アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
うーん。違うモードで、違う話題で投稿するときに、別HNにする感覚もわかる。とはいえ、シロです。
今日の昼間、久し振りに会ったひとと、自民党の「自由民主」って嘘の看板だから、いっそのこと「封建党」と改名すればいいのにね(ちょうど保守党というのもあるし)。反戦デモで、「自由民主党=封建党」とプラカードでも持ったら、わかりやすいし、いいかも。やろうか!
なんていう話をしました。あと、経済のグローバル化の問題など。
でも、実際にそういうプラカードを持つのは勇気がいるね(右翼の人たちを意識して。右翼の人たちが暴力的に怖いっていうのは染み込まれているよね。実際にあるし…)。というような話をしたことから、掲示板上ですが、書き込みというアクションをまずしてみよう。してみてどんな感じか体験してみようと思い、書いています。
Luluさん(Lulu_2440とお呼びしたほうがいいのでしたっけ? もしそうでしたら、ごめんなさい)、チュウメイさん、早速のレス、ありがとうございます。意識せずに傾く、斜めになってしまうという体験が、やはりおありなのですね。
チュウメイさん wrote:
>ものを書いたりするときは、体や紙を斜めにしてしまいます。意識してまっすぐにすると、どうもやりにくいのです。これは体の中心(背骨)がずれているのかもと思っていますが、こうした感覚を他の方が持っていらっしゃるということは、何か関係があるんでしょうか?
わたしは昨年、週3日行っていた職場で、数ヶ月を過ぎたあたりで人間関係が非常に悪くなり、ついに背中に強い痛みが起こるようになりました。それまでに体験したことのない種類の強い痛みだったので、何か内臓の疾患からくる痛みかもしれないと心配して、総合病院を受診しました。
様々な検査をした結果、「ストレスから来る極度の筋肉のこわばりだろう」と言われました ---これについては、不安やストレスからこわばりが起こりやすいわたしとしては、とても納得。そのときに、レントゲン写真を見た整形外科医から「背骨はきれいです」と言われたので、(少なくともわたしの場合は)背骨の問題ではなさそうです。
アスぺ疑いあり・うつで通院中の私ですが、私も机に向かって何かしている時や
ものを書いたりするときは、体や紙を斜めにしてしまいます。意識してまっすぐにすると、どうもやりにくいのです。これは体の中心(背骨)がずれているのかもと思っていますが、こうした感覚を他の方が持っていらっしゃるということは、何か関係があるんでしょうか?
補足です。No.15820の「半身」は「はんみ」と読んで下さい。
相撲で、四つに組んだときに斜めの姿勢に構えるのを「半身」といいますが、それに倣ったものです。
柔道の左(右)自然体・左(右)自護体のようなものです。
そういえば私も、2000年9月から3ヶ月間船橋へ出張していたとき、西船橋からの京葉線武蔵野快速で、いつも半身になって手すりに掴まっていた。
(進行方向に向かって斜め向きに立っていた)
左右方向の揺れに対して、最も安定な姿勢がとれました。
西船橋と市川塩浜の間のジャンクションでは、みんな横揺れで姿勢を崩しているのに、
#身障者のため立っているだけでも苦痛なはずの私が、半身の体勢になっていたおかげで、電車の横揺れにもびくともせず、一番安定していた。
医師の意見とは違うことを言ってしまうので、どうかとも思いま
すが。
ごまどうふさん wrote:
>すると、本人はしなければならないと思っててもできない自分がいる。
>自分は、生きているだけムダだとか、お母さんの期待に沿うようにでき
>ないとか、死にたいとか言い出して泣き出す。
身辺自立は徐々には身につけていった方がいいことなのですが、課題
に無理がありすぎると身につくものも身につかなくなってしまうことが
あります。(学習性無力感による問題)少しでも自分でやれることを増
やすという風に課題を下げるという妥協は必要かもしれません。
もう一つのアプローチの仕方。わたしの知っているある病院では、で
きないことについては代理手段を教えるそうです。例えば、計算ができ
ず買い物ができない場合は電卓を使わせる,服の洗濯ができないならク
リーニング屋さんに頼みにいけるようにする,料理がうまくできない場
合はデパートやスーパーの惣菜売り場をうまく利用するといった具合で
す。費用が少しかかる場合もありますが、本人の自己評価を下げない方
法としては有効です。
>それで医師は、甘えていると本人に言われたのですが、わかっててもで
>きないそれなりの質的困難さはかかえているわけで「甘え」でくくられ
>ると納得がいかなかったのですが、今までさんざん甘えだの、わがまま
>だのといって育ててきて二次症状を起こして病院にいったのですから。
>これってどう思いますか?
どうも、この問題はその医師が扱える問題ではなく、作業療法士(生
活訓練などの指導を行う場合もある)か発達障害専門の心理カウンセラ
ー(主にアドバイス)の管轄のような気がします。地元で発達障害者の
生活訓練をしているところがないかどうか問い合わせてみてはいかがで
しょうか?(問い合わせ先としては精神保健福祉センター保健所,地元
の支援団体などが有効)
昨日、仕事の中で「払込票へのハンコ押し」というのをしたのですが、わたしが用紙の指定の位置の横線に対して平行だと思ってハンコを押しても、いつも左下がりになってしまう。だから気持ち悪くても、自分がいいと思う位置より意識的に、横長のハンコの左側を微妙に上にしないと、結果的に線に平行に押せない、という体験をしました。30分ぐらいの作業の間中、し続けました。
そのとき、子ども時代にも、いつもピアノに対して、曲がって座っていたことを思い出していました。わたしはピアノに対して椅子を平行にして座っているつもりなんです(この場合、平行という表現は、おかしいかもしれません。自分としてはピアノに対して自分がまっすぐ向かい合えるように椅子を置き、自分の右側も左側もピアノと同距離にある感覚で座っている、ということです)。
ですが、それだと、どちら側かは忘れましたが、いつも一定の方向でピアノに対して微妙に斜めになっているそうで、毎回、ピアノの先生に、椅子の位置を直されました。でもそうすると、わたしはとても気持ち悪いのです。曲がっているようで、気になってしょうがない。
どなたか、似たような体験のある方はいらっしゃいますか。こういう現象は、何に由来するものなのでしょうか。
ごまどうふです。
先日は、ご親切なレスありがとうごさいました。ところで、いつも考えてしまうのですが、月1回のカウンセリングを受けていますが、医師と3人での面談を望まれています。最近、順調に行かなくなってから、〔家事ができないなど〕注意することが多くなって、どうしても普通を求めてしまう。すると、本人はしなければならないと思っててもできない自分がいる。自分は、生きているだけムダだとか、お母さんの期待に沿うようにできないとか、死にたいとか言い出して泣き出す。それは、私の対応のまずさがあるわけだから対応の仕方をお聞きしたいと思っても本人の前では適切なことが聞けない。それで医師は、それは、甘えていると本人に言われたのですが、わかっててもできないそれなりの質的困難さはかかえているわけで「甘え」でくくられると納得がいかなかったのですが、今までさんざん甘えだの、わがままだのといって育ててきて二次症状を起こして病院にいったのですから。これってどう思いますか?
文月立斎 wrote:
>>
>ASに限ったことでなく、こうした『無茶な時代』で傷ついている人達はもう至るところで膨れ上がっているのだ、健常な人達でさえ心を病んでしまい、もっとも最悪な例では自ら命を絶つ人間が日常化してしまっている。これは異常極まりなくてなんなんだろう?と思う。私自身直に見てた口だが近年精神医療のご厄介になったり鬱、不眠はては様々な精神的ストレス障害で苦しむ人間が増えてきている。事態は切迫しているのにそれでも勝利万歳・犠牲礼賛なのだろうか?私はもういい加減にして欲しいと思っている。
>皆もう疲れているのだ、疲れて疲弊してしまったら、本当の意味でこの国と社会は終わってしまう。終ってしまったら二度と立ち上がれないのにと。
ミヒャエル・エンデの『モモ』の中に、次のような一説があります。
時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせ細って、なくなってしまうのです。
これは『勤勉であれ』という意味であると、我が国では、子供たちへ教えている先生が多いと思いますが、私はむしろその真意は、『真心を持って事にあたりなさい、また常にそうあれるように、自他を大切にしなさい』ということだろうと思います。
由梨さん wrote:
>何より私は人づきあいで疲れることはあっても、人は好きなんです。
私も人が居ると何故だか沈黙と言うことが出来なくて必要以上にしゃべり続けてしまう事は多々あります。(まぁ、相手にもよりますが)人と接する事が好きなんだけどでも怖いという矛盾が常に付きまとってる感じとでも申しましょうか…(表現が難しいですが)
人が好き=対人コミュニケーションが良いと言うのではないですし、ASの人はかえって普通の人以上に人付き合いに積極的過ぎる場合もありますから(わたしもどちらかと言うとそういう感じです)由梨さんもそんな感じなのかもしれませんね。
>この前もカウンセリングで「最近気分が良くてアスペっっていうことを
>あんまり気にしなくなったんだけど、相変わらず私は機微が読めてない
>のでしょうか?」って聞いてみたら、「うん。やっぱり結構読み違えて
>ると思うなぁ…」って言われました。
と私が言われたら私だったら「読み違えているって具体的にどんな風にですか?」って聞いてしまいますが(とことん追求してしまいますので…苦笑)由梨さんはその後カウンセラーに対してどう答えたんですか?
>今の彼氏にもアスペのことは簡単に話しているのですが「良い意味で
>変わってるところはあると思うけど、全然気にならないよ」って言わ
>れました。
自分の身近な人達が困ったりしてないのであれば(もち自分も)わざわざそれを追及しなくてもよろしいのでは?問題はその事で周囲の人が迷惑したり、自分がそれでどうしようもなく困っていたら別ですが…
ASの人もいろんなタイプの人間が居るので、まずは自分をしっかり自己分析して問題が発生した時に原因を追究して相手に誤解されないように自分の発言する意味をちゃんと訴える事が肝心だと思います。
私もカウンセリングを受けてる事で自己分析等随分出来るようになったと思います(でもまだまだ色々ありますが…)
自分が問題と思った事が問題だと思って気にならない事で無駄なエネルギーを使わなくてもいいと思います。ASだからそうでならなくてはいけないと言う事はないんですし、由梨さんが由梨さんらしくあれば良いのではないでしょうか?
のびママです。
すなふきん wrote:
>まず断っておきたいのは、私はまだアスペと診断されたわけではないと言うこ
>とです。これからそれなりの医療機関に当たってみようと思いますが、ひょっと
>したら違うかもしれません。非言語性LDという学習障害のサブタイプである
>可能性も高いと思います。ADHDもかなりの程度入ってるようです。片付
>け、整理が苦手ですから。部屋の中はこんがらがってます。いずれにしても、
>素人判断は控えるつもりですけど、ここに来られる方々の多くと共通性が見ら
>れるのは事実です。
すなふきんさん、先程は失礼な書き込みお許し下さい。m(__)m
すごく的確に、息子の行動と周りとの関わりを示していたので、疑問を投げかけてしまいました...
由梨さんが言われたように、障害と個性ってホントに曖昧なもの・・・特にアスペなどの障害は健常と自閉の間にあって、すごく判断が難しい障害かもしれません。
現に個性として片付けられてる場合もありそうですね。
ただ、症状にもよりますが、個性として受け取られた場合はかなり疎外されることが多くなると思います。運がよければ受け入れられる社会でやっていけるかもしれませんが...
いずれにしてもコミュニケーションは必要な訳で、息子の将来を考えると落胆してしまいます。本人の自覚症状があるのか無いのかわかりませんが、息子はもっと苦しいのですね。
POLINECIAさん、ありがとう! 今回の例文で理解できました(笑)。
(先の結婚式場の話はマジで考えちゃった…お恥ずかしゅうございます(^_^;)。)
RCさん wrote:
>実際の結婚式場の現場で上のような挨拶がなされていたことがあるのかは
>全くわからないのですが(最初にないかもしれない、と想像します。次に
>もしもあったら、と想像してみると)……
(例)「日頃より」ご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。(葬儀場→遺族)
(おまけ)旧東欧諸国の例
・万国の労働者よ、「結合」せよ!!(不寛容の家)→売春宿のこと
・我々は1人のアメリカ人よりも10人のロシア人のために働きたい。
(棺桶会社)
POLINECIAさん wrote:
>>「またのご利用」を心よりお待ち申し上げます。(結婚式場→新郎・新婦)
実際の結婚式場の現場で上のような挨拶がなされていたことがあるのかは全くわからないのですが(最初にないかもしれない、と想像します。次にもしもあったら、と想像してみると)……
善意に解釈すれば「銀婚式・金婚式(おふたりの記念日?)の御祝いにもぜひ、当結婚式場でお慶びの宴を…末永くお幸せに」(銀婚式を式場で祝うのかどうかも分かりません。が、もしかしたらそういうこともあるかな?と想像してみました)。
ただ、そういう解釈をする人はきっととってもとっても少ないんだろうな、というのも想像できます。
だから「とんでもない!」というのが一般的な解釈なのでしょうね。と思いました。
(とってもひねくれているのだろうか…と不安になったRC)
まず断っておきたいのは、私はまだアスペと診断されたわけではないと言うこ
とです。これからそれなりの医療機関に当たってみようと思いますが、ひょっと
したら違うかもしれません。非言語性LDという学習障害のサブタイプである
可能性も高いと思います。ADHDもかなりの程度入ってるようです。片付
け、整理が苦手ですから。部屋の中はこんがらがってます。いずれにしても、
素人判断は控えるつもりですけど、ここに来られる方々の多くと共通性が見ら
れるのは事実です。
私の場合、人の話を聞いていないように見えるとかよく言われます。ちゃんと
聞いてるんですけど。
こちらの真意が伝わらないことが多いんですね。これは多分表情やしぐさでの
コミュニケーションが自分で思ってる程にはうまく出来ていないということで
しょう。人間は言葉だけでなくそれ以外の要素を総動員してコミュニケーショ
ンをとるものなんでしょう。私も最近までそれに無自覚で、言葉だけで意思を
伝えようとしてきましたが、土台無理な話なんです。
人の機微が読めないというのと、表情やしぐさでの表現が出来ないというのは
相互に関連してると思います。言語以前にお母さんとの触れ合いのような形で
の交流形式が先にありますから、そっちが基本なんですね。
その基本部分が何らかの形で機能不全となっている場合は、やはり普通の対人
交流が難しくなるのだと思います。
コード(情報を表現する記号・符号の体系)としては言語と言語以外の要素が
あって、どちらの要素が阻害されても情報伝達が不十分なものになるとすれば、
私などの場合は非言語的な要素つまり空間的認知力、雰囲気をつかむ能力など
が欠けていて、そのことが的確な反応を難しくさせているんだと思えるのです。
話が回りくどいとよく言われるんですが、言語以外の要素で表現できない分、
言語でもってカバーするしかないんですね。そういえば言語的には早熟だった
ような気がします。
皆様お久し振りです。
年末に念願の彼氏ができまして、少々(いや、かなり)浮かれておりました。
さて、最近ちょっとした疑問がありまして…。
アスペの方々は大抵人の機微が読めないとか、読み違えてしまうことが特徴の一つというか、
代表的な悩みですよね。
雰囲気が読めなくて浮いてしまったり、正直に話しすぎてひんしゅく買ってしまったり…。
私は、10代後半から妙に社会生活が息苦しくて、カウンセリングを受けているのですが、
アスペルガー症候群という診断名は、主治医に言われるまで全く意識したことがありませんでした。
カウンセラーや、主治医には「あなたの悩みはホントにアスペっぽい」って言われるし、
「人の機微に疎いし、機微を読もうとしてるのは伝わるけど大抵読み違えてる」とか
「曖昧なことが苦手だよね」ってよく指摘されるんですよ。
でも、私自身は、社会生活が妙にしんどいとか、一つのことしか考えられないとか、
気分の浮き沈みが激しくてコントロールできないとか、
何かにつけてこだわってしまってドツボにはまるという悩みが主で、
「機微が読めてない」と指摘されても全然ピンとこないんです。
だって、普通の人でもよくある程度のことだと思うし、もっと疎い人だって結構いるし、
何より私は人づきあいで疲れることはあっても、人は好きなんです。
この前もカウンセリングで「最近気分が良くてアスペっっていうことをあんまり
気にしなくなったんだけど、相変わらず私は機微が読めてないのでしょうか?」
って聞いてみたら、「うん。やっぱり結構読み違えてると思うなぁ…」って言われました。
アスペの皆さんは機微が読めないことで相当な苦労をされてるように感じるのですが、
私自身は他人に指摘されるまで機微が読めてないことに気付きもしませんでした。
今の彼氏にもアスペのことは簡単に話しているのですが「良い意味で変わってる
ところはあると思うけど、全然気にならないよ」って言われました。
こんなんでも私は自閉圏の方々の仲間に入れてもらえるんでしょうかね〜。
もしかして、普通の人が無意識にやっていることを私はマニュアル化して大量暗記してる
のかもしれません。
なんにせよ、私の場合障害というよりは個性の範疇におさまるくらいの症状しかないってことなんでしょう。
障害と個性ってホントに曖昧なものですよね。
シペラス様へ
他のBBSでもリタリンの副作用&依存性についての警告書き込みがありました。
私はリタリンの服用歴はありませんが、我々も気を付けた方がいいでしょう。
こんにちは、「太平洋海霧研究所」のLulu_2440です。
自殺防止のためには鉄道会社も頭を悩ませているようで、
(#15794「風呂糸」様より)
>首都圏では中央線、京浜東北などが遅れたり止まったりすることが多くなりました。
>全て人身事故です。(特に中央線おおいよなぁ…)
>自殺者が年間30000人の国ニッポン。
>JRもホームに柵を設置して、列車到着時だけ開くようにとかできないのかまったく。。。
可動柵を設置したり、ホーム両端に照明器具を設置したりするなどの対策はプランとしては上がっていますが、果たして実現はいつになるのやら、…
自殺防止のための設備投資以前に、人身事故の損害の方がJRにとっては頭が痛い話のようです。
でもこれも所詮は対症療法のようです。原因療法は可能なのか?
(http://ww6.et.tiki.ne.jp/~hurricanex50/index.htm)
すなふきん wrote:
>
>周囲の人は健常者の視点で考えるので、「こんなことも」出来ないのは自覚が
>無いか努力が足りないからだと考えます。
>
>そこで次にどのようなことが起こるかと言いますと、以前よりさらに尻を叩い
>て何とか頑張ってもらおう、とするわけです。これは本人の為だと言うわけで
>す。
>
>ところがそれでも傍目には一向に成果が見られないとなると、結局ダメなやつ
>、ということになり、あきれられます。これだけ親身になってやっているのに
>それに答えないのか!とかいろいろ言われたりします。答えようにも答えよう
>がないんですが・・。
すなふきんさん、上記の記述は今現在アスペの人達が困惑している点を明確に表現されているのでしょうね... お気持ちとても察することができます。
高校生になる我が家の息子も、ずっとこういうメカニズムのもとで苦しんでいるのだろうと思いました。でも、息子に直接気持ちを聞いたところで・・・こんな風に的確な応えを表現することは、まだ出来ないだろうと思います。
アスペルガーの人達の本心をお聞きすることが、親が息子を理解する上で重要な役割を担ってくれていると思うのです。本当に感謝です!
周りの人達と同様に、ついつい息子を責めてしまう方向に考えてしまいがちで・・・
本人がどうにもならないから『障害』なのでしょうね...この辺をもっと理解しなくっちゃ!と、両親揃って思っております。
あと一つお聞きしたいのですが、答えようにも答えようがない・・というのは、本人は努力しているけれども成果に繋がらないということでしょうか?それとも、努力することさえ無理ということなのでしょうか...?
どなたかお答え頂けたら嬉しいです。不躾な質問で申し訳ありません。
息子を見ていると、どうしても努力しているようには見えないものですから・・・でも障害からきてることであれば、どうしても理解しなきゃいけないことでしょうし!その辺をまず親が理解して、周りにもアスペルガーの理解を求めていく必要があると思っています。
>能力差を認めて生きやすい社会を作る方向というより、能力差で選別排除して
>、はじき出された者にとっては生きにくい方向へ向かっているのだと思います。
まったく同感です。障害がある・ない云々に関わらず、互いを認める世の中にしたいですね。残念なことですが、真っ先にはじき出されるのは、やはり障害を持つ人達でしょう・・・
障害者が生き難い世の中は、誰にとっても生き難い世の中のはず・・・です。
POLINECIA wrote:
>「またのご利用」を心よりお待ち申し上げます。(結婚式場→新郎・新婦)
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