アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
シペラス さんへ
レスありがとうございました。
>一番大切なのは、「自分はどんな点で困っているのか。」
やはり一番は他人とのコミニケーション困難ですね。
それに健常者の対人アドバイスは私には通用しないという事。
>「他のAS・自閉症スペクトラムの人と比べてどうなのか。」を明白に伝えるこ>とだと思う。
これは、難しいなあ・・。
こうもりさん
> 子供の事例ばかり書いた本が多いので、部分的には特徴
>が消えてしまっている大人をイメージするのは難しいと思
>います。
そうですね。
> 自閉者やLD者の就労支援用に配布される企業向けの
>パンフレットが分かりやすかったような気がします。
私も某クリニックでそれらしき小冊子を貰いまして
「わかりやすいなあ」と関心しましたが
あれだけだと不充分だなあと感じました。
それにあれは仕事を指示する時だけの注意点
しか書いてなかったから・・。
(企業向けだからしょうがないか)
シペラスさん wrote:
> なお私がこういう質問をしたのは、人間というものは健常・障害にかかわ
>らずどこかしら『変なところ』を持っている、それが自然なのだということ
>に気づいてもらいたかったからである。
障害を医学,心理学的な要因から離れて社会的要因から説明すると、こん
なことも言う事ができます。
健常者…小社会(社会人の一員)のメンバーとの同一性を維持することにさ
ほど困難を抱えていない人
障害者…小社会との同一性を維持することに困難を抱えている人
例えば、医学的LD(読み書き計算)と診断される可能性がある人は大昔
からたくさんいたはずなのですが、日本で問題になりはじめたのはここ数十
年のことです。理由としては
(1)日本人の識字率が高くなり、読み書き計算ができない人が少なくなっ
たため、LD児が目立つようになった
(2)1970年代以降に受験の過熱があって、読み書き計算に困難を抱え
ていることが、その人の将来(進学,就労)に悪影響を与えるように
なった。
(3)読み書き計算ができないと遂行できない職種が次第に増えていった。
(4)どういう訳か、自分と共通項や似ているところを持っている相手とし
かコミュ二ケーションできない人間が増えていった。(これ、ウタ・
フリス氏は自閉の特徴と見なしているようなのですが、自閉・非自閉
を問わず、多くの人がこの限界を抜け出せていないような気がしてな
りません。)
といったことが挙げられます。つまり、障害はそれ自体が問題なのではなく
、その障害を抱えている人が生きにくい時代が到来した時に大きな問題とな
っていくという理解の仕方も可能です。
あさかぜさん wrote:
> へたっぴでよろしければ、不肖わたくしも少々の絵を描きますが……人物はなんとかなるものの、背景が描けません(汗)
テクノロジーの進化というものは恐ろしいもので、いまや腕はなくとも機材とソフトウェアとノウハウの蓄積があれば(上手い下手は別にして)マンガは描ける時代になっています。
あたしは大学の設計製図の時間にパース(透視画法)をマスターしたおかげで、背景とメカが描けるようになりました。いわゆるアート系のイラストレーターやマンガ家さんは、テクニカル・イラストレーターと違ってパースが崩れやすいのは、こうしたノウハウが身についてないからだったりします。ありものの素材を切り貼りするときも、消失点の高さとか揃えないとパースが狂ってしまうので、パースの知識は必要です。逆に、「連続するコマでパースを極端に変えることで、画面に躍動感を出す」とかいったテクニックを意図的に使うこともできるようになります。
美術解剖学を勉強すると、人物を描くときに、頭の形や肩の線(それに眼鏡)が自然に描けるようになります。『脳の右側で描け』という本が、入門書としてはよくできています。
コマ割りに関しては、『映画の文法』という本があって(高いけど)、これがよくできています。
作画上のお約束に関していうと、夏目房之介さんの『手塚治虫はどこにいる』という本が役に立ちます。
ソフトウェアに関しては、十年以上も前に“ComicWorks”というMac用のソフトが出ていて、ありものの素材をコピーしたりなんかしてそこそこマンガ(アメコミだけど)が描けてしまうというのがありました。
中島らもさんの『微笑家族』(カネテツデリカフーヅの宣伝用のマンガ)では、キャラクターは一つ(カネテツデリカフーヅのイメージキャラクター、かねてっちゃんの絵を反転・縮小・拡大・回転させ、サングラスをかけたりしただけ)、背景なし、コマ割りは『のらくろ』ばりの固定サイズ、あとはセリフだけという、画力の入り込む要素のまったくないマンガでしたが、とても面白かったです。
絵が描けないからマンガが描けない、というものでもないようです。試してみる価値はあるかも。
(Maria)
こんばんは、まろんすさん。
まろんすさん wrote:
>みなさんは健常者や
>まだ軽度発達障害について知らない人に対して
>ASの事をどのように説明してますか?
相手にもよりますが、まずは「発達障害って知ってる?うちの子自閉症なの。言葉の遅れのない自閉症で、アスペルガー症候群っていうの」とすぱっと言って、相手の反応を観察します。説明を聞いてくれる人は、ほとんどいません(笑)
> その手の本を見せても
>あまり興味が無いのか
>他人はじっくりとは読んでくれず
>タイトルだけ読んだり
>箇条書きになってある所だけを
>読んで
>「これはあなたとは違う」
>と言います。
知ってもらいたいから本を見せているのにね。わたしも似たような経験があります。
> だから私は以前から
>漫画やわかりやすい大きな字で
>書かれた自閉症スペクトラムについて
>説明が書いてある本があればいいなあと
>思ってます。
> そういう本を作りたいけど
>どうやって作っていいのかわかりません。
まろんすさんは、コマ割りしたマンガをイメージしていますか、それともイラスト(またはカット)&説明文による絵本のような構成のものでしょうか? まずは書きたいと思うことを箇条書きしてみてはいかがでしょうか。それを原作として、どう構成するか考えてみます。画像で思い浮かべることができれば、それを絵にするだけでいいかもしれません。あるいは、原作は既刊の本(まろんすさんが人に見せた本)から抜粋し、本の構成を考えてみるというのはどうでしょう。
印刷や製本の方法は、発行部数によって決めたらいいと思います。なんて、エラそうに言ってしまいました〜、すみません。マンガまたはイラストは、ご自分で描かれるのでしたっけ? 誰か描いてくれる人を募る必要があるかもしれませんね。へたっぴでよろしければ、不肖わたくしも少々の絵を描きますが……人物はなんとかなるものの、背景が描けません(汗)
参考になったかどうか……。
まろんす wrote:
> みなさん、こんにちは。
>みなさんは健常者や
>まだ軽度発達障害について知らない人に対して
>ASの事をどのように説明してますか?
> 私は説明下手なので
>他人から
>「例えばそれはどんな障害なの?
>どんな症状があるの?」
>って聞かれて困る事が多いのです。
僕自身もこれで四苦八苦している。
> その手の本を見せても
>あまり興味が無いのか
>他人はじっくりとは読んでくれず
>タイトルだけ読んだり
箇条書きになってある所だけを
>読んで
>「これはあなたとは違う」
>と言います。
一番大切なのは、「自分はどんな点で困っているのか。」「他のAS・自閉症スペクトラムの人と比べてどうなのか。」を明白に伝えることだと思う。
百日紅(さるすべり) wrote:
>質問(最近の‘普通人’の行動で、「これは変!!」と思うことは?)
>というスレッドが前あったのですが、そもそも「普通人」って何ですか?
こうもり君が説明してくれたとおりである。
なお私がこういう質問をしたのは、人間というものは健常・障害にかかわらずどこかしら『変なところ』を持っている、それが自然なのだということに気づいてもらいたかったからである。
こうもり wrote:
>百日紅(さるすべり)さんwrote:
>>質問(最近の‘普通人’の行動で、「これは変!!」と思うことは?)
>>というスレッドが前あったのですが、そもそも「普通人」って何ですか?
>
> はっきりした意味はシペラスさんに聞いた方がいいのですが、障害の世
>界で使用されている「健常者」や「まともな人」,「普通の人」というの
>は障害者の対義語でしかないように思われます。「障害者以外のその他大
>勢の人」という感じで、あまり積極的な意味は持たないような気がします。
まろんすさん wrote:
> みなさん、こんにちは。
>みなさんは健常者や
>まだ軽度発達障害について知らない人に対して
>ASの事をどのように説明してますか?
う〜ん、全く予備知識のない人に対しては説明したことは
ありません。運動能力の困難については「子供の頃に4年間
肢体不自由児の施設に通っていた」、視空間認知の悪さにつ
いては「方向感覚や位置感覚がめちゃくちゃ悪い」と説明す
ることはありますが。
> その手の本を見せても
>あまり興味が無いのか
>他人はじっくりとは読んでくれず
>タイトルだけ読んだり
>箇条書きになってある所だけを
>読んで
>「これはあなたとは違う」
>と言います。
子供の事例ばかり書いた本が多いので、部分的には特徴
が消えてしまっている大人をイメージするのは難しいと思
います。
> だから私は以前から
>漫画やわかりやすい大きな字で
>書かれた自閉症スペクトラムについて
>説明が書いてある本があればいいなあと
>思ってます。
自閉者やLD者の就労支援用に配布される企業向けの
パンフレットが分かりやすかったような気がします。
> 自閉の漫画本版「変光星」も素晴らしいですが
>もっと分かり易い症状の症例が漫画で書かれているような
>本が欲しいです。
>
> そういう本を作りたいけど
>どうやって作っていいのかわかりません。
これならば、発達障害相互支援ネットワークでも作れそ
うな気がします。出版関係の仕事を経験したことのある人
も多いですし。後は漫画を書いてくれる人がいれば何とか
なりそうな予感。
みなさん、こんにちは。
みなさんは健常者や
まだ軽度発達障害について知らない人に対して
ASの事をどのように説明してますか?
私は説明下手なので
他人から
「例えばそれはどんな障害なの?
どんな症状があるの?」
って聞かれて困る事が多いのです。
その手の本を見せても
あまり興味が無いのか
他人はじっくりとは読んでくれず
タイトルだけ読んだり
箇条書きになってある所だけを
読んで
「これはあなたとは違う」
と言います。
だから私は以前から
漫画やわかりやすい大きな字で
書かれた自閉症スペクトラムについて
説明が書いてある本があればいいなあと
思ってます。
自閉の漫画本版「変光星」も素晴らしいですが
もっと分かり易い症状の症例が漫画で書かれているような
本が欲しいです。
そういう本を作りたいけど
どうやって作っていいのかわかりません。
シペラスさん wrote:
> ただ、人間の心というのはもろいもので、いつ何時そのような恨み・ねた
>みが鎌首をもたげてくるかもしれない…
この認識は正確だと思います。倫理,道徳,法律,人権思想…。これらの
悪を規制するためのシステムは、人間が悪の可能性に開けているからこそ、
生み出されてきました。人間に悪の可能性が開けていなければ、これらのも
のは生み出される必要性もなかったでしょう。
> そういった兆候に対する注意をもってもらいたい一心で、かなり行き過
>ぎたことを言ったかもしれない。
もっとも、個人レベルでは自己反省能力というのはとても必要なものだ
ったりします。これが集団レベルに持ちこまれると、「一億総ざんげ」み
たいになって怖いことになるのですが。
>この点は深くお詫びします。
いえいえ、しつこいレスになってすみませんでした。では
シペラス wrote:
>君の場合はそういうことは無かったと思うが、僕の場合はこれがあった。
> ボランティア先だった作業所・現在通っているディケア施設などで、そ
>ういった人たちと生活を友にしていくという経験をして、彼らのひたむき
>に生きようとする姿を生で見る機会が無かったら、一生「何で俺はこんな
>やつらと一緒なんだよ!」という邪心を持ち続けたかもしれない。
わたしの場合の診断後の混乱というのは教育学的LDの判断を受けた時
にありました。ただ、他の障害とのあつれきというよりは、自分の障害に
対する不安という形で現れました。今から考えると、その時点では障害者
としての発達課題が積み残されたまま大人になっていたため、うまく障害
を受けとめることができなかったのでしょう。
ちなみに知的障害や統合失調症に対する偏見は中学生ぐらいまで持って
いたと思います。それまでは「障害者」とか「異常だ」とからかわれると
逆上して相手になぐりかかっていましたから。「障害者」とか「異常だ」
と言われて怒るのは、障害に偏見を持っている証拠だということができま
す。高校生以降はそもそも統合失調症やアルコール依存症など障害者の友
達しかできなかったので、あまり偏見を持たなくなっていたと思います。
ただし、知的障害との関わりについては、去年さる境界知能の女性に気
の毒なことをしてしまったことがあります。オフ会などで、「境界知能の
軽度発達障害者とオフ会に来るような軽度発達障害者のニーズを合わせた
活動をするのは難しいかもしれない」と発言したところ、結果としてその
本人を深く傷つけることになりました。発達障害者は知能によって簡単に
線引きできるような、単純な存在ではなかったのです。じっさい、自分の
障害を自覚していて、それについて問題意識を持っている発達障害者であ
れば、その後もニーズを合わせることが可能でした。その女性には今でも
すまなかったと思っています。
まずは、自分自身が偏見を持ったことのない訳ではないということを補
足説明しておきました。
>そうだな。『良かれ』の強制でありすぎても良くないだろうな。
>まあ…一番大切なのは、「真心をもって、これらの隣人たちとつきあっ
>ていく」ということではなかろうか。
この点については同感です。
> このようにして、ニーズを分析していくと、次第にお互いに必要なニ
>ーズのレベルが明白になっていくのではなかろうか?
この説明については非常に納得できました。では
質問(最近の‘普通人’の行動で、「これは変!!」と思うことは?)
というスレッドが前あったのですが、そもそも「普通人」って何ですか?
こうもり wrote:
>シペラスさん wrote:
>
>> これは大人・子供を問わず、『告知後の混乱』の原因になると思う。
>
> ええと、これはどのような意味ですか?質問の主旨は「なぜシペラス
>さんが「邪心を持っている」と判断されたかについてだったのですが、
>ちょっとつながりが分かりませんでした。
>
私はみんなの潔白を信じている。
ただ、人間の心というのはもろいもので、いつ何時そのような恨み・ねたみが鎌首をもたげてくるかもしれない…
そういった兆候に対する注意をもってもらいたい一心で、かなり行き過ぎたことを言ったかもしれない。この点は深くお詫びします。
こうもり wrote:
>シペラスさん wrote:
>
>> これは大人・子供を問わず、『告知後の混乱』の原因になると思う。
君の場合はそういうことは無かったと思うが、僕の場合はこれがあった。
ボランティア先だった作業所・現在通っているディケア施設などで、そういった人たちと生活を友にしていくという経験をして、彼らのひたむきに生きようとする姿を生で見る機会が無かったら、一生「何で俺はこんなやつらと一緒なんだよ!」という邪心を持ち続けたかもしれない。
知的障害や統合失調症に対して「軽度発達障害者」が抱
>いている多様な気持ちや考えが無視されてしまうような恐れを抱いて
>しまうのです。
そうだな。『良かれ』の強制でありすぎても良くないだろうな。
まあ…一番大切なのは、「真心をもって、これらの隣人たちとつきあっていく」ということではなかろうか。
『軽度発達障害者のニーズ』=『精神・知的障害者が必要として
>>いるニーズを探るための試金石』というコンセンサスを、常に持つ
>>ようにすることが大切だと思う。
> これはどうなんでしょうね。障害者間で支援のニーズが違ってい
>るのは仕方がない気もするんですよ。
専門家が我々に注目している理由の一つが、この『ニーズの試金石』という見方だと思う。
例えば我々が理解度80%のことは彼らにとっては60%であり、よって、我々に理解を与えた手法を改良していけば、より良い理解度を彼らに与えるだろうという予想である。
この予想は、時には的中していい結果を与えるかもしれないし、そうでないかもしれない。この予想からののズレの度合いが、私たちのニーズと彼らのニーズとの相違点ということになる。
もちろん逆に、弱いほうから強い方へと見ていくことも、忘れないようにしなくてはならない。
このようにして、ニーズを分析していくと、次第にお互いに必要なニーズのレベルが明白になっていくのではなかろうか?
シペラスさん wrote:
> これは大人・子供を問わず、『告知後の混乱』の原因になると思う。
ええと、これはどのような意味ですか?質問の主旨は「なぜシペラス
さんが「邪心を持っている」と判断されたかについてだったのですが、
ちょっとつながりが分かりませんでした。
>また子供の場合、本人はそうは思っていなくても、周りの人がこれら
>の人たちに対して、違和感を持っていると、次第に敵対感を抱く可能
>性があろう。更には、支援の乏しさに対する苛立ちから、これらの人
>に対して『ずるいヤツだ』と思う人もいるかもしれない。
これはありうるでしょうね。「軽度発達障害者」が「みんな」そう
だと言えるかどうかまでは分かりませんが。
これは意見そのものというより表現の問題なのかもしれませんが、
意見を述べる時は「みんな」「我々」「軽度発達障害者」「普通の人
」とひとくくりにした意見は言わない方がいいのかもしれません。わ
たし自身の経験でも「軽度発達障害者」と言われている人同士が異な
る考えや気持ちを持っているということはよくあることですし、「普
通の人」と言われる人たちの間にも様々な差異がひしめき合っていま
す。わたしが「軽度発達障害者」を代表した意見を言わないのは、わ
たし自身が軽度発達障害者の考えや気持ちを集約して説明することが
できないという限界を悟っているためです。(あくまで「軽度発達障
害者」の一員という立場でしか発言できない)今回の件に限定して言
うならば、「みんな」とか「我々」という表記を使用して意見を出し
てしまうと、知的障害や統合失調症に対して「軽度発達障害者」が抱
いている多様な気持ちや考えが無視されてしまうような恐れを抱いて
しまうのです。
#なお、わたしについて言えば、少年期から青年期のかけて知的障害
#者との間で激しい葛藤を経験していたということだけは指摘してお
#きましょう。わたしについて言えば、シペラスさんの考察は的外れ
#ではありません。他の「軽度発達障害者」がどうなのかは分かりま
#せんが。
> 『軽度発達障害者のニーズ』=『精神・知的障害者が必要として
>いるニーズを探るための試金石』というコンセンサスを、常に持つ
>ようにすることが大切だと思う。
これはどうなんでしょうね。障害者間で支援のニーズが違ってい
るのは仕方がない気もするんですよ。
反論お待ちしております。
シペラス さんwrote:
> そこで質問です!
>あなたが、今時の‘普通人’の行動で、「これは変!!」と思うことは、何ですか??
普通になりたくて、散々力を疲労してしまったsatieです。
(カルテによると、ADHD LD 知的障害)
まぁ。あたしは普通じゃないので、普通の人の事は言えないのですが、
普通の人は変なんでしょうね...。
なんで、みんな一緒のブランドのバックを持ち歩いているんでしょうか?
服を着てるのでしょうか?
街行く普通の人を見ていると、ヴィ○ンやコー○、グッ○。
でも、たまたま気に入った服や小物がブランドだったという人は許せます。
ブランドだし、やはり素晴らしいデザインにひかれたとか、自然と身に付けていたとか、自分は日本人離れしている体型だから、外資の物がイイとか
理由やこだわりや個性があれば良いのですが。
ただ単に、OLが「流行りだしね。」といい、身に付けている理由に何もないというのが、不思議です。
あたしもそういえば、昔、普通になりたかったからこそ、女性雑誌等を見つつ、ブランド研究をして、自分はブランドにひかれなかったので、身に付けなかったのですが、人のブランド傾向を探るのが好きだったりしましたので、案外あたしも普通の部分があったのでしょうか...。
あと、人に幸せを求めている感性です。
昔から多々普通の知人から恋愛相談を持ちかけられる事があるのですが
散々「彼が○○してくれない」と悩んでおったので、「とりあえず、求めない事からはじめてみたら?幸せは自分できめる事なんじゃないかなぁ...。」と偉そうに語ってしまったのですが、あたしはちっともたいしたことのない人間だと気が付いたのは、助言した後でした。
ともあれ、普通の人を観察していると、ちがう所があるので、ストレスがたまる事もあれば、ちがうのねん。と思う事があり発見することがあります。
長文をお許し下さいませ。
小笠原というところは、いろんな面でおもしろいところです。
小笠原諸島で目についたのは、そこここに植えられた外来の観賞用熱帯性樹木(ハイビスカス、ブーゲンビリア、トックリヤシなど)と、野生化して繁茂した園芸植物(トラノオラン、セイロンベンケイソウ、ポトス)、つまり、いわゆる「観葉植物」でした。
……考えたらよくわかんないぞ(-_-;)。
前者の観賞用熱帯性樹木はおそらく観光客向けに熱帯のエキゾチズムを演出しようとしたのだと思うのだけど、はっきり言って(ハワイや沖縄ならともかくも)小笠原に来るひとというのはそういうものを小笠原に求めてはいなそうに思うのね。小笠原は小笠原。「東洋のガラパゴス」なんていう呼称もあたしには気にいらなくて、小笠原は小笠原です。なんつったって固有種てんこ盛りの場所なんだから。タコノキでもオガサワラビロウでもノヤシでも(←ぜんぶ小笠原固有種)植えておけばよろしい、とあたしは思うのね。
で、後者の観葉植物に関しては「日常の一部」として持ちこまれたような気がするのですが、そういうのを見ると山の中の温泉場の一軒宿で鮪の刺身が出てきたような気分になるのですね。べつにそこまで「いつもどおりの生活」にこだわらなくてもいいじゃないか。「自閉症じゃあるまいし」。だったら行かなきゃいいじゃないか。そう思います。
とはいえ、小笠原在住の一部の公務員の間には、「仕事だから仕方なく来てやっている」といった雰囲気が存在しているようです。そんなわけで、「都会並の生活」(=都会と同じ生活)というのが提供されてあたりまえ、みたいな思いがあるようです。で、そういう人々の感性が観光行政にも反映されて、便利で清潔でありがちな観光地としての小笠原、みたいなものをでっち上げている気がしたりします。
その意味では、毋島はいいぞ。まんま小笠原だから。『クラフトイン・ラメーフ』さんの料理はおいしかったです。青パパイヤとかマンジョカとかシカクマメとかパッションフルーツとか(←外来の野菜と言われればそうなんだけど(^_^;))、島で採れた野菜を堪能することができました。
「都会の人間が持っている、楽園としての南の島のイメージ」を貼りつけてしまうことで、本来の「小笠原」が楽しめなくなってしまうことがある。あるいは、都会における「快適さ」とまったく同じものを小笠原に求めてしまうために、自然の中の「快適さ」を損なってしまう。これって、健常者と障害者の関係にも似ていると思います。
あたしたちはあたしたちでしかありようがないし、あたしたちにはあたしたちなりの自然なライフスタイルというものが存在するわけです。それが他の人の目にはあんまり幸福そうにみえないからといって、「他の人にとって幸福そうな自分」を演じる必要はさらさらありません。
そんなわけであたしたちは、普通の観光客には喜ばれず地元民にはあたりまえすぎて何が面白いのかわからないものを面白がるヘンな観光客していました。
あたしはリュウゼツランとサイザル麻(どっちも雑草化している)が別物だということを知りませんでした。パパイヤの木(そこいらに本当に適当に生えている)に雌雄があるというのも知りませんでした。オカヤドカリというのはあたかも内地におけるベンケイガニやアカテガニのような生活をしているというのも知らなかったし、現地では意外に人気がない(広域分布種なので)というのも意外でした。
父島農協ではタコノキの鉢植えを売っていて、「出港日までに売り切れることはないでしょうか」と真顔でJAのお姉さんに訊いて笑われてしまいました。うーむ、人気ないのか。マルハチとかメヘゴとか(←固有種の木性シダ)売ってたらすぐ買っちゃうんだけどな。そんなわけでトウガラシ(硫黄島で野生化している)とコーヒー(父島で作っている)とシカクマメ(近年小笠原に普及しつつある)の種を買ってきました。
ザトウクジラや珊瑚礁ばかりが小笠原ではありません(とはいえマッコウクジラと枝珊瑚はすごかった)。コアな小笠原はけっこういいぞ。
(Maria)
こうもり wrote:
> レスが相当に遅れてしまいました。こうもりです。
>
>>シペラスさん wrote:
>>
> ただ、自分の障害をさしあたって承認している発達障害者であれば、
>それほど否定的な価値を抱くことはないでしょう。さらによく勉強して
>みれば、軽度発達障害(死語にしたい)と知的障害と統合失調症の連続
>性みたいなものにも気がついてきますから。
そうであって欲しい。
> しかし、やはり「自分はこんな奴らの仲間じゃない」というのが軽度
>発達障害者の一般的な心性と言えるのかどうか疑問です。シペラスさん
>がこれが軽度発達障害者の一般的な心性だと考えた根拠をもう少し具体
>的に聞いてみたい気がします。
これは大人・子供を問わず、『告知後の混乱』の原因になると思う。また子供の場合、本人はそうは思っていなくても、周りの人がこれらの人たちに対して、違和感を持っていると、次第に敵対感を抱く可能性があろう。更には、支援の乏しさに対する苛立ちから、これらの人に対して『ずるいヤツだ』と思う人もいるかもしれない。
> 以前のスレッドに挙げられている「軽度発達障害者のための○○○を
>」とか「軽度発達障害者向けの○○○を」という主張は、「軽度発達障
>害者のニーズに合った支援を」と主張しているだけであって、知的障害
>者や統合失調症の人に対して悪意を持って発せられた言葉ではないと思
>うのです。その主張によって、障害者間の利害が対立してしまうことは
>あると思うのですが。
『軽度発達障害者のニーズ』=『精神・知的障害者が必要としているニーズを探るための試金石』というコンセンサスを、常に持つようにすることが大切だと思う。
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