アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: ウィリアムズの人々 14327へのコメント
No.14328  Fri, 4 Oct 2002 14:22:23 +0900  7紙産 [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> ウィリアムズ症候群(Williams syndrome)という病気があります。
>

>・妖精(Gnome)様顔貌
> 小さく反りかえった鼻、ふくれた目、楕円形の耳、小さな顎によって強調される唇がいっぱいに伸びた大きな口。
>
 この前、ウィリアムズ症候群と思しき女性がTVCMに出てたけど正直言ってキモイ・・・・・・・・・・・・・・・


ウィリアムズの人々
No.14327  Fri, 4 Oct 2002 13:30:32 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 ウィリアムズ症候群(Williams syndrome)という病気があります。

 1961年に、ニュージーランドの心臓医ウィリアムズ(J. C. P. Williams)が、「小児患者の一部に、共通した多くの特徴がみられる」と報告されてから知られるようになった。先天性の疾患で、発生率は約二万人に一人。第7染色体の一部が僅かに欠損しているのが特徴。

 主症状は心雑音と主要血管の狭窄。なかでも大動脈弁の収縮による大動脈弁上狭窄症(supravalvular aortic stenosis; SVAS)を患っていることが多かった。

 これ以外の特徴としては、以下のようなものがあった。

・妖精(Gnome)様顔貌
 小さく反りかえった鼻、ふくれた目、楕円形の耳、小さな顎によって強調される唇がいっぱいに伸びた大きな口。

・発達障害
 乳児期に食物を摂ることが困難。胃痛・便秘・ヘルニアなどに悩まされる。眠りが浅く、過剰なほど周囲の刺激に反応する。これらの反応は、ウィリアムズ症候群のひとつの顕著な兆候である血中カルシウム量の上昇によって引き起こされることもある。
 子供たちは成長するにつれ、枯れたような声を発し、肉体的にも精神的にも発達障害を示す。平均21か月ぐらいで歩きはじめ、つま先立ちのような歩きかたをする。たいていの場合、生涯そのぎこちなさが残り、繊細な運動機能も損なわれている。
 さらに、雑音に対して過剰な反応を示すほか、しばしば同年代の健常者より背が低く、年齢のわりに老けてみえる。例えば、白髪まじりで、若くしてしわができることがある。

 しばしば音楽に豊かな感性を示し、驚異的な音楽の能力を発揮する人も少なくない。たいていの作業には短時間しか集中力を持続できないのに、音楽を聞いたり歌ったり楽器を弾こうとする場合には、多くの人が驚異的な持続力を発揮する。ほとんどの人は楽譜を読めないが、ある人々はほぼ完璧な音感と超人的とも言えるリズム感を身につけている。

 IQは低く、40から100まで幅があるが、平均は60。しかし、IQが低いにもかかわらず、語彙は精神年齢から期待される以上に豊富で、健常な子供よりも豊かな表現力を発揮する傾向がみられた。絵から物語を創作する課題では、ダウン症の子供が一般に低い成績しか上げられないのに対し、ウィリアムズ症候群の子供は、しばしばよく構造化された物語を創作することができた。

 また、青年期の患者を対象に

   YYYYYYYYYY
   YYYYYYYYYYYYY
   YYYY    YYYY
   YYYY     YYYY
   YYYY     YYYY
   YYYY    YYYY
   YYYYYYYYYYYYY
   YYYYYYYYYY

のような画像を記憶し再現させると、ダウン症の場合は全体の形(‘D’)は記憶しているが細部を無視する傾向にあり、ウィリアムズ症候群患者の場合は細部(‘Y’)に注目する傾向があった。

 ウィリアムズ症候群の人々は、全体として誠実で信用でき世話好きである。そして非常に他人の気持を思いやる人々である。IQこそ低いものの、たいていは鮮烈な話術を駆使し、時として音楽の才能を示す。また、何事も秩序正しく予測が立たないと気がすまず、毎日決まりきった日課を守り、予定もしっかり守る(!)。

 なんだか他人事ではなさそうなので、調査続行中。

 (Maria)


今日の「いいとも」での発言
No.14326  Fri, 4 Oct 2002 13:26:36 +0900  りる [この発言にコメントする]

昨日から書き込みまくっているので、当然レスもたくさんついて、
興味深い話ばかりなのでまたひとつひとつレスしていきたいのだけれど、
取り急ぎたった今見たもので、提示しておきたい話題があったので。

特に見るでもなくTVをフジ系に合わせてをつけっぱなしにしていたら、
今日のゲスト(名前忘れた…松方弘樹のお友達。なんかそのへん。梅宮辰夫ではない)が、ゲストトークのところで、
「自分は松方とかと違って釣りとか料理とか趣味らしい趣味はなく、余暇にやることはすべて仕事(俳優業)関連で、映画を見るくらい」という話に続けて、
「(以上述べたように、外に出るような趣味がないから)自閉症かもしんない」と言ったのです。(細かい表現は違うかもしれない)
タモリの反応は見そこねたが、観客は通常の笑いと同じように笑っていた。
案の定少し後に「番組中不適当な発言がありましたことをお詫びします」というテロップが出て、ああアレのことだな、と思ったのですが。

観客は、なぜ笑ったのだろう?

近年は「障害者差別はいけない」とかのスローガンも多少は浸透している(と私は認識している。それが逆差別になることも多いと思うが)ので、通常、障害関連の話題がギャグとして出された場合(いまだに誤解や偏見の上に立ったものであるケースが多いと思うのだが)、最終的に笑いが起きるとしても、「笑っていいのだろうか?」といったような、微妙な気まずい雰囲気がそこに生じる場合が多いと認識していた。
しかし今日の観客の笑いは、あの番組中で通常起きる笑いと、少なくとも私にはまったく区別がつかなかった。

私は、「笑い」とは「認識のズレ」によって生じるものと思っている。
イメージのズレ、予想のズレ等。
それだけではないなら、あの笑いはいったいなんだったのだろう?

「その俳優はごく普通の人としてメディアに露出している→その俳優が自閉症かもしれない」という「認識のズレ」が笑いを生んだのだろうか?
それとも、「自閉症である」ということは、「おかしい(笑える)ことなのだろうか?」
または、観客の大方には自閉症について(様々な微妙な問題を含んでいるということすら)知識がなく、単に何も考えずに袖のADの合図に従っただけなのだろうか?(こういう発言を受けてADが積極的に「笑え」という合図を送ったとするなら、そのADも同類の知識不足なのだろうが)
それとも、「基本的に笑う」番組だから、やはり何も考えず、ただ雰囲気に流されて?

地域のミニコミ紙が記事中で「自閉症気味になっていたお年よりが、あるセラピーの効果で笑顔や会話を取り戻し…」という表現をしたときに、私は「自閉症というのは先天的障害であって『なる』ものではありません」と編集部に通知したことがあった。他にもそういったアクションを起こした人がいたとみえて、その後の号に訂正が掲載されたが、「どの表現のどこがどう間違いだったのか」についての詳細な記述はなかった。
こういう誤解が存在することや、何がどう誤解なのか検証し啓蒙する努力もないのはまだまだ問題だと思うが、

観客は、なぜ笑ったのだろう?
そこがわかんないんだ。


Re: ※注意ありです/Re: 釣り 14308へのコメント
No.14325  Fri, 4 Oct 2002 12:06:50 +0900  しゃく [この発言にコメントする]

ふれさんwrote:
> この話、私は笑いころげてしまいました。りるさんて面白いひとですね。
>タコに理性があったら、そうかもしれないと思いましたけど。魚は食べてよいものであることが、聖書に書かれていたので気になりません。

魚屋で売っていれば魚というわけでしょうか。私にはタコさんは魚類には見えません。ギリシャなどを除いてキリスト教徒にはタコが悪魔に見えるので食べないなどと聞いたこともあります。

>わたしは私、こんな趣味が大好き、こんな食べ物も、ってな調子で自分の感性を大事にしていくと、だんだん明るくなります。( No.14309 )
これがクリスチャンなのですね。自分が明るくなることにだけ救いを感じる。
仏教徒は,ふれさんとは逆に執着心を恥じます。自分が明るくなることで,人が傷つくことを怖れて気遣います。

「畏れのようなもの」を感じるりるさんはごくまともだと感じます
そのりるさんは,健常者ではなくてアスペですと名のっているのです。 ( No.14302 )
粗雑な分類に頼り,人の痛みを笑い飛ばしてかまわないと思える神経が差別の本質であり,障碍者の敵なのだと思います。明る過ぎる差別的感性が,私は大嫌いなのです。


Re: 本題でないとこへのレスで失礼/Re: 愛情について 14299へのコメント
No.14324  Fri, 4 Oct 2002 06:01:16 +0900  国外逃亡者 [この発言にコメントする]

りる wrote:
>国外逃亡、正直、うらやましいです…。
>ただ、「今の生活環境がガラッと変わる(自ら敢えて変える)」ことは今の私には受け入れがたい。
>何らかのきっかけでやむなくそういう事態になれば別ですが、
>今のところ現実的には「パートナーについていく」というシチュエーションしか想像がつかないのですね(^_^;)
>(仕事をしに行くとなると、私ができる分野では、今以上にコミュニケート行動を取らなくてはいけない…)
>で、その「パートナーを持つ」という問題でつまづいているというわけです。

難しいですね。
私はマニュアル化された「現地ガイド」の限定コミュニケーション術で右も左もわからない観光客を自分のペースに巻きこんで楽しんでもらうという仕事が自分に向いていて助かっています。

自分のできる分野に自分の苦手がある りるさんの状況はホント大変ですね。
職場の理解を求める必要がありますが・・・。
コミュニケーションですが、上手にやろうと思う必要はないのでは。
私は雇用者に対して一度爆発しましたが、かえって理解を深めてもらう結果が出たこともあります。相手次第ですね。

パートナーに対しても、「自分を自分のやり方で表現する」時と、「相手について理解してみる」時間を区切って話し合いをすることはできないでしょうか。
相手の性格にもよりますが、私はこのやり方で主人とのズレを修復してきました。

時間はかかるけど、個々の性格とか感性とかは変えられないのですから、根気よくやっていくしかないですよね。
そこで相手や自分をあまり変えることなく「受容できるか」相手が自分を理解できるまで「待てるか」自分自身はとりあえず置いておいて「歩み寄れるか」というのが「愛」を持続させていく鍵ではないかと。

「御大切」・・・いい言葉ですね。常に「あなたは私の一番大切な人」というメッセージを自分なりに送り続けていくことが大切なのではないでしょうか。

異民族・異国籍間の結婚はもちろんそうですが、一般の子育てもまず相手を受容し、相手の人格を尊重することから始めないと、長続きしません。
そういう意味では「脳の構造が違う」アスペルガー人と大多数の普通人との恋愛も相手の違いを受け入れて、お互いに尊重し合った上で歩み寄れないと、いつまでも平行線のまま悲劇に終わってしまうのではないでしょうか。

蛇足ですが、私は「健常者」という言葉が嫌いです。ふさわしくない表現と思います。
私を変人扱いしてのけものにし、嘲笑った人々のどこが「健やか」な人種だったのか。個々のあり方を尊ぶということのできない世間の人々が「健やか」であるはずがありません。
「その他大勢者」で充分です。


Re: 「理性(知性)」/Re: 釣り 14310へのコメント
No.14323  Fri, 4 Oct 2002 05:32:32 +0900  国外逃亡者 [この発言にコメントする]


>で、「タコに理性があるか否か」ということなのですが、
>私の知る限りですが、「タコに理性(知性)はない」という証明はされていませんよね。

Mariaさんが書いておられるように、タコはネジ式びんを開けられるし、入れ子になっている器を最後まで開けていって、一番小さい容器から中身を取り出すこともできます。
人間より早くできるタコもいます。
理性があるかどうかはともかく、物事を順序立てて理解し学習する能力はあることになりますね。

うちには山羊がいますが、自分の家の山羊は食べないけど、狩りのおみやげでもらった山羊の肉は食べます(子山羊が特においしい)
でも自分の家で生まれた子山羊は食べないだろうな。
これは人間の言うところの「理性」ではないでしょうか。

未開地の食人種だって、自分の一族は食べない。敵の部族を食べる。
そういうわけで、そこにも「共食い(同族)」はしないという理性が働いている。

>「ヒトと同じような知性はない」と、(あくまで)ヒトの方法で証明されてはいるかもしれませんが。

同じ言葉を持ち、同じ感性を持って表現しないというだけで、知性があるかないかを論じる人間の「知性」がおかしいのでしょう。

>母親の仕事の関係で、ダウン症や脳性麻痺やカナータイプの自閉症や、重い知的障害を持つ方(子ども)に初めて接したとき
>そういう方々が一般的に社会の中で低く見られる傾向にあるというのは知っていましたし、その場でも感じました。

言葉の壁があるとそれを強く感じます。私がうまく英語で表現できなかったり、知らない単語でつまずいたり、相手の言ったことが理解できなくて考え込んでいたりすると、あからさまに人を低脳扱いする人もいます。

そうした人の多くは、自分が「英語しか」しゃべれなくて、非英語圏に行ったら、同じように「自分の言いたいことも満足に言えず、相手の言葉もわからない馬鹿」に見えるということに思い至らないのですね。
主人は私の発音がおかしいので、「言語障害者みたいだ」なんてことを言ったりもしてくれます。

若い人で、外国人の発音に慣れていない人は本当に失礼な態度をとってくれます。
私にも自分たちと同じレベルの感性や知性があるということを忘れて、犬か猫でも追い払うような気持ちになるのでしょうね。
同じ言葉を同じ発音で話さないというだけで。

仕事でも、いつもは必要な英語だけで物静かに仕事している私が、通訳などして早口で日本語をしゃべり、相手を笑わせたり、交渉をスムーズに進めたりするのを見て、本当にびっくりされたりします。
(↑アスペにこんなことができないと思ってはいけません。訓練ですね。
でも日本人が私一人だけなのでできるんです。
他に「普通」の日本人スタッフがいたらすぐ負けます。
自分のペースでないといけないという点ではやはりアスペ寄りです)
馬鹿だと思っているわけではないのでしょうが、やはり、自分の理解できる範囲でしか「異種」な人々を推し量ることができないのでしょう。

だから、障害者であれ、外国人であれ、あるいは小さな子供であれ、(人間以外の動物も含むかも)自分を表現できるすべを持たない相手に知性や感性がないと思ってしまう「普通」とか「健常」と呼ばれる人種が一番低い感性を持っているのではないでしょうか。

だから高機能自閉症の診断リストに「想像力にかける」があるのは、はなはだ心外です。想像力がないのはどっちだ?


Re: 愛情について 14311へのコメント
No.14322  Fri, 4 Oct 2002 00:49:18 +0900  ふれ [この発言にコメントする]

やんちゃん wrote:
>自分解釈です。あまり本気にしないでください。
>
>愛→大切にすること   →理性的な「御大切」
>恋→欲しがること・煩悩
>性欲→生理的なもの   →生殖本能からくる「衝動的なもの」
>
 愛についての説明をしているところが聖書にあるので、引用します。

 @コリント第一13章4節〜8節

 「愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思いあがらず、みだ りなふるまいをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいらだちません。傷つけ られてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。す べての事に耐え、すべての事を希望し、すべての事を忍耐します。愛は決して絶 えません。」
 
 聖書においては、愛とは、人の魂の純化した幸福な状態、希望と忍耐を伴う霊性のよく整えられた状態のことを云っています。親切でもあると云ってますから、「大切にすること」でももちろんよいわけです。


Re: 連続投稿失礼します 14315へのコメント
No.14321  Fri, 4 Oct 2002 00:03:03 +0900  ふれ [この発言にコメントする]

タマ さんwrote:
>今日、教授から、私の話し方がおかしいと言われました。
>私は、先生たちや、苦手な人と話すとき、つい「そうですね」と言う言葉を乱用してしまう癖があるのです。
>なんと答えていいかわからないから、ただ、「聞いてますよ」と言うことをアピールしたくて、「そうですね」と言ってしまいます。その「そうですね」は、私にとっては同意の意味があります。

 いつも同じ返事の仕方は、相手に不自然さを感じさせることがあります。少し変化のある対応を心がけてみましょう。

  @「えぇ。」
  @「はい。」
  @(何も言わずに)うなずく。(相手の胸元を見るような感じで。ASの人は
    視線苦手の人いるから。)
  @「まぁ。そうなんですか?」(意外なことを云われたとき)
  
 聞いてますよ、ということを示す返事は色々ありますから、自分で状況を想定して、どう云う台詞がいいか、準備しましょう。友達と目上の人で多少違ってきますよね。良いお手本になる人の真似をしてみるのも、良いかと思います。


連続投稿って失礼だったのか(-_-!) 14315へのコメント
No.14320  Thu, 3 Oct 2002 23:27:44 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 雑魚亭BBS、復活。新しいURLは

  http://joshya.hp.infoseek.co.jp/bbs/

です。

 さて。

タマさん wrote:
> 私は、先生たちや、苦手な人と話すとき、つい「そうですね」と言う言葉を乱用してしまう癖があるのです。
> なんと答えていいかわからないから、ただ、「聞いてますよ」と言うことをアピールしたくて、「そうですね」と言ってしまいます。その「そうですね」は、私にとっては同意の意味があります。
> でも、教授の考えによると、「そうですね」は同意の意味ではないらしいのです。「あなたと同じくらい、私もそれについての知識がありますよ」という意味になってしまうので、自分の知らないことを教えてもらっているときに、「そうですね」はおかしいらしいのです。でも、私にはそれがよく分かりません。分ったとしても、ほかに何と言えばいいのかわかりません。教授によると「そうですか」というのが正しいそうです。でも、私の感覚では、「そうですか」と言うのは「そうですか?」と混同しやすく、相手の意見が意外だったり、気に入らなかったりするときに、使う言葉なのです。

 「新しいURLは、“http://joshya.hp.infoseek.co.jp/bbs/”です」
 「そうですね」
 「……?」

ということには、なりますわね。この場合は、

 「わかりました」「了解しました」

が、自然。つまり、「新しい知識」に関しては、「そうですね」は不自然。だから、「知識として新しいこと」に対する「そうですね」は、「同意」ではなく「私もそれについての知識がありますよ」という意味になってしまいます。

 「鏡に映った場合、『左右が逆になる』というより、『前後が逆になる』わけです」
 「そうですね。わかります。」

は、自然。「知識としては新しくないが、見識として新しい」ことに対する「そうですね」は「同意」。

 「『雑魚亭』は、URLが変わっただろ?」
 「そうですか!」

は、「新しい知識」なのだけれど、「付け加わった」のではなく「変化した」ので、「同意」。「そうですね」だと、やっぱり「私もそれについての知識がありますよ」という意味。
 だけど、「そうです」というのは、本来目上の人に使う言葉ではありません。「そう」は連用形で、「です」の前には名詞がくるはずですから、そこに何かの省略があるわけで、敬語というのはたいてい省略を許さないものですから。ですから、「そうなんですか」「そういうことですか」といったことになります。

 なお、「そうなんですか」には、確かに「意外だ」というニュアンスがあります。

 「そもそも焼肉というのは、冬の喰いモンなんだってね」
 「そうなんですか。」(「そうだったんですか」)
 「ああ。あれは身体を温めるために喰うんだそうだ。」

 こんなふうに、言ってるほうも「意外」という含みがあって言っている場合には、こっちも「意外」であってぜんぜん失礼ではありません。

 (Maria)


Re: 「理性(知性)」 14310へのコメント
No.14319  Thu, 3 Oct 2002 22:37:54 +0900  Maria [この発言にコメントする]

りるさん wrote:
> 母親の仕事の関係で、ダウン症や脳性麻痺やカナータイプの自閉症や、重い知的障害を持つ方(子ども)に初めて接したとき
> (確か小学校低学年でした)、
> 「普通の人(健常者)」がしないような奇矯な言動をする、「普通の人」が普通にできることができない、ということで、
> そういう方々が一般的に社会の中で低く見られる傾向にあるというのは知っていましたし、その場でも感じました。

 『ブレードランナー』や『トータル・リコール』の原作(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『追憶売ります』)を書いたフィリップ・K・ディックの短編に、『まだ人間じゃない』というのがあります。
 舞台は「生後堕胎」、つまり生まれてから12歳になるまでの間に、「この子供はちゃんとした大人にならない」と判断されたら、親の意思でいつでも「堕胎」、つまり殺されてしまう世界。知的障害者が「処分」されたナチス政権下のドイツと同じように、「堕胎トラック」というので運ばれて処分されてしまう。
 で、その12歳というのが、「人間の魂が宿る」年齢とされていて、それがじつは高等数学が理解できる年齢のことだったりする。
 で、主人公は堕胎トラックに子供たちといっしょに乗り、叫ぶ。「私は代数ができない。だから私に魂はない。いっしょに処分しろ」。

 何をもって「知性」とするかは、かなり微妙な問題を含んでいます。

 なお、蛸は人間がねじ蓋式の瓶を開けるのを見て、ねじ蓋の開け方を学習するそうです。このとき蛸はいったい何を“理解”しているんだろう、とあたしは気になります。自分以外の“何か”が“蓋”を“開けた”と思っているのでしょうか? それとも単に瓶と蓋の位置関係と「開く」「開かない」の関係を理解しただけなんでしょうか?
 あたしとしては、個人的にあたしを知っている蛸を食べたいとは思いません。

> ですが、私はそのとき、
> 「私や『普通の人』にはわからない(感知できない)だけで、そういう人々には、その人々だけに通じる、その人々だけの何か特殊なコミュニケート法や、『普通の人』のやり方では計ることすらできない(わかりやすく例えれば宇宙人のような)独特の知性や能力があって、私たちは、その人々のコミュニティ内では、実は逆に見下されたりしているのではないか?私たちはそれを感知できていないだけで、そのこと自体も『何もわかってないよね〜』と思われているのではないか?」と、
> 「畏れ」のようなものを感じたのです。(「恐れ」ではなく)
> 長じて、知的障害や自閉症についてもう少し知識を得て、更にアスペルガー症候群という概念(発見?)を知り、
> あのとき第一印象として私が感じたことは、ある意味当たっていたのだと思い、嬉しく思いました。

 コンラート・ローレンツは、「それぞれの種には、それぞれの種としての世界の把握のしかたがある」ということを言っており、ミツバチにとっての世界と人間にとっての世界は別物である、ということを言っています。

 健常者と自閉症者では、おそらく世界は別のありかたをしていると思います。たとえば、自閉症者には秩序や機能の美、というものに対する親和性があるんじゃないかと思っています。「カッコいい」「クールな」道具やプログラムというものがあり、そのカッコよさやクールさというのは、トンボやヘビのそれに通じるものがあります。
 コンピュータのプログラムを読んでいても、「ただならぬもの」を感じる美しい部分はたいていよくできていて、「ヌルい」「ださい」感じを受ける部分はしばしば間違っています。

 (Maria)


Re: 果たしてLDはAタイプなのか? 14317へのコメント
No.14318  Thu, 3 Oct 2002 22:34:35 +0900  ハイス [この発言にコメントする]

14317 wrote:
> なんかココに居るLDが浮いた存在みたいに感じるけど皆はどうよ?
LDはAタイプではなくLタイプです。


果たしてLDはAタイプなのか?
No.14317  Thu, 3 Oct 2002 22:14:04 +0900  14317 [この発言にコメントする]

 なんかココに居るLDが浮いた存在みたいに感じるけど皆はどうよ?


Re: 連続投稿失礼します 14315へのコメント
No.14316  Thu, 3 Oct 2002 21:54:40 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

タマ wrote:
>今日、教授から、私の話し方がおかしいと言われました。
>私は、先生たちや、苦手な人と話すとき、つい「そうですね」と言う言葉を乱用してしまう癖があるのです。
>なんと答えていいかわからないから、ただ、「聞いてますよ」と言うことをアピールしたくて、「そうですね」と言ってしまいます。その「そうですね」は、私にとっては同意の意味があります。
>でも、教授の考えによると、「そうですね」は同意の意味ではないらしいのです。「あなたと同じくらい、私もそれについての知識がありますよ」という意味になってしまうので、自分の知らないことを教えてもらっているときに、「そうですね」はおかしいらしいのです。でも、私にはそれがよく分かりません。分ったとしても、ほかに何と言えばいいのかわかりません。教授によると「そうですか」というのが正しいそうです。でも、私の感覚では、「そうですか」と言うのは「そうですか?」と混同しやすく、相手の意見が意外だったり、気に入らなかったりするときに、使う言葉なのです。
>ただでさえ、話すのが苦手なのに、ますます、話しの仕方がわからなくなってきました…。

僕も同じ感じ。
教授さんは、最近スポーツ選手の女性とか、若者が乱発するもんだから、うっとうしく感じたんじゃないの?


連続投稿失礼します
No.14315  Thu, 3 Oct 2002 21:38:48 +0900  タマ [この発言にコメントする]

今日、教授から、私の話し方がおかしいと言われました。
私は、先生たちや、苦手な人と話すとき、つい「そうですね」と言う言葉を乱用してしまう癖があるのです。
なんと答えていいかわからないから、ただ、「聞いてますよ」と言うことをアピールしたくて、「そうですね」と言ってしまいます。その「そうですね」は、私にとっては同意の意味があります。
でも、教授の考えによると、「そうですね」は同意の意味ではないらしいのです。「あなたと同じくらい、私もそれについての知識がありますよ」という意味になってしまうので、自分の知らないことを教えてもらっているときに、「そうですね」はおかしいらしいのです。でも、私にはそれがよく分かりません。分ったとしても、ほかに何と言えばいいのかわかりません。教授によると「そうですか」というのが正しいそうです。でも、私の感覚では、「そうですか」と言うのは「そうですか?」と混同しやすく、相手の意見が意外だったり、気に入らなかったりするときに、使う言葉なのです。
ただでさえ、話すのが苦手なのに、ますます、話しの仕方がわからなくなってきました…。


レスありがとうございます。 14309へのコメント
No.14314  Thu, 3 Oct 2002 21:26:02 +0900  タマ [この発言にコメントする]

ふれ wrote:
>
> 私も若い頃はそんな気持ちが強かったと思います。でもだんだん年を重ねていくうち、人間てどんな素晴らしい人でもホントのところはそんなにたいした事は無いものであり、必ず年をとって病気になったり、痴呆になったりして、最後には亡くなることを避けられないものなのだと悟ると、とても気が楽になったように思います。

なるほど。確かに、そう考えてみると、少し気が楽になりました(^^)

>
>どのように思われるのか、ではなく、どう思うのか(自分が)という客観的な視点をいつも念頭に置くと、少しずつ変わっていくとおもいます。

すごく説得力があります。確かに私はよく、不安になって、どう思われるかばかり心配して、いろいろ迷って、最後に、で、結局私自信はどう思うのだろう、どうしたいのだろう、と考えたときに、答えがでないことが多いです。結局、自分がどうしたいのかが定まらないために、迷いから抜けだせずにいることがよくあります。客観的な視点、持てるようになりたいです。

人間のあり様がこんなものであり、こんなところがあったり、こんな性格の人がいるのだなぁということが認識の中にたくさんのサンプルとして入ってくると、生き易くなるかと思います。
> わたしは私、こんな趣味が大好き、こんな食べ物も、ってな調子で自分の感性を大事にしていくと、だんだん明るくなります。

だんだん明るくなれるよう、自分の感性大事にしようと思います。


Re: 無駄ではない 14312へのコメント
No.14313  Thu, 3 Oct 2002 21:16:53 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]


あんくさんとあめさんへ


自分 wrote:
>
>LD Kids & Teens
>
> http://www.todoplan.co.jp/LD/
>
> http://www.todoplan.co.jp/LD/new/keii.html
>
> http://www.todoplan.co.jp/LD/txt/no_4.html
>
> http://www.todoplan.co.jp/LD/letter/index.html
>
>特定非営利活動法人Edge
>
> http://www.npo-edge.jp/


 もし参考に良ければと思ってURLをリンクしましたので。(文章を書くのが苦手な僕がリンクしたので果たして参考になるのか心配(;−−))


Re: 無駄ではない 14307へのコメント
No.14312  Thu, 3 Oct 2002 21:03:36 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

あんく wrote:
>あめさん wrote:
>>Mariaさんへのレスでも書いたのですが、私は読字障害+読解力が欠如しているところがあり、
>>正直、あんくさんの文章は難しかったです。
>
> 読字障害については、私も知識不足ではあり、自分の文章をアップロードするときでも、常に小さな罪悪感を抱えたままではいるのですよ。「ひょっとして、あんくの文章、読めないって人も、多いんだろうなあ」っていう。
> いくつか質問させていただきたいのですが、
>
>1・「画数の多くて複雑な二字熟語」が続いたりすると(つまり漢字を沢山使うと)、判読しづらいでしょうか?
>
>2・逆に、平仮名が続いたりするのは、どうですか? 例:「それはあまりいい考えだとは思えないな」→「あまり」というのは、ふだん「余り」とは書かないように、あえて平仮名にしたほうが、スマートになるという場合もあるので。
>
>3・あめさんの文章を拝見していると、どちらかといえば「話し言葉」に近くて、「ひらがな」の占める割合というのも、多いような気がします。逆に、同じような文章を、ご自分でお読みになる場合には、「読みづらい」と感じますか?
>
> もしできたら、文章の最初に、「読字障害があります」といった断り書きなどあれば(どういったところに不自由を感じるか、といった、説明があればなおよいのだけれど)、それなりに配慮してレスさせていただくことが、できるかも知れません。
> あとMariaさんの掲示板が復活すれば、文章講座を開講なさっているようなので、参考になるかも知れません(←そういうときは「推奨します」と書くもんじゃろうに!)
> それにしてもMariaさんのように、IQが高いとパラドックスに満ち満ちたような文章になりやすいというのは、これはもう神経症状のなせるわざと思う他ないんだろうかにゃ?



LD Kids & Teens

 http://www.todoplan.co.jp/LD/

 http://www.todoplan.co.jp/LD/new/keii.html

 http://www.todoplan.co.jp/LD/txt/no_4.html

 http://www.todoplan.co.jp/LD/letter/index.html

特定非営利活動法人Edge

 http://www.npo-edge.jp/


Re: 愛情について 14300へのコメント
No.14311  Thu, 3 Oct 2002 20:52:31 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

自分解釈です。あまり本気にしないでください。

愛→大切にすること   →理性的な「御大切」
恋→欲しがること・煩悩
性欲→生理的なもの   →生殖本能からくる「衝動的なもの」

・巷で安売りされている「恋愛(元来中世貴族の文化として発明されたロマンティック・ラブが形骸化したもの)」
これなんかは実体があるのでしょうか??それがそもそも疑問。
つまり実際は「独占欲」「情欲」でしかないものを、上記の「恋愛」であると思い込んでいるだけ、とか。
自分解釈の「恋」に近いもの?よく分からないけど。

「御大切」という言葉は、好きです。 私はそれが「愛」だと思っているので、それだけでいいです。
「恋」は、別に必要でもないし、知らなくても私はどうでもいいです。

最近、パソコンを長時間見すぎて疲れるので、
なるべく投稿はしないぞー!と言っていたのに、
ここを見ると、ついつい、書き込んでしまいました。
ではでは、失礼します。


「理性(知性)」/Re: 釣り 14308へのコメント
No.14310  Thu, 3 Oct 2002 20:20:29 +0900  りる [この発言にコメントする]

ふれ wrote:
>りるさんwrote:
>>
>>昔「たこ焼きスナック」というのがけっこう流行った時期があって(商品自体は今もあると思いますが)、
>>確かその最初のパッケージには、商品名や商品写真と共に、
>>擬人化されたタコが「おいしいよ」というのぼりを持っているイラストが印刷されていたのです。
>>「己の切り身が入ったもの(正確にはその味を再現したものでしょうが)を
>> その当人(同胞かもしれませんが)に自ら『おいしいよ』とアピールさせるとはなんて残酷で痛ましいんだー!」
>>と言ったのですが、誰にもとりあってもらえませんでした。
> 
> この話、私は笑いころげてしまいました。りるさんて面白いひとですね。
>タコに理性があったら、そうかもしれないと思いましたけど。魚は食べてよいものであることが、聖書に書かれていたので気になりません。7つのパンと数匹の魚をイエス様は四千人の群集に奇跡によって分け与えました。マタイ15章のところです。

ううむ。ふれさんはクリスチャンでいらしたのですね。
私は信仰を持っていませんが、
・ふれさんは信仰をお持ちでクリスチャンである
・私は信仰を持たずクリスチャンでもない
という、
差異(が存在すること、それぞれが異なる文化背景を持っていること)を尊重します、という点を、
まず明記しておきますね。

で、宗教絡みになると、話が少々(というのは婉曲表現で、実際は「かなり/非常に」です)ややこしくなってしまうのを
何度も経験していますので(私はクリスチャンでない人の中ではキリスト教に関する知識は比較的ある方だと思います)、
宗教については置いておくことにします。

とりあえず、ふれさんが、
ご自身の趣味=釣りについての私のレスで気を悪くされてはいないこと、
面白がって笑い転げてくださった(=「気を悪くはせず、なごやかに受け止めてくださった」と理解しました。特に笑い話として書いたつもりはないのですが(^_^;))ということで安心しました。


で、「タコに理性があるか否か」ということなのですが、
私の知る限りですが、「タコに理性(知性)はない」という証明はされていませんよね。
「ヒトと同じような知性はない」と、(あくまで)ヒトの方法で証明されてはいるかもしれませんが。

この話から以下の話につなげると、もしかすると気を悪くされる方がいるかもしれません。
ですが、誤解を怖れず、この話から思い出したことを率直に書いてみます。


母親の仕事の関係で、ダウン症や脳性麻痺やカナータイプの自閉症や、重い知的障害を持つ方(子ども)に初めて接したとき
(確か小学校低学年でした)、
「普通の人(健常者)」がしないような奇矯な言動をする、「普通の人」が普通にできることができない、ということで、
そういう方々が一般的に社会の中で低く見られる傾向にあるというのは知っていましたし、その場でも感じました。

ですが、私はそのとき、
「私や『普通の人』にはわからない(感知できない)だけで、そういう人々には、その人々だけに通じる、その人々だけの何か特殊なコミュニケート法や、『普通の人』のやり方では計ることすらできない(わかりやすく例えれば宇宙人のような)独特の知性や能力があって、私たちは、その人々のコミュニティ内では、実は逆に見下されたりしているのではないか?私たちはそれを感知できていないだけで、そのこと自体も『何もわかってないよね〜』と思われているのではないか?」と、
「畏れ」のようなものを感じたのです。(「恐れ」ではなく)
長じて、知的障害や自閉症についてもう少し知識を得て、更にアスペルガー症候群という概念(発見?)を知り、
あのとき第一印象として私が感じたことは、ある意味当たっていたのだと思い、嬉しく思いました。

当たっていない、とか、気を悪くした、とか、嬉しいなんておかしい、とか、そういう方がおられましたらどうぞご指摘ください。


#Mariaさんの書き込みをじっくり読んでレスする余裕がなくなってしまった…<自分が昼間っから書きまくったせいですが。


Re: 台風一過 14288へのコメント
No.14309  Thu, 3 Oct 2002 17:06:36 +0900  ふれ [この発言にコメントする]

タマさん wrote:

>もっと、わりきって、いろんなわだかまりを捨て去って
>バカにされても笑われても自分らしく生きることを大事にしたい。
>でも、それが、なかなかできない私です。
>バカにされたくない、笑われたくない、人の目が気になる…。
>だめだなあ、私って。
>

 私も若い頃はそんな気持ちが強かったと思います。でもだんだん年を重ねていくうち、人間てどんな素晴らしい人でもホントのところはそんなにたいした事は無いものであり、必ず年をとって病気になったり、痴呆になったりして、最後には亡くなることを避けられないものなのだと悟ると、とても気が楽になったように思います。どのように思われるのか、ではなく、どう思うのか(自分が)という客観的な視点をいつも念頭に置くと、少しずつ変わっていくとおもいます。人間のあり様がこんなものであり、こんなところがあったり、こんな性格の人がいるのだなぁということが認識の中にたくさんのサンプルとして入ってくると、生き易くなるかと思います。
 わたしは私、こんな趣味が大好き、こんな食べ物も、ってな調子で自分の感性を大事にしていくと、だんだん明るくなります。

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