専門知識だけを身につ
>けて情報提供できるようになったり、身につけることのできる支
>援の技術や資格だけでも身につけて、こちらの世界で役立てられ
>ればいいと思っています。
で、今考えているのですが、わたしが持っていた方がいい資格
ってなんだろうか?養護教諭の教員免許?精神保健福祉士の資格
?思いきって臨床心理士の資格(しかし、これは冒険だ)?作業
療法士?発達障害相互支援ネットワーク(秘密結社Aのこと)で
需要があると思われる文章や外国語やパソコンの資格?お金がな
いから実現性がないけど精神科医の資格?職業訓練校の免許?
何がいいんだろ〜な〜。1人で全部取るのは難しそうだし…。
てな訳で、こういう資格はあった方がいいよん、という資格が
あったら教えてくださいまし。では
説明が舌足らずで、何が言いたいのか良く分からないというひとがいるかもしれないので、追加します。
ASの好みとして、徹底した本物志向があります。これがごっこ遊びが苦手なことと関係があるのかどうか分かりませんが、子供向けに作られたものやデザインにはなじまないのです(傾向として)。かといって、本物の鉄道相手では、危険ですしほかのひとの迷惑になるかもしれません。それにそもそも鉄道というのは、眺めるためにあるものではありません。
そこで、両者の妥協点としてああいう例を挙げたわけです。できるだけリアリティーを保ちつつ、個人が所有できるもの。おもにサイズとコストの問題になってきますが、ああいう方法もあるということです。手のひらサイズの鉄道模型だと、いくら精巧に作ったとしても、しょせんは知れています。
さらに言うなら、我田引水になるかもしれませんが、用水路や下水道を眺めたり、マンホールに凝ったりといった、ひとつまちがえると問題行動になりかねないような行為も、本人の好みに合わせた施設を作ってそこで遊べるようにしておけば、こっちのほうがおもしろいわけですから、公共の場所での問題行動も減少するのではないでしょうか。しかも相手は玩具ですから、たとえば車輪に渦巻き状の模様を彫り込んでもかまいませんし、車輪と連動するような機構を仕組んでおいて、プロペラや渦巻き模様をした回転物が車両の進行に応じて回転するようにしてもかまいません。歯車やチェーンとスプロケットが好きなおこさまなら、同様に車輪と連動する軸を搭載してこれらが一緒に回転するようにしてもいいでしょう。
はじめまして風呂です。
鉄道、僕も子供の頃大好きでした。
用水路!?初めて聞きましたが、確かに僕も子供の頃、
庭にスコップで溝を掘り水を流して遊んでいました。
それがこうじて用水路マニアになるのかな??
でも自分の作った通りに水が流れてくれるのは確かに嬉しかったなァ。
僕は17歳になって友人達に影響されてバイクが好きになり、バイクの免許を取りましたが、
バイクに乗るのも好きでしたが、知人とかのメカに詳しい人に教わって、
バイクをイジリ出したらもう止まりませんでした(^^;
機械というのは理屈の固まりだし、本、マニュアル、雑誌、ありとあらゆるバイクのメカニズムの本を読み漁り、
自分のバイクを全部バラバラにしてまた組みたてたり、マニュアルと照らし合わせてメカニズムを実際に目で見て手で触って動かして、納得したり、
本当に楽しかったです。(^^)
それに組みたてた後に実際走らせて、乗る事が出来るというのが、なによりも楽しかったし。
実物大のプラモデル。ですね。
でも何故かASとか自閉系の人で車やバイクを好きな人は少ないなァ……
やっぱ鉄道好きが多いですね〜
でも鉄道を所有して走らせるのは、かなり大変そうだし、
やっぱり車かバイクいじり辺りが簡単ですかね。
でもバイクは事故る危険性が有るし、免許を取るのも大変かな…?
車はモノがデカイので一人でいじるのは、結構大変ですね。
やっぱバイクかな??
あと自転車とかもこだわり出したら、色々ありそう。。。高価なパーツが一杯有るみたいだし。
なんだかとりとめも無い話しですが、書いてみました。。。
風呂
今日は入力の仕事でした。
何かがふわついていて、チェックをしてみたら間違いだらけだったし、「今日は
チェックしなくてもいいや」って言うふうだったから、オーダー入力では社員さんが
間違いを発見して修正していた。
私は思うけど、大人の発達障害の人を精神障害者として認定すべきだと思う。
私達は現に精神科、デイケア、小規模作業所へ通っていることだし、精神障害者
扱いにして、手帳や年金を受給できるようにすべきだと思う。
私も作業所に通所したい!!ボランティア先では「いつも助かってるわ、ありがとう」
と言われているし、作業所やデイケアではバイトしながら通所出来ることだけど、
精神科の先生の審査と家族会がネックになってくる。家族会を説得したい....
やっと、十分な休息が取れて、次のステップに踏み出せそうな
こうもりです。
あさかぜさん wrote:
>> まずは発達障害の勉強でも本格的にはじめてみよっと。
>
> いいっすね!
> 思い続けることで、道はきっと開けると信じたいです。
だいぶ前にこの掲示板にも「いっそのことASやADHD本人
が専門家になってしまえば、専門家不足は解消されるのではない
か」と冗談半分に申しておりましたが、その線を本格的に考えは
じめました。名づけてAS本人による専門家自家生産計画!!(
うまくいくのか…、ちょっと不安)
当然、心理や教育などにはAS人が苦手とされる能力を要求さ
れる分野もあるのですが、そんなことを言ってられないぐらいの
人手不足です、大人の発達障害支援の世界。じっさい、自分が専
門家になることができなかったとしても、専門知識だけを身につ
けて情報提供者ようになったり、身につけることのできる支援の
技術や資格だけでも身につけて、こちらの世界で役立てられれば
いいと思っています。
AS(自閉児も)にみられる問題行動に、用水路を眺めてばかりいたり、用もないのに通過する列車を眺めるために踏み切りのそばをうろうろしたり、下水道にこだわったりといったものがある。こうした、世間から奇異に見られたり誤解されたり、場合によっては迷惑をかける行動に対しての、抑止するために叱りつけたり、逆に本人の要求ばかり実現させるというのはあまりいい方法ではないと思う。
ひとつの解釈として、当人が満足できるほどその対象物の完成度が高くないため、フラストレーション(ストレスではない)がたまり、ますますその対象にのめり込んでいくという動因が考えられる。
小生の例では、小さい頃から夢中の鉄道について、レゴで作った鉄道模型でよく遊んでいたのであるが、なんといってもあのおもちゃっぽさは、本物の鉄道のリアリティーからは程遠く、フランジ(車輪の内側に付いている脱線防止の出っ張り)が異常に大きく、レールの断面は凸型をしていて、カラフルに色付けされた各部品によってできた車両もまさに「おもちゃ」そのもので、子どもだましの極みみたいなものであった、屈辱的ではあったが、年齢的にも自律的に自分の要求を言語で組み立てて表現できるものではなく、おまけにもともと自分の本当の欲求がどこにあるのかを隠すことを行動文法にしていたような自分が、本格的な鉄道模型を買ってもらうことを親に要求することなどしなかった。
その後要求したわけではないのに、鉄道模型をかってに買ってきていきなり自宅で走行させることになったのである(事前の相談なしに)。レゴよりはましではあるが、徹底的なリアリストである小生から観察すると、ポイントのトングレール(進行方向を切り替えるときに移動するレール)とノーズ部分(フランジが交差する部分)とが一体になって動く、現実の鉄道には存在しない模型鉄道特有の機構になっていたのである。この点について不満をもっていたのであるが、親からすると、「せっかく買ってやったのになんで不満なんだ」ということになるのだろう。
今から考えるとばかげたものである。あえて親を批判することはしないが、自分の経験から考えてもしもこれに似た状況に陥っている後輩がいるのなら、少しは役に立つかもしれないし参考として利用してもらうといい。
究極的にはASランドの設立の実現ということになろうが、いきなりそこまでいくのは大変なので、身近なところから手をつけていきたいと思う。
以前鉄道雑誌で偶然、自宅の庭に線路を敷設して自作の電車や客車を走行させているという鉄道マニアが紹介されていた。写真やくわしい解説も載っていたのだが、これを読んで驚愕した。その後自宅を訪問してじっくりと観察させてもらった上、車両に乗せてもらった上に運転までさせてもらった。この年になってはじめて電車の運転士になった(一日だけの)というわけである。驚いたのは、在来線や新幹線に使われている本物のレールとそっくりの形をした、トロッコの運搬等に使用するためのレール(もちろん材質は本物の鋼)が販売されており、それに対応するように、こうした超小型の鉄道用の車輪や台車(耐性強化の焼き入れ済み)も販売されているということを知ったときである。
この情報の収集力には愕然とさせられたが、やはり本物の線路と枕木(自作のもの)を使って完成した鉄道の迫力やリアリティーは、模型やおもちゃのそれとは比較にならない。もしも小さい頃誰かが小生の鉄道好きを知ってこれらのパーツを購入して庭に敷設してくれたなら、どれほどの感激と感動をもたらしてくれただろうか。
金額的にもそんなに高価なものではない。それに考えてみるがいい。線路のそばをうろうろしてJRの職員に注意されたり、本人が後ろめたさを感じたり(ということは、心の底から楽しんでいないということになる)、危険な目に遭ったりすることを考えれば、はるかに安上がりになるだろう。それになにより、本人の楽しみが倍増するのだから、こんなにいい話はない。
だいたい大きさが新幹線で使用されている大型のレールの三分の一ほどである。一本の長さが5mほどで、値段は確か4000円だったと記憶している。最初はこんなものでも感激するものである。このレールを2本購入して、枕木は角材を使えばよい。線路を敷設する場合は、その前に敷設する場所を平らにしておくとよい(砕石を敷けばなおいい)。台車もそんなに高価なものではないと思う。
これはわかりやすい例である。用水路マニアのお子様なら、セメントとベニヤを購入して、自宅の庭に簡単な水路を自作すればよかろう(父親の出番である)。
マンションやアパート住まいで、庭などもっていないという人に対しては、共同で使用できるASパークのようなものを作らないといけないが、これには資金が必要で今すぐというわけにはいかない。現在出資者を募っているところである。
なお、レールの販売先については要望があれば情報を提供するつもりである。
ここのところ、ボヤキやグチばかり垂れ流している自分が、どうにもいやになってしまっています。
こうもりさん wrote:
> 最終的な目的の不在
>
> これは自閉・非自閉に限らず多くの社会人が陥っているディ
>レンマだなと思っています。
鋭い指摘だと思います。
自分はどう生きたいのか、どういう人間になりたいのか……日々の忙しさのなかでぼやけてしまう気がしています。立ち止まってじっくり考えて、また歩き出したいなと、思うことはしばしばあるのですが。
> まずは発達障害の勉強でも本格的にはじめてみよっと。
いいっすね!
思い続けることで、道はきっと開けると信じたいです。
いらぬお世話かもしれませんが書いてます。ぶちです。
28号 wrote:
>正にその通りだと思います。悪気がないのが分かるからこそ、
>こっちも悩むのですが、すいません、限界みたいです。
>(略)
>自分の我慢と理解の折り合いがつきませんです。。。
>すいません、愚痴だし、皆さんが不快なのは承知の上ですが、
>誰かに言わないと俺の頭がおかしくなりそうなんです。
愚痴も言わないと破裂しそうになる時があります。言っち
ゃえ!言っちゃえ!(って私が言ってもいいのか・・・)
悪気があるからいけないとか、悪気がないから許せるって
わけじゃないですよね。結局は我慢ができるかどうかでしょ
う。「悪い人じゃないんだけど、合わないんだよねー」とか
「我慢出来ないだよねー」って事もありますよ。
>現状と皆さんからのご意見で、俺が今のところ導き出した結論は
>「ADHD/LD/ADD/ASという障害者であることを忘れてつきあう」
>「同居解消する」です。付き合いをやめるということではないです。
>
>ああやっぱり見放すんだ、ととられても仕方ないです。
罪悪感あるのかな?でも自分を壊れそうにしてまで、他人
に関わりあう必要は、私はないと思ってます。ボランティア
なんかと同じで、自分がやりたいだけ、苦にならないように
やったらいいんじゃないでしょうか?
人付き合いって「落しどころ」を探すのが大変なんですよ
ね。反りの合わない同士が、どうやってぶつからずにやって
行くか、お互いの妥協出来る所を探すのがねー・・・探せな
いのなら、付き合わないしか方法はないもの。28号さんは、
自分で「辛くならない相手との付き合い方」を探して、それ
を実行していくしかないですよ。別に「見捨てた」わけじゃ
ないんだし。
「大好きな所」と「大嫌いな所」が混在している人との距
離の測り方は難しいですよね。28号さんも相手の方の事、大
好きですごく認めている所もあるし、困ってて大嫌いな所も
あるから悩んでいるのかなぁ? 距離をあけて、ゆっくり付き
合い方を考えるのは良い方法だと思いますよ。考えすぎると
疲れます。悩むのは悪い事ではないけど、自分を大切に、苦
しくなりすぎない程度にね(こういうのが好きな人は別だけ
ど)。 (ぶち)
あんく wrote:
>> これが、健常者の“黒魔術”のひとつ、「足止めの術」だ。
> 彼ら健常者は、とても幼い頃から、こういった高等な心理操作術を、会得しているのである。
>
私も足止めの術とは知らずに全部本気だと思ってた。高等な心理操作術の存在なんて知らなかったから。誰も教えてくれなかったし、私から教えて欲しいと言えば、『変な子』や『自分勝手』と言う私らで言う“高等な心理操作術”入門と言う『技』を駆使する。
> あんくはそういった術のひとつも、持ってはいなかった。
私もそういった術なんて持ってなかったとも思う。持っていても違う使用方法で使ってたかもしれない。
> 花いちもんめで、だれにも選んでもらえない子、鬼ごっこでしょっちゅう鬼にされるような子というのは、知恵が働かず、社会のルールを学習する能力を持たない、「できそこないの子」として見分けられ、村に何か災いがあったときの「人柱」として、白羽の矢を立てられることになる。そうならないためにも、「味方をつくっておきなさい。それにはまず、他の子達と、いつも仲良くしておくこと」ということを、親はわが子に教え込んでおく。
私も花いちもんめなんて「誰にも選んでもらえず」一番最後と言う定番パターンで、鬼ごっこもしょっちゅうの鬼にされてた事は覚えているわ。パニックなって泣き喚きながら鬼をしてたのだから。泣き喚いたせいで最初からやり直しや私だけ鬼にならないと言う“珍”ルールが出来るほどだったわ。
> その一方で、脳に障害があったがゆえに、いつまでたっても学習することのできなかった子ども達が、こんどは大きくなって、やはり自分の子ども達に、「知恵」を授けることができない。その子の子供も、そのまた子孫も、教えてもらえないままだ。そんなふうにして、被虐性(イジメの標的になりやすいこと)のある家系がつくられてゆく…というのは考えすぎ?「自分は社会の一員として、機能すべきである」という自覚は、健常者の場合、生来的に習得してゆくものであるという考え方もあるけれども。長くややこしくなりそうなのでここでは議論しない。
>
> そーいえば「ハンカチ落とし」で、必ず毎回ハンカチを落とされ、「ベンジョ」になっていたなあ、昔の私は。いちばんキライな遊びは「フルーツバスケット」でした。「三すくみ」も、私にとってはルールが煩雑すぎて(なにしろ人間カンケイの駆け引きが、非常にはっきり打ち出されているゲームだからだと思う)、加わりたくなかった。「イスとりゲーム」も、とにかく「勝ちに行く」という、人間本来の性癖の、いちじるしく低い私には、楽しめなかった。ドン臭いし。高校生以上になると、「イスとりゲーム」をやると、何故かむしろ負けたがる者が出てくるのが、面白いと思った。私もまっさきに、「いち抜けた」組だったけど。
> 悲しくムカついたのが、「伝言ゲーム」で、終わったときの言葉が、最初とまったく違っていると、必ず「あんくがまちがえたんだろう」「あんくのせいで」と、みんな怖い顔をして、口々に責め立ててきたことだ。かならず誰かしら、おもしろ半分に、次々言葉を変えて伝えてくるのを、私という、「味方のいない子」のせいにする。「あんくのせいじゃない、私がやったんだ」と“自首”してくる子も、ひとりもいない。私が「それは違う」と反論できない子だということを、見越しているのだ。
> そもそも「伝言ゲーム」なんて、どんどん言葉が変わってくるところが面白いのであって、まちがえたから責めるというのも、全然おかしい。今の私だったら、そういったことすべて理解していて、「あーくだらない」と、さっさと受け流してしまえるところけれど、あのころの私は、いろんな“黒魔術”に、翻弄されっぱなしだった。
私も伝言ゲームなんて最悪で、ほとんど私のところでおかしくなって、間違えた犯人は私にたどり着く有様だったわ。伝言ゲームと言うよりもどこで誰かが間違えたという犯人捜しに躍起になり、だから私は伝言ゲーム不参加と言う“お墨付き”を貰って見ているだけだったわ。その方が面白かった。
小学校の頃から周りと完全に違う世界に居るなとゲームなどで感じていたわ。
> 健常者の“黒魔術”というのは、たいていの場合、アスペにとって、害にしかならないと思う。これからの時代、生まれてくる子がアスペだと分かった時点で、これらの術から、身につけなくとも少なくとも「身をかわす」知恵を教えてあげておくのが、親として義務になってくるんじゃなかろうか。
身をかわすことは難しいと思う。最初からゲームから下りて傍観者としているしかないのかなと思ってしまう。修学旅行なんて全然行かなかった方が正解だった。小学校のスキー旅行のバスで思いっきり懲りたから。(バスの中で外を眺めて自分の世界に居たいのに、無理矢理伝言ゲームに参加させられ見事にパニックを起こし、ぶち壊した経験からクラスのクラスの団体旅行なんて行かないと決心したのだから。その時のバスの中って最悪。)
あんく wrote:
> 私が小学校低学年ぐらいだったころ、クラスの班になっている子同士で、「明日みんなで遊びにいこう!」っていうことになった。友達のひとりも持つことのできない A - type のくせに、「ふつうの」子ども達の仲間に入れてもらい、遊ぶということに、人知れずあこがれ切っていたその頃の私にとって、みんなと一緒に何かできるなんて、嬉しくてたまらないことだった。
> さて、「どこに集まろうか?」という相談になった。他のみんなは、「じゃあ、あんくちゃんの家の近くにしよう」と言った。私の家から5メートルと離れていない、曲がり角のところで、「明日の放課後、あんくちゃんは、ここで待っているんだよ。いいね?」と言われた。
> 次の日、約束の時間が来ると、私は言われたとおりの場所で、低いブロック塀の上に座って、みんなを待っていた。
> 待った。待った。待った。いくら待っても、昨日打ち合わせした子の一人も来ない。とうとう私はあきらめて、家の中に入った。
>
> ことの真相を推測するに、みんな、あんくなんていう、わけの分からない、暗〜い子になんて、ついて来てほしくなかった。連れて行ったところで、人付き合いのルールも分かっていないような子が、一緒になどなったら、せっかくの楽しい気分もぶちこわしだ。だから、私のいない所で、みんなは、あんくを除いた自分たちだけで遊びに行くという、別の相談をしたのだろう。
> それには、自分たちの遊び場に、待ち合わせ場所を設定してしまったら、あんくは来てしまう。だから、あんくには、彼女の家のすぐ近くで待たせることにする。そうすればあんくは、その場所に釘付けになってしまい、自分たちを探すことなどできない…。彼らは、そう考えた。そしてまんまと、作戦は奏効した。
>
> これが、健常者の“黒魔術”のひとつ、「足止めの術」だ。
> 彼ら健常者は、とても幼い頃から、こういった高等な心理操作術を、会得しているのである。
>
> あんくはそういった術のひとつも、持ってはいなかった。私は、「遊ぶ場所はどこにあるのかということを、知らされていなかった」(「まだ決まっていないので、集まってから相談する」とでも言っておけば、ますます怪しまれないだろうしね)ということを、見破ることができなかった。よりによって、ふだんだれとも遊ばないような子の家の近くで待ち合わせるなんて、不自然だということにも、気付いていない。まんまとはめられているんだよね。
>
> 「自分はジャンケンが弱い」と思っていたけれど、特に、数人でジャンケンをするときというのは、裏で操作が行われているかもしれないので、注意が必要だということも、ずっと分かっていなかった。「ともだち(味方)を持っている」というのは、健常者社会の中では、そういった意味でも重要なことなのだ。「あいつには友達がいないし、いちばん後腐れがない」ということに、なってしまえば、常にババを引かされる役目に回ってしまう。健常者が、「ともだち」をつくり、キープしておくことに、いつでもいちばん心を砕くのは、だからこそでもあるんだろう。
>
> こういった術や知識は、みんな、いつどこで得るんだろう?多分、ごく幼い頃に、大人社会、特に自分の親からなんだろうと思う。異端とみなされ、排除されることを極端に恐れる社会は、自分が当の犠牲者となってしまわないための知恵を、親から子へと伝授するのだ。
> 「花いちもんめ」「かごめかごめ」「かくれんぼ」「ナントカ鬼」などの遊びは、まさにその「知恵」を、子供たちに教え込むための方策だったのかもしれない。
>
> 花いちもんめで、だれにも選んでもらえない子、鬼ごっこでしょっちゅう鬼にされるような子というのは、知恵が働かず、社会のルールを学習する能力を持たない、「できそこないの子」として見分けられ、村に何か災いがあったときの「人柱」として、白羽の矢を立てられることになる。そうならないためにも、「味方をつくっておきなさい。それにはまず、他の子達と、いつも仲良くしておくこと」ということを、親はわが子に教え込んでおく。
> その一方で、脳に障害があったがゆえに、いつまでたっても学習することのできなかった子ども達が、こんどは大きくなって、やはり自分の子ども達に、「知恵」を授けることができない。その子の子供も、そのまた子孫も、教えてもらえないままだ。そんなふうにして、被虐性(イジメの標的になりやすいこと)のある家系がつくられてゆく…というのは考えすぎ?「自分は社会の一員として、機能すべきである」という自覚は、健常者の場合、生来的に習得してゆくものであるという考え方もあるけれども。長くややこしくなりそうなのでここでは議論しない。
>
> そーいえば「ハンカチ落とし」で、必ず毎回ハンカチを落とされ、「ベンジョ」になっていたなあ、昔の私は。いちばんキライな遊びは「フルーツバスケット」でした。「三すくみ」も、私にとってはルールが煩雑すぎて(なにしろ人間カンケイの駆け引きが、非常にはっきり打ち出されているゲームだからだと思う)、加わりたくなかった。「イスとりゲーム」も、とにかく「勝ちに行く」という、人間本来の性癖の、いちじるしく低い私には、楽しめなかった。ドン臭いし。高校生以上になると、「イスとりゲーム」をやると、何故かむしろ負けたがる者が出てくるのが、面白いと思った。私もまっさきに、「いち抜けた」組だったけど。
> 悲しくムカついたのが、「伝言ゲーム」で、終わったときの言葉が、最初とまったく違っていると、必ず「あんくがまちがえたんだろう」「あんくのせいで」と、みんな怖い顔をして、口々に責め立ててきたことだ。かならず誰かしら、おもしろ半分に、次々言葉を変えて伝えてくるのを、私という、「味方のいない子」のせいにする。「あんくのせいじゃない、私がやったんだ」と“自首”してくる子も、ひとりもいない。私が「それは違う」と反論できない子だということを、見越しているのだ。
> そもそも「伝言ゲーム」なんて、どんどん言葉が変わってくるところが面白いのであって、まちがえたから責めるというのも、全然おかしい。今の私だったら、そういったことすべて理解していて、「あーくだらない」と、さっさと受け流してしまえるところけれど、あのころの私は、いろんな“黒魔術”に、翻弄されっぱなしだった。
>
> 健常者の“黒魔術”というのは、たいていの場合、アスペにとって、害にしかならないと思う。これからの時代、生まれてくる子がアスペだと分かった時点で、これらの術から、身につけなくとも少なくとも「身をかわす」知恵を教えてあげておくのが、親として義務になってくるんじゃなかろうか。
>
>
>
>
激しく共感した!!
おはようございます、28号さん。こうもり(AS)です。
28号さn wrote:
>現状と皆さんからのご意見で、俺が今のところ導き出した結論は
>「ADHD/LD/ADD/ASという障害者であることを忘れてつきあう」
>「同居解消する」です。付き合いをやめるということではないで
>す。
同居解消についてはそうした方がよかろうと思います。その友人
がADHDであることを免罪符にして傍若無人に振舞うのであれば
やむを得ないでしょう。障害者同士の仲間うちならともかく、発達
障害と無縁な人と接する時には、それなりの交流の仕方があるのは
当然のこと。(28号さんはASかもしれないとその友人から指摘
されているそうですが、特にこの世界に所属意識を持っておられる
訳ではないので、仲間内という訳にはいきますまい)
>障害の事が念頭にあると、非常に言い回しや言葉に気を使います。
そう。これって発達障害者の家族から悩みとして聞いたことがあ
ります。障害のことに気をつかってしまう余り、障害児本人と自然
な家族関係を作ることができなくなっている、と。また、家庭内で
気をつかってしまうがために、障害児本人自身も家族外で気をつか
ってもらえない環境では生きていくことが大変になっているそうで
す。
周囲から理解されている環境というのも必ずしも本人にとってい
いことばかりではないのです。
(PS)
特にレスをつける必要はありませんので、目だけ通していただけ
ると幸いです。<28号さん
読んでいらっしゃるか分かりませんが、書きます。
28号さん wrote:
>現状と皆さんからのご意見で、俺が今のところ導き出した結論は
>「ADHD/LD/ADD/ASという障害者であることを忘れてつきあう」
>「同居解消する」です。付き合いをやめるということではないです。
結論に至るまでの葛藤のごく一部をしか知らない人間が、こんなことを言っていいのか分かりませんが、いいわるいの問題でもないと思いますし、仕方がないのではないでしょうか。
>ただ、障害のある方があったつらい目とは違う種類のつらさを
>周囲の人間は抱えている、ということを知って欲しいです。
それはある意味、理解できます。自分のことですが、娘のお友達の言動に悩むことが多いので。おそらくアスペっ子なのですが、親御さんが何もしないので、わたしはしょっちゅう腹を立てています。その娘さんのせいじゃないんだと思ってみても、現実にはその子の世話をすることが多いこちらにしてみれば、“なんでこんなことになるんだ?”と、いらいらしたり悩んだり……。
あまり有効なたとえではなかったと思いますが、どんな場合でも人間関係はむずかしいものを含んでいると感じています。どこまで耐えられるかは、人それぞれでしょう。
>感情的になってます。すいません。本当に。
>そしてご自分の肉親なら、関係を断つという事ができない方には、
>ホント不快な書き込みだと思いますので、これで最後の書き込みにします。
わたしは不快だとは思いませんでした。
>決して発達障害をもつ方々が皆こうだ、とは本当に思っていません。
今までの28号さんの書き込みから、それは推測できます。自分の限界を超えてまで何とかしようとすることは、たとえ肉親でもできないと思っています。ご自身を責めすぎないようにしてくださればと、わたしは思います。
5月の頭に同居するADHDの友人の件で、突然割り込ませて頂いた28号です。
色々ご意見を頂いたまま、無言で去るのも失礼なので、
ご挨拶がてら参りました。書き込み中の方、ごめんなさい。
どなたかのレスに「悪気はない。今興味のあるものに
盛り上がってしまっていて、他の事が耳に入らないだけ」とありましたが、
正にその通りだと思います。悪気がないのが分かるからこそ、
こっちも悩むのですが、すいません、限界みたいです。
友人は動物を飼っているのですが、
その動物の糞尿(人間のそれと同じぐらいの量・回数・臭い)を
2、3週間家の内外に放置して片付けないというのが3年続いたり、
2年ぐらい放置した水槽からボウフラがわいて虫がわんわん飛んでたり、
ある約束を守ってくれるよう二ヶ月にいっぺんぐらい促しても
3年間無視されたり、もう俺ダメかもしれないです。
帰宅恐怖症になっています。
すぐ物事を忘れる、ということには対応してきたつもりですが、
「クソ/ゲロ/腐る」関係(女性の方、すいません)はもう限界です。
自分の我慢と理解の折り合いがつきませんです。。。
すいません、愚痴だし、皆さんが不快なのは承知の上ですが、
誰かに言わないと俺の頭がおかしくなりそうなんです。
現状と皆さんからのご意見で、俺が今のところ導き出した結論は
「ADHD/LD/ADD/ASという障害者であることを忘れてつきあう」
「同居解消する」です。付き合いをやめるということではないです。
ああやっぱり見放すんだ、ととられても仕方ないです。
障害の事を忘れなければ、バカ話や相談ごと/アドバイスなど
を含む「フツー」の会話が自分にはもうできない、という事です。
障害の事が念頭にあると、非常に言い回しや言葉に気を使います。
気を使った結果が、今までのように彼には言葉が届かないのですから。
彼には発達障害の仲間がいるし、その人たちに大切にしてもらえばいいと
思います。過去に同じ障害の特徴でつらい目に会った人たちの言葉の方が
届くと思いました。所詮、俺は「当事者」ではないという立場ゆえ
永遠に彼には俺の悩みやフォローは届かないんだ、
ということがわかりました。届くとしても10年後とか。
苦労を報いてくれ、誉めてくれ、という気はさらさらありません。
結局「当事者」以外の人間の言葉は所詮キレイゴトで耳を貸さない、
ということが虚しいし、哀しいです。
ただ、障害のある方があったつらい目とは違う種類のつらさを
周囲の人間は抱えている、ということを知って欲しいです。
「自宅の玄関に一ヶ月間、動物の糞尿を放置/山積みしてしまうという忘れっぽさ」に悩まない人は少ないでしょう、本人以外に。
そして今も長い間催促していて期限が昨日だったある事柄を
さっくり忘れてるのか、るんるん6時間くらいチャットしています。
これで俺の明日のスケジュール台無しです。
感情的になってます。すいません。本当に。
そしてご自分の肉親なら、関係を断つという事ができない方には、
ホント不快な書き込みだと思いますので、これで最後の書き込みにします。
決して発達障害をもつ方々が皆こうだ、とは本当に思っていません。
自分も過去に人と接するのが苦手でいじめられたり、今でも変わり者扱い
ですし、気味悪がられること嫌われること日常茶飯事ですので、
他人事とは思えません。前述の友人からは「ずばりアスペ」と
言われていますし、そうかもしれないです。
ですが、検査を受けることは全く考えていません。
たくさんの方にご意見を頂き、本当にありがとうございました。
すごい参考になりました。長文/お目汚し、失礼しました。
追伸;個人的に、Mr.Motoさんの、先方に「こういうのが欲しかったんだよ」
と絶賛された仕事内容は、じつは苦肉の策の妥協案だった、というくだりは泣けました。自分もそういう「あらー」という状況によく身をおきます。
RS wrote:
>質問があります。家以外の場所に「泊まる」ということを極端に嫌がります。家族が一緒でもです。最初は深刻に考えていませんでしたが(自分も結構そうなので)、ある自閉症の方がそう言う場合、嘔吐してしまったり体調を崩すことがあると聞き、息子も障害と何か関係あるのかなと感じ、今度養護学校で宿泊があるので考え込んでいます。アドバイスよろしくお願いします。
本人じゃないんでよくわかりませんが、外泊のなにが嫌なのかを一度じっくり聞いて見るといいかもしれません。極端に、ということは、周囲がまったく予想もしないような理由があるのかもしれません。
途中で「そんなのたいしたことじゃない」とか「それは大丈夫だから」など口をはさまず、まずは最後までちゃんと聞いてあげてください。
こんばんは、シぺラスさん。
シペラスさん wrote:
>あなたが、今時の‘普通人’の行動で、「これは変!!」と思うことは、何ですか??
とにかく、ころころと態度を変えること。
それだけの切り替えの速さが、実に不思議です。
RS wrote:
>はじめまして。息子はアスペルガーではないのでここへの書き込みがふさわしいくなければ申し訳ありません。。
>息子は11歳知的障害児です。判定はB。普段は見た目ごく普通です。テレビゲームは大人顔負け、一方的な言葉もかなりあります。自閉傾向があるとは思いますがよくわからないです。特に気になる行為は、嬉しい時や嫌な時壁か床、ないときは自分のひざなどに頭を打ち付ける、それから、大好きなものをなぜか壊すという行為です。
>質問があります。家以外の場所に「泊まる」ということを極端に嫌がります。家族が一緒でもです。最初は深刻に考えていませんでしたが(自分も結構そうなので)、ある自閉症の方がそう言う場合、嘔吐してしまったり体調を崩すことがあると聞き、息子も障害と何か関係あるのかなと感じ、今度養護学校で宿泊があるので考え込んでいます。アドバイスよろしくお願いします。
案外急激な周りの状況の変化に弱いタイプの子だと思います。
次の点に注意しましょう。
1.行動に参加させる前に、十分なガイダンス(説明)をしてあげる。
2.彼の様子を良く把握していて、彼がなついている人と同じ部屋に宿泊させる。
3.本を読み聞かせる・トランプをするなどテレビゲーム以外のことで、人との何気ない絆を作るようにする。
4.空調の音・強い蛍光灯の光などの刺激が少ない部屋を居場所に選ぶ。
あんくさん wrote:
> その一方で、脳に障害があったがゆえに、いつまでたっても学習することのできなかった子ども達が、こんどは大きくなって、やはり自分の子ども達に、「知恵」を授けることができない。その子の子供も、そのまた子孫も、教えてもらえないままだ。そんなふうにして、被虐性(イジメの標的になりやすいこと)のある家系がつくられてゆく…というのは考えすぎ?「自分は社会の一員として、機能すべきである」という自覚は、健常者の場合、生来的に習得してゆくものであるという考え方もあるけれども。長くややこしくなりそうなのでここでは議論しない。
人間がいるから社会が作られていて、その中の関係性の最小単位が家族(親子と兄弟)だと思うので、被虐性のある家系がつくられていくという考えには一理あると思います。
「自分は社会の一員として、機能すべきである」という自覚は、アスペっ子の場合、いつ頃どのようにして「入って」いくのかな?と、ふと考えてしまいました。
誰かが理論的に教えなければ、無理なんだろうな……。
> 健常者の“黒魔術”というのは、たいていの場合、アスペにとって、害にしかならないと思う。これからの時代、生まれてくる子がアスペだと分かった時点で、これらの術から、身につけなくとも少なくとも「身をかわす」知恵を教えてあげておくのが、親として義務になってくるんじゃなかろうか。
同感です。学校や教室からドロップアウトしてしまう子は、「身をかわす」知恵がなかったからとも言えそうです。そういう子の受け皿は、まだ少ないですしね。
間違い発生。正しくは
サラリーマンに「あなたはどうして毎日会社に来るのですか
」と質問してみる。
答え「会社へ来ないと給料がもらえないから」
問い「じゃあ、どうして給料をもらうのですか」
答え「妻子が養えないから」
問い「なぜ妻子を養うのか」
答え「家族の安らぎが必要だからだ」
問い「どうして家庭の安らぎが必要なのか」
答え「会社に行って稼ぐためだ」
でした〜。
ともあれ、仕事自体に価値が持てる仕事がしたいっす。
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