アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
なんかADHDの本の話になっていて
ひょっとして僕の質問にリンクしてるかもって自意識過剰になったので
一応書くと僕が買って読んだのは
#へんてこな贈り物 インターメディカル社
#かだつけられない女たち WAVE出版
です。
あと
#のびた、ジャイアン症候群 (司馬先生?)
も結構立ち読みしましたが。
これら2つ(3つ)を読んで僕は自分がADHDじゃないかと思うようになりました。僕はどちらもお気に入りですし、僕にとってADHDのイメージはこれらの本の感じです。ADHDの本はいろいろ出ていて、僕にとっては読んでていらいらする本も結構あります。と言うかそっちのほうが多いカナ…。
あとむにゅさんお返事ありがとうございました(^^)
ご無沙汰しています。
「おうさまのみみ」のオリーブです。
おかげさまで、リンク集へのご掲載サイトが通算200サイトを超えました。
忙しさにかまけてご挨拶もままならない状態を反省し、
只今ご掲載サイトを巡回させていただいております。
コピー&ペーストの文章でごめんなさい・・・
これからもよろしく!
P.S
8月からWEBのオリエンテーリングゲームに参加します。
お暇な時にでも、遊びに来てくださいね。
windy wrote:
>また、windy です。
>
>私は時々、人と一緒に、お酒を飲んで、楽しい気持ちになれるかな、と思って職場の人を誘って一緒に出かけることもあるのですが、その場で一生懸命、自分のことを話し、相手の話しも聞こうと努力するので、相手も楽しかった、と言ってくれるし、自分も結構楽しんでいるのですが、その後が、どうも人と違うようなのです。
僕は下戸で酒を飲むと気持ちよくなる前に気持ち悪くなるか、頭痛がするか、なぜか呼吸が苦しくなるかのどれかになるので、酒で気持ちよく酔える人が羨ましいです!!
飲み会の類も酔えれば苦痛じゃなかったかも……
>その後もっと親しくなりたいと、自然な気持ちが湧いてくれば、相手にも伝わると思うのですが、もう次の日には、その楽しかったひと時も、ひとごとのようにしか感じれず、相手にどう接していいのかわからなくなり、相手をなんとなく避けたりして、それはすぐに相手に伝わりますから、結局何もなかったかのようになってしまいます。それで、相手ともとの唯の職場の同僚の関係に戻ったときほっとします。職場などで誰かと親しくなりそうになると、自分が不安定になって、ひどいときには仕事が手につかなくなってしまいます。つまり、ひとりでいる事が私にとって一番安定できる状態なのです。
あー僕もそんな感じです。知り合いから友達に移行する際のプロセスがよくわからないので相手を避けているのか、相手に無意識のうちに威圧感を感じ、自分の内面に入ってこられるのを恐れているのか、自分でもわかりません。
何か人と精神的に対等になれない感じです。気が弱いだけかも。
>「寂しい」っていうのは全然ないといえば嘘になりますが、ほとんど感じません。たまに職場の人どうしすごく楽しそうに騒いでいるのを見たりすると、いいなあ、って思います。そういうときが、ちょっと寂しいと感じるときかな。
>友だちと呼べるひとは片手で十分ですが、1年に何回か電話で話したり、手紙をやり取りしたり、という程度ですが、私にはそのぐらいがちょうどいいみたいです。ひとと付き合う為のエネルギーが極端に少ないので、小出しにして、長く持たせているという感じです。ひとが嫌いなのではないと思っています。
僕も人と付き合うためのエネルギーが極端に少ないって感じです。
エネルギーが枯渇すると、人付き合いはもういいよ、面倒くさい、疲れるだけだって感じです。
ユングは心的エネルギーを外部との関係に使うのが外向的性格、内面的な事に使うのが内向的性格って書いていたような。僕はまさに外部との関係にはほとんどエネルギーを使わない(使えない)ようです。
外部との関係に使えるエネルギーが元々少なく、しかも人と話すとき、他の人なら無意識の内に出来るような受け答えにも頭をフル回転させて大量にエネルギーを消費して答えるのであっというまにエネルギー枯渇って感じです。
>あ、夜道を・・という話しですが、私一度アパートを引っ越すとき、ホテルしかいるところがないっていう夜、ものすごい寂しさを感じたことがあります。涙が出そうでした。そして、なんにもない空っぽの、でも自分の場所になった次のアパートに入ったとき、胸の中が一気に暖かいもので満たされたような気持ちがしました。私は「自分の」場所があればいいみたいです。
僕が見知らぬ夜道で感じる寂しさは、ああ、人が死んでいく時はひとりで死んでいくんだなぁという寂しさです。無常感ってやつかも。
友達がいない寂しさとはまた違うような気がします……
ひろた wrote:
>人がそばにいないという事は社会不適応のあかしなんじゃないかという恐怖感におしころされそうだからってのもあったとおもいます。「ずっと普通になりたかった」に書いてあるのとおんなじような感じで
>
>あと一人でいるとボーっとしてきて何にも考えられなくなってしまう事があります。特に何かやらなきゃいけない時。
>その点、人といると頭がさえてきて、色々なことが考えられるし、色々な事が出来るし、そんな自分が好きだからっていうのもあります。だから、一人で出来る仕事が多分いいんだろうとおもいつつも、いつも一人ぼっちで誰にも(けなされる事もあっても)誉めたりされないで黙々とやる仕事がうまく行くか不安ではあります。頭がうまく働いてくれるのか。。。。もちろんすきなことにはまったとき時は、始終夢中でそればっかりやって、一人でも楽しいです。そんな時は他の人に突然自分の今考えてる事を嬉しそうに話しちゃったりします。
>
レスありがとうございます。
僕にはひとりでいても社会不適応のあかしじゃないかという恐怖感は
全然ありません。
ひとりでいる時が一番仕事に集中できます。
で、集中している時に他人に話し掛けられると、それに答えるのが
すごく面倒くさくなり、かなりぶっきらぼうに答えてしまって
あとで「しまった、さっきのぶっきらぼうな口調で相手は気分を
害しなかったかっただろうか?」と考えてしまいます。
しかも一日何度も。
>それになんか自分の貴重な時間を使って僕とと一緒にいてくれてるんだなとおもうとあとでじわーっと心暖まったりします。愛されたいです。いていいよって言って欲しい。少しくらいうそでもいいから。
>
>僕はそんな感じです(^^)
>
あ、僕の場合は、じわーっと心暖まるより、そんな気遣いをしてもらうのが
申し訳ないという感じのほうが強いです。
いていいよって言われたいと思ったこともないなあ……
>
>もちろん、疲れてる時は人といると元気にしてなきゃいけなくて悲しいとおもってしまうし、自分が考え事をしてる時に強制的にたの事に付き合わさせると、あとで内心疲れてしまう事はありますが、きっとこれは誰でも思う事
>
>
>
>PS
>全然これとは関係ないですが(^^;
>
>質問
>アスペの人でじぶんはアスペっぽいけどADHDではないかもって思う人っていますか(自己診断でです そんなこと考えた事もないって人は無理に考えないで下さいね(^^;別に区別しようとかナントか、何かたくらんでるわけじゃないですから(^^; アスペ+ADHDと思っている人がたくさんいるのはもちろん知っているので)
僕はADHDではないようです。
たまに仕事中に席を立ってそこらを歩き回ることがありますが、
一日中座っているような仕事なのでたまには動かないとしんどいです……
青木雨人 wrote:
>今日図書館でADHDの本を見つけました。タイトルは【ADHD 注意欠陥・多動性障害 親と専門家のためのガイドブック】アリソン・マンデン&ジョン・アーセラス著 東京書籍 ¥1800
僕もこないだ池袋の本屋で、次のような本を入手しました。
P.Oクイン/J.Mスターン著 田中康雄/高山恵子訳
「ブレーキをかけよう1 ADHDとうまくつきあうために」山洋社
¥1200
挿し絵が豊富で、はじめてADHDという障害を学ぶ人には、とても良い本です。
また、windy です。
私は時々、人と一緒に、お酒を飲んで、楽しい気持ちになれるかな、と思って職場の人を誘って一緒に出かけることもあるのですが、その場で一生懸命、自分のことを話し、相手の話しも聞こうと努力するので、相手も楽しかった、と言ってくれるし、自分も結構楽しんでいるのですが、その後が、どうも人と違うようなのです。
その後もっと親しくなりたいと、自然な気持ちが湧いてくれば、相手にも伝わると思うのですが、もう次の日には、その楽しかったひと時も、ひとごとのようにしか感じれず、相手にどう接していいのかわからなくなり、相手をなんとなく避けたりして、それはすぐに相手に伝わりますから、結局何もなかったかのようになってしまいます。それで、相手ともとの唯の職場の同僚の関係に戻ったときほっとします。職場などで誰かと親しくなりそうになると、自分が不安定になって、ひどいときには仕事が手につかなくなってしまいます。つまり、ひとりでいる事が私にとって一番安定できる状態なのです。
「寂しい」っていうのは全然ないといえば嘘になりますが、ほとんど感じません。たまに職場の人どうしすごく楽しそうに騒いでいるのを見たりすると、いいなあ、って思います。そういうときが、ちょっと寂しいと感じるときかな。
友だちと呼べるひとは片手で十分ですが、1年に何回か電話で話したり、手紙をやり取りしたり、という程度ですが、私にはそのぐらいがちょうどいいみたいです。ひとと付き合う為のエネルギーが極端に少ないので、小出しにして、長く持たせているという感じです。ひとが嫌いなのではないと思っています。
あ、夜道を・・という話しですが、私一度アパートを引っ越すとき、ホテルしかいるところがないっていう夜、ものすごい寂しさを感じたことがあります。涙が出そうでした。そして、なんにもない空っぽの、でも自分の場所になった次のアパートに入ったとき、胸の中が一気に暖かいもので満たされたような気持ちがしました。私は「自分の」場所があればいいみたいです。
こんにちは
ADHDっぽいひろたです
僕は逆にさみしいといつも思っていました
水を差すようですみません
でもきっとむにゅさんに同感する人たくさんいるんじゃないかな ここに(^^)
人がそばにいないという事は社会不適応のあかしなんじゃないかという恐怖感におしころされそうだからってのもあったとおもいます。「ずっと普通になりたかった」に書いてあるのとおんなじような感じで
あと一人でいるとボーっとしてきて何にも考えられなくなってしまう事があります。特に何かやらなきゃいけない時。
その点、人といると頭がさえてきて、色々なことが考えられるし、色々な事が出来るし、そんな自分が好きだからっていうのもあります。だから、一人で出来る仕事が多分いいんだろうとおもいつつも、いつも一人ぼっちで誰にも(けなされる事もあっても)誉めたりされないで黙々とやる仕事がうまく行くか不安ではあります。頭がうまく働いてくれるのか。。。。もちろんすきなことにはまったとき時は、始終夢中でそればっかりやって、一人でも楽しいです。そんな時は他の人に突然自分の今考えてる事を嬉しそうに話しちゃったりします。
それになんか自分の貴重な時間を使って僕とと一緒にいてくれてるんだなとおもうとあとでじわーっと心暖まったりします。愛されたいです。いていいよって言って欲しい。少しくらいうそでもいいから。
僕はそんな感じです(^^)
もちろん、疲れてる時は人といると元気にしてなきゃいけなくて悲しいとおもってしまうし、自分が考え事をしてる時に強制的にたの事に付き合わさせると、あとで内心疲れてしまう事はありますが、きっとこれは誰でも思う事
PS
全然これとは関係ないですが(^^;
質問
アスペの人でじぶんはアスペっぽいけどADHDではないかもって思う人っていますか(自己診断でです そんなこと考えた事もないって人は無理に考えないで下さいね(^^;別に区別しようとかナントか、何かたくらんでるわけじゃないですから(^^; アスペ+ADHDと思っている人がたくさんいるのはもちろん知っているので)
僕は30代前半ですが、ごく最近になるまで、
「友達がいなかったり、いてもめったに会わなかったりしたら
たいていの人は寂しさを感じる」という事実に全く気が付きませんでした。
このHPのアスペ診断基準の「友達と相互に関わろうとする意欲に欠ける」
に自分は思いっきり当てはまっているのですが、理由ははっきりしています。
友達と相互に関わらなくても別に寂しくないから、です。
自分は、数少ない友人が死んだら悲しむと思いますが、別に何年
会わなくても寂しくない。会って会話すれば楽しいのですが。
夜、人通りの無い見知らぬ街を歩いていると、突然孤独を感じることがあります。
友達のいない寂しさってこんな感じなんでしょうか?
ごく最近まで、自分は単に内向的なだけの人間だと思っていましたが、
なんか、脳の中の「寂しさを感じる個所」が正常に機能していないような
気がしてきました。
寂しさを感じないのは僕だけ?アスペの人にはよくあること?
皆さんはどうですか?
書き込みばかりですみません。
他にこういうことを書き込む掲示板もそうそうないので。
>「花神」に出てくるエピソードとしてもう一つ強く印象に残っているのは、長州征伐の大将に任命された大村が、馬に乗らず(彼は足が短く馬に乗れなかった)歩いてうちわで仰ぎながら出陣したという場面です。勿論暑いとは決して言わなかったはずです。
>伊藤博文や山県有朋のような普通の人ならば、何を差し置いても馬に乗る練習をするでしょうが、彼にとって見てくれは何の意味も持たないし、乗れないのだから乗らないのは当たり前、勝ちさえすれば大将は馬になど乗らなくても務まると、一向気にしなかったのだと思います。馬が地位の象徴であった時代に、馬に乗らず歩いて出陣した大将は多分彼以外におらず、アスペルガーの面目ここにありという感じがして好きな場面です。
>彼は元々町医者から蘭学者になって洋書の翻訳を主にしていましたが、幕府に攻められ切羽詰った長州藩で、終に大将にまでさせられてしまったのです。蘭学者あがりの翻訳家は彼以外にもいましたが、身分制度を何とも気に留めないような非常識さを持っていた彼にしか、そんな芸当は出来なかったのだろうと思っています。
言われてみれば、大村のアスペルガーっぽいところっていっぱいありますね。
むむむ。書き込んだときは気づかなかった……
他にも、戦闘の作戦を立てる時に、敵の逃げてくる経路が
目に見えるように頭に浮かび、そこに伏兵しておいたら予想通り
敵が逃げてきたのはvisual thinkingかな?
>
>他にも司馬遼太郎の小説では「胡蝶の夢」に出てくる伊之助という男が、相当アスペルガーぽいっ人物です。彼は耳がとても良く、語学に優れていたようです。どこでこんなエピソードを見つけてきたのかな、と思うような話が幾つかありました。普通の小説は意味が良くわからないのであまり読みませんが、時代小説やノンフィクションならば話の筋道を追えなくなることもないので、司馬遼太郎はよく読んでいます。
「胡蝶の夢」は読んでいません。今度読んでみます。
司馬遼太郎のファンが書いた本の「司馬遼太郎に変人を書かせたら
右に並ぶものがいない」という文を見て納得した覚えがあります。
司馬遼太郎は変人を愛してくれているようなので、ちょっとくらい
変わっててもええやん!と気楽な気分になれます。彼の小説を読むと。
>司馬遼太郎の「花神」ってご存知ですか?
>この物語の主人公大村益次郎の人間関係での非常識ぶりもすごいものが
>あります。
>相手に殺意を抱かせるようなことを平気で言って回りにいる人がひやひや
>しているのにひとり平然としていたり、
>「お暑うございますね」と挨拶されて「夏とはそういうものです」と
>返事したり。
私も何が嫌といって夏の暑いときに暑いですねと挨拶されるほど嫌なものはないので、彼の気持ちは大変よくわかりました。初めて「花神」を読んだ時には、まだアスペルガーの知識がなかったので面白い人だなと思っただけでしたが、今では彼など典型的なアスペルガー症候群だなと思っています。
「花神」に出てくるエピソードとしてもう一つ強く印象に残っているのは、長州征伐の大将に任命された大村が、馬に乗らず(彼は足が短く馬に乗れなかった)歩いてうちわで仰ぎながら出陣したという場面です。勿論暑いとは決して言わなかったはずです。
伊藤博文や山県有朋のような普通の人ならば、何を差し置いても馬に乗る練習をするでしょうが、彼にとって見てくれは何の意味も持たないし、乗れないのだから乗らないのは当たり前、勝ちさえすれば大将は馬になど乗らなくても務まると、一向気にしなかったのだと思います。馬が地位の象徴であった時代に、馬に乗らず歩いて出陣した大将は多分彼以外におらず、アスペルガーの面目ここにありという感じがして好きな場面です。
彼は元々町医者から蘭学者になって洋書の翻訳を主にしていましたが、幕府に攻められ切羽詰った長州藩で、終に大将にまでさせられてしまったのです。蘭学者あがりの翻訳家は彼以外にもいましたが、身分制度を何とも気に留めないような非常識さを持っていた彼にしか、そんな芸当は出来なかったのだろうと思っています。
他にも司馬遼太郎の小説では「胡蝶の夢」に出てくる伊之助という男が、相当アスペルガーぽいっ人物です。彼は耳がとても良く、語学に優れていたようです。どこでこんなエピソードを見つけてきたのかな、と思うような話が幾つかありました。普通の小説は意味が良くわからないのであまり読みませんが、時代小説やノンフィクションならば話の筋道を追えなくなることもないので、司馬遼太郎はよく読んでいます。
最近読んだノンフィクションの中では、「9四歩の謎」の主人公である将棋指しの坂田三吉が、これまた典型的なアスペルガーで、読んでいて笑ってしまいました。明治時代の人なので、彼は単なる奇人として見られたり思いのほか人情深い人と見られたり、毀誉褒貶が激しかったようです。アスペルガーとして考えれば、彼の奇行はとても典型的なもので、謎とされる行動も大方は想像のつく範囲内のものだなと思いました。
むにゅ wrote:
>「お暑うございますね」と挨拶されて「夏とはそういうものです」と
>返事したり。
こう言うの大好きです。私も夏ほとんど暑いという言葉は使いません。体が感じないだけかも知れませんが。
むにゅ wrote:
>山田花子は昔ヤングジャンプで漫画が連載されていた時の印象が強烈に
自己レスです。ヤングマガジン連載でした。どうでもいいことですが。
司馬遼太郎の「花神」ってご存知ですか?
この物語の主人公大村益次郎の人間関係での非常識ぶりもすごいものが
あります。
相手に殺意を抱かせるようなことを平気で言って回りにいる人がひやひや
しているのにひとり平然としていたり、
「お暑うございますね」と挨拶されて「夏とはそういうものです」と
返事したり。
司馬遼太郎の本の中では「花神」が一番好きです。
彼がアスペだったのかは知りませんが、彼のようにずぶとく生きたい。
また独り言でした。
windy wrote:
>windy wrote:
>>>「ふつう」のようになりたいのでしたら、とにかく傷つきながら、学ぶしかないと思います。「ふつう」になるのが、良いのかどうかは別問題ですが。
>
>シュッツさんの言葉を受けて、自己レスをいれておきます。
>
>むにゅ wrote:
>>僕も「普通」になりたいです
>
>という言葉をみて、上のような間抜けなレスを入れてしまったことで、むにゅさんにいやな思いをさせてしまっただろうと、後悔しました。日頃の、患者対医療従事者と言う図式の中で、知らぬ間に自分の中に染み付いている上から人を見る姿勢そのものではないかと思いました。人のつぶやきを、ただ、つぶやきとして聞くことができないのは悲しいことです。ごめんなさい。
>
あ、いえ全然気にしてないです。社会人として生活していくのなら
傷つきながら学習していくしかないのですから。
でも会社でしょっちゅう傷ついているわけではありません。
ほとんどは与えられた仕事をのほほんとこなしているだけです。
ぎりぎりのところで深刻になやまないタイプのようなので。
悩むというより、他の人は楽々と自然に生きられて、楽しいこと、
幸せなことがいっぱいありそうでいいなと羨ましく思うことのほうが
多いです。
あ、またつぶやきでした。
では。
館の管理人 wrote:
>8年前に自殺した漫画家の山田花子については、共通するところがあるようにも思います。(アスペの館の本の紹介のページでとりあげてますが)
>他の山田花子については何も知らず何もいえません。
>
>漫画家山田花子で検索したら、次のようなウェブサイトが見つかりました。
>できたてのようです。
>
>「山田花子スピリット」
>http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/1528/
館の管理人さん、わざわざありがとうございます。
山田花子は昔ヤングジャンプで漫画が連載されていた時の印象が強烈に
残っています。
後で自殺したと知ったとき、ああ、やっぱりあの漫画は自分の体験を
元にしていたのだなあと思いました。
他人との会話のどうでもいいような瑣末なところを気にする主人公は
他人と思えず、記憶の底に沈めておきたいことをほじくりかえされるような
漫画だったのでなかなか読むのが辛かったです。
僕は山田花子ほど深刻に思い悩むことのない性格のようなので^^;
その点救いです。
windy wrote:
>>「ふつう」のようになりたいのでしたら、とにかく傷つきながら、学ぶしかないと思います。「ふつう」になるのが、良いのかどうかは別問題ですが。
シュッツさんの言葉を受けて、自己レスをいれておきます。
むにゅ wrote:
>僕も「普通」になりたいです
という言葉をみて、上のような間抜けなレスを入れてしまったことで、むにゅさんにいやな思いをさせてしまっただろうと、後悔しました。日頃の、患者対医療従事者と言う図式の中で、知らぬ間に自分の中に染み付いている上から人を見る姿勢そのものではないかと思いました。人のつぶやきを、ただ、つぶやきとして聞くことができないのは悲しいことです。ごめんなさい。
でも、今度もむにゅさんの書き込み、やっぱり私の気持ちとそっくりで、また本当に嬉しくなりました。ありがとう。
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