アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
10月オフ会の下見について、重要なお知らせがありますので、MLにご参加の皆様、よろしくご覧くださいませ。
底なしのニヒリストを気取る者ほど、その実、物欲し気であったりするものだ。ただ、本人は「もう書き込まない」とは言っておられるけれども、私個人はこの方は、恥じ入るということを知っているだけ、そこいらの荒らしより、よほど正直で見所のある人物だと思っている。
本人にしてみれば、「すみません」と謝ったあとで、あれこれ取り沙汰されるのは、相当にハードなものがあるだろうけれど、「認知の歪み」とは、具体的にどこいら辺にあるのか(まあ本人もこれまで痛いほど指摘されてきていて、自分でもよく分かっているかも知れない)、みんなで検討しつつ、本人の自己再評価を補助してあげたほうがいいのではないかと思う。
>僕も精神に異常をきたしたおかしな人間です。僕も含め、危険な人はネット
>社会に依存することは大目に見つつも現実社会からは隔絶されるべきではな
>いかと思わずにはいられません。それはすべて「安全な」社会という理想の
>ために乗り越えなければならないハードルなのではないでしょうか。
「異常者を隔離し、排除せよ」では、第二次世界大戦当時に逆戻りすることになってしまう。「危険な人はネット社会に依存することは大目に見つつ」というのは、「キチガイでもネットをやっている間だけは大人しくしていてくれるから」という、親や周囲の視線そのままの、受け売りの意見であるように思えた。「ガムを噛みながらタバコは吸えないから、タバコをやめたい人はガムを噛みなさい」という考えに似ている。ただ、先天障害の場合、そのような一時しのぎをしたところで、基本的な障害は残るわけだから、いつかは破綻が来てしまうのは目に見えている。
もう少し高等技術を言うと、昔はにっちもさっちも行かなくなった人々のために、宗教というものがあった。「悪人であればあるほど救われる」というのは、一心不乱に真言を唱えている間だけは、なにも悪いことができないだろう(その代わりいいこともできないのだけれど)という考えもあるが、真言にはやはり、心を浄化する仏の叡智を言語化したというか特別なヴァイヴレーションが含まれているのだから、有害な電磁波に日夜触れているよりは、よほど心が研ぎ澄まされてくるはずだ(だからといって、異常に高いお布施や奉仕活動を要求してくるような宗教にハマって、周囲を巻き込むようなことをしちゃだめだぞ)なにしろパソコンから発する、「シャーッ」という間断ないノイズというのは、長く聞いていると、スイッチをオフにした途端、耳鳴りのような残響になって残るぐらいなのだから。
「お前だって、ひとつぐらい夢を持っているはずだ!」というのは、いかにも哲学者の中島義道氏が毛嫌いしそうな言葉ではあるけれど、ごちっくさんにだって、何かしらやってみたい、何でも見てやりたいという、好奇心に満ち満ちた時代というのは、あったはずである。カンボジアのアンコール・ワットで、荒れ果てる一方の寺院の保護活動に精を出すとか、中国から希少動物を密輸し、日本でがっぽり儲けたいとか、ロンドンのクラブで暴力派ゲイ&レズビアン・ナイトに「正装」して参加し、倒錯の夜に心ゆくまで溺れたいとか(何故そういう正道に外れたことばかりそそのかすのだ!)、あれこれ夢には思い描いても、「どうせ精神病なのだし、そういう自分を受け入れてくれる場所などあるわけがない」と、心に歯止めがかかってしまう。一方でそう思うことが、自分を悪から遠ざける結果にもなっている、という現実だってある。
ごちっくさんは、ご自分を場違いな奴だと考えておられるけれども、ごちっくさんのような人間こそ、この掲示板のような所を必要としているはずだ。「自分のように異常な奴は、この世からいなくなった方がいい」というのは、Asのある人間なら、多分一度ならず抱いたことのある気持ちである。ウソの気持ちを書く必要はないし、何も書かなければ、さらに何も得ることはできないのだ。
日本にはまだ、ヨーロッパのように、普通の職場で、あえてゲイであることを主張するようなスタイルで働いてみせるといった、成熟した環境というのがない。教養ある人物ほど、どんなに皮肉で冷酷な現実というものを突き付けられようと、「しかし、まだ希望はある。というのは…」と、言い続けなければならないように呪われているものである。キチガイにはキチガイの文化があり、あえてそれを主張することが受け入れられる土壌というものを、多くのアスペルガー者は探し求めているような気がする。
「認識の歪み」を正す手伝いをしてあげるなどと言いつつ、なんかそのことには完全に失敗してしまった気分…
Mariaさん wrote:
> それは、明るい場所で眠っていたからです。
分かり易く書いてもらえて,嬉しいです。
気味が悪かったので
すごーく,すごく,ほっとしました。
ありがとうございました。
「反対語」という概念が、よくわからない。
「右/左」「上/下」「前/後」「表/裏」「奇数/偶数」くらいなら、まだわかる。「不安/安心」とか「理想/現実」とかいうのが、「反対語」だというのがよくわからない。
「不安」がない(なくなった、あるいはなくなる)状態が「安心」だとすると、“反対”語ではないのではないのだろうか。むしろ、「不安/期待」あたりのほうが適切なのではないか。そう思う。
「理想」の反対が「現実」というのは、あまりにも寂しい気がする。「理想」の反対は「絶望」ではないだろうか、と思う。
「反対語」というのは、単にペーパーテストの題材にするのに便利な概念でしかないような気がする。
現在でも学校教育で「反対語」という概念が使われているのなら、もうちょっと概念を整理して、適切な用語を使いわけてほしいと思う。
『雑魚亭』(http://joshya.hp.infoseek.co.jp)のURLは、株式会社infoseekと株式会社HOOPSの合併にともなって変更されています(ここに挙げたのは新URL)。ただし、およそ半年間は旧URLが使用可能です。
URL以外にもいろいろと変更がある(CGIが使用可能になるのに伴って掲示板のシステムが変わるとか)ので、改変に伴って関係各所には連絡を行なう予定です。よろしく。
(Maria)
りるさん wrote:
> 女性だけの職場にいたとき、仕事の愚痴以外は、新しいバッグがどうした化粧品がどうしたという話題ばかりで(文字通り)閉口したのですが(いじめを受けたのもここ)、ああいう「情報交換」は、いくら熱意があっても根本的には「知的好奇心」の為せる技ではないと思う。(化粧品の開発研究等に携わっている人なら別ですが)
『「子」のつく子供は頭がいい』という本があって、それによれば人間は大きく「情報消費タイプ」と「情報再生産タイプ」の二つに分かれるのだそうです。
「情報消費タイプ」は情報を「共有すること」に価値を置き、「情報再生産タイプ」は「情報を伝えること」「情報を使うこと」に価値を置きます。そして情報消費タイプは芸能人がくっついたとか別れたとか、新しいバッグがどうした化粧品がどうしたという「限定された」「旬な」話題を重視し、情報再生産タイプはお料理のコツとか伝統・文化・教養に属する「一般性の高い」「使いでのある」「永続的な」話題を重視します。
で、子供は親のタイプを受継ぎ、情報再生産タイプの親は子供に「子」をつける比率が高いのだそうです。
つまりは文化の差なのでしょう。
(Maria)
りるさん wrote:
>中学の頃、「一般の(中でも一部の考えナシの子だと思うけど)」子の間では、「養護学級」にいる子たちが、個々にどんな子なのか、個々にどんな障害を抱えているのか知りもしないで、「ヨーゴ」というコトバが侮蔑語として使われていた。
あったあった!!そう言うことが。他にも「シンタイ(シンショウ)」だの「チ」だの「ショウガイ」だの「キモイ」だの、くだらない用語がたくさんあったな〜。
その語は既に「養護学級とそこの子たちの実状」を離れて、ただの記号になっていた。「普通」の子が何か失敗したら「お前ヨーゴじゃねーの?」とか、「ヨーゴ!ヨーゴ!」とはやし立てるとか。
昔、僕もはやし立てられたことがあったな〜。僕が何かすると「んだチ!!」「やーい、お前チだー!」「こいつチだしね?」「ケツにショウガイ持ってるくせに!!」とはやし立てられて、僕が小4まで特殊学級へ在籍していた事を理由に散々理不尽な扱いを受けました。「チよって来るな!!」「チ邪魔!」など・・・・
>それと同じように「お前アスペじゃねーの?」とか使われるようになったらすっごく嫌だなあ。
ごちっくさん wrote:
> アスペルガー症候群という天才や狂気を内に秘めつつも、常識とのバランスがうまくとることのできない人は社会からいなくなったほうが良いと思います。
アスペルガー症候群に限らず、“世間的常識”との折合いをつけるだけで精神力の大半を使い果たしてしまう人間は、社会から距離を置いて適正に「棲みわける」ことを考えたほがいい。
……な? ほとんど同じことを言っていても、こういう言い方なら角が立たんのだ。
もちろん、「そりゃまあそうやって世間を避けて生きることができる恵まれた人はいいだろうけどさ、稼いで飯を喰わなきゃなんない身としては、“世間”にすり寄ってかなきゃ仕事がもらえないのよ」みたいな反論はあるだろうが、そしたら「ASの職業適性」だとか就労支援だとか処世術だとか「角の立たない物の言い方」みたいな話に持ってゆきようがあるのだ。
「発達障害者=未成熟なガキ」ではない。犬や猫だって世間との折合いをつけているのだ。発達障害者が健常者とまったく変わらない形で世間と関わろうとすれば、そりゃあ無理だってくるだろう。健常者と異なった形で世間と関わろうとすれば、健常者とは違った努力が必要だろうし、そこには健常者とはまた別の「世渡りのノウハウ」みたいなものがあるはずなのだ。
そういうものを無視して「常識とのバランスがうまくとることのできない人は社会からいなくなったほうが良いと思います」とかいった発言をすりゃあ、「社会」から排除されるのはある意味当然だろう。ただし、それは障害者だからではない。「社会」と折合いをつけられない未成熟なガキだからだ。
> 僕も精神に異常をきたしたおかしな人間です。僕も含め、危険な人はネット社会に依存することは大目に見つつも現実社会からは隔絶されるべきではないかと思わずにはいられません。それはすべて「安全な」社会という理想のために乗り越えなければならないハードルなのではないでしょうか。
自称評論家のありがちな発言を借りてきて右から左に流すことで分かった気になるような阿呆なことはやめて、自分の頭で考えて自分の言葉で語ることを覚えたほうがいい。
ネット社会は現実社会の一部であり、しかも重要な一部なのである。通信・金融・株式なんていうのは「単なる情報の流れ」でしかないが、それを言ったら人間だって「単なる一匹の動物」でしかない。パソコンが一台壊れるのと金融ネットワークが壊滅するのとでは社会的なダメージはまったく違うし、ゴキブリを一匹殺すのと人間一人を殺すのは社会的な意味合いはまったく違う。「社会」の安全のために一人の人間を隔離するのが当然だと考えられる「社会」というのは、精神病院の閉鎖病棟か刑務所と変わりがない。
「基本的人権が守られる自由主義社会」という理想が守られるためには、税金という社会的コストや犯罪者になり得るかも知れない隣人との共存というリスクを引き受けなければならないのである。「安全な社会」が真に理想だと考えるなら、そいつこそどこかに要塞でも作って立てこもるしかない。それが自由主義というものである。
(Mr.Moto)
あまり、行儀いいことではないのですが、全文引用します。
14492 wrote:
>ケロさん wrote:
>
>>まあ、もう、語り尽くされている話題でしょうが。
>
>最近では、例えば、このような書き込みがありました。
>
>> No.14259 Sat, 28 Sep 2002 22:05:16 +0900 よし(陽疾)
>>
>>そして、もうひとつの123さんの主題は
>>>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>>>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるよう
>>>にしか、私には思えてなりません。
>>というところでしょう。
>>これは、いろんなASやADD/ADHDサイトのBBSサイトの
>>発言をみると、時々、私も123さんと同じ思いを禁じえないことがあります。
>>>それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しい>のではないのでしょうか?
>>などと、時によっては、私も心の中で叫ぶ時があります。
>>こんど、ADHDの人たちが自分たちで
>>『ひらめきすぎる人々(仮題)』という本が出されるようですが、
>>このタイトルには、個人的には抵抗を感じます。
>>劣等感にさいなまれるのも良くないですが、
>>ADHDに妙にアイデンティティとプラスイメージを
>>求めるのは自分には違和感があります。
>
>>「やんちゃん」さんへの返事のつもりで書いた文章のはずだったのですが、それに>かこつけて、自分の言いたいことだけを垂れ流した文章になってしまいました。
>>ごめんなさい。
>
>http://www.nadita.com/bbs/yakata/bbs.cgi?L=14259#14259
14492サンの意図が正確にはよくわかりませんが、個人的には、
14492さんの投稿に、非常に私は怒りを感じています。
まあ、激怒です。
14492さんの投稿の意図を私は下記のように理解しました。
「ノーベル賞をとった、田中さんはひょっとしたらASかもしれないが、
あんたらは同じASでもただの凡人なのだから無関係何だよ。なによろこんでるんだ!」
私のもとの文章が、そういう誤解を招きやすいものだったのかもしれませんが・・・。
田中さんが仮にASであったとしたらASの人は多いに喜び、祝福したくなるのはきわめて当然でしょう。私も、うれしいです。
めっちゃいいニュースじゃないですか?
あまりグダグダ書きたくないのですが、、私が、ASやADDで自分のAS特性や
ADHD/ADDに妙にアイデンティティやプライドを感じていて、「なんだかなあ〜」
と思って嫌悪感を抱くような例というのは、たとえば二つほどあげます、
1.自分のHPに常人では理解できないような色々な規則を作っている人を何人か知っています。
そして「これは決してパロディでもなんでもなく、・・・」と自慢たらたらのようにも受け取れる演説をぶち、それが、ASの天才的特性だ・・・みたいなことをいいたくてしょうがないような人。(「変人かもしれませんが、僕はこうしないとやりにくいので・・・」と、普通の人ならこういうニュアンスで済むのだが・・・)
2.ある人が、SOAA掲示板で「私は、○○という問題があって恋人ができないことで悩んでいるのですが、これもADDが原因でしょうか?」的な発言をと書き込んだのですが、これに対して、「それはADDとは関係なくあなたの性格の問題です」的な発言を言い放った人がいました。まあ、意図としたら「『ADD的な問題』よりは、『対人能力的問題』にその問題は起因しているのでしょう」という意味だったのでしょうが、「性格が問題」といわれたら、「あなたの人間性が悪い」というニュアンスに取られても仕方ない部分があり、一種の人権侵害的発言です。その誤解を招いた非を多くの人から指摘されても、その人は決して謝罪しませんでした。その人は、ADHD/ADDの良い点をいつも力説されている人でしたが・・・・。そして、たいていの場合、投稿された人の悩みの問題よりも、ADD/ADHDの特性へのこだわりがいつもそのひとのSOAAでの発言の主題でした。
ADHDの人が現実を見据えず「ひらめきすぎる人々なのだ」とはしゃぐと、かえって悪影響が多いと個人的には考えています。(ASのひとは、その特性としてメリットを心の支えにしても悪影響は出にくいと、思います)
14492さんは、「ASかもしれぬ田中さんのノーベル賞受賞を喜ぶASの方を揶揄」されたかったのでしょうか?
さびしい人ですね。あなたが、そんなことをするのは勝手ですが、(個人的には激怒しているが)、そんな意図の発言に私の発言を「ダシ」として使わないでください。
ケロさん wrote:
>これを読むと
>あまりプラスイメージを出すと、
>「自分も天才なのに認めてもらえない」という
>ストレスを抱える人が出てくる可能性もあるということでしょうか?
この件に関しては、ケロさんの言ってらっしゃる意味が、(婉曲な否定と言う意味でなく言葉どおりに)まったくわかりませんので、コメントはパスさせていただきます。
りる wrote:
>ごちっくさん、初めまして。
>
>ごちっくさん wrote:
>
>>アスペルガー症候群という天才や狂気を内に秘めつつも、常識とのバランスがう
>>まくとることのできない人は社会からいなくなったほうが良いと思います。
>
>これはあまりに極論だと思います。
>
>>僕も精神に異常をきたしたおかしな人間です。僕も含め、危険な人はネット
>>社会に依存することは大目に見つつも現実社会からは隔絶されるべきではな
>>いかと思わずにはいられません。それはすべて「安全な」社会という理想の
>>ために乗り越えなければならないハードルなのではないでしょうか。
>
>ごちっくさんの「精神の異常」というのが具体的にどのようなものかわかりませんが、
>とても自己評価が低くなっておられる状態であるように感じられます。
>
>「異様に低い自己評価」というのは、様々な精神疾患によって起きますが、
>それはまず100%「認知のゆがみ」といわれるものであり、
>何らかの方法でそれを検証しながらただしていく=適性な自己評価をする、ということが必要であると私は思っています。
>私自身や私の知り合いはそうしてきました(私は抑鬱神経症及びC-PTSDです)。
荒らすつもりだったのですが、真っ当なレスを頂いてしまいました
適正な自己評価は考えてみます。どうやら書きこむ場所を間違えてしまったようです。
もう書きこみません。すいませんでした。
ごちっく wrote:
>大事件をおこす人の割合というのはマイノリティーほど高くなります。
>これは必然といってしまったらそれまでなのでしょうけれど、アスペルガー
>症候群という天才や狂気を内に秘めつつも、常識とのバランスがうまくとる
>ことのできない人は社会からいなくなったほうが良いと思います。
>僕も精神に異常をきたしたおかしな人間です。僕も含め、危険な人はネット
>社会に依存することは大目に見つつも現実社会からは隔絶されるべきではな
>いかと思わずにはいられません。それはすべて「安全な」社会という理想の
>ために乗り越えなければならないハードルなのではないでしょうか。
ははは…まさにそのとおりなのかもなぁ…きっと俺なんか、「こいつめ−!」って、わら人形に五寸釘でのろっているやつがわんさかいるぜ!そのせいか、最近胸が痛くてさぁ…きっとこりゃガンだろうな…あと10年もつか分からないぜ!
人間というものはな、細胞っていう水あぶくの塊さ。とてつもなく脆いものだぜ!今はぴんぴんしているあんただって、明日どうなるかは分からない!だから、一日一個何か良いことをするように、努力してみようぜ!それが希望につながる。メメント・モリ!
ごちっくさん、初めまして。
ごちっくさん wrote:
>アスペルガー症候群という天才や狂気を内に秘めつつも、常識とのバランスがうまくとることのできない人は社会からいなくなったほうが良いと思います。
これはあまりに極論だと思います。
>僕も精神に異常をきたしたおかしな人間です。僕も含め、危険な人はネット
>社会に依存することは大目に見つつも現実社会からは隔絶されるべきではな
>いかと思わずにはいられません。それはすべて「安全な」社会という理想の
>ために乗り越えなければならないハードルなのではないでしょうか。
ごちっくさんの「精神の異常」というのが具体的にどのようなものかわかりませんが、
とても自己評価が低くなっておられる状態であるように感じられます。
「異様に低い自己評価」というのは、様々な精神疾患によって起きますが、
それはまず100%「認知のゆがみ」といわれるものであり、
何らかの方法でそれを検証しながらただしていく=適性な自己評価をする、ということが必要であると私は思っています。
私自身や私の知り合いはそうしてきました(私は抑鬱神経症及びC-PTSDです)。
↓これは、既に多く方のの書き込みで引用されいてるので、今更「誰々wrote」と断り書きするのも意味がなくなってきているかもしれない…
>そして、もうひとつの123さんの主題は
>もしかして、自分は天才だ。自分にすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるよう
>にしか、私には思えてなりません。
>というところでしょう。
>これは、いろんなASやADD/ADHDサイトのBBSサイトの
>発言をみると、時々、私も123さんと同じ思いを禁じえないことがあります。
>それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
>などと、時によっては、私も心の中で叫ぶ時があります。
ケロさん wrote:
>これを読むと
>あまりプラスイメージを出すと、
>「自分も天才なのに認めてもらえない」という
>ストレスを抱える人が出てくる可能性もあるということでしょうか?
確認させていただくのですが、上のケロさんの言葉は、「アスペルガーの人々が、世間一般の間で、あまりプラスイメージを持たれてしまうようになると、今度は「自分も天才なのに認めてもらえない」というストレスを抱える、アスペルガーあるいは健常者が出てくる可能性があると、よし(陽疾)さんはお考えになっているのでしょうか」ということなのでしょうか?
たぶん、そのストレスの正体というのは、「嫉妬」なのでしょうね。
もしかして、ケロさんは、この掲示板で過去起こった「123さん論争」を、ご存じないのかも知れないのですが。
14492さんが、よしさんの言葉を引用した真意というのは、私にはよく分からないのですが、私はよしさんに対して、下のようなレスをつけました(No.14374)。
>
>>よし(陽疾)さん wrote:
>>
>>> 重度のAS児の母親の心理として、「自分の才能や能力を信じたり誇っ
>>>たり」できる他のAS者に嫉妬してしまい(本当は、ある意味仲間だから
>>>助け合っていくべき関係なのに)、その嫉妬する自分を責めてしまう、重
>>>度AS児の母親の苦しみを訴えたかったのだと思います。
>>
> ローナ・ウイング博士は、自身の著作で、「能力の高い子どもの親が、子どもが成長する過程で、自分の息子や娘が自立しようとするときに助けることができず、傷つくのを見ていなければならないことがよくあります。ほかの人に一生頼って生きていくような重度の障害をもつ子どもの親は、少なくともこのような悩みをせずに済みます」と、述べています。
> 同時に博士は、我が子が重度の発達障害児で、追跡調査のデータが示すような、良好な予後の望めない子どもであるということを受け入れなければならないという事実は、自閉性障害の子どもを持つ親たちの直面する、多くの厳しい現実のひとつに過ぎない、とも言います。我が子を他人の子どもと較べてどうこういうのは、時間の無駄というよりない、というわけです。
> 一見、「そんな殺生な」と思わせる文面ではありますが、自身も自閉症児の母親である博士の言葉だけに、この一節だけでなく、著作には全篇にわたって、博士自身の、(今でこそ笑い話にさえ変えることができたといえど)当時は押し殺しているしかなかった慟哭が託されているかのようです。
まあ、上の時点では、私は「天才かも知れないAs]のことは、念頭において書いてはいなかったのですが。もし自閉症というものが、まるで天上界のヒェラルキーか、インドのカースト制度のように、知的にもひどく損なわれ、生涯ほとんど発達や自立の見込みのない最重度の自閉症から、日常的にもほとんど支障がなく、高収入の職に就いている、高IQと呼ばれる人たちまで、すべてのレベルに分布があり、しかも下から上まで、三角形を形成しているというのならば、果たしてすこしでも知性を有する者が、その一段上の者達に対して、ある種の嫉妬の情を抱くということになるかどうか、というのは、上に引用した、ウイング博士の言葉を思うなら、いくら論じていても、私としてはらちがあかないような気がします(センテンスが無駄に長い…(-_-;))。
もしかしたら、我々の「三角」の上には、さらに大きな「健常の三角」が存在していて、我々だって健常者に対しては、様々に複雑な感情を持っているかも知れないというのに、「世の中にはもっと症状の重い者がいるのだから」と言った123さんに、あれだけの反撃を食らわすのは、おかしいのではないかという気がしたことも確かです。
>私は「プラスイメージ大いに結構派」なんです。
>犯罪を犯すと精神鑑定をして例えば「アスペだった」というニュースに
>なるじゃないですか。
>でも偉大なことをした人には精神鑑定しませんよね。
ただ、このご意見は、なかなかよい着眼点だと思います。「アスペルガー」という文字が、犯罪者の来歴には必要とされ、栄誉ある受賞をした者には、必要でないのか。そうだとしたら、なぜなのか。まるで脱獄囚が逃走資金を必要とするみたいにして、「先天障害」と「犯罪」に、いかにも有意な関係があるように扱われるのは、ナンセンスだと思います。
>いろんな人がいますよね。
>「アスペは犯罪を起しやすい」
>「天才はみんなアスペである」
>そうじゃないですよね。
『利己的な遺伝子』の翻訳等をした、動物行動学の日高 敏隆博士が、人間一人一人の特質とか、たとえば片親がいないとか、とある要素でもって、その人の将来を確実に予測することなどまったく不可能だ、といったことを言っています。アスペルガー症候群を持っているから、この子は将来、人を殺すようになるとか、性格的にキレやすいとか、あるいはまたノーベル賞をもらうようになるとか、そんなことは誰にも言えない。
また、偉大なエジソンだってLDだったんだから、おまえもがんばって、などという言葉だって、言われる本人にとってみれば煩わしいだけかも知れない。
>このハイジャックの事件でまた、悪いほうのイメージが先行することを
>恐れています。
>で、ちょっと天才話を入れてみました。
>緩和にはならないな・・・。
犯罪者か天才か、とか、アスペルガーの人生は、そんなに極端で単純なものではないと思います。能力的にも平凡で、地道に生きているAs者をクローズアップすることも、緩和の役には立つかもしれません。
私はフルートの才能を生かして、あちらこちらでコンサートや国際交流などに役立てることもあるけれど、「あなたがうらやましい」などと、私がはるか及ばないほどに正常な人に真顔で言われても、いっこうに気持ちは盛り上がらず、何故かどうしても「どうもすみません(-_-)」という気持ちになります。トニー・アトウッドは、アスペルガーの人が、その才能を褒められたりすると、むしろ嫌がったり、隠そうとしてしまうのは、自分が「人と違う」ことが強調されてしまうことを恐れ、警戒するからではないかと思われる、と言っていたような気がします。私にとって、その言葉は、けっこう正解だという気がします。
それにしても、自分がフルートができるというのは、中坊の頃、ブラスバンドの部活動の仲間はずれにされていて、ひとりきりで練習することのできる時間が、有り余っていたから、というのは、我ながら皮肉だなあ、と、今になってつくづく思います。
あにゃ。訂正です。
あんく wrote:
> ただ、このご意見は、なかなかよい着眼点だと思います。「アスペルガー」という文字が、犯罪者の来歴には必要とされ、栄誉ある受賞をした者には、必要でないのか。そうだとしたら、なぜなのか。まるで脱獄囚が逃走資金を必要とするみたいにして、「先天障害」と「犯罪」に、いかにも優位な関係があるように扱われるのは、ナンセンスだと思います。
「優位な関係」とは、「有意な関係」の、変換ミスです。
大事件をおこす人の割合というのはマイノリティーほど高くなります。
これは必然といってしまったらそれまでなのでしょうけれど、アスペルガー
症候群という天才や狂気を内に秘めつつも、常識とのバランスがうまくとる
ことのできない人は社会からいなくなったほうが良いと思います。
僕も精神に異常をきたしたおかしな人間です。僕も含め、危険な人はネット
社会に依存することは大目に見つつも現実社会からは隔絶されるべきではな
いかと思わずにはいられません。それはすべて「安全な」社会という理想の
ために乗り越えなければならないハードルなのではないでしょうか。
くりあさん wrote:
> 以前の,ぽんこさんの,視覚体験のお話から気になっていることがあるのですが……
>
> 就眠後の目覚めは,部屋が暗いので,どう見えているのか分かりませんが
> 周りが明るいうちの,居眠りから目が覚めた後の,10数秒の間
> 視界全体が緑がかっています。
> 白い部分を見れば薄い緑色,黒い部分を見れば濃い深緑色
> といった感じで,全体が緑色の世界です。毎回です。
それは、明るい場所で眠っていたからです。
人間の目蓋というのは透過光では赤く見えます。つまり、明るい部屋で眠っていると、布団を被って寝ているとかアイマスクをして眠っているとかしないかぎり、網膜には赤い光が当たりつづけます。その結果、目が醒めると赤の反対色である緑が残像として残っているということだったりするんですよ。
グリーンディスプレイという、緑色の文字を表示するディスプレイを使って仕事をしていると、夕方家に帰るときに、空に浮かんだ白い雲がきれいなピンクに見えました。
なお、これは網膜そのものの働きというより、視神経と脳による情報処理の結果なのだそうです。たとえば、「黒とオレンジの縦縞」「黒と緑の横縞」という図形を数分間眺めていると、「黒と白の縦縞」を見ると緑色がかって見え、「黒と白の横縞」を見るとオレンジがかって見えるそうです。
(Maria)
りるさん wrote:
>中学の頃、「一般の(中でも一部の考えナシの子だと思うけど)」子の間では、「養護学級」にいる子たちが、個々にどんな子なのか、個々にどんな障害を抱えているのか知りもしないで、「ヨーゴ」というコトバが侮蔑語として使われていた。その語は既に「養護学級とそこの子たちの実状」を離れて、ただの記号になっていた。「普通」の子が何か失敗したら「お前ヨーゴじゃねーの?」とか、「ヨーゴ!ヨーゴ!」とはやし立てるとか。
>それと同じように「お前アスペじゃねーの?」とか使われるようになったらすっごく嫌だなあ。
私の生家の近所には、お豆腐屋さんがあります。年若い頃は、よく母に言われて豆腐を買いに行ったものです。つい最近知ったことなのですが、そこの旦那さんは、てんかんを持っており、昔は発作の度に、救急車が来ていたようです。
まだ物覚えのつかなかった幼少時代、近所の子達と遊んでいて(というより近所で最年長の兄の後ろにくっついていただけという感じ)、その豆腐屋の息子である男の子がやってくると、「わー、とーふやの子だ、逃げろー!」などとみんなではやし立てては、走って逃げるのです。私もそれにくっついて、なにか面白いことでもやっているのかと、訳も分からないまま、逃げていました。はやし立てられた男の子は、泣くでもなく、怒って追いかけてくるでもなく、ただただぼんやりと突っ立って、私達を見ていた映像が、今でも目の前に浮かんできます。
漫画家の小林よしのり氏は、「差別」とは、喜怒哀楽の情と同じく、人間には生まれつき備わっているものであり、「私には差別の心というものがありません」と言うのは、「私には感情というものがありません」というのと同じである、という論を展開していたけれど。
それが本当だったとすれば、それこそ感情論になってしまうのですが、喜びがいつか哀しみにとって代わり、怒りが苦痛を生むように、差別の心も、人を痛めつけるだけのものではない、なにか他のものに変えてしまうことはできないものなのか(まあ、世の中には差別、被差別の現実を笑いのめす、ブラック・ジョークというものが存在するけれど)。
みずからの中の差別心を無視し、感情と同様に押し殺しているだけでは、それがストレスを生むことになり、それこそ犯罪につながりかねないと思います。この考えも、一歩あやまれば、例えば「セックス産業がなければ性犯罪が増えて困る」という「必要悪」に群がる、ヤ印みたいに真に凶悪な犯罪と同じものを、引き起こすことになってしまいかねないのですが…。
以前の,ぽんこさんの,視覚体験のお話から気になっていることがあるのですが。。。
就眠後の目覚めは,部屋が暗いので,どう見えているのか分かりませんが
周りが明るいうちの,居眠りから目が覚めた後の,10数秒の間
視界全体が緑がかっています。
白い部分を見れば薄い緑色,黒い部分を見れば濃い深緑色
といった感じで,全体が緑色の世界です。毎回です。
自分がASかも知れないと思うようになってからの現象なので
ASと意識したせいで,過敏になってしまったのか
それとも個人的に,目に異常があるのかと考え
自分なりに,当てはまる病名等を探してみたのですが
皆目分かりません。
どなたか,同じような現象の方いらっしゃいませんか?
また,どういうことなのか,誰か知りませんか?
14492さん、早速教えてくださってありがとう。
私はこのローナ・ウイングの話を書き込んだのは、
今日新聞を見て「アスペルガー」で検索して興味本位で
ここを訪れる人に、犯罪のことだけではなく
プラスイメージとして読んでもらいたいと思ったからでした。
>>そして、もうひとつの123さんの主題は
>>>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>>>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるよう
>>>にしか、私には思えてなりません。
>>というところでしょう。
>>これは、いろんなASやADD/ADHDサイトのBBSサイトの
>>発言をみると、時々、私も123さんと同じ思いを禁じえないことがあります。
>>>それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しい>のではないのでしょうか?
>>などと、時によっては、私も心の中で叫ぶ時があります。
これを読むと
あまりプラスイメージを出すと、
「自分も天才なのに認めてもらえない」という
ストレスを抱える人が出てくる可能性もあるということでしょうか?
私は「プラスイメージ大いに結構派」なんです。
犯罪を犯すと精神鑑定をして例えば「アスペだった」というニュースに
なるじゃないですか。
でも偉大なことをした人には精神鑑定しませんよね。
でもそれを達成する爲には、その障害がプラスに働いたからという
こともあるはずですよね。
アスペは200人〜300人に一人いるらしいです。
(私の感覚的には100人に一人はいそうなんだけど)
いろんな人がいますよね。
「アスペは犯罪を起しやすい」
「天才はみんなアスペである」
そうじゃないですよね。
正確な情報を世間の皆さんに持ってもらいたいと思います。
プラスもあればマイナスもある。
このハイジャックの事件でまた、悪いほうのイメージが先行することを
恐れています。
で、ちょっと天才話を入れてみました。
緩和にはならないな・・・。
ケロさん wrote:
>まあ、もう、語り尽くされている話題でしょうが。
最近では、例えば、このような書き込みがありました。
> No.14259 Sat, 28 Sep 2002 22:05:16 +0900 よし(陽疾)
>
>そして、もうひとつの123さんの主題は
>>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるよう
>>にしか、私には思えてなりません。
>というところでしょう。
>これは、いろんなASやADD/ADHDサイトのBBSサイトの
>発言をみると、時々、私も123さんと同じ思いを禁じえないことがあります。
>>それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しい>のではないのでしょうか?
>などと、時によっては、私も心の中で叫ぶ時があります。
>こんど、ADHDの人たちが自分たちで
>『ひらめきすぎる人々(仮題)』という本が出されるようですが、
>このタイトルには、個人的には抵抗を感じます。
>劣等感にさいなまれるのも良くないですが、
>ADHDに妙にアイデンティティとプラスイメージを
>求めるのは自分には違和感があります。
>「やんちゃん」さんへの返事のつもりで書いた文章のはずだったのですが、それに>かこつけて、自分の言いたいことだけを垂れ流した文章になってしまいました。
>ごめんなさい。
http://www.nadita.com/bbs/yakata/bbs.cgi?L=14259#14259
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