アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ひま人さんは,余人には理解しがたい真摯を表に見せる,真正アスペルガーなのでしょう。普通の皮を使いこなせている純度の低い人よりも,ここでは尊重されるべきなのでしょうね。でも本人が使いにくそうなので,ツリー式の所をおすすめします。ジャンクは私が消しますので,どうぞ。
http://www10.plala.or.jp/cgi-bin/wforum/wforum.cgi/yoco/wforum?
ひま人さん wrote:
>「孤独だねー」というのは、せっかく書き込んでも反応がなかったときの空しさ(これはこっちが感じるもの)に対しての共感的な心情が半分ほど、こういう真摯なメッセージに対して反応を返してこないことに対する反感、軽蔑感が半分くらいです。
>いうまでもなく小生があなたに敵意や反感を抱くわけがありません。こういう論客は歓迎されるべきだしどんどん投稿して下さい。ただ小生にとってはやや難解で消化するのに時間がかかります。
ええと、単なるROMラーが横槍入れて申し訳ないんですけど、自分の場合は
> 難解で消化するのに時間がかかります。
を正に地で行っているからこそ、尚更迂闊なコメントなど出来ないのですが…。
(なのでいつもここの方々の打ったら響くような、精度の高い日本語に、いつも感心してROMしているのです)
> 反感、軽蔑感が半分くらいです。
とのことですが、飲み込めてもいないのにわかった振りをして返す反応よりも、自分の中で消化できるまで待つ沈黙の方が自分的には誠意ある態度だと思っています。
それでROMしてるわけなんですが(あくまで自分の場合)。
> 共感的な心情が半分ほど、
この共感がただの「つもりだけでしかない勘違い」でなければいいなあ、と思います。
もしこの沈黙の意味を読み違えているとしたら、それが本当に共感なのかどうか、ちょっと不思議です。
それから、
>「孤独だねー」
というタイトルでは、自分には共感ではなく揶揄に見えてしまったので、もし本来の意図と違うのであれば、タイトルが適切でなかったのではないかと。
もし共感及び周りの人への反感なり軽蔑がメインの主旨であればそういうひねった言い方ではないほうがよかったのではと。
もとより自分は裏に隠された真情には疎いアスペルガー(自称)なので、頓知のきいた物言いをされても本来の意図を汲み取る能力がないのです。
ひま人さん wrote:
> 「孤独だねー」というのは、せっかく書き込んでも反応がなかったときの空しさ(これはこっちが感じるもの)に対しての共感的な心情が半分ほど、こういう真摯なメッセージに対して反応を返してこないことに対する反感、軽蔑感が半分くらいです。
いや、今回の書込みに関しては、最初から「書きっぱなし」のつもりで書いていたのだ。ちょいと挑発めいた部分もないではなかったが、なにせツッコミを入れる部分がほとんどない。Resを期待するほうが無理というものである。
でまあ、実のところ今回の書込みは「種蒔き」みたいなもんで、ひとつは(あまり効果は期待できないのだが)「囚人のジレンマ」だとか「しっぺ返し戦略」だとかいったゲーム理論がらみの話題の前振りだったりするわけで、もうひとつは私がシンパシーを感じるある種の人々に対するエールだったりもするのである。
「正直者は馬鹿をみる」と言われつつも、いまだ正直者は絶滅していない。お人好し・正直者は一見適者生存の原則に反しているように見えながら、じつは「お人好し」「正直者」という行動形式は進化の中で培われ生き残ってきた適応戦略の一つであり、しかも常にその主流でありつづけた最適な戦略であるという信念が、おれにはあったりするのである。
そんなわけで、心の底で「そうだそうだ」と思っていてくれるファン(呆れたことにおれにもファンがいるらしいのだ。もったいないことである)の存在も意識しつつ、似合わないことをしてみたのである。
> 雑誌での論争を取り上げたのは、それが実現するかどうかはともかく、ここでの書き込みのような、誰かの記述の次の行間にコメントを挿入するというスタイルが、どうもしっくりこないと感じるのです。うまく言い表せませんが、文脈が飛び飛びで、釈然としないものが残るのです。
> やはり現場を共有する空間でのやりとりのほうがインパクトを感じるのですが、さて、ではどこがどうちがってそうなるのでしょう?
単に論説が「ぶつ切り」であり、ツッコミが入るところが随所にあるところに問題がありそうな気がする。おれなんかはメッセージが長いので、あまりその差を感じないのだ。だいたいおれの論敵というのが戦艦クラスの重武装の連中が多かったので、論争となるといちばん弱いところに集中砲火を浴びせてようやくなんとかなる、という場合が多かった。単純に相手の問題じゃないか?
(Mr.Moto)
ひま人さん wrote:
>せっかく書き込んでも反応がなかったときの空しさ(これはこっちが感じるもの)に対しての共感的な心情が半分ほど、こういう真摯なメッセージに対して反応を返してこないことに対する反感、軽蔑感が半分くらいです。
障子紙の張り替え方に反応をする人は少ないと思う。それと同質ではないでしょうか。
反応を返すか否かは、内容や態度が真摯であるかどうかだけでは決まりません。問いかけの形をとらず、自己完結していれば反応が少ないのも当然。あるいは、内容が実用情報である場合も。
Mr.Moto wrote:
>ひま人さん
>> あんたも孤独だねー。
>
>(中略) そんなわけで、相手の発言の動機を「友達が少ないから」とか「女にもてないから」とか「苦労をしたことがないから」とか「人間としての優しさに欠けているから」とかいった理由に帰属させるというのは……まあ、思っててもあんまり言わんことです。喧嘩になるから(^_^;)。もちろん口喧嘩で相手をやりこめるときには有効な手段であることは大いに認めるし、私も得意だしとても好きなんですがね、あまり上品なやり口ではありません(-_-!)。
べつに中傷するつもりで書いたのではないんです。そう感じたのならあやまりますよ(こちらに対する批判はご自由にお書き込み下さい)。「孤独だねー」というのは、せっかく書き込んでも反応がなかったときの空しさ(これはこっちが感じるもの)に対しての共感的な心情が半分ほど、こういう真摯なメッセージに対して反応を返してこないことに対する反感、軽蔑感が半分くらいです。
いうまでもなく小生があなたに敵意や反感を抱くわけがありません。こういう論客は歓迎されるべきだしどんどん投稿して下さい。ただ小生にとってはやや難解で消化するのに時間がかかります。
>> いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
>
> 『雑魚亭』(http://joshya.hp.infoseek.co.jp)には以前は掲示板がひとつしかなかったので、『発達障害相互支援ネットワーク』の掲示板との共用であった。したがってあんまりエグい論争もできなかったのだが、このたびめでたく『雑魚亭』のみの掲示板が開設の運びとなった。ただし、オリジナルの『雑魚亭』はメッセージ最大長8KBの制限だったのが新・『雑魚亭』は2KBしかなく、やや喰い足りない感は否めない。まあ、分けて書きゃあいいのだが、いささか文章のリズムが損なわれるのが難だな。
> そんなわけで、場所は用意してある。いつでもどうぞ。
投稿してもいいですが、先方の膨大な知識量に圧倒されそうです。
雑誌での論争を取り上げたのは、それが実現するかどうかはともかく、ここでの書き込みのような、誰かの記述の次の行間にコメントを挿入するというスタイルが、どうもしっくりこないと感じるのです。うまく言い表せませんが、文脈が飛び飛びで、釈然としないものが残るのです。
やはり現場を共有する空間でのやりとりのほうがインパクトを感じるのですが、さて、ではどこがどうちがってそうなるのでしょう?
高いところになぜひかれるのでしょうね。わたしも子供のころ、高いところが大好きで、学校から帰るといつもおやつと本を持って木登りをしていました。枝が細くゆらゆらと揺れる柿ノ木と太く安定感があるいちじくの木が大好きでした。風に吹かれながら夕方までそこで過ごしました。黄金の子供時代です。屋根の上も好きです。高いところから飛び降りるのも大好きでした。泳ぎもできないのに海で、はるか沖まで行くのも好きでした。戻れなくなって助けてもらったことがあります。恐怖心というのもがあまりなかったような気がします。よく無事で、今まで生きてきたものです。
タレイヌさん wrote:
>> いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
> 変な事が気になりました。ごめんなさい。
> 「雑誌」って、そんな簡単に、『論争』の場を、提供してくださるのですか?
これが、意外になんとかなるものだったりする。もちろん雑誌にもよるし、条件もあるのだが。
雑誌上で論争をする場合、
1)雑誌上にそういう場(投稿欄)がある場合
2)雑誌上にコラムを持っている場合
3)本人が有名人である場合
4)相手が有名人である場合
というのがまあ普通のルートである。
(1)のケースとしては、大修館の『言語』という雑誌上でうちの所長が国広哲弥先生とやらかした五段活用ワ行の指標音論争である。これは「誰か切り返してくるだろう」と思って投稿したら大御所の国広先生が出てきて大慌てをした。
(2)のケースでは双方がコラムを持っていてそれぞれ勝手にやらかすケースが多い。新聞社の論説委員なんかが新聞系の雑誌でよくやっている。二誌購読するのも負担なのでちょっと迷惑ではある。
(3)のケースは雑誌に書かれた記事に反論を投稿してそれが掲載される場合だが、(1)のケースを除くとほとんどない。なぜかというと、その雑誌が原稿執筆依頼をするくらいだからいろいろと著者とつきあいがあり、その著者の論に反論するような記事はなかなか載せられないからだ。
とはいえ、その雑誌が学術系雑誌で、その反論がさりげなく相手を立てるような論調で書いてあると、通る場合もないではない。(1)で挙げた所長VS国広先生のケースでは、所長が文語動詞の例を使って国広先生が挙げた問題点を解消したうえで統一的な説明をしてみせる文章で応え、無事掲載されたのである。
(4)はリベラル系の雑誌(新聞系など)で有名人を叩くケースである。産経新聞系の『正論』で大野晋先生の『日本語練習帳』を叩いた馬鹿がいて、大野先生がわざわざ反論を書いておられた。これはそもそも最初の文章を書いた馬鹿がとりたて詞の「が」と接続助詞の「が」をごっちゃにしていたための勘違いだったので、とても「論争」と呼べたレベルのものではないが、大野先生の反論にまっとうな再反論が出ればかなり面白くなっただろうに、と思った。
> それと、もうひとつ。論点は、どこなんですか?
> 異論がなくて、論争をするというのは、どういうことなんだろうか???(謎!)
議論にもいろいろあって、
1)討論
2)ディベート
3)論争
4)ディスカッション
といった区別がある。
まず、(1)の「討論」は、これを「討論」と呼んでいいのかどうかは分からないが、古代ギリシャのソフィストたち行なっていたのがこれである。とにかく屁理屈だろうが詭弁だろうが、相手を言い負かせばよいのだ。これは純然たる弁説技術の勝負である。
(2)のディベートについてはいろいろと文献も出ているのでそちらを参照されたい。これは二つのチームが籤引きによって賛成・反対に分かれて自論を展開し、ジャッジがどちらに分があるかを判定するもの。
(3)は二つないしそれ以上の説のうち、どれが正しいかを論じるもの。十七世紀のフランスに起きた『新旧論争』や邪馬台国論争(畿内対北九州とか)などがこれに当たる。
(4)は問題解決の方法としての「ディスカッション」。ただし、「すべての理論は批判に対して開かれていなければならない」という「正しさ」に関する視点もあれば(たしかポパーとかいう哲学者がそんなことを言っているのだ)、うちの所長のように「書くこと」「対話すること」自体が「思索すること」というプロセスの一部であるという視点(中島義道先生あたりはこの立場らしい)もあるし、とにかく面白ければ(あるいは、そこに知性を刺激する新鮮な発見があれば)いいのだという視点もあって、必ずしも「問題解決」にはこだわる必要はないかもしれない。
以上四つのうち、(1)(2)ははっきり属人的、(3)は属人・属事相半ば、(4)ははっきり属事的である。で、(1)(2)に関しては「自分の立場」というのは存在しなくて、そこには「対立」だけがある。
(3)(4)の立場で話をしている人間に(2)の立場で絡むというのはしばしば有効なことで、これを「悪魔の代弁者」という。おれはどっちかというとこのタイプ。
で、「荒らし」退治に関していうと(1)と(2)の技術に長けていなければならない。
「反・常識」(そしてしばしば「反・良識」)の立場としておれや黒Mariaは(3)の論客であり、基本姿勢としては(4)の立場でもあったりする。
駆け足の説明で分かりにくかったと思うので、疑問点に関しては改めて質問されたし。
(Mr.Moto)
あやしいリンクは無視するのがいいでしょう。
でも、どうしても踏んでみたい(クリックしたい)という場合は、その前に、ブラクラチェッカーでチェックすることをお勧めします。
例えば、
BrowserCrasherChecker ver.0.19
http://www.jah.ne.jp/~fild/cgi-bin/LBCC/lbcc.cgi
で、さっきのURLをチェックすると、こういう結果になりました。
- 固定キャッシュ検索室 -
-----------------------------------------------------------------------
対象 URL
(略
----------------------------------------------------------------------
無限 JavaScript 警報
無限ループになるような JavaScript が見つかりました。
十分にお気を付けください。
----------------------------------------------------------------------
mailto ストーム
アンカータグではないタグで mailto: の記述が見つかりました。
メール作成ウィンドウがたぁっくさん出てきてしまうかもしれません。
パワーのないマシンでは,ブラウザがフリーズする可能性があります。
----------------------------------------------------------------------
FDD アタック / concon クラッシャー等 [img タグ等]
IMG タグや JavaScript 等により file スキーマを参照します。
ブラウザの設定によってはフロッピーディスクドライブに不要なアクセスが続
いたり, OS がクラッシュする可能性があります。
ソースを確認
ソースを確認(HotJava用)
------------------------------------------------------------------------
義務教育(小学校・中学校)の普通学級で用いている、社会科の教科書には、養護学校や特殊学級のことって、どれくらい触れられている(触れられていた)のかな??
なんか、あんま…なかったような気がするけど…
ひま人さん wrote:
>いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
変な事が気になりました。ごめんなさい。
「雑誌」って、そんな簡単に、『論争』の場を、提供してくださるのですか?
それとも、その筋の、お知り合いが、いらっしゃるという事なのでしょうか。
タレイヌは、まーったく、その関係筋とは無縁で、過ごしてきているものですから、ちょっと、気になってしまいました。世間知らずで、すみません。
それと、もうひとつ。論点は、どこなんですか?
異論がなくて、論争をするというのは、どういうことなんだろうか???(謎!)
ただ、MOTOさんの文体はともかく、人間関係というのは、見えている現象に引きずられて対応してしまうと、大体破綻します。何でかしらないけれど、表面から、1枚入りこんだところで思考し、行動すると、結果として何とかつじつまが合うように、思っているAS的?タレイヌ。そう意味で、MOTOさんが、言わんとしていることは、タレイヌに良く伝わってきます。
「孤独」というものを知らないままで、現象の表面を1枚剥がす作業は、できないと思います。自分が孤独になれるひとだからこそ、他者の孤独も理解できるし、スキルとして表現可能なのだと思っています。それ以前に「孤独」を恐れる人には、分析的なスキルを使える場面が、すでに持ち得ないことになっているのだと思うのでした。
(きまぐれタレイヌ)
ひま人さん
> あんたも孤独だねー。
たしか『「無責任」の構造』(たしか講談社現代新書だと思った)という本だったと思うが、「属人的態度」と「属事的態度」という区分があった。これは相手の行動の原因を人間に帰属させるか事物に帰属させるかという話である。「組織においては属人的態度が集団的無責任の温床となる」というのが先の本の主張なのだが、これは属人的態度が理性的な話し合いを邪魔するからだそうだ。確かに「反革命分子」だとか「親日派」だとか「資本主義の走狗」だとか言うとる国(どのレッテルがどこ製かは各自判断してくれい)では理性的な議論もしにくかろう(^_^;)。
そんなわけで、相手の発言の動機を「友達が少ないから」とか「女にもてないから」とか「苦労をしたことがないから」とか「人間としての優しさに欠けているから」とかいった理由に帰属させるというのは……まあ、思っててもあんまり言わんことです。喧嘩になるから(^_^;)。もちろん口喧嘩で相手をやりこめるときには有効な手段であることは大いに認めるし、私も得意だしとても好きなんですがね、あまり上品なやり口ではありません(-_-!)。
> いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
『雑魚亭』(http://joshya.hp.infoseek.co.jp)には以前は掲示板がひとつしかなかったので、『発達障害相互支援ネットワーク』の掲示板との共用であった。したがってあんまりエグい論争もできなかったのだが、このたびめでたく『雑魚亭』のみの掲示板が開設の運びとなった。ただし、オリジナルの『雑魚亭』はメッセージ最大長8KBの制限だったのが新・『雑魚亭』は2KBしかなく、やや喰い足りない感は否めない。まあ、分けて書きゃあいいのだが、いささか文章のリズムが損なわれるのが難だな。
そんなわけで、場所は用意してある。いつでもどうぞ。
(Mr.Moto)
今朝、寝坊して学校へ行く気が失せた娘を午後、学校へ連れていった。
こっちの学校はそうなのか、5歳児(0年生)クラスだからなのか、書き取りの自習時間は課題を済ませた子は遊んでいるし、先生は子供たちの間で個別に教えているのでにぎやかだ。
ふと見ると高機能自閉症のR君が黒板と白板のイーゼルに昇って立っていた。
うちの娘たちも高いところに登りたがって困るが、さすがに授業中はやらないだろう(と思う)。
この辺が普通と「障害」の境界線なのだろうか。
あとで娘に聞くと男の子達は1度は登るものらしい。
それにしてもR君は可愛い。
Mr.Moto wrote:
> 対人スキルの基本に、「相手をコントロールしようとする人間は嫌われる」というのがある。これは逆にいうと、「感化されたい場合を除き、人間は自分の行動を変える動機を他人に帰属させたがらない」ということである。
(中略)
> 「甘い顔を見せれば、相手はつけあがる一方だ」とか思っている奴には、誰も変えることはできない。もちろんそういう奴もいるだろうが、「お化けは出てから退治しろ」というのが工学の教えるところである。ひょっとしたら、お化けを生んでいるのはあなたの心かもしれない。
>
べつに異論はないのですが、このような批評的なスタイルでの記述における、どこかに仮想の対を設置して記述するということをしても、なんかあんまり反応がないようで・・・悪口を言って申し訳ないが、Mr.motoさんも孤独な人間なのかな?
いちどどこかの雑誌あたりで小生と論争してみますか?
シペラスさんも書いておられますが、本日からの「にんげんゆうゆう」のこと、
そして、「これからの特別支援教育」について書き込みをせていただきます。
NHK教育TV『にんげんゆうゆう』では本日から4日間、以下が放映されます。
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・11月 4日(月) 小学校入学を前に
・11月 5日(火) 「通級」を上手に利用する
・11月 6日(水) 普通学級でできること
・11月 7日(木) 学校の外での学習支援
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毎晩、午後7:30〜7:59/再放送:(火〜金)午後1:05〜1:34
http://www.nhk.or.jp/yy/
↑このHPの最上段中央にある「番組表」のアイコンをクリックし、次に、
11月第1週 シリーズ「軽度発達障害の子どもを支える」 のところを
クリックすると、4日から7日の放映の内容についても出てきます。
予告では、「違いを認め合う教育を〜軽度発達障害と学校教育〜」
が仮タイトルとなっておりましたが、この「軽度発達障害」という用語を
別の用語に置き換える可能性があるという話も聞いておりました。
実際、本日の新聞のTV番組欄には、「ADHD・LD・高機能自閉症の
教育支援」となっておりました。
この番組とも関連することですが、文部科学省のホームページの
「パブリックコメント・意見募集」欄に、小・中学校等でのADHD、
高機能自閉症(およびアスペルガー症候群)等の児童生徒への
特別支援教育に関する試案(判断基準や配慮事項)が掲載されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004d.htm
また、「個別の教育支援計画」に関する試案については↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004b.htm
全国実態調査の調査結果とその質問項目については↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004c.htm
今後の特別支援教育の在り方について(中間まとめ)の概要は↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004g.htm
また、「今後の特別支援教育の在り方について(中間まとめ)」の
目次および本文については、少々、長いですが、↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004a.htm
に掲載されています。ご意見の提出期限は、11月25日(必着)
で、提出方法は、「郵便・電子メールで」と記載されています。↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2002/021004.htm
上記のTV番組は、このこととも関連する放映です。
以上、関係者のかたがたにお知らせいただければ幸いです。
シペラス wrote:
>明日4日から三日間、NHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」で、軽度発達障害児の学校教育についてとりあげるようです!
おおそんな番組がっ!情報ありがとう。
http://www.nhk.or.jp/yy/
放送は月〜木の19:30- ですね。
対人スキルの基本に、「相手をコントロールしようとする人間は嫌われる」というのがある。これは逆にいうと、「感化されたい場合を除き、人間は自分の行動を変える動機を他人に帰属させたがらない」ということである。
したがって、ガミガミ言ったら相手が行動を変えた場合、「自分が言ったから相手が行動を変えた」と思ったら大間違い。相手は単にあなたのことを「話の通じない相手」だと思っただけである可能性が高い。下手をすると、今後『あなたに言われたから態度を改めた』と思われたくないから言えば言うほどその行動に固執する、という事態だって起こりうるのだ。で、あなたは「ガミガミ言えば相手は言う通りにする」と思っているから、「なぜ言っても聞かないのだ」とかいって怒ったりするわけで、こういうのを関係障害というのである。
他人が見て「問題だ」と思う行動は、本人だって問題だと思っているのである。その問題がいちばん切実なのは本人であって、いちばん変えたいと思っているのも本人だ。
すべての助言は無駄であると知るべし。言って分からん奴には言っても分からんし、言って分かる奴は自分でもうすうす気づいているのだ。助言は単なるきっかけにしか過ぎない。自分を変えるのはつねに自分なのである。
なお、「頑張りすぎるな」とかいった助言は真に頑張りすぎてはならない奴には届かず、本当は頑張んなきゃいけない奴が「確かにそうだ」とか思ってしまうのが世の中である。
相手を変えるコツは自分を変えることにある。最初に、自分がどれだけ相手のために変われるかを示すことが、相手を変えるもっとも有効な手段である。
「甘い顔を見せれば、相手はつけあがる一方だ」とか思っている奴には、誰も変えることはできない。もちろんそういう奴もいるだろうが、「お化けは出てから退治しろ」というのが工学の教えるところである。ひょっとしたら、お化けを生んでいるのはあなたの心かもしれない。
(Mr.Moto)
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