アスペルガーの館の掲示板(旧)
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ヒカリさん wrote:
>たまに出没する(「ひかり」改め)ヒカリです。
あたしもたまに出没するsatie ADHD LDです。
うちの弟もASとADHDが混じってるような感じです。生育歴からしてみても
人と直接コミュニケーションを取る事もなく、部屋はあれ放題(あたしよりも)外見は20代なのに、母親が購入してくる服をきています。無頓着というか、もっときちっとした格好をすれば似合うと思うのですが、本人はそれよりか、ネットゲームに夢中で、あとこんな事もありました。
うちに帰ると、カギがないので、仕事にいかないといけなかった弟は、窓ガラスをぶち割り、家に侵入して、(MIみたいですが。)今でもガラス窓は
割れたままです。
ただ、皆が皆ASの人がそうとは云っているわけではないのであしからず。うちの弟の場合はということです。
>私は診断されている他のAS者を見たことがないのでよくわかりませんが、同じクラスにいた明らかにADHD+LDらしき男の子は、外見には無頓着でした。
>他の子たちに「不潔」と言われても。
>私は「よく見られたい」という気持ちはあるのですが、どうも実行ができません。
>リップやクリーム類がどうも苦手ということもあります。
あたしも良く見られたいと思ってはいるのですが、お洒落とかもそれなりにがんばったつもりではありますが、経済的に追いつかないので、美容院にも
半年に1度しか行きません。
洋服も某大手スーパーのショッピングモールとかあと、アウトレットで時期外れの気に入った服をそれも半年に一回かうとか。
化粧も気を付けてはいるのですが、100円均一で買ってきて、誤魔化しています。
ADHDもそれぞれ違うから、ASの人も実は化粧がこだわりだとか、お洒落する事がこだわりだとかいう人もいるんではないかなって思います。
実際お会いした事のあるASの女性はお洒落な方多かったような感じがします。
#でも何処か醜形恐怖の所があるあたし。
たまに出没する(「ひかり」改め)ヒカリです。
翻訳サービスを使って海外のページを適当に読んでいたのですが、そこでASの男の子のことが出ていました。
その男の子は、髪をとかさない・歯を磨かない・服を綺麗に着ない(毎日同じ服を着るとか、そういうこと?)など、外見に無頓着だそうです。
私も、私よりもAS気質が強い弟も、外見には無頓着でした。
小学生のときは入浴するのもあまり好きではなく、髪も1週間に1度ほどしか洗わず、いつもボサボサ。
服も母が選んでいましたし、歯もほとんど磨きませんでした。
それが私の場合、小学校高学年あたりで髪だけは手入れするようになりました。
弟は中学生になってから髪を洗うようになったみたいですが、現在でも寝癖は直そうとはしません。
私は診断されている他のAS者を見たことがないのでよくわかりませんが、同じクラスにいた明らかにADHD+LDらしき男の子は、外見には無頓着でした。
他の子たちに「不潔」と言われても。
私は「よく見られたい」という気持ちはあるのですが、どうも実行ができません。
リップやクリーム類がどうも苦手ということもあります。
AS者には外見を気にしない方が多いと思うのですが、どうでしょうか?
気にしないという方の中でも、
・外見を直す必要はないと考えている
・外見を気にした経験がない
という場合がありそうです。
あと、性差や世代の違いがあるのか、気になるところです。
みどりさん wrote:
> ここやあっちの一連の Mr.Moto氏の投稿で、このヘンが、何言いたいのかさっぱりわからないのよ……
> 論理破綻しまくってるし。いったいどうしちゃったの?と、心配したくなってしまうわ。
いや、一時期向こうのサイトの整備にかまけていて書込みを怠っていたので、発言の掘り起こしを行なおうと種を播いているのである。ツッコミどころ満載なので誰かしっかツッコミを入れてくるかと思いきや、読み筋を明記してないせいか反応が出ない。困ったものである。
> 「男は人間関係を上下関係で捉え、女は遠近関係で捉える」とかいうのは生物学的な根拠がありそうだし役割分担という面である程度対置できるものかもしれないが、「男は味噌汁が好き」なんていうのは「男には“汁”の文化がある」と考えたほうがわかりやすい。汁かけ飯だとか、ラーメンの汁に対するこだわりとか、具の多い味噌汁があんまり喜ばれないとかいうのは男に多く、反面女性は「汁」というのに敬意を払わない。男が煮魚の汁を飯にぶっかけて喰ったりすると厭な顔をする女性は多いし、塩分や油分の取りすぎになるからラーメンの汁は残せとか、栄養を考えると具だくさんのほうがいいとかいうのは女性に多い。
> 「汁」自体が料理だという認識が多くの女性に欠けている……すなわち女性に「汁の文化」がないことに関しては、ちょっと研究する価値がありそうに思う。
デボラ・タネンさんというアメリカの心理学者(女性である)が「男は人間関係を上下関係で捉え、女は遠近関係で捉える」とかいったことを主張しており、それが男女のコミュニケーション上のすれ違いの大きな原因となっている、ということを言っているのである。で、「女はそんなつもりがないのに、男性に一方的にライバル視されたり、個人的に親密になりたいのだと誤解されることが多い」とかいったことを言っており、それは男と女がそれぞれ人間関係を理解するうえで背景にしているものが違うからなのだ、とかいう話なのである。
とはいえ、「女みたいだ」「男みたいだ」とかいう表現が「侮辱」と捉えられることから分かるように、「男らしさ」「女らしさ」というのはそれぞれ「非・女らしさ」「非・男らしさ」によって支えられる部分がある。したがって男と女の行動規範が二極化してゆくのはある意味必然であって、それを女性としての生理的特性に求めるのはナンセンスであり、「女だからといって“女らしい”とは限らない」とかいうのは個性とかの問題ではなく、社会に求められる「男らしさ」「女らしさ」に従うか従わないかという選択の問題ではないか、という気がするのである。
で、“汁”の話。
『暮しの手帖』ではるか昔にアンケート調査を行なったところ、男と女では味噌汁が好きかどうかで有意な差が出た。味噌汁好きは圧倒的に男性に多いのである。あるいは「汁の滲みた飯」というのは親子丼をほとんど唯一の例外としておおむね女性に不評である。吉野家の牛丼(大盛つゆダク)を一人でかっ喰らってる女性というのは、あんまり見ない。というか、ウケ狙い(ひょっとしたら自分自身に対する、すなわち自分の「女性らしさ」否定)ではないかと勘ぐらざるを得ない。
また、ラーメンの汁にはどれだけ金がかかっているかを知っている私としては、男にとっては「残してはいけない」ものであるラーメンの汁に関して、女性の「残すともったいない」というタブーは働かないのか?と不思議でたまらなかった。
で、私の知る範囲では、女性にとってはラーメンの汁というのは「健康上、残さなければいけないもの」として定着していて、身近な男性(夫や子供)に対しては「残せ」と迫るべきものだったりするのだ。
考えてみると、ぶっかけ飯だとかラーメンだとかいうのは、基本的に「下衆(げす)な食い物」であり、「女性が喜んで食べるべきものではない」とされているらしい。したがって、そこには「うまい/まずい」とかいった視点しかなく、「美学」のようなものは働きようがない。男には「B級グルメ志向」は確かにあるが、女性雑誌のカレー特集で蕎麦屋のカレーはどうあるべきかとか大衆食堂のカレーの場合お冷やのコップにスプーンが突っ込んでなければならないかとかいった話が取り上げられた例をおれは知らない。
そんなわけで、男の文化としての「下衆な喰いモン志向」っつーのが「汁」に集約されとるような気がするのだよ。
そんなわけで、「女は上品にメシを喰わねばならん」という世間的な縛りについて論じたかったりもしたいのだが……これを『アスペルガーの館の掲示板』一人で展開しとってもしょうがないので、だれかツッコミを入れてくれんかなぁ、というのでちょいと挑発的な文章を書いてみたりもしたのだ。
おれとしては(大和和紀や高橋葉介や川原泉のマンガに出てくるような)「下衆な喰いモンが好きな大喰らいの女」というのは好みなんだがな。
(Mr.Moto)
星子さん wrote:
>発達障害者・軽度発達障害・みなさん、一体どうやって生活してるんでしょう?
>施設利用したって月5000円程でしょう。
あたしは知的障害なんですが、療育手帳は取得出来ないので、普通のバイトをしています。精神障害の方で申告すればもしかしたら手帳を取得出来るかもしれないといわれた事がありますが、デメリットが多いらしいので、手帳を取得していません。施設はなので利用出来ない事になります。
医師やカウンセラーにはあたしの不出来さを充分伝えてはいるのですが、
まぁ、以前いったように女なので結婚すれば何とかなるだろうとかADHDなんだから、得意な事を見つければ良いじゃないか?
いう誤解があるのでしょう。今の世の中結婚すれば何とかなる等とはあまっちょろいです。結婚していらっしゃる人もこの中にいると思いますが、結婚してどうにかなった人はいるのでしょうか...。悩む事や問題や辛い事は沢山あるだろうに...。
得意な事を見つける余裕がある人っているのでしょうか?
おそらく、みな得意な事を見つける為にも余裕なんてかましておられず、
汲々な日々を送っているのではないでしょうか?
(キュウキュウという漢字あってたかなぁ...。??)
余裕とは経済面だけではなく、精神面も含むんですが。
一番、ベターな方法として、施設に通い、ボランティアで通うというのが
あたしには必要な事らしいんですが、うちの大蔵大臣が「あたしに出来て
あなたに出来ぬはずがない!!」とあたしの不出来さを過信していらっしゃるので、渋々バイトに行き、自己評価を下げて帰ってきて、努力しても普通の人よりも劣るという事でかなり不安定就労を送っています。
うちの大蔵大臣は転職は多いですが、出来なかった事がほぼない人なので、
あたしが出来ない事はわからないらしいです。
シペラス wrote:
>シペラス wrote:
>>ひま人 wrote:
>>>これにくらべて、ASの抱える社会との関わりにおいて生じる問題はかなり厄介だと思う。仕事が十分にできるのに、本人がASであるという理由だけで解雇される
>>>ということはあまりなく、むしろ逆に、利口そうなのに成績が伸びなかったり、途中から伸び悩んだり、学力や学歴がある程度高いのに、実行力が伴わなかったり、状況が把握できず、へまをやらかすといったようなことになる。過大評価というのも完全に言い当ててはいないし、逆差別だ! というのも当たっていない。
>>>他の障害者団体らといっしょになって、「差別反対」というキーワードのもとに運動を展開するというのも的外れな感じがするし、社会の手厚い保護のもとに管理(監視か?)されるべきか弱い存在。というアピールをするのもどうか。
>>>こういうことで、どういう戦略をとるべきかの判断はきわめて困難な感じがする。
この問いに対する答えは、「とにかく何か社会の中で、自らできそうなことを探して、引き受けて(チャレンジして)みる」ということだと思います。それが我々自身ならびに回りの人たちが、ALAAHFA(アラーファ:AS・LD・ADHD・高機能自閉症の略、)の人々のことを理解する・してくれるきっかけになるでしょう。
しかしこれは、ALAAHFAに限らずメンタル的な問題を持っている人にとっては、とてもエネルギーを消耗することかもしれません。いきなりフルタイムで会社へ週5日連続出勤ということは、心身をすり減らしてしまうでしょう。だから最初は、食後の皿洗い・トイレや台所のの掃除くらいの、いわゆる家庭のお手伝いをしたり、自治会主催の団地の芝生の草取りや街路のゴミ拾いのようなボランティア活動に参加してみるのが得策だと思います。
不平をあれこれいうよりも、下手でもいいから一緒になんか行動したほうが、皮肉なことに、人の理解というものが、案外得られやすいものなのかもしれません。時間はかかりますが…
う、削除したばか長い投稿に入れ違いでフォローがついてしまった……(汗)
Mr.Moto wrote:
>たとえばテレビのバラエティ系情報番組なんかで、「昔ながらの××と○○(←食べ物)の組合せには、科学的根拠があった!」とかよくやってるが、べつに昔の人は発ガン予防のために焼き魚に大根おろしや酢橘(すだち)を使っていたわけではなくて、単にうまいから喰っていたのだろうと思う。
結論が「身体にいいものをオイシイと感じるのだ」なら、すごく納得するのだが。(でも「身体に悪いものっておいしいよね」も成り立つのが不思議だ。専門外だし、頭痛くなりそうなので今は考えないけど)
> 「男は人間関係を上下関係で捉え、女は遠近関係で捉える」とかいうのは生物学的な根拠がありそうだし役割分担という面である程度対置できるものかもしれないが、「男は味噌汁が好き」なんていうのは「男には“汁”の文化がある」と考えたほうがわかりやすい。汁かけ飯だとか、ラーメンの汁に対するこだわりとか、具の多い味噌汁があんまり喜ばれないとかいうのは男に多く、反面女性は「汁」というのに敬意を払わない。男が煮魚の汁を飯にぶっかけて喰ったりすると厭な顔をする女性は多いし、塩分や油分の取りすぎになるからラーメンの汁は残せとか、栄養を考えると具だくさんのほうがいいとかいうのは女性に多い。
> 「汁」自体が料理だという認識が多くの女性に欠けている……すなわち女性に「汁の文化」がないことに関しては、ちょっと研究する価値がありそうに思う。
ここやあっちの一連の Mr.Moto氏の投稿で、このヘンが、何言いたいのかさっぱりわからないのよ……
論理破綻しまくってるし。いったいどうしちゃったの?と、心配したくなってしまうわ。
みどりさん wrote:
> 私が言いたかったのは、先天的に差があるかどうかに視点を持ってくのは意味がないと言うこと。
> いくら先天的に差があろうが、本質と無関係の区別は正当化できない差別にすぎないということ。
別の言い方をすれば、「本質的でない要因に原因を帰属させるのはそれ自体偏見である」ということなんだろうな。たとえばテレビのバラエティ系情報番組なんかで、「昔ながらの××と○○(←食べ物)の組合せには、科学的根拠があった!」とかよくやってるが、べつに昔の人は発ガン予防のために焼き魚に大根おろしや酢橘(すだち)を使っていたわけではなくて、単にうまいから喰っていたのだろうと思う。
> とはいえ、私は先天的と後天的の違いはあんまり意味がないと思うし、そんなことを議論するより、グルーピングのしかたを直すべきだと思う。
厳然として“ある”違いであっても、文化的なもの、すなわち「あるからあるのだ」的なものであることはけっこう多い。「日本人はなぜお茶に砂糖もミルクも入れないのか?」とイギリス人に訊かれたら、「入れないから入れないのだ」と答えるしかない(抹茶アイスというものがあるのだから、入れてまずいことはあるまい)。むしろ、なぜイギリス人は砂糖やらミルクやら入れるのか、と訊きたいくらいのものである(「砂糖なんか入れるな」というイギリス人は多い。ジョージ・オーウェルがそうだった)。
つまり、みどりさんのいう
> カオスとかそういう現象を見るとわかりますが、この論理は成り立たないんです。
> 最初の差はごくごくわずかだったり、場合によっては逆転していたりする可能性も十分あるので。
> たとえば……関東と関西でエスカレータの立つ側が左右逆なのはなぜか。先天的な差はそれほどなくても、どこからか明確な違いができあがってくる、ということはよくあるのです。
といった形で、文化として定着したのだろうと思う。
> ここのところのランチ仲間の同僚(男性)が、何の話をしても「ああ女性はそうなのかもね」「いや男性はそうは思わないよ」「女性は普通そうはしないんじゃない?」って反応で… どうもすべてのことを性差に持っていかないと話が進まないという。
> 私はといえば、普段は「男性は〜」「女性は〜」という分け方をする発想がないので、もうどう反応していいやら。
> 「やっぱり女性って〜〜なの?」と言われたって……そんなこと男女で分けて比べて考えたことなんてないもん、わかるわけないじゃんっ。私は自分や友達、たった一人二人の話をしていただけなのに〜〜。
> ……という話でした。
「男の文化」「女の文化」というのは確かにあるのだが、それは対置されるものではないので、二分法で切り分けようとする発想というのがそもそも貧困であるように思う。
「男は人間関係を上下関係で捉え、女は遠近関係で捉える」とかいうのは生物学的な根拠がありそうだし役割分担という面である程度対置できるものかもしれないが、「男は味噌汁が好き」なんていうのは「男には“汁”の文化がある」と考えたほうがわかりやすい。汁かけ飯だとか、ラーメンの汁に対するこだわりとか、具の多い味噌汁があんまり喜ばれないとかいうのは男に多く、反面女性は「汁」というのに敬意を払わない。男が煮魚の汁を飯にぶっかけて喰ったりすると厭な顔をする女性は多いし、塩分や油分の取りすぎになるからラーメンの汁は残せとか、栄養を考えると具だくさんのほうがいいとかいうのは女性に多い。
「汁」自体が料理だという認識が多くの女性に欠けている……すなわち女性に「汁の文化」がないことに関しては、ちょっと研究する価値がありそうに思う。
(Mr.Moto)
えー、私はひま人さんと正面切って対決してるわけじゃないんです。
グチというかヨタ話です。(そこ説明すんの忘れてました。すみません。)
なんでひま人さんの投稿に反応したかというと、一つは、最近色々思ってたことに関連していたので単に刺激されたってのと、あとは、いくつか細かいところに気になるポイントがあったので。
私が言いたかったのは、先天的な傾向に差があろうがなかろうがあまり意味がないと言うこと。
しかし、「先天的に差があるのだから」という主張は、全員に差があるかのように聞こえて副作用が大きすぎる。(実際、昔から明白な差別を正当化する根拠とされてきた。白人がアジア人や黒人を差別するときにも使ってきたし。)
フェミニストと言われる人たちは、そこを訂正せずにはいられないのだと思う。(そこの反論の仕方が下手だと、「先天的に差がない」と言っているように聞こえてしまうかもしれないけど)
逆に言えば、いくら「先天的な傾向に差がある」ことを証明しても、彼らが納得するはずはないし、なんの解決にもならない。
実際の問題は、先天的な傾向の違いがあるかどうかではなく、 (先天的だろうが後天的だろうが) 集団の性質で個人を取り扱ってしまうことにあるのだから。
なので、先天的かどうかなんてことを議論するより、安易なグルーピングのしかたを直すべきだと思う。
……という話でした。
昨夜の投稿では「気になった細かい点」への反論とか(「ここの論理はヘン」とか「そこは事実と違う」とか)、またなぜ最近色々思ってたかなども書いたのですが、オフトピックな上にあまりに長くなっちゃったんで、その部分を削除して投稿しなおしました。
みなさんおはようございます。
昨日9月11日は、アメリカの同時多発テロ事件から1周年ということで、日テレで、ニューヨークの消防士への密着取材中に、WTCビルの崩壊というクライシスに遭遇し、現場のビルの中で・ビルの周辺でカメラを回しつづけたフランス人兄弟
のとった、崩壊していくビルの内外の凄惨な様子を放映していました。兄弟の滞在先の消防署の署員が、全員帰還しお互いの無事を確かめ合い・ビルの崩壊に巻き込まれた消防士たちを気遣うシーンが印象に残りました。カメラマンの弟がとったビルの瓦礫が煙幕のごとく、道路へ降り注ぐシーンはとても恐かったです。
みなさんにもこれほどではないと思いますが、ぞーっとする体験があると思います。(>。<!)
そこで質問です。
あなたのこれまでの人生の中で、一番衝撃的だった出来事は何ですか?
みどり wrote:
>ひま人 wrote:
>>「話を聞かない男。地図が読めない女」とかいうタイトルの本がベストセラー
>> になったらしいが、この本が刊行される10年以上も前から、男女の好みの違
>> いなどの性差は先天的なものであると指摘した本が出版されていた。
>
>私はオンナだが、話を聞かず地図は読める。ついでに生まれつき寒色が好きだ。
>なぜこういう話をするかというと、「傾向」はあくまで「多数派」を示しているに過ぎない、ことを強調したいのだ。
そうです。そのとおりです。
>統計をとれば、きっと男女の先天的な傾向の違いはあるだろう。それにはまったく異論はない。白人と黒人にだって先天的な傾向の違いがあるだろうし、日本人とそれ以外、にだってきっと先天的な傾向はある。ひょっとすると血液型にだってあるかもしれない。
>しかし、それを元に「○○人はこうで○○人はこうだ」と言うのは間違っている。
そう言ったつもりはありませんよ。そのような受け取られかたをするような書き方をしていたなら、それはこちらの責任かもしれませんが。
それは○○人の中の少数派にとっては迷惑きわまりないことなのだ。統計はあくまで統計は「多数派」を示しているに過ぎない。そういう物言いや区別をしたら、少数派から「差別だ」と言われるのは当然のことだ。
みどりさんは、どのようになれば納得するのでしょうか?
>集団の性質と個体の性質をごっちゃにする間違いが、世の中にはまかりとおっている。
>「話を聞かない男…」の本にしても、「男脳女脳」という名前をつけるからおかしくなるのだ。「A脳、B脳」としておいて、男性にはA脳が多く女性にはB脳が多いとか言っておけばもっと正確だし、なにより不要な偏見をうまずにすむのに。
そうですか。僕も「男脳女脳」という言い方には賛成しませんが、
>#本の中には、これはあくまで傾向だと書いてはあるけど、題名ほどのインパクトはないからね。
>青い靴と赤い靴。子供にあげるときにどちらを選ぶのがいいか。
>本人が赤が好きだと言っているのに、男の子だから青の方が好きなはずと言って青を押しつけられたら、きっと不条理に思うだろう。
たしかにそういう人もいるでしょうが、それは少数派であり、押し付けられたからだけではありませんよ。このことについて僕に文句を言われても仕方ありません。そういうことが少数派への偏見につながると反感を持たれるのは結構ですし、そのことについて批判されても結構です。
>こうやって統計と個体差の違いを忘れると、不条理な差別がうまれる。
忘れていませんよ。むしろ僕なんかは、極端な個人の能力差を無視してみんなに一律平等に教育を施さなければならず、能力差はすべて教育を施す側の責任であるかのごとく強弁する悪平等的な考えには批判的です。だからこそ批判的材料のひとつとして採り上げたわけです。
>もしかしたら、アスペルガー症候群の人の犯罪性向率は先天的に高いかもしれない。データがないからわからないけど、その可能性はなくはない。
>しかしたとえそうだとしても、「アスペルガー症候群の人は犯罪を起こしやすい」という言い方は不条理なのだ。集団の統計を元に、そこに属する個体もそうだと断定させてはいけない。
>グルーピングが必要なときは、本質的なところでグルーピングをしよう。
>赤が好きか青が好きか。スポーツが得意かどうか。日本語が話せるかどうか。そのときどきの話題に応じた本質的なグルーピングをするべきだ。
小生の言いたいことがうまく伝わっていないみたいです。ASがかりに犯罪率が高いとして、だからひとり個人のASも犯罪予備軍として扱うのは間違っている。ということでしょ。僕の言いたいことも同じようなことです。
整理しましょう。
男の子は一般的に、機械的なものに興味を持つ。(これに対しては、、)
→だからといって、すべての男の子が機械に興味を持つわけではない。好みはさまざまであり、違いがあってもいいではないか。
(フェミニストの言う)男女に差があってはならない。(これに対して)
→だからといって、生まれつきに備わっている傾向性の違いまで否定してはならない。じっさいにはかなりの部分が本人の好みに基づいてそうした傾向性が生まれているにもかかわらず、そのすべてをフェミニストは教育やしつけや環境のせいにしようとする。これこそ悪平等であり、悪しき教条主義にすぎない。
女性は一般に、話を聞く能力に長けているが、方向音痴であり地図が読めない。しかし中にはみどりさんのような「話を聞かず、地図が読める」女性もいる。女性の大多数にそうした傾向があるからといって、それとは違ったみどりさんのような女性の存在は間違っており、大多数の女性の傾向性に合わさなければならないということはないでしょう。
これと同じ事ですよ。性差があってはならない。かといって、性の違いに基づく傾向性を否定するということは、まさに女性というカテゴリーの中におけるみどりさんの特徴を「あってはならないこと」として否定することに通低することではないでしょうか。
例えばですよ、たいていの女性は上記のような特徴があるのに、みどりさんがそれとは違った、むしろ男性的な特徴があるのは、本人の個性ではなく、教育やしつけや環境が間違っていたからそんなふうになってしまったのだ。だから、大多数の女性の傾向に合うように、みどりさんを教育し直さなければならない。
こうもりです。今回は他の人たちに任せきりですが、わかる範囲でお
答えします。
オレンジケーキさん wrote:
> お久し振りです。オレンジケーキです。ご無沙汰しておりました。。
>ところで、オフ会についての質問なのですが、いつも東京で開催されて
>いるのでしょうか?
次回は10月26日に東京で開かれます。レインダンスの会と言って
、スポーツ大会などを企画しております。
> 「一度、参加してみたい!」とかねがね思っているのですが、実は私
>は九州在住なので、東京となると、遠くてなかなか参加できないのです。
>もう少し近ければ、と思うのですが、今後もう少し南方〜例えば岡山や
>大阪など〜で開催される予定はありますか?
> また、オフ会南日本支部みたいなものはあるのでしょうか?
福岡の自主グループに知り合いがおり、時々オフ会を開催しておりま
す。わたしも1年に1度ぐらいは顔を出しています。ご興味があれば、
ご紹介することは可能です。
ただ、そのグループは必要以上にオープンなサイトに公表できないの
で、DMでご連絡をくださるとありがたいです。
(連絡先)seijinld@msg.biglobe.ne.jp
お久し振りです。オレンジケーキです。ご無沙汰しておりました。。
ところで、オフ会についての質問なのですが、いつも東京で開催されているのでしょうか?
「一度、参加してみたい!」とかねがね思っているのですが、実は私は九州在住なので、東京となると、遠くてなかなか参加できないのです。もう少し近ければ、と思うのですが、今後もう少し南方〜例えば岡山や大阪など〜で開催される予定はありますか?
また、オフ会南日本支部みたいなものはあるのでしょうか?
非常に手前勝手な質問で申し訳ないですが、オフ会幹事の方、教えてください。
ひま人 wrote:
> ほんとうに徹底的にこの問題に取り組む気があるのなら、こうし
> た人たちが提出する、男女差の大部分は生来のものであるという
> ことを否定するデータを集め、真正面から論戦に挑んでみてはど
> うか。
戦略的に、生物学的本質主義の議論の土俵に乗らない人も、中には
いると思います。生物学的男女差がこの世界の成り立ちの基盤にあ
るということを人々が当然のように思考の大前提に持つこと自体に
疑問を投げかけるわけです。なぜすぐそこに立ち戻るのかと。すぐ
そこに立ち戻る意識があるために、男女によって役割・賃金etcが
異なる社会を近代になって過剰に作ってきてしまってのではないか
と問うのです。事実として生物学的男女差があることは否定せずに。
例えば、ASか非ASか、ということがすべて人々の意識の前提にあっ
てもいいわけです。現実はそうではないですが。でも、みどりさん
が「グルーピングが必要なときは」という表現を使っていましたが、
ここではそうですね。
ひま人 wrote:
>「話を聞かない男。地図が読めない女」とかいうタイトルの本がベストセラー
> になったらしいが、この本が刊行される10年以上も前から、男女の好みの違
> いなどの性差は先天的なものであると指摘した本が出版されていた。
私はオンナだが、話を聞かず地図は読める。ついでに生まれつき寒色が好きだ。
なぜこういう話をするかというと、「傾向」はあくまで「多数派」を示しているに過ぎない、ことを強調したいのだ。
統計をとれば、きっと男女の先天的な傾向の違いはあるだろう。それにはまったく異論はない。白人と黒人にだって先天的な傾向の違いがあるだろうし、日本人とそれ以外、にだってきっと先天的な傾向はある。ひょっとすると血液型にだってあるかもしれない。
しかし、それを元に「○○人はこうで○○人はこうだ」と言うのは間違っている。それは○○人の中の少数派にとっては迷惑きわまりないことなのだ。統計はあくまで統計は「多数派」を示しているに過ぎない。そういう物言いや区別をしたら、少数派から「差別だ」と言われるのは当然のことだ。
集団の性質と個体の性質をごっちゃにする間違いが、世の中にはまかりとおっている。
「話を聞かない男…」の本にしても、「男脳女脳」という名前をつけるからおかしくなるのだ。「A脳、B脳」としておいて、男性にはA脳が多く女性にはB脳が多いとか言っておけばもっと正確だし、なにより不要な偏見をうまずにすむのに。
#本の中には、これはあくまで傾向だと書いてはあるけど、題名ほどのインパクトはないからね。
青い靴と赤い靴。子供にあげるときにどちらを選ぶのがいいか。
本人が赤が好きだと言っているのに、男の子だから青の方が好きなはずと言って青を押しつけられたら、きっと不条理に思うだろう。
こうやって統計と個体差の違いを忘れると、不条理な差別がうまれる。
もしかしたら、アスペルガー症候群の人の犯罪性向率は先天的に高いかもしれない。データがないからわからないけど、その可能性はなくはない。
しかしたとえそうだとしても、「アスペルガー症候群の人は犯罪を起こしやすい」という言い方は不条理なのだ。集団の統計を元に、そこに属する個体もそうだと断定させてはいけない。
グルーピングが必要なときは、本質的なところでグルーピングをしよう。
赤が好きか青が好きか。スポーツが得意かどうか。日本語が話せるかどうか。そのときどきの話題に応じた本質的なグルーピングをするべきだ。
それが面倒だからといって、男か女か。日本人か外国人か。白人か白人でないか。そんな安易なところでグルーピングして話を進めるから、ややこしくなるのだ。
ビーグル wrote:
>
>> まずは、保健所や精神保健福祉センターへ、相談ということで、行ってみて義兄さんが抱えている問題点を整理してみて、その結果何らかの障害があることが濃厚ということになれば、医療機関を紹介してもらうというほうが、この場合は良いのではと思います。発達障害の専門医は、まだ日本には150前後しかいないのが多少難点だとは、思います。
>
>「保健所などへの相談へ行こう」と本人に提案すれば、良いのでしょうか。
>「なぜ、保健所に行かないと駄目なの?」と思わないでしょうか。
「がんばっても、仕事がなかなかうまくいかないのは、もしかすると、何かメンタル的な問題を抱えているからかもしれないよ。」とでも、切り出せば良いのではと思います。
お返事をありがとうございます。
思いきって、掲示板に投稿して良かったと思っています。
>偉いぜ!この人はよく我慢できたと思いますよ。
私は兄がこの1年で3回転職していると聞いた時、このように兄のことを
見ていませんでした。「3回かあ...。どうして うまくいかないのだろうか...。」みたいなことを考えていました。
でも、この発言を見て 兄は3回も挑戦していたんだということを
気付かせてくれました。
自分なら自分が苦手としていること、自信のないことを3回も挑戦できるだろうかと考えました。
自分なりに一生懸命しているのに、思うように結果がでないし、まわりには「どうして?なんで?」と言われたら、もう、何をしたらいいのか自分でも
わからなくなるのではないだろうかと思いました。
まずは、兄に3回も挑戦することを良しと思っていたまわりの人間が
考え方を変えていく必要があるのでは...と思っています。
> まずは、保健所や精神保健福祉センターへ、相談ということで、行ってみて義兄さんが抱えている問題点を整理してみて、その結果何らかの障害があることが濃厚ということになれば、医療機関を紹介してもらうというほうが、この場合は良いのではと思います。発達障害の専門医は、まだ日本には150前後しかいないのが多少難点だとは、思います。
「保健所などへの相談へ行こう」と本人に提案すれば、良いのでしょうか。
「なぜ、保健所に行かないと駄目なの?」と思わないでしょうか。
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