アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田さん、こんにちは。
> 私が知っている限りでは、一例だけアスぺ同志で結婚して、現在小学校の特殊学級に通っている娘さん(さくらちゃん)がいるというご夫婦がいます。
情報ありがとうございました。
リンコさん、おはようございます。
>>息子が発達障害と言われても、「親が親だけに、やっぱり」とか「私と同類だわ、ラッキー」という感じでした。
>>もちろん、苦労することや悲しいことも多いけれど、自閉ならではの人生の楽しみもあることを身をもって知っているので、この子が自閉であることを、私はかわいそうだとは思いません。
>
>先天ろうの子をもつ、先天ろうの親たちも、同じような発言をしています。同じことではないでしょうか。
>
>先天ろうの親たちが、同じ手話という言語を共有でき、将来は同じろう文化の構成員になるであろうろう児を育てることと、聴者の親たちが、将来は他の言語を身につけ、他の文化に属することになるかもしれないろう児を育てることとは、精神的、文化的に、全く別の経験ですし、負担や不便の種類もちがい、援助のニーズも違います。
ああ、その感じ、わかります!
たぶん、同じような状況だと思います。
>
>米国には、ろう児を育てたいというろうの夫婦のための、ろう児の養子縁組み情報を流す団体さえあるほどです。
>
>http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0w/no01/19951001.htm
似た話、読んだことがあります。読んだのはアメリカのサスペンス系推理小説なんですが…、
ろうの子供が大活躍する話で、最後にその子が親を失うと、民生委員さんみたいな人が、「いい里親を探しましょ、もちろん、ろうのカップルのね」って、当然のように手続きをはじめる場面があって、感心したものです。
リンコさん、こんにちは。
診断についてのフォローありがとうございました。
#それから、リンコさんとお話できてとてもうれしいです!
#私ね、年がら年中、家でも会社でも、ジーパンとTシャツ(冬は長袖Tシャツ、もちろんオールコットン)です。ノーメイクで、規則正しく元気に通勤しています。
>また、「スペクトルのどこかにいるらしい」という発言は、「広汎性発達障害の診断基準に当てはまる」という意味ではありません(たとえば英国自閉症協会がサービス対象とする「スペクトル上の人々」というのは、DSM-IVなりICD-10なりの診断基準を厳密に適用して当てはまることが条件になっていません)。ですから、「スペクトルのどこかにいる」というのと、DSMの定めるPDDに当てはまらないというのは、両立する可能性もあるんじゃないでしょうか。英国自閉症協会会報「Communication」の1997年春号に掲載された「自閉症圏障害の新しい統計値について」(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/ask/news/nas-news.html)で言えば、(3)の範疇に入る人たちです。
>
>DSMの目的は、たとえば何らかの調査を行なったときに、母集団を均一にすること、別々のサブタイプが混ざることで統計が無意味になることを防ぐことです。あるいは、一人の臨床家が別の臨床家にコード番号を伝えれば、だいたいどんなケースなのかが本人を見なくても想像がつくくらいに、客観的な記述を可能にすることです。
>
>診断基準に厳密に当てはまらない人は、誰かが実験室で実験を行なうときに、被験者になることはできません。サンプルが均一でなくなってしまうからです。それがDSMの本来の使いかたです。
>
>DSMやICDは、現場で、あまり重くない困難をかかえている人たちを追い返すため、サービスを否定するため、あるいは、軽い援助を求めてきた人を仮病扱いするために使われてはいけません。確かに、DSMは保険会社の圧力によって編集されたという歴史的経緯があるため、そういう使われかたをしているのは、まあ予想できたことではありますが。
ああ、保険会社がからんでいたんですか!…さもありなんですね。
>>でも、一人の子どもをもつ親として、他のお母さん方と共通の部分もいっぱいあるのでは?
>
>共通の部分は普通の親の会で話し合えば良いのですが、最初に投稿されたNaveさんの場合は、
>
>>>でも、仲間に入れてもらおうと思って、親御さんたちが集う掲示板を見に行くと、実にしばしば「子供が自閉症(発達障害)と診断されて地獄の苦しみを味わっている」という書き込みがあり、「そういう気持ちになるのは当然のことです」という趣旨のレスがたくさん付いていたりします。
>
>と書かれているのだし、何よりも第一、
>
>>>とても悲しくなってしまいます。
>
>とおっしゃっているのですから、共通の親の会だけでは満たされようのない部分が現にあるということでしょう。「共通の部分がいっぱいあ」っても耐えられない部分が。
私の気持ちを認めていただいてうれしいです。
耐えられないって程ではないんですが、「あなたの居るところではないのよ」って言われている気分になっちゃうんですよ。
>さて、親御さんの掲示板でも、「自閉っぽい人々」に暖かい場所はいくつかあります。たとえば、「ことばと発達の学習室」は、小学校の通級教室の先生の管理されているページですが、ここに集まるお母さんたちの何人かは、はっきりとスペクトル上の人というわけでなくても、「自分も子どものときは似ている所があったから、近い気がするわ」などと言い合っているのも見かけますし、「私もほんの少しはそのケがあるのね」などという発言もカジュアルに出てきます。
>
>http://www4.justnet.ne.jp/~ma2ma3/index.html
情報ありがとうございます。そのうちご挨拶にうかがいますね。
でもそのとき、「自分も自閉」ということは伏せておいたほうがいいですよね?
親御さんたちのほうが居心地わるくなると申し訳ないし…。
ビームさん、こんにちは。コメントありがとうございました。
>私は、広汎性発達障害の可能性はとても低いと思います。
>広汎性発達障害の多くの人は結婚する事がとっても難しいのではないでしょうか?
>もし、DSM-Ⅳ(アメリカ診断マニュアル第4版)を参考にされるのが最もよいのでは・・・。
うーん、そうですね。グレーゾーンかもしれません。しかし、とにかく裾野がひろく多岐にわたったスペクトルですから、自己診断も難しいし、お会いしたことのない方が1つの文章を読んだだけで判断するのも、なおのこと難しいと思うのです。
「掲示板での診断」については、1496の、ねびゅらさんことリンコさんの発言をごらんください。
>>#自閉って、そんなにいけないことですか?
>>#障害を持つって、そんなにいけないこと?
>>#(私には、「障害=悪い」という概念が、もとからありません。)
>
>障害は良いとか悪いとか言う事じゃーないと思います。
>確かに社会の多くの人とは違うから、必要な援助や理解はいると思います。
>でも、障害を持ってても一人一人はすごく素敵な表情を持ってたりするから。
本当にそうですよね。
でも実際には、子供が「障害をもっている」と診断されたことで、多くの親御さんが悲嘆にくれるんですよね…。
障害ゆえに起こる、個々具体的な困難に対して、困惑したり、援助を求めたりするのは当然だと思うのですよ。私が悲しく思うのは、昨日も今日も同じ我が子なのに、今日「自閉」と診断されたとたんに、ごはんも食べられなくなるほど苦しむ親御さんがいて、それが「普通」のことらしい、ということです。なんだか、自分の存在を否定されたような気がするかもしれません。
>これは、本当に難しいと思います。もしあなたが本当に自閉症なら、
>わたしは、自閉症で結婚されて子どもを持っていらっしゃるケースは初めて
>聞きますから・・・。
これについても、1496の、ねびゅらさんことリンコさんの発言をごらんください。
(リンコさん、詳細なフォローありがとうございます。)
Nave wrote:
>こんにちは。Naveといいます。はじめまして。
>仕事で認知心理学のことを調べていて、認知の障害というものを知り、リンクをたどってここまできました。
>そして、このサイトやペンギンさんのサイト、Lingkoさんのサイトを読み、自分とそっくりな人が他にもいたことを知り、びっくりしました。それから広凡性発達障害についてのいろんな本を読み、どうも自分はそのスペクトルのどこかにいるらしいと思いました。
>(しかし、30才過ぎてから「発達障害」って言われても、ねぇ…)
>
>その後、息子(2才半)が、やはり広凡性発達障害といわれ(その中のどのあたりかは診断されないまま)、現在1~2カ月おきに、保健所で様子を見てもらっています。
>
>息子が発達障害と言われても、「親が親だけに、やっぱり」とか「私と同類だわ、ラッキー」という感じでした。
>もちろん、苦労することや悲しいことも多いけれど、自閉ならではの人生の楽しみもあることを身をもって知っているので、この子が自閉であることを、私はかわいそうだとは思いません。
>
>でも、大きくなって私程度に落ち着くといいな、なんとかうまく世間と折り合いを付けられるといいんだけど、私と同じ苦労はさせたくないし、などといった心配はあります。それから、子供を守り育てるために親としてしなければならないこと(主に世間との折衝)を考えると、とっても憂鬱、ということはあります(社会的スキルは、私も「発達途上」ですから)。
>そういう不安を話し合ったり、情報交換をする仲間が欲しいと思っています。
>
。
>
私が知っている限りでは、一例だけアスぺ同志で結婚して、現在小学校の特殊学級に通っている娘さん(さくらちゃん)がいるというご夫婦がいます。
すみません、下の「ねびゅら」名での投稿は、リンコ(マルハナバチ)によるものです。
短縮登録しているもので、趣味娯楽系の他サイトで使っていたハンドルを・・・
ややこしいことをしてしまい、失礼しました。
Nave wrote:
>息子が発達障害と言われても、「親が親だけに、やっぱり」とか「私と同類だわ、ラッキー」という感じでした。
>もちろん、苦労することや悲しいことも多いけれど、自閉ならではの人生の楽しみもあることを身をもって知っているので、この子が自閉であることを、私はかわいそうだとは思いません。
先天ろうの子をもつ、先天ろうの親たちも、同じような発言をしています。同じことではないでしょうか。
先天ろうの親たちが、同じ手話という言語を共有でき、将来は同じろう文化の構成員になるであろうろう児を育てることと、聴者の親たちが、将来は他の言語を身につけ、他の文化に属することになるかもしれないろう児を育てることとは、精神的、文化的に、全く別の経験ですし、負担や不便の種類もちがい、援助のニーズも違います。
米国には、ろう児を育てたいというろうの夫婦のための、ろう児の養子縁組み情報を流す団体さえあるほどです。
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0w/no01/19951001.htm
ビーム wrote:
>Nave wrote:
>
>>そして、このサイトやペンギンさんのサイト、Lingkoさんのサイトを読み、自分とそっくりな人が他にもいたことを知り、びっくりしました。それから広凡性発達障害についてのいろんな本を読み、どうも自分はそのスペクトルのどこかにいるらしいと思いました。
>
>私は、広汎性発達障害の可能性はとても低いと思います。
>広汎性発達障害の多くの人は結婚する事がとっても難しいのではないでしょうか?
過去ログによりますと、最近、常連の方のお一人が、「この掲示板は、互いを診断する場所ではない」と発言なさっていますが、それをお読みになりましたでしょうか? 私はとても妥当なセンだなと思ったのですが。
また、「スペクトルのどこかにいるらしい」という発言は、「広汎性発達障害の診断基準に当てはまる」という意味ではありません(たとえば英国自閉症協会がサービス対象とする「スペクトル上の人々」というのは、DSM-IVなりICD-10なりの診断基準を厳密に適用して当てはまることが条件になっていません)。ですから、「スペクトルのどこかにいる」というのと、DSMの定めるPDDに当てはまらないというのは、両立する可能性もあるんじゃないでしょうか。英国自閉症協会会報「Communication」の1997年春号に掲載された「自閉症圏障害の新しい統計値について」(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/ask/news/nas-news.html)で言えば、(3)の範疇に入る人たちです。
DSMの目的は、たとえば何らかの調査を行なったときに、母集団を均一にすること、別々のサブタイプが混ざることで統計が無意味になることを防ぐことです。あるいは、一人の臨床家が別の臨床家にコード番号を伝えれば、だいたいどんなケースなのかが本人を見なくても想像がつくくらいに、客観的な記述を可能にすることです。
診断基準に厳密に当てはまらない人は、誰かが実験室で実験を行なうときに、被験者になることはできません。サンプルが均一でなくなってしまうからです。それがDSMの本来の使いかたです。
DSMやICDは、現場で、あまり重くない困難をかかえている人たちを追い返すため、サービスを否定するため、あるいは、軽い援助を求めてきた人を仮病扱いするために使われてはいけません。確かに、DSMは保険会社の圧力によって編集されたという歴史的経緯があるため、そういう使われかたをしているのは、まあ予想できたことではありますが。
でも、規準に厳密に当てはまらなくても、インフォーマルな場で、自分と似通った経験を日々味わっている人たちと共に励まし合うことに何の支障もないはずだと思います。
>わたしは、自閉症で結婚されて子どもを持っていらっしゃるケースは初めて
聞きますから・・・。
さて、結婚して子どもを持っている軽症型の人の存在について初めて報告されたのはつい最近、ほんの10年くらい前のことです。カリフォルニア大ロサンジェルス校のEdward Ritvo が Journal of Autism and Developmental Disorders 誌に発表した"Eleven Possibly Autistic Parents" という論文が第一号だとのことです。80年代にユタ州全州で行なわれた大規模な疫学調査を元にした論文とのことです。発表年、掲載誌の号数までは手元になくて申し訳ありませんが、誌名はわかっていますので検索のヒントくらいにはなるかと存じます。
東京書籍の「自閉症とアスペルガー症候群」にも、日本のおばあさんの話が紹介されていましたね。
>でも、一人の子どもをもつ親として、他のお母さん方と共通の部分もいっぱいあるのでは?
共通の部分は普通の親の会で話し合えば良いのですが、最初に投稿されたNaveさんの場合は、
>>でも、仲間に入れてもらおうと思って、親御さんたちが集う掲示板を見に行くと、実にしばしば「子供が自閉症(発達障害)と診断されて地獄の苦しみを味わっている」という書き込みがあり、「そういう気持ちになるのは当然のことです」という趣旨のレスがたくさん付いていたりします。
と書かれているのだし、何よりも第一、
>>とても悲しくなってしまいます。
とおっしゃっているのですから、共通の親の会だけでは満たされようのない部分が現にあるということでしょう。「共通の部分がいっぱいあ」っても耐えられない部分が。
さて、親御さんの掲示板でも、「自閉っぽい人々」に暖かい場所はいくつかあります。たとえば、「ことばと発達の学習室」は、小学校の通級教室の先生の管理されているページですが、ここに集まるお母さんたちの何人かは、はっきりとスペクトル上の人というわけでなくても、「自分も子どものときは似ている所があったから、近い気がするわ」などと言い合っているのも見かけますし、「私もほんの少しはそのケがあるのね」などという発言もカジュアルに出てきます。
http://www4.justnet.ne.jp/~ma2ma3/index.html
また、テレビドラマ掲示板にも、「親子三代」なんて人たちが何人も来られています。
Nave wrote:
こんにちは、sumiといいます。
>そして、このサイトやペンギンさんのサイト、Lingkoさんのサイトを読み、自分とそっくりな人が他にもいたことを知り、びっくりしました。それから広凡性発達障害についてのいろんな本を読み、どうも自分はそのスペクトルのどこかにいるらしいと思いました。
>(しかし、30才過ぎてから「発達障害」って言われても、ねぇ…)
私は、広汎性発達障害の可能性はとても低いと思います。
広汎性発達障害の多くの人は結婚する事がとっても難しいのではないでしょうか?
もし、DSM-Ⅳ(アメリカ診断マニュアル第4版)を参考にされるのが最もよいのでは・・・。
>息子が発達障害と言われても、「親が親だけに、やっぱり」とか「私と同類だわ、ラッキー」という感じでした。
>でも、仲間に入れてもらおうと思って、親御さんたちが集う掲示板を見に行くと、実にしばしば「子供が自閉症(発達障害)と診断されて地獄の苦しみを味わっている」という書き込みがあり、「そういう気持ちになるのは当然のことです」という趣旨のレスがたくさん付いていたりします。
自閉症、発達障害といってもすごく幅広いからかな?とおもいます。
本当に、社会に適応する事ができる人から、毎日毎日自分の顔を殴りつづけ、
皮が剥けて肉がでても、まだ殴りつづける人、レット症候群といって、進行性の広汎性発達障害で20歳になる頃には、よだれをたらし続け、自分でご飯を食べる事すら出来ない人、までいろいろな人に私は出会ってきました。大学の同級生に高機能自閉症の人もいましたけどね。
でも、本当にいろいろだから・・・。
自閉症を持つ親という立場でも、本当は一人一人思いは違うのは、
当たり前かな-と思ってます。
>#自閉って、そんなにいけないことですか?
>#障害を持つって、そんなにいけないこと?
>#(私には、「障害=悪い」という概念が、もとからありません。)
障害は良いとか悪いとか言う事じゃーないと思います。
確かに社会の多くの人とは違うから、必要な援助や理解はいると思います。
でも、障害を持ってても一人一人はすごく素敵な表情を持ってたりするから。
>自閉(スペクトル)って、遺伝と深い関連があるというから、親子そろって自閉(スペクトル)であるというケースは案外多いような気がするんですが…
>自閉な子を持つ自閉な親をサポートしてくれる所や、自閉な親でも安心して集える場所、ないでしょうか?
これは、本当に難しいと思います。もしあなたが本当に自閉症なら、
わたしは、自閉症で結婚されて子どもを持っていらっしゃるケースは初めて
聞きますから・・・。
でも、一人の子どもをもつ親として、他のお母さん方と共通の部分もいっぱいあるのでは?
はじめての書き込みですみません。長崎県に住む知的障害児の父親です。
いま、長崎県がすすめようとしている「小児療育・医療センター(仮称)の設置」という案に対し、保護者の不安の声が多数あがっています。みなさんのご支援をお願いします。
こんにちは。Naveといいます。はじめまして。
仕事で認知心理学のことを調べていて、認知の障害というものを知り、リンクをたどってここまできました。
そして、このサイトやペンギンさんのサイト、Lingkoさんのサイトを読み、自分とそっくりな人が他にもいたことを知り、びっくりしました。それから広凡性発達障害についてのいろんな本を読み、どうも自分はそのスペクトルのどこかにいるらしいと思いました。
(しかし、30才過ぎてから「発達障害」って言われても、ねぇ…)
その後、息子(2才半)が、やはり広凡性発達障害といわれ(その中のどのあたりかは診断されないまま)、現在1~2カ月おきに、保健所で様子を見てもらっています。
息子が発達障害と言われても、「親が親だけに、やっぱり」とか「私と同類だわ、ラッキー」という感じでした。
もちろん、苦労することや悲しいことも多いけれど、自閉ならではの人生の楽しみもあることを身をもって知っているので、この子が自閉であることを、私はかわいそうだとは思いません。
でも、大きくなって私程度に落ち着くといいな、なんとかうまく世間と折り合いを付けられるといいんだけど、私と同じ苦労はさせたくないし、などといった心配はあります。それから、子供を守り育てるために親としてしなければならないこと(主に世間との折衝)を考えると、とっても憂鬱、ということはあります(社会的スキルは、私も「発達途上」ですから)。
そういう不安を話し合ったり、情報交換をする仲間が欲しいと思っています。
でも、仲間に入れてもらおうと思って、親御さんたちが集う掲示板を見に行くと、実にしばしば「子供が自閉症(発達障害)と診断されて地獄の苦しみを味わっている」という書き込みがあり、「そういう気持ちになるのは当然のことです」という趣旨のレスがたくさん付いていたりします。
こういう発言を読むと、子供が自分と同じ自閉市民と知って「ラッキー」と思った私としては、彼我の違いを思い知らされると同時に、とても悲しくなってしまいます。
#自閉って、そんなにいけないことですか?
#障害を持つって、そんなにいけないこと?
#(私には、「障害=悪い」という概念が、もとからありません。)
親御さんたちに、偽らざる気持ちを分かち合う場が必要であるのはわかります。
でも、やはりそこには、私のような者の居場所はない、と感じてしまいます。
自閉(スペクトル)って、遺伝と深い関連があるというから、親子そろって自閉(スペクトル)であるというケースは案外多いような気がするんですが…
自閉な子を持つ自閉な親をサポートしてくれる所や、自閉な親でも安心して集える場所、ないでしょうか?
ここで相談することではなかったかもしれませんが、他に書くあてもなくて…
長文失礼しました。
こんにちは。まえ数回かきこみした事のあるふづです。
ええと、できればどなたか、ちょっとお聞きしたいことがあるのですけど・・
このあいだ読んだアスペについての文章の中で、
「アスペルガーの子供はパズルをするとき絵を見ずに組み立てる」
とあったのですが、これは
「パズルの箱などに付いている全体の絵柄を見ない」
ということですか? それとも
「それぞれのピースに描かれている絵をまったく見ないで、ピースの形だけ見てつくる」
ということなのでしょーか。
なんかどーでもいいような質問でスミマセン;
いや、ほんと些細な事なんですけど。
みる wrote:
>アスペの人にはとても多いと思います。
>むにゅさんが言うとおり、診断基準や、その他、
>自閉症だった人の自伝を読むと、そういう人たくさん出てきますよね。
>自閉症っぽい人でも、寂しさを感じる人ももちろんいますよね。
>
レスありがとうございます。
やっぱり寂しさを感じない人が多いですか……
「アスペルガー症候群」という言葉自体は脳に関する本を読んでいて知っていたのですが、自分は単に内向的な人間だと思い込んで気に留めていませんでした。
>寂しいって感じなければいけない物なのでしょうか?
>感じなくてもさして問題なければ、感じなくていい物のようにも思えます。
>人それぞれだから。人間って。
>寂しいと感じることがなくても、かまわないんじゃないか。
>豊かな人生って人それぞれだし、
>他人が言うある特定の感情が気にならないことによって
>得することもあるかもしれないし。
>実際むにゅさんはそれで損をしてるなんて感じてないですよね。
>
このHPからリンクされている別のHPにあったアスペ診断基準の「発達水準相応の友達関係をつくれない 」というのに僕も当てはまっていて、中学、高校では孤立していました。多分まわりから見れば、悲惨に映ったのかもしれません。少ない友人の一人が僕のことを「悲惨だ」というような意味のことを言ったのを覚えています。でもその時は自分が孤立していて悲惨という感覚がまるでなく、何を言っているのかよくわかりませんでした。
孤立して寂しさを感じているよりいいかも……
>むにゅさんは、ふと、寂しいってどんな感じ?って気になったのでしょうか?
>自分はアスペかな?と思われたのでしょうか?
>
実は、別の掲示板で、別の人が「寂しいって何のことだかわからない」と書き込みしていまして、それに対して「寂しさとはこういう時に沸き起こる感情だよ」というレスがいくつか付いていたのですが、そのレスを読んでもよくわかりませんでした。で、同じ掲示板の別の個所に「アスペルガー」という言葉が出てきたので、その言葉をサーチしてこのHPにきました。
>
>「寂しい」
>
>自分が、誰かとコミュニケーションをとりたくても、
>対象となる相手がいなくて、
>会ったり話したりできない時に湧きあがってくる悲しい感情。
>
僕の場合は、「誰かとコミュニケーションをとりたい」と思うこと自体、滅多にないです。かわりに、「誰かとコミュニケーションをとらなければならない」事があった時に、非常に困ります。仕事をしていく上でのコミュニケーションは取れますが、仕事が技術系なのが幸いしているだけで、営業の仕事なんかだったら、すごく困っていたと思います。
まだアスペルガーについて知ってあまり日にちが経っていないのですが、診断基準で自分に当てはまる個所がやたら見つかるので自分がアスペじゃないかとますます確信していってます。
仕事を続けられないほど困っているわけではないのが幸いです。
アスペの人にはとても多いと思います。
むにゅさんが言うとおり、診断基準や、その他、
自閉症だった人の自伝を読むと、そういう人たくさん出てきますよね。
自閉症っぽい人でも、寂しさを感じる人ももちろんいますよね。
「寂しさ」
簡単すぎるのか、難しすぎるのか、良く分かりません。
目が見えない人に「どうして目が見えるの?」と聞かれたような。
耳が聞こえない人に、「どうして耳が聞こえるの?」と聞かれたような。
右と左を混同してしまう人に、「どうして右と左を覚えていられるの?」
と聞かれたような。(私は混同する方なので、聞かれた方がきょとんとしてまし
た。)
寂しいって感じなければいけない物なのでしょうか?
感じなくてもさして問題なければ、感じなくていい物のようにも思えます。
人それぞれだから。人間って。
寂しいと感じることがなくても、かまわないんじゃないか。
豊かな人生って人それぞれだし、
他人が言うある特定の感情が気にならないことによって
得することもあるかもしれないし。
実際むにゅさんはそれで損をしてるなんて感じてないですよね。
むにゅさんは、ふと、寂しいってどんな感じ?って気になったのでしょうか?
自分はアスペかな?と思われたのでしょうか?
「寂しい」
自分が、誰かとコミュニケーションをとりたくても、
対象となる相手がいなくて、
会ったり話したりできない時に湧きあがってくる悲しい感情。
一人ぼっちだなあと感じる事、孤独だなあと悲しくなってくること。
私は、いつも寂しくなるのに、「寂しい」の説明がうまくできません。
一人でいることは大好きだけど、ずっと一人でいると「寂しく」なります。
誰かに会いたい。と思います。
誰かに、私に向って微笑んでほしいと思います。
私と会えてうれしいよって思ってほしくなります。
君は存在するだけで価値があるんだよって思ってほしくなります。
そして安心します。一人ぼっちでいることに不安や恐怖を感じると、
誰かにそばにいてほしい、そうすればどうにか助け合える。
そんな風に思うこともあります。
好意を寄せてもらいたい人から、好意を寄せてもらえなかった時に、
「寂しい」です。
愛情がほしいのにもらえない時ですね。
それから、
「退屈」に似た意味もあると思います。
心が退屈になってくると、誰でもいいからしゃべったり、
遊んだりしたくなります。そういう時は寂しいと感じます。
ちなみに、私は誰もいない街並みに立つと、おもちゃの世界に紛れ込んだような、
おもしろい感じになります。非現実的世界を楽しんでしまいます。
むにゅさんの感じるそんな時の寂しさは、寂しさだと思います。
人によって、寂しいと感じる部分は違うと思うから。同じ映画を見ていても。
(私は、子供の頃ADHDだったのであろうと心理士の方にいわれた者です。)
物の感じ方は、私の方こそ変わっているかもしれませんが、
ここに書かせてもらいました。
むにゅ wrote:
>知り合いから友達に移行する際のプロセスがよくわからないので相手を避けているのか、相手に無意識のうちに威圧感を感じ、自分の内面に入ってこられるのを恐れているのか、自分でもわかりません。
>何か人と精神的に対等になれない感じです。気が弱いだけかも。
友達に移行するプロセス・・私にも「謎」です。相手の自分に対する気持ちが全然読めません。関係を感じる能力がないのでしょうか。なんでもない相手との関係はだいたい察することができるのですが、意識してしまう相手のとき全く読めなくなります。親しくなりたいと思う相手に対して、アプローチをするそのタイミングが非常に悪い(と後になってわかるのですが)ため、結局チャンスがあっても逃してしまいます。
>僕も人と付き合うためのエネルギーが極端に少ないって感じです。
>エネルギーが枯渇すると、人付き合いはもういいよ、面倒くさい、疲れるだけだって感じです。
>
>ユングは心的エネルギーを外部との関係に使うのが外向的性格、内面的な事に使うのが内向的性格って書いていたような。僕はまさに外部との関係にはほとんどエネルギーを使わない(使えない)ようです。
>外部との関係に使えるエネルギーが元々少なく、しかも人と話すとき、他の人なら無意識の内に出来るような受け答えにも頭をフル回転させて大量にエネルギーを消費して答えるのであっというまにエネルギー枯渇って感じです。
私は20前後の頃に、ようやく人と会話らしいものができるようになったのですが、その頃は、会話の途中で、突然ガスケツをおこして、会話が2、3分突然途切れる(思考途絶、ですね)ようなことがありました。その頃は自分が対人関係の為のエネルギーがこんなに少ないということに気付いていなかったので、自分が全くコントロールできなかったのです。相手は多分私が熟考しているんだろう、と解釈してくれていたのだと思います(有り難いことに)。だんだん場数を踏む内に、そういうこともなくなったのですが。
内側に向けてのエネルギーも決して多いとはいえませんが、好きな事(本とか好きなテレビ番組とか、映画とか)にひとりで向かっているときは、心が充実します。大げさかも知れませんが、一番「生きてる」、と感じれるときです。きっと外へ向けるエネルギーの多い人が好きな人と一緒にいる時に感じる幸福感と似たようなものではないか、と思います。
ただ、人がそばにいると、たとえ何もしゃべらなくても、もうこの充実感を味わうことができません。例えば人と一緒に映画に行っても、相手のことが気になって気になって、(相手はたのしんでるだろうか、とか)もう映画の筋さえも読めなくなってしまいます。人と一緒に喫茶店とかで、話しをするとかはまだいいのですが、共に何かをにする、ということは難題です。
さっき掲示板にカキコmomokoです
メールよろしくー (^^)
実は私。今25歳なんですけど
両親が自閉症だってこと知らずにきたんです。
病状とかよんでくうちに
体がふるえてきて。いたたまれないんです。
健常者の人が怒ってる姿が、、、。
だれかお返事掲示板にのせてください。
よかったら健常者のかたでも
少しお友達になってください。
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