アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
初めまして。
14歳でASの診断を受け、17歳で自己認知、そして現在19歳の深蒼と申します。
ここの掲示板はたまに覗く程度でしたが、
今回どうしても皆様にお聞きしたい事があったので、思い切って書き込ませて頂きました。
先日心療内科の方に行った所、主治医の方から
「リタリン(朝2錠、昼1錠)」と「ルボックス(朝1錠、夜1錠)」を処方されました。
(薬の処方は今回が初めてです)
しかし、いざ飲むとなると色々不安が募ってしまい、
今、飲むべきか飲まざるべきか非常に悩んでいる状況なのです。
(主治医からある程度薬についての説明は受けたのですが、それでも不安で……)
そこで、この薬についての事をより詳しく教えて頂きたいのです。
特に、飲んだ時の効果(ASそのものの症状にに効果があるのか、それに誘発されて起こる二次症状を抑えるためのものか)
と、副作用の程度(殊に、ASならではの「特長」を殺してしまう事はないのだろうか?)
について教えて頂けると大変嬉しいです。
突然このような事をお願いしてしまって本当に失礼とは思いますが、
今の時点では皆様以外に頼れる方がいないので……
それでは、どうかよろしくお願いします。
#最後に、乱文の方失礼致しました。
木犀の 香り漂い 秋の風
コスモスや 色様々に 咲誇り
夕焼けに 青ののあさがお しぼみゆく
彼岸花 燃える火衰え 着る長袖
里の秋 うたいて思う 自立とは
これはあくまでsatieさんの観察ではなく、123さんの観察
だぞ、と。ただし、断っておくと123さんを荒らしとみなしている
訳ではないんだな。
satieさん wrote:
>何だか、知的障害者、もしくは発達障害者を見下しているような気がして
>仕方がないのです...。
>
>もし、123さんが今のお仕事を続けていかれるのならば、もっと障害者に
>歩み寄るという部分が必要なのだろうと思います。単に「仕事だし、別に
>この仕事に一生を捧げるつもりはない」と思われているのでしたら、別に
>歩み寄らなくても仕事は捌けるかと存じます。
>
>知的障害のあたしがいうのも何なのですが、このままですと123さんはい
>つか仕事で躓く事もあり得るかもしれません。
ちょっと思ったのだが、123さんは既に仕事につまずいてしまってい
る可能性があるんだな。コメントの中で、123さんの語る発達障害者の
イメージがあまりにも悪すぎるぞ、と。事実かどうかは別にして、と。ボ
ランティア先ではここに来ているメンバーよりは予後が悪いと思われる発
達障害児・者とも出会ってきたが、そこまで悲観的になったことはなかっ
たんだな。
考えられるのは2つ。1つは本当に123さんの支援がうまくいってい
ない場合。もう1つは123さん自身の精神がむしばまれはじめていて、
発達障害児への共感度が低くなっていたり、ご自身の支援の成果を肯定的
に受けとめることができなくなっている場合。
以前、地元で障害者支援を携わっている職員が区報に障害者を皮肉るよ
うな川柳を掲載して問題になったことがあるのだが、発達障害者支援を職
業とする者が障害者やその家族が集まるようなサイトで発達障害者を見下
すようなコメントを流すのは尋常ではないんだな。発覚すれば「障害者や
その家族の信頼を損ねた」という理由で職を失ったり処分を受ける危険性
だってあるし、と。
支援がうまくいってないにしろ、本人が病んでいるにしろ、123さん
が支援で行き詰まっている(あるいはそう感じている)可能性だけはおお
いに考えられるぞ、と。本人が医学的・心理的な治療を受けるか、スーパ
ーバイザー(支援関係者に助言を与える専門家)の助言を受けておくこと
をお薦めするぞ、と。ちなみにスーパーバイザーの助言を受けることは支
援関係者として恥ずべきことではなく、むしろ優秀な支援関係者ほどこれ
をうまく活用しているように思えるんだな。
以上、Motoさんのコメントにも触発されて、ちょっとだけ123さんに
対する助言を行っておいたんだな。では、と
123 が♀であることを祈る。♂だと犯罪に至る可能性が高くなるからだ。
このタイプは奉仕すべき相手の無力さにつけこんで自分の支配欲を昂進させる。
子供や障害者をたわめることで自力の満足感に浸る。聖人なり損ない型だな。
あ,折れここで一番,柄わりぃんだ。123 みたいのを誘発してる張本人か。
悪かった,引っ込もう。
シロ wrote:
>ご自分の母親が、「障害児に関する仕事」をしていたにもかかわらず、「適切な関わり方と受容姿勢」の上に立って仕事をしていなかったことを恥じておられるのでしょうか。それが「非常に重いカミングアウト」になるとは、自分自身のことのように、それがつらいのでしょうか。
その通りです。
>もしそうだとしたら、りるさんが自分自身のことのように母親について責任を感じなくていいのだということを強くお伝えしたいと思います。
ありがとう。
そのことは、頭ではわかってはいるのですが、
「自分はあのような恥ずべき人間の子である」という後ろめたさから脱することができずにいます。
>「貶められた人たち」に対して罪悪感のようなものを感じていらっしゃるのでしょうか。もしそうだとしたら、それは個人史の中でりるさんが(目撃者として)与えられてしまったハードな課題かもしれないと思います。
これもその通りです。
母親との関係と、それに起因する自分自身の感情等の問題については自分の中で処理済のつもりなのですが、
生育家庭の呪縛から脱して、さて自分自身の人間関係は、という段階に来たところで
(そこで出会って思い当たったのがアスペルガー症候群という概念でもあるのですが)、
どうしてもこの問題はついてまわります。
それはやはり、生育歴(個人史)に起因する問題は生涯ついてまわるということなのでしょう。
>わたし自身は10代のときに年単位で精神病院に入院し様々な体験をしました。そのことを思い出しながら、これを書いています。
このことについてはなんともレスができませんが、
シロさんが、ご自分のこと(シロさんが与えられてしまった課題?)を思い出しながら、
私の投稿から私自身の「課題」を読み取って上のようなレスをくださったのだと伝わります。ありがとう。
りる wrote:
>以下は非常に私的なことなので、ここに書くかどうかずっと迷っていたのですが、
>こうもりさんが書かれたことに触発されて、やはり書いておきたいと思いました。
>私にとっては非常に重いカミングアウトです。
ご自分の母親が、「障害児に関する仕事」をしていたにもかかわらず、「適切な関わり方と受容姿勢」の上に立って仕事をしていなかったことを恥じておられるのでしょうか。それが「非常に重いカミングアウト」になるとは、自分自身のことのように、それがつらいのでしょうか。もしそうだとしたら、りるさんが自分自身のことのように母親について責任を感じなくていいのだということを強くお伝えしたいと思います。「貶められた人たち」に対して罪悪感のようなものを感じていらっしゃるのでしょうか。もしそうだとしたら、それは個人史の中でりるさんが(目撃者として)与えられてしまったハードな課題かもしれないと思います。わたし自身は10代のときに年単位で精神病院に入院し様々な体験をしました。そのことを思い出しながら、これを書いています。
123さん wrote:
(前略)
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
>このBBSを読んで複雑な心境です。
失礼ですが、それでは私たちという存在は何なのでしょうか?
私自身についていえば、自分自身が発達障害者だという認識を持ったのは30代になってからですが、遅まきながらでも認識を持つことだってあります。彼らは、今はまだ認識できていないだけ、という可能性もあるのではないでしょうか?(あくまで、私自身の想像にすぎませんが。)それに、「このBBSを読んで…」とありますが、今までのログをきちんと読んだ上での書き込みとは、ちょっと考えづらいです。
>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
再度、私自身についてですが、自分が天才とは考えたことはありません(「自分に何ができるのか?」という問いは今もありますが)。また、今まで、私と同じく当事者の方にお会いして話をした限りでは、そういう人はいませんでした。
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
上記の、自分自身への問いと同時に、「障害を受容し、どうやって共生(「共存」と言ってもいい)していくか?」また、「どうやって社会の中で生きていけばよいか?」というのが、現在の私自身の思いです。
上記の、障害児・者のご家族の方々が奮闘しておられるように、私たちにも、また違った現実があります。ここの皆さんも、いろいろ奮闘していますよ。それぞれ抱えている事情・思いは他の皆さんがたくさんお書きになっていますが、私たちの側にももしかしたら、毎日を生きていくこと、そのものが戦いだという人もいるかもしれません。
知的障害児・者と関わる仕事をしているのですから、これからも今の仕事を続けていきたい、とお考えでしたら、発達障害についても勉強なさってみてはいかがでしょうか?ご自分が知らなかったことを知る、という意味でも良いと思いますよ。それでは。
123さん wrote:
レスを付けようにもこの投稿、結局何を言わんとしているのか今ひとつ把握できません。
この掲示板の発言(全体?)の批判をされていることは分かるのですが・・・。ここの「彼ら」「貴方方」というのがいったい誰をさしているのでしょうか。「彼ら」と「貴方方」は相反する人々なのですか?また「彼ら」は全部同じ対象を指しているのでしょうか??
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
↑これはどういう主旨なのでしょう?
たとえば、「すばらしい才能があるのを受け入れない社会を非難するのにとどまるのではなく、具体的にどうすれば受け入れられることができるかを障害者の側から考えるべきだ」ということなのか?
たとえば、「能力の高いものが、知的障害を抱えている人々を視野にいれずに勝手なことを言っている」ということなのか?
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
↑この結論は、どこから出てきているのでしょうか?
今の状態では、同調も反論もできませんので、もう少し端的に説明していただけたらな、と思います。
123 wrote:
>自分がアスペルガ−だという人達、彼らの才能は珍しく、すばらしいものがあります。
>しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
>実際の彼らと接したことはありますか?
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
>貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
>具体的に何ができるのですか?
>LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
>
では逆にAS+ADDという診断を受けている私から、あなたに質問させて頂きます。
あなたが「才能がある(@:@)」ということで、尊敬できると感じる人物は、どんな人ですか??
123 wrote:
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
123さんの書き込みは、この掲示板の書き込みをちゃんと読んで書いたものとは思えません。ここに書き込みをしている皆さんは、知的障害を伴うASの方々やその御家族同様、自分の居場所を探し奮闘している人たちだと、私はこの掲示板を読んでいて思います。
私の場合、ASの知識がそんなに深いとは言えず、私に限って言えば、自分をASだと考えるのは単なる甘えかもしれません。自分のいろんな面での不器用さや弱さを障害のせいにしたいだけかもしれません。でも、幼い頃から、「普通の人」はこんなときどうするのか?「普通の人」はこんなときなんと言うのか?と考えながら生きてました。人とコミュニケーションがうまくとれないもどかしさを感じなが生きてきました。そんな気持ち123さんには分からないでしょうね。
知り合いの養護学校の先生が言っていましたが、教員の多くは、重度の子を受け持つ能力のある教員ほど力があると考え、自分の力に自身のある人は重度の子を受け持ちたがるそうです。でも、その先生が子供達を見ていて思うことは、一番扱いが難しいのは重度の子よりも境界人である軽度の子供達だということだそうです。軽度の子達は、自分が普通の人と違うことを感じとり悩み、自分の障害を受け入れることがなかなかできないそうです。その子たちを癒すことのできる教師ほど、本当に力のある教師だとその先生は言っていました。
だいたい今どき、実際に知的障害に関する仕事をしている人が、
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
なんて、考えていること自体かなり驚きです。
私には正直、重度の人と軽度の人でどちらが大変かはわかりません。知的障害児の放課後クラブでボランティアをしていましたが、そこに来ていた子達はほとんど重度の子達でした。そして、その子達は、自分でやりたいのに、やれないもどかしさ、大人から離れたいのに、離れられないもどかしさに苦しんでいました。どこかに遊びに行くのも、買い物に行くにも、差別の目やいろんな問題が待っていました。本人も大変ですが、家族の方々も本当に苦労なさっていました。「コーヒー一杯飲む時間が欲しい」と切実に話してくれたお母さんがいました。だから、重度の子の方が楽だなんて、私は思いません。ただ、障害の程度によって、問題となる事柄が違ってくることは確かだと思います。ですから、当然、その問題の解決のしかた、緩和のしかたも異なります。知的障害を伴わないASの場合、手帳の交付や、社会的保護を受けることができず、また、障害を理解してもらうことが、重度の人よりも難しいことくらい、123さんにも想像つきますよね。だからこそ、こういう掲示板によって、互いの悩みや思いを打ち明け、それに対して返答しあうことが、いかに励みになるか、考えてほしいと思います。重度の知的障害を伴うASの子の親御さんたちのためのHPはけっこう多いですが、軽度のASの人を対象にしたHPは私の探した限り、とても少なく、この掲示板の存在はかなり貴重です。
ところで、その放課後クラブの子供達の中には自閉症の子達がいました。私は彼等を見ていて、自分の中に彼等に似ている部分を見い出しました。ほんとは遊んでほしいのに、そういう表情ができない、気持ち。遊んで欲しいけど、近づいてほしくない、自分の領域を犯してほしくない、気持ち。いっそ、1人でいる方が楽だ、という気持ち。「自閉症の子たちは人と関わりたいなんて思わない」と言う人もいますが、指導員さんは、自閉症の子たちも本当は人と関わりたいと思ってると信じていたし、その他の面でも彼等の可能性を信じきっていました。そして、彼等は少しずつだけど、指導員さんの期待に答えていました。期待が過剰すぎても重たいばかりですが、やはり、教科書上の知識だけで、勝手に相手の可能性に線を引いてしまうような人には知的障害児(者)と関わる仕事は向いてないと思います。
なんだか、話がそれてしまいましたが、自閉症やASという障害は(すいません、この2つの違いがあまりよく分ってません)けっこう曖昧で、診断も難しく、一概にこういものだとは言えないはずです。その症状は1人1人様々で、障害の程度も、重度からごく軽度まで様々。知的障害を伴う自閉症やASの人の場合、知的障害の程度と、自閉症・ASの程度とは比例するものではないことくらい、知的障害者に関わる人なら常識だと思っていました。なのに、自分の障害を認識しているから、本当のASじゃないと断定するなんて…。
なんだか、まとまりもないし、感情的できつい文章になってしまったでしょうか?最近、自分ではそんなつもりはないのに、「毒舌だねえ」と言われています。幸いにも、私はそういったところを、楽しんでくれる人たちに囲まれているので何とかやっていますが。
長くなってごめんなさい。
そろそろ状況がヤバくなってきたので、荒し退治の専門家として定評のある(あるんだよ(-_-;))おれの出番のような気がしてきた。
123さんの発言に対しては、ほとんどケナし一辺倒である。これをやると Maria が言っていたように、またぞろ「ASの攻撃性」だの「そういうふうに高慢ちきで傲慢でひねくれた物の考え方をするから、社会から拒絶されるのだ。もっと謙虚に、そして素直になれ」だの「あなたがたは人間としての優しさに欠けている」だのといった反論が出る。
で、そうした発言の尻馬に乗って、「私は123さんの発言にとても共感したし、123さんの発言が悪意からなされたものだとも思いません。もっと謙虚に123さんの発言を受け止めることはできないのでしょうか?」みたいな発言が出てくるのだ。ああ、見える。おれには見えるぞー!(←それはあたしの芸風だって(-_-;) by Maria)
そりゃまあねぇ、123さんの発言がある意味「素朴な感情」から出ているであろうことは想像に難くありません。ありませんとも。ええ、ありません。ですがねぇ、こうも反論ばかりが並ぶ、というのは並み大抵のことではないわけですよ。この『アスペルガーの掲示板』は立場のバリエーションが豊富なこと希有な掲示板なのですが、その『アスペルガーの掲示板』においてこれだけ反論が並んだ、ということを重く捉えたうえで、123さん擁護に回るかたは発言していただきたい。なまくらな秩序論など振り回すと大怪我をいたしますぞ。
まあ、言いたいことは分かります。自閉症児だアスペルガー症候群だ、ADD児だADHD児だ、そういった子どもの面倒をみるのがいかに大変か、といった苦労はよくわかります。
ですがねぇ、それはそういった学習障害児を、社会秩序から外れた野生児・野蛮児・野獣とみなすか、独自の価値観を持ったある種の自然児とみなすかという、接する側の態度にもよるんです。「自分にとっての扱いにくさ」を「人間的としての能力の欠如」とみなしちゃあ、そりゃまあ相手はなつきません。おそらくは子どもらに拒絶されます。その場合、問題は子どもにあるのではなく、大人の側にあります。そういうのは「関係障害」といって、心理学や看護学においては重要なテーマとされております。そういうのは信頼関係、つまりラポールの形成に失敗しておるのですよ。
おそらくは123さんは、「自分こそが本当に子供達を理解しているのだ」という自信と、「私は子供たちのために身命を損(なげう)っているのだ」という理念のもとに発言しておられるのでしょう。そんな自分がなぜ責められなければならないのか。あるいはそんな人がなぜかくも総スカンを食わされるのか。そういった怒りを持った人が必ずや現れると思うのだ。
やめておきなさい、とおれは忠告しておこう。その前に自分自身の「正しさ」に疑いを持ちなさい。およそ人類の罪というものは、すべて正義の名のもとに行なわれているのである。自分は間違っていないと信じているから、理念を持って行なっているからこそ、より大きな悲劇を生むことがあるのですよ。で、それを知っている人たちによって、あなたは叩かれるでありましょう。あなたの信じている正しさや信念は、決して免罪符にはなりません。
そんなわけで、とりあえずおれは忠告した。もちろん出てきたらボロクソに叩くから恨んでくれるなよ(^_^;)。
(Mr.Moto)
あつみさん wrote:
>じっくり見つめないと、もうにっちもさっちも行かなくなっている状況です。
実は、人様のことは言える状況ではなくて……わたしも八方塞になりそうです(苦笑) ピンチなのかチャンスなのか?どうしたいのか自分に問いかけているのですが、答えが出ません。偉そうなこと言ってごめんなさい。
>ご主人もあさかぜさんと似た資質をお持ちなのでしょうか。 もしそうでない場合、コミュニケーションが難しくはないですか?
似た者夫婦です。先日、姑からもそう言われました。とても不満そうに(笑) つまり、資質としては同じものを持ち合わせているわけです。が、育てられ方が違いました。それが双方の違いとなって現れているように感じています。
わたしが気をつけていないとコミュニケーションがほとんど成り立ちません。夫はそんなことは気にしないので。
わたしはあまり長いこと人としゃべらないでいると、話す能力が失われてしまうような気がすることがあります。本当は能力が失われるわけではなくて技術が落ちる程度なのでしょうが、夫と話しても回復に役立つわけではなくてイライラするので、外に出て友人か知人と話したいな〜と思うことがときどきあります。でも今はそれがほとんどできないので、ストレスが溜まります。人と話せば話したでまた状況によってはストレスになるんですけどね。
自分と似た資質を持たなくても、コミュニケーションがむずかしいということはないだろうと考えます。お互いの努力があれば。
>自分と共通した資質を持たない相手と、生活を共にすることは、できるものなのか、最近考えています。その試みが彼との同居でもあったわけですが。
生活を共にするには、資質が共通であったとしてもどうしようもないことがあると思います。対人交渉技術が必要な場面というものがあると思うので、より得意な者が苦手な者をカバーする形になるのですが、いつもおんぶにだっこで自ら学ぼうとしない者と一緒に暮らしていると疲れてしまいます。(←うちの場合のことですが)
あるいは努力してもどうにもならないという資質であったとしても、感謝を示すという方法もあると思います。ひとつひとつ学んでいけば決して身につかないわけではないとは思うのではありますが……道は限りなく遠かったりします。何年何十年というスタンスで学ぶ姿勢が必要になるかも?
う〜〜む。また思考困難になってしまいました。すみません、これにて失礼いたします。
123 wrote:
>実際の彼らと接したことはありますか?
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
>貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
>具体的に何ができるのですか?
>LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
123さんの言う「彼ら」とは「知的障害があり、自閉症/LD/ADHD/アスペルガーで、自分の障害を認識していない子ども」であり、123さんの言う「貴方方」とは「自閉症/LD/ADHD/アスペルガーで、自分の障害を認識している(しつつある)成人」ということなのでしょうか。
もしそうだとしたら、123さんの言う「彼ら」の少なくとも一部は、年月が経てば123さんの言う「貴方方」になるかもしれません。わたしはそう思うのですが、123さんは、そうは思われませんか。
多くの方々がレスを返していらっしゃるので今さらとは思いましたが、書かせていただきます。
123さん wrote:
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
娘は県立こども病院で診断を受けたアスペルガー症候群で、小学校の情緒障害児学級に在籍しております。どう育て、どう守り、ともにこの社会を生き抜いていこうかと日々試行錯誤をしている母親でございます。
わたし自身は未診断ですがASと認識しており、夫も自覚のないASであろうと確信しております。世間様から見れば変わった家族でありましょうが、本人たちはいたって真面目に生きているつもりでございます。娘を育てていくためのサンプル(研究材料)のひとつとしても自分自身(と夫)の存在価値があると思っております。発達障害児の親である以上、我が子のための専門家となりサポーターとなることを生きがいと感ずることもおおいにございます。
これもまたひとつのありかたと認めていただければ幸いに存知ますが、いかがなものでしょうか。
ちなみに、とある自閉症児の親御さんはネットを駆使していらっしゃいますが「うちは自閉症だから、アスペルガーには興味ありません」と、アスペ関連サイトは見ないと明言しておられました。彼女のはっきりした物言いを聞いた時にわたしはショックを受けましたが、それもありだと今は思っております。
この掲示板と出会って、わたしがどれほど多くのものをもらったことか……。123さんのおっしゃる“家族”から、うちは抜いておいてくださいませ。よろしくお願い申し上げます。
28歳で「高機能自閉症」の診断を受けた鷲羽丸です。
123さん wrote:
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
これは「ここの掲示板の投稿は、彼らの心情を無視したものである」という意味ですか?
>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
論理が飛躍していませんか?
わしは今まで、何人かのAS・ADHDの方々と会って話をしましたが、「自分は天才」などと考えるような人はいませんでしたよ。
むしろ、「私は障害があるのだから、障害そして社会とどう付き合っていくか」を、念頭に考えている人がほとんどです。そちらを考える方が少なくとも有益ですから。
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
わしの個人的な意見ですが、家族の方々がこの掲示板を見たからと言って、深刻な気持ちになるとも思えません。「ああ、このような考えもあるのだな。」程度でしょう。
Washu-Maru
123さん wrote:
> 知的障害児に関する仕事をしています。
> 私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
> 持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
> 一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
> そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
> このBBSを読んで複雑な心境です。
> 自分がアスペルガ−だという人達、彼らの才能は珍しく、すばらしいものがあります。
> しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
> 実際の彼らと接したことはありますか?
> 彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
> そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
> 貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
> 具体的に何ができるのですか?
> LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
> もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
> 社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
> 必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
> 自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
> このページを見ないことを、私は祈ります。
じゃん、黒 Maria だぞ。
どうしてこういう叩き甲斐のある投稿がうち(『雑魚亭BBS』(http://users.hoops.ne.jp/joshya/bbs/)。よろしく)には来ないんだぁ(←そりゃまあ人徳の差という奴ではなかろうか(^_^;) by Mr.Moto)、とやや落込みつつコメントさせていただきます。
……とはいえ勢いづいて全文引用してしまった。管理人さんごめんなさい。で、相変わらず文章長いです。メンバーの皆さんごめんなさい。m(_ _)m
えー、こういう書込みに勢いづいてコメントを返すと、「“本当の障害児”はあなたがたのように反論できるような能力はない」だの「“本当の障害児”はあなたがたのように人を攻撃するようなことのできない素直で優しい子どもたちだ」とかいった反論が返ってくるのが見え見えなので、素人さん(っつーのも妙な表現なのだけれど)は沈黙を守っていたほうがいいのだけれど、まあ書いちゃったんで反撃を受ける前に防衛線を張っておくことにします。
> 知的障害児に関する仕事をしています。
> 私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
> 持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
子どもたちはあなたの所有物でもなければ、あなたが一から十まで面倒をみてあげなければ何もできない無能者でもありません。まず、子どもたちの人格を尊重するところから話を始めましょう。
> 一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
> そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
それは単に、「発達の遅れた子どもが自己の認識に至るのには時間がかかる」ということなのではないでしょうか。
あたしはたまたま言葉の遅れはありませんでしたが、「異常なほど精密な話し方」をする子どもだったそうです。それはあたしが「言語的に優れていた」わけではなくて、「普通の(健常の)子どもと同じやりかたではなく、そうしたやりかた(=異常なほど精密な話し方)で言語を習得した結果、他の普通の(健常の)子どもと同程度の(教育の場における)言葉のレベルに至ることができた」だけのことです。日常における意思や感情の伝達に関していうと、こうした(=異常なほど精密な)話し方ではうまくコミュニケーションが行なえないため、「ことばの不自由」があるという点では他の学習障害(知的障害を含む)の人と変わるところがありません。
はっきりと「障害」と認知できるタイプの子どもは診断が早い段階で行なわれる反面、自分がその「障害」を認識し理解できるまで成長するのに時間がかかり、「障害」と認知できないタイプ(この掲示板の面々です)は社会にある程度適応してはじめて「自分の中の、どうしても社会と相容れない部分」に気づきます。
あたしたちのようなタイプ(高機能で言葉の遅れがそれほど目立たないタイプ)以外に、認識(病識)を持っている人がほとんどいないというのは、ある意味当然、ないし必然であるように思いますが。
> このBBSを読んで複雑な心境です。
こういう言い方は失礼であることは重々承知の上で言うと、それは普段から物事を深く考えていないからではないでしょうか。あたしたちは相当にややこしい状況に置かれており、人生について深く考えていない人たちにすんなり理解されるような「わかりやすい」生き方をしてはいません。
> 自分がアスペルガ−だという人達、彼らの才能は珍しく、すばらしいものがあります。
> しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
「珍しくない才能」は「アスペルガー固有の才能」とはたぶん認められませんので、「アスペルガー的な才能」、すなわちイディオ・サヴァン的才能ということを考えると、おそらく「社会で認められる才能はほとんど皆無に等しい」と言えるでしょう。
ですが、「ある問題に対して、普通の(健常の)人々とは異なった(=自閉的な)アプローチで臨むことによって、高度な能力を発揮する」人々というのは少なからず存在します。そのためにも、あたしたちは「発達障害児に、普通の(健常の)子どもと同じようにふるまうことを強制する」のではなく、「それが普通の(健常の)子どもにとっては不自然なことに見えたとしても、発達障害児にふさわしい育てかたによって、能力を活かす」というアプローチが望ましいと考えているわけです。
> 実際の彼らと接したことはありますか?
逆にお尋ねしますが、学習障害児として育ち、生きたことはありますか? その経験を踏まえて、学習障害児をどう育てるべきか、あるいは学習障害児がどう育てられることを望んでいるかを考えたことがありますか?
> 彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
> そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
あたしたちが学習障害児として生まれながら、社会にかろうじて適応し、受け入れられることがなぜ可能だったのか、そのへんを深く考えてから発言してほしいものです。
とはいえ、あたしたちはべつに「まだ適応していない」障害児・障害者に対して勝ち誇ろうとは思っていません。「少なくとも、現在いる場所にまで到達することができた」という経験から得た知識(サバイバル技術?)を役立ててほしいと思っているだけです。
> 貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
普通の(健常の)人々とは異なっている、ということです。そのことは、しばしば世の中において(特に問題解決に関わる部分で)有利に働きます。
> 具体的に何ができるのですか?
普通の(健常の)人々とは異なったやりかたで無理なく生きることができます。それはしばしば普通の(健常の)人々が望んでも得られない境地だったりします。
> LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
123さんが、「LDやADHDは、自分の障害を認識できない」と信じておられるなら、その質問自体が無意味です。「認識している」ならば、LDでもADHDでもないはずですから。
> もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
> 社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
あなたは、「障害者は自分の才能や能力を信じたり誇ったりしてはいけない」と主張なさるわけですね?
なお、あたしは、自分に才能があるために、あたしが障害者であり、あたしのその才能が本質的にその「障害」の「症状」そのものであるということが信じてもらえなくて苦労しています。
「あなたは立派に生きているのだから、自分のことを障害者だなどとは言ってはいけない」と言われ、自分が障害者であること、障害者として生きることを否定されて傷ついている人がどれだけ多いかを、123さんはご存じないようですね。
> 必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
> 自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
> このページを見ないことを、私は祈ります。
間違った祈りを捧げても神罰や佛罰は当たんないそうですが、イエス先生が言うには「人前でこれ見よがしに祈るのはみっともない」そうです。
なお、一部の専門家は、障害者本人やその保護者にこの掲示板にアクセスすることを奨めているそうです。ケース・バイ・ケースあるいは善し悪しだとあたしも思いますが、この掲示板を見て生きるのが楽になったというひとも、あたしの知るかぎりけっこうおられます。
「普通の(健常の)人々と同じようにふるまうこと」は、「社会に適応する」という目的でいうとせいぜい“努力目標”でしかなく、「前提」ではないんです。障害者でなくたって、「なんでも横並び」という日本の社会における一般的風潮を疎ましく思っているんですから。
あたしはモラリストをモラリストであることだけによって否定はしませんが、「自分がいやいや従っていること」を他人に強制して意趣返しをすることをモラルと勘違いしている輩は、「質の悪い病人」だと思っています。
過去に自分が受けた行為を「正しいこと」として他人に行なうのは、専門的にいうと「反復強迫」の一つの典型的なパターンです。
他人が「自分自身として生きる」ことにあれこれ口を出す以前に、ご自分がちゃんと「自分自身を生きて」いるかどうかお考えになったほうがよろしいのでは?
(Maria)
123さんへ。
当方、以前、ある医師から、「あなたのケースの場合はそんなに障害x2と考えない」とか「あなたはこの職種は絶対勤められないでしょう」と言われていますが、その言葉に逆境して生きております。
仕事はバイトではありますが...。
何だか、知的障害者、もしくは発達障害者を見下しているような気がして
仕方がないのです...。
もし、123さんが今のお仕事を続けていかれるのならば、もっと障害者に歩み寄るという部分が必要なのだろうと思います。単に「仕事だし、別にこの仕事に一生を捧げるつもりはない」と思われているのでしたら、別に歩み寄らなくても仕事は捌けるかと存じます。
知的障害のあたしがいうのも何なのですが、このままですと123さんはいつか
仕事で躓く事もあり得るかもしれません。
こうもりさんの123さんに対するレスは、充分に納得するに足る、筋道の通ったとても適切なレスだと思います。
123さんが理解してくださればいいのですが。
以下は非常に私的なことなので、ここに書くかどうかずっと迷っていたのですが、
こうもりさんが書かれたことに触発されて、やはり書いておきたいと思いました。
私にとっては非常に重いカミングアウトです。
こうもり wrote:
> 二言だけ苦情を言うのであれば、123さんはどうしようもなく発達
>障害者が低く評価しているように思えます。発達障害児の発達の可能性
>があまり信じられていないようにも思えます。もし上記のような考えで
>発達障害児と施設で関わり続けているのだとすれば、確かにそこの発達
>障害児はそれ以上発達できないでしょう。病識を持つこともできないで
>しょう。才能を生かすこともできないでしょう。精神論をぶつつもりは
>ありませんが、発達障害児の発達はサポーター(家族,支援者)が「い
>かに障害児の障害を受け入れつつ、障害児の発達の可能性を信じてきた
>か」という点に左右される部分はあると思います。もちろん、元々の発
>達障害自体の重さも無視はできないのですが。
私の母は「知的障害児に関する仕事」をしておりました。
「関する」にとどまらず、「専門家」と認識され、「先生」と呼ばれる立場の職にありました。
職場では、もちろん知的障害をも含む重度心身障害を持つ方に接し、
家では、自分の子である私のIQが高く(母自身がテストしたのですが)、学校の成績も良いことを誇り、
私と、仕事で接する障害を持つ方とを比較して、しょっちゅう重度の障害を持つ方々をひどく貶める発言をしていました。
更に、母はアスペルガー的特性を持つ私を扱いかねたのか(私はASとの診断を受けておりませんが自己確信しつつあります)、
私は幼児期から「可愛くない」「生意気な」と言われ、
他の様々な「母の私に対する関わり方」からも総合して、結果的に、
現在私は、母から情緒的な虐待とネグレクトを受けたと認識しています。
123さんを母と同類だというふうに結びつけるつもりはありません。
123さんは、単に知識不足なだけの、いわゆる「善意の第三者」なのではないかと推測します。
「障害児に関する仕事」をしている方々の中で、いったいどれだけの方が、
「適切な関わり方と受容姿勢」の上に立ってそういった仕事をしておられるのか。
私はずっと考えています。
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