アスペルガーの館の掲示板(旧)
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こんにちは、最近白井さんのサイトだけでなく、こちらでも有名人(?)のLuluです。
シペラス wrote:
> 周りの人たちが、上下関係・富・名誉・利益・大人っぽさののことばかり考えている環境では、私たちは途方もない『馬鹿』に、どうしても見られてしまいがちです。
> 逆に博愛・多様性の受容・真心を持って子供を育んでいこう・人間個々の幸せを
>重んじようということを考えてくれるところでは、私たちは貴重な『世の中を動かす戦力』になりえます。
ごもっともです。
私は一昨年(2000年9月〜12月)、室蘭から東京に出張して、船橋から東京まで片道1時間も満員電車に揺られて通勤していました。12月のある日、宿舎へ帰る途中、京成船橋駅付近で、酔っ払いが道路のど真ん中で寝込んでいるのを発見しました。周囲の人間が全員無視して通り抜ける中、人命に関わることだからと、私は船橋警察署に連絡してその酔っ払いを保護しました。待っている間に、車に轢かれそうにもなったのに、周囲の人間は非情なもので、一様に我関せず、といった表情でした。
後日、この人命救助(?)は出張先でもかなり話題になったようです。
Lulu wrote:
>こんにちは、Luluです。
>皆様は、「ADHD×AS」はただのバカだと思われてやしないかと不安になったりしたことはございますか? また、私のこの考えがただの取り越し苦労であると言って下さいますか?
>
まあ、『馬鹿』かどうかというのは、周りの人の状態によって変化するでしょうね。
周りの人たちが、上下関係・富・名誉・利益・大人っぽさののことばかり考えている環境では、私たちは途方もない『馬鹿』に、どうしても見られてしまいがちです。
逆に博愛・多様性の受容・真心を持って子供を育んでいこう・人間個々の幸せを
重んじようということを考えてくれるところでは、私たちは貴重な『世の中を動かす戦力』になりえます。
こまりモノ wrote
> 一度、ほんとうに彼のご両親に会って生育歴を聴取し、主治医とも話し合ってみたいと思うのですが、現実には無理ですし…。
レスをいただけて、ほっとしています。私の方こそ、こまりものさんに不快な思いをさせて、申し訳ありません。彼が、上司に鬱をひた隠しにしていたとしても、すでに、かくしておいていい状態では、ないと思います。まず、上司と、職場の彼のことをよく知っている先輩が、(あなたが適任かもしれませんが)彼の主治医に、相談した方がいいと思います。その主治医が、AS、ADD方面に詳しい方だといいのですが、とりあえず、そこからではないでしょうか。彼の、両親にあって云々というのは、医師の判断だと思います。
ごめんなさい!こまりものです。(パスワードがわからなくなってしまったので今回からカタカナ混じりですが)
まずはお詫びから…。しばらくネットにつなげない環境にいたのですが、今、ようやくつないでみたらこんなに反響が!私としてはぜんぜん嫌がらせとか悪意とか、そんな意図はなく、ほんとうに困っていたので書き込んだのですが、結果として不愉快な思いをさせてしまったみたいで、ほんとうに申し訳なく思っています。ごめんなさい。
それから、感謝の気持ちを…。こんなにたくさんの方が真摯なレスをつけてくださったことに、ありがたく、嬉しく思っています。
皆さんのレスを読んで思ったこと…。やっぱり、彼には障害について知っておいてもらったほうがいいのかな、ということがひとつ。障害特性は、彼自身の個性のひとつだし、今の仕事をするなら知っておくことは特に重要なんだろうな、ということ。彼には、研修の一貫として、心理検査をひととおり受けてもらうことにしているのですが、その結果をできるだけうまくフィードバックしていければと思います。ただちょっとだけ残念なのは、うちの職場は子供のみを対象にしているので、大人用のテスト(たとえばWAISとか)はあまりないことかな。さすがに大人にWISCってのもちょっと…。
現状はもちろん上司には相談しています。職場全体(実は関係機関の方々も)が彼に違和感を抱いているのは事実だし、上司も「何かが違う」ということは理解してくれています。ただ、今になって採用の責任を追及してもしょうがないし、人事面なんかではどうしようもない、というのも事実のようです。上司は心理の人ではないし、彼は鬱であることも上司にはひた隠しにしているようなので、私がそのあたりのことを事細かに説明するのもなんだかヒドイ気もするし…。ここは悩ましいところです。
最後に、今の職場の状態ですが、決して彼をイジメているわけではないので大丈夫です。みんなすごく心配していて(彼自身のことも、そしてクライエントのことも)、面接にも、些末な電話連絡ひとつにしても、必ず誰かが副担当として付き、サポートをしている状態です。こんなに懇切丁寧な新人教育は見たことがありません。けれども、かえってそれが本人にとっては「どうしてこんなに指摘されるんだろう…」と落ち込んでしまう原因になってはいまいかと、こちらが不安になってしまっています。彼なりに頑張っているのはわかるんですが…。どうしてもクライエントの人生がかかっている仕事なので、こちらとしても、冗談ではなく毎日命がけなんですよね。すると、いきおい、仕事上の指摘は数多くなってしまうんです。私も、「言うのは最低限のことだけにしよう」と思っているのですが、寝る前になると「ああ、今日も言い過ぎちゃったかなぁ」「鬱だって言ってたし、落ち込みすぎて自殺でもしたらどうしよう…」と真剣に悩んでしまうのです。
…あー、結局、愚痴ばかりになってしまった気がします。すみません。
一度、ほんとうに彼のご両親に会って生育歴を聴取し、主治医とも話し合ってみたいと思うのですが、現実には無理ですし…。ひとつお聞きしたいのは、みなさんのなかできちんと診断を受けている方は、どのような経緯で診断を受けるに至ったのでしょう?もしできる範囲でお答えいただけるなら、幸いです。
「場面緘黙症」の話を聞いて、自分の心理状態が多少わかった。緘黙にまではならないけど、壁の高さの変わり方について納得。
内弁慶はわかってたけど、ド初対面も結構平気なのが不思議だったのよ。
あんく wrote:
> これは自慢だけれど、自分の近くで数人が会話していると、つい自分も参加している気分になり、タイミングも何も考えず割り込んでしまい、その結果その人々をギョッとさせる、という、私にとってまったく理由が分からず、ただ恥をかいたとしか思えない苦い失敗が、自分自身の気付きによって、劇的に減ってきた。
いやあ、これ昨日もやったような気がするなあ……
でも以前、さっぱり自覚がなく、かつ明るいヤツだった頃は、相手の「ぎょっ」に気づかず強引に会話を続け、ただのお祭りヤローでそのまま受け入れられていたような気がする。(もちろん迷惑な奴と思ってた人も多いとは思うが)
(私は、相手に気を使おうなど余計なことを考えなければかなり普通っぽく会話ができる)
しかし最近は「あ、場違いだったかな」とか考えて黙り込んでしまい、本当に気まずくなってしまう。
無神経は無神経のままでいたほうがいいこともあるのかもしれない。
ああ、なんか頭が混乱してきた。
そうだ、Lulu さんとは初めてだったかな? 自称ASのみどりです。
Lulu wrote:
>ただ、私が本当に知りたいのは、「一般の人が、ADD/ADHD×ASを、第一印象だけで精神異常と同一視してはいないのだろうか」、ということです。これがもし、私が第一印象だけで嫌われる理由なのであれば、私はほとんど社会から疎外された存在になりやしないか、これが気がかりです。
人と相手によるんじゃない?
だいたい精神異常だったら必ず嫌われなければならないのだろうか。
別の記事にて:
>とおっしゃられたようですが、私はプライベートでも職場の同僚とは仲良くしなければならないと感じております。そうでもしない
>と、仕事においても私の能力をただ利用されるだけになってしまうし、いざというとき助けてもらえないからです。私はこれだけで
もずいぶん泣かされました。
仕事の能力もお互いに認め、プライベートでもずいぶんと仲良くしていたはずの相手の「いざ」のときに、あっさりと冷たい態度を取る同僚たちを目の当たりにして、「こんなもんか」と思いました。
ま、どうせ私は無理に仲良くしようとしても裏目に出ることの方が多いので、どっちにしてもムダなんですが。
Lulu wrote:
>親の過保護をどうやって振り払うべきかで、現在迷っています。私みたいにADD/ADHDをASと同時に発症しているケースでは、どういうふうにブレイクスルーしたほうが良いのでしょうか?それから、私は今までにも第一印象で嫌われたり、宴会などでも仲間外れにされたりしていましたが、ADHD×ASは、一般の人の目には、ただの精神異常と同じように受け取られるのでしょうか? このままでは、せっかく恋愛のできない悩みに光明ができても、一生恋愛ができないまま孤独死してしまいます。
家を出る。ぜひ出ましょう。
お母さまが介護が必要とかそういう事情でないのなら、なんとしても出られた方がいいと思います。
きっと反対されるでしょうが、もう39なら聞く必要はありません。
物理的に離れるのは効きます。
既に出られているようなら、極力連絡を取らないようにしてもいいと思います。
どんなに自分で自分を説得しても、親のなにげない言葉は、自分で思うより、親本人が思うより、重く強く受け止めてしまうようです。極力会話を減らす。それでいいと思います。
親の方はもう年寄りですから、変えるのは難しいです。まずは自分を守りましょう。
バイトは短い時間なのででなんとかこなしています。
ロザモンドさん私のページまでわざわざ探しに来てくれて有難う。産まれてから三十数年被ってきた仮面は一日参三四時間ははずれることなくかぶれております。自分のことで手一杯なのでもたもたしている子と組んでの時は大変ですが、てきぱきしている人と組んでバーガー類を作る仕事は面白いです。
時期的に鬱になりやすい時なのでOFFの時は気の置けない友達と過ごすようにしていますが、幼稚園や学校のお母様方の中にはいるのはとてもむずかしいです子供じゃないけど外でいい子にしていると家の中では悪い子になってます。
家事も育児も最低限だけにして疲れたときは寝てしまいます。時間が空いてるときはパソコンに向かっていることが多いです。とーたん(旦那)が日曜に掃除してました。実は今日幼稚園の親の昼食会があったのですがドタキャンしてしまいました。なんか大勢の人の中に入りたくなかったので。気まぐれですね朝までは行くつもりだったのに気が重くなったしまって。まあ後半年のこと気まずくても知らん顔を決め込むとします。仕事のほうが気楽です。
こんにちは、最近こちらでもお騒がせ者のLuluです。
Mr.Moto wrote:
> おれ自身は職場の同僚と「仲良くする」必要性をまったく感じていないので、Luluさんの不満がよくわからん。もちろん仕事上必要な報告・連絡・相談(「相談」といってもスケジュールや仕様の摺り合わせとかいった意味での「相談」。「知恵を貸してくれ」とかいった「緊急でもなければ不可欠でもない」種類のものは除く)がなされないとかいった話ならそりゃあ困るのだが、そうでなければ特に困ることはあるまい。
とおっしゃられたようですが、私はプライベートでも職場の同僚とは仲良くしなければならないと感じております。そうでもしないと、仕事においても私の能力をただ利用されるだけになってしまうし、いざというとき助けてもらえないからです。私はこれだけでもずいぶん泣かされました。
Mr.Moto wrote:
> 「自省の足りないADHD+AS」はガキでなければただの馬鹿以外の何者でもない。「ADHD+AS」ははっきりいって猫未満の社交能力しかないのである。本能というのは偉大なもので、生まれて半年も経っていない猫が。ちゃーんとこっちの顔色を窺って、媚びたり甘えたりごまかしたりといった、こっちの感情に配慮した行動を取るのだ。おれなんざ齢三十を過ぎても「おまえは人の気持がわからない」とかいって責められるので、この猫の能力がつくづくうらやましい(-_-;)。
おそらく… やはり「あんく」様(#13113)とは同意見ですね。
ただ、私が本当に知りたいのは、「一般の人が、ADD/ADHD×ASを、第一印象だけで精神異常と同一視してはいないのだろうか」、ということです。これがもし、私が第一印象だけで嫌われる理由なのであれば、私はほとんど社会から疎外された存在になりやしないか、これが気がかりです。
Mr.Moto wrote:
> そんなわけで「自分は他人から見ると相当に素っ頓狂な反応(=感情の動きや情的な反応)をしているのだ」という疑いを持って自分の行動をチェックすることは非常に重要なことである。対人関係のトラブルを抱えている場合、ここんところをまず見直してみるというのは、いかがなものか。
ごもっともです。
Luluさん wrote:
> こんにちは、Luluです。
↑なかなかに奇妙なノリである。ひょっとしたら何かの鍵になるやもしれん。
> 私は、今までありとあらゆる会合で仲間外れにされたり、第一印象で嫌われたりしてまいりました。何が原因で39年間疎外されてきたのかわかりません。
なるほどなるほど。
> 室蘭市内のとある病院に勤めていたとき、慰安旅行や忘年会には何度も参加しましたが、黙っている限り誰も寄り付こうとしません。また、事務セクションの男性スタッフが結婚したときには、コンピュータ部門では私一人だけが招待状をもらえませんでした。どこへ行っても仲間外れで、ついに慰安旅行でぶち切れ状態になったこともあります。(私が偶然帰りの電車に遅れそうになったときに、幹事から「Lulu、いったいこんな時間までどこにいたんだ?」とえらい剣幕で怒鳴られたので、自分たちに都合の悪いことばかり心配して、楽しいことはオレをのけ者にするつもりなのか?」って噛み付きました。それだけでなく、翌年の慰安旅行までボイコットしました。)
おれ自身は職場の同僚と「仲良くする」必要性をまったく感じていないので、Luluさんの不満がよくわからん。もちろん仕事上必要な報告・連絡・相談(「相談」といってもスケジュールや仕様の摺り合わせとかいった意味での「相談」。「知恵を貸してくれ」とかいった「緊急でもなければ不可欠でもない」種類のものは除く)がなされないとかいった話ならそりゃあ困るのだが、そうでなければ特に困ることはあるまい。
コミュニケーションが不足していると感じるなら、それは関係が良好ではないのだ。喧嘩した後に一言も口をきかなかったらやはり気まずかろう? 逆に、なにかを伝えたいときにはすぐ伝わるという安心感があれば、挨拶をしなかろうが昼飯を一緒に喰わなかろうが気まずくはならんものである。
重要なことがことがとりあえず二つある。
ひとつは適切な自己開示をしておくこと。すなわち自分がどう考えどのように行動するかを相手にちゃんと伝えておくことだ。そうすると、相手はコミュニケーションの手段と内容を選びやすくなる。
で、もうひとつは「こちらはちゃんと交渉に応じる用意がある」といったことを相手に示すことである。相手に「こいつは聞く耳を持たない」と思われたらそこでコミュニケーションは断絶する。相手の言うことにちゃんと耳を傾け、できないことはできないと言い、約束したことを守る人間だと思わせる努力をすることだ。また、自分を変えず相手を変えることで問題を解決しようとする人間は嫌われる。だから、まず相手の立場を尊重し、自分がどうすれば相手にとって都合がいいかを考えろ。実際にそうするかどうかはまた別の話で、交渉の基本線をまず押さえるという意味でそうするのである。なお、これは特に対立のあるとき、相手に喧嘩を売られた時に重要である。交渉というのはそういうときにこそ重要な意味を持ってくるのだから。
> 私は肥満体で、顔もキムジョンイルそっくりですが、どう考えても外観が嫌われる要因であるとは考えられません。
おれの身近にも肥満体でキムジョンイルそっくりの四十男がいるが、「人間はやはり中身だけで勝負するのはツラいものがある」といって外見も磨こうとしている。髪をさっぱりと短くし、せっせと歩いて筋肉をつけるというだけでも印象は格段によくなる。人間関係だっていくらかマシになりそうな気がするぞ。
> 私が今最も気になるのは、周囲の人間が「ADHD×ASはただのバカじゃないのか?」というふうに見られてやしないかということです。そうでなければ、第一印象で嫌われる理由が他に見当たらないのです。
「自省の足りないADHD+AS」はガキでなければただの馬鹿以外の何者でもない。「ADHD+AS」ははっきりいって猫未満の社交能力しかないのである。本能というのは偉大なもので、生まれて半年も経っていない猫が。ちゃーんとこっちの顔色を窺って、媚びたり甘えたりごまかしたりといった、こっちの感情に配慮した行動を取るのだ。おれなんざ齢三十を過ぎても「おまえは人の気持がわからない」とかいって責められるので、この猫の能力がつくづくうらやましい(-_-;)。
そんなわけで「自分は他人から見ると相当に素っ頓狂な反応(=感情の動きや情的な反応)をしているのだ」という疑いを持って自分の行動をチェックすることは非常に重要なことである。対人関係のトラブルを抱えている場合、ここんところをまず見直してみるというのは、いかがなものか。
(Mr.Moto)
ひびき wrote:
>病院で知能検査を受けた結果、「高機能自閉症だと思う」と言われました。
>
>私はいざとなった時の受け皿として精神関連の通所授産施設や小規模作業所への
>通所を望んでましたが、「対人関係に問題がある上に、周りの理解も必要だから
>適さない」と言われました。これから先どうしていいのかわかりません。
>
>誰か、入所授産施設かグループホームに入っている人がいましたら、情報下さい。
>逃げ場が欲しいのです!サークル仲間とは気が合いません。
うーん!僕は割とうるさい環境への順応性が高かったし、以前知的障害のほうの作業所でボランティアをしていたこともあるし、SSRIの服用で情緒の不安定性がへって、そのせいかあまり今まで2ヶ月あまりディケア(精神障害者小規模作業所)に通っているけど、そんなに顕著なトラブルは今のところないです。
けどまあ一口に精神障害の方といってもいろいろでして、そう状態で毎日ダジャレ歌ばかり歌ったり、長期入院明けで寂しいのか、「:::はどう?」とか質問攻めににする人もいますし、そういった系統の人と一緒にいると著しく心身ともまいってしまうという人には、あまりお薦めできません。
coco wrote:
>適切な意見に感激するとともに、このサイトのオーナーMURAKAMI SINYUさんに心より感謝申しあげます。
私も他の人のレスを読んでいてすごく参考にさせていただきました。こんな対応もあるんだな〜と、勉強になりました。
>
>結局、本人に、このサイトの文面を読んでもらいましたところ、
>「一句一句が優しく心の中に染み込んでいくのを感じました。今の私の心の痛みに優しく優しく薬を塗ってもらった気持ちです。」とのことでした。
そうですかぁ〜、よかった。長丁場になるから、ときどきは思い切り
辛さを吐き出されるといいですね。
いつでも辛い時に聞いてくれる人がいる、そんなサイトですよね、ここは。
私自身、毎日ここを訪れるようになりました。
レスしないときでも、読んでいますよ。
うしかいさん wrote:
>> 障害者につけられている診断は障害者の所属を表しますが、全ての障
>>害者はそれ以前に個人です。この問題を所属ぐるみの問題にはしたくな
>>いという気持ちがわたしにはあります。
>
>ま、そうなんですけどね。そりゃぁ確かに正論ですよ。
ええと、わたしがここで言いたかったのは、問題を「自己同一性障害だ
から」とか「統合失調症だから」とか、「自閉だから」と言ったような異
なる障害者間の文化摩擦にはしたくない、という意味です。
>でも、先の投稿に書きました事件で
>その正論に辿り着く事が困難な障害があり、
>その人達が一番居場所がないんだって判りましたよ。
障害に苦しんでいる人の中には、その人の本質がむき出しになってしま
う人がいるのも事実です。自分を抑圧して苦しんでいる障害者に比べると
、むき出しにしている障害者の方が周囲との衝突や摩擦が多くなるのは事
実でしょう。
>だって、モラルに反する事を反抗ではなく、
>純粋ったら御幣がありそうだけど、まぁ本気で言ってて
>理解されないのが苦しく悩みである事が痛い程判りましたもん。
>本当にスッポリ抜けてて無いですよ。
わたしもそういう障害者と関わったことがありますが、本当に本気で
言っているのでしょうか?関心をひきつけるために敢えてやっているよ
うにも見えたので、何とも言えません。
>といっても、私も彼女の居場所にとてもじゃないけどなってやれません。
>なんか頭の中引っ掻き回されてしまう。
理解するというのは受容することが全てではありません。ぶつかり合い
ながら理解するという形式もありえます。わたしが「格闘する」というの
はそういう意味です。ある意味では自分にとって受容しがたい特徴を持つ
障害者に対するもっとも誠実な対応と言えるかもしれません。少なくとも
、「距離を取りながら気味悪そうに観察する」とか「シカトする」とか「
OO障害者なんだから仕方がないと絶望する」に比べれば…。
やんちゃん wrote:
>しかし、反応がないと本当に読んでもらえたのか不安ですよね。答えがま
>とまらなくても、「読んだよ」と知らせた方が良いのでしょう。
もう1つ。意見交換にはフィードバックというのが必要です。つまり、
コメントをもらった場合はコメントをくれた相手に対して「あなたのコメ
ントをこんな風に理解しましたよん」とか「あなたのコメントを読んでこ
んな風に思いましたよん」ということを伝える作業です。人間の理解力と
いうのは不完全なので、「自分はこういう主旨でコメントしたつもりだっ
たのに、思ってもいなかった受け取られ方をされていた」なんてことはし
ょっちょうあります。つまり、コメントをくれた相手が自分の言ったこと
が正確に伝わっているかどうかを確認するためにも、フィードバックはで
きる限り行なった方がいいのです。それはお互いの表現力や理解力を高め
合うことにもつながります。
思えば、わたしが大学で授業を受けた先生のうち、授業がうまいと感じ
た先生の多くはこのフィードバックを盛んに行ないながら授業を行なって
いました。ちょくちょく授業への感想や質問を書かせて、生徒が講義の内
容を理解できているか,どんな点に興味や問題意識を持っているか,どん
なところにつまづいているのかをチェックしながら、授業の進め方を試行
錯誤していた訳です。
まあ、わたしはこまったさんに悪意を感じてはいないのですが、いくつ
か出された意見についてどんな感想を持ったのかは知っておきたいところ
です。無理強いはできませんけどね。
こんにちは、Luluです。
あんく wrote:
> 「ただのバカ」だと思われてましたとも。小学校時代から、バカアホマヌケは当たり前、ノロマ、ブキッチョ、変なやつ、コワイ、オシ、ミミツンボ、低能児、無神経、笑うと気持ち悪い、犬のフン、粗大ゴミ、不潔、(私女ですよ女)今思い出すだけでも、これだけの枕詞をちょうだいしていて、自分がいったいどんなやつだったのか、自分でもわかりませんや(^_^;)。毎日このような言葉を浴びせられ続けていて、自己同一性が保たれているほうが奇跡というものでしょう。それだけ誉めにくい要素を持ち合わせていた子供だったってことで。
実は私もそうやって子供の頃毎日いじめられていました。あまりにいじめがひどく、先生以外誰も味方してくれないこともあって、ひどいときには日本国民1億2600万人のうち、1億2599万9千人くらいまでは私のことをいじめるつもりなのではないのかと、あらぬ心配をしたこともありました。
ただ、私のいじめは、身体障害が原因だったために、宿命的なものがありました。
それにしても、いじめが毎日続いたことから、私は一般の人付き合いでも過去のいじめがトラウマとなって、安心して心を開くことができません。
あんく wrote:
> 他者の言葉というのは、自分にとって不快でしかないものであったとしても、自分を映し出す鏡であったりすることが、多いものでもあります。皮肉な話だけれど、人をけなすとき、他人っていうのは、あんがい正直です。もちろん、それらの評価の中でも、耳を傾けてはいけない言葉というのもあります。たとえば、上の悪口の中でも、「犬のフン」だの「ゴミ」だのいう言葉は、まったく不当な、否定のための否定でしかなく、自分にとっては何ら得るものの無い要素として、ハネちまえばいい。
そのようですね。
ただ、私が知りたいのは、ADHD×ASの人間は、世間の一般常識が通用しない事が多いから、他の精神障害と同じに見られているのかどうかであったのですが、「ただのバカ」がどのように解釈されているのか、ということも気になります。
あんく wrote:
> そんなふうにして、自分への評価を分析していって、学ぶべきものがあるかどうかを判断するというのは、バカであるどころか、まぎれもないその人の「知性」だと思います。確かに他人は正直だが、正しいことを言っているとは限らない。他人にバカだと思われようがなんだろうが、自分に必要無いと思ったら、振り切る勇気も必要だと思うな。
私は、「あんく」様のこの意見は正論だと思いますが、正論であると気付いている人があまりにも少ないように見受けられることに憤りを感じています。
Luluさん wrote:
>私が今最も気になるのは、周囲の人間が「ADHD×ASはただのバカじゃないのか?」というふうに見られてやしないかということです。そうでなければ、第一印象で嫌われる理由が他に見当たらないのです。
>
>皆様は、「ADHD×AS」はただのバカだと思われてやしないかと不安になったりしたことはございますか? また、私のこの考えがただの取り越し苦労であると言って下さいますか?
Luluさんはじめまして。あんく(ADHD・Asいずれも未診断)と申します。
「ただのバカ」だと思われてましたとも。小学校時代から、バカアホマヌケは当たり前、ノロマ、ブキッチョ、変なやつ、コワイ、オシ、ミミツンボ、低能児、無神経、笑うと気持ち悪い、犬のフン、粗大ゴミ、不潔、(私女ですよ女)今思い出すだけでも、これだけの枕詞をちょうだいしていて、自分がいったいどんなやつだったのか、自分でもわかりませんや(^_^;)。毎日このような言葉を浴びせられ続けていて、自己同一性が保たれているほうが奇跡というものでしょう。それだけ誉めにくい要素を持ち合わせていた子供だったってことで。
あえて誉め言葉と言える評価を探すとすれば、「やさしい」「個性的」ぐらいなものでした。人格攻撃ではないが誉め言葉でもないと思うのは「無口」「風変わり」「おとなしい」「天然」といったところかな(でも個人的に、「不思議ちゃん」って言葉は、でェ〜ッ嫌えだけど)。
他者の言葉というのは、自分にとって不快でしかないものであったとしても、自分を映し出す鏡であったりすることが、多いものでもあります。皮肉な話だけれど、人をけなすとき、他人っていうのは、あんがい正直です。もちろん、それらの評価の中でも、耳を傾けてはいけない言葉というのもあります。たとえば、上の悪口の中でも、「犬のフン」だの「ゴミ」だのいう言葉は、まったく不当な、否定のための否定でしかなく、自分にとっては何ら得るものの無い要素として、ハネちまえばいい。
ただ、「ツンボ」と言われたという事実は、たとえば自分が診断を受ける際の決め手のひとつとして、利用できるかもしれない。自閉性障害を持つ子供は、よく耳が聞こえないと間違われる云々…というあれです。
「無神経」という評価だって、あながち不当なものではなかったなと、子供時代の自分を振り返るにつけ、受け入れはじめています。ただし、「ど〜せあたしは無神経ですよ〜だ」という居直りもどきの受け入れ方でなくて、たとえば自分は今まで、他者に感謝というものをしたことがあったか?自分以外の誰かの「喜ぶ顔」を見たいという動機を持って、行動したことが、一度でもあるか?などと、自分の胸に問い掛けては、答えられない自分というものに、ショックを受けていたりもするのですが。
そんなふうにして、自分への評価を分析していって、学ぶべきものがあるかどうかを判断するというのは、バカであるどころか、まぎれもないその人の「知性」だと思います。確かに他人は正直だが、正しいことを言っているとは限らない。他人にバカだと思われようがなんだろうが、自分に必要無いと思ったら、振り切る勇気も必要だと思うな。
というわけで、そういった部分では、私は自分で自分のことを、「バカ」だとは思っていないのであります。
他人の言うことに、ムッときたら、まずは「それもそうだな」と、心の中で自分に言い聞かすんです。そうすると、不思議とブチ切れることもなくなりますよ。
リバーさん wrote:
>
>こまりものさんがこの投稿をなさったのは、6月27日、それに対して、8件の真摯な回答がありました。しかし、いまだにこまりものさんからの返事がないのは、なぜでしょう。なお、こまりものさんからの投稿を、待ちたいと思いますが、なければ、私は、この投稿は、この掲示板に対する嫌がらせであったと判断します。
>
うーん。私にはなんで「嫌がらせ」に見えるのかわかりません。
特に後輩の方を非難しているわけでもないし。迷惑だから仕事を辞めてくれ!と言っているわけでもないし。第三者的に心配しているのだと思いました。
(それとも私の読み方が浅すぎる?)
私もレスを付けるのが遅い方・・・というより、付けないことが頻繁にあります。それは、質問をして回答がきて、読んで納得して、それで完了したと思うことがあるから。また、返事をしようと思っても回答に圧倒されて、適切な返事がなかなか作れない時もあります(相手の回答を踏まえた自分の意見がまとまらない時など)。
しかし、反応がないと本当に読んでもらえたのか不安ですよね。答えがまとまらなくても、「読んだよ」と知らせた方が良いのでしょう。
自分の反省も込めて。
今まで回答をいただいて、レスをしなかった方、気を悪くされていたらごめんなさい。
レスを付けないのには、他にも、ネットにつなげない状態になっているから、ということも考えられます。まあ一週間やそこらは、早いほうですよ(私にとっては)。焦らず待ってみたいと思います。
ひょっとして私の父は、いまのいままで隠しおおせてはいたけれど、一対一の対話であるとか、スピーチなどの「一方的」な発言の場では、かろうじて切り抜けてはいても、おそらく2名以上との会話に融け込みつつ繋いでゆくことに、人知れず困難を感じていたのだろうか。
家族との「打ち解けた」会話でも、父が参加してくると、私でも一瞬「………えっ?」と、父の顔を見返してしまう。とにかくタイミングが、ひどくまずい人なのだ。父も自身も、なにかしら自分でも説明のつかない「やりにくさ」を感じているらしく、どこか緊張した面持ちでいるのだが、相手が変な顔をするのだから、こちらも変な顔になってしまう。
なんだかあんく自身の、“会話の運営法”(勝手にネーミングしてしまうけれど)のまずさを、鏡にして付きつけられているみたいだ。
父は以前から、自分が「話べたである」という自覚はあったらしく、「話し方教室」の通信講座を取ったり(会話というのは、生身の人間同士のやりとりあってのものだと思うのに、自宅学習でカバーできるものなのだろうか?私には解らないな)、D.カーネギーの本などを精読し、努力して努力し、そのかいあって会社時代は、スピーチのうまさを上司に認めてもらったこともあるらしい。
しかし、会話の中でも「雑談」の部分は、そういった努力でも、補えない部分があるんだろう。
自分の居たい世界に融け込み、見識を広めるためには、「雑談」も必要不可欠だ。
一方的だったり、内容が飛躍していたり、一部の者にしか通用しない話題を、「選ばなければいい」というものだけでは、済まされないらしい。
健常者に訊いても、「みんなただ自分のしゃべりたいこと喋ってるだけよ」と、返されてしまう。なのに、健常者みんな、自分の好きなだけ、会話の輪の中にいられる。“やりとりそのものが楽しくて仕方ない”、「やあやあ○○ちゃん」「きゃー!元気だったー?」の間合いが、見ていても神業としか思えず、わからない。「飲み会」の席では、いつも取り残され、宙を見ているしかない、というパターンが、多すぎるのだ。
イギリス留学先のスクールで、これやっちゃったもんな。ドナ・ウィリアムズが、再入学した先で、校内の廊下などにひとりきりでいて、誰かが通りかかると、急いで「私は今、用事があるのだ」という振りをしなくちゃならなかった、という、なんとも居心地悪いエピソードを披露しているが、そのまんま私も自分の大学時代から、まるで進歩していないどころか、「さあ、ひとりきりでいる奇異なこの私を見ろ!私を笑えばいいだろ!」とばかり、なかば開き直ってはいたのだけれど。こういうのを“人格の極端なクセ”と言えば言えるんだろう。自分でもはた迷惑な存在だって気がする。
まるで奇跡みたいに、相手が私の言葉に対して、相槌を打ち続けてくれているのに気がつくときがある。そのときぐらい、卑屈なほどに幸せで有難く、涙もろい気分にさせられることはない(じっさい涙目になっていることもある)。目線を使う、「その会話、乗りたいなあ〜」という“暗黙のサイン”を送り、相手がこちらに振ってくれるまでは、割り込まず辛抱強く待つ、私にとって、こういうことは、いちいち意識しないとできないし、しょっちゅう混乱し、失敗もするのだけれど、成功すれば、健常者の方々は、そういったものに、よく反応して下さる。ありがたいありがたいありがたい。
これは自慢だけれど、自分の近くで数人が会話していると、つい自分も参加している気分になり、タイミングも何も考えず割り込んでしまい、その結果その人々をギョッとさせる、という、私にとってまったく理由が分からず、ただ恥をかいたとしか思えない苦い失敗が、自分自身の気付きによって、劇的に減ってきた。
でもそうなると今度は、なぜいままで自分は気付かなかったのかってことが、考え出すと夜も眠れないんだよな。
“会話の輪の中に居続けることが、自分にとって当たり前で、ふつうに居心地いい”こんな能力を望むことは、まだまだ高望みではあるのだけれど。
本当に周囲の関わり方ひとつで出来たり出来なかったり・・・
思いも寄らないところで、本人にはものすごいストレスだったり・・・
環境を整えるって本当に大切なことですよね。
是非続編もお願いします。
上手いラーメンはご一緒させて頂きたいところです。
病院で知能検査を受けた結果、「高機能自閉症だと思う」と言われました。
私はいざとなった時の受け皿として精神関連の通所授産施設や小規模作業所への
通所を望んでましたが、「対人関係に問題がある上に、周りの理解も必要だから
適さない」と言われました。これから先どうしていいのかわかりません。
誰か、入所授産施設かグループホームに入っている人がいましたら、情報下さい。
逃げ場が欲しいのです!サークル仲間とは気が合いません。
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