アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
りる wrote:
>#でもやっぱりこの掲示板私には使いずらい・・・。みなさんは使いずらくないんでしょうか??
わたしの場合、Pocket WZ MAILというのを使って(ここの掲示板はWZ BBSに対応しているので)受信するようになったら、メーリングリストに参加しているのと同じ状態になり、読みやすくなりました。
りるさん wrote:
> Mr.Motoさんの「玉子かけごはん」よりもーっと「下衆な食い物」だと思うのですがいかがでしょう。
確かにすごいな(^_^;)。ただ、「下衆」かどうかについてはちと意見を保留したい。
> 以上は「美学」でなく「食感の快・不快」によるオレ規定です。
> 「おいしい/おいしくない」はもちろん大前提ですが、
> 「食感の快・不快(同席する他人の食べ方によって自分に入ってくる情報としての快・不快含む)」は、私にとってものすごく重要です。
雑誌の『オレンジページ』や『レタスクラブ』、あるいはTV番組の『伊東家の食卓』なんかを見ると、男女に関わらず「正体不明のおいしいモノ」のノウハウが紹介されていたりするし、マヨラーを代表とする「最近の若者の乱れた食生活」みたいなものが報道番組で特集されていたりするので、世間の規範(コード)の外での美味(食感も含む)の追求というのは一つの潮流としてあると思う。最近話題の『エル・ブジ』の料理なんかもその流れ、という気はしないでもない。
> で、私は、Mr.Motoさんは「ジェンダーと食い物の関係」について論じたいのかと思っていたのですが、
> もしかして要するに「自分はこういう食い物が好きである」と語りたいだけなのでしょうか。
「快感追求の結果、規範を逸脱してしまってとんでもないところ(ある意味“戻れないところ”)へ行ってしまう」というのは、十七世紀後半のフランスにおいて隆盛をきわめた『ロマン主義』そのものである。これに対して、男は概して古典主義的(ある意味保守的)であるとおれは思うのだ。で、これは文化的なもの(ジェンダー)というよりも生物学的差異(セックス)に拠るような気がする、ということを言いたいのである。
りるさん風玉子ごはんは、黄身も白身も醤油も混じった茶色い液体状のものをごはんに掛けて喰うわけだから、たとえば炊きたてのごはんをちょっとづつ茶碗によそってちょっと玉子ソース(?)を掛けて喰う、というスタイルもありである。逆に丼に飯をよそってソースを大量に作り、一気に混ぜて喰ってもいい。これは納豆ごはんにしろ麦とろにしろ同じことだ。
それに対して、おれの「玉子かけごはん」は「茶碗一杯のごはんに玉子一個」「玉子は基本的にすべてを利用し、無駄を出さない」「黄身よりも白身のほうが固まりにくいという性質に即したやりかた」「ごはんの上に黄身が丸く乗っている風情を楽しむ余地」「黄身の鮮烈な黄色を楽しみ、醤油の香りを立てるために、醤油をかけてからかき混ぜすぎないこと」「黄身の黄色と海苔の黒のコントラスト」とかいった、「こうあるべきだ」的ルール(しかも、言語化可能な明示的ルール)というのがむやみに絡みついているのである。
女性の場合は、「理屈でなく」ルールがあり、反面“明示的な、明文化された”ルールに対しても「理屈でなく」反応する気がする。これが、「明示的・名文化された社会的な縛りに従うことが多い男社会」と「暗示的・暗黙の家族的な縛りに従うことの多い女社会」という生活環境の差によるジェンダー的な理由によるのか、それともセックス的な基盤からこうした社会原則の文化が起きたかは判断できないが、そのこだわりのありようが自閉者のこだわりと共通するように思うのだ。
だとすると、「自閉が男に出やすい」というのも生得的なものではなくジェンダー的なものであり、「自閉的傾向は、男性の文化においてより大きな軋轢を生じるために、男のほうが“症状”として出やすい」という可能性(つまり、二次障害としての性格が強い)を示唆するんじゃないだろうか?みたいな話になるのである。
> 途中からの参加なので推測ですが(このスレッドの前がわからないので)、
> 最初こそジェンダーと食べ物の好みの関係が絡んでる話のように見えたものの、
> 結局はジェンダーはどっかいっちゃっててどうでもよくなってる気がします……。
当初は、社会的制約(あるべき女性像)の陰に隠れて屈折した形で(自分の問題を他者の問題にすり替える形で)解決しようとするのは迷惑だからやめろ、そんなことをされるくらいならはっきり自分の問題として欲求を開示してくれたほうがこっちもオプティマルな(双方に利益のある形での)解決法を提示しやすい、という話だったのだ。
それが、
→喰いモンの好みとジェンダーの関係(女性としての社会的制約が食べ物の好みをある程度決めているのではないか?という話)に移行。
→だったら「社会的制約」から離れた場合は男と女に喰いモンの好みの差は出にくいだろう?
→いや、男には社会的制約以外に、“美学”とも言うべき形式に対するこだわりがあり、それは自閉的こだわりにも通じる。
→それはジェンダーによるものかセックスによるものか? それがジェンダーによるものならば、自閉的こだわり(あるいは、自閉症そのもの)の性差もジェンダーの影響によるものなのか?
といった形で推移してきたのである。
> 確かに性差はありますが、あらゆる人間は、男性・女性以前に、まず人間だと思っているので。
堂々巡りに陥るのを承知で言うと、「生まれたままの人間」というのは「裸のサル」(デズモント・モリス)であり、社会に適応し、人格が完成した時点で「人間」であるという考え方もある(だからこそ、「知的障害者は人間と言えるのか?」といった問いが歴史的になされたのである。ナチス政権下のドイツでは、知的障害者は人間とはみなされず、“処分”された)。「男でも女でもない人間」というのは、社会において「人間」としての居場所がない、という意味で「“人間”ではない」部分があり、性同一障害を引き起こすのである。
インドには“ヒジュラ”という「男でもなく女でもない人間の階層」というのが存在して社会の中に組込まれているが、日本ではそうした「社会的な“居場所”」がないのである。
「あらゆる人間は、男性・女性以前に、まず人間だ」というのはスローガンとしては認めるが、現実問題として、それを実現するにはまだまだ多くの問題を解決しなければならない、とおれは思っている。
(Mr.Moto)
>ひま人 wrote:
>>小さいころから抱いていた疑問に、なぜ回転方向に右回りと左回りが定義でき、なぜ時計の針が回転する方向が右回りなのか? というのがあった。
私もときどき違和感があります。
「右回り」というのは、回転の上半分だけに注目した言い方だと思っています。
いちばんてっぺんのところ (時計なら12のところ)が右に動けば右回り。左に動けば左回り。
下半分はなぜ無視するかというと、きっと上より見えにくいから、でしょう。
……ととらえているので、自分が垂直に立った状態で「右回りに回って」と言われたらどうしていいかわかりません。「右に回って」なら、「右を向く」方向に回れそうですが。
>>回転する方向は、裏側から眺めれば反対向きになってしまうし、そもそも回転する方向について「右」か「左」かなど決められるわけがない。
「裏から眺めたら反対」は、「左右」という言葉もそうですよね。日常生活でもよく「どっちから見て右だよっっ(怒)」というシチュエーションはあります。
私が未だにさっぱりわからないのは、スキーの「山足」「谷足」です。ボーゲンにしろパラレルにしろ、ターンの話をしていて、ターンの前半と後半で山側と谷側は入れ替わるというのに、「山足」なんて言われたらわけわかりません。
ひま人 wrote:
>小さいころから抱いていた疑問に、なぜ回転方向に右回りと左回りが定義でき、なぜ時計の針が回転する方向が右回りなのか? というのがあった。
>回転する方向は、裏側から眺めれば反対向きになってしまうし、そもそも回転する方向について「右」か「左」かなど決められるわけがない。
>時計の針の回転する方向というのは、上側→右側→下側→左側→上側という順序があるだけで、この中にはとりたてて「右」という概念だけを特別扱いにする要素はない。
なにかすごく「そうかあー!」という感じがあるのですが、うまく説明できません。
私の使っている画像処理ソフトでは、画像の回転方向のコマンドが「時計回りに/反時計回りに」と書いてあるのですが、
私はしょっちゅう間違えて逆にやってしまいます。
「右回り/左回り」と書いてあった方が、私は間違わなさそうな気がします。
「まず右に倒れる」とイメージすれば理解しやすいのです。
「時計の針が回る方向」=「右回り」という、言葉の表現だけでの説明(定義)にはいつも混乱します。
シロ wrote:
>わたしは一人暮らしですが、食べ物の買い物には苦労しています。食べ物に関して、他の方々はどうですか。
私も食べ物の買い物には苦労します。
好き嫌いが多く、しかもどちらかというより好きなものより「これは絶対嫌」というものの方が多いので、
どうしても食べるもの(買うもの)が固定した数パターンのルーチンになってしまいます。
買い物でも外食でも、自分が慣れ親しんだもの以外は食べ物と認識しないことも多いです。
栄養が偏るので、できるだけ自分が摂りやすい方法で足りなくなりがちなものを摂るように心がけてはいるのですが、すぐ忘れます。
高機能自閉症のお子さんがいる知人がいるのですが
(この用語は抵抗があるが便宜上仕方なく使っているとその人は言っていました)、
本来、離乳期に好き嫌いが出ない子どもなど存在しないのだそうです。
更に自閉があると、その時期の好き嫌いは特に強く出やすいそうです。
私の好き嫌いの多さを話したところ、「離乳期に最悪の対応をされた可能性が高い」とのことでした。
Mr.Moto wrote:
> おれはぶっかけ飯の白眉は「玉子かけごはん」だと思っているのだが(「いや、納豆かけごはんだ」とか「いや、麦とろだ」とかいう意見はもっともだと思うが、それは置いておいて)、これも女性に人気のないメニューではある。あれはおそらく中途半端にヌルくて見かけが美しくないからだろうな。とはいえあれも極めるとちょっと深いのだ。
> まず、最近あまり見かけない蓋つきのやや大ぶりの茶碗を用意する。玉子はM玉かL玉。白身が少ないとうまくないからだ。茶碗は温め、玉子も人肌よりちょっと温かいくらいに温めておくといい。冷蔵庫から出してすぐではうまくいかない。
> 温めた茶碗に熱々のごはんを装(よそ)う。熱々が無理ならごはんを装ってから電子レンジで温めること。次にごはんの中央に窪みを作り、そこに割った玉子を落とす(言わずもがなだが殻は入れるなよ(-_-;)。それから黄身も潰さないこと)。
> で、そのまま蓋をして三十秒ほど待つ。なぜかといえば、玉子の白身というのは黄身より固まりにくいのだ。だから、先に白身をとろとろ状態になるまで固めてやるのである。そうしたら(蓋を開けて)中央の黄身を崩さないようにごはんと白身を絡め、しかる後に黄身と混ぜるのである。理想的にはごはん粒の周りに白身の層ができ、さらにその外側に黄身の層ができるのがいい。そこに細かく刻んだ切り海苔を散らし(揉むと粉が出る。なお、海苔が重なると、ちと喰いにくいので、ひと並べ程度)、黄色と黒のコントラストを楽しんだのち、醤油をかけて混ぜながらかっこむのである。これを「金(きん)メシ」という。海苔は散らさずに、切り海苔(名刺サイズぐらいの長方形のやつ)で包むようにして醤油をつけて喰ってもいい。
>
> ……そう、こんなふうに「玉子かけごはん」のような、料理とも言えんような食い物に凝ってしまうのが、男だという気がする。自閉が男に出やすいというのと、何か関係があるやも知れぬ。
ちがーう!!それは私の思うところの「たまごかけごはん」とはまったく別物です。びっくり。
(違うことは別に全然かまわないんですが。念のため)
古来の「たまごかけごはん」にちょっと一工夫してみました、みたいな、最近の「カフェめし」的な、立派な料理な気がします。
(まだカフェめしというのを実際に食べたことがないので定かではないですが)
卵を冷蔵庫から出して常温にしておくのはだいたい同じです。
あつあつのごはんを使うのも同じです。(でも炊き立てのあつあつとレンジのあつあつはやはり違うので私は炊き立て派)
卵は、器に割ったのち、白身のゼリー状の部分とカラザを取り除き、できる限り白身のゆるゆる部分と黄身だけにします。
たまに黄身に部分的についている白い被膜のようなものもできるだけ取ります。
(このへんは好みだとは思いますが。白身のどろっとした食感が苦手という人は少なくないのじゃないかと思います)
黄身がメインになるため、できれば、黄身がおいしいちょっと高めの卵(コクのある、とか、生臭くない、とか、自然農法で昔の卵のような味、とかいうの)を選びます。
割った卵に、できればちょっと高めの醤油(生だとやっぱり高いものの方がおいしい)をたらして、泡立つほどに徹底的にかき混ぜます。
黄身を崩すと黄身の表面の被膜も浮いてくるので、それもできるだけ取り除きます。
卵を混ぜるのと醤油をたらすのはどちらが先でもいいですが、
醤油をたらした後にかき混ぜた方が、取り除くべきもの(黄身の被膜やどろどろ白身の取りそこねなど)が発見しやすいです。
白身はごめんね。ということで、私の台所の三角コーナー内にはほぼ常時捨てられた白身がいます。夏はとても危険です。
メレンゲ等に使えば無駄にならないというのはわかっているがそんな面倒なものを作る気にはならない。
醤油と混ぜた卵を、炊き立てのごはんにかけて適度に混ぜて、温度が落ちないうちに急いで、かつよく味わいつつ食べます。
ごはんが多すぎると「たまごかけごはん」でなく「たまごまぶしごはん」になってしまうので、分量のバランスには気を使います。
ごはんの量によっては最初から卵を二個使います。
薬味として混入していいのは、小口ねぎのみじん切りくらいです。
ねぎの風味はたまごの味を引き立てますが、海苔の風味は私にはたまごの味を殺す方向に感じます。
ともすれば口蓋部に張り付くのもたまごかけごはんを堪能するには邪魔。
Mr.Motoさんの「玉子かけごはん」よりもーっと「下衆な食い物」だと思うのですがいかがでしょう。
アレンジとして、納豆(私の場合は引き割りでなければなりません)に上記の「たまごかけごはん用のたまご」を混入することもあります。
この場合も当然これでもかというくらいかき混ぜまくります。
納豆の粘りを最大限引き出す方法や道具が一時話題になりましたが、卵を入れればこの問題は私的にはすっきり解決です。
以上は「美学」でなく「食感の快・不快」によるオレ規定です。
「おいしい/おいしくない」はもちろん大前提ですが、
「食感の快・不快(同席する他人の食べ方によって自分に入ってくる情報としての快・不快含む)」は、私にとってものすごく重要です。
で、私は、Mr.Motoさんは「ジェンダーと食い物の関係」について論じたいのかと思っていたのですが、
もしかして要するに「自分はこういう食い物が好きである」と語りたいだけなのでしょうか。
途中からの参加なので推測ですが(このスレッドの前がわからないので)、
最初こそジェンダーと食べ物の好みの関係が絡んでる話のように見えたものの、
結局はジェンダーはどっかいっちゃっててどうでもよくなってる気がします・・・。
私は一般的に女性的とされていることに(カロリーにも)興味がない(なぜそんなことに興味がいくのか理解できない)女性です。
でも引け目を感じたことはないです。単にこれは私のオリジナリティである、と思っています。
私は女性である以前に人間だと思っているので。
確かに性差はありますが、あらゆる人間は、男性・女性以前に、まず人間だと思っているので。
レスをくださった方、ありがとうございました。
とても参考になりましたし、嬉しかったです。
シロさん
> わたしは、ごく最近、人前で自閉モードになることが、やや増えました。話し方、視線など。「普通」のふりがやりにくくなってきたのだと思います。
私の場合、「普通」を通り越して「いつも人当たりよく、誰に対しても感じのいい人でなければいけない」という刷り込みが根強くあったので、
「無理してまでそうする必要はないのだ」と気づけたことはとても大きかったです。
そして最近になってやっと、「普通」でもない、自分が楽なモードにも入れるようになってきました。
>> 一番気になっているのは「人を好きになるという感情がわからない」ことです。
> このことについてはわたし自身も書くのが難しいので触れられませんでした。
やはりそこが一番の問題点であり、困難を痛感する点だということでしょうか。
それが確認できただけでも私にはとても役に立つレスでした。ありがとう。
やんちゃんさん(「ちゃん」がついているから「さん」は不要なのでしょうか?)
> 「思いやり」とか「人間的な温かみ」とか、言葉としては知っているけど、どういう「感じ」なのかは、実感として理解できない。
「思いやり」とか「人間的な温かみ」は、キリコさんが書いている「情」に入るのではないかと私は思っています。
そのあたりなら、自分でもなんとなく感じる気がします。
> 「対人関係が苦手な人って、似たようなところがあるのかもね」、と思っただけでした。実際そういうことなのかもしれないし。私の中に自閉的な性質を持っているのかもしれないし。それは判別できない。
アスペルガー症候群とされる人が多い(数百人に一人、でしたか?)ことにびっくりしたので、
それなら「単に対人関係が苦手」な人との区別が難しいのも当然だろうなと思います。
ただ、もし「人を好きになる回路があるかどうか」があらゆるアスペルガー者に共通する根本要因なら、やはり区別はある気がします。
> 中学生までは、自分はわからないことにも、わからなくても良いことなら堂々と人に聞けるけど、分からないことなどありえないこと(くどい)は人に聞けなかった。
> さらに、分からなくても良いことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。
> でも、わからないことは、考えていてもわからないのだから。
> 「人に聞く」ことができるようになったのは大きな進歩だったと思っています。
すごくよくわかります。私は今そういう状態になっています。
普通の人にはおそらく「わかって当たり前」らしいことを、幼児のように「どうして?なんで?」と人にきいています。
> 私、自分マニアなんで(どんな日本語だ)、自分の状態ばかり観察していたからだと思います。
> 自分の状態を分析して、どういう言葉を使えば解説できるか考えて、そして物事への新たな対処法を編み出していく、という作業をずっとやっていたので。おそらく間違ったことも相当やっていると思います。
これもすっごくよくわかります。
私は幼児期からそれをいっしょうけんめいやって(母親が異常だったので、対処は「諦める」「嵐が過ぎるまで我慢する」がメインでしたが)、
中学生の頃にやっと「普通」を知って、こんどは「普通」への対処法をそういうふうに探るようになりました。
でも結局「自分の状態は置いといて、わからないけどとにかく普通のフリをする」対処をデフォルトにしてしまったので、
すごく間違ってしまったと今頃になって思っています。
キリコさん
> 想像上というか、概念では理解できるけど(本の中とかでは同化できる)でも何か違うみたいです。
> 自分の思い込みだけで、相手を見てないみたいです。基本的に自分の世界しか無いみたい。
> 相手とのスタンスも損得とか利害が有る方が理解出来るし、他は刷り込み?で得た知識でやりくり。
すごくよくわかります。
だから、キリコさんの「多分、そうだと思う」はおそらく当たってるんだと思います。
思い込みのせいでストーカーに近い行為をしてしまったことが何度かあります。
自分の中では「恋愛が成立した」と思い込んでいたので、もう一歩進めば立派なストーキングだということはまったく頭にありませんでした。
損得関係とか利害関係の方が理解できるというのも同じです。
「理由なんかない、好きなんです。説明なんかできないのが恋愛ってものじゃないかな」とか、
ドラマなんかでもよく聞くけど、実際に言われても、さっぱりわからないのです。
自分が「恋愛」と思っていた関係が、実は全部そうじゃなかったと最近になって気づいたし、
明らかにいわゆる「都合のいい女」として利用されていたこともあったので(自分から買って出てしまったんですが)、
「ちょっとでも恋愛を匂わす男性はすべてセックス目当て」とか、
「人は私の『使える』部分が欲しいからつきあっているだけで、その部分がなければ自分は相手にとって不要物なのだ」とか、
新しい「間違った思い込み」ができつつあるところで、これは危険だと自分で思っています。
(でも、それ以外の関係がやっぱりよくわからない…私自身が「なついてる」相手はいます。その相手もやっぱりあまり「普通」ではない。)
> でも「愛」が無くても「情」が有れば何とかなりますよ。悲観しないでね。
ありがとう。かなり救われた気分になりました。
自分が実は被虐待者だったと気づいたときにさんざん悲観しきったつもりだったのですが、
「(この世で何よりも大切、とか言われる)『愛』が理解できない」ということにはやっぱり絶望しそうになっていました。
>> 「自分はこういうことが理解できないから、できる範囲のことをしよう。
>> わからないことは、わかったふりをせずに人にきこう」という指標になると思うのです。
>> 「普通とは違うのだから、無理して普通の人のふりをしなくてもいいんだ」と
>> 思うことができれば、とても楽になりそうな気がするのです。
> 結局、それしか無いと思います。診断をつけて貰えても、貰えなくても、そうして下さい。
考えてみれば、本当に「それしかない」ですね。そうします。ありがとう。
> リアン・ホリデー・ウイリーの「アスペルガー的人生」が良いのでは?
レスを読んだ直後に探して即攻で買ってきました。
ゴミ出しに出るような格好のままでお財布しか持たずに街中(しかも日曜)に出た、というのは、たぶん生まれて初めてです。
そこまですぐに手にしたかったのに、やっぱり怖くて、まだ読んでいません。
怖いけれども、きっと役に立つところがあるはずだと思います。
本当にありがとう。思いきって書き込んでよかったです。
#でもやっぱりこの掲示板私には使いずらい・・・。みなさんは使いずらくないんでしょうか??
シペラス wrote:
> 先週の週刊誌SPAによると、日本の30歳台で無職の人(フリーターも含む)は355万人いると推定されるようです。
> 現在のところ自閉症スペクトラム障害の発症率は、200人に1人ということですから、この中でその疑いのある人は、
>
>3,550,000÷200=17,750人
>
>ということになります。
いや、それは多くないと思います。
200人に一人とは、考え方を変えれば自分が200人の
内の一人とはすごい事じゃないですかー。
小さいころから抱いていた疑問に、なぜ回転方向に右回りと左回りが定義でき、なぜ時計の針が回転する方向が右回りなのか? というのがあった。
回転する方向は、裏側から眺めれば反対向きになってしまうし、そもそも回転する方向について「右」か「左」かなど決められるわけがない。
時計の針の回転する方向というのは、上側→右側→下側→左側→上側という順序があるだけで、この中にはとりたてて「右」という概念だけを特別扱いにする要素はない。
こういう疑問をなんとなく抱きつつ長い歳月が経過してしまったが、結局これは便宜上の問題であるということに気づいたのであった。
右手でネジやドライバーやつまみ、ハンドルなどを回転させるとき、時計の針の回転する方向のほうが回しやすいのである。なぜこちらのほうがやりやすいのかということは、解剖学的な問題になってくるのだろうが、小生はそのことについて詳しくない。
もうひとつの理由は、世の中には右ききのひとが多いということである。なぜ右ききが多いのかということについては、諸説あるもののいまだに確定していないらしい。
ともかく、このふたつの理由によって右回り、あるいは右巻きというのが決まったらしい。
キリコさん wrote:
>やんちゃん wrote:
>
>>中学生までは、自分はわからないことにも、わからなくても良いことなら堂々と人に聞けるけど、分からないことなどありえないこと(くどい)は人に聞けなかった。さらに、分からなくても良いことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。
>>でも、わからないことは、考えていてもわからないのだから。
>>「人に聞く」ことができるようになったのは大きな進歩だったと思っています。
>
>へ〜え〜 中高生で、そこまで解ってた?凄いね。私、分かってない事が分かってなかったよ(^^;)
>
私、自分マニアなんで(どんな日本語だ)、自分の状態ばかり観察していたからだと思います。
自分の状態を分析して、どういう言葉を使えば解説できるか考えて、そして物事への新たな対処法を編み出していく、という作業をずっとやっていたので。おそらく間違ったことも相当やっていると思います。
あと外面を非常に気にするので、、、親が世間体をものすごく(異常なくらい)気にするせいでしょうか?
外面を取り繕うのは結構得意になったかもしれません。
まあ中学生でどれだけ分かっていたか、というと、ただ単にフリーズしていただけかも知れないです。
後になって考えてみれば、そういうことだったのか、と解説できるけれども。
やはり、何が問題かわからなければ、どう対処していいか分からないものなのでしょう。
ともかくレスありがとうございます。「ありがとう」はうれしいです。
やんちゃん wrote:
>中学生までは、自分はわからないことにも、わからなくても良いことなら堂々と人に聞けるけど、分からないことなどありえないこと(くどい)は人に聞けなかった。さらに、分からなくても良いことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。
>でも、わからないことは、考えていてもわからないのだから。
>「人に聞く」ことができるようになったのは大きな進歩だったと思っています。
へ〜え〜 中高生で、そこまで解ってた?凄いね。私、分かってない事が分かってなかったよ(^^;)
>分からなくていいことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。←実は今でもしばしば陥っているのだけど、、、昔よりは減ったと思う。多分・・・。
ここんとこの表現も そうか〜そう言えばいいのか〜 と感心しました。
あ〜 それ、それ!とか思うのに自分の言葉で出て来ない。
やんちゃんの話は分かり易くていいな〜と思う。ありがと。
先週の週刊誌SPAによると、日本の30歳台で無職の人(フリーターも含む)は355万人いると推定されるようです。
現在のところ自閉症スペクトラム障害の発症率は、200人に1人ということですから、この中でその疑いのある人は、
3,550,000÷200=17,750人
ということになります。
シペラス wrote:
>シロ wrote:
>>「汁もの」の話を色々読みつつ...
>>わたしは衣服と同じで、食べ物に関心が向かいません。(少し話はズレますが、かなり長い期間摂食障害でした)。辛いものを食べたいとか、甘いものを食べたいとか、ジャンクフードを食べたいとか、丼物を食べたいとか、時々思いつくことはあります。でも食べる物に関して詳細なイメージは持ちません。
> 私は反対に「これを食べたい!食べたくない!」という強い関心があります。特にご飯にはうるさいほうで、水加減が多くてべチャットして歯ごたえがないのもダメですし、おこげも大嫌いなほうです。ワインも、最近はそうでもなくなったのですが、白でやや甘口でフルーティなものが好みです。食がマンネリがするのが嫌なので、パンの次はご飯、イタ飯の次はカレーという具合に、一日に一回は、「次に何を食べるのか?」ということを考えてしまいます。
>
>>わたしは一人暮らしですが、食べ物の買い物には苦労しています。食べ物に関して、他の方々はどうですか。(こういう話題を自分で出しながら、苦手な感じがしています。だからもうわたしは、この話題で発言しないかもしれませんが)。
> 何か料理本を買って、一個食べてみたいのを決めて、その材料のみ買って料理を作り、あまったのは次回の料理に使えばいいと思います。
> 初めまして、タイラント零式です(HNが怖そうかもしれませんが気にしないで下さい)。私も記憶はありませんが(当たり前)、乳児の時離乳食が食べれなかったと聞いています。
シロ wrote:
>「汁もの」の話を色々読みつつ...
>わたしは衣服と同じで、食べ物に関心が向かいません。(少し話はズレますが、かなり長い期間摂食障害でした)。辛いものを食べたいとか、甘いものを食べたいとか、ジャンクフードを食べたいとか、丼物を食べたいとか、時々思いつくことはあります。でも食べる物に関して詳細なイメージは持ちません。
私は反対に「これを食べたい!食べたくない!」という強い関心があります。特にご飯にはうるさいほうで、水加減が多くてべチャットして歯ごたえがないのもダメですし、おこげも大嫌いなほうです。ワインも、最近はそうでもなくなったのですが、白でやや甘口でフルーティなものが好みです。食がマンネリがするのが嫌なので、パンの次はご飯、イタ飯の次はカレーという具合に、一日に一回は、「次に何を食べるのか?」ということを考えてしまいます。
>わたしは一人暮らしですが、食べ物の買い物には苦労しています。食べ物に関して、他の方々はどうですか。(こういう話題を自分で出しながら、苦手な感じがしています。だからもうわたしは、この話題で発言しないかもしれませんが)。
何か料理本を買って、一個食べてみたいのを決めて、その材料のみ買って料理を作り、あまったのは次回の料理に使えばいいと思います。
「汁もの」の話を色々読みつつ...
わたしは衣服と同じで、食べ物に関心が向かいません。(少し話はズレますが、かなり長い期間摂食障害でした)。辛いものを食べたいとか、甘いものを食べたいとか、ジャンクフードを食べたいとか、丼物を食べたいとか、時々思いつくことはあります。でも食べる物に関して詳細なイメージは持ちません。
外で食べ物(お菓子類を含めて)を出されてもどう反応していいのかわからない。職場での困難の一つが、食をめぐる社会的場面です。「おいしい!」と人々が言うとき、社交辞令の場合は除いて、やはり本当に「おいしさ」というものが湧いてくるのでしょうか。そうなのだろうなと見ていて思うのですが、生き生きとしたそれは、一体どんな感じ? わたしだって、「おいしい・おいしくない」を感じないわけではないのですが表明しにくいです。
わたしは一人暮らしですが、食べ物の買い物には苦労しています。食べ物に関して、他の方々はどうですか。(こういう話題を自分で出しながら、苦手な感じがしています。だからもうわたしは、この話題で発言しないかもしれませんが)。
ヒカリさん wrote:
> あ、同じ汁物でも「リゾット」は女性に人気だと思います。
> 米の状態から炒めた本格的なリゾットは面倒だけど、具がある程度ある汁物に、ご飯を入れて少し煮込むだけでリゾットになってしまいます。
> やっぱり洋風だから良いのかな?
あれも人それぞれというか、「冷やごはんは水で洗ってぬめりを取り、煮込むときはかき混ぜないようにしてねばりを出さないようにする」という“サラサラ派”と、「ねばりが出たほうがおいしい」という“ネバネバ派”の二種類がいそうに思う。ご家庭のおじやはおおむねネバネバ派であるらしく、大人になってからサラサラに出会ってハマッたという人が、おれの知人に関しては多い。
粥でも冷やごはんで作るとネバネバになり、米から炊くとサラサラになる傾向がある(もちろん米から炊いてもネバネバは作れるが)。米から丁寧に炊いたお粥は絶品だが、「お粥に自信がある」という人に(活字では知っているが)直接遇ったことがない。意外に知られていない料理という気がする。
リゾットに関しては、本場では「アルデンテ」でなければならんのだそうで、米の芯に味のないコリッとした部分がなければリゾットとは言えないそうだ。で、その状態を楽しむためには、米は大粒で芯白(しんぱく)が大きく、しかもちょっと古くなって水気が抜けた米がいいそうだ。そんなわけで、酒米(さかまい)でリゾット作ったらぜってー美味いと思うのだが、だれか試してくれんか、と思う。
おれはぶっかけ飯の白眉は「玉子かけごはん」だと思っているのだが(「いや、納豆かけごはんだ」とか「いや、麦とろだ」とかいう意見はもっともだと思うが、それは置いておいて)、これも女性に人気のないメニューではある。あれはおそらく中途半端にヌルくて見かけが美しくないからだろうな。とはいえあれも極めるとちょっと深いのだ。
まず、最近あまり見かけない蓋つきのやや大ぶりの茶碗を用意する。玉子はM玉かL玉。白身が少ないとうまくないからだ。茶碗は温め、玉子も人肌よりちょっと温かいくらいに温めておくといい。冷蔵庫から出してすぐではうまくいかない。
温めた茶碗に熱々のごはんを装(よそ)う。熱々が無理ならごはんを装ってから電子レンジで温めること。次にごはんの中央に窪みを作り、そこに割った玉子を落とす(言わずもがなだが殻は入れるなよ(-_-;)。それから黄身も潰さないこと)。
で、そのまま蓋をして三十秒ほど待つ。なぜかといえば、玉子の白身というのは黄身より固まりにくいのだ。だから、先に白身をとろとろ状態になるまで固めてやるのである。そうしたら(蓋を開けて)中央の黄身を崩さないようにごはんと白身を絡め、しかる後に黄身と混ぜるのである。理想的にはごはん粒の周りに白身の層ができ、さらにその外側に黄身の層ができるのがいい。そこに細かく刻んだ切り海苔を散らし(揉むと粉が出る。なお、海苔が重なると、ちと喰いにくいので、ひと並べ程度)、黄色と黒のコントラストを楽しんだのち、醤油をかけて混ぜながらかっこむのである。これを「金(きん)メシ」という。海苔は散らさずに、切り海苔(名刺サイズぐらいの長方形のやつ)で包むようにして醤油をつけて喰ってもいい。
……そう、こんなふうに「玉子かけごはん」のような、料理とも言えんような食い物に凝ってしまうのが、男だという気がする。自閉が男に出やすいというのと、何か関係があるやも知れぬ。
(Mr.Moto)
Mr.Motoさん wrote:
>みどりさん wrote:
>> 「男は人間関係を上下関係で捉え、女は遠近関係で捉える」とかいうのは生物学的な根拠がありそうだし役割分担という面である程度対置できるものかもしれないが、「男は味噌汁が好き」なんていうのは「男には“汁”の文化がある」と考えたほうがわかりやすい。汁かけ飯だとか、ラーメンの汁に対するこだわりとか、具の多い味噌汁があんまり喜ばれないとかいうのは男に多く、反面女性は「汁」というのに敬意を払わない。男が煮魚の汁を飯にぶっかけて喰ったりすると厭な顔をする女性は多いし、塩分や油分の取りすぎになるからラーメンの汁は残せとか、栄養を考えると具だくさんのほうがいいとかいうのは女性に多い。
>> 「汁」自体が料理だという認識が多くの女性に欠けている……すなわち女性に「汁の文化」がないことに関しては、ちょっと研究する価値がありそうに思う。
>
> 『暮しの手帖』ではるか昔にアンケート調査を行なったところ、男と女では味噌汁が好きかどうかで有意な差が出た。味噌汁好きは圧倒的に男性に多いのである。あるいは「汁の滲みた飯」というのは親子丼をほとんど唯一の例外としておおむね女性に不評である。吉野家の牛丼(大盛つゆダク)を一人でかっ喰らってる女性というのは、あんまり見ない。というか、ウケ狙い(ひょっとしたら自分自身に対する、すなわち自分の「女性らしさ」否定)ではないかと勘ぐらざるを得ない。
> また、ラーメンの汁にはどれだけ金がかかっているかを知っている私としては、男にとっては「残してはいけない」ものであるラーメンの汁に関して、女性の「残すともったいない」というタブーは働かないのか?と不思議でたまらなかった。
> で、私の知る範囲では、女性にとってはラーメンの汁というのは「健康上、残さなければいけないもの」として定着していて、身近な男性(夫や子供)に対しては「残せ」と迫るべきものだったりするのだ。
> 考えてみると、ぶっかけ飯だとかラーメンだとかいうのは、基本的に「下衆(げす)な食い物」であり、「女性が喜んで食べるべきものではない」とされているらしい。したがって、そこには「うまい/まずい」とかいった視点しかなく、「美学」のようなものは働きようがない。男には「B級グルメ志向」は確かにあるが、女性雑誌のカレー特集で蕎麦屋のカレーはどうあるべきかとか大衆食堂のカレーの場合お冷やのコップにスプーンが突っ込んでなければならないかとかいった話が取り上げられた例をおれは知らない。
> そんなわけで、男の文化としての「下衆な喰いモン志向」っつーのが「汁」に集約されとるような気がするのだよ。
汁のお話、面白いな〜と思いつつ読んでました。
私自身はいわゆる男性の好みに近いんでしょうね、具があると避けるし、何でもぶっかけご飯にしてしまうし。
親子丼以外は丼もの大好きだし。
話が逸れますが、カップラーメンってあんまり麺に力を入れてないような気がするんですよね。
中には麺に力を入れた商品もあるんですけど(ノンフライ麺とか)
せっかく汁がおいしいのに、油揚げ麺だと頭痛がしてしまう私にとってはちょっと辛いです。
だから口直しにラーメンご飯を食べてしまいます。
太ってるのに。
そんな訳で、いわゆる女性の気持ちとしてわかるのは「カロリー」です。
それ以外は「うまい/まずい」で選んでます。
あ、同じ汁物でも「リゾット」は女性に人気だと思います。
米の状態から炒めた本格的なリゾットは面倒だけど、具がある程度ある汁物に、ご飯を入れて少し煮込むだけでリゾットになってしまいます。
やっぱり洋風だから良いのかな?
ねこまんまとそう変わらない気がします、私としては。
おいしいなら何でも良いんですけどね〜。
こだまさん wrote:
>>シロさん wrote:
>>髪の毛をかわいらしくピンでとめたり編んだり等々できない。
>>「女の子には2通りあるんだ。…(略)憧れました。
>
>
>↑これ、まるで私が書いたようではないのと思いました。
>髪の手入れは私もどうしても苦手です。
>でも、なるべく手入れしやすい髪型にすること、マメに美容院に行くことで大分解決しました。
>行きやすい美容院を見付けることと話の通じる美容師さんを見付けること、これは結構大事かも。
私もピン、それと髪ゴムには悩まされました。
中学のときは校則で、「髪が肩より長い場合は結う」ということが決められていました。
でもピンはうまくとめられない、髪を左右に二つに分けることも出来ない、髪ゴムを自分で結ぶ(わっかにする)こともできなかった、しかもなくす。
ほんと、おしゃれどころじゃなかったな。
無精をしているだけで校則違反になったのも辛かったっけ。
美容院、私も行ってみたいとは思っているのですが、どうも行けないです。
今更、美容院に一人で行けないと親に言ってもバカにされるだけ。
でも自分がどう動いたら良いのかわからないし・・・。
初めての人用にマニュアルとか作って欲しいです、ほんとに(バスとか電車なども初めてのときは困った…)
りる さんwrote:
こんにちわ。初めまして。参考になるかは解らないですがレスさせて頂きます。
>一番気になっているのは「人を好きになるという感情がわからない」ことです。
>これは、親から愛情を受けなかったためなのかと思っていましたが、
>根本的に自分にそういう回路がないのだとすれば、悲しいですが納得がいきます。
>今まで何度か"恋愛"関係を作りましたが、どれも「わかったつもり」で、
>本当に人を好きになったことはないのだと思います。
ん〜多分、そうだと思う。。心の中を人と比較する事が出来ないからハッキリ言えないですけど。
想像上というか、概念では理解できるけど(本の中とかでは同化できる)でも何か違うみたいです。
自分の思い込みだけで、相手を見てないみたいです。基本的に自分の世界しか無いみたい。
相手とのスタンスも損得とか利害が有る方が理解出来るし、他は刷り込み?で得た知識でやりくり。
でも「愛」が無くても「情」が有れば何とかなりますよ。悲観しないでね。
>「自分はこういうことが理解できないから、できる範囲のことをしよう。わからないことは、わかったふりをせずに人にきこう」という
>指標になると思うのです。
>「普通とは違うのだから、無理して普通の人のふりをしなくてもいいんだ」と
>思うことができれば、とても楽になりそうな気がするのです。
結局、それしか無いと思います。診断をつけて貰えても、貰えなくても、そうして下さい。
>ちなみに、アスペルガー症候群関連の本は一冊も読んでいません。
>一般に出版されている本は玉石混交だと思うので、ハズレかもしれないものにお金と労力を使いたくないという理由からです。
>ドナ・ウイリアムズの著書はとても良いとききますが、
>「共通点、共感する部分」を見つける期待よりも、「違う」と判断できてしまう材料を見てしまう怖さの方が先立ちます。
>同じ理由で、ドラマ「君が教えてくれたこと」も見ていません。
リアン・ホリデー・ウイリーの「アスペルガー的人生」が良いのでは?
これまで何とか普通の生活を送ってこれた「軽度」の人には1番、近いと思います。
りるさん wrote:
>一番気になっているのは「人を好きになるという感情がわからない」ことです。
>これは、親から愛情を受けなかったためなのかと思っていましたが、
>根本的に自分にそういう回路がないのだとすれば、悲しいですが納得がいきます。
>今まで何度か"恋愛"関係を作りましたが、どれも「わかったつもり」で、
>本当に人を好きになったことはないのだと思います。
ああ。このあたり私と同じだわ。「思いやり」とか「人間的な温かみ」とか、言葉としては知っているけど
、どういう「感じ」なのかは、実感として理解できない。結構昔から気づいていて、どうも、もともと私の範疇にないんだわ、と感じていました。
ただ、私自身は、それで直ちに「アスペルガー症候群」と断定するつもりはないです。
ドナさんや森口さんの本についても、あまり自分と似ているとは思わなかったです。細かいところで、私と似たことをやってるわ、と思うところがあるけど、「対人関係が苦手な人って、似たようなところがあるのかもね」、と思っただけでした。実際そういうことなのかもしれないし。私の中に自閉的な性質を持っているのかもしれないし。それは判別できない。
>「自分はこういうことが理解できないから、できる範囲のことをしよう。わからないことは、わかったふりをせずに人にきこう」という
>指標になると思うのです。
>「普通とは違うのだから、無理して普通の人のふりをしなくてもいいんだ」と
>思うことができれば、とても楽になりそうな気がするのです。
ここも、私が高校生くらいのときに考えていたことに、とても似ています。
中学生までは、自分はわからないことにも、わからなくても良いことなら堂々と人に聞けるけど、分からないことなどありえないこと(くどい)は人に聞けなかった。さらに、分からなくても良いことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。
でも、わからないことは、考えていてもわからないのだから。
「人に聞く」ことができるようになったのは大きな進歩だったと思っています。
分からなくていいことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。←実は今でもしばしば陥っているのだけど、、、昔よりは減ったと思う。多分・・・。
私の場合、実生活でかなり「なんとかなっている」んですよね。
昔は緘黙でガチガチでしたが、今は、しゃべるときはしゃべる。黙っているときとしゃべっているときのギャップが激しいですね。
うまく対処できているというより、やばい場面からうまく逃げる技が身についてきているのかも??
あと、今いる環境がたまたま自分にあっているのでしょう。
毎度ながら、アドバイスなどできませんで、ただの無駄話でした。言いっぱなしで失礼します。
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