アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
Mr.Moto wrote:
(中略)
> 思想としてのフェミニズムはまだしも解りやすいのだが、「いわゆるフェミニズム(政治運動としてのフェミニズム)」はおれにとって訳のわからんモノであり、“いわゆるフェミニスト”のうちの“ある種のフェミニスト”に至っては馬鹿か気狂い(←これくらいは言っとこう)であるとおれは思っている。
フェミニストを批判するのはむずかしいですよ。批判している本人が同じ陥穽に落ち込んでしまう。
> 「すべての人間は平等であるべきだ」というヒューマニズムの基本的視点というのは非常に分かりやすい。しかし、何をもって「平等」とするかというのはかなり難しい問題をはらんでいて、その点においてある種のフェミニストの主張は相当に支離滅裂なものであり、なおかつ「フェミニスト」の代表として発言し、世間からフェミニストの代表と目されているのがその手の「ある種のフェミニスト」であるがために、本来のフェミニストは非・フェミニスト(ヒューマニスト?)あるいは反・フェミニストとみなされたりするのである。
>
> 日本にあまりなじみのない概念に、「結果としての平等」というものがある。たとえば、マイノリティかつ貧困層の人間(=社会的弱者)は、就学に関して「制度的な」差別はない(入学に際しての人種差別は認められていないし、奨学金制度というものも用意されている)が、欧米文化を基盤にした学問体系になじみがなく、言葉の不利があり、幼児期に適切な教育を与えられる機会が損なわれており、しばしば家計を支えるために働かなければならないために就学が困難であるといったハンディキャップを背負っているために、結果的に進学が困難であるという現実がある。したがって、マイノリティ・貧困層に対しては積極的に優遇措置を取り、マジョリティ・富裕層と同等以上の進学比率を実現しなければ、平等であるとはいけない、といった考え方である。
結果の平等を、政治目標として掲げることはともかく、これが行き過ぎるといわゆる「悪平等」になる。このことはすでに幾人もの、とくに保守派の人たちが批判している。あえて説明を加えることもないでしょう。
> 社会的弱者である女性は、社会進出においてハンディキャップを背負っているので、昇進・給与・労働条件等において優遇(“優遇”ではなくてそれが当然のことだとフェミニストは言うのだが)されなければ結果として男女は平等にならない、とフェミニストは主張する。さらには男性を侮辱し(侮辱ではなく正当な批判だそうだが)、社会のルールを「男社会のルール」として一方的に破って恥じることがなく、自分のルール違反を「男性社会で生き延びるための正当な行為」であると見なす。
こういうことをギャーギャー言う人たちは、その正当性の是非ということはともかく、インテリ層に属する人たちであって、多数の大衆はあまり関心を抱いていないのではなかろうか。最近「女性が強くなった」とか「女がわがままになった」ということと、こういう人たちの威圧的な物言いとは、一見波長が合っているようでいてじつは無関係に進行しているのではないか。
これ以上のことはよくわからない。
> で、専業主婦を「男女の平等な社会参加の足を引っ張る、男性社会の原理に洗脳された敵」とみなして攻撃するのである。そのくせ女性の家事労働を労働と認めよと主張し、反面、男性の家事労働を労働と認めず、「お体裁」「ポーズ」として否定する。結果として「ものわかりのいい男性」は、家事を「させてもらっている」立場に甘んじなければならなかったりするのである。
> 中でも訳がわからんのは、女性差別が「過去にあった」し(確かに「なかった」とは言えんわな)、現在も「見えにくい形で厳然としてある」ので、男性は女性に謝罪しなければならないという主張である。現代においては女性は男性よりもかなり優遇されている分野が相当に存在し、必ずしも女性が男性よりも不利益を被っているとは言えなそうに思うのだが、にもかかわらず「過去の差別」の責任を取ることを男性に求めるというのは訳がわからん。そりゃまあ男と女が別の民族ならば過去の保証をすることはありえようが(黒人の子孫が白人の子孫に謝罪を求めるとかな)、男だって女だって、「過去の男と過去の女の子孫」である以上、過去の男の責任が現代の男にだけ引継がれるというのは理屈に合っていないような気がする。それとも男性としての性染色体の責任だとでも言うのだろうか。あるいは男に生まれたことの責任なのだろうか。
>
> さらに分からんのは、男の欠点はすべて男の「文化」に帰属されて断罪され、女の欠点はすべて女の「生理」に帰属されて正当化される(=「女っていうのはそういうものなのよ」)ことである。
いつも批判しているように、思考停止に陥っているわけですよ。
> でまあ、はなはだしきはこういう「ある種のフェミニズムの荒唐無稽な馬鹿馬鹿しさ」を「馬鹿馬鹿しい」と知りつつ、「それは女性を運動に引き込み、運動を前進させる手段であり、それが実際に(男に対して)有効だから正当化されるのだ」と平然と認めるフェミニズム運動家というのがゴロゴロいたりする事実である。こういう連中は「馬鹿な女ども」を導いてやっているという意識があるから、「意識の低い馬鹿な女ども」を軽蔑し侮辱して恥じることがない。
>
> いまや先鋭的なフェミニズムはある種の女性差別からなるカルトに近づきつつある。
かつての左翼みたいなもんでしょう。
> 困ったもんだ。
最近は学校などでも、男女混合の名簿にするべきだとか、服装も男女で色分けするのはおかしいとか、甚だしいものでは男がズボンをはいて女がスカートをはくのもおかしい(おかしいのは、こういうことを発言する人の頭ではないかと思うが)などという発言まで出てきている。こういう言い方の隅々に強迫観念めいたものが感じられる。
男女の傾向性の違いは、環境や教育やしつけによって形成されるものであり、先天的な違いなど存在しないという主張があるが、こういう考え方についてはずっと前から不審に思っていた。もし男女の違いがすべて後天的に形成されるのなら、すでに汚染されてしまった大人ももともとは男女の差のない白無垢な存在であったということになる。とすればその親の世代にも本来は男女差がなかった、さらにその上の世代も、という具合に、どこまでいってもきりがない。先天的な差がまったく存在せず、すべて後天的に汚染されるというなら、一番最初に男女差を作り出すための考え方を持ち込んだのは誰なのか? 神か宇宙人のような存在が突然出現して、男女差の思想をばらまいたということだろうか? ちなみにこのことは、男尊女卑的な考えを持つ人にも責任はないということになる。もともと無垢な存在だったものが、男女差別という思想に汚染されてしまったわけだから、ちょうど教祖に洗脳された信者みたいなものではないか。
「話を聞かない男。地図が読めない女」とかいうタイトルの本がベストセラーになったらしいが、この本が刊行される10年以上も前から、男女の好みの違いなどの性差は先天的なものであると指摘した本が出版されていた。順天堂大の新井康允氏である。当時はあまり注目が集まらなかったが、「話を聞かない〜」で注目を浴びたらしい。こういうところなど、日本人の(あいかわらずの)欧米かぶれを感じさせる。
その後の各国の追加的な調査などで、たとえば男が青色・紺色・灰色・茶色といった寒い色を好み、女が赤・ピンク・オレンジといった暖かい色を好む傾向性、といったようなものは、先天的なものであるということが確認されている。ほとんど疑う余地がないが、このことについて男女平等論者(じつは男女悪平等)はどう考えているのだろうか。ほんとうに徹底的にこの問題に取り組む気があるのなら、こうした人たちが提出する、男女差の大部分は生来のものであるということを否定するデータを集め、真正面から論戦に挑んでみてはどうか。こういう人たちは一見いかにも強そうで、こうした自分たちに不利な情報はわざと無視するところがある(こういうところも左翼じみている)。
彼女たちの言うことに根拠がないということはなかろう。男と同じだけ働いているのに給料が安いとか、そういうことは正していかなければならないが、そのことと今批判したこととは別の問題ではないか。それと、夫による暴力とか、その他理不尽な境遇に置かれていた人たちがいたからああいう運動が沸き起こったわけで、そうした、本来その運動が発生してきた原因の、解決すべき問題だけに焦点を合わせ直すべきであろう。
syaku wrote:
> 私の苦境がASのせいか,女性差別のせいか,貧困家庭育ちのせいか,わけわからないけれど,
そういえば「苦境」という言葉があったなと思い出しました。
わたしは苦境を悪化させないために、やっとこの1年、内容に魅力を感じて続けている週2日半日の職場の人たちに、わたしはどんなことに実は困難を持っているのかということを具体的に伝えたほうがいいのではないかと、ごく最近考え始めています。緊張が強まる時間的割合がある一線を超えてしまうと加速度的に(態度の)萎縮が進み、職場風景の(いま以上の)傍観者になってしまい、その在り方から戻れなくなる→辞める、ということを過去に繰り返しているので。
自分のこの件については、もうしばらく考えようと思っています。
図書館にあった「ストレングス・ファインダー」とかいう本 ,カバーの裏のID番号が見られないと診断できないので面白くはないけど,印象に残りました。
欠点をなんとかごまかそうとするのはお門違いだという発想で,個性をきちんとカミングアウトしてふさわしい対応を求めればいいと。ひとつでなく,5個の長所を活かすことで幸福になろうと。持っているものと持っていないものをはっきりさせて,自分にふさわしい対応を求める。気の弱い人がなんとか普通のふりをしようと思ったら,惨めさでつぶれてしまう。欠点隠しはせずに,私に対してはこうしてくださいと周囲に要求して長所を活かせる環境を作る。
私の苦境がASのせいか,女性差別のせいか,貧困家庭育ちのせいか,わけわからないけれど,誰かのとぼけたフェミニスト批判は愚痴どころかおのろけにしか見えない。環境不適合は自分を薬などで矯正することを考えたりするよりも,つぶれている可能性をふくらませてありのままを活かせる道を創っていきたいと思う。
ひま人さん wrote:
> 女性差別はけしからん。というのでいわゆるフェミニストと言われる人たちが台頭してきて、さまざまな言論活動や政治的な運動を続けた結果、まだ完全に解消されてはいないもののかなり改善されてきた。国民の約半数を占める女性に対する差別という、かなりの大多数の人たちに関わる問題を改善することでさえこれだけの歳月を必要とした。学力があり、仕事をする能力もあるのに女性であるというだけで採用されなかったり、給料が少なかったり、昇進できなかったりする。これは差別だ。けしからん。というのは理路整然としていてわかりやすい。
思想としてのフェミニズムはまだしも解りやすいのだが、「いわゆるフェミニズム(政治運動としてのフェミニズム)」はおれにとって訳のわからんモノであり、“いわゆるフェミニスト”のうちの“ある種のフェミニスト”に至っては馬鹿か気狂い(←これくらいは言っとこう)であるとおれは思っている。
「すべての人間は平等であるべきだ」というヒューマニズムの基本的視点というのは非常に分かりやすい。しかし、何をもって「平等」とするかというのはかなり難しい問題をはらんでいて、その点においてある種のフェミニストの主張は相当に支離滅裂なものであり、なおかつ「フェミニスト」の代表として発言し、世間からフェミニストの代表と目されているのがその手の「ある種のフェミニスト」であるがために、本来のフェミニストは非・フェミニスト(ヒューマニスト?)あるいは反・フェミニストとみなされたりするのである。
日本にあまりなじみのない概念に、「結果としての平等」というものがある。たとえば、マイノリティかつ貧困層の人間(=社会的弱者)は、就学に関して「制度的な」差別はない(入学に際しての人種差別は認められていないし、奨学金制度というものも用意されている)が、欧米文化を基盤にした学問体系になじみがなく、言葉の不利があり、幼児期に適切な教育を与えられる機会が損なわれており、しばしば家計を支えるために働かなければならないために就学が困難であるといったハンディキャップを背負っているために、結果的に進学が困難であるという現実がある。したがって、マイノリティ・貧困層に対しては積極的に優遇措置を取り、マジョリティ・富裕層と同等以上の進学比率を実現しなければ、平等であるとはいけない、といった考え方である。
社会的弱者である女性は、社会進出においてハンディキャップを背負っているので、昇進・給与・労働条件等において優遇(“優遇”ではなくてそれが当然のことだとフェミニストは言うのだが)されなければ結果として男女は平等にならない、とフェミニストは主張する。さらには男性を侮辱し(侮辱ではなく正当な批判だそうだが)、社会のルールを「男社会のルール」として一方的に破って恥じることがなく、自分のルール違反を「男性社会で生き延びるための正当な行為」であると見なす。
で、専業主婦を「男女の平等な社会参加の足を引っ張る、男性社会の原理に洗脳された敵」とみなして攻撃するのである。そのくせ女性の家事労働を労働と認めよと主張し、反面、男性の家事労働を労働と認めず、「お体裁」「ポーズ」として否定する。結果として「ものわかりのいい男性」は、家事を「させてもらっている」立場に甘んじなければならなかったりするのである。
中でも訳がわからんのは、女性差別が「過去にあった」し(確かに「なかった」とは言えんわな)、現在も「見えにくい形で厳然としてある」ので、男性は女性に謝罪しなければならないという主張である。現代においては女性は男性よりもかなり優遇されている分野が相当に存在し、必ずしも女性が男性よりも不利益を被っているとは言えなそうに思うのだが、にもかかわらず「過去の差別」の責任を取ることを男性に求めるというのは訳がわからん。そりゃまあ男と女が別の民族ならば過去の保証をすることはありえようが(黒人の子孫が白人の子孫に謝罪を求めるとかな)、男だって女だって、「過去の男と過去の女の子孫」である以上、過去の男の責任が現代の男にだけ引継がれるというのは理屈に合っていないような気がする。それとも男性としての性染色体の責任だとでも言うのだろうか。あるいは男に生まれたことの責任なのだろうか。
さらに分からんのは、男の欠点はすべて男の「文化」に帰属されて断罪され、女の欠点はすべて女の「生理」に帰属されて正当化される(=「女っていうのはそういうものなのよ」)ことである。
でまあ、はなはだしきはこういう「ある種のフェミニズムの荒唐無稽な馬鹿馬鹿しさ」を「馬鹿馬鹿しい」と知りつつ、「それは女性を運動に引き込み、運動を前進させる手段であり、それが実際に(男に対して)有効だから正当化されるのだ」と平然と認めるフェミニズム運動家というのがゴロゴロいたりする事実である。こういう連中は「馬鹿な女ども」を導いてやっているという意識があるから、「意識の低い馬鹿な女ども」を軽蔑し侮辱して恥じることがない。
いまや先鋭的なフェミニズムはある種の女性差別からなるカルトに近づきつつある。
困ったもんだ。
(Mr.Moto)
あさかぜ さんwrote:
こんにちわ。ご無沙汰しております。
> この支援の方法を具体的に知りたいと思うのは贅沢ですか? 相手は五十代の男性です、一筋縄ではいかない。でも、挑戦してみる価値はあるかもしれないと考えています。それが自分の娘を育てる役にも立つのではないかと。ただ、現在の自分では無理が大きいかもしれないとも思います。迷いつつ実行中なのですが、どうにもならないと思ったら逃げるしかないかも……。
>
なんだか、とても切羽詰まってらっしゃるようなので黙ってられなくなりました。
役に立たないだろな〜とは思いつつも・・ま〜読み捨てて下さい。
詳しい事情も良く解らないのに勝手な意見ですが、まだ子供さんが小さいから別れた方がメリットは有るのでは?
主に金銭的に、ですけど。お金の問題って大きい。。お金の余裕は気持ちの余裕に直結するし・・
親子関係は別に維持する事だって出来るんだし、今は年齢的にも母親の影響力の方が大きいだろうし。。
どんなに頑張っても、そのせいでイライラして笑顔が無くなるくらいならマイナスの方が大きいのでは?
★大の大人を変える?なんて無理だと思う・・こっちが(妻)頑張るほど向こう(夫)は意地になる。
プライドが傷つくんだろね〜へたに打つ手を考えない方がいい気がスル・・
まずは自分を守る事を第一に考えてもいいのでは?
私も部品工場に15年、働いてたけど手が忙しくても頭は暇だから鬱に走り易いかも?(笑)
何も役に立てないけど応援してるよ。あさかぜさん(^-^)
釈 wrote:
> 逆にひま人さんは,自分の頭の中だけで生きてる印象です。
そうなんです。観念人間ですから。
>いのちの実感を,可能性すら否定してかかる。
小生のような厭世的な感覚を覆すような「いのちの可能性」が我々に芽生えることを祈ります。
>私みたいに焦点が定まりにくくて鬱に落ち込みやすいタイプよりもしっかりして見>えていいですが,クール過ぎると近寄るものを凍らせてしまって,感じられるはず>のことも無いことになります。開かないドアからは,いいことも入ってこない。そ>れで安定していたいんでしょうね。
そうなんですよ。「そんな態度だから誰も相手にしないし友達もできないんだよ」ということなのでしょう。
ところで話は変わるが、ついでにちょっと書き込みをさせてもらおう。
女性差別はけしからん。というのでいわゆるフェミニストと言われる人たちが台頭してきて、さまざまな言論活動や政治的な運動を続けた結果、まだ完全に解消されてはいないもののかなり改善されてきた。国民の約半数を占める女性に対する差別という、かなりの大多数の人たちに関わる問題を改善することでさえこれだけの歳月を必要とした。学力があり、仕事をする能力もあるのに女性であるというだけで採用されなかったり、給料が少なかったり、昇進できなかったりする。これは差別だ。けしからん。というのは理路整然としていてわかりやすい。
これにくらべて、ASの抱える社会との関わりにおいて生じる問題はかなり厄介だと思う。仕事が十分にできるのに、本人がASであるという理由だけで解雇される
ということはあまりなく、むしろ逆に、利口そうなのに成績が伸びなかったり、途中から伸び悩んだり、学力や学歴がある程度高いのに、実行力が伴わなかったり、状況が把握できず、へまをやらかすといったようなことになる。過大評価というのも完全に言い当ててはいないし、逆差別だ! というのも当たっていない。
他の障害者団体らといっしょになって、「差別反対」というキーワードのもとに運動を展開するというのも的外れな感じがするし、社会の手厚い保護のもとに管理(監視か?)されるべきか弱い存在。というアピールをするのもどうか。
こういうことで、どういう戦略をとるべきかの判断はきわめて困難な感じがする。
ビーグル wrote:
>兄は38歳、独身です。
>
>兄は何度も転職していますが、長続きしません。
>ここ1年で3回転職しています。
>父親の知り合いの会社に事情を説明し、就職しても 同僚には
>理解してもらえなかったみたいで、数カ月後には断られるそうです。
>同僚とうまくコミュニケーションがとれないようで、いわゆる
>「変なひと」と思われ、そのうち、辞めさせられるそうです。
偉いぜ!この人はよく我慢できたと思いますよ。僕なんか、職安で「パートで
朝9時から夕方6時、週5日」というのを見ただけで、ぞっとするよ。だから生まれて30年経つのに企業面接に行ったのは、まだ2回しかない。
>兄は母親にだけは 話をする(母親にだけ心を開いている)ようで、
>「どうして長続きしないのかな」と悩んでいます。
>兄は自分がアスぺかもしれないということを知りません。
>だから専門の方のカウンセリングなども受けていません。
>家族も彼の今後のことを心配するけれど、家族だけで抱えてる
>感じで、専門機関に相談に行ったりしていないようです。
>家族の一番の心配は 兄の将来です。
>兄は今、無職です。
>兄が母親にしか話をしないし、父親とはとても仲が悪いし、
>弟ともコミュニケーションがないそうです。
>どうすることが一番、兄のためにいいのかわかりません。
>本人に病院に行くように言うべきなのでしょうか。
病院に行くかどうかは、ちょっとこのケースの場合は、慎重を要すると思います。「精神科の門を叩く」ということは、「心の病気」という言葉がメジャーになった現在でさえも、その人の人生にとってすごくエネルギーがいることであると思います。無味乾燥な医者との対話・いつ終わるともしれない薬物療法・鉄格子の部屋・「キチガイだ」という周りの人からの白眼視、これらの過酷イメージに対する恐れは、インテリでまじめな人ほど強いもので、著しい混乱の元となることもありえます。
まずは、保健所や精神保健福祉センターへ、相談ということで、行ってみて義兄さんが抱えている問題点を整理してみて、その結果何らかの障害があることが濃厚ということになれば、医療機関を紹介してもらうというほうが、この場合は良いのではと思います。発達障害の専門医は、まだ日本には150前後しかいないのが多少難点だとは、思います。
>みなさんは、自分の意思で病院に行こうと思われたのですか。
>家族に言われて行かれたのですか。
>病名を伝えられた時はどんな気持ちになるのでしょうか。
僕の場合は、自らの意思で行きました。
はっきりとASであると、確定したのは、去年のことでした。
自分を苦しめているものの正体が分かったのは良いのですが、我が国のASを含めた自閉症スペクトラムのケアの遅れに立腹しています。それでも精神障害者手帳を県へ申請し、今は精神障害者小規模作業所に通って、統合失調症やそううつ病の人たちと楽しく仕事(基板への部品取り付け・パンフレットの袋詰・ピエロ人形作り)をやっています。
風呂糸 wrote:
>>
>下田水族館
>http://www.shimoda-aquarium.com/s4.html
>
>↑ここでオフ会やろうyo-
>
>イルカと触れ合った後は、イルカの肉料理でお腹も癒す!?
>(西洋人が聞いたら卒倒しそうな日本の食文化&ふれあい)
>
>
>風呂糸
そうだな…百聞は一見にしかず。
いつかそういうのもやってみたいもんだな!
掲示板に参加するのは初めてです。
管理人さんに相談のメールをしたら、掲示板で皆さんに
相談すればいいと言われ、投稿することにしました。
よろしくお願いします。
私の彼のお兄さん(私はお会いしたことはありません)が
アスペルガ−症候群ではないだろうかということがわかりました。
判明したといっても、そういう診断をされたわけではありません。
家族が、調べていくうちに、今まで「内向的なタイプなんだ」
「人見知りが激しいのだ」と思っていたけれど、そうではなく、
兄の性格が先天的なものではないかということになったようです。
兄は38歳、独身です。
兄は何度も転職していますが、長続きしません。
ここ1年で3回転職しています。
父親の知り合いの会社に事情を説明し、就職しても 同僚には
理解してもらえなかったみたいで、数カ月後には断られるそうです。
同僚とうまくコミュニケーションがとれないようで、いわゆる
「変なひと」と思われ、そのうち、辞めさせられるそうです。
兄は母親にだけは 話をする(母親にだけ心を開いている)ようで、
「どうして長続きしないのかな」と悩んでいます。
兄は自分がアスぺかもしれないということを知りません。
だから専門の方のカウンセリングなども受けていません。
家族も彼の今後のことを心配するけれど、家族だけで抱えてる
感じで、専門機関に相談に行ったりしていないようです。
家族の一番の心配は 兄の将来です。
兄は今、無職です。
兄が母親にしか話をしないし、父親とはとても仲が悪いし、
弟ともコミュニケーションがないそうです。
どうすることが一番、兄のためにいいのかわかりません。
本人に病院に行くように言うべきなのでしょうか。
みなさんは、自分の意思で病院に行こうと思われたのですか。
家族に言われて行かれたのですか。
病名を伝えられた時はどんな気持ちになるのでしょうか。
何かアドバイスを教えて下さい。
まいど
風呂糸ですねん。
イルカが人を癒すかどうかは、会ってみて試してみてから、
論じてみては如何でしょうか(^-^)
何事も百聞は一見にしかずと申しまして。。。
僕はイルカが癒すかどうかはわからないですけど、
少なくとも大型の哺乳動物と触れ合えるのは、
とてもいい体験だと思います。
馬も牛もカワイイよん(食べちゃいたいくらい(^^;))
なんと日本にも、イルカと触れ合う場所が有るんです!!!
そんなに高い値段でもなく、関東なら充分行ける場所なので
いかがでしょうか??
下田水族館
http://www.shimoda-aquarium.com/s4.html
↑ここでオフ会やろうyo-
イルカと触れ合った後は、イルカの肉料理でお腹も癒す!?
(西洋人が聞いたら卒倒しそうな日本の食文化&ふれあい)
風呂糸
どこにいるのかを確かに自覚できるなら,どこにいてもそこが居るべき場所です。正論があり,正しい反論があり,正しい無関心,正しい涙,混乱さえも正しい焦点の移動過程。
自分に自信がない人はもちろん,ありすぎる人もできるだけ多角的に自分の位置を知るようにしましょう。エニアグラムhttp://www.enneagram.gr.jp/enneagram/enia.html
とかでいろんな人がいて,それぞれ方向が違うことを知っておくのはいいことです。一神教,いえ,一仏による非分割世界を基礎に持つのはたいせつですが,一律強制の排他主義は最低です。多様な個性をそれぞれ活かせるように気をつけてください。
たとえば,あさかぜさんはこころの焦点が人に向き過ぎる傾向がありますね。あさかぜさんみたいな人が,どうしようもない人でも温かく支えて社会をもたせているんでしょうが,奉仕しすぎて自分を見失ったら,不幸なのはご身内だけじゃありません。私だってま夜中に噛みついた子はちゃんと叱りました。噛みつき欲求の無限承認なんかしません。朝の甘えたがりは歓迎だけども。
逆にひま人さんは,自分の頭の中だけで生きてる印象です。いのちの実感を,可能性すら否定してかかる。私みたいに焦点が定まりにくくて鬱に落ち込みやすいタイプよりもしっかりして見えていいですが,クール過ぎると近寄るものを凍らせてしまって,感じられるはずのことも無いことになります。開かないドアからは,いいことも入ってこない。それで安定していたいんでしょうね。
嫌なものがあることは、視野が狭いのですか?
嫌なものがなければ、視野が広くて心広いという訳ではないと思う。
私は、嫌いなものが少ない。嫌いな人も少ない。そのかわり、好きなものも分からない。
どうでもいいというか、冷めているのだ。
目の前でひどい事を言われても、「そうかなー」(肯定的っぽく)と言うこともできる。
腹を立てる気力さえない。バカバカしい。
しょせん、他人は他人だ。関係ないと思えば他人事だ。
すぐに怒る人を純粋で羨ましく思ったりもする。
そんな私は、人間らしくない。
脳みそがどんどん活動しなくなっていって、動くことはもちろん、話しかけられることにも苦しくなっていって、廃人のようでした。
鬱モードでした。
偶然
岡本太郎さんの本を読みました。
感動しました。
岡本太郎は生きてるぞ!!
こんな私でも人間らしくなれそうな気がしてきました。
シペラス wrote:
>ひま人 wrote:
>>ときどきTVなどで、自閉症児がイルカとのふれあいを通して症状が好転したとか、癒されたとかいうふうなことが放映されているが、これがどこまで本当なのか知らない。
>>大事なのは、イルカという動物が自閉症児を癒したということで、車輌や標識や百科事典に夢中になっていてもこのことは話題にならない。癒しという点からすれば、両者は甲乙つけがたいかもしれないが、これらはむしろある種の精神病理として解釈されるのだろう。
>>ペットブーム動物ブームの中、イルカという人気のある哺乳動物が自閉症児と一緒に戯れた。そしたら自閉症児が笑顔でほほえんだ。これだけでイルカによる癒し効果という「感動物語」が誕生するのである。番組のプロデューサーはこのことを嗅ぎ付けて放映するのだろう。
>>重要なのは、イルカが癒したということに視聴者は感動するのであり、自閉症が癒されたということが実証されたのか、自閉の実存にとってどういう意味を占めるのかということはどうでもいいのである。
>>だがそれにしては、動物に興味がなかったり、動物を物体のように扱う自閉症児にも効果があるのだろうか? 動物愛護協会の善意によって、動物に興味のない自閉症児が犬と触れ合う時空間を提供し、キャンキャン吠えつく犬たちと触れ合いながら次第に馴れてきて、その様子を見ていた愛護協会の人は、これでこの子どもたちにも犬の素晴らしさを分かってもらえた。と、自己満足する(動物愛護教)。
>
これは「何を持って癒し」とするかによって、事情が変わってくると思います。非常に無表情だったり・激しいパニックになったりする自閉症の子が、イルカと戯れたことで、笑顔を表出できるようになれば、ある意味ではその子は癒されたことになりますが、本質的な脳の障害による学習の困難さは抜けないでしょう。でも、「自分はイルカと遊べたんだ!」とその子が自信を持って、そのハンディが目立たないレベルにまで、自らを高めていくということもありえます。もちろん彼がイルカと友達になることを望まなくてはならないことは、確かなことです。
そもそもセラピーの目的は、自分自身の本質を知り、それをコントロールする力を養うということでもあるのかもしれません。あの忌まわしい去年9月11日の同時多発テロで崩壊してしまったN.Y市の貿易センタービルの周辺の小学生の中には、真っ黒になったビルを描いて、ビルが壊れ・大勢の人が死んだことによるトラウマを吐き出していき、絵画セラピーの回を重ねるにしたがって、明るい色づかいがでるようになり、平静さを取り戻していったという子がいたようです。この子にとっては、「絵を描く=心の内面をさらけ出せる+周りからのフィードバック=心のコントロール力の回復=癒し」という感じなのです。イルカに限らず『アニマルセラピー』で動物に向き合うということも、その動物とのふれあいを通して、心をコントロールする力を持っていることに気づかせる・それを高めていくことがねらいで、それが癒しなのかもしれません。もちろん癒すほうのイルカは、当然人間を恐れないようにある程度調教されているでしょう。
イルカはとても頭がよい動物で、水族館で様々な芸当をやらかすばかりでなく、ブラジルのほうにはなんと人間の漁の網に魚を追い込んで、それから網からこぼれた魚を食べるというやつまでいるようです。好奇心が旺盛で、野生のものでも船が近づくと回りに寄ってくるし、触ったりしなければダイバーと友好的に泳ぐこともあるようです。また、音を海中に発して、魚や岩などの物体からのその反射をあごで受信して、光の届かないようなにごった海域でも、外界の様子を人間の目と同じような感じで、把握しているようです。
私は静岡の清水に下宿した時、イルカの肉を食したことがありますが、ホイコーローの素でキャベツと炒めると臭みが取れておいしかったです。
ときどきTVなどで、自閉症児がイルカとのふれあいを通して症状が好転したとか、癒されたとかいうふうなことが放映されているが、これがどこまで本当なのか知らない。
大事なのは、イルカという動物が自閉症児を癒したということで、車輌や標識や百科事典に夢中になっていてもこのことは話題にならない。癒しという点からすれば、両者は甲乙つけがたいかもしれないが、これらはむしろある種の精神病理として解釈されるのだろう。
ペットブーム動物ブームの中、イルカという人気のある哺乳動物が自閉症児と一緒に戯れた。そしたら自閉症児が笑顔でほほえんだ。これだけでイルカによる癒し効果という「感動物語」が誕生するのである。番組のプロデューサーはこのことを嗅ぎ付けて放映するのだろう。
重要なのは、イルカが癒したということに視聴者は感動するのであり、自閉症が癒されたということが実証されたのか、自閉の実存にとってどういう意味を占めるのかということはどうでもいいのである。
だがそれにしては、動物に興味がなかったり、動物を物体のように扱う自閉症児にも効果があるのだろうか? 動物愛護協会の善意によって、動物に興味のない自閉症児が犬と触れ合う時空間を提供し、キャンキャン吠えつく犬たちと触れ合いながら次第に馴れてきて、その様子を見ていた愛護協会の人は、これでこの子どもたちにも犬の素晴らしさを分かってもらえた。と、自己満足する(動物愛護教)。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami