アスペルガーの館の掲示板(旧)

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会話の割り込みのまずさについて
No.13111  Tue, 2 Jul 2002 20:09:54 +0900  あんく [この発言にコメントする]

 ひょっとして私の父は、いまのいままで隠しおおせてはいたけれど、一対一の対話であるとか、スピーチなどの「一方的」な発言の場では、かろうじて切り抜けてはいても、おそらく2名以上との会話に融け込みつつ繋いでゆくことに、人知れず困難を感じていたのだろうか。
 家族との「打ち解けた」会話でも、父が参加してくると、私でも一瞬「………えっ?」と、父の顔を見返してしまう。とにかくタイミングが、ひどくまずい人なのだ。父も自身も、なにかしら自分でも説明のつかない「やりにくさ」を感じているらしく、どこか緊張した面持ちでいるのだが、相手が変な顔をするのだから、こちらも変な顔になってしまう。
 なんだかあんく自身の、“会話の運営法”(勝手にネーミングしてしまうけれど)のまずさを、鏡にして付きつけられているみたいだ。

 父は以前から、自分が「話べたである」という自覚はあったらしく、「話し方教室」の通信講座を取ったり(会話というのは、生身の人間同士のやりとりあってのものだと思うのに、自宅学習でカバーできるものなのだろうか?私には解らないな)、D.カーネギーの本などを精読し、努力して努力し、そのかいあって会社時代は、スピーチのうまさを上司に認めてもらったこともあるらしい。
 しかし、会話の中でも「雑談」の部分は、そういった努力でも、補えない部分があるんだろう。

 自分の居たい世界に融け込み、見識を広めるためには、「雑談」も必要不可欠だ。
 一方的だったり、内容が飛躍していたり、一部の者にしか通用しない話題を、「選ばなければいい」というものだけでは、済まされないらしい。
 健常者に訊いても、「みんなただ自分のしゃべりたいこと喋ってるだけよ」と、返されてしまう。なのに、健常者みんな、自分の好きなだけ、会話の輪の中にいられる。“やりとりそのものが楽しくて仕方ない”、「やあやあ○○ちゃん」「きゃー!元気だったー?」の間合いが、見ていても神業としか思えず、わからない。「飲み会」の席では、いつも取り残され、宙を見ているしかない、というパターンが、多すぎるのだ。

 イギリス留学先のスクールで、これやっちゃったもんな。ドナ・ウィリアムズが、再入学した先で、校内の廊下などにひとりきりでいて、誰かが通りかかると、急いで「私は今、用事があるのだ」という振りをしなくちゃならなかった、という、なんとも居心地悪いエピソードを披露しているが、そのまんま私も自分の大学時代から、まるで進歩していないどころか、「さあ、ひとりきりでいる奇異なこの私を見ろ!私を笑えばいいだろ!」とばかり、なかば開き直ってはいたのだけれど。こういうのを“人格の極端なクセ”と言えば言えるんだろう。自分でもはた迷惑な存在だって気がする。

 まるで奇跡みたいに、相手が私の言葉に対して、相槌を打ち続けてくれているのに気がつくときがある。そのときぐらい、卑屈なほどに幸せで有難く、涙もろい気分にさせられることはない(じっさい涙目になっていることもある)。目線を使う、「その会話、乗りたいなあ〜」という“暗黙のサイン”を送り、相手がこちらに振ってくれるまでは、割り込まず辛抱強く待つ、私にとって、こういうことは、いちいち意識しないとできないし、しょっちゅう混乱し、失敗もするのだけれど、成功すれば、健常者の方々は、そういったものに、よく反応して下さる。ありがたいありがたいありがたい。

 これは自慢だけれど、自分の近くで数人が会話していると、つい自分も参加している気分になり、タイミングも何も考えず割り込んでしまい、その結果その人々をギョッとさせる、という、私にとってまったく理由が分からず、ただ恥をかいたとしか思えない苦い失敗が、自分自身の気付きによって、劇的に減ってきた。
 でもそうなると今度は、なぜいままで自分は気付かなかったのかってことが、考え出すと夜も眠れないんだよな。

 “会話の輪の中に居続けることが、自分にとって当たり前で、ふつうに居心地いい”こんな能力を望むことは、まだまだ高望みではあるのだけれど。


Re: 2002年7月1日の日記 13102へのコメント
No.13110  Tue, 2 Jul 2002 19:52:01 +0900  まるる [この発言にコメントする]

本当に周囲の関わり方ひとつで出来たり出来なかったり・・・
思いも寄らないところで、本人にはものすごいストレスだったり・・・
環境を整えるって本当に大切なことですよね。

是非続編もお願いします。
上手いラーメンはご一緒させて頂きたいところです。


入所授産施設の事
No.13109  Tue, 2 Jul 2002 19:21:53 +0900  ひびき [この発言にコメントする]

病院で知能検査を受けた結果、「高機能自閉症だと思う」と言われました。

私はいざとなった時の受け皿として精神関連の通所授産施設や小規模作業所への
通所を望んでましたが、「対人関係に問題がある上に、周りの理解も必要だから
適さない」と言われました。これから先どうしていいのかわかりません。

誰か、入所授産施設かグループホームに入っている人がいましたら、情報下さい。
逃げ場が欲しいのです!サークル仲間とは気が合いません。


緊急提言:ADD/ADHD×ASはただのバカか?
No.13108  Tue, 2 Jul 2002 19:03:37 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。

#13106と関連性のある内容ですが、別途レスが欲しいので新規に投稿しました。

私は、今までありとあらゆる会合で仲間外れにされたり、第一印象で嫌われたりしてまいりました。何が原因で39年間疎外されてきたのかわかりません。
私は肥満体で、顔もキムジョンイルそっくりですが、どう考えても外観が嫌われる要因であるとは考えられません。

室蘭市内のとある病院に勤めていたとき、慰安旅行や忘年会には何度も参加しましたが、黙っている限り誰も寄り付こうとしません。また、事務セクションの男性スタッフが結婚したときには、コンピュータ部門では私一人だけが招待状をもらえませんでした。どこへ行っても仲間外れで、ついに慰安旅行でぶち切れ状態になったこともあります。(私が偶然帰りの電車に遅れそうになったときに、幹事から「Lulu、いったいこんな時間までどこにいたんだ?」とえらい剣幕で怒鳴られたので、自分たちに都合の悪いことばかり心配して、楽しいことはオレをのけ者にするつもりなのか?」って噛み付きました。それだけでなく、翌年の慰安旅行までボイコットしました。)
私が今最も気になるのは、周囲の人間が「ADHD×ASはただのバカじゃないのか?」というふうに見られてやしないかということです。そうでなければ、第一印象で嫌われる理由が他に見当たらないのです。

皆様は、「ADHD×AS」はただのバカだと思われてやしないかと不安になったりしたことはございますか? また、私のこの考えがただの取り越し苦労であると言って下さいますか?

レスお待ちしております。


一歩先へ。
No.13107  Tue, 2 Jul 2002 18:07:18 +0900  ぼたん [この発言にコメントする]

ぱーこさん、こうもりさん、お返事ありがとうございました。

私は、何か好きな事を探そうと思います。

良くなる、大丈夫!と自分に言えるようになりたいと思います。

ありがとうございました。


続?恋で悩んでいる人
No.13106  Tue, 2 Jul 2002 15:59:59 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。

私は親の過保護のために、今までがんじがらめにされてきました。
大学は室蘭工大でないとダメ、とかインターネットは禁止、だとかサークルの参加は禁止、だとか運転免許はダメ、だとかって、

「自分の息子がかわいいばかりに、がんじがらめにしているという意識はないのか!! 気持ちはわかるけど」

と、自分の親に言ってやりたいですね。

なお、現在は(自動車)運転歴8年、運転実績は10万km(人身事故0件)です。
インターネットは、やむを得ず業務用の機器を使用しています(仕事の合間を見てBBSに書込みしたりしている)
大学は親の反対(というよりは渋い顔をした程度だが)を押し切って北大へ行きましたが、現役で合格した直後に病気でダウンして、それがショックで引きこもり状態になり3年で中退。私の親は今でも室工大へ行っていれば、あんな引きこもりにならずに済んだなどと言っておりますが、私は正解だとは思っていません。
虐待もひどいですけど、自分の息子が39歳なのにこれほど過保護でがんじがらめにしようとする親もひどいと思いませんか?
恋ができないばかりか、ありとあらゆる人間関係がうまくいかず寂しい思いをしているのに、親じゃ相談相手にならないからと各方面のBBSやチャットルームで悩みを打ち明けているのに、私の親は「インターネットで時間つぶしをして帰りが遅くなるなんて、待たされる方の身にもなってくれ。」といって、何としても私を縛りつけようとします。他人との付き合いは、たとえ会社の宴会でも、渋い表情をします。(口では「楽しんでおいで」とは言っていますが)
身近な人間づきあいでさえこんな調子だから、恋愛のチャンスがありそうな人付き合いはことごとく反対されております。
いくら息子がいないときは一人(9年前に父親がガンで他界した)だからって、四六時中縛りつけようとするなんて、これじゃ虐待と紙一重です。
人間関係の悩みそのものは、白井さんのサイトでも散々打ち明けましたので、解決に向かいそうですが、親の過保護をどうやって振り払うべきかで、現在迷っています。私みたいにADD/ADHDをASと同時に発症しているケースでは、どういうふうにブレイクスルーしたほうが良いのでしょうか?それから、私は今までにも第一印象で嫌われたり、宴会などでも仲間外れにされたりしていましたが、ADHD×ASは、一般の人の目には、ただの精神異常と同じように受け取られるのでしょうか? このままでは、せっかく恋愛のできない悩みに光明ができても、一生恋愛ができないまま孤独死してしまいます。


Re: 質問2 13094へのコメント
No.13105  Tue, 2 Jul 2002 09:37:05 +0900  Helix [この発言にコメントする]

くりあさん wrote:
>まるるさん,シペラスさん,Mariaさん 前回「質問」のお返事ありがとうございました。
>医学的に認められているものもあるというのが分かりました...
>しかし外科や内科で見るような怪我や病気と違って,目に見える外傷は無い訳ですよね。もしも,ASでない人が自分はASに違いない,もしくはそうなのかも知れないと思って診断を受けた場合,本人にASとはどういうものであるかの情報があって病院に行く訳ですから,ASと診断(誤診)されてしまう確立は高くなってしまうのでしょうか。

くりあさん、はじめまして。
1ヶ月弱前に診断が出たものです。
くりあさんの感じている疑問はまったくその通りだと思うし、私も実際「診断なんて無意味」「診断されれば少しはポジティブになれるかな」という自問自答のくり返しでした。それでも病院に行ったのは
1.上記のくり返しに終止符を打ちたかった。実際病院に行けばもっと違う結果になるかもしれないし。どんな結果になろうと「行動はした」のだから後悔しない。
2.万が一「誤診」(文字で書くとけっこうぎょっとしますね。)であっても、専門家と一緒に問題解決していくという目標ができる。

>「あなたはASです」
>「あなたはASの可能性が高いです」
>どちらの言葉で下されるのでしょう。

私の場合は
「不注意優勢型、過集中ADD及びASを併発している可能性がある」
でした。

>診断を受けた方,「診断」に意味はあったのでしょうか。何かが変わったでしょうか。

さて、診断を受けたあとですが、
1.心理テストの結果が、自分を客観的に見られたので「意味あり」でした。
2.投薬などで二次障害の症状が減ったので「意味あり」でした。
3.最後に精神的にはどうかというと、診断を受けても「安定」「不安定」はやはり交互にやってくるし、時折「私は症状を大げさに訴えたのではないか」と思って自分を責めています。まだまだネガティブ思考であることに変わりは無いです。

私はまだ診断を受けて日が浅いので、もう少ししたら小さな目標を立てて自分で構造化というものをやっていこうと思っています。


感謝しております。
No.13104  Tue, 2 Jul 2002 09:36:41 +0900  coco [この発言にコメントする]

先日、「友人がSOSを・・・」を投稿した者ですが こうもりさん・シベラスさん・ぱーこさん・あさかぜさん、本当にありがとうございました。
適切な意見に感激するとともに、このサイトのオーナーMURAKAMI SINYUさんに心より感謝申しあげます。

結局、本人に、このサイトの文面を読んでもらいましたところ、
「一句一句が優しく心の中に染み込んでいくのを感じました。今の私の心の痛みに優しく優しく薬を塗ってもらった気持ちです。」とのことでした。私のHPにもこのサイトを早速リンクさせていただきました。
彼女を知る関係の全ての人達に読んで欲しいものです。又、一人でも多くの方にアスペルガー症候群の理解を深めてもらうためにも、訪れてほしいサイトです。


Re: 職場の後輩がアスペ+不注意型ADHD+うつ!! 13030へのコメント
No.13103  Tue, 2 Jul 2002 08:00:02 +0900  リバー [この発言にコメントする]

こまりもの wrote:
>はじめまして。いま、ほんとうに困り切っています。
> 実は、職場の後輩が、明らかにアスペ+不注意型ADHDなのです。あの無表情さ、抑揚のない話し方、調節できない声の大きさ、不自然な体の動き、場の雰囲気の読めなさ、話の通じにくさ、ニュアンスの伝わらなさ・・・。どれをとっても、アスペと不注意型のADHDが合併している状態にみえます。
おそらく、彼の持っている能力を生かせる職業は他にたくさんあると思うのですが、

こまりものさんがこの投稿をなさったのは、6月27日、それに対して、8件の真摯な回答がありました。しかし、いまだにこまりものさんからの返事がないのは、なぜでしょう。なお、こまりものさんからの投稿を、待ちたいと思いますが、なければ、私は、この投稿は、この掲示板に対する嫌がらせであったと判断します。

私は自分の愚かな行動を反省することもあるし、人生に悲観的になることもあります。世の中をうまく渡っていける人間でもありません。でも、狡猾に人を、傷つけようとしたことは、ありません。そのことを幸いと思うことにします。


2002年7月1日の日記
No.13102  Mon, 1 Jul 2002 08:57:31 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

 ザーザーという雨音で5:00頃に目を覚ます。外を見ると滝のような雨。早速パソコンを立ち上げて、GOOのお天気ページのレーダーアメダスを見ると強い雨雲が秩父の山を降りてきていることがわかった。他のHPでひまわり画像を見ると、台風5号がフィリピンの東で発達中。今週はどうも雨にたたられそうである。
 ここの掲示板へカキコして、7:40頃食事。朝飯はパンと目玉焼き・青菜のおひたし。8:10ごろディケア施設へ出発。その頃には雨は小ぶりになったので、徒歩で向かう。
 9:10ごろディケア施設に着く、『###さんは、”””(指導員の人)さんのこと好きなんだよ!』と、Wさんが『亜麻色の髪の乙女』の節で、私を冷やかすダジャレ歌を歌って迎える。最近ずっとそうなので、ほとほとに参ってしまう。僕ばかりでなく、他の人のもやるのでみんなうんざりしてしまったのか、今日はそれに反応する人は少なかった。
 9:30にMEETING開始。「土・日はどうしましたか?」の問いに対する答えは、「寝てました!」「ワールドカップの決勝戦見ました!」が半々くらい。今日のお昼の献立は「味噌ラーメン」に決まり、その食材を買うのを私が引き受けた。「今日は新しい自主製品を作るためのトレーニングというということで、刺し子をやります」という指導員のZさんの声に愕然、今日やるとすれば、恐らく4年ぶりで針を布に刺していくことになるので、「うまくできるか…」とちょっと不安であった。
 10:20に買い物へ出発。少しでも早く帰還するために闇雲にスーパーへ走る。指導員のLさんに言われたとおりの豚こまを、肉売り場で見つけたが、見た目が悪いにもかかわらず100gあたり128円と高かったので、100g100円の脂ののった見るからにおいしそうな豚肩ロース肉のほうを買う。それとニンジンが規格外形のが一袋60円で買えたことも効をそうして、今日の一人あたりの食事のための支払い金額は、200円ジャストだった。
 11:00頃から刺し子を始める。案の定、布の抑え方のカッテがわからず苦戦。見かねた指導員のLさんが私の指導を始めるが、私の視界に入りにくいところで速い動きでデモンストレーションを見せられたので、私の脳は「分かった」と反応しなかった。その上甲高い大きな声で「もっとゆっくり!あせらないで慎重に」というもんだから、ADD特有のキック・ミーが出てしまったのか、私は余計あせってしまって縫い目がバラバラに…あなたは自閉症の子の母親になったら、苦労するでしょうね(〜_〜)。
 うまいラーメンに舌鼓をうって、20分くらい休憩して、13:30から再び刺し子にTRY。今度はもう1人の指導員のZさんが、私の指導をしてくれた。Lさんよりも近い位置でデモンストレーションしてくれた上に、「針と布を親指と人差し指で支えてね。」と、手の動かし方を分かるようにゆっくりと大きく誇張して見せてくれたので、私の脳はようやく「分かった」と反応し始め、最後にはきれいにさらし布の裏表にほぼ均等に糸が通るようになった…あなたは自閉症の子の母親になっても、苦労しなくて済みます(^_^)。
 15:40家路に着く。途中H駅の駅前の百貨店の本屋で立ち読みをしたり、私の家で借りた家庭菜園で草取りとミントの強剪定をやったりして、19:00ころ帰宅。


Re: 質問2 13094へのコメント
No.13101  Mon, 1 Jul 2002 08:13:39 +0900  Maria [この発言にコメントする]

くりあさん wrote:
> しかし外科や内科で見るような怪我や病気と違って,目に見える外傷は無い訳ですよね。もしも,ASでない人が自分はASに違いない,もしくはそうなのかも知れないと思って診断を受けた場合,本人にASとはどういうものであるかの情報があって病院に行く訳ですから,ASと診断(誤診)されてしまう確率は高くなってしまうのでしょうか。
>
> 「あなたはASです」
> 「あなたはASの可能性が高いです」
> どちらの言葉で下されるのでしょう。

 それはお医者さんの立場によるんじゃないかな。そもそも日本の伝統であるドイツ医学と、最近流行のアメリカ医学では病気に対する考え方が違います。

 病気の原因をつきとめ、その原因を取り去って治療するのがドイツ医学。
 患者が何に苦しみ、その“症状”をどうやって取り除くかを考えるのがアメリカ医学。

 そんなわけで、ドイツ医学系のお医者さんだと、「あなたはASです。残念ながら、風邪などの病気が“治る”という意味では、“治らない”病気です。一生涯つきあってゆく覚悟で、できることをしてゆきましょう」みたいなことを言われます。また、アメリカ医学系のお医者さんだと、「あなたはASである可能性が高いので、それに沿った治療方針を立て、切迫した症状を押さえながら経過を見てゆきましょう」みたいなことを言われます。

 とはいえ、ドイツ医学系のお医者さんは、ねちこいです。詐病の可能性も疑いつつ、徹底的に検査を重ねていって、「自閉症」(あるいは広汎性発達障害)であることの確認を取ってゆくはずです。「症候群」とかいった概念は、あんまり認めません。これに対し、アメリカ医学では、「症状が消えて普通に生活できればいいやんけー」みたいな即物的な発想をするので、具体的に「何であるか」より「どういう症状(苦痛や不自由)があるか」「その症状をどうやって取り去るか」を重視します。ですから、「つらい」とか「しんどい」とか言ってると、抗不安剤かなんか処方されて「様子をみてください」とか言われちゃったりします。

 ASの人というのは、診断がついてからがねちこいので、ドイツ医学系のお医者さんと相性がいいみたいです。「症状が消えればいいや」とかいうのではなく、「そもそも『自閉症』とはなんなのか」「私は自分の障害についてどのように向き合ってゆけばよいのか」みたいな悩みは、あんまりアメリカ的ではありません。

 ただ、ASを「治したい」という人はあたしの周囲では少数派だし、ASを「治療」することもできません。べつに日常生活がそれほど苦痛ではなく治す気があんまりないならドイツ系を選び、抗不安剤だの睡眠薬だのを処方してほしかったらアメリカ系を選んだ方がいい、とかいったところでしょうか。

 (Maria)


Re: 質問2 13096へのコメント
No.13099  Mon, 1 Jul 2002 07:29:15 +0900  うしかい [この発言にコメントする]

はじめまして。うしかいです。

>くりあさん wrote:
>診断を受けに行くことはネガティブであると,無意味だと言われました。昔はどうであったか,今までどうであったかということではなく,これからどう生きていくのかが大事であって,障害があろうとなかろうと意味が無いということです。
>しかしながら,とてもとても混乱しています。根はもっと深いような気がします。
>診断を受けた方,「診断」に意味はあったのでしょうか。何かが変わったでしょうか。


私は自分が変だ、おかしいと思っていた方です。

私も自分捜しがネガティブ思考と言われ続けました。
が、診断を受けてからいきなりポジティブキャラに変身したと、
周りから、カウンセラーにまでびっくりされてしまいました。
誰も診断が心の救いになるとは思わなかったそうです。

グルンサさんもお書きですが、
「何が変で、どう対処すべきか」ハッキリするので、悩む必要がかなり減った事。
出来ない事を「障害だもの仕方ない」と
自己処理できるようになった事です。
今までは「何故? どうして自分はできないの?」で苦しみましたから。

今までは、一日置きくらいに涙を流していましたが、
今は月に1回あるかないかです。


また、自分の問題点が解説できるようになり、
かつ医学的にちゃんと裏づけがある事で、
独特の奇行はわざとやってる訳では無いと分かってもらいやすくなり、
その為に大目に見てもらえるようになり、
私も理解された事から、自分を出せるようになり、
自分を押さえる為に神経を張り詰める事から解放され、
人間関係がスムーズになり、健常者のお友達も何人かできました。


参考になるかどうかわかりませんが、私の場合はこんなところです。(コラコラ)


Re: 教えて下さい 13090へのコメント
No.13098  Mon, 1 Jul 2002 07:23:23 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 Kamekitiさん、はじめまして。小4の娘(AS診断済)がいます。

 息子さんは学校へ行くこと自体に疲れてしまっているということは、ありませんでしょうか? 思い切ってたっぷりの休みをとるわけにはいきませんか? あ、もうすぐ夏休みでしたね……。
 娘は二年生のときに診断を受けましたが、すでに五月雨登校となっており、三年で情緒障害児学級に転級を許可されても学校は苦手で、6月から不登校になってしまいました。不安がとても強かったのです。家から一歩も出ない日が続き、特定の音をひどく怖がって耳をふさいで布団にもぐりこんでいました。
 そんな昨年からは想像がつかない変化が起きて、今年は4月後半から一日も休まずに学校へ通っています。教科学習はしておりませんが(笑)。先生を遊び相手と勘違いして(?)おるようです。「学校が楽しい」と言いますので、まっいいかと思っています。親としては気長に構えるのが一番かと思っております。(単にぐうたらなだけの親ですが)

 どうしても学校へ通わなければいけないものなんでしょうかね〜? 社会との接点はいろいろあると思うのですが。アスペっ子はありとあらゆる媒体から知識を吸収しますよ。学校だけがこの世のすべてではないと知ることもできると思います。
 今は娘が行きたいと言うのだから止めたりはしませんが、昨年は「学校なんて大嫌い。なんであんなところへ行かなくちゃいけないの?」と言っていましたので、「しんどかったら無理しなくていいよ」と答えておりました。その同じ学校へなぜ行く気になったのかは、親でも分かりません。教室へは行きませんけど、Dルームという所で毎日遊んでいます。それで納得して帰って来るみたいです。

 学校へ行かないと先生方からのプレッシャーとかきついですが、発達障害を理解してくださる先生が一人でもいて、息子さんを受け止めてくださるといいのですが。成長に応じて変わっていくのは確かなのですから、長い目で見ていただきたいものです。

 情報にならなくて失礼いたしました。わたしは長野県の田舎町に住んでいます。たまたまDルームという居場所に恵まれましたが、来年はどうなるか分からないというところはKamekitiさんと一緒です。学校教育システムそのものが柔軟性に欠けるのが現状だからです。でも、子どもはどんどん成長していくので、そろうのを待っていられません。「すり抜けていく」構えでおります。無理させて壊したくないという気持ちが強いです。
(まったく役にたたないコトを書いている気分です。申し訳ないです)


Re: 作業所で..... 13095へのコメント
No.13097  Mon, 1 Jul 2002 06:47:51 +0900  うしかい [この発言にコメントする]

こうもり wrote:

>「恵まれている」とか「お調子者」という言葉で片づけて、それ以上
>深く考えようとしない者とは激しく格闘することになると思います。(
>その相手に統合失調症,自己同一性障害,自閉の区別ははっきり言って
>ない)
> 障害者につけられている診断は障害者の所属を表しますが、全ての障
>害者はそれ以前に個人です。この問題を所属ぐるみの問題にはしたくな
>いという気持ちがわたしにはあります。

ま、そうなんですけどね。そりゃぁ確かに正論ですよ。

でも、先の投稿に書きました事件で
その正論に辿り着く事が困難な障害があり、
その人達が一番居場所がないんだって判りましたよ。
だって、モラルに反する事を反抗ではなく、
純粋ったら御幣がありそうだけど、まぁ本気で言ってて
理解されないのが苦しく悩みである事が痛い程判りましたもん。
本当にスッポリ抜けてて無いですよ。

私だってできてあたりまえの事が出来ない事を、
責められて苦しみますから。

といっても、私も彼女の居場所にとてもじゃないけどなってやれません。
なんか頭の中引っ掻き回されてしまう。
私まで無関係な人に八つ当たりなんかやってしまう。

あ、事件の発端はコミニュテーサイトの友達募集で、
(障害とかと何ら関係の無い普通のです)
「当方、発達障害があり、文章の構成に支障があります」って
断わり書きを書いたら、
「私も発達障害です」と例の人からコンタクトが来たという訳です。

診断前のずっとから友達作りのスキル獲得をめざして
長い事、ネット遊びしてるから、
いやがらせとかいろいろ経験してるけど・・・・今回はマジにまいった!
(↑発達障害とは無関係な事です。ごく普通の荒し)
 
でも、掃き出せたおかげでちょっとすっきりしました。
どうも、おさわがせしました。

最後に不愉快な表現が多々あった事をお詫び申し上げます。


Re: 質問2 13094へのコメント
No.13096  Mon, 1 Jul 2002 06:06:21 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

 はじめまして。グルンサです。

くりあさん wrote:
>診断を受けに行くことはネガティブであると,無意味だと言われました。昔はどうであったか,今までどうであったかということではなく,これからどう生きていくのかが大事であって,障害があろうとなかろうと意味が無いということです。
>しかしながら,とてもとても混乱しています。根はもっと深いような気がします。

 私は、診断を受けに行くことをネガティヴだとは思いません。
少なくとも、診断を受けたことで、自分の得手不得手等がわかった、等メリットの方が大きかったです(殊に、わたしは人に言われるまで、自分が他の人と違うという自覚すらなかったのですから)。
 これからどう生きていくか、ということはもちろん大事です。
ただし、それには自分の障害特性を知った上で、という前提があってこそではないだろうか、と思います。

>診断を受けた方,「診断」に意味はあったのでしょうか。何かが変わったでしょうか。

 私自身は診断を受けたことで、「『どうしても、皆(=非自閉者)と同じようにできないことがある』ということについての理解と、その点についてのヘルプだけよろしくお願いします」と、ようやく言えるようになりました。
 このことで、言われた人は面食らっていた(とまどった?)ようでしたが、少なくとも、私が他の人とは違うということだけは、わかった…ようです(しかし、それまでの時間が長かった…)。

 参考になるかどうかわかりませんが、私の場合はこんなところです。


Re: 作業所で..... 13086へのコメント
No.13095  Mon, 1 Jul 2002 15:12:29 +0900  こうもり [この発言にコメントする]


うしかいさん wrote:

>>自閉症の人にも、その他の人にもいますけど
>>こういうのって「自己同一性障害」じゃないんですか?
>>つまり、一般論とか社会モラルとか常識とか

シペラスさん wrote:

> 『自閉症』・『統合失調症』というと相反するもののように見えてし
>まうが、『周りとうまくコミュニケーションが取りにくい人』『注意力
>の維持が困難な人』『疲労しやすく仕事を長時間続けるのが困難な人』
>と見れば、そんなに大きな差があるわけでもないのである。

わたしはこの問題は異なる障害を抱えている者の間での問題というよ
りは、障害観の異なる障害者同士の問題という風に捉えています。おそ
らく、わたしはどんな診断がついている障害者であっても、他の障害者
を「恵まれている」とか「お調子者」という言葉で片づけて、それ以上
深く考えようとしない者とは激しく格闘することになると思います。(
その相手に統合失調症,自己同一性障害,自閉の区別ははっきり言って
ない)

 障害者につけられている診断は障害者の所属を表しますが、全ての障
害者はそれ以前に個人です。この問題を所属ぐるみの問題にはしたくな
いという気持ちがわたしにはあります。


質問2
No.13094  Mon, 1 Jul 2002 11:30:36 +0900  くりあ [この発言にコメントする]

まるるさん,シペラスさん,Mariaさん 前回「質問」のお返事ありがとうございました。
医学的に認められているものもあるというのが分かりました...
しかし外科や内科で見るような怪我や病気と違って,目に見える外傷は無い訳ですよね。もしも,ASでない人が自分はASに違いない,もしくはそうなのかも知れないと思って診断を受けた場合,本人にASとはどういうものであるかの情報があって病院に行く訳ですから,ASと診断(誤診)されてしまう確立は高くなってしまうのでしょうか。

「あなたはASです」
「あなたはASの可能性が高いです」
どちらの言葉で下されるのでしょう。

診断を受けに行くことはネガティブであると,無意味だと言われました。昔はどうであったか,今までどうであったかということではなく,これからどう生きていくのかが大事であって,障害があろうとなかろうと意味が無いということです。会話に不備があるのは,今までその必要性がなかったから,伸びなかっただけの場合もあるだろうということです。私のように「かも知れない」と思っている人間が診断を受けた場合「あなたは○○の可能性が高いです」と言われるのは当たり前だろうということです。「どうせ自分は○○だから」と逃げ場を探していることになるということです。
そう言われると,「そうなのか」と思ってしまいます。
しかしながら,とてもとても混乱しています。根はもっと深いような気がします。
どうなのでしょう?
診断を受けた方,「診断」に意味はあったのでしょうか。何かが変わったでしょうか。


ナニが呼んだかココへ来て・・。
No.13093  Mon, 1 Jul 2002 10:09:06 +0900  GOOちゃん [この発言にコメントする]

はじめまして。いろいろ検索してはいろんなホームページを見るのが趣味で、今日もいろいろ見ていたら、たまたまASという言葉と出会い、なんとなくココへ来て、今日もまた、1つ勉強しました。
 なんとなくココへ、とは書きましたが、気持ちのどこかで、もしや自分もカナと、確かめたかったのかも知れません。そして、ASの症状を読み、過去(=子供の頃)の自分を思い出すと、「アレ、そうなんじゃないのかな、私も・・?!」って感じました。
 今でも、その部分で、世間との交流に苦労してるのかも知れません。でもそんな時、母親はいつも、「自分の得意な部分は、放っといても勝手に伸びてくる。苦手な部分を埋めるように生きていきながら、得意なことをしなさい。」と、私に言います。つまり、私が苦手とするのは人間関係だから、そこで闘っていくことが、努力の方向だと。
 という訳で、私には、学生時代からの親友も、ご近所で仲良くなった人もいるし、通りすがりのおばあちゃんに道を聞かれたついでに、おばあちゃんのお嫁さんの愚痴も聞くような人間になりました。
「じゃあ、どこも悪くないよ。」と言われそうですが、ほんとは、その親友や仲良しの人たちとも会いたくなくなるほど、もともとの自分が出てきて苦労することもあるんです。でも、努力してきた私を見て、友達になれて良かったと感じてくれている人たちのために、毎日闘うんだと思えます。
 我々にとって、外との関わりは、いわば苦手な部分です。逆に、外交的だけれども内的な話が苦手、という人もいますよね。個々が、そうした、自分の苦手な部分を埋めていこうという努力をすれば、逆パターンの人間同士でも、苦手な部分で苦労してる者同志というところで、歩み寄りになると思うんですが。つまり、それがホントの、思いやりってもんじゃないかと、今まで生きてきた中で実感してます。


Re: 教えて下さい 13090へのコメント
No.13092  Mon, 1 Jul 2002 07:35:14 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

kamekiti wrote:
>小3になる息子は、ASと診断されています。幼稚園の年長の時から登園拒否をおこし、今に至っています。不安や恐怖心がとても強く、また与えられた課題をこなすことに大変抵抗があります。つまり、学校は何が起こるか、何を要求されるかわからないので、彼にとってとても怖い場所であり、自分の興味のないことばかりやらなくてはならないので苦痛でたまらないのです。しかし、親としては少しでも社会生活に適応してほしく、1年生の時から一緒に学校に付き添ってきました。毎日、全部の授業をうけることはなかなかできませんでしたが、それでも1学期よりは2学期、2学期よりは3学期、と徐々に通えるようになったのです。けれど、学年が変わるたびに、また振り出しに戻ってしまうのです。現在は、まったく教室に入れなくなり、休みがち、保健室に机を置いてもらい、登校した日は、そこで1,2時間好きなことをして帰ります。もちろん私も付き添っています。いつまでこんな日々が続くのかと思うと不安でなりません。どこかこんな息子を受け入れてもらえる学校、毎日楽しく通える学校はないものでしょうか?知的な遅れはなく、友達と遊ぶことは大好きで、どちらかというと友達にも好かれています。成人してから、社会に出ていかれるような子供に育てていくには今、社会との接点をもった居場所が不可欠だと思えてなりません。何か情報がありましたら教えてください。お願いします。

これはとても難しい問題です。
 僕たちの時代(80年代)の小学校では、かなりの子供が荷担して普通学級に通っていた情緒障害の子をいじめる(中には執拗な電話による嫌がらせまであった)風潮がありました。僕自身も特に小学4年生のときは、プロレス技の実験台にされたり・人間ドミノの最下層に押し込められたりとかなりひどい目に遭いました。
 今はそれに比べるとマシになったものの、未だに20人以上の子供対1人の先生
というクラスの体系は変わらず、本当にバタバタした感じで、ASの子には普通学級というところは、どうしてもいづらい場所と言わざるをえない面があります。それでもうまく適応できれば、知的欲求が十分に満たされうるというメリットはあります。
 かといって、養護学校・特殊学級となると、より知的な障害の重い子供たちを対象にしたもので、ASの子供の夢や保護者の教育熱を満たすようなものであるとは、言い切れないというところがあります。でも対人面での問題には、『比較的効果があった』という見解もあります。
 とかく日本の教育現場では、『平等』というのは『同じ時間・同じ量のことを・同じようにすること』というふうに捉えられがちで、その点も問題です。いえ社会全体がそうであるといっても、過言ではありません。だからクラスにAS児がいると、先生が『変だ!』ということばかりに着目して、『…がなっていません、家庭での指導をお願いします。』と書きまくって、お母さんが毎日『ブルー』なんていうことも起きますし、就学時検診で『あなたのお子さんには、養護学校がお薦めです』と教育委員会で言われたことを苦にして、親子心中を図ったお母さんもいます。
 最近、多くの詩を作ったことで注目を集めている日木流奈君という脳障害の少年は、『平等』の意味を次のように捉えています。

「私は平等というのは、それぞれの人が必要な時間・必要なだけ・その人にあったやり方で接してもらえることだと思っています。」

これをキーワードにして、もう一度どんな教育が彼に向いているのか、学校の先生・彼の主治医といった人たちと、彼を見つめながら、考え直してみてはどうでしょうか?

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