アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
>No.1870 Sun, 24 Sep 2000 19:23:00 +0900 如月
>前々から気になっていたことなのですが、この頃は早期に自閉症やASと診断され>て本人も知っている場合が多くなってきています。ひと世代前の人達はアスペルガ>ー症候群という名前も知られておらず幼児期の診断もなかったので、ある程度分別>がついてから、このために今までは何から何までがテレコであったのかと、驚きと>後悔の半々で自分の問題を考え始めるのが一般的なケースでした。自分も含め>>>>>て。
>子供の時から知っている人がどんな過程を辿るのか、残酷な言い方をすれば、現在>大量に人体実験が進められていて、ある程度の結果が出るまでに20年ぐらいはか>かるでしょう。
>多様性を認める社会ならばそれほどの心配は無用です。知っているほうが良い結果>が出るでしょう。けれど認めない社会や認める能力を持たない社会では疑問を持た>ざるを得ません。そんな社会への社会適応という観点からだけならば、自分の問題>を知らないほうが、頭をぶつけながらそこそこの社会適応能力を身につけやすいで>しょう。個人的な経験からの類推ですが。
>「変光星」の森口奈緒美さんは、あの世代では珍しく自分を自閉症と早くに知って>いました。このあいだTBSのHPで彼女の略歴を見る機会があって、10年間の>引きこもりという所で考え込んでしまいました。彼女のことは何も知らないので、>自分ならどうかなと考えた結果なのですが、知っていた事と引きこもりが無関係と>は到底思えませんでした。
>自分がもし知っていたならば、拙い言葉で言葉にならない言葉で何度も説明しよう>として、それが徒労に終わった挙句に社会との関係を切るだろう、と思いました。>自分の性格ならばまず間違いなくそうなります。
>個人個人の性格や置かれた環境で結果は違ってくるでしょうが、知らなければ起き>得ないことなので、今の子供達はどうなるのだろうかと考え込んでしまいました。>無用な心配をさせるだけかなとは思いつつ、可能性を否定も出来ませんので、杞憂>に終わることを願ってちょっと書いてみました。
>No.1874 Mon, 25 Sep 2000 14:59:40 +0900 ぽよ子
>時々考えるのですが、ASの人でも、自分がASだと知らなければ、本来ASの人には>>無理があるような事でもどんどんやってしまって、その結果、それが出来てしま>>ったりもするのではないか?それに、やってみて、やっぱり出来なかった、と経>>験するのも、悪いものではない。ASという括りは、苦しみを緩和するだけではな>>く、そうした面白さからも遠ざけ得るから、バランスが難しいな、と。本人のバ>>ランスはもちろん、周囲の大人達の考え方のバランスも。
>考えすぎかな。
世代を越えてASの」ことを考えられるのは、インターネットの醍醐味ですね。みなさんありがとう。
知能も普通以上あり、単に正確とも受け取られそうなこのパーソナリティーを、周囲と本人に告げるかどうか、告げるならどんなタイミングで?というのは、私たちの生涯の課題でもあります。
色々な段階がありました。診断を受けた頃は、私は安堵感でいっぱいでした。自分の育て方のせいではないと言う意味で。それ以後しばらくは、周囲と交わりを持たないようひた隠しに隠す時期がありました。自閉的な行動があまりに目について(周囲の人が気づかなくても、親だけ気づいてしまうとか)私自身の子供に対する味方が、わが子というより「自閉圏一般の子供」という見方をしてしまう、それ自体がイヤで、普通の子と比較できないよう、だれともつき合わない時代でした。
幼稚園は、療育関係の先生にも「なるべく早い社会接触を」と勧められ、3年保育を選びました。その時からこの課題との戦いでした。
幼稚園バスに乗るとき体を触られるのを嫌がり、「さわらないで!」「自分で!」を連発して、園バスの予定時刻をいつもくるわせたり、園庭に水をまき散らしたり、雨の中園庭をひとりで走り回って集合できなかったり、パーマをかけた園長先生に「髪の毛がバクハツしてる」と爆弾発言をしたり…。
考えあぐねた結果、子供を守るために先生全員に手紙を書きました。たしか30人くらいいたでしょうか、30通くらいの手紙を書いたのです。
「アスペルガー」の名前が一人歩きすると怖いので、それは避けて子供の特徴、そしてそれは自閉関連からきていることなどを簡単に説明するものでした。昔ちょっと手をつけたコピーライターに戻った気分で、子供をいかに傷つけずに手をかけてもらうか、売り込みを考えました。というのも、このころは社会性のかけらもない肉弾でしたから、公開することで本人へのデメリットは全くないと考えたからです。先生たちの対応は、ガラリと変わりました…。
友達は一人としていませんでしたが、どの先生も遠くからやってきては抱っこしてくれてました。(親が見ているときは。)
毎日背中の真ん中に靴に踏まれた足跡がついてくるのが気になって、相談したとき「大丈夫ですよ。だれにも迷惑はかけてませんから。端っこで寝っころがってくれるといいんですけど、真ん中でいつも寝るんですよね。」という言葉を聞いて、私たちは、転園しました。
次の園では違う手を考えました。好きなことを好きなだけしてよい園でした。してもよいことのなかに勉強系もあったので、その園を選びました。社会性をつけるという理由で友達と時間を共有するなら、好きなことをして楽しんだ方がよいと思ったことと、幼稚園後半にはイジメにあう可能性を心に入れて、へんてこりんでも、ある意味では突出した部分で、自己卑下をしないようにと考えたからです。
この時も先生には詳しく、一部の信頼できると考えた親御さんに簡単に説明をしました。
この結果は、8割がた成功、2割は失敗でした。信頼できると思った人が、そうではなかったことが後でわかりました。共感派、否定派、同情派、軽蔑派、好奇心派、おせっかい派、常識派、陰話し派、いろんなタイプの人が現れました。子供も、妙に親切な子がいるかと思えば、ついには「@@クンは病気だから手をつながない」と言う子も現れました。母の日で貼られたおかあさんの絵は、一瞬にしてわが子のものがわかりました。顔ではなく、ミミズの這ったような線で迷路を描いていたからです。
その園では、好きな作業にはまり、ずいぶん生き生きしてきました。靴を隠されても、ぬれぎぬを着せられても、イジメには全く気づかず、「ほこりは、畳の上より板の上のほうがよく見えるんだよ。」などと、ニコニコ一日の発見を話していました。
幼稚園の終わり頃になると、「@@は、(←ボクとはどうしても言えないので自分の名前をいう。今も。)遊んでくれる人が誰もいないんだよ」と、ポツリと言うようになってきました。気になって見ると、一人の女の子をストーカーのように追いかけて自分の遊びを強要していました。
さて、このころからですね。自分がちょっと普通の世界の人と違うんじゃないかと気づきだしたのは。そして、自分の小さいときのこと、考えていることをポツリポツリと言いだしました。
だいたい、寝る前とか親子関係が良いときに言うことが多いのですが、とても恥ずかしいことのように照れて話します。たいてい、そういう秘密を話し終えたときは「キャー」と奇声をあげます。私も自分の子供の頃のことを話すと、「ママも変な人だったんだね」と安心して寝ます。
ここでばらす話は、こんな感じで出てきた言葉です。
私たちは家ではAS,自閉などの言葉は禁句となっていて、もちろん本人に話したことはありません。ただ、「アスペルガー」とか「自閉」とか書かれた書類や本を机に出しっぱなしにして、内心慌てることがあります。不思議なのは、知らない言葉があるとすぐに聞くのに、よく目にする「アスペルガー」って何?と一度も聞きません。それは、もしかしたら知っているってことかな、とも思います。それとも全く興味の対象外かもしれません。
専門家の方たちにうかがうと、小学校後半から中学校頃に話すのがいいのでは、と言われたことがあります。私はまだ答えを得ていません。また、話すよりも先に自分の足りない部分、弱さはすでに充分本人が気づいているように思います。うちの場合はアンバランスが顕著なので、特に長所、短所ともに表面に現れ、かくすことは不可能です。
短所に限って言うと、大けがをしているのに「大丈夫、何にもなってないよ」というようなもので、認めないことはかえって不安や疑惑のモトになる危険性があると考えます。
たとえ、けがをしているのがわかっても、美しく残っている部分がたくさんある、そのことの方を大切にしたいと考えています。
うちの子の例しかわかりませんが、短所については、どん底にまで傷つく可能性があり、長所(こだわりの部分)については、あまりにエネルギーがあり、止める方法を私は知りません。
SUN wrote:
>> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>>
>> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
>
>ぽよ子さん同様、どの系統の色が好きかは変化していくのですが、
>概して、クセのある中間色や少しくすんだ色が好きです。
>くすんだ中間色といっても、濁って地味な色は好きじゃありませんが。
>
>好きなのは、たとえば、青磁色にやや緑を混ぜたような色とか、青みのある緑がかった黄色と黄緑の間の色とか、オレンジがかったテラコッタ色とか、オールドローズと肌色に近いサーモンピンクの間の色とか。
>服なら、シビラっていうデザイナーの使う中間色がわりに好きです。
>
>あと、限りなく白に近いグレイにほんの少し、藤色やブルーやローズなどの色味を混ぜたようなペール系の色とか。
>
>今は、漂白したような砂色や、オフホワイトや、家具などで言えばホワイト・ウォッシュ(ナチュラルな木の色の白木に白の塗料を塗って洗い流したような色)も好きです。
>
>好きじゃないのは、蛍光色と、単調な原色と、重くにごった色。
>単調な原色に白を混ぜただけの単調なパステルカラーなども好きではありません。
かなり繊細な色彩感覚の持ち主ですね。カラーコーディネーターになれるかも・・・。
4番はわかってる、ゆーりもわかってる、森ぽんもわかってる、みるもわかってる、武田もわかってる、Chipもわかってる、レントもわかってる、poohもわかってる、異星ジンもわかってる、如月はもう少しだ、以下三十行省略したが、決して名前を忘れた訳じゃない。いちいちここに挙げない大勢の人たちもわかってると信じる。
「想像」で語るな!
我々は「想像」で語れない人種だ。
「想像」とは「普通人」だけにそなわった力だ。
我々は、心を読めない。だから想像が当たる確率はコンマ以下だと心得よ。
「きっと、だろうと思います」「ではないかと思います」「せいではないでしょう か」は禁句だ。根拠のない想像は、ただの当て推量だ。何の役にも立たない。
「自閉症」の「自分の目で見た」「自分の身体が発する」「ありのまま」を語れ!
語るのは何でも構わない。自分が見たありのままなら構わない。
図鑑で読んだ内容でも、大すきな鉄塔でも、美しい空の色の変化でもいい。
それがある人にとっては、深い静かな安らぎをもたらす。力を与える。
会社での失敗談でもいい、旅先での不思議な体験でもいい。
それが我々にとって、合理的なスキル体得の開発に繋がる。
科学出来る者は、その能力を使って「仮説」を立てよ「推理」せよ!
そのために臆せず質問せよ。仲間なら恐れず絶対に答えてくれる。
それが我々の小さな仲間を育ててくれている、親たちの助けになる。
ここに書き込むことすらできない、多くの自閉症者に「つらいです〜」なんて感情を訴えるな。書ける状態なら、きみは既に脱している。脱した体験をこそ語れ。
武田を見てみろ! 異星ジンが提起した、てんかんの小発作の検証に供するため、風呂屋の入り口で脱ごうとした話をみんなにした、その勇気を見ろ。
そういう奇妙な行動と、みんなも日々闘っているんだ。
書ける力を与えられた自閉症者は、その力を自覚せよ!
ノブレス オブリージェだ。
ドナの好きな「キラキラの世界」が、てんかんの小発作とわかったとたん、あんなにキラキラが好きだった女の子たちはどこへ行った?
ここはごっこ遊びの場ではない。
そもそも我々はごっこ遊びができないんだ。
自分でしか、ありえない。
皆さん、こんにちは。「Hoppen Field」の管理をやっているほっぷといいます。
このHPのリンク集に載ってたので、恐縮してるでございます。┌|∵*|>))
いろいろ忙しくて、あまりここに来ることができませんでした。
書きこみをまとめて読ませてもらっています。
先週、就職活動で梅田に行ったとき、テンプルさんの本があったので、金欠ながら
も振り絞って2冊購入しました。今、一通りさらっと読んだのですけど、自分と共通
している部分がいろいろあって共感が沸いてきました。
「こだわり行動」も生産性のある方向に向かわせれば・・・
まだ感想もたどたどしいですけど、暇があればもっと読んで行きたいと思います。
・・・
今日、小児科へ行きます。テンプルさんの本に(少しながらも)載っていた先生で
びっくりしました。「テンプルさんの本に目を通したよ」と伝えたいと思います。
「信頼」「愛情」など、いろいろ克服しないといけない課題はありますが、ゆっく
りでもいいからそれに興味を沸いて行きたいなあ・・・と思います。
これからもこのHPを応援していきますので、今後ともよろしくお願いします。
(|∵|ノ←埴輪ですので、よろしく♪)
http://ww8.tiki.ne.jp/~chao/
> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>
> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
ぽよ子さん同様、どの系統の色が好きかは変化していくのですが、
概して、クセのある中間色や少しくすんだ色が好きです。
くすんだ中間色といっても、濁って地味な色は好きじゃありませんが。
好きなのは、たとえば、青磁色にやや緑を混ぜたような色とか、青みのある緑がかった黄色と黄緑の間の色とか、オレンジがかったテラコッタ色とか、オールドローズと肌色に近いサーモンピンクの間の色とか。
服なら、シビラっていうデザイナーの使う中間色がわりに好きです。
あと、限りなく白に近いグレイにほんの少し、藤色やブルーやローズなどの色味を混ぜたようなペール系の色とか。
今は、漂白したような砂色や、オフホワイトや、家具などで言えばホワイト・ウォッシュ(ナチュラルな木の色の白木に白の塗料を塗って洗い流したような色)も好きです。
好きじゃないのは、蛍光色と、単調な原色と、重くにごった色。
単調な原色に白を混ぜただけの単調なパステルカラーなども好きではありません。
qing wrote:
>武田好史 wrote:
>>皆さんこんばんは。
>> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>>
>> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
>
>もう、小さい時からぐんじょう色が大好きです。
>おとといもぐんじょう色の物が見れてうれしかった。
>きらいな色は....うーん、時と場合によります。
ラピスラズリという名の石を知っていますか?群青という色の絵の具は、むかしは、アフガニスタンのバタクシャン地方でとれるこの石から作られたもので、とても高価だったそうです。この石の群青色は青の中の青という感じで、僕はとても気に入っています。この石は日本では瑠璃(るり)と呼ばれています。
ぽよ子 wrote:
>武田好史 wrote:
>>皆さんこんばんは。
>> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>>
>> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
>
> 好きな色は、自分の中にムーブメントがあって、緑だったり、青だったり、赤だったり、その時その時で変わりますが、大抵、原色よりも少しくすんだ、濃いかんじの色です。最近はオフホワイトも好き。
> 蛍光色は、やっぱり嫌い。何色であれ、蛍光色はだめっす。
きなり色のセーター、結構似合うかも・・・。
武田好史 wrote:
>皆さんこんばんは。
> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>
> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
もう、小さい時からぐんじょう色が大好きです。
おとといもぐんじょう色の物が見れてうれしかった。
きらいな色は....うーん、時と場合によります。
Chip wrote:
>私は表向きてんかんはありませんが思い当たる事があります。
>(母はヒステリーと自分で言うが、デパートで倒れたり、家でも何度か倒れた)
>
>4才の時、夜8時ごろ激しく怒られ窓から吊り出された。
>喉の感覚、胸の動きで、激しく泣いているのを自分でもわかっているのだが、
>感覚は冷静で、
>「ああ、あの電柱の電球の球、今日はついてるな。おとといまで切れてたのに、
>遠くで犬が鳴いてる。静かな夜だなあ。」(自分の声は聞こえない)
>
>きっとあのとき、てんかんを起こしていたのだろう。
>
>そう考えるとよくわかる。てんかんはなにかの防御反応なのだろうか。
てんかんなのかパニックになったのか判りませんが、私は次のような妙な体験をしたことがあります。
1.小学生くらいのころ、速いスピードで走っているバスの中で、ウトウトとしたときに、急に胸が締め付けられるような苦しさにみまわれ、気がついてみると隣の子に体をぶっつけそうになっていた。
2.大学時代地学の同好会のコンパで、みんなの談話がとぎれたときに、急に周りから切り離されたような恐怖感におそわれた。
3.半年前近所の銭湯に行ったとき、下駄箱で急に意識が曇ってしまい、気がつくと服を脱ごうとしていた。
皆さんこんばんは。
皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
>それと、これも子供が言ったことなのですが、「みんな、何も考えてないときがあるらしいけど、自分はいつも何か考えていて、寝ているときも考えていて、なーんにも考えていないときはない」といいます。
他の人との比較は出来ないけれど、私も何も考えていない時はないはずです。それが普通の状態でそれしか知らないので、そんなものだと思っています。誰かと話をしている時でも、つまらない話の場合は違うことを考えているので上の空の返事で、当然内容は何も覚えていません。
考え事があるのだから、話しかけないで欲しいな迷惑だな、と思うだけで何も言わず、上の空の返事だけをしています。考え事をしている人に話し掛けられる無神経が理解できなくて、いつも返事よりもそちらのほうに関心がいってしまいます。常に何かを考えている状態はASの一つの特徴らしいです。
私はとても鈍い子供で10歳ぐらいまでの記憶は残っていても、自分の意思がまるでなかったので、子供さんが「みんな、何も考えてないときがあるらしいけど、自分はいつも何か考えていて、寝ているときも考えていて、なーんにも考えていないときはない」と考えを言葉にまで出来るとはとても驚きです。
私も煮詰まってくると、寝ている間に夢の中で気になっていることを考えたりしています。けれども寝ている間の考えにはろくなものはなくて、寝ている間ぐらいは寝る事に集中するべきだと思います。特に小さい間は。
前々から気になっていたことなのですが、この頃は早期に自閉症やASと診断されて本人も知っている場合が多くなってきています。ひと世代前の人達はアスペルガー症候群という名前も知られておらず幼児期の診断もなかったので、ある程度分別がついてから、このために今までは何から何までがテレコであったのかと、驚きと後悔の半々で自分の問題を考え始めるのが一般的なケースでした。自分も含めて。
子供の時から知っている人がどんな過程を辿るのか、残酷な言い方をすれば、現在大量に人体実験が進められていて、ある程度の結果が出るまでに20年ぐらいはかかるでしょう。
多様性を認める社会ならばそれほどの心配は無用です。知っているほうが良い結果が出るでしょう。けれど認めない社会や認める能力を持たない社会では疑問を持たざるを得ません。そんな社会への社会適応という観点からだけならば、自分の問題を知らないほうが、頭をぶつけながらそこそこの社会適応能力を身につけやすいでしょう。個人的な経験からの類推ですが。
「変光星」の森口奈緒美さんは、あの世代では珍しく自分を自閉症と早くに知っていました。このあいだTBSのHPで彼女の略歴を見る機会があって、10年間の引きこもりという所で考え込んでしまいました。彼女のことは何も知らないので、自分ならどうかなと考えた結果なのですが、知っていた事と引きこもりが無関係とは到底思えませんでした。
自分がもし知っていたならば、拙い言葉で言葉にならない言葉で何度も説明しようとして、それが徒労に終わった挙句に社会との関係を切るだろう、と思いました。自分の性格ならばまず間違いなくそうなります。
個人個人の性格や置かれた環境で結果は違ってくるでしょうが、知らなければ起き得ないことなので、今の子供達はどうなるのだろうかと考え込んでしまいました。無用な心配をさせるだけかなとは思いつつ、可能性を否定も出来ませんので、杞憂に終わることを願ってちょっと書いてみました。
コミュニケーションツールとしての文体研究 その2(テレビ編)
評判になったテレビドラマは、残念ながら
「コナーキスト」による「コナーキスト」のためのドラマでした。
(「コナーキスト」については、NO.1835を参照下さい)
私にとってこのドラマは、見なければいけないという義務感と、怖いという感情の狭間で、結果的にはストーリーを追って見続けることはできませんでした。
なぜかと言うと、せっかく「同調」の世界から脱出したはずのドナが、自分の分身である原作を「同調」の世界に売り渡したのかと思うと、いたたまれなかったのと、あのようなプロデュースをする人は、我々感受性の強い種族に対し「この子たちは心がない」などと平気で言える神経の持ち主だと、作品が、私に語りかけてきたのです。
例を挙げれば、顔の一覧表を壁に貼って、感情を覚えようなんて、ふざけてるもいい話で、人間の表情は絵で分かるほど簡単ではありません。
感情の事を言えば、逆に私たちのほうが感受性が強いと信じています。
単に多数派か少数派かというだけで、元々感情表現や伝達方法が違うのです。
私に言わせれば多数派の「普通人」の方が感受性が鈍く心ない人々です。
これはドナの原作が悪いのではありません。
向田邦子の「阿修羅のごとく」を例に挙げますと、向田邦子と和田勉という「異常者(天才)」の組み合わせが、ドラマを虚構であるにも関わらず、真実と見まごうばかりのドラマに作り上げているのです。そういう作品は、時を経て何度見返しても鑑賞に耐えるのです。
まるでこのサイトで時折見い出される「詩」のように。
(つづく)この文もばらさないでね。
異星ジンへ
え!「そっち側の世界」って、てんかんの小発作だった可能性があるんですか。大発見じゃないですか。こういう解説の仕方は、こどもにはできないし、おとなは隠そうとしますから、あなたはきっと「こっち側」の人だと思います。すばらしい。
てんかんと言えば、私はあのピカチュウ騒動のとき、夕方TVをつけたら、偶然たまたま、ピカチュウが電撃を放ったあの問題シーンだったんです!
私は、あの長時間点滅する白いチカチカした光に目がくらみ、イライラして、
「しつこい、しつこい、しつこーい!いまどきのアニメはこんなしつこい画を流すようになったのかーっ!けしからん!」と寝るまで怒り続けていました。
自分でもあの怒りようは、ただごとじゃありませんでした。
翌朝、例のピカチュウ騒動をニュースで見てびっくり。
私は絶対「光感受性てんかん」をもっています。ものすごいまぶしがりだし。
そういえば思い出しました! 私も小学生の頃「そっち側」に行きました。
夏休み、外は晴れ、昼頃TVを見ていたら、突然画面に白い閃光が閃き、暗転するや、何と「原爆ドーム」が映ったんです! 外界の音が一瞬遮断されて、耳にキーンという音がしてたと思う。こわかったぁ。
でも、その番組、何かの対談番組で、原爆ドームとはまったく無関係だったんですよ。私はびっくりして「おかあさん、おかあさん、今テレビに原爆ドームが!」と母を呼びましたが、既にそのときは、元の画面に戻っていました。母は平然として、「そういえば今頃の時間でしょ原爆が落ちたのは、きっとそのせいよ」
私「おかあさん、違うよ! お昼って言ったら、関東大震災だよ」
母「あら、そうだったかしら。じゃそのせいよ。チャーハンできたわよ」
この会話でおわかりかと思いますが、母も「こっち側」なんです。
>一度、自力で行けたことがあって、その時は両耳を手で押さえたり離したりを繰り返したら行けました。
やだーっ、そんな怖いことよくできるねー 実験したの?もっと聞きたい。
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