アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Lulu さんwrote:
>私は、たとえ結果がマイナスに出たとしても、カウンセリングは必要だと考えてます。もしここでカウンセリングが裏目に出るようなら、経験者である貴方方の意見を参考にすればよろしいのではないでしょうか?
タレイヌです、はじめまして、だったかな?(う〜ん、危ない記憶だ)
こころあるセラピストは、なんと!!ここのサイトを、紹介します。
そのぐらい、ここには、隠れた、セラピストが、一杯いるもようです。
セラピストは、資格をとって、たくさんお金をもらって、お話する、お仕事です。
ここのセラピストたちは、みんな、ボランティア・・・・。みんな、親切。ただ、文章の、歯切れが、ものすごくいいのが、かえって、めずらしいのかもしれません。
意見は、そのまま自分に取り込んではいけません。自分のすぐ横に置いてみて、それを眺めながら、自分とは何処が違うのかを、ゆっくり、観察してみましょう。
(黒Mariaファン・タレイヌ)
Luluさん wrote:
>こんにちは、Luluです。
>
>どうやら、貴方の御回答が一番的を射ているようです。
Luluさんのレス読んでいつも思うのですが、この表現は他のアドバイスはあまり「的を射ていない」と読めて、思わず反発しそうになります。
つまり「的を射ている」「的を射ていない」という解釈は、全ての方法を試した結果そうだった。というならわかるんですけど。
そうでない場合は「一番理解できる」とか「一番共感できる」という言い方のほうがいいように思います。
たびたびすみません。
Maria wrote:
> Luluさんの物言いでは、「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が「あきらめ」であるように読み取れるのですが。
もしそのように受け取られたのであれば、私の表現力不足が原因ですのでお詫びいたします。
ただ、「ASであることの現実をありのまま受け入れる」だけで終わってしまうのは私には消極的だとしか思えません。
Maria wrote:
> Luluさんが「『私は自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」に対して過剰に感情的になるのは、自閉症に対する嫌悪あるいは差別の感情があり、自分自身が自閉症スペクトラム障害を持っていることを認めたくないからではないか、とあたしなどは考えてしまうのですがね。
認めたくない、というより現状のままでいるのがたまらなく嫌なのです。それもそのはず、私は今まで39年間恋愛の機会はおろか、友人にも恵まれなかったのですが、その原因の一つがASの特徴である「協調性の乏しさ」であることが判った以上、これ以上孤独感を拡大させるのにはもう耐えられません。
もちろん事実をストレートに受け入れることは必要でしょう。実際、私はASについては確定診断もありますし、ADHDや境界性人格障害についてももうじきカウンセリングを受ける予定です。
Maria wrote:
> 「自閉症を“克服”する」という物言いは多くの自閉症者(および自閉症にかかわる人々)にとって不愉快かつ迷惑なものなんです。
> カウンセリングを受けることは有意義かも知れませんが、必ずしも「必要」という訳でもなく、多くのカウンセラーは「『(私が/子供が)自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」がすべての出発点と考えています。
>(中略)
> では、さらに逆にお尋ねしますが、貴方はあたしがなぜ「AS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだ」と主張していると判断するのですか?
それは、私の「前向きな姿勢」が否定されたからです。それより、私にはなぜ「克服」とかという言葉が不愉快に受け取られるのか、判りません。だから、「現状を前向きに捉えてどこがいけないんだ」みたいなレスになってしまう、ということです。
Maria wrote:
> あたしは、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が、最初のステップだと言っているだけです。それとも、自閉症スペクトル障害を持った人間は、自分が自閉症スペクトル障害者であることを否定し、「自閉症スペクトル障害者では“ない”人間」として生きるよう常に“前向きに”努力しなければならないんですか?
私はそこまでは求めていません。
繰り返しますが、私は「現状を受け入れるだけでそのままでいること」が嫌だと言っているだけです。現状を受け入れること自体を嫌がっているわけではありません。もしそれが他のAS持ちの方々にも同様の対応を求めているのだと解釈されたのなら、私の表現が稚拙だったということで、お詫び申し上げます。
断っておきますが、私は現状を否定しているつもりは毛頭ありません。協調性の悪さが原因でありとあらゆる人間関係が壊れているという現状を認めている(認めざるを得ない)からこそ、どのようにこの現状と向き合うべきかを探っているところです。
どこへ行ってもトラブルメーカーになるよりは、これから接触する人に対してだけでも協調して暮らしていける、協調性に欠ける人にとっては、こちらのほうが大事だと思いますが、如何でしょうか? 現状を受け入れるだけでそのままでいるのなら、一生どこへ行ってもトラブルメーカーで終わってしまいます。
Maria wrote:
>「多くの専門家によるカウンセリングを受けることで『多くの場合、専門家による助言は大して役に立たない』ことを学んだのは非常に有意義な体験だった」という話はしばしば聞くので、カウンセリングを受けること自体は悪くないと思いますが。
私は、たとえ結果がマイナスに出たとしても、カウンセリングは必要だと考えてます。もしここでカウンセリングが裏目に出るようなら、経験者である貴方方の意見を参考にすればよろしいのではないでしょうか?
Lulu さんこんにちは。名加野と申します。
内容が白熱しているようですけど、余り「前向きに」「前向きに」とやっているうちに、「自分を追い詰める」様にはならないで下さいね。
何だか凄く追い込まれている様に書かれているので、心配になってきました。
話が飛びますけれど、TVで『生きかた上手』の作者の方が言ってましたね。
「85歳になったら新老人になる」のだと。けれども、75歳の人が85歳になるまでに「何を頑張れば新老人にふさわしく成れるか分からない」という問いに「まだ10年もあります。その間無理に頑張らなくても良いじゃありませんか。85歳に成るまでに色々考えてみてください」……。だっけかな?
何だかそんな事を言ってたんです。でも詳細は忘れてしまいました。
ええと、まあ、言いたかったのは無理は良くないと言うことです。22歳の小僧の話ですので、「何を分かり切っている事を」と思われても仕方ないですけど(^^;。とりあえず今回はこれにて失礼いたします。
P.S.……録画しておけば良かったです。
こんにちは、Luluです。
確かにおっしゃるとおり、
aya wrote:
>自分の問題点を解決すべくがんばりたい、という人がいる一方で、問題点のわからないまま、前向きになり続けてすっかり疲れきったひとがいると思います。
>あえて前向きにならない、というのが勇気ある選択だという状況もあるでしょう。
だとしても、私とか、「眠れないママりん」様の息子さんのように、協調性に大いに欠けるケースでは、放置しておくこと自体が問題でしょう。どこへ行ってもトラブルメーカーでは、社会には適応できませんし、しまいには社会から見捨てられて孤独死、ということにもなりかねないでしょう。自殺願望のある人でもない限り、誰も孤独死は望まないでしょう。私は、自分が死んだときに誰も涙を流してくれないような人生がたまらなく嫌なので、自分の協調性の悪さを何とかしたいのであります。
私は、問題を前向きに捉えることは100%自助努力だけで、とは考えていません。だからといってカウンセリングが全てだとも考えていませんが、自助努力だけに頼るのは危険でしょう。
「問題点がわからないまま前向きになりつづけて疲れた」、というケースは、私の推測ですが自助努力だけで問題を解決しようとしたケースのように思えます。
ただ、カウンセリングを受けてみましょう、という決心はそれなりに勇気が必要なので、その決心がつくことだけでも前向きになったものと解釈しています。
Luluさん wrote:
> 私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。
Luluさんの物言いでは、「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が「あきらめ」であるように読み取れるのですが。
> しかし、現実をただ受け入れているだけで何ら対策も取らずに、成り行きに任せているのなら、コンピュータに限らず日常生活全般で「眠れないママりん」様の息子さんが自信喪失状態に陥ってしまう、へたをすると再起不能になるくらいまで落ち込んでしまう、それが心配なのです。
「対策」と呼べるものを取るには、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が必要であるということです。自分の子供が「自閉症」だと診断され、それを受け入れることができずに「否認」「怒り」というプロセスから抜けだせなくなってしまっている親は大勢います。あたしたちにとって、「自閉症であること」は単に「自閉症であること」であり、多くのことの出発点ではあるものの、それ以上でもそれ以下でもありません。
Luluさんが「『私は自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」に対して過剰に感情的になるのは、自閉症に対する嫌悪あるいは差別の感情があり、自分自身が自閉症スペクトラム障害を持っていることを認めたくないからではないか、とあたしなどは考えてしまうのですがね。
> だから、最小限カウンセリングだけでも受ける必要があることは認めざるを得ないでしょう。私は、カウンセリングを受けるだけでも効果はあるものと考えているため、(もっとも、その効果がプラスになるとは限りませんが)結果がプラスになればそれが私の言う「克服」だと説いているのであります。
Luluさんが「克服」という言葉を自分の考えている意味で使うのはご自由ですが、「自閉症を“克服”する」という物言いは多くの自閉症者(および自閉症にかかわる人々)にとって不愉快かつ迷惑なものなんです。
カウンセリングを受けることは有意義かも知れませんが、必ずしも「必要」という訳でもなく、多くのカウンセラーは「『(私が/子供が)自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」がすべての出発点と考えています。
> では、逆にお尋ねしますが、貴方はAS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだとおっしゃるのですか?
では、さらに逆にお尋ねしますが、貴方はあたしがなぜ「AS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだ」と主張していると判断するのですか?
あたしは、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が、最初のステップだと言っているだけです。それとも、自閉症スペクトル障害を持った人間は、自分が自閉症スペクトル障害者であることを否定し、「自閉症スペクトル障害者では“ない”人間」として生きるよう常に“前向きに”努力しなければならないんですか?
> 私はただ現実を受け入れるだけで、それ以上のことをしないでいるほうが嫌です。ただ自分が腐ってしまうように思えてならないからです。前向きになってボロボロになるほうが、むしろ後悔しません。
特攻精神というのは勇ましくて素敵ではあるのですが、しばしば現実認識の欠落による妄想の結果、あるいは精神主義にもとづく現実逃避だったりします。戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長も「自閉症児をヨットに載せて荒海に送り出せば、いやがうえにも自然の偉大さ・力強さに直接向き合うことになり、心を開く」とか言ってました。こういう物言いってカッコいいよなぁ(-_-;)。
> 私がこれほどまでにムキになっているのは、最低でもカウンセリングを受けて今後の対策を練らないと、ありとあらゆる人間関係が壊れていく一方で、へたをすれば孤独死という事態にもなりかねないからです。39年間結婚はおろか、恋愛さえ満足にできない状態を打開するためには、先にも書いた「過保護」「トラウマ」を払拭しなければならないので、そのまま手を拱いているだけの状態でいるわけにはいかないのです。
Luluさんが「自分にはカウンセリングが必要である」と考えているのは了解しましたが、「すべての自閉症スペクトラム障害者にはカウンセリングが必要不可欠である」かどうかはまた別問題のように思うのですがね。
もっとも、「多くの専門家によるカウンセリングを受けることで『多くの場合、専門家による助言は大して役に立たない』ことを学んだのは非常に有意義な体験だった」という話はしばしば聞くので、カウンセリングを受けること自体は悪くないと思いますが。
(Maria)
Luluさん wrote:
>でも、現状で私が抱えている問題に対して前向きの姿勢で臨まない限り、目下最大の弱点である「協調性の乏しさ」は今後も拡大の一途をたどる、それが心配だったので、どうしても皆様の意見にはなじめませんでした。前向きになるのがどうしていけないんだ、みたいに。
>
自分の問題点を解決すべくがんばりたい、という人がいる一方で、問題点のわからないまま、前向きになり続けてすっかり疲れきったひとがいると思います。
あえて前向きにならない、というのが勇気ある選択だという状況もあるでしょう。
「克服」「立ち直る」「がんばる」系の言葉は、自分が自分で使うのはありだと思いますが、よく社会で乱発される言葉でもあり、抵抗のある人は多いかもしれません。
こんにちは、Luluです。
どうやら、貴方の御回答が一番的を射ているようです。
シュッツ wrote:
>辞書の定義だけからすると、「困っている状態」から「困っていない状態」に持って行くことの全てを含みそうですが、「乗り越える」という部分に「本質を改造する」ようなニュアンスを感じて反発されるのかも知れません。
>私なら「工夫する」という言葉を好みます。
>変えてしまうのではなく、現状を受け入れた上で、その現状と目的の間を埋めるような何かの工夫を導入することで、困っている状態を和らげるのです。
>例として、手の届かないところにある物を取ろうとする場合を考えます。
>手を長くするような人体改造を行うのではなく、取ることをあきらめてしまうのでもない。
>長い棒などを使ってその物を取るのが「工夫」に当たります。
私が他の皆様に訴えたかったのは、今までのレスが私にとっては前向きに考えること自体がおかしいみたいに言っているようだけど、これでは私自身や、他の多くのAS持ちの方々にとって良くないのではないのか、ということでした。
私が「克服」という言葉を持ち出したこと自体に問題があったのかもしれませんが、私は「克服」という言葉を、目の前にある障害に対して前向きに対処する、という意味で使っていたので、それで皆様と対立していたのでしょう。
その意味では、私の言う「克服」と「シュッツ」様のおっしゃる「工夫」とはほとんど同じかもしれません。
でも、現状で私が抱えている問題に対して前向きの姿勢で臨まない限り、目下最大の弱点である「協調性の乏しさ」は今後も拡大の一途をたどる、それが心配だったので、どうしても皆様の意見にはなじめませんでした。前向きになるのがどうしていけないんだ、みたいに。
これで、皆様との対立が解ける方向に進めばよろしいのですが、…
Luluさん wrote:
>私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。
あきらめるのではなく,自分自身と「折り合い」をつけ,どうやって,うまくつきあっていくか。ということだと思います。
こくふく 【克服】
(名)スル
努力して困難な状態を乗り越えること。「悪条件を―する」
(web版大辞林第二版より)
Lulu wrote:
>こんにちは、Luluです。
>
>私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。
辞書の定義だけからすると、「困っている状態」から「困っていない状態」に持って行くことの全てを含みそうですが、「乗り越える」という部分に「本質を改造する」ようなニュアンスを感じて反発されるのかも知れません。
私なら「工夫する」という言葉を好みます。
変えてしまうのではなく、現状を受け入れた上で、その現状と目的の間を埋めるような何かの工夫を導入することで、困っている状態を和らげるのです。
例として、手の届かないところにある物を取ろうとする場合を考えます。
手を長くするような人体改造を行うのではなく、取ることをあきらめてしまうのでもない。
長い棒などを使ってその物を取るのが「工夫」に当たります。
Luluさんへ
AS・ADHDを「克服」する。という表現が適切でない感想がありますが私もそのひとりです。
私は長文が書けないし、うまく説明する自信が無いので意見は書きません。
LuluさんはココのTOPページにリンクがある
「自閉連邦在地球領事館附属図書館」はもうご覧になりましたか?
このHPを読んでみると、自閉症スペクトラムが「克服」するというよりは、「折り合い」をつける。という表現の方がより合っているというのがわかると思います。
まずは御一読される事をおすすめします。
こんにちは、Luluです。
私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。
Maria wrote:
> つまり、あたしはADHDには言及せず、『ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではない』と主張しているわけです。
しかし、現実をただ受け入れているだけで何ら対策も取らずに、成り行きに任せているのなら、コンピュータに限らず日常生活全般で「眠れないママりん」様の息子さんが自信喪失状態に陥ってしまう、へたをすると再起不能になるくらいまで落ち込んでしまう、それが心配なのです。だから、最小限カウンセリングだけでも受ける必要があることは認めざるを得ないでしょう。私は、カウンセリングを受けるだけでも効果はあるものと考えているため、(もっとも、その効果がプラスになるとは限りませんが)結果がプラスになればそれが私の言う「克服」だと説いているのであります。
では、逆にお尋ねしますが、貴方はAS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだとおっしゃるのですか?
Maria wrote:
> で、自閉症スペクトラム障害の場合、自我の基盤たる「自分そのもの」というものが、一般の人とは隔絶したところにあるわけです。で、「自閉症を克服する」というのは、ともすれば……というより、ほとんどの場合、「自分そのもの」の否定につながっちゃうんですよ。「一般社会」と「自分そのもの」の隔絶というのは、あたしのような社会的な立場を持ち人並み以上の能力を持った人間にとっても埋めがたいものであって、まして知識も経験も少ない子供にとっては「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れるほうがよっぽど楽……というか、速効性のある方法なんです。
> で、現在この『アスペルガーの館の掲示板』の主要カキコメンバーとされる人々の多くは、その「速効性のある方法」の後遺症に苦しみ、「自閉症」者としての自我というものをあらためて構築し、「自閉症者としての自分」を受け入れることで社会に向きあっているのだな。
> 『「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れる』というアプローチは、速効性はあるけれど本人の人格をボロボロにします。だから、あたしは「前向き」だとか「克服」だとかいう言葉はスローガンにしても嫌いなのね。「一億総火の玉」とか「撃ちてし止まむ」とかいったスローガンと似たような響きを感じるし。
私はただ現実を受け入れるだけで、それ以上のことをしないでいるほうが嫌です。ただ自分が腐ってしまうように思えてならないからです。前向きになってボロボロになるほうが、むしろ後悔しません。
私がこれほどまでにムキになっているのは、最低でもカウンセリングを受けて今後の対策を練らないと、ありとあらゆる人間関係が壊れていく一方で、へたをすれば孤独死という事態にもなりかねないからです。39年間結婚はおろか、恋愛さえ満足にできない状態を打開するためには、先にも書いた「過保護」「トラウマ」を払拭しなければならないので、そのまま手を拱いているだけの状態でいるわけにはいかないのです。
りげるです。横レス失礼します。
シペラスさんへ
>当てにならないロールシャッハテスト・知能検査で、落ちつつきさきが篩い分けられることでしょうか?
私はロールシャッハテストで、協調性のなさ、自己を客観的に見ることが
できないという、自分の性格にずばり当てはまる部分を指摘されました。
ロールシャッハテスト(インクのシミがどんな形に見えるか)のどこが
当てにならないか、具体的に教えて下さいますか?
Luluさん wrote:
> 私の表現力が稚拙なために「無神経な励まし」と捉えられたのなら、お詫びいたしますが、AS&ADHDに対して常に前向きな姿勢でいることを求めるのが「無神経な励まし」だというのなら、(もちろんこういうことはないと思いますが)心外極まりありません。
ASであると同時に筋金入りのハッカーであると目されているあたしとしては、Luluさんの上記の発言に対してイライラせざるを得ないのだな。
あたしの発言は以下の通り。
> ADHDはどうか知らないけど、ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではないのですけどね。むしろ「(自分のものとして)引受ける」「折合う」といった性質のものです。無神経な励ましは人を傷つけることを学んだほうがいいぞ。
つまり、あたしはADHDには言及せず、『ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではない』と主張しているわけです。そんなわけで、あたし「AS&ADHD」、すなわち「ASであり、かつADHDである人」に対して直接言及はしていないのですよ。そんなわけで、「ASはそうかも知れないけれど、ADHDに関してはそうなんだ!」とか「純粋なASはそうかも知れないけれど、ASとADHDが併合している場合はそうじゃないんだ!」とかいった反論についてはコメントしないことを明らかにした上で先に進むことにしましょう。
ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは、認知の奥深いところに根ざすものであるがゆえに、その人の人格形成に深くかかわっているのですよ。なにしろ生まれて二か月の仔猫だって行なっている「他者認識」がうまくいかないんだから。すなわち、野生動物としての基本的な能力がぶっ壊れているという点で、一般の人との間にかなり深刻な精神的な断絶があったりするわけなんです。ちなみに「自閉症」という言葉は、この「精神的な断絶」を表わしています。
で、自閉症スペクトラム障害の場合、自我の基盤たる「自分そのもの」というものが、一般の人とは隔絶したところにあるわけです。で、「自閉症を克服する」というのは、ともすれば……というより、ほとんどの場合、「自分そのもの」の否定につながっちゃうんですよ。「一般社会」と「自分そのもの」の隔絶というのは、あたしのような社会的な立場を持ち人並み以上の能力を持った人間にとっても埋めがたいものであって、まして知識も経験も少ない子供にとっては「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れるほうがよっぽど楽……というか、速効性のある方法なんです。
で、現在この『アスペルガーの館の掲示板』の主要カキコメンバーとされる人々の多くは、その「速効性のある方法」の後遺症に苦しみ、「自閉症」者としての自我というものをあらためて構築し、「自閉症者としての自分」を受け入れることで社会に向きあっているのだな。
『「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れる』というアプローチは、速効性はあるけれど本人の人格をボロボロにします。だから、あたしは「前向き」だとか「克服」だとかいう言葉はスローガンにしても嫌いなのね。「一億総火の玉」とか「撃ちてし止まむ」とかいったスローガンと似たような響きを感じるし。
> 私は、ただせっかくコンピュータに興味があるのなら、情報処理技術者試験でも受けさせてみてはどうなのか、と提案したのであって、それでうまくいったらそちら(コンピュータ屋の仕事)にも興味を示してくれるのではないのか、ということを言いたかったのであります。
↑無神経な発言だな(-_-X)。「コンピュータ屋」というのはIBMに代表される大型汎用計算機の販売・設置・運用・保守をする人のことなんだぞ。「プログラムを書くことに興味があるのなら、ソフトウェア開発の勉強をして、職業としてのソフトウェア開発の道を目指すのはどうだろうか」というのならまた話は違うのですがね。
> もちろん、興味だけで仕事はできないのは百も承知です。
あたしなんかほとんど興味だけで仕事してんだけど(-_-;)。
> ただ、「全階級制覇」を実現できれば、へたなハッカーよりもよほどコンピュータの知識が豊富なので、仕事にはプラスにはなってもマイナスになることはありえない、それを伝えたかったのです。
あたしは二次記憶のタイプ(索引つき順編成ファイルだとか乱編成ファイルだとか)だとか入出力装置のタイプ(セレクタチャネルだとかマルチプレックスチャネルだとか)だとかいった情報処理技術者試験によく出るような知識も豊富なのですが、「その手の知識は時代遅れであり、本当に試験以外にはまったく役に立たない」と言われた(あたしもそう思う(-_-;))ぞ。そんな勉強をするよりトイ・プログラムの一本でも書いたほうがなんぼかマシ、と思います。
> もちろん、本人が嫌がっているのに無理に試験を受けさせようとしたりすることまではお願いしたつもりはありません。もし文面がそのような誤解を招いてるとしたら、私の表現力不足が原因ですので、お詫びいたします。
文面の問題ではありません。「オーソライズされる」というのは、子育てに迷っている親御さんにとっては麻薬みたいなもので、軽々しく与えるとすぐ飛びついて依存しちゃうのですよ。とりあえず学歴とか偏差値とかを問題にしたほうが、「本当の意味での勉強」みたいなものを考えるより評価が直接的だから、「努力している」感じがするんです。子供と一緒になって考えるより、塾に通わせたり家庭教師をつけたりするほうが気分は楽です。
> また、せっかく本人が望んで試験を受けたところで、趣味でやっていることとプロがやっていることとのギャップなどを感じ、それらが原因で挫折したりする可能性はあるでしょう。
趣味でやってるソフトウェア開発のプロのことをハッカーと云うのだけどね(^_^;)。
Luluさん wrote:
> Maria wrote:
>> あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。
>
> では、逆にお尋ねしますけど、ASの人間はコンピュータ以外でもプロになりきれない、そういうことなのですか? コンピュータ屋のつもりでもハッカーの域を出ない、それが事実だというのであれば、貴方はどういった仕事がASの人間に向いているとお考えですか? これは、「眠れないママりん」様へのアドバイスにも関わってくる問題です。
> コンピュータ屋になってもASじゃハッカーになるのが関の山だなんて、私はともかく、「眠れないママりん」様の息子さんにはどうやって理解してもらうのでしょうか? 私はそちらのほうが、アドバイス次第では「人を傷つけること」にもなりかねないと心配しているのですが、如何でしょうか? コンピュータで飯を食える人間でない、ということが本人に知れたら、へたをすればショックで再起不能になるかもしれません。
ヨンカさん wrote:
> というのも、私、たった今Mariaさんの
>
>> あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。
> ↑
> この言葉にじ〜んと感動した矢先だったもので。
ハッカー[hacker]
もともとは斧で家具を作る人の意。
1)あるプログラミング・システムの細部を学び、どうすれば機能を拡張できるか一生懸命考えることに喜びを感ずる人。自分の仕事をやるのに必要な最小限のことだけを学んで事足れりとする一般のユーザとは区別される。
2)情熱的にプログラミングをする人。プログラミングに関する理論を云々するのではなく、プログラミングそのものを楽しみとする人。
3)いわゆるhack value(それといって何の役にも立たないようなプログラムがもっている価値)を認めることのできる人。
4)プログラミングが早い人。ハッカーの作るものがすべてハック(=やっつけ仕事。筆者註)であるとは限らない。
5)あるプログラムに関するエキスパート。または常にあるプログラムを塚手仕事をするか、そのプログラムに関する仕事をしている人。(プログラムではなく、特定の分野に関するエキスパートをいう場合もある。筆者註)
6)悪意をもって、あるいは純粋な興味からある情報を手に入れようとして、そこらへんをうろつく人。例)password hacker.
いわゆる勤め人(月給取り/サラリーマン)にはなれそうにないことが本人に知れたら、ひょっとしたらショックで再起不能になるかもしれないな(^_^;)。
電算業界では、
プログラマー(programmer)
1)コンピュータのプログラムを書くことができる人。
2)プログラムを書くことを職業にしている人。プログラムを書くことに職業的な誇りを持っている場合、しばしば「プログラマ」と呼んで区別される。
3)プログラムを書くことを商売にしている人。システム全体を把握しているシステムエンジニアとは区別される。
4)プログラムを書く仕事をしている勤め人。ユーザよりも会社を尊重し、その証しとしてネクタイを締めている点でハッカーとは区別される。
といった大雑把な区分があります。
ハッカーと 我が名呼ばれん 初時雨 (和田秀男)
(Maria)
こんにちは、Luluです。#13519・#13520まとめてレスさせていただきます。
くりあ wrote:
>「克服」という言葉を使われると,やる気・努力が足りないだけで,やれば出来ると言われているように感じてしまいます。
>
>「(自分のものとして)引き受ける」「折り合う」が私には一番しっくりきます。
ヨンカ wrote:
>これって、AS&ADHDに対して後ろ向きな姿勢ではないですか???
私は、ただ現実を受け入れるだけで何もアクション(この中には、カウンセリングを受けることも含みます)を起こさないのは、消極的だとしか受け取れなかったので、「眠れないママりん」様にもう少し現状を前向きに捉えて欲しい、ということを期待していました。(あるいはもう既に前向きに捉えているのでしょうが)それ故、それを「後ろ向き」だと解釈されるのは心外極まりありません。
かく言う私も、1ヶ月前までは「親の過保護のせいで」だとか「いじめのトラウマがひどくて」とか、現状こそ前向きに考えていましたが「過保護」「トラウマ」にかこつけて積極的に動こうとしない人間でした。私自身も今変わろうとしているのであります。
もちろん、「過保護」「トラウマ」の払拭は生易しいものでないことくらい百も承知です。
だから、私は「眠れないママりん」様とその息子さんに期待しているのと同時に、自分自身にも発破をかけているのであります。
ただ、私は以前にも
(#13401)
>私はヒマワリじゃないのだから、努力してもすぐに結果は出ないでしょう。
>でもそれにいちいち苛付いているようでは、結果しか求めない一般社会の一般の人間関係と同じです。こういった相談窓口は、もっと過程を大事にするのが、本来の姿ではないのでしょうか?
と書いているので、「眠れないママりん」様に対するレスと矛盾するのではないのか、というふうに皆様思われるでしょう。矛盾だという御指摘があればこの場でお詫び申し上げます。
しかし、私の意見はあくまでも期待感の表明であって、それ以上のものを望んでいないことを御理解いただきたく存じます。
ayaです。
ひょっとしたら、多くの人が誤解をしているのかもしれないですが、
ハッカーというのは、コンピュータ屋さんの中では最大級の尊称です。
ニュースなどでは、ウイルスをしかけたり、コンピュータに侵入したりするクラッカーのことをハッカーというので、一緒くたにされてしまってますが。
ASだからといってハッカーになれるわけではありませんが、確かにハッカーの多くは自閉的な傾向を持つ人が多いようですね。
子供のうちからハッカーに憧れて、それを目指すというのは素敵なことだなと思います。
また情報処理技術者試験は、他の資格と同様、社会に対する尺度以上のものではないと思います。持っていればよし、というような。
例えが適切かどうかわかりませんが、英検1級をこつこつ勉強して取れたら(情報処理試験)、それはそれですごいことだけど、じゃあ英語を駆使して生活したりコミュニケーションしたりできるか(ハッカー)というのとは違う、ということかなと。
それぞれ各個人の『言葉』のとらえ方の違いから,問題が起きてしまうのではないでしょうか?
Luluさん wrote:
>そのうち、貴方の御子息様がASやADHDを克服された、という嬉しい知らせが届けばいいですね。
「克服」という言葉を使われると,やる気・努力が足りないだけで,やれば出来ると言われているように感じてしまいます。
「(自分のものとして)引き受ける」「折り合う」が私には一番しっくりきます。
はじめましてに近いヨンカです。
はじめましてに近いのに何ですが、
Luluさんの、
>コンピュータ屋のつもりでもハッカーの域を出ない、
>コンピュータ屋になってもASじゃハッカーになるのが関の山
って、ちょっとずれてやしないかなと思いますが・・・。意味あいが逆ではないかと。
まあ、Luluさんの価値観の問題なんでしょうが(←あ、悪く解釈しないでくださいね;;;)
というのも、私、たった今Mariaさんの
>あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。
↑
この言葉にじ〜んと感動した矢先だったもので。
あと、
>そのうち、貴方の御子息様がASやADHDを克服された、という嬉しい知らせが届けばいいですね。
これって、AS&ADHDに対して後ろ向きな姿勢ではないですか???
こんにちは、Luluです。
問題が大事になっては困るので、新規スレッドで投稿させていただきます。
Maria wrote:
> 情報処理技術者の資格がプログラムを書くことに役に立つかどうかというのは置いておくとして、小学校の六年生に情報処理技術者試験の勉強をさせることで「プログラムを書くこと」の純粋な楽しみを邪魔する(少なくともあたしは仕事のためにプログラムを書いているわけではありません。それが楽しいから書いているのです!)ことに意味があるとは、少なくともあたしはまったく思えないのね。
私は、ただせっかくコンピュータに興味があるのなら、情報処理技術者試験でも受けさせてみてはどうなのか、と提案したのであって、それでうまくいったらそちら(コンピュータ屋の仕事)にも興味を示してくれるのではないのか、ということを言いたかったのであります。
もちろん、興味だけで仕事はできないのは百も承知です。ただ、「全階級制覇」を実現できれば、へたなハッカーよりもよほどコンピュータの知識が豊富なので、仕事にはプラスにはなってもマイナスになることはありえない、それを伝えたかったのです。
もちろん、本人が嫌がっているのに無理に試験を受けさせようとしたりすることまではお願いしたつもりはありません。もし文面がそのような誤解を招いてるとしたら、私の表現力不足が原因ですので、お詫びいたします。
また、せっかく本人が望んで試験を受けたところで、趣味でやっていることとプロがやっていることとのギャップなどを感じ、それらが原因で挫折したりする可能性はあるでしょう。
Maria wrote:
> あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。
では、逆にお尋ねしますけど、ASの人間はコンピュータ以外でもプロになりきれない、そういうことなのですか? コンピュータ屋のつもりでもハッカーの域を出ない、それが事実だというのであれば、貴方はどういった仕事がASの人間に向いているとお考えですか? これは、「眠れないママりん」様へのアドバイスにも関わってくる問題です。
コンピュータ屋になってもASじゃハッカーになるのが関の山だなんて、私はともかく、「眠れないママりん」様の息子さんにはどうやって理解してもらうのでしょうか? 私はそちらのほうが、アドバイス次第では「人を傷つけること」にもなりかねないと心配しているのですが、如何でしょうか? コンピュータで飯を食える人間でない、ということが本人に知れたら、へたをすればショックで再起不能になるかもしれません。
Maria wrote:
>ADHDはどうか知らないけど、ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではないのですけどね。むしろ「(自分のものとして)引受ける」「折合う」といった性質のものです。無神経な励ましは人を傷つけることを学んだほうがいいぞ。
私は、ASをただ「(自分のものとして)引き受ける」「折り合う」ということは一種の「あきらめ」だとしか捉えていません。それ故、私にとっては単なる妥協だけでなく前向きな姿勢が必要だと思います(その前向きな姿勢になることが私の言う「克服」です)が、如何でしょうか? もちろん、AS持ちの人間が持っている個性まで失うようであっては困りますが、…
私みたいな、もうすぐ四十路を迎える人間ならともかく、彼(「眠れないママりん」様の息子さん)はまだ11or12歳です。(既に意識しているかもしれませんが)彼にこそAS&ADHDに対して前向きな姿勢が必要なのではないでしょうか? もちろん、我々はプロではないので、それ以上のことは言えません。
私の表現力が稚拙なために「無神経な励まし」と捉えられたのなら、お詫びいたしますが、AS&ADHDに対して常に前向きな姿勢でいることを求めるのが「無神経な励まし」だというのなら、(もちろんこういうことはないと思いますが)心外極まりありません。
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