アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Maria wrote:
> あたしはとりあえず、当事者の価値観を尊重することにしています。
>他人の価値観を「無意味なもの」と蔑むことで自我を補強しようと思うほど、
>劣等感に苛まれていないので。(^_^;)
わたしは、JISとIBMの「ー」のある無しの違いを知らないことで
劣等感に苛まれるほど、厳密愛好家ではないので、ご心配はご無用です(笑)
>言葉遣いに厳密性を求めない人は、おおむね推論機構が粗雑なので、
>こちらの主張を理解していただくのが大変なものだから、
>議論するととても疲れるんですよ。
粗雑でなくてはいけないときもありますよ。
無駄な精密性を排除するためにね。
> かれこれ二十年ほど昔の話になりますが、
ええ、あなたがかなりご年配の方であることは理解しています。
いまどきコンピュータをEDPSなんていいませんから。
> 器機組込み系の、ハードウェア寄りのコーディングにおけるアセンブラの使用比率(コード全体に対する比率ではなく、アセンブラが含まれているプログラムの比率)はかなり高いものでした。
それは組み込み系だからですよ。
>> プロとは単純に金になる仕事をするという意味ではありません。
>> もともとprofession(宣言)という言葉から来ているのです。
>> つまり自分だけのためではなく人のお役に立つ仕事をしますと
>> 宣言するわけですね。だからこれは動機におおいにかかわります。
>> 趣味人であってはいけないとはいいません。
>> しかしプロは単なる趣味人であってはいけません。
>
> プロフェッショナルという言葉は、同業者組合による保障制度に関連して生まれたものです。
> たとえば医師には医師会という同業者組合があり、弁護士には弁護士会という組合があって、その組合から除名されたら開業できないわけです。アメリカの多くの組合ではこれと同じようにクローズドショップ制を取っており、同業者組合による保障制度が確立しています。
> だけど、プログラマにはそういう組織はないのね。そんなわけで、「仕事に対する誠実さ」というのはひとえに「個人の倫理観」にかかわっているわけです。
> GNUプロジェクトのリーダー、リチャード・ストールマンのスローガンは“BUG STOPS HERE”です。ソフトウェア業界において、「おれが責任を引き受ける」というのは、組織あるいは制度によって支えられているのではなく、個人の美学ないし生き方によって支えられているのね。
> 法的拘束力のない「宣言」を、あたしはあんまり信用しません。
あなたは私が精密さを求めるところでは粗雑ですね。
例えばプロフェッショナルが同業者組合に関係し、プログラマには
そのような組合が存在しないといいながら、なぜプログラマに対して
プロフェッショナルという言葉を用いるのですか?それは矛盾でしょう。
また、個人の倫理観は法的拘束力なんて持たないでしょう。
FFFFF wrote:
>Mind Red さんwrote:
>だから煽りの書き込みですって、2回も書いてるじゃないですか〜(涙)、
煽りの書き込みでしか、楽しむことできないのですね。
哀れな人ですね。
>Mindredさんは、
>
>lulu
>PMEVO
>★
>↑の最近の一連の書き込みに対してはどのようにお考えですか??
>あれは、ネチケットの範囲内だと思うのですか?
私に直接メールをくれたら、FFFFFさんの質問にメールでお答え
します。
煽りの書き込みをする人に、掲示板では質問にお答えできません。
以上。
こうもりさん、こんにちは。時間があれば前の項で説明した、
免許合宿
があります。
早い人は約1ヶ月で取れます。お金も普通に教習所通うより安いです。20万くらい。
欠点は
・地方へ出向く
・教習所に缶詰(スケジュールぎちぎち)
・周りに娯楽施設が少ない(これは気にしなければどうにでもなりますが……)
・知らない人と寝食を共にする(この辺は聞いただけなので何ともいえません)
・ご飯が美味しくない(同上。個人差あり)
という所ですが、どうしても取りたいなら考えてみるのも一つの手です。
では、オフ会にてお会いしましょう。おやすみなさい。
まだASと決まったわけではないのですが、
先日病院で「かなりASの疑いがある」と言われた者です。
そんな中途半端ですが、書きこみさしてください。
星子 wrote:
>「同じ自閉者でも、ニンゲン自体や生き物が好きなのである」
>という方、いるでしょうか?
私は基本的に好きだと思う。
生まれたときから「好き」の方にスイッチがonになっていて、
「嫌い」になるにはそれをoffにする一手間がいる感じ。
つまり「嫌い」になるには、
(スイッチを切るための)エネルギーを消費させるに値する
なんらかの出来事がないと・・・ってこと。
例えちょっと嫌がらせを受けても
日頃、「他人」について改めて考える手間を取らないので
そのくらいでは嫌いにならないんですよ。
だから私が嫌いになるってことは即「拒絶」です。
>遊びに誘ってくれる人と頑張って付き合って喋っていても、
>「あーマッジうぜー。言ってる事ワカラナイし聞きたくねー。」
こんな風に思ったことはないです。
>ニンゲンほどいい加減で関わると気分悪くなる生き物はいない
>という想いが日増しに酷くなり、
>「なんであいつら中心で世の中うごいてるんだ?」
>と、不服感まで。。
こう思うことはあります。
「あの人、常識外れなことしてたよ」なんて陰口叩かれて、
「もっと広い視野でものを見ろ」とか「興味の幅狭いよ」なんて言われたとき。
なんで世の中の人は自分と合うように注文つけてくるんだろうって腹が立ちます。
「人に迷惑をかけない」範囲でなら、規定外でもいいじゃん、って思います。
>ビューティー殺しam なんか、「あんなことで悩んでるって、ひでー馬鹿ちゃうか
>?」って思っちゃう。
私もこの番組は嫌いですが、私が「世の中とうまくいかない」ことで
悩むように、あの出演者たちも悩んでいるのだと分かるので、
くだらないとは思いません。
悩みは人それぞれ、自由だと思う。
精神世界のことまで人に制限をつけるのはよくない。
>あんな番組成り立っている事点で、オカシイよな。
テレビってくだらないですよね、本当に。
なのに影響力だけあるからタチが悪い。
★さん wrote:
> 面白いことにあなたが持ち出した「読みやすさ」の話につながります。
>
> Thompsonは、
> ”自分が全部書いたプログラム以外信用できない。
> ソースプログラムをいくら検証したり吟味したりしたって
> 信用できないプログラムからは逃れることはできない”
> っていってるんですね。
トンプソンの講演の内容を知らない人にはまったく理解不能な話で恐縮。
ケン・トンプソンが挙げた例では、変更を加えた(コンパイラの)ソースコードをコンパイルしたオブジェクト・ユニットによって変更前のソースコードをコンパイルした時点で、変更された部分はソースコード上まったく現れなくなる。
したがって、「読みやすさ」の話にはまったくつながらんのだ。ダンプリストに「読みやすさ」もクソもないのだから(「ダンプが読みやすいコードを吐くことを考えた、コンパイラ」というのは、おれ個人としては面白いとは思うが)。
専門領域に関して嘘を吐いて素人をたばかるというのはプロフェッショナルのすることではないぞ。
ああ、プロじゃないのか。(^_^;)
(Mr.Moto)
No13607を削除して問題の練り直し
>人の考えていることが分からないから質問しているんですよ(笑)
(中略)
>私は不可知論者ではないよ。
>また推量を否定しているわけでもない。
「推量」については今回★さんがはじめて使用した言葉なので、
それ以前のコメントについて言えば、わたしは「推量」を念頭の置
かずに発言しております。あえて言えば、「推量」は相手の考えを
理解するための一手段だと思っていましたから。
また、「推量すること」自体については、特に問題にはしており
ません。わたしが問題にしているのは
>そもそも人の考えてることなんてわかりませんよ。そういうもんだ
>と思ってますし。
という態度の方にありました。「どんなに難しくても相手の考えを
分かろうとする意志と目標は必要だ」という前提を持っていたわた
しには、「そういうもんだと思っていますし」というのはなげやり
な態度に映ったのです。わたし自身、相手の考えを理解しようとす
る意志を持たない人間に考えを説明することのむなしさはある程度
体感していましたから。
しかし、上記のコメントを見ていると★さんは「理解する」と「
推量する」を別のこととして認識されているように思われます。(
わたしの場合は「相手の考えを理解する」という目標を実現するた
めの一手段が「推量」ということになる)★さんは「理解する」と
「推量する」という言葉をどのような意味で区別し、両者をどのよ
うな関係で捉えておられるのでしょうか?前提の違いから齟齬が発
生している可能性がありますので、可能であれば説明してきただけ
ると幸いです。
(おまけ)
>もちろん推量したんですよ(笑)
ちなみに、回答の際に(笑)というマークはちょっとご遠慮くだ
さるようお願い申し上げます。このマークがあると真剣の回答して
いるのかどうかが分かりにくくなってしまうためです。ついでに言
うと、回答をされる時は結論だけでなく根拠も付記していただける
と★さんの考えを理解する一助になるということも付け加えておき
ます。あくまでわたしの観点から見た理解ですが。
★さんwrote:
> 詳しいですね。
詳しいんですよ。(^_^;)
> これまた詳しいですね。
詳しいんです。(^_^;)
> ええ、私も知っていますよ。
奇遇ですね。あたしも知ってました。(^_^;)
> 再び書きますが、あなたがJISとIBMの表記の違いに関する知識から
> そのように言葉を限定して用いていることはわかりました。
> しかし、あなた以外の人がみなその違いを知っているわけではないですよ。
> 現に私はまったく知りませんでした。
> そして、私にはそれは些細な違いなので、区別はいたしません。
> おわかりですか?
よく存じております。m(_ _)m
「ニガーをニガーと呼んで何が悪い」とか、「ジャップをジャップと呼んで何が悪い」とか、「インディアンをインディアンと呼んで何が悪い」という人にとっては、「アフロ・アメリカン」と「ニガー」、「ジャップ」と「ジャパニーズ」、「インディアン」と「ネイティブ・アメリカン」の違いは“些細な違い”です。そういう人々にとって、「“ニガー”ではなく“アフロ・アメリカン”と呼べ」「“ジャップ”ではなく“ジャパニーズ”と呼べ」「“インディアン”ではなく“ネイティブ・アメリカン”と呼べ」といった主張は「どうでもいいことにこだわっている」「馬鹿馬鹿しい」ものでしょう。
あたしはとりあえず、当事者の価値観を尊重することにしています。他人の価値観を「無意味なもの」と蔑むことで自我を補強しようと思うほど、劣等感に苛まれていないので。(^_^;)
>> それは主に動機の違いであって、書いたプログラムの質の問題ではないと思うのだけど。
> 動機の違いが重要なこともありますよ。
「動機の違いが重要なこともある」のは分かりましたが、なぜ「この場合に重要なのか」を説明していただけませんか?
> 構造化プログラミング?ああ、そんな言葉もありました。
そう。で、今でもあるんですよ。いまどき構造を意識していないプログラマーはほとんどいないので、いまさら使うひともあんまりいませんが。
>> 「計算機」業界というとハードウェア業界のことになってしまいそうですが。
> おやおや、また「ー」の違いのような話ですか?
いいえ、言葉遣いに厳密性を求めない人は、おおむね推論機構が粗雑なので、こちらの主張を理解していただくのが大変なものだから、議論するととても疲れるんですよ。
>> それに「機械語でプログラムを書く」というのがわかりません。
>> アセンブラを使う人は現在でも大勢いるし。
>> それとも「ニモニックでプログラムを書く」ということなのかな?
>
> 大勢というのはどのくらいを指していますか?
> 例えば今のプログラム開発のうちのどのくらいの割合を占めると考えますか?
> 私のいっていることはそういうことですよ。
かれこれ二十年ほど昔の話になりますが、当時、商業プログラムの九割がCOBOL、残りのうちの七割がFORTRANで、けっきょくCOBOLとFORTRAN以外の言語で書かれたプログラムは全体の僅か三%程度だと言われていました。
ですが、器機組込み系の、ハードウェア寄りのコーディングにおけるアセンブラの使用比率(コード全体に対する比率ではなく、アセンブラが含まれているプログラムの比率)はかなり高いものでした。
現在運用中のコンピュータ・システムのうち、「アセンブラによってコードされたプログラム」が使われているシステムはどのくらいの割合を占めると考えますか?
あたしが言っているのはそういうことです。
> プロとは単純に金になる仕事をするという意味ではありません。
> もともとprofession(宣言)という言葉から来ているのです。
> つまり自分だけのためではなく人のお役に立つ仕事をしますと
> 宣言するわけですね。だからこれは動機におおいにかかわります。
> 趣味人であってはいけないとはいいません。
> しかしプロは単なる趣味人であってはいけません。
プロフェッショナルという言葉は、同業者組合による保障制度に関連して生まれたものです。
たとえば医師には医師会という同業者組合があり、弁護士には弁護士会という組合があって、その組合から除名されたら開業できないわけです。アメリカの多くの組合ではこれと同じようにクローズドショップ制を取っており、同業者組合による保障制度が確立しています。
だけど、プログラマにはそういう組織はないのね。そんなわけで、「仕事に対する誠実さ」というのはひとえに「個人の倫理観」にかかわっているわけです。
GNUプロジェクトのリーダー、リチャード・ストールマンのスローガンは“BUG STOPS HERE”です。ソフトウェア業界において、「おれが責任を引き受ける」というのは、組織あるいは制度によって支えられているのではなく、個人の美学ないし生き方によって支えられているのね。
法的拘束力のない「宣言」を、あたしはあんまり信用しません。
> つまり、ガキの悪ふざけかどうかは、技量ではなくモラルの問題だと
> いうことですよ。
>> 「私はシステムエンジニアだから、プログラムのことなんか分からなくていいんだ」とかホザいた阿呆がいました。
>> 「『プログラムを書け』と言われれば書くのがプログラマー。電算化の必要がないときに、『電算化してもメリットがありませんよ』と顧客に言えるのがシステムエンジニア」ということを言うひとがいて、「確かに」と思いました。
>> 「待て、コンピュータは最後の武器だ。我々は『“システム”エンジニア』だ!」。(←読み筋は『忍者部隊 月光』)
>
> bitを愛読し、Turing賞講演もご存知のあなたには釈迦に説法ですが・・・
>
> ただ『電算化してもメリットがありませんよ』というだけではなく、
> なぜそうなのか説明できなくてはいけませんよ。
>
> そしてもっと重要なことは、そういう経営判断は必ずしもハッカーレベルの
> プログラムの技量なんて必要ないってことです。
「メリットがない」ことの説明は、あたしの経験からいうと、わりと簡単です。「言われてみればその通り」みたいな理由がたいてい見つかりますから。ただ、そればっかりやってると儲からないんですよね。なにしろプログラム書かないとお金が入ってこないから(^_^;)。むしろ、『メリットがある』ことを納得してもらって、仕事を取るのが大変なんです。
で、あたしはそうした場合、「なぜそうなのか」を説明することはできませんでしたが、たとえばの話、いままで三日かかっていた処理を十五分でやってみせるプログラムを書くことはできました(^_^;)。
問題は、それを可能にするアルゴリズムなりギミックなりではなく、そのアルゴリズムなりギミックなりを実際の業務に過不足なくフィットする「システム」の形に仕上げ、スムーズに運用に移行させて実際に事務経費を削減するなどの成果を上げることができるかという、システムエンジニアとしての技倆がないとこうしたハッカーレベルのプログラムの技倆を活かせない、ということだったりします。
で、あたしはシステムエンジニアとしても優秀だったので、ハッカーとして生きてゆけたということだったりします。
まあ、システムエンジニア的な才能とハッカー的な才能は両立しないと固く信じている人には、馬の耳に念佛でしょうが……
(Maria)
星子さんの気分はかなりわかります。若い頃はニンゲン(自分含めて)の気持ち悪さにまいってました。ただ,生きものは好きなほうで,ヒトを無視して鳥や犬にだけニカッとしたりして気味悪がられましたね。私は特に,うまくやれるニンゲン,エリートの感覚に違和感がひどくて,こちらが助けを求める相手の専門職から深い傷を負いました。
この年齢まで生かされてると,苦しさにめげずに生きつづける人に感嘆してしまい,できるだけ援助したいなんて殊勝な気にもなります。かって人に期待した機能を,自分が果たせるようになりたいと思うわけです。 少なくとも,苦し紛れに弱いものに八つ当たりするバカにはなりたくない(★ のことだ)。自分にわからない苦しさをさげすむような神経よりは,ズタズタ,ボロボロのままのほうがいい。普通のことができなくても,(できていない)大事なことが何かだけはわかる心を持ちたい。うわべへの過ぎたこだわりは罪なことだと思う。
整形しなくても顔は随分変わる。醜くくていいと思えばそのままだし,醜さを消したいと本気で思い,救いだけを念じていればそれなりのかたちが鏡に映るようになるもの。外の規準に合わせて,疲れてしまわないようにしたい。悪い時代を良くできるのは,ニンゲン達だから。
星子 wrote:
>こんばんわ。
こんばんわ、星子さん。
>ヒトの存在がもともと薄くって、接点の感覚の薄い自閉性障害ですが、
>ニンゲン(要はそっち側・・・みたいな、表側・・・)が「好きである」という
>方いますか?
特に好きではないですが、別に嫌いでもないですね。
まあ、好きになれる人と、そうでない人がいる、と言ったほうが、正しいでしょうか。
むしろ、自閉傾向に気付かず、自閉傾向のあるタイプのほうが、難しい、と感じます。(過去の自分もそうでした)
自分の感覚上、あちら側、と感じる彼らは、わりと物事を広く捕え、自分よりは遥かに的確に物事の判断をしているように思えます。特に行き過ぎた性質を併せ持たない限り、嫌いになることはありません。
適度に合わせられない自分の方に、負い目を感じてしまうことは少なくありませんが、精神的に健康であり、すべきことがある限り、彼らはあまり気にしないようですし、過剰に関わりを求めることもないように思います。但し、そういった環境は非常に整い難いとは思います。やはり、少し、何らかの傾向をもった人が多いと思いますね。(片っ端から、何とか傾向、と付けようと思ったら、結構付くんじゃないかと…)
>私はなんだか最近、やけどするようにヒトの側・そっち側がもう気持ち悪くって
>しょうがないです。
頑張りすぎなんだわ。星子さんは、きっと。
無理して周りに合わせるのが度を越してくると、ストレスが徐々にたまってきているんだと思うの。
>「同じ自閉者でも、ニンゲン自体や生き物が好きなのである」
>という方、いるでしょうか?
お魚好きなお兄さんがTVに出てるのを見たけど、多分、自閉圏に近いんじゃないのかしら?
片っ端から魚の名称が言えてしまうの。
本職は魚のデザイナーらしくて、水族館などで売られている魚グッズのデザイナーをしているってことだったけど。魚の話になると、止まらないのよね、段々に…。
面白いキャラだったわ。
>もー不可解でサッパリ気もい悪くって、
>遊びに誘ってくれる人と頑張って付き合って喋っていても、
>「あーマッジうぜー。言ってる事ワカラナイし聞きたくねー。」
>で、たまんない時があります。
あら、少しだけだけど、分かるわ。
星子さんは、頑張っていらっしゃるんだわ。
周りに合わせるのも、頑張り続けるのが続くと、往々にして、爆発寸前になってしまうのよ。
でも、思ったことを素直に感じられるのは、何においても、最初の一歩という気がするのよね。
良いのじゃないかしら?
人間関係って、別にASでなくても、大概のニンゲンが煩わしさを感じながらも、付き合わざるを得ないもらしいのよね。
でも、無理して合わせ過ぎるより、ふっと、ちょっとアイスでも買ってくるわ、みたいにその場を抜けて気分転換を図ったり、話題の転換を図ってみるのも、手、かな。
状況が分からないだけに、なんとも分からないけれど。
>最近、「自分の性格が悪化している」
…、そんな風に考えたこともあったなあ…。
>こういうのは抗鬱剤なんかで治るもんなのかな。
自論では、静養(山奥などに篭り、静かに木の呼吸と水のせせらぎを聴く、みたいな生活)をすれば、そのうちに治るように思いますが、そうも言っていられないのが、今の世の中なのよね。
>ビューティー殺しam なんか、「あんなことで悩んでるって、ひでー馬鹿ちゃうか
>?」って思っちゃう。
>私だったら、眼の二重手術とか、
>表の綺麗さなんかより、
>この弱視の手術したいもんだ。
いやー、美人に生まれたかったなあ。
まあ、それは、使える身体機能が揃っていて、その後の、問題だからね、美人よりなにより、馬鹿でも達者がようざんす、と言いますしね。
それでも、頭の中身が同じなら、美人でナイスバディに生まれたかったよ。
美人は得だよ。
つくづく、そう、思うの。
>あと、この脳の中は整形できないのかな。とか。
ああ、できたら、こんなに悩まないのにねぇ…。
でも、人任せじゃなくて、少しでも現実に近づけたい、と思うこの頃。
脳の専門家の人で、誰か、研究してくれる人、居るんだったら、手伝いたいな。
#そのわりに行動が伴わないこの頃。でも、一応、生きています。
さて、出掛ける時間ですので、お暇致します。(長すぎる文で、ご免なさい)
(鯨夢ミグ)
こうもり wrote:
> この人が誰なのかよ〜く分かっているんですけど、
> まあ別人ということにしてコメントしときましょ。
私はあなたを存じ上げませんよ。
こうもり wrote:
> 人の考えている事が分からないのが当然だと思っているのなら、
>なぜ星子さんに質問をしているんでしょうね?
人の考えていることが分からないから質問しているんですよ(笑)
>そういう前提でいるならば、質問しても意味がないと思うんですけど。
>言っていることが矛盾しています。
もし、矛盾していることが明らかになるなら、それは確かに意味があるね。
私が間違っていることが分かるだろう?これほどスバラシイことはない(笑)
> 不可知論をふかす場合はもう少し勉強しておきましょう。
>不可知論の問題点はいくらでも指摘することが可能です
私は不可知論者ではないよ。
また推量を否定しているわけでもない。
こうもり wrote:
> 不可知論の立場に立つならば、ASの人がどんな障害を抱えて
>いる人なのかを★さんが説明するのは不可能です。
>「他人のことは分からない」という立場を取っている訳ですから。
分からない、とは推量できないという意味ではないよ。
推量の確からしさを保証できないということ。
もちろん、間接的な状況からもっともらしさを補強することはできる。
でも、それは絶対的な保証ではないね。
> ついでに他人の考えは分からないというのであれば、Maria
>さんが「他人を分かった上で、それに合わせない」とどのよう
>にして感じたのか?
もちろん推量したんですよ(笑)
>>アスペルガーの人はそれがわからないように思います。
>
> これについてはわたしはASと診断を受けた人によってそれぞ
>れだと思っています。しかし、他人の気持ちが把握できないはず
>の★さんがどうやって、アスペルガーの人の特徴をどうやって把
>握したのか?興味が尽きません。言っておくが、なんかの本を読
>んだというのは無しですよ。本に記述されているのは比較的はっ
>きりした特徴を持っているAS人(いわゆる純粋モデルに近い)
>ですし、発達に伴なってそうではなくなったAS人はけっこう多
>いです。
なんかの本で読んではいけないのかな?
純粋モデルを知ることは重要ですよ。
それから「発達に伴ってそうなくなる」というのは
あまり重要ではありません。つまり普通の人が
意識せずにパッと出来ることが、多大な意識的
努力によって達成できたことは結構だけれども
それはASでなくなったわけではないでしょう。
> そんな訳で議論をしたければ不可知論は捨てた方がいいと思いますけどね。
持っていないものを捨てるのは無理だな。
あなたが捨ててみたらいかがでしょう。
「私が不可知論者だ」という考えを(笑)
>不可知論を唱える★さんがどうやって世間一般の人が
>どう考えてい るのかを把握したのか?謎ですね〜。
もちろん、テレパシーの才能はないよ。
推量したわけで、確かなわけではないよ。
ただ、あなたには推量ではなく分かるんですか?
>「オレはオレ」という人もいれば、そうでない人もいるというのが
>正確だと思います。ステレオ・タイプに「ASとはどのような人たちか」
>を説明することはできないです。
では、私を不可知論者のステレオ・タイプにあてはめて
説明することもできませんね。(笑)
Maria wrote:
> ★さんが言っているのは、「コンピューター屋」。
> あたしが言っているのは、「コンピュータ屋」。
>
> EDPS、すなわち「電子的データ処理システム」は、
> たしかJISの情報処理用語では「コンピューター」と表記するよう
>規定されているのですが、
詳しいですね。
>IBMさんだけは、どういうわけか「コンピュータ」と
>最後の「ー(音引き)」を省略するんです。
これまた詳しいですね。
> で、「〜屋」というのは、「山屋」=「登山愛好者」といった場合に使われ、
>ややマニアックかつ思い入れたっぷりな、こだわった響きがあります。
>「電算屋」「情処屋」なんかがそう。
ええ、私も知っていますよ。
> そんな訳で、「コンピュータ屋」というと、
>「IBMに代表される大型汎用計算機」に思い入れないしこだわりのある人々、
>ということになります。
再び書きますが、あなたがJISとIBMの表記の違いに関する知識から
そのように言葉を限定して用いていることはわかりました。
しかし、あなた以外の人がみなその違いを知っているわけではないですよ。
現に私はまったく知りませんでした。
そして、私にはそれは些細な違いなので、区別はいたしません。
おわかりですか?
> あたしは「ソフトウェア開発の勉強」と言っているのね。
>「情報科学」がソフトウェア開発に役立つとは言っておりません。あしからず。m(_ _)m
なるほど、たしかに言っていないね。
では、お尋ねします。ソフトウェア開発の勉強とは具体的に何ですか?
> ちなみに、ソフトウェア工学はソフトウェア開発に役に立つぞ。
ええ、わたしはソフトウェア工学が役にたたないとは言っておりません(笑)
> 「趣味」と「仕事」が対立するという考え方は幼稚なんじゃないかな(^_^;)。
JISの用語とIBMの用法の違いを持ち出すのは幼稚ではないわけですか?
・・・というツッコミはやめておきましょう。
確かに趣味と仕事は厳密には背反しないですね。
>それは主に動機の違いであって、書いたプログラムの質の問題ではないと思うのだけど。
動機の違いが重要なこともありますよ。
> あたしには、いわゆる構造化プログラミングのお約束をちゃんと踏まえながら、
>「分りやすいコード」と「分りにくいコード」の両方を意識的に書き分ける
>という特技があったりします。
構造化プログラミング?ああ、そんな言葉もありました。
>たとえば、プロのシステムエンジニアが二日がかりで追って
>フローチャートも書けずに放り出した(ちなみに三十行ほどの
>『八人の女王』プログラムです)というトリック・プログラム
>なんかも書いていたりするのね。
なるほど。その話を最初の質問の具体例に書いてほしかったですね(笑)
ちなみに、そのてのワザを競うコンテストもあるそうな。
こういうのも、hack valueが高いといえるかも。
> あたしにとってソースコードは「鑑賞する」ためのものですから、
> 常に「読まれ、理解される」ことを意識しています。
その主張は、スバラシイ。
> 「プログラムを書く仕事」というのはあまりしてないのですよ。
> あたしの美学に適う「プログラムを書く仕事」というのはめったにないので。
確かに。
>ですから、プロジェクト管理であるとか、システム設計であるとか、
>アルゴリズム開発であるとか、そっちの方が中心になります。
なるほど。
> 仕事でなければ、bitの『ナノピコ教室』二回入選、というのがありますが。
bitの読者ですか。なるほど。
> 「計算機」業界というとハードウェア業界のことになってしまいそうですが。
おやおや、また「ー」の違いのような話ですか?
>それに「機械語でプログラムを書く」というのがわかりません。
>アセンブラを使う人は現在でも大勢いるし。
>それとも「ニモニックでプログラムを書く」ということなのかな?
大勢というのはどのくらいを指していますか?
例えば今のプログラム開発のうちのどのくらいの割合を占めると考えますか?
私のいっていることはそういうことですよ。
> あたしのかつての同僚M氏はいきなりデバッガを起動して
>十六進数でプログラムを書くような人でしたが、現在でも
>メカトロニクス系の制禦プログラムを書く人は、コンパイラが
>吐いたアセンブラのコードをステート数を勘定しながら手で
>チューンしてたりするので、うちの業界も根っこのところでは
>あんまり変わってない気がします。
メカトロニクス系はそうですよ。もっとも機械に近い部分ですから。
ただ、それは私のいう大勢ではないですよ。
> なお、「電算業界では、常識がコロコロ変わる」というのは
>確かに事実なのだけど、名加野くんによれば
>(『Re: ファイルサイズの量の単位』、No.7960)
>とっくに過去のものとなった「常識」が「国家試験に出る」という
>理由で専門学校などでは教えられているそうな。なんだかなぁ。
それをいうなら、プログラミングの才覚を「資格」にしよう
なんていう発想に無理があるでしょう。
> リチャード・ストールマンはプロだけど趣味だぞ(^_^;)。
なるほど、ハッカーらしい人を持ち出してきましたね(笑)
>> ハッカーという場合、趣味であるかプロかというよりも
>> その技量が第一に問題になるでしょう。
>
> “hack value”という言葉があるので、あたしは動機と
>技倆の両方が問題になると考えています。
先ほどの読みにくいプログラム云々の話なんていうのはそうですね。
単純に技倆の問題ではなく、独特の動機が必要ですからね。
>そんなわけで、「プロとして通用する技倆を持つ趣味人」がハッカーであり、
>「腕前はプロ、心はアマチュア」がハッカーであるとあたしは考えています。
あなたのJISとIBMの「ー」の違いのマネをしてみましょう。
でも、私はこの区別は「ー」の違いなんぞよりよほど重要だと
考えていますけれども。
プロとは単純に金になる仕事をするという意味ではありません。
もともとprofession(宣言)という言葉から来ているのです。
つまり自分だけのためではなく人のお役に立つ仕事をしますと
宣言するわけですね。だからこれは動機におおいにかかわります。
趣味人であってはいけないとはいいません。
しかしプロは単なる趣味人であってはいけません。
>>ハッカー[hacker]
>> もともとは斧で家具を作る人の意。
>
>> この文章がどこに出ていたかは知らないですけど、
>> コンピュータ関係でhackerという場合は、
>> 「斧で割る」という意味のhackから来てる
>> と思います。つまり斧で割るようにシステムの
>> 中身を知りたがる、ということです。
>
> 引用したのはbit編集部・編『bit単語帳』、共立出版。
> “the HACKER'S DICTIONARY:A GUID TO THE WORLD OF Computer Wizards”(『ハッカー英語辞典』として自然社から邦訳あり)にも、ほぼ同じ内容の記述があります。
ところで、あなたはふだん使っている言葉の意味を辞書で調べたとき
それが的確であるといつも思っていますか?
私は必ずしもそうは思いません。ただ的確であろうとすると
辞書がバカバカしく厚くならざるを得ないので、適当なところで
妥協したというのが本当でしょう。
> ちなみに、「斧で叩き切る」のhackから来ているというのは
>正しいのだけれど、プログラムを“hack”するというのは、
>米口語の“hack around”(無為に時を過ごす)が語源です。
>だから、「プログラム(のコード)をひねくり回す」から派生した言葉。
なるほど、で、それはどこに載っていたんですか?
>> Turing賞の受賞公演で、「自己印刷プログラム」という、hack valueの
>> 高そうなプログラムによる、システムのhacking(つまり6)の意味)に
>> ついて話をしました。彼はあなたの述べる1)〜5)の意味でのハッカー
>> でしょう。(ちなみに彼が講演した意図は、システムのhackingに対して
>> 断固とした態度を取るべきだというものです)
>
> たしか『信用を信用することができるだろうか?』だったかな。
さすが、よくご存知ですね。
>あれは不動点プログラム(自己印刷プログラム)を例に挙げていたっけかな?
>たしかブートストラップ開発型のコンパイラへのコード埋込みに
>話じゃなかったかしら。
そうですよ。先の講演の英語の題はReflexion on Trusting Trust
同時に受賞したRitchieが、Reflexion on Software Researchという
題で講演するんで、ちょっと洒落てみたんでしょう。
あそこで使っていたのは確かに不動点プログラムです。英語ではQuineと
いうらしいですね。Quineという哲学者が、Goedelの不完全性定理とかを
説明するときに、このトリックを用いたのでそういうんですが、世間に
広まったのは、Hofstadterの"Goedel,Escher,Bach"の後らしいです。
> で、たしか彼の意図は
>「ガキの悪ふざけと本来のhackingを厳しく区別せよ」
>というものだったと思ったけど。
もちろん区別されなくてはいけません。
しかし、それは決して技量の違いについて述べたわけではありません。
面白いことにあなたが持ち出した「読みやすさ」の話につながります。
Thompsonは、
”自分が全部書いたプログラム以外信用できない。
ソースプログラムをいくら検証したり吟味したりしたって
信用できないプログラムからは逃れることはできない”
っていってるんですね。
彼はそのときに(冗談で)
”私のような人間を雇っている会社で作ったプログラムは信用できない”
とも言ってます。
つまり、ガキの悪ふざけかどうかは、技量ではなくモラルの問題だと
いうことですよ。
> 「私はシステムエンジニアだから、プログラムのことなんか分からなくていいんだ」とかホザいた阿呆がいました。
> 「『プログラムを書け』と言われれば書くのがプログラマー。電算化の必要がないときに、『電算化してもメリットがありませんよ』と顧客に言えるのがシステムエンジニア」ということを言うひとがいて、「確かに」と思いました。
> 「待て、コンピュータは最後の武器だ。我々は『“システム”エンジニア』だ!」。(←読み筋は『忍者部隊 月光』)
bitを愛読し、Turing賞講演もご存知のあなたには釈迦に説法ですが・・・
ただ『電算化してもメリットがありませんよ』というだけではなく、
なぜそうなのか説明できなくてはいけませんよ。
そしてもっと重要なことは、そういう経営判断は必ずしもハッカーレベルの
プログラムの技量なんて必要ないってことです。
#余談ですが、あなたの、言葉の細かい用法へのこだわりから
#あなたがアスペルガーかも知れないと思うようになりました。
#私?私にはわかりません。みなさんが判断してみてください。
★さん wrote:
> ハッカーとして筋金いり、とは、
> 具体的にはどういうことをいってる
> んですか?
職業的なソフトウェア開発者としての腕前を持ちながらも、興味の赴くままにプログラムを書くことをこよなく愛している、ということでしょうか。
I wrote:
>「コンピュータ屋」というのは
> IBMに代表される大型汎用計算機の販売・設置・運用・保守をする人
> のことなんだぞ。
> あなたが「コンピュータ屋」を上記の意味で用いていることは理解しましたが
> 世間一般ではそうではないと思いますよ。
> 情報処理技術者の試験が、IBMの大型汎用機が無敵だった1970年代の
> 精神を持っていることはあるでしょうけど、世間一般は、コンピュータ屋と
> いうとき、むしろコンピュータをいじることが好きな人という意味で言って
> いるように思いますよ。
★さんが言っているのは、「コンピューター屋」。あたしが言っているのは、「コンピュータ屋」。
EDPS、すなわち「電子的データ処理システム」は、たしかJISの情報処理用語では「コンピューター」と表記するよう規定されているのですが、IBMさんだけは、どういうわけか「コンピュータ」と最後の「ー(音引き)」を省略するんです。
で、「〜屋」というのは、「山屋」=「登山愛好者」といった場合に使われ、ややマニアックかつ思い入れたっぷりな、こだわった響きがあります。「電算屋」「情処屋」なんかがそう。
そんな訳で、「コンピュータ屋」というと、「IBMに代表される大型汎用計算機」に思い入れないしこだわりのある人々、ということになります。
>> 「プログラムを書くことに興味があるのなら、
>> ソフトウェア開発の勉強をして、職業としてのソフトウェア開発の道を
>> 目指すのはどうだろうか」というのならまた話は違うのですがね。
>
> 私はその昔大学で情報科学なんてものを学びましたが・・・
>
> はっきりいって、プログラムを書くとかソフトウェア開発とかには
> あまり役に立ちません(笑)。それは文学部で、小説の書き方を
> 教えるわけではないのと同じです。
あたしは「ソフトウェア開発の勉強」と言っているのね。「情報科学」がソフトウェア開発に役立つとは言っておりません。あしからず。m(_ _)m
ちなみに、ソフトウェア工学はソフトウェア開発に役に立つぞ。
> それから、趣味でプログラムを書くのと仕事でプログラムを書くのとは違います。
> 趣味なら、自分の好きなようにプログラムを書けばそれでいいですが、
> 仕事は、それでは通用しません。他人に分かりやすいコードを書けることが
> どうしても必要になります。日記と小説の差とでもいえばいいんでしょうか。
「趣味」と「仕事」が対立するという考え方は幼稚なんじゃないかな(^_^;)。それは主に動機の違いであって、書いたプログラムの質の問題ではないと思うのだけど。
あたしには、いわゆる構造化プログラミングのお約束をちゃんと踏まえながら、「分りやすいコード」と「分りにくいコード」の両方を意識的に書き分けるという特技があったりします。たとえば、プロのシステムエンジニアが二日がかりで追ってフローチャートも書けずに放り出した(ちなみに三十行ほどの『八人の女王』プログラムです)というトリック・プログラムなんかも書いていたりするのね。
あたしにとってソースコードは「鑑賞する」ためのものですから、常に「読まれ、理解される」ことを意識しています。
>> あたしなんかほとんど興味だけで仕事してんだけど(-_-;)。
> それはすばらしい。
> 今までにどういったプログラムを書かれたのか
> 教えていただけますか?
「プログラムを書く仕事」というのはあまりしてないのですよ。あたしの美学に適う「プログラムを書く仕事」というのはめったにないので。ですから、プロジェクト管理であるとか、システム設計であるとか、アルゴリズム開発であるとか、そっちの方が中心になります。
仕事でなければ、bitの『ナノピコ教室』二回入選、というのがありますが。
> 計算機業界では、常識がコロコロかわります。
> 例えば昔なら速さを追求するのに機械語でプログラムを書くのは当然でしたが
> 今ではよほど特殊なものでない限りそういうものは稀でしょう。
「計算機」業界というとハードウェア業界のことになってしまいそうですが。それに「機械語でプログラムを書く」というのがわかりません。アセンブラを使う人は現在でも大勢いるし。それとも「ニモニックでプログラムを書く」ということなのかな?
あたしのかつての同僚M氏はいきなりデバッガを起動して十六進数でプログラムを書くような人でしたが、現在でもメカトロニクス系の制禦プログラムを書く人は、コンパイラが吐いたアセンブラのコードをステート数を勘定しながら手でチューンしてたりするので、うちの業界も根っこのところではあんまり変わってない気がします。
なお、「電算業界では、常識がコロコロ変わる」というのは確かに事実なのだけど、名加野くんによれば(『Re: ファイルサイズの量の単位』、No.7960)とっくに過去のものとなった「常識」が「国家試験に出る」という理由で専門学校などでは教えられているそうな。なんだかなぁ。
>> 趣味でやってるソフトウェア開発のプロのことをハッカーと云うのだけどね(^_^;)。
> プロは趣味ではありませんよ。
リチャード・ストールマンはプロだけど趣味だぞ(^_^;)。
> ハッカーという場合、趣味であるかプロかというよりも
> その技量が第一に問題になるでしょう。
“hack value”という言葉があるので、あたしは動機と技倆の両方が問題になると考えています。そんなわけで、「プロとして通用する技倆を持つ趣味人」がハッカーであり、「腕前はプロ、心はアマチュア」がハッカーであるとあたしは考えています。
>ハッカー[hacker]
> もともとは斧で家具を作る人の意。
> この文章がどこに出ていたかは知らないですけど、
> コンピュータ関係でhackerという場合は、
> 「斧で割る」という意味のhackから来てる
> と思います。つまり斧で割るようにシステムの
> 中身を知りたがる、ということです。
引用したのはbit編集部・編『bit単語帳』、共立出版。
“the HACKER'S DICTIONARY:A GUID TO THE WORLD OF Computer Wizards”(『ハッカー英語辞典』として自然社から邦訳あり)にも、ほぼ同じ内容の記述があります。
ちなみに、「斧で叩き切る」のhackから来ているというのは正しいのだけれど、プログラムを“hack”するというのは、米口語の“hack around”(無為に時を過ごす)が語源です。だから、「プログラム(のコード)をひねくり回す」から派生した言葉。
> Turing賞の受賞公演で、「自己印刷プログラム」という、hack valueの
> 高そうなプログラムによる、システムのhacking(つまり6)の意味)に
> ついて話をしました。彼はあなたの述べる1)〜5)の意味でのハッカー
> でしょう。(ちなみに彼が講演した意図は、システムのhackingに対して
> 断固とした態度を取るべきだというものです)
たしか『信用を信用することができるだろうか?』だったかな。あれは不動点プログラム(自己印刷プログラム)を例に挙げていたっけかな? たしかブートストラップ開発型のコンパイラへのコード埋込みに話じゃなかったかしら。
で、たしか彼の意図は「ガキの悪ふざけと本来のhackingを厳しく区別せよ」というものだったと思ったけど。
>3)プログラムを書くことを商売にしている人。システム全体を把握しているシステムエンジニアとは区別される。
> 3)についてですが、もっと質的な違いがあります。
> 業界は多かれ少なかれソフトウェア工学に染まっています。
> ソフトウェア工学の建前は要求分析、設計、コード化の
> 三つの仕事の分割です。だからアナリストとデザイナーと
> プログラマーは違うというわけです。
>
> でも、そんな区別はハッカーといわれるほどの人でなくたって
> ちょっとバカバカしいなと思っていますよ。例えば、ものを書くのに、
> 中身を考える人と、言葉を選う人なんて分けてるわけじゃないでしょ(笑)
「私はシステムエンジニアだから、プログラムのことなんか分からなくていいんだ」とかホザいた阿呆がいました。
「『プログラムを書け』と言われれば書くのがプログラマー。電算化の必要がないときに、『電算化してもメリットがありませんよ』と顧客に言えるのがシステムエンジニア」ということを言うひとがいて、「確かに」と思いました。
「待て、コンピュータは最後の武器だ。我々は『“システム”エンジニア』だ!」。(←読み筋は『忍者部隊 月光』)
(Maria)
コンピューターの具体的な問題についてはパス。論理的な部分だけ
にコメントです。
★さん wrote:
>あなたが「コンピュータ屋」を上記の意味で用いていることは理解し
>ましたが世間一般ではそうではないと思いますよ。
不可知論を唱える★さんがどうやって世間一般の人がどう考えてい
るのかを把握したのか?謎ですね〜。
>ただ、ASというのは、単に「オレはオレ」という人とは違うでしょう。
>後者はなんだかんだいっても他人がぜんぜん分からないわけではないで
>すよ。
「オレはオレ」という人もいれば、そうでない人もいるというのが正
確だと思います。ステレオ・タイプに「ASとはどのような人たちか」
を説明することはできないです。
再び不可知論批判による指摘。
★さん wrote:
>Mariaさんの場合は、他人をわかった上で、それに合わせない
>といった感じが強いですけど、アスペルガーというのは、
>そもそも「自分と同じ意識をもつ他人」という感覚がないんじゃ
>ないかと思います。
不可知論の立場に立つならば、ASの人がどんな障害を抱えて
いる人なのかを★さんが説明するのは不可能です。「他人のこと
は分からない」という立場を取っている訳ですから。
ついでに他人の考えは分からないというのであれば、Mari
aさんが「他人を分かった上で、それに合わせない」とどのよう
にして感じたのか?
>アスペルガーの人はそれがわからないように思います。
これについてはわたしはASと診断を受けた人によってそれぞ
れだと思っています。しかし、他人の気持ちが把握できないはず
の★さんがどうやって、アスペルガーの人の特徴をどうやって把
握したのか?興味が尽きません。言っておくが、なんかの本を読
んだというのは無しですよ。本に記述されているのは比較的はっ
きりした特徴を持っているAS人(いわゆる純粋モデルに近い)
ですし、発達に伴なってそうではなくなったAS人はけっこう多
いです。
そんな訳で議論をしたければ不可知論は捨てた方がいいと思い
ますけどね。
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami