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Re: 煩わしさと心細さの狭間・・ 13292へのコメント
No.13293  Sun, 14 Jul 2002 10:54:54 +0900  キリコ [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:

あ、あさかぜさんだ!お久しぶり(笑)お元気でしたか?釣りの成果はいかに?何が釣れるのでせう?

> きょうのお天気・当日あるいは前日のニュースの話題・ご近所の話題あたりを淡々と話していたっていいと思うんだけどな。わたしだけかな? それと、わたしが祖父の介護をした経験からですが、手や足をさすってもらうのは気持ちいいらしいです。もしお姑さんが嫌がらなければさすってあげたらいいかな?と、ふと思いました。意外とやりがいありますよ〜。足(と脚)をさすっているときは会話なんて気にしてられないし。

その程度の話題でさえ結構ギクシャクしたりすんですよね〜お恥ずかしい(^^;)
手足のさすりはやってます。言葉より行動の方が楽・・でも腰が痛い!中腰になるから。。
でも間が持たないのでやってます。昨夜も腰がダルクて寝付けなかった。明日の仕事がヤバイです。

> お姉さま方の言動は無視(笑) その方々から良い評価を受けなければならない必然性がキリコさんにあるなら別ですが……。看護婦さんと話をしてみて、お姑さんの喜びそうなことを探してみるのも手かもしれません。看護のプロに聞いたほうがヒントが見つかるかもしれないです。

ありがとうございます。別に良い評価を得たい訳では無いけど少しでも人並みに近づきたい?からかな。
看護婦さん達にも尊敬と感嘆の気持ちでいっぱいですわ。仕事でも大変だろうに・・偉いですよね〜

そうそう、昨夜ずっと考えて気が付いたんです。「手を握る」は私にお礼を言ってたのかな〜?と・・
違うかもしれないけど「そういう事」にしておきます(笑)これだけの事にエネルギー使って消耗。。

ではx2、今日も行って来ますわ(^-^)


Re: 煩わしさと心細さの狭間・・ 13286へのコメント
No.13292  Sun, 14 Jul 2002 07:32:50 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

キリコさん wrote:
>う〜ん、きっと自分にはウザッタイ、煩わしいと思えるような事をするべきなんでしょうね〜
>無理そう・・いや、無理・・でも、やるしかない!ですかね。ジレンマにのたうつ日々ですわ。

 無理することないんじゃないでしょうか。
 自分がしたいと思うことだけすれば、いいように思います。ベッドに寝てる病人には、声かけ語りかけは大切だとは思うけど。
 きょうのお天気・当日あるいは前日のニュースの話題・ご近所の話題あたりを淡々と話していたっていいと思うんだけどな。わたしだけかな? それと、わたしが祖父の介護をした経験からですが、手や足をさすってもらうのは気持ちいいらしいです。もしお姑さんが嫌がらなければさすってあげたらいいかな?と、ふと思いました。意外とやりがいありますよ〜。足(と脚)をさすっているときは会話なんて気にしてられないし。
 お姉さま方の言動は無視(笑) その方々から良い評価を受けなければならない必然性がキリコさんにあるなら別ですが……。看護婦さんと話をしてみて、お姑さんの喜びそうなことを探してみるのも手かもしれません。看護のプロに聞いたほうがヒントが見つかるかもしれないです。


Re: おお超能力な会話だ 13279へのコメント
No.13291  Sun, 14 Jul 2002 01:17:46 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

>ぱーこさん wrote:
>>これは、おしゃべりな私バージョンですけど、夫にはせめて
>>『実家へいってきたぞ。思ったより元気だったから安心した。』
>>「なにか変わったことなかった?」と私が聞く。
>>『弱ってはいるけど、顔見たら喜んでたぞ。母もなんとか頑張ってるみたいだ』
>>「そ〜う。でも、買い物や庭仕事はたいへんでしょうねぇ」
>>『気が付かなかったけど、そうかもしれんなぁ。今度、手伝いに行こうか』
>>チャンチャン!というシナリオになります。期待のし過ぎですが
>
私はこれを見て「ベクトルで会話をしている」と思ったのですが、分かりにくいので説明します。

この会話は言葉に出されていない感情のベクトル?基調トーン?みたいなものがあって、言葉がそれに乗っかっているように感じました。
この会話で言えば、奥さんが「両親のことが心配だから、教えて欲しいの。でも悪いことは聞きたくないの、安心させるように言ってね。お願い」というトーンの上に言葉を並べている。
旦那さんは「両親に会ってきたことを聞きたがっているだろう。心配させたくないから、安心させるように言おう」というトーンの上に言葉を並べる。
そういうお互いの思惑が偶然うまくかみあったケースだと思いました(なかなかここまでは難しいかも。)

非・自閉の人同士であっても、その辺りでずれていることはよくあるのではないでしょうか?
「面白い話」のつもりで伝えたのに、相手が真面目に受け取って怒り出してしまった時、など。

「誤解」というのは、そのトーンの部分で読み違えした場合が多いんじゃないのかな?
「普通の人」は、自分の考えるトーンの上に相手も言葉を乗せていると思いこんでいる・・・というより、そのトーンの存在自体に気が付いていない?自分の思うように相手も考えるものだと疑わず、たいていの場合、それで通ってしまうのならば。もしずれていても、あくまでも自分のトーンの上で相手の言葉を考えてしまうのでは?
そんな場合、トーンのずれに気づいた方がそれを指摘して誤解を解こうとしても、相手が理解不能のためうまくいかない。
私は母親とのやりとりの間で、よくそんなことがあります。

一体何が言いたいのか分からないといわれそうですね。すみません。
私も割と自分のトーンの上で話をしてしまうタイプなので。
分からなかったら分からなくてもいいです。


Re: すごい!人気急上昇中のLuluさんへ 13273へのコメント
No.13290  Sun, 14 Jul 2002 00:36:24 +0900  ayu [この発言にコメントする]

ayuです。

何年か前に見た、私の好きな映画の主人公が、
Luluさんにそっくりなのに
ふと気づいて、その映画のことを書きたくなりました。

その映画は
ウォーターボーイというアメリカの映画で、

主人公は、

アスペ?というか、ちょっと人とは変わっていて
みんなからバカにされている、仕事もクビになる
母親は過保護で、女の子とは付き合うな、外の世界とは関わるなといい
息子を支配下に置こうとする。
でもふとしたきっかけで、主人公の特技にみんなが気づいて・・・

最後はハッピーエンドで幸せな気分になれる映画です。

私は主人公に自分を重ねて見ることができたので
感情移入してしまいました。

スポーツに関わる映画なので
Luluさんのスポーツができないっていう怒りは
横において見てほしいのですが、
なにかしら見て得られるものはあるんじゃないかなと
思っています。

何個か紹介ページのURL貼っておきますね。
ぜひ、ご覧になってください。


<レビュー>
http://homepage1.nifty.com/cinema/0086.html
<アマゾン>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FXKP/ref=sr_aps_d_1_2/249-6502086-3533111
<ネタバレ>
http://www.marienishimori.com/Waterboy.html


Re: 心理学は役に立つのだろうか。 13280へのコメント
No.13289  Sat, 13 Jul 2002 22:04:48 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

Maria さんwrote:

ご無沙汰しています。タレイヌです。

> けっきょくのところ、心理学というのは礼儀作法の一部であるような気がする。

ごほ、ごほ、ごほ・…(むせている)  考えてもみませんでした。
 相手の気持ちの動きを読むことが、たとえできなかったとしても、「こういう時は、こうしたらいい。」という、いわば、マニュアルが、はっきりと打ち出されていて、それに対しての、更なるやり取りの仕方もまた、マニュアル化されている、という意味では、確かに、心理学の実用版部分が礼儀作法と重なっている、ということになるのかもしれませんねえ。

 心理学といえば、めずらしく、本を1冊、読み終えました。
「ココロを動かす技術、ココロを、読み解く科学」ひろたかなん著(新風舎)

 この中で、『心とは絶えず新しい情報が追加される、循環する波です。』(つまり、台風とか、竜巻なんだそうな・・・。)と書かれています。ちょっと、面白い、表現。
でね、この、ひろたかなんさん、どういう方なのか、どなたか、ご存知ありませんか?ちょっと、不思議な方です、アスペチックな感じがして・・・・・。

 もし、お読みになった方、感想を、10行ほど(?)お聞かせいただけるとうれしいです。

  (暑さで頭が文字化けしそうな タレイヌ)



 


笑顔(ソネット52「明」)
No.13288  Sat, 13 Jul 2002 21:54:37 +0900  吟遊詩人 [この発言にコメントする]

あなたの顔
記憶にない
笑顔だったことだけ
憶えてる

あなたのした事
記憶にない
楽しかったというのは
分かってる

ごめんね、薄情で
でもね
記憶なんてどうでもいいの

あなたが残した
明るさは忘れない
もっと大きくしたいから


Re: おお超能力な会話だ 13285へのコメント
No.13287  Sat, 13 Jul 2002 21:11:34 +0900  すもも [この発言にコメントする]

ぱーこさんこんばんは!

>すもも wrote:
>>むしろ、夕食の時間が予告どおりでないことが
>>不満・不審であったと思われますが・・。

ぱーこさん wrote:
>そうえいば、思い立って「外食しよう」というのはだめですね。
>かなり前から、これこれの理由で外食をしたいのでこれこれの理由であなたにも来て欲しい、と言うと行く時もあります。
>

そういえば、わたしは急に「やっぱり仕事が忙しいから家で食べよう。」
などと、外食の予定が変わったときに
ぼーっとしてしまいます。

「今から何作れば良いのかなあ?」とかいうことを考えているのもあるのですが
その、よそからきた急激な変化が受け入れがたいというか。

で、ぼーっとしていると夫が、不機嫌になるので
いつも困っていたのですが
自閉症スペクトルのことを知るにつれて
やっとトラブルの原因がわかりました。
わたしが変化に適応できず、無口になることが
「行かないことについて不満に思っている」と勘違いされて
いたようです。

最近はそういうときは
「じゃあ、コンビニご飯でいい?」
と、いうマニュアルを作りましたので
円満に?解決しています。

>ぱーこ wrote:
>
>>『ひさしぶり〜。どうしてたの?少し、恰幅がよくなって〜。奥さんにおいしいものばっかり食べさせてもらってるんでしょう』すると、相手は「おー、珍しい人がきてるじゃないか。これで結構しんどいんだよ。君こそどうしてんの?」『貧乏暇なしよ〜』「いいじゃないか、好きなことができてるんだから」『アハハ・・・』
>>別に、大した意味はないんですよ。ただのお遊び。顔つなぎ。

先日、わたしが音楽仲間の友人と交わした会話にちょっと似ているので
比べてみようと思います。

仕事先で、恰幅が良くなった長年の友達を、
ぜんぜん別の人とかんちがいして、深深とお辞儀してしまった私。
よくみて気がついた。
私「びっくりした〜。○○くん、一瞬別の人かとまちがってあいさつしたよ。」
友達「あ〜そう〜?」
私「体格が良くなったねえ。最近成長した?(笑)」
友達「あ〜成長期らしいよ(笑)」(二人とも30代・・・。)
友達「そういえば、○○の演奏会いく?」
私「あ〜いくよ〜。」
友達「良かったらチケット手配するけど。」
私「あ〜じゃあ、お願いします。」
2人「じゃ〜ばいばい」

彼も「かわっているひと」の範疇に入る人ですが・・・。

>>『とにかく、仕事だけさせてくれ、わずらわしいこと(子どものこと)は忘れろ』と。
>>話を聞いて欲しい、一緒に悩んで欲しい、と欲求不満になるのでした・・・

ふとおもったのですが
不登校のおこさんも、だんなさまに似た傾向があるのでしょうか。
そしたら、考えること自体がくるしいのかもしれません。

わたしが「子どもを持たない」と決めたのは
子どもの頃のことを
もう一度追体験したくないというのもありますから・・・。


煩わしさと心細さの狭間・・
No.13286  Sat, 13 Jul 2002 21:07:38 +0900  キリコ [この発言にコメントする]

え〜アスと非アスとの会話の噛み合わなさの話で盛りあがってる?らしいですが・・

私事ですが今、姑の看病で困ってる事。語りかけ?ですかね(^^;)何、言えばいいんだ〜?
お姉さま方は非常にコマメになにくれとなく語りかけ、手をかけ、心を砕いてるのですが私ときたら・・
想像は付くと思いますが・・私的には「それって煩わしいんじゃない?」と思っちゃいます。違うのかな〜
自分的にはウザッタイ事が重要らしいので?真似をしようと奮闘するのですが挫折・・疲れます。。
ま〜誰も期待してないだろうとは思ってもプレッシャーは感じます。申し訳ない気分で悩みます。
本人がまだ口をきけない状態なので、こちら側の人間性?が凄く大事な問題になってしまう。。
どうしても薄情にしか見えないだろうな〜と考え込んでしまう。でも、言葉が出て来ないんです。
何気ない会話って難しい。うるさいんじゃ無いかな〜?と思ってしまう。でも寂しいかも知れないし・・

けして仲の良い関係では無いけど手を握ってくる姑は心細いのかも・・こんな私でも喜んでくれてる?
人の気持ちを推し量る能力が欠如してるのは辛いです。適切な感情表現がしたいです。
自分が辛い時、苦しい時、優しさや思いやりって凄く心に沁みるから同じにしたい、とは思うけど
まるで的外れな(私的には)お節介には腹が立つのでソレは避けたい・・そう思うと八方塞がり・・
う〜ん、きっと自分にはウザッタイ、煩わしいと思えるような事をするべきなんでしょうね〜
無理そう・・いや、無理・・でも、やるしかない!ですかね。ジレンマにのたうつ日々ですわ。


Re: おお超能力な会話だ 13283へのコメント
No.13285  Sat, 13 Jul 2002 19:34:10 +0900  ペパーミント [この発言にコメントする]

ぱーこ wrote:

>『ひさしぶり〜。どうしてたの?少し、恰幅がよくなって〜。奥さんにおいしいものばっかり食べさせてもらってるんでしょう』すると、相手は「おー、珍しい人がきてるじゃないか。これで結構しんどいんだよ。君こそどうしてんの?」『貧乏暇なしよ〜』「いいじゃないか、好きなことができてるんだから」『アハハ・・・』
>別に、大した意味はないんですよ。ただのお遊び。顔つなぎ。

私は、すごく努力するとそういう会話もできますが、芝居を演じているような気がしてあとでとても疲れます。あまり長く続けることもできません。決まり切った台詞をやりとりしているような気がします。
母とはそういう会話を30分ほど続けるのが義務だと思って、会話するようにしていましたが、とうとう疲れ切ってできなくなりました。

>>なにか話したくないことがあったのか、それとも過去の経験からして楽しくない展開になりそうだと予感してたのかもしれませんね。

ぱーこさんが、その種の会話を交わしたがっていることをご主人が知っていて、でもそれに応えられないことがストレスになっているのかなと思いました。

>それなんです、ず〜と気になっていたのが。過去にどんなことがあったのだろう?それとも私という存在がストレスなのかなぁ、と。

ぱーこさんの存在がストレスなのではなく、ぱーこさんの期待がストレスになっているのかもしれません。

>『とにかく、仕事だけさせてくれ、わずらわしいこと(子どものこと)は忘れろ』と。
>話を聞いて欲しい、一緒に悩んで欲しい、と欲求不満になるのでした・・・

ぱーこさんの気持ちも理解できます。私が、夫から、同じことを言われたら腹を立てると思います。あなただって親なんだからと思うでしょう。
私は、夫とは会話できます。お喋りを楽しめます。でも母とのあいだに会話を成立させるのはすごくしんどいです。


Re: 心理学は役に立つのだろうか。 13280へのコメント
No.13284  Sat, 13 Jul 2002 19:16:16 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> だから、心理学を学ぶことで人の行動に対して心理学的な裏付けを推定することができたとしても、それを本人に納得させることは、ほとんど不可能だったりする。たとえばの話、周囲から見れば子供を虐待しているとしか見えない親に、「あなたは子供に『厳しい躾』をしていると思っているかもしれないが、それは親から受けた暴力を『私の親は私を愛していたからあんなことをしたのだ』と納得しようとしているだけなのだ」と言ったからといって、それを素直に受け止めて子供に対する虐待が止むかといえば、止まないのである。
>
>
人間の心を読むのは、地球物理学で地球の中がどのようになっているかを推測することにどこか似ています。
 地球というのは不透明なものなので、中を見ようとしても見えません。中から出てくる熔岩や熱・地震波を元にして、数学というものを駆使して推定するしかありません。
 それと同じで心というものも、その外面への表出である言葉・表情・行動から、推測するしかありません。心理学というのは、とどのつまりは、この推測の道具なのだと私は思います。
 


Re: おお超能力な会話だ 13279へのコメント
No.13283  Sat, 13 Jul 2002 19:04:16 +0900  ぱーこ [この発言にコメントする]

みどり さんwrote:
>私にわからない表現も多数…
>「思ってたより元気」: >「顔見たら喜んでた」:わざわざ言わない。
>「なんとか頑張ってる」: 抽象的すぎて私は日常会話では使わない。
>「気が付かなかったけど、そうかもしれんなぁ」:『大変に決まってるじゃんっ。いまさらなに言ってんだよ。そんなことも想像つかなかったのかい?』と思うだろうな。
>「今度手伝いに行こうか」:行く気があればとっくに行ってる。
>…… 私の中ではこれが「まっとう」なんだけど、確かにぱーこさんの理想会話と比べると、一般の人に嫌がられるという理由が想像つかなくも、ない。
>でも私には超能力がないので、理想会話をするのは難しいしなあ。うーむ。どうしよ。

そうかあ〜。私は大勢に影響のないことでも、相手との交流としてしゃべっていますね。わざわざ、でも何でも、言うことでお互いの理解を深めていることもあるし。
昨日は友人と5時間、おしゃべりしました。おしゃべりすることが楽しいし、一緒においしいご飯を食べることが一人よりもずっと楽しいと感じます。
結果を求めるでもなく、状況を説明するでもなく。『ねぇ、スカート買ったの、見てくれる?』「わぁ、かわいいねぇ、私もこの色すきだな」『この前旅行へ行ったんだけど写真見て』「へぇ、きれいなところだねぇ。」などなどと友達のうちで、実に生産的ではない会話をしていました。
悩みなども話したりして、帰りにはすっかり元気を取り戻していました。
女同士ではよくありますが、男の人とでも結構、おしゃべりしますね。
『ひさしぶり〜。どうしてたの?少し、恰幅がよくなって〜。奥さんにおいしいものばっかり食べさせてもらってるんでしょう』すると、相手は「おー、珍しい人がきてるじゃないか。これで結構しんどいんだよ。君こそどうしてんの?」『貧乏暇なしよ〜』「いいじゃないか、好きなことができてるんだから」『アハハ・・・』
別に、大した意味はないんですよ。ただのお遊び。顔つなぎ。
夫は「どうも」ぐらい言いますが、夫の兄の家に行った帰りには「兄貴はよくしゃべるなぁ」と呆れています。

>なにか話したくないことがあったのか、それとも過去の経験からして楽しくない展開になりそうだと予感してたのかもしれませんね。

それなんです、ず〜と気になっていたのが。過去にどんなことがあったのだろう?それとも私という存在がストレスなのかなぁ、と。

>関心を持つポイントは人それぞれですからね…
そうですね、特に人に(家族にも)無関心のように見えますね。
『とにかく、仕事だけさせてくれ、わずらわしいこと(子どものこと)は忘れろ』と。
話を聞いて欲しい、一緒に悩んで欲しい、と欲求不満になるのでした・・・
でも、ほんとうに、ここへ来てからは、夫はすごく傷つきやすいんだなと思いました。


Re: すごい!人気急上昇中のLuluさんへ 13273へのコメント
No.13282  Sat, 13 Jul 2002 18:31:27 +0900  あんく [この発言にコメントする]

こりっこさん wrote:

>心配なんて嘘です。母親だけの子供でなくなる事が不安になる事から心配という言葉を使うのです。

 まあ、私も、常々感じるよ?10年ちかく引きこもりで、おそらくは脳障害の私のいとこと、その母の関係を見ていると。
 母親に一切、さからわない子供って、さぞかしかわいいだろうなって。


Re: 驚!です。 13278へのコメント
No.13281  Sat, 13 Jul 2002 18:16:55 +0900  ぱーこ [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>ぱーこ wrote:
>>以前、親戚の人が夫の勤務先に入院したことも、相手からお礼の電話があるまで、私は知りませんでした。
>
>入院したと言う事実は患者のプライバシーですから、それを病院外の人に勝手に伝えてしまうのは問題があります。
>ぱーこさんと患者さんが知り合いなら、なおさらです。

親戚とは私の方がよく交流しているので、私にお電話を頂いたのでした・・・
「えっ、知らなかったの」と言われました。


心理学は役に立つのだろうか。
No.13280  Sat, 13 Jul 2002 16:44:08 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 「心理学における基本的テーゼ」というものがある。それは、

 「人間は、自分がどういう心理的理由に基づいて行動しているかがわからない。」

だ。

 だから、心理学を学ぶことで人の行動に対して心理学的な裏付けを推定することができたとしても、それを本人に納得させることは、ほとんど不可能だったりする。たとえばの話、周囲から見れば子供を虐待しているとしか見えない親に、「あなたは子供に『厳しい躾』をしていると思っているかもしれないが、それは親から受けた暴力を『私の親は私を愛していたからあんなことをしたのだ』と納得しようとしているだけなのだ」と言ったからといって、それを素直に受け止めて子供に対する虐待が止むかといえば、止まないのである。

 逆に、普通の人の間で信じられている「迷信」として、

 「私は、そしてすべての人は、自分の行動の心理的理由がはっきりわかっている。」

というのがある。あたしなんかは、何かを特に理由らしい理由もないのに先延ばしにしてしまうことがしょっちゅうある。自分でもはっきりわからないのだけど、そのことに手をつけることができないのである。「なぜだ」と理由を求められても困る。とにかく、したくない。というより、できないのである。
 そんなわけであたしには、他人のすることに関して、その人が主張する理由とその行動にしばしば矛盾があるということが見えてしまう。ところが本人はその「理由→行動」の関係は疑いようのないものだと思っており、「それはおかしいのではないでしょうか?」とかツッコミを入れたりすると、「そんなことはない!」と怒られたりするのである。「なんとなくこうしたいから、こうするのだ。とくに理由はない」というひとは、意外に少ない。多くの人は、自分が気まぐれな人間であるとは思われたくないのだと思う。同時に、そうした多くの人は、他人が自分が納得できない理由で行動することを許したがらない。

 そんなわけで、心理学を学ぶと、他人の理不尽な仕打ちに対して理解がある人間になってしまって、世の中では損をすることが多くなるような気がする。まあ、「あのひとは気の練れた人だ」みたいに尊敬されることもあるのだけれど、逆に「あいつはカモだ」みたいに食い物にされることも多々あるから、どっちかというと損のほうが多いような気がする。

 とはいえ、心理学を学ぶことにはいい点もある。

 それは、「私はひょっとしたら自分をごまかしているのではないだろうか」という疑いを持つことができることだ。「真実は人を傷つける」「本当のことを言われると人間は腹を立てる」ということをよくよく頭に入れておくと、(怒るタイミングを失するという難はあるものの)カーッと頭に血がのぼって軽率な行動に出るということがだいぶ減る。

 自分に嘘をついていないひとは、抑圧の少ないひとである。感情の起伏に乏しいという見方もできるけれど、反面気まぐれに振り回されることもないので、つきあいやすいひとではあったりするのである。そういうひとは、一目置かれるということもあるし、頼りにされるということもある。

 けっきょくのところ、心理学というのは礼儀作法の一部であるような気がする。

 (Maria)


おお超能力な会話だ 13265へのコメント
No.13279  Sat, 13 Jul 2002 15:58:06 +0900  みどり [この発言にコメントする]

みどり:
>>普通の人はこういう会話のどういうところが疲れるの?どういう返事を期待してるんでしょう?

ぱーこ wrote:
>そうですか・・・。私が疲れるのはアンケートの項目を作っているような気がするからです。いちいち聞かなくても、言葉ででるのではないか、と期待してしまうのです。私が逆だとすると
(snip)
>これは、おしゃべりな私バージョンですけど、夫にはせめて
>『実家へいってきたぞ。思ったより元気だったから安心した。』
>「なにか変わったことなかった?」と私が聞く。
>『弱ってはいるけど、顔見たら喜んでたぞ。母もなんとか頑張ってるみたいだ』
>「そ〜う。でも、買い物や庭仕事はたいへんでしょうねぇ」
>『気が付かなかったけど、そうかもしれんなぁ。今度、手伝いに行こうか』
>チャンチャン!というシナリオになります。期待のし過ぎですが

すごい。
アスペ関連のところによく「他人同士がまるで超能力で会話をしているように感じる」って書いてあるけど、これはまさにその例だなあ…

私にわからない表現も多数…
「思ってたより元気」: 予想通りの元気だったらなにも言うことがないよねえ。よっぽど予想外に元気だったならともかく。
「弱ってはいる」:「思ってたより元気」だけど「弱ってはいる」って……いったいどういう状況???
「顔見たら喜んでた」:うちの親は私の顔見て喜ぶようなことはないから、想像がつかない。それに、もしも顔見ればいつも喜ぶような親なら、別に特別なことではないのでわざわざ言わない。
「なんとか頑張ってる」: 抽象的すぎて私は日常会話では使わない。特に「今日会ってきた」ような具体的な状況では。もっと長期的な話のときなら使うかも。久々にあった親戚に「お母さん最近大変だって聞いたけどどう?」と聞かれときに「ええでもなんとか頑張ってるみたいですよ」とか。
「気が付かなかったけど、そうかもしれんなぁ」:『大変に決まってるじゃんっ。いまさらなに言ってんだよ。そんなことも想像つかなかったのかい?』と思うだろうな。
「今度手伝いに行こうか」:行く気があればとっくに行ってる。今日行ってきて手伝いいるかどうか聞いてきたし、なんでここで勝手に憶測でそんな話をするんじゃ。

…… 私の中ではこれが「まっとう」なんだけど、確かにぱーこさんの理想会話と比べると、一般の人に嫌がられるという理由が想像つかなくも、ない。
でも私には超能力がないので、理想会話をするのは難しいしなあ。うーむ。どうしよ。

>聞く前に、私の前から姿をけしてしまいました。
>後姿に聞いて見たけど、返事なし。
>かわりに「ちょっと昼ねする」と。

なにか話したくないことがあったのか、それとも過去の経験からして楽しくない展開になりそうだと予感してたのかもしれませんね。

>気持ちがあれば、わかるだろう、とか、家族に関心があれば聞くだろうと思ってきましたが、気持ちとわかることとは別の事項なのかも・・・・
>これは「冷たい」とは違うのかも知れませんね。

関心を持つポイントは人それぞれですからね…


Re: 驚!です。 13267へのコメント
No.13278  Sat, 13 Jul 2002 15:40:07 +0900  みどり [この発言にコメントする]

ぱーこ wrote:
>以前、親戚の人が夫の勤務先に入院したことも、相手からお礼の電話があるまで、私は知りませんでした。

入院したと言う事実は患者のプライバシーですから、それを病院外の人に勝手に伝えてしまうのは問題があります。
ぱーこさんと患者さんが知り合いなら、なおさらです。


Re: 障害と個性について 13276へのコメント
No.13277  Sat, 13 Jul 2002 15:12:33 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

>
>(2)「障害と付き合いながら生きていくことによって、その障害
>   者特有の個性が発生する可能性はある」という立場
>

障害の受容の最終段階は、究極的に考えると、この言葉を信じられるようになることだと僕は思う。


障害と個性について
No.13276  Sat, 13 Jul 2002 14:47:17 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

発言A「障害ではなく個性として捉えてほしい。」
発言B「こんなに辛い目に遭っているのに、どこが個性なんだ!」
発言C「君の障害は既に個性の範疇に入っている。」

 この世界(どの世界だ?)と関わっていると、上記の一連の発言
をよく耳にします。しかし、多くの論者が障害と個性という言葉を
違う意味で捉えていたり、障害と個性の関係の捉え方が違っている
ために、わたしなどはけっこう混乱しております。そんな訳で、こ
の問題がなぜわたしには分かりにくいのか、自分なりに整理してみ
たいと思います。わたしが気がついていないポイントがあったら、
どんどん指摘してくださいまし。

 加えて、現時点での私見なども述べていくここにします。

(自然的個性と習得的個性)

 この問題の分かりにくさの1つに「個性」という言葉の二義性が
あります。例えば、障害とは関係ありませんが、17才問題が発生
していた頃、日本人のしつけの減退を問題視する論者からは、「甘
やかすことを個性と履き違えている親が多い」という意見が出され
ていました。この論者の言っていることが正しいかどうかは別とし
て、「個性」には「その人のあるがままの状態」という意味と、「
教育,社会化された上で、身についていくもの」という意味の2つ
が含まれているようです、ここでは便宜的に前者を「自然的個性」
,後者を「習得的個性」と呼んでおきましょう。考えてみると、発
達障害の支援関係者がわたしに対して「君のは個性だ」という場合
、人によってどちらの意味で個性だと言っているのかは違っており
ました。例えば、ある支援関係者は「あなたの障害は身長などと同
じ個性として捉えてほしい」と発言しましたが、この障害者の方は
「個性」という言葉を「自然的個性」という意味で使用しているこ
とは間違いないでしょう。また、別の支援関係者は発言Cにあるよ
うに「君の障害は個性の範疇に入ってきている」と言う言い方をし
ました。この場合、個性という言葉は「習得的個性」という意味で
使用されています。つまり、努力や成長によって障害は個性に高め
られているという見方です。

 個人的なことを言えば、わたしは自分の障害のことを個性と評価
されると腹を立ててしまう傾向が強いのですが、少し冷静に問題を
考えていく必要があります。「自然的個性」という意味で「君のは
個性だ」と言われた場合、自分の障害者としての経験だとか困難を
否定された訳ですから、それなりに腹を立てる理由にはなりそうで
す。ただし、「習得的個性」についてはどうか?「元々、障害があ
るんだけど、それが困難ではなくなりつつある」という意味ですか
ら、それほど腹を立てる必要はないのかもしれません。

 しかし、実際の会話では相手は個性という言葉を「自然的個性」
という意味で使用しているのか、「習得的個性」という意味で使用
しているのか詳細に説明してくれる訳ではありません。また、どち
らの意味で使用しているのか、自分では意識していない場合さえあ
ります。そんな訳で、個性という言葉の理解はわたしには骨の折れ
る作業です。

(「AではなくB」か,「AでもありBでもある」か)

 「障害ではなく個性として捉えてほしい」と「こんなに苦しんで
いるのにどこが個性なんだ」という意見は一見すると正反対の意見
に見えますが、実は同じ前提に立った意見です。それは、いずれの
意見も「障害か,個性か?」という二者選択を行なっているからで
す。障害によって辛酸をなめてきた障害者は「個性」と評価される
ことに抵抗を示すかもしれませんし、自分の障害を障害として認め
たがらない障害者は非障害者から「個性」として評価されることを
望むかもしれません。

 ところで、これとは別の前提に立った問題のとらえ方というのが
あります。「1人の人間が障害と個性の両方を矛盾なく兼ね備えて
いる」というのがこれにあたります。わたし自身はどちらかという
とこちらの立場で障害と個性の関係を捉えております。その理由と
しては以下の通りです。まず「障害ではなく個性である」という立
場に立つと、現在医学的に障害者という認定を受けている人たちが
、「なぜ支援を必要しているのか?」という問いに対して十分な反
論を行なうことはできなくなります。。また、「個性ではなく障害
だ」という捉え方をした場合も、「障害者にとって障害はその人の
全てか?」という疑問はどうしても残ります。以上のことから、障
害と個性は二者択一できるものではないと考えておいた方がいいで
しょう。「障害か,個性か?」ではなく「障害も,個性も」という
捉え方はありだと思います。特に「生まれつきの障害」と前述した
「習得的個性」は全く矛盾なく障害者が兼ね備えることができる特
徴です。

(両者の関係の捉え方)

 障害と個性を対立的に捉える必要はないということが分かったと
して、両者の関係をどう捉えるのかはまだ問題として残されていま
す。わたしが知る限り、「障害も、個性も」という立場から捉えら
れる関係としては以下の3つが挙げられます。

(1)「障害は個性に昇華される可能性がありうる」という立場

→「君の障害は個性の範疇に入りつつある」というのはこの立場に
 含まれる

(2)「障害と付き合いながら生きていくことによって、その障害
   者特有の個性が発生する可能性はある」という立場

(3)「生物学的な意味での障害をある角度から見れば障害と評価
   でき、ある角度から見れば個性と評価することができる」と
   いう立場。

 個人的には(3)の立場は、俗流相対主義的で絶対に議論で負け
ないための詭弁に陥ってしまう危険性があるので、この立場は取ら
ないことにしております(つまり、どんな反論が出されても「それ
は君の解釈だよ」で片づけてしまうことが可能で、議論が深まらな
くなる)そして、(1)か(2)の立場がわたしにとって魅力的な
考え方ということになります。ただ、(1)と(2)のどちらかを
選べということになれば、わたしは(2)の立場を選びます。発達
障害のように治療方法が確立されていない障害の場合、「障害者は
障害を抱えながら人間的に成長していく」という発想の方が受け入
れやすいからです。また、わたし自身が障害を障害者本人のアイデ
ンティティーの一部と考えているため、「困難がなくなれば、障害
者ではなくなる」という考え方がしっくりいかないためでもありま
す。

 そんな訳で、障害,個性の関係の捉え方に対するわたしの現時点
でも結論は「障害者は障害を我がものにする課程を経て、習得的個
性をも獲得していく」ということになります。

 まだまだ、うまくまとめきれない部分が多かった点は明言してお
かなければならないでしょう。

 ご意見お待ちしております。


いきなりですみません。
No.13275  Sat, 13 Jul 2002 12:37:55 +0900  桜花さつき [この発言にコメントする]

はじめまして、こんにちわ。
突然のカキコお許しください。私は先日こちらのHPでASのことを知り、そして自分もそうではないのかと思い、通院していた精神科の先生に聞いたところ見事「私だったら貴方にアスペルガー症候群という診断名をつける」と言わせてしまった桜花さつき(無論HN)と申すものです。
現在20歳の大学3回生、昨年の10月から休学しています。

今回はこちらのHPでASの存在を知り、そして私もそうであったことを教えてくださったことに感謝したくてカキコさせていただきました。
私自身ASでありながら実際にASと付き合っていくにはどうしたらいいのか、とかまだ自分自身ASに関する知識が希薄であることなど不安や疑問が多いです。
こちらのHPや掲示板でいろいろとお勉強させていただきます。
よろしければ皆さんともお話がしたいです、ASのことだけじゃなくて。
今後ちょくちょく寄らせていただきます。よろしくお願いいたします。
桜花さつきでした。


Re: すごい!人気急上昇中のLuluさんへ 13273へのコメント
No.13274  Sat, 13 Jul 2002 03:14:34 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。

こりっこ wrote:
>人を憎んだ事はありますか?

ありました。
過去に先天性股関節脱臼の診察で、病院を替わったところいきなり誤診されて、受ける必要のない手術を受けたために、10年後、北大へ現役合格した3ヵ月後にいきなり前途歩行困難になって入院しなければならなくなりました。
そのときのドクターのことは今でも恨みに思っています。

こりっこ wrote:
>母親を憎んだ事はありますか?

ありません。
過保護のことを恨めしく思ったことはありますが、心底恨んだことはまだないです。
以前に、「なぜこんな病弱な体に生んでくれたんだ?」と不平を打ち明けたことはありましたが、何とかしてくれるという期待感からか、本物の恨みには至っていません。

こりっこ wrote:
>一億三千万人の人々に憎まれたとしても母親だけは自分の味方であると思っていたのではないでしょうか。

これはビンゴです。全世界を敵に回しても家族だけは、という思いだけは常にありました。

こりっこ wrote:
>Luluさんの母親はLuluさんに限りない愛情を持って育ててこられたのだと思います。そして、あなたはそれを受け入れてきたのです。それはあなたのその肥えた体が何よりの証拠です。
>母親の手料理を残さず食べる限りあなたは母の物です。母親は太って醜くなっていくあなたがかわいいのです。誰にも相手にされない何処にも行けないかわいそうなあなたがかわいいのです。かわいそうなあなたに母親は一生懸命に尽くしたいのです。そうすれば、あなたには母親しか見えなくなるでしょう?母親しか頼れなくなるでしょう?

おそらく。ただ、私が肥満体なのは、運動不足が原因です。(何と失礼な!(>_<))身体障害者でスポーツが満足にできないにもかかわらず、食欲だけは旺盛です。

こりっこ wrote:
>だから車の免許なんていらなかったのです。

これは違います。
親は、私が身障者だから運動神経がまるっきりないものだと思い込んで、運動神経のない人間に車を運転できるわけがない、運良く免許を取れても、事故を起こしたときにウチは貧乏だから賠償能力がない、と言って猛反対したのです。ところが、実際に自動車学校へ通って、自分の運動能力が自分でも思っていた以上に車の運転に向いていた(AT限定だったということもあるが)ことに気付いたし、自動車学校の指導員からも、「Luluは運転免許を取らないほうがよい」どころか、「Luluは筋がいいんだから、注意力と感覚さえ身につけば大丈夫だ」とまで言われたので、これは結局両親の取り越し苦労でした。

こりっこ wrote:
>心配なんて嘘です。母親だけの子供でなくなる事が不安になる事から心配という言葉を使うのです。

これはビンゴでしょう。特に、9年前に父をガンで亡くしたときはノイローゼ状態でした。父の生前、母は父からDVの徹底攻撃を受けていたため、DVを働かない私に、夫の役目の一部も期待しているのかもしれません。

こりっこ wrote:
>今のLuluお母さんには嫁も孫もいらないのです。Luluさんさえいれば幸せなのです。

それは本人に聞いて見なければわからないでしょう。

こりっこ wrote:
>ダイエットの効果はいかがですか?

まだ1週間経ってもいないのに、効果があるはずがないでしょう。急速なダイエットで体を壊しては元も子もないので、1ヶ月で7kgを目標にしています。それでも目標値(75kg)までは3ヶ月で到達可能でしょう。

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