アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
シペラス wrote:
今日の毎日新聞の朝刊に、「厚生省(現:厚生労働省)が、1998の時点で製薬会社側から、『リタリン』について、「不安症状による自殺企図・幻覚・薬物依存症などの深刻な副作用が生ずる恐れがあり、抗うつ剤としての使用認可はすべきではない!」という進言があったのを無視し、そのことにより、日本でもいわゆる『リタラー』が増加し、リタリンの副作用による自殺者も出始めている。」という記事が載っていました。
>私は薬剤師ではなく、これはあくまで私の主観的な意見に過ぎませんが、『リタリン』の服用に関しては、以下のことを注意する必要があると思います。
1.『効かない』と思っても、お医者さんから言われた一回量・服薬回数以上は、絶対に飲まない!
2.『疲労感・不安感・幻覚』など、副作用と思われる症状がでた時は、状況を記録し、速やかに主治医に伝える!
3.『服薬者』が子供の場合は、なるべく『親が薬を保管し、必要な量の薬を手渡す』という形で服薬させる!
4.『第一選択薬』ではなく、あくまで『どうしてもうつがよくならないときの最終手段』であるという意識をもって、安易に服用することを避ける!(一般的な抗うつ剤が、本当に効果が出たと実感できるのは、少なくとも1ヶ月ぐらい後になってからで、2週間ぐらいで効かないと思うのは、早計だそうです。)
5.『薬』の前に、『自分が居やすい場所は、どんなところか?』『今までの行動に無理がないか?』『食生活は正しいか?』等を見直してみる!
遥 wrote:
風呂糸さまへ
おはようございます。
風呂糸様がおっしゃっていたことを史実から紐解けば、このようなことが浮かんできます。
歴史の資料集の表紙などでご記憶の方もいらっしゃるでしょう、
徳川時代の『朝鮮通信使』の話です。『朝鮮通信使』は前時代に朝鮮から強制連行された人たちを連れ帰るという裏の目的があったそうです。
『徳川幕府は何を考えているのかわからない』、『人間を連行した側が返しに来るべきである。』などという考えが当時の朝鮮国内ではあったそうです。『歴史は繰り返す』というが、ここまで同じとは思わなかったです。
400年近く前にこんなことがあって、それを繰り返しているのだろう。
まったく「温故知新」がなっていないものです。
それでは。
遥 拝
文月立斎 wrote:
>小泉首相の”犠牲礼賛”、その影に”敗者への配慮”が欠けていることに気づくべきではないのか?と私は常々言いたくて仕方がない。が、現状で普通の方達は、なぜかこんな切羽詰った御時世でも『自分だけは絶対助かる』すなわち『自分は絶対勝つ』と根拠もなく自己に思い込ませ、敗者にならないことをブルブル震えながら、日々生活しているような気がする。私は危険きわまりないと不安で仕方がない。
こんばんわ、遥です。
このことは「武士道」の欠如が現れていると私は捉えたのだが。
『負けるが勝ち』という諺や『肉を切らせて骨を断つ』という考え方
(これは違うかも?)はどこへ行ったのだろうか。
世の中『絶対』という価値観はバブル経済の崩壊、デフレの進行によってとりわけ庶民は痛いほど状況を解っているというのに。
巨大なフライホイールだった戦後日本経済、余力でもまだ回るうちははよいが、一度完全に止まってしまったら再起動は並大抵の力では無理である。少し速度を緩めてもとまるよりましだと思うのは私だけではあるまい。圧力が肉厚の薄い部位に強くかかると福島第二原発のシュラウド(圧力容器の周囲の隔壁だったかな)のようにひびが入って割れてしまうのだ。
金属疲労もいづれはくるのだよ。好景気のときに金を溜めて不景気の際に放出するという発想はこの国にはないらしい。
『歴史は繰り返す』というが、この国の民族、官僚は優秀だと自負していたのではなかったのか。
過去の事例に学ぶというもっとも単純な方法すら取れぬとは。
近代では澁澤栄一翁のやり方なども参考になる点はあるのではないか。
落語だって受け取り方を考えれば経済の打開のヒントとさえなる。決して過言ではないはずだ。私は先人の知恵を生かすことも必要だと思う。
これ以上事態が悪くなる前に手を打たねば…。日本は終わる。
それでは失礼仕る。
遥 拝。
中央線は走る方向と色が悪い。気の流れは新宿・東京方面でなく渋谷に流れているようだ。
こんにちは風呂糸です。
最近電車に乗る事が多いのですが、
首都圏では中央線、京浜東北などが遅れたり止まったりすることが多くなりました。
全て人身事故です。(特に中央線おおいよなぁ…)
自殺者が年間30000人の国ニッポン。
JRもホームに柵を設置して、列車到着時だけ開くようにとかできないのかまったく。。。
同じく北朝鮮の拉致事件に関しても、過去に日本は膨大な数の朝鮮の人達を、
奴隷のように日本に拉致して連れて来ました。
悪いのは北朝鮮だけではない。
アメリカも日本も様々な国も、それぞれ悪い事はしているものです。
だから他国を非難するだけではなく、
未来に向けて、粘り強く対話は続けて行かなければなりません。
あなたは、何かの出来事を武力・暴力で解決した事はありますか?
そしてそれは解決されましたか?
(これは、質問という訳ではありません。。。)
なんだか、まとまらない内容になってしまった。。。
風呂糸
ひま人さん wrote:
>「アスペルガー症候群と高機能自閉症の理解とサポート」を読んだ。
>で結局、何がどう改善されるわけ?
>
>どう役に立つのかいまいちようわからん。
支援関係者が出す本には二つのタイプがあります。
(1)これまでの支援のあり方を改善するための本。既にASやHFAの
ことを知っている支援関係者や当事者の家族を対象に書かれて
いる。
(2)ASやHFAについてあまり知らないか全く知らない層に対し
てこういう問題があるのだということを知らせるための本。知
っている人から見れば既知の内容が書かれていることが多い。
で、「アスペルガー症候群と高機能自閉症の理解とサポート」とい
うのは典型的に(2)のタイプの本。以前に学研の月刊実践障害児教
育という雑誌で組まれたAS特集が元ネタになっています。
ASやHFAなどは「見えない障害」という冠詞がつけられるよう
に、社会的理解を得にくいタイプの障害です。(鷲羽丸さんやすなふ
きんさんの最近のコメントが典型的)従って支援の観点から見れば、
少しでもこれらの問題にアンテナを張っていて、前向きに解釈してく
れる層を拡大していく活動は必要なことです。AD(H)Dの世界で
はどんなカラーの団体であれ、(2)のタイプの活動にはかなり力を
入れています。弊害もないとは言えないのですが。
わたし自身は学会のシンポジウムで当事者のパネリストとして発言
を求められたことが何度かありますが、軽度発達障害専門の学会と広
い範囲の障害を扱う学会では話せる内容にはかなり違いがあります。
前者の学会では与えられたテーマに沿いさえすれば思う存分問題提起
をすることができますが、後者の学会では司会者が(社会性の障害,
コミュニケーションの障害,こだわり行動)について解説したのを踏
まえて初歩的な内容から入っていく形式を取りました。
で、話を元に戻しますと、ひま人さんが題材にしている著書は既に
ASやHFAの問題空間に入っている人(当事者も含む)には食い足
りない内容ではあるのではないかとは思います。障害学全般に興味を
持つ読者(行政関係者などを含む)を、問題空間に引き入れることが
あの本の目的なのではないでしょうか?全然障害学にも興味のない人
には役に立たなくなってしまう危険性がありますが。
私は正直小泉首相の言うことが嫌いだ。別に政府批判したいのではなくて小泉さん個人が嫌いなのだ。
最も決定的だったのは貴乃花が怪我をしながら優勝決定戦で見事に優勝した時の「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」だったと思う。
私的に思うのだ、他人の痛みを安易に美化する発想を持つ為政者というのは、国(国民)とって不幸極まりないことじゃないか?と思う。
勘違いしないで欲しい、私も貴乃花の相撲に賭ける真摯な思いに素直に感動したし、小泉首相の上記発言も本音はそんなとこだったのかもしれない、だが首相が掲げるスローガンにはどこか過剰な勝利礼賛と犠牲を美化するフレーズが含まれていることに私は戦前の暗黒時代を連想させて不安で仕方がないのだ。
小泉首相の”犠牲礼賛”、その影に”敗者への配慮”が欠けていることに気づくべきではないのか?と私は常々言いたくて仕方がない。が、現状で普通の方達は、なぜかこんな切羽詰った御時世でも『自分だけは絶対助かる』すなわち『自分は絶対勝つ』と根拠もなく自己に思い込ませ、敗者にならないことをブルブル震えながら、日々生活しているような気がする。私は危険きわまりないと不安で仕方がない。
ASに限ったことでなく、こうした『無茶な時代』で傷ついている人達はもう至るところで膨れ上がっているのだ、健常な人達でさえ心を病んでしまい、もっとも最悪な例では自ら命を絶つ人間が日常化してしまっている。これは異常極まりなくてなんなんだろう?と思う。私自身直に見てた口だが近年精神医療のご厄介になったり鬱、不眠はては様々な精神的ストレス障害で苦しむ人間が増えてきている。事態は切迫しているのにそれでも勝利万歳・犠牲礼賛なのだろうか?私はもういい加減にして欲しいと思っている。
皆もう疲れているのだ、疲れて疲弊してしまったら、本当の意味でこの国と社会は終わってしまう。終ってしまったら二度と立ち上がれないのにと。
Lulu_2440さんwrote:
34年前にすでにアスペの診断を受けていらっしゃったのですか?
そういえば私も小学校入学前に知能テストで何か問題があったらしく、親にその
ことを問いただしても誤魔化すんです。これって怪しいですね。
とにかくその後は小学校でしゃべらない子になったことで、過激ないじめに
遭遇、普通の子には楽しいはずの小学校生活は地獄絵巻と化しました。
そしてお前が悪いからいじめられるんだといつも言われ、自己嫌悪にさいなま
れ、それが二次障害の元になったんだと思います。今でも自分の名前をよばれ
るのが嫌です。いつも名前を呼ばれて罵倒されていましたから、自分の名前そ
のものがマイナスイメージとなってしまったんです。
いじめの基本構造そのものは中学、高校、大学、社会人となってからも継続し、
良好な人間関係を築くことが出来ず、友人も恋人も出来ませんでした。まとも
に職にも就けず、気がついたら40歳。慢性的に人生に疲れているような気がし
ます。
それでも生きていかなければならない理由がどこにあるのかよくわかりません
。正直言って。
でも、少なくとも自分から命を絶つことは望みません。もしガンであと半年、
と宣告されたら普通の人とは違う気分になるかもしれないですけど・・。
>能力差を認めて生きやすい社会を作る方向というより、能力差で選別排除して
>、はじき出された者にとっては生きにくい方向へ向かっているのだと思います。
それは、自分(健常者)が生きやすいようにしないと、自分が分からなくなる、自分を見失ってしまうのが怖いからなんでしょう。特に、今の日本人は自分のことしか考えない恐ろしい人種だと思うんですよ。だから、健常者は自分達のために八百長じみた競争によって障害を持っている人を蹴落とそうとするんです。
ほんとお疲れ様でした。
進むも地獄、引くも地獄、私もいっぱい経験してます。
黙ってても喋っても浮いて、どうすりゃいいの、って困惑しちゃいます。
ほんと、健常者にとってみれば、人づきあい、なんでもう少しうまく
できないの、って思われますもん。
(ほんと頭で考えたら簡単そうだけど、実際やってみるとなかなかうまくいかない)
出来る人は、確かに子供の頃から出来てるわけで。
それを理由に出来ない人を差別化しないで欲しい。
昔から親身な上司ばっかりで、それがそのうち、気分が切れて、
尻たたき出して、結局バッタンキューになってばかりです。
本当は仕事の能力見て欲しいのだけど、評価基準がはっきりしない仕事でね。
ごめんごめん、いろいろ大変だったと思うのに、つい自分の事を。
今はゆっくり休憩して下さいね。ご苦労様でした。
まずはねぎらいのお言葉ありがとうございます。
文月立斎さん wrote:
>”努力してもどうにもならないことがある”
>”個人ごとの能力差はあって当たり前”
>”桃栗三年、柿八年(理解度は人によって異なる。あせらない)”
>ということを理解してくれる人が職場内にいないと、何処に行っても厳しいのかなと思うのですが・・・ごめんなさい。
全くそのとおりで、ここが最も難しい点ですね。
周囲の人は健常者の視点で考えるので、「こんなことも」出来ないのは自覚が
無いか努力が足りないからだと考えます。
そこで次にどのようなことが起こるかと言いますと、以前よりさらに尻を叩い
て何とか頑張ってもらおう、とするわけです。これは本人の為だと言うわけで
す。
ところがそれでも傍目には一向に成果が見られないとなると、結局ダメなやつ
、ということになり、あきれられます。これだけ親身になってやっているのに
それに答えないのか!とかいろいろ言われたりします。答えようにも答えよう
がないんですが・・。
それに加えて現在は経済情勢が悪く、すぐに即戦力にならない奴はいらないか
ら切り捨ててしまえという考え方が以前より優勢になっています。
企業にも余裕が無いんだから仕方が無いんだよと言うわけです。
能力差というものをそのまま市場価値に置き換えれば、確かに我々のような
「無能者」は市場価値がゼロと判断されるのでしょうね。
現代は価値の多様化が喧伝されていますが現実は逆の面があり、実は経済効率
性という単一の価値が前面に押し出てきているのであって、効率性に馴染まな
い価値はどんどん排除されつつある、というのが事実ではないかと思います。
小泉首相なんかは「頑張った人が報われる社会」などと言いますが、それはそ
のまま「能力がある人が報われる社会」であり、逆に言えば、「能力の無い人
は報われない社会」ということです。これが今の日本のコンセンサスと化して
いる現状、事態はますます厳しくなっているのではないでしょうか?
能力差を認めて生きやすい社会を作る方向というより、能力差で選別排除して
、はじき出された者にとっては生きにくい方向へ向かっているのだと思います。
まずは辞職されたこと、大変お疲れ様です。
>チームワークが何より重要とされる仕事の性質上、スムースな意思疎通、場の
>雰囲気を読み取る能力が必要とされるこの職場は、自分には荷が重すぎました
>。また臨機応変の瞬間判断を求められた場合パニクって立ち往生する傾向のある
>私にはきついものがあります。もう十分人体実験の結果は出てますので、これ
>ぐらいにしておかないと心身ともに壊れるかもしれません。
私も全く同じ理由で公務員を辞めています。
もっとも私の場合は暴力沙汰で精神的にパニック状態になったという特殊な事情もあるので、一概にすなふきんさんと同じではありません。
とにもかくにも大変だったことは経験的に理解できます。
>改めて実感するのは、幼少時からの周囲の雰囲気を読みとる能力の欠如がいつ
>までたっても改善されていないこと。自分はよく暗いと言われますが、好きで
>そうなっているのではなく、複雑な人間関係の動線を読み取ることが出来ない
>ためにどう行動していいかわからなくなるからです。下手にしゃべると今度は
>場のノリと外れたことを言ってしまいがちで、そのことが相手の怒りを買うの
>で、進むも地獄、引くも地獄なんです。
極論になりますが『できないならしない』ではないでしょうか?
私も同じ症状で勤労上かなりハンディを抱えています。あれこれ試行錯誤した過程で私はできない事はやらないことに決めています。それが職場内や勤務評価でのデメリットになることを覚悟の上でです。
アスペに限った事ではなく、普通の人にも寡黙な人はいます。今だって内気な事が原因で自分から話しかけるのが不得手な人は決して珍しくありません。ある物事に於いて自分が不得手な場合、選択肢は
・改善すべく努力する。
・出来ないと認め、別の方法がないか考える。
でしかないと思います。
普通の方達の場合上の選択でしょうし、他の方にアドバイスする際は大抵「努力しろ!」が普通ではないかと思います。
ですが改善しない人、とりわけASの人の場合は選択肢は『できないことを自覚する』でしかないのではと思います。
出来ない事を認める事は、恥をかいたようにつらいかもしれませんが出来るものと無理にやろうとしても辛いだけではないでしょうか?もちろん自覚しても就職難のこの御時世に何を悠長なと言う意見もあるかと思いますが、この就職難だからこそ『自分にとっての”適職”』を真面目に考えないといけないのではないでしょうか?融通が利かない以上、自分の希望と能力に合致した仕事に就くことこそが最も大事じゃないかと私は思います。
最後に思ったのですが、ウェブを通してこれだけお話が出来るのであれば他の人とのコミュニケーションはお嫌いではないと感じます。面等向かってのコミュニケーションが不得手であれば、文書・電子メール等を介してのコミュニケーションであれば大丈夫ではないでしょうか?むしろ問題なのは学習能力の遅滞によるハンディだと感じました。私も苦労してる口ですが、これについては周りに理解してもらうしか手が無いことを考えると、厳しいなと思います。仮に自己申告でASを理解して下さいと言っても、通用するかといえばどうですかね・・・考えると辛いです。
他の障害でも言える事ですが
”努力してもどうにもならないことがある”
”個人ごとの能力差はあって当たり前”
”桃栗三年、柿八年(理解度は人によって異なる。あせらない)”
ということを理解してくれる人が職場内にいないと、何処に行っても厳しいのかなと思うのですが・・・ごめんなさい。
こんにちは、「太平洋海霧研究所」のLulu_2440です。
#ADD/ADHDの場合もそうですが、アスペルガー症候群は、非アスペルガーの人ができて当たり前のことができません。そのうちの代表的なものがコミュニケーションと、雰囲気作りです。
「すなふきん」様が気にしておられる
(#15781「すなふきん」様より)
>改めて実感するのは、幼少時からの周囲の雰囲気を読みとる能力の欠如がいつまでたっても改善されていないこと。自分はよく暗いと言われますが、好きでそうなっているのではなく、複雑な人間関係の動線を読み取ることが出来ないためにどう行動していいかわからなくなるからです。下手にしゃべると今度は場のノリと外れたことを言ってしまいがちで、そのことが相手の怒りを買うので、進むも地獄、引くも地獄なんです。
>
>非行動的なのもそれが原因で、いわば目の見えない状態で車を運転しろというのに等しいのです。わけがわからない状態では何も出来ないのは当然だと思います。
についても、私も経験がありますが、無理に環境に溶け込もうとしてもかえって自分がピエロになってしまったようになって、不自然な振る舞いになってしまいます。それが、非アスペルガーの人たちに理解してもらえないばかりに、軋轢の原因になったりするのです。私なんかはこれが原因で、40年間いじめられっ子でした。
だいたい、私なんか、今から34年前にアスペルガー症候群の確定診断を戴くほど、重症のアスペルガー有所見者なので、当初はこのフォーラムですら浮いていたほどです。(その割には書き込み量が多かったが)
34年前なら、専門のドクター以外は「アスペルガー」の「ア」の字すら知らない時代です。一番身近な存在であるオフクロが、医学のイロハも知らないのに、アスペルガーにだけはやたら詳しくなるのも当然でしょう。
我々有所見者にとって一番つらいのは、
(#15781)
>普通の人はぶっつけ本番でもすぐに適応できる反応のパターンを身に着けてるみたいですが、私にはそのパターンが実につきにくいようです。やはり学習能力の一部に障害があるとしか考えられません。
ということです。ですから、我々がこの場を通じて(私の場合はさらに自分のホームページから情報を広めて)アスペルガーとはこういうものなのだ、という理解を広めていくのが妥当なのでしょうか? 全ての人々に理解を求めるのはもちろん無理な相談ですが、一人でも多くの人が、アスペルガー有所見者の悩みを理解してもらえるようになって欲しいものです。
(http://ww6.et.tiki.ne.jp/~hurricanex50/index.htm)
RC wrote:
>No.15664・15665のログを参考になさると宜しいかと思いますよ。まだ普通に表示されていますので。では。
のびママです。RCさん、ありがとうございました。
早速ご紹介のログ読ませて頂きました。
積極的に活動している地域もあるようですね・・・
残念ながら住んでる場所には、軽度発達障害関連の会は無いのです。
でも決して悲観的にならずに独自の方法を見つけて、アスペの息子を理解し、そしていつか周りの軽度発達障害で悩む親に対して協力していけたら...と思っています。この掲示板も参考にさせて頂きながら・・・m(__)m
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