アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ペパ さんwrote:
>私も同じ事を言われたことがありますが、私は、一度泣き出すと泣くのを止められなくなってしまったことが何度かあって、それから泣くのが恐くなりました。発作のように鳴き声が出続けて、自分は泣きやみたいのに止められなかったです。それで泣いてはいけないと強く思うようになって、大人になってからも泣くことに罪悪感を持って、思い切り泣くと言う事が長いことできませんでした。
おひさしぶりです(^^)
私も長い事、泣けなくなってましたよ。私の場合は感情のコントロールがきかないからです。
些細な事でも興奮しやすく(自分では正当なつもり)喜怒哀楽が激し過ぎるとバカにされるみたい。
TPOに相応しくないらしいんです。「そんなに私の感性は変なの?」って、全てを封印しました。
何事も極端から極端に走るんで、それからの方が鬱がひどくなりましたが・・
話はズレますけど、りるさんの「釣り」の話で共感♪ペパさんはどうです?
魚、恐くて触れないです。生々しいというか・・凄く変な気分になるんです。
子供の時、親類宅で軒下に絞めた鶏がぶら下げてあり、それが料理に出されたんで
す!!
食べれなかったです。土産に渡されたゆで卵は食べようとしたら半分、ひよこになってた・・
以後、肉も魚も一切食べられなくなった。「生き物を殺してる」という観念に縛られてしまった。
追求すると植物も同じなんだけど、さすがに餓死してしまうんで割り切って(苦笑)
成長期の偏食が虚弱体質に拍車をかけただろうな〜と今は思いますけどね。
何事も「偏りが強い」ってのが問題になるんだけど基本的には治らないな〜 では。
るきさんwrote:
> ある人がこんなことを話していました。子供の頃、何かのことで泣いてしまった時、泣き止むと必ず親から、「今、泣いたカラスがもう笑う。」とすぐに言われるという妙なことが何度かあったそうです。
私も同じ事を言われたことがありますが、私は、一度泣き出すと泣くのを止められなくなってしまったことが何度かあって、それから泣くのが恐くなりました。発作のように鳴き声が出続けて、自分は泣きやみたいのに止められなかったです。それで泣いてはいけないと強く思うようになって、大人になってからも泣くことに罪悪感を持って、思い切り泣くと言う事が長いことできませんでした。
泣けるようになったのはカウンセリングへ通って、そこでは好きなだけ泣いていいですよと言われて、わあわあ泣く事を何度もしてからです。
るきさんの話とずれてしまいましたが、他にも似たような方がいるのかどうか知りたかったので書きました。
http://members.tripod.co.jp/peppermint7/
ぽんこさん wrote:
> Mariaさんは、今までに自分のことを知っているかも?と思われるようなタコにお会いしたことがあるのですか?
小型のタコ類というのは、コーラル(珊瑚やイソギンチャクや海綿)や水母(くらげ)などと並んで、熱心なソルトウォーター・アクアリストに人気があります。蛸や烏賊は水質管理が難しく、硝酸イオンの濃度が上がって水が酸性に寄るとすぐ死んでしまうので、硝酸イオン上昇の原因になる魚と一緒には飼いにくいので、タコ好きはタコ専用の水槽でタコを飼うことが多いようです。
ヒョウモンダコ(豹紋蛸)は河豚(ふぐ)と同じテトロトドキシンを持ち、咬まれると死ぬこともあると言われる小型のタコですが、「飼うと慣れる」そうです。で、どうやら飼い主とそれ以外の人間を識別できるらしい、と云われています。
肉食動物は、獲物や外敵という「他者」を認識できるらしいし、雌を巡って争いもするので「他者としての同族の雄」を認識することができるようです。「獲物」「外敵」「同族」「繁殖の対象になる同族」「排除すべき対象としての同族」といったカテゴリーが遺伝的な要素“だけ”で決まるとすれば、「餌をくれる人」に相当する概念は持ちえないのですが、なんとなく分かってそうな気もします。
うちにいたブラックアロワナのカーロス君(ベネズエラ出身。読み筋は『あしたのジョー』に登場した“黒い戦慄”カーロス・リベラ)は、「餌をやろうとしている人間」を察知して「身構える」ように見えました。人のいないときは「どろーん」と浄化装置のパイプに巻きついていて(ブラックアロワナは、長いです)、ふだん餌をやらない人が近づくと物陰に隠れてしまいます。ところが餌やりに近づくと、水面下でスタンバイしているように見えるんです。
その状態のときに、水槽から二〜三メートルのところから餌を投げ入れてやると、餌が水面に落ちる前にジャンプして空中でキャッチしていました。
アロワナは森の中の水たまりのような場所に定住しているし、タコも磯につく「待ち伏せ型」の肉食動物です。アロワナやタコは彼ら/彼女ら自身の「世界観」を持っていて、一緒に暮した場合、その中に(どういう形かはわからないにせよ)あたしも組みこまれるのだろーな、とは思います。
(Maria)
Mariaさん wrote:
> なお、蛸は人間がねじ蓋式の瓶を開けるのを見て、ねじ蓋の開け方を学習するそうです。このとき蛸はいったい何を“理解”しているんだろう、とあたしは気になります。自分以外の“何か”が“蓋”を“開けた”と思っているのでしょうか? それとも単に瓶と蓋の位置関係と「開く」「開かない」の関係を理解しただけなんでしょうか?
> あたしとしては、個人的にあたしを知っている蛸を食べたいとは思いません。
>
Mariaさんは、今までに自分のことを知っているかも?と思われるようなタコにお会いしたことがあるのですか?それとも、もしも、そんなタコさんに会ったとしたら、食べないヨという意味なのですか?今までに会った事はないが、これからひょっとしたら、どこかで自分のことを認識するかもしれないタコさんに巡り会うことがあるかも?とお考えなのですか?
決して荒らしでも、煽りでもなく、ホントオ〜に素朴な疑問なのです。どうかお答えください。妙な質問で、大変恐縮なのですが。失礼になったらどうしようかと思って、おどおどしながら書いています。ご寛容のほどお願い申し上げます。
ある人がこんなことを話していました。子供の頃、何かのことで泣いてしまった時、泣き止むと必ず親から、「今、泣いたカラスがもう笑う。」とすぐに言われるという妙なことが何度かあったそうです。親はからかっただけで妙なことをしたつもりはなかったそうですが、本人はすぐに泣き止むのは、カラスのようにおかしなことなのだと思い、多分一度泣き出したらいつまでも泣いていなくちゃいけないんだなぁーと心に決め、もう泣きたくないのに、かなり長い間ウソ泣きをしていたという思い出があるというのです。
7〜8才ごろのことらしいのですが、こういう話は、ASのみなさんならなんとなく共感できますか?
みなさんの感想をぜひ聞かせてください。
そもそも「自閉症」自体が誤解を与えやすい名称だと思う。
いっそのこと、精神分裂病が統合失調症に、精神薄弱が知的障害と名称を変えるようなパターンで、
自閉症も「広汎性発達障害」と名称を変えた方が、障害にたいしての理解が広まると思う。
りるさん wrote:
>「自分は松方とかと違って釣りとか料理とか趣味らしい趣味はなく、余暇にやることはすべて仕事(俳優業)関連で、映画を見るくらい」という話に続けて、
>「(以上述べたように、外に出るような趣味がないから)自閉症かもしんない」と言ったのです。(細かい表現は違うかもしれない)
はあ〜あ、またフジテレビですか。
以前もここの局は『ビューティーコロシアム』で「自閉症」を誤用していましたよね(『いいとも』は生放送なので、こういった事態は予測がつかないのでしょうが)。
おそらく、日曜の『増刊号』では、この部分は削られるでしょう。
>地域のミニコミ紙が記事中で「自閉症気味になっていたお年よりが、あるセラピーの効果で笑顔や会話を取り戻し…」という表現をしたときに、私は「自閉症というのは先天的障害であって『なる』ものではありません」と編集部に通知したことがあった。他にもそういったアクションを起こした人がいたとみえて、その後の号に訂正が掲載されたが、「どの表現のどこがどう間違いだったのか」についての詳細な記述はなかった。
わしも以前、同じような行動に出ました。
ある医療法人のHPに、自閉症は「心理的なストレスが引き起こす精神障害」「精神病の代表的なもの」などというとんでもない記述があったため、わしはHP管理者宛に抗議メールを出しました。
↓その全文です。
====================================
はじめまして。私は岡山県に住む、鷲羽丸(注・原文ではわしの本名)というものです。
本日、○△会(原文は実名)さまのHPを拝見しました。
そのなかで、放っては置けないと思った箇所があったので、言わせて頂きます。
「病気のお話」のページの「008 こころの健康」の、自閉症に関する部分です。
まず、自閉症が「心理的ストレスが引き起こす様々な精神障害」として扱っているのが大きな間違いです。自閉症とは、生まれついての脳の障害による、先天的な発達障害の一種です。精神障害ではありません。
この障害の特徴は、興味の限局(特定のものにやたらこだわる)、コミュニケーションの困難が主だったもので、「自分の世界に閉じこもる」などというものではありません。
「精神病の代表的なもの」というのも間違いです。前述したように、自閉症は「障害」であり、「精神病」ではないのです。
また、自閉症の人は決して「非社交的」ではありません。彼らは社交的になりたがっているのです。なのに、コミュニケーションが困難なため、人間関係を作ることがうまくできないのです。
私はあることがきっかけで、自閉症と言うものに関心を持ちました。そしてそれは、世間で言われている「自閉症」というものが、いかに間違いと偏見の目で見られているかを知ったことでもありました。
今回、このメールを出したのは、医療に携わる団体が、このような間違った情報を流すことによって、それを鵜呑みにし、自閉症というものに偏見を持つ人が増殖しかねないのではないか、という不安からです。
HP製作者の方へ。一度「子どものためのバリアフリーブック・自閉症の子どもたち(大月書店)」という本をご覧になってください。HPに書かれたことがいかに間違いだらけかがわかることと思います。
そして、一刻もはやく訂正がなされることを願います。
以上。
====================================
その後、管理者から丁重な返信が来ました。「問題箇所は削除します。」とのことでした。
それからそのHPを見たのですが、その部分はあっという間に削除されていたのでした。
後で「しまった!」と思いましたねー。
これでは間違った情報を流していた証拠が、全部消えてしまったことになるのです。「お詫びを掲載してください」とでも書いとけばよかった……と思っても時すでに遅し。なにせ、このことに気がついたのが、メールを出してから約一ヵ月後でしたから……。あーニブいヤツ。
抗議メールを出すにも、考えて行動しなければ、と教訓となった一件でした。
Washu-Maru
しつこくてすみませんが、123さん、の投稿の件。
>
>> もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>> 社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
>
> あなたは、「障害者は自分の才能や能力を信じたり誇ったりしてはいけない」と主張なさるわけですね?
このやりとりに、コミュニケーションの難しさがよく現れていると思います。123さん自身は、重度のAS児の父兄では無いようですが、かなりそれ的立場に感情移入されているようです。
重度のAS児の母親の心理として、「自分の才能や能力を信じたり誇ったり」できる他のAS者に嫉妬してしまい(本当は、ある意味仲間だから助け合っていくべき関係なのに)、その嫉妬する自分を責めてしまう、重度AS児の母親の苦しみを訴えたかったのだと思います。
憎むべきものは、今の現実なのか、何故うちの子はこんなにも苦しんでいるのに・・・、他の軽症な(あるいは才能のある)AS者をつい憎んでしまう自分のぶつけどころの無いどろどろとしたもの・・・・、出口の見えない明日・・・、
123自身は、「障害者は自分の才能や能力を信じたり誇ったりすること」がOKでもNOでも、あまりその結論に興味は無いだろうし、どちらでもいいことだと思います。(「才能や能力を誇ったりすることの立場にいれるだけで、ありがたいと思いなさい」と、いうようなことなんでしょう)
ここでの掲示板での会話を見て押さえきることのできなかった彼女のわき出る感情・・・・・
それは・・・・・
いや、彼女の感情を考えるよりは、そのような立場にいる人々がどうしたら社会的に居場所を得られるかの方が大切なのでしょうが・・・
あつみさん、ペンペンさん、タレイヌさん、Mariaさん、直子さん、レスありがとうございました。
直子さんの発言は今日一日考え続けるきっかけを与えていただきました。わたしは何から逃げているんだろう?って。
たぶん、いろいろなものから。
常に自問はしているんだけれど、どうにも分からないことばかり……。身体はくたくたなのに眠れなくなっていて、再び心療内科に通い安定剤を処方してもらっています。眠らないと仕事が続けられないから。
やべーかな。このままはまっていくとまたSSRIのお世話になる必要があるかも? 明日心療内科へ行って相談してきます。
掲示板という公共の場所で、夫の悪口をずいぶん書いてしまった気がします。全部自分に返ってくるのよね。子供のころ「人の悪口を言うと、全部自分にはね返ってくるんだよ。人を悪く言うのは自分を悪く言うのと同じこと」と教えられたことを信じています。
もしかしたら夫はまっとうな人で、人づきあいが苦手で社会性のないのはわたしの方だけなのかもしれない。わたしのような女と一緒にならなければ夫も不幸にならなかったのかもしれないという姑の主張も、あながち間違いではないのかもしれないという気がします。もっとしっかり者で、世話好きで、面倒見が良くて、明るくて、気働きのいい嫁さんと一緒になっていればね、夫も気分良く幸せに暮らせたんでしょうに……。
結婚も異文化コミュニケーションのひとつだと感じています。本人同士の関係なのだけど、お互いが背負っている背景が違うから。わたしだって夫をとやかく言えないくらいコミュニケーションが下手です。必死で努力してもこの程度かと、我ながらあきれるほどに。
でも、努力はやめない。娘の卒業まで約二年半……いろいろなことが起きるでしょう。何も面倒なことが起きなければいいと言ったのは、安定性を好む娘。そんなわけにはいかないだろうと知りつつ、できるだけ守ってやりたいと思います。
離婚するとしても、旧姓に戻るのもイヤなんだ。発想が根無し草かも? 結局のところ、たいして進歩もしていないのはわたし。結婚して十年の間でたくさんのことを学び、できないと思いこんでいたことのいくつかができることに気づいたけど、振り出しにもどりそうな感じがしています。それでもいいのかもしれないですが。
あー、まとまりません。すみません。「離婚を決意しました」なんて書いちゃって、「わーわー、やるぞ、やるんだー!」なんて勢いにのめっているうちは本物ではないと自分に言い聞かせているところです。決意は深く静かにするもので、実行はさりげなく堂々と自信を持ってするべきと戒めています。
りるさん wrote:
> 返信書き込みで最初につけられる「○○wrote:」の部分、
> 「○○」+「さん」となっている場合が多いのに、
> 最近の私の書き込みを改めて見ていたら、そうなってないな〜、ヘンだな〜と思って初めて気がついたのですが、
> デフォルトだと「さん」は入らないのですね?
> みなさん手動で「さん」を加えているということなのでしょうか?
> ここの常連さんの無言のローカルルールなのでしょうか?私はすごく失礼なことをしていたのでしょうか?
『ねこ会議(ネチケット向上会議)』へようこそ。m(_ _)m
記録によれば、qwertさんが 2001年3月2日にNo.3233の書込みで始めたのが嚆矢ということになっています。で、その後3月11日以降、あたしたち大森総研のスタッフが意識的に使いはじめ、4月18日以降ローカルルールとしてほぼ定着した、ということになっています。べつにつけなかったからといって「失礼」ということではありません。なお、うちには“Mr.Moto”というのがおり、「やんちゃん」さんや「みどりちゃん」さんもおられるので、特に“厳格なルール”が成立しているわけでもありません。
そもそもの主旨は、テキストベースの表現だと、感情を伝えにくい部分があるので、「KILROY」「KILROYさん」「KILROYちゃん」「KILROYの野郎」「KILROY殿」といった具合に、相手に対する心理的スタンスを表現するためには「〜さん」を標準にしておいたほうがいいかなー、という配慮でした。ですから、「〜さん」を付けることに気がつかなかったから失礼、とかいった話になると本意ではなかったりします。
(Maria)
りるさん wrote:
>この間まで、たまたまあつみさんの発言を機になんだかすごいことになっていましたが、あつみさんが妙な責任を感じたりへこんだりしておられない様子でほっとしています。
ほんとうに、ここの掲示板の効果のお陰です。ありがとうございます。
>私はまだ自分自身のことで手いっぱいで、
>広い意味での異文化コミュニケーション(社会問題や異文化圏間の紛争問題など)には考えが至っていませんが、
私の場合、自分自身のコミュニケーションの問題をずっと感じていたということと、たまたま仕事で、途上国に対する日本(その他の国も少々)の援助の現場や、ある途上国の方針が、アングロサクソン系の国々から槍玉に挙げられた現場などを目にする機会が多かったということもあり、それらが、自分の問題とも結びつくような気がしたのでした。
>あつみさんがあげられた「異文化コミュニケーション」という言葉は、
>まさに今私が直面している問題にしっくりくる気がしました。
>
>私の(どうやら非常にマイノリティに属するらしい)「ロジック・思考回路」を
>理解しようとしながらコミュニケートを取ってくれる理解者は得られた(と思う)のですが、
>「まったくの異文化」を背景にした人と、おそらく初めてまともに接して
>(これまでは「私がマジョリティのフリをする」か、「まったくの異文化の人とはハナから接触を持たない」でやってきたと思います)、
>かなりのカルチャーショックを受けています。
>
>ある言動について、
>「(私)なんでそうするの?」「一般常識としてそうするものだと自分は思っているから」「なんで?」「そういうものだから」「なんで?」
>おそらくどんな面においてもこの繰り返しで永遠に平行線なような気がします・・・。
まさに今、私とパートナーとのやりとりがそんな感じです。
>ふと思ったのですが、
>「他者の『ロジック・思考回路』を理解しようという努力はしない」という「ロジック・思考回路」もあり得るのかな、と。
あると思います。特に、これまで自分の「ロジック・思考回路」でやってきた事がある程度上手くいっていて、その正しさを証明する材料が多ければ多いほど、その傾向はあるように思います。
>『アスペルガー的人生』にあった、「私は夫の顔のパーツが好きなのだ」というのは私にはとてもよくわかります。
>「パーツ」というのは、視覚的なものにとどまらず、考え方や行動様式などにも当てはまると思います。
>「この人はこういう考え方をするから信用できる」。
>「この人はこんな言動はしないから好感が持てる」。
>それは理解できるし、私自身も人との相性を評価するときにはそういう表現が一番しっくりくるのですが、
>パートナー(恋愛関係)となると、「それ以上の、言葉で説明できない何か」が存在するらしいということを知りました。
>自分の考え方や嗜好や行動様式・生活形態と、相手のそれとに、どんなに相容れない部分やズレがあっても、
>それをどうにかして擦りあわせたり妥協しあったり、
>そんなおそろしく鬱陶しく面倒な(ときにはとても嫌な)ことをしてでも、
>「パートナーになりたい、パートナーでいたい」と思う「何か」があるらしいと知りました。
>それは、いったいどのようなものなのでしょうか。
ほんとうに、どのようなものなのでしょうかね。
そのことについて、書こうと思いましたが、まだ考えが纏まっていません。
纏まったら、改めて書かせていただこうと思います。
自分でも、今の状況を考えると、パートナーと生活を共にするのは、面倒で苦しい事ばかりで、一体何の為にこんな事をしているのだろう、とよく疑問に思います。
いろいろ、書き込みたかったのですが、あまりに現在の自分の問題とかぶっている事が多くて、いまいち纏まらず、失礼致しました。
返信書き込みで最初につけられる「○○wrote:」の部分、
「○○」+「さん」となっている場合が多いのに、
最近の私の書き込みを改めて見ていたら、そうなってないな〜、ヘンだな〜と思って初めて気がついたのですが、
デフォルトだと「さん」は入らないのですね?
みなさん手動で「さん」を加えているということなのでしょうか?
ここの常連さんの無言のローカルルールなのでしょうか?私はすごく失礼なことをしていたのでしょうか?
犀子 wrote:
>失礼いたしました。
>私の記憶違いのようで、恥ずかしいです。
>今手元にある本では、同様のことが一般的にという意味で書かれていました。
>講談社現代新書に入っている本です。
犀子さん、初めまして。ご挨拶が後になってしまってすみません。
2つの定義については、本質的には間違ったことを書かれたわけではないので、恥ずかしがられる必要はないと思います。
>おそらく、発言者本人は1の意味があることを知らずに、2の意味としてこの言葉を使ったのだと思われます。そして、観客の中には1の意味を知っている人もいたでしょうが、「笑っていいとも」の観客は日本一迎合的な体質なので(私の印象です)、冗談を言っているようだから笑ってあげようということになったのだと思います。
そうなのかもしれませんね…。
あの発言を受けての笑いの音量は、他の笑いどころより少しだけ小さかったような気もします。
>あの番組の会場アンケートで、「アスペルガー症候群という言葉を知っている人
>スイッチオン!」とやったら、どうなるんでしょう?
私は、ここにポストした後、ふと、
あの発言者(名前を思い出しました。山城新伍でした。)が、
「自分はアスペルガー症候群という自閉症の一種であるかもしれない」という意味であの発言を切り出し、
おそらく「スイッチオン!」ではゼロであろう観客に(更に視聴者にも)真面目に説明を始めたのだったらなあ…と思いました。
お笑い番組では土台無理なんだろうけど。
>あつみwrote:
>>実際の会話となると、相手の話を聞きながら理解し、それに次々と答え、同時に自分の考えを纏めて言いたいことは言う、という、アクロバティックな技術が要求されますからね。とても難しいと思います。やはり、会話のスピードが速い人とか、押しの強い人、多数派の意見を持つ人の方が優勢になってしまう。
あんくさん wrote:
> 「自分には技術がないからダメだ」と、思ってしまう必要は、ないんですよ。相手がスピードを挑んでかかったら、逆に、じゅうぶんすぎるほどの「間」と「距離」を置きつつ、「あなたのペース」になることを断固拒否することを、言葉によらず「黙示」してみせるという技術だって、あるのです。
(中略)
> こういった程度の技術なら、比較的軽い自閉人でも、日常的に、行使していると思うんです。言葉がすべてではないってことですな。
確かに、相手のペースにまんまと乗せられてしまう事が、問題となるわけですよね。私も、「闘いの土俵から下りる」ため、13歳から19歳まで、ほとんど他人と口をききませんでした。しかし、ここ数年、なんとか異文化人とコミュニケーションをとって(というか最低限自分の身を守って)会話のやり取りをしないと、とんでもないことを自分のせいにされてしまう、といった事態が多発していたため、「何とかしなくては。」と思っております。
しかし、やはりスピードと解りやすさを競うのは会話では難しい。
>「あなたのペース」になることを断固拒否することを、言葉によらず「黙示」してみせるという技術
を、取り入れつつ、誤解を避け、「返事をしなかったお前のせいだからな!」とならないよう、工夫したいと思うところです。
広辞苑 第四版 wrote:
>犀子さん wrote:
>
>>ただ、以前読んだ自閉症関連の本の中に、広辞苑には自閉症の説明として、
>>1.発達障害の一種
>>2.(健常者が一時的に)他者に心を閉ざしている状態
>>という二つが載っているという文章を見た覚えがあります。(広辞苑も手元にないので、うろ覚えの話で、申し訳ありません。)
>
>じへい‐しょう【自閉症】‥シヤウ
>(1) 自分だけの世界に閉じこもる内面優位の現実離脱を呈する病的精神状態。現実との生きた接触を失うもので精神分裂病の重要な症状の一。
>(2)早期幼児期に発生する精神発達障害。対人関係における孤立、言語発達の異常、特定の状態や物への固着などを示す。早期幼児自閉症。
手元の広辞苑第五版(ROM版)でも同じ記述でした。
ただ、広辞苑はあくまで「語義を説明するためのもの」だと思うので、
特に未解明や研究途上の病気・病態等の記述等については、不正確な場合も多いのではないかと思います(更新も遅いですし)。
私は、(1)の意は「自閉的傾向/状態」という「症状」を指すものであり、
「自閉症」という語は、先天性障害の意である(2)として使われるのが正確なのだと思っていました。
その上で、世間的には、
「自閉傾向という病態=(1)」と「自閉症という先天性障害=(2)」がごっちゃにされてしまっているのではないかと思っていたのですが、
そもそも私の認識からして違っていたのでしょうか?
または、精神疾患等は専門家の間でも定義や解釈が割れる/揺れることが多いようですが、この場合もそうなのでしょうか?
私がよく見ているメンタルヘルス関連の解説サイトでは、
上記の(1)に当たる「精神分裂病の(4つの基本症状のうちの)一症状」は「自閉性」と書かれています(下記URL参照)。
精神分裂病(今は「統合失調症」ですが)についてのその他の説明部分では、症状として「自閉」と表記されています。
http://akatan.cool.ne.jp/sc.htm
失礼いたしました。
私の記憶違いのようで、恥ずかしいです。
今手元にある本では、同様のことが一般的にという意味で書かれていました。
講談社現代新書に入っている本です。
犀子さん wrote:
>ただ、以前読んだ自閉症関連の本の中に、広辞苑には自閉症の説明として、
>1.発達障害の一種
>2.(健常者が一時的に)他者に心を閉ざしている状態
>という二つが載っているという文章を見た覚えがあります。(広辞苑も手元にないので、うろ覚えの話で、申し訳ありません。)
じへい‐しょう【自閉症】‥シヤウ
(1) 自分だけの世界に閉じこもる内面優位の現実離脱を呈する病的精神状態。現実との生きた接触を失うもので精神分裂病の重要な症状の一。
(2)早期幼児期に発生する精神発達障害。対人関係における孤立、言語発達の異常、特定の状態や物への固着などを示す。早期幼児自閉症。
はじめまして。未診断・自称アスペの者です。
いつもROMさせていただいてます。
私もたまたま問題のシーンを見ていて、「?」と思いました。
ただ、以前読んだ自閉症関連の本の中に、広辞苑には自閉症の説明として、
1.発達障害の一種
2.(健常者が一時的に)他者に心を閉ざしている状態
という二つが載っているという文章を見た覚えがあります。(広辞苑も手元にないので、うろ覚えの話で、申し訳ありません。)
おそらく、発言者本人は1の意味があることを知らずに、2の意味としてこの言葉を使ったのだと思われます。そして、観客の中には1の意味を知っている人もいたでしょうが、「笑っていいとも」の観客は日本一迎合的な体質なので(私の印象です)、冗談を言っているようだから笑ってあげようということになったのだと思います。これが冗談として成り立つのは、「人前に出たがるはずの俳優」と2の意味の落差ですよね。
世間の皆さんの認識はこの程度のものなのでしょう。
あの番組の会場アンケートで、「アスペルガー症候群という言葉を知っている人
スイッチオン!」とやったら、どうなるんでしょう?
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