アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
翡翠様からのメッセージ:
>34年前に確定診断ですか・・・それは珍しいですね。よくドクターがアスペルガー症候群をご存じでしたね。DSM(権威ある診断基準)収載が1990年代ですから、よほどの医師でない限り診断できないと思いますよ。(今でもきちんと診断できる医師は少ないそうです。)
実は「アスペルガー症候群」の症例が研究され始めたのが、確か1950年代だったので、私が確定診断を戴いた頃には、もう既に医学書には出ていたと思います。
シペラスさん wrote:
>人好きさん wrote:
>>でもーという場面はあるんですが、字も理解が早く『心療内科、精神科』という字は多分すぐ理解して「やっぱりぼくをおかしいと思ってるんだ!」と傷つけてしまうのではないかと恐れているからです。それとはっきり診断されなかった場合母の思い込みということになり、息子との信頼関係が崩れてしまってはとも思っています。友達も少なく外ではおとなしい子です。
>
> 障害の告知というのは、子供の精神医療において『最も慎重を要すべきこと』の範疇に入ります。長年その分野で地道な活動をしてきたある女性の先生は、高機能自閉症児のケアにまつわる講演会折、そのことを聴かれて、こうおっしゃいました。
わたしは、子供の障害を親が先回りして告知することに、どちらかというと懐疑的なほうです。
もっとも障害の程度にもよりますが・・・
わたしは学生時代、いろんな人から「あなたは変わってる、普通じゃない、わたしたちとは違う世界の人だ」といわれ続けてきました。
その度に「普通って何?何でわたしは変わってるの?」と悩みました。古今東西の文学を読み漁り、疎外感を抱える主人公たちに
過度に感情移入したりしました。人と違うことが肯定的に評価される海外の文化にあこがれたりもしました。
でもそうやって常に「自分って何?」と自問自答することは、決して無駄なことではないと思うのです。
むしろ子供の成長過程で早くから自我を確立する上でも必要なことではないでしょうか。
早すぎる「告知」は子供が悩みながら自らの問題を解決する機会を奪うような気がしてならないのです。
>告知は、『うつ状態でないとき』『肯定感を持てるように』『落ちこまさせずかつ甘えさせず新しい生活へ緩やかにいざなう』を満たす必要があると、私自身は思います。
わたしもそう思います。
わたしが変わり者でありながら現在なんとか社会でやっていけるのは、親の前向きな助言があったからでした。
小さい頃、「わたしクラスの子からいっつも変わってるって言われるんだよ。どうしたらいいの?」と訴えると
「いいじゃない、平凡な人より変わってるほうが個性的でずっといいわよ!」というような親でした。
ありがたいことだと思います。
翡翠さん wrote:
>>おそらく。私の場合は、たまたま今から36年前(当時4歳)に「自閉症の疑い」と言われ、今から34年前(当時6歳)に発病した謎の熱病(42℃を超える高熱を発した)の、脳へのダメージの有無を確認するための脳波検査で、アスペルガーの確定診断が出ていますが、このフォーラムにお集まりの皆様の多くは、本人がASもしくはASの疑いがある場合でも幼児期に確定診断を戴いているケースは少ないようですね。
>34年前に確定診断ですか・・・それは珍しいですね。よくドクターがアスペルガー症候群をご存じでしたね。DSM(権威ある診断基準)収載が1990年代ですから、よほどの医師でない限り診断できないと思いますよ。(今でもきちんと診断できる医師は少ないそうです。)
わたしもこの点興味があります。すごいお医者さんだなあって・・・
それまで米英圏では無名に近かったアスペルガー症候群という概念を広く知らしめたローナ・ウィングの著書は1981年の出版ですので。
でも日本では1960年代に既にドイツ語の論文を通してアスペルガーの知見を得ていたお医者さんが何人かいるということなので、
たまたまLuluさんがかかったお医者さんがその1人だったのでしょうね。
みなさんこんばんは。
久々に、質問シリーズをやってみたいと思います。
近々私は、居住している県内の『自閉症・発達障害支援センター』が主催する、『就労問題』を扱うセミナーに出席する予定です。
そこで、みなさんに質問です!
あなたが思うところ、メンタル系の障害(知的障害・自閉症圏障害・精神障害)の就労支援に携わる人に、『あったほうが良い!』と思われる素質は、何ですか?
翡翠 wrote:
>「自閉=引きこもり」でも「自閉=人見知り」でもないですから。ちょっと人との会話がトンチンカンかな~っていうくらいです。「病気」じゃなくても会話のかみ合わない人もいれば、人付き合いの嫌いな人もいます。
>ただ、変わった人は忌み嫌われる傾向がありますからねえ。そういった所から、自分を受け入れられなくなる私のような人は多いのではないでしょうか。
そうですよね。皆と違う、という事は良くない事という教育を私たちは長年受けてきたわけですから。口では個人の尊重とか、個性の尊重とか、自分の考えをはっきり言おう!とか言いますが、いざ実践してみようとすると、はて、どーやったらいいの?と戸惑っている自分がいます。個性の尊重がどういう事なのか?はこの頃息子のことを考えると少しづつ見えてくるような気がします。それと同時に私は(私たちは)今まで自分を押さえ、もしかしたら殺して生きてきたのかも、という気持ちにもさせられますです。マイペースな息子をみると羨ましくもなります。
>病気だから治さなきゃ、な~んて思いつめると悪いことばかりですよ。ASは個性の範疇だと思います。それをどう活かしていくか、が大切だと思います。
私もそう思います。自閉は病気ではなく”そーゆうタイプの人”なんだと認識しはじめました。だって、どこの国にもどの時代にも男にも女にも子供にも大人にもいるでしょう?太古から続く遺伝子なんだし、人類がずーっと受け継いできているものなのだから絶対悪いもんではないんだ!と思います。いや、むしろ必要なのかもしれない。だから最近増えている、という報告があるのかも…(変?)。
>とか偉そうに言いつつ、私はまだまだ自分を受け入れられないでいます。大量のカキコは誰かにかまって欲しいから、というのもあります(笑)。ムダに増やしてしまってすみません(汗)
解ったからといって全て受け入れられるというわけでもないですよね。
長年の呪縛はそう簡単にはとけないですよね。
夫も気付いた事により40年分のツケが今になってどどーんっと覆い被さってきたかのようで、色々大変のようです。
人好き wrote:
>同じです。母の確信ですね。結果が出るまで長ーい気がするでしょうけど、ちょうど新年を区切りに出来ていいかもしれません。
まったく!年末には家の中も大整理する予定ですし(家の中は混沌としてて、息子にとっても夫にとっても安住の地とはいえない様)、新しい年に向け吹っ切っていけるかも…
>
>実はこの問題が私をこの館につれてきた発端だったのですが、ぐるぐるまわってばかりでだめな母でした。よさそうな『メンタルクリニック』を2つほど検索できました。電話してみます。メンタルを『デンタル』といいはって子供を連れて行ってみようかしら^^;)
カンの鋭いお子さんにはどおでしょおか?家の息子には使えそう…(笑)。
私たちの行ったところでは、子供には悟られないように最新の注意を払ってお医者さんが面談してくれてたような気がします。
検査結果にも子供は連れてこない様いわれましたし。
電話であらかじめ息子さんの感の良さ等をお話して、どういった事でつれていったらよいか相談してみるのもいいかもしれませんね。
良心的なところなら親身になって聞いて下さるかもしれません。
お仕事もしながら偉いですね。
良い面談が出来ますように…。
cecilia wrote:
>自閉傾向をよくないこと、悪い事、困ること、という意識で接するとやっぱり
>難しいことが多くでてくるのではないか、と最近思いだしました。
>振り返れば、自分も夫も自分の家族も親戚も夫の家族もみいんなその傾向があるようなきがします。ただ、程度の差がある、なしなんじゃないでしょーか。
「自閉=引きこもり」でも「自閉=人見知り」でもないですから。ちょっと人との会話がトンチンカンかな~っていうくらいです。「病気」じゃなくても会話のかみ合わない人もいれば、人付き合いの嫌いな人もいます。
ただ、変わった人は忌み嫌われる傾向がありますからねえ。そういった所から、自分を受け入れられなくなる私のような人は多いのではないでしょうか。
病気だから治さなきゃ、な~んて思いつめると悪いことばかりですよ。ASは個性の範疇だと思います。それをどう活かしていくか、が大切だと思います。
とか偉そうに言いつつ、私はまだまだ自分を受け入れられないでいます。大量のカキコは誰かにかまって欲しいから、というのもあります(笑)。ムダに増やしてしまってすみません(汗)
人好き wrote:
>でもーという場面はあるんですが、字も理解が早く『心療内科、精神科』という字は多分すぐ理解して「やっぱりぼくをおかしいと思ってるんだ!」と傷つけてしまうのではないかと恐れているからです。それとはっきり診断されなかった場合母の思い込みということになり、息子との信頼関係が崩れてしまってはとも思っています。友達も少なく外ではおとなしい子です。
障害の告知というのは、子供の精神医療において『最も慎重を要すべきこと』の範疇に入ります。長年その分野で地道な活動をしてきたある女性の先生は、高機能自閉症児のケアにまつわる講演会折、そのことを聴かれて、こうおっしゃいました。
『告知ですか…それについては短時間でお話するのは、無理です。それだけでいろいろなことが絡むので、本が一冊書けてしまうほどです。』
私も同感です。大人になって診断されたのに、ASについてある程度文献を読んだ後だったにもかかわらず、『ASに間違えない!』と告げられた時は、かなり動揺しました。その理由は、『サポート体制』がまだ我が国では殆んどない・周りが『障害者』の1人であるとみなしてくれない・社会に居場所がないといったことでした。
自分が『障害者』であると知ることは、ある意味で『ひどい喪失体験』であるといえます。障害者の誰もが、『障害者は、その有する能力を活用することにより、進んで社会経済活動に参加しなくてはならない』という『障害者基本法第六条一項』の条文を、すんなりと批准できるわけではないと思います。
告知は、『うつ状態でないとき』『肯定感を持てるように』『落ちこまさせずかつ甘えさせず新しい生活へ緩やかにいざなう』を満たす必要があると、私自身は思います。
翡翠 wrote:
アスペは非常に軽度な障害なので、普通は特に目立つ問題は起こさないと思います。だからこそ、アスペルガー氏の論文より数十年も経ってやっと病気として認知されるようになったのでしょうね。子供の頃の問題としては、友達が少ない、とかいじめにあう、とかくらいで。大人になってもちょっと変わった人だなあ、という程度ですよ。私は子供の頃、いじめにあったりしましたが、今は何となく「変な人」というポジションにおさまって、社会生活を送っています。
いじめられることは今のところなさそうですが、心配です。
>うーん、お勧め本としては「ぼくのアスペルガー症候群」を親子でお読みになってみては。ケネス・ホールという10才の少年の書いた本です。ケネス君のほうが症状が重い気はしますが。8才のときにASと診断されたそうです。息子さんにASの概念を伝えるというのもできないことではないと思います。
なんてすばらしい・・・。貴方はほんとうに勉強家ですね。主人にも読んでもらえばもうひとつの「人にもわかってもらうには?」と悩みも解決しそうです。
>でも本当はよく分かりません。難しい問題だと思います。
先にceciliaさんに書きましたが、誰かに背中を押してもらいたかっただけなので、メンタルクリニックに行ってみたいと思います。ありがとうございました。
cecilia wrote:
>やはりできるだけ早い時期に療育を始めるというのは大切なことらしいです。
>二次障害も少なくてすむのではないか、ということらしいです。
そうですね、子供はすぐ大きくなってしまって、ぐずぐずしてられませんよね。
2次障害の恐怖を自分でもわかっているのに・・・。
>診察も2人の先生から別々にまったく同じ事を聞かれたりしたし、診察室は冷たい感じの普通の病院、いやそれ以上に無機質だったかも。
>とにかくいらぬ不安をこれでもか、というほど掻き立てられた気がします。
大きい病院にはじめから行く方がいいのかと思っていましたが、ありがちですね。これでもかって掻き立てられたら途中で帰ってきちゃいそう・・・。
>でも、まだ確定診断はされていません。結果は1ヶ月後だそうです。また、診断がもし違っていても、我が子にはそういった自閉傾向はある!と私は思います。
同じです。母の確信ですね。結果が出るまで長ーい気がするでしょうけど、ちょうど新年を区切りに出来ていいかもしれません。
実はこの問題が私をこの館につれてきた発端だったのですが、ぐるぐるまわってばかりでだめな母でした。よさそうな『メンタルクリニック』を2つほど検索できました。電話してみます。メンタルを『デンタル』といいはって子供を連れて行ってみようかしら^^;)
>おそらく。私の場合は、たまたま今から36年前(当時4歳)に「自閉症の疑い」と言われ、今から34年前(当時6歳)に発病した謎の熱病(42℃を超える高熱を発した)の、脳へのダメージの有無を確認するための脳波検査で、アスペルガーの確定診断が出ていますが、このフォーラムにお集まりの皆様の多くは、本人がASもしくはASの疑いがある場合でも幼児期に確定診断を戴いているケースは少ないようですね。
34年前に確定診断ですか・・・それは珍しいですね。よくドクターがアスペルガー症候群をご存じでしたね。DSM(権威ある診断基準)収載が1990年代ですから、よほどの医師でない限り診断できないと思いますよ。(今でもきちんと診断できる医師は少ないそうです。)
シペラス wrote:
>乃絵 wrote:
有難うございます。 どうも、親として子供ちゃんの今だけに目がいってしまいがちで、もっと長い先までを見てあげる事の出来る私にも成らなければいけませんね。
>>私自身、脈が120回/1分もあり体に異常を感じ受診した20歳そこそこの時「甲状腺機能亢進症(バセドー氏病)で、女性の場合非常に子供を妊娠しにくくまた出産しても奇形児の可能性がある。非常に疲れやすく、目が飛び出してくる事もある。生涯治癒しません」との診断結果を聞き、その場で泣き崩れました。
>>
>僕がお世話になっている作業所の指導員さんの1人も、バセドー氏病です。今交際している彼氏がいて、やはりこのへんのことが気がかりみたいです。
私もやはり、20歳くらいの大学時代に2回、社会人になってから3回バセドーで入院しました。
全部薬を飲む為だけの入院だったけど、最初に飲んだやつが肝臓が悪くなる副作用が出ました。
そのころ脈拍は、安静にしていて120。ちょっと普通に動いただけで140くらいになっていました。
疲れやすくて無理がきかないし、ずっとこのまま何度も入院しても仕方ないから、3度目の2ヶ月くらい入院したときに、病院を替わって甲状腺切除の手術をしました。
その半年後に結婚して、1年後に子供ができました。
しかも、次の年も。年子で産みました。奇形などありません。
目も甲状腺が悪い時は、ぎょろっとしていましたが、病状が落ち着いた時期や手術の後には、さほど目立ちません。
手術も難しいものではないようで、短時間で終わったようです。(本人は長かったんですけど)
私は、大分の甲状腺の専門病院でしました。
首の傷もしばらくすると、わからなくなります。
>理由は学校も周囲も特別な事件もなくここまできてしまっていること。
アスペは非常に軽度な障害なので、普通は特に目立つ問題は起こさないと思います。だからこそ、アスペルガー氏の論文より数十年も経ってやっと病気として認知されるようになったのでしょうね。子供の頃の問題としては、友達が少ない、とかいじめにあう、とかくらいで。大人になってもちょっと変わった人だなあ、という程度ですよ。私は子供の頃、いじめにあったりしましたが、今は何となく「変な人」というポジションにおさまって、社会生活を送っています。
やはり問題は二次障害でしょうね。私の場合は鬱がきっかけで、ASと診断されました。二次障害も鬱だけでなく離人とかその他諸々出てきています。
ceciliaさんのおっしゃるように、
>やはりできるだけ早い時期に療育を始めるというのは大切なことらしいです。
>二次障害も少なくてすむのではないか、ということらしいです。
という事なら早く療育を始めてほしいです。やはり、私のような壊れ方はしてほしくありません。
>でもーという場面はあるんですが、字も理解が早く『心療内科、精神科』という字は多分すぐ理解して「やっぱりぼくをおかしいと思ってるんだ!」と傷つけてしまうのではないかと恐れているからです。それとはっきり診断されなかった場合母の思い込みということになり、息子との信頼関係が崩れてしまってはとも思っています。友達も少なく外ではおとなしい子です。
うーん、お勧め本としては「ぼくのアスペルガー症候群」を親子でお読みになってみては。ケネス・ホールという10才の少年の書いた本です。ケネス君のほうが症状が重い気はしますが。8才のときにASと診断されたそうです。息子さんにASの概念を伝えるというのもできないことではないと思います。
でも本当はよく分かりません。難しい問題だと思います。
人好き wrote:
>息子さんのぬいぐるみボンボン投げについては、お布団もあり自分で「やっていい状況」を理解していたように思え、
そーですよね、たぶん爆発しても大丈夫、と思ってやってたんだと今は思います。
>
>理由は学校も周囲も特別な事件もなくここまできてしまっていること。(息子は10歳)
その、クリニックで購入した”アスペの会・東京”の「エスペランサ」にも20歳の青年の親御さんが手記を載せていましたが、息子さんは比較的大人しい方で大したトラブルも無く診断がかなり遅くなってしまったのだそうです。確か3年前だとか。その時は脅迫神経症のような症状を見せるようになって近所の小児科で見てもらい、そして奇跡的ですが、そのお医者さんによってアスペルガ-と診断されたそうです。
やはりできるだけ早い時期に療育を始めるというのは大切なことらしいです。
二次障害も少なくてすむのではないか、ということらしいです。
>
>でもーという場面はあるんですが、字も理解が早く『心療内科、精神科』という字は多分すぐ理解して「やっぱりぼくをおかしいと思ってるんだ!」と傷つけてしまうのではないかと恐れているからです。それとはっきり診断されなかった場合母の思い込みということになり、息子との信頼関係が崩れてしまってはとも思っています。友達も少なく外ではおとなしい子です。
息子さんはきっとIQがすごく高いかもしれませんね。
家の子は小学校2年生なのですが、どっちかというとぼや~っとしてて、おだてに乗りやすく、状況をよく解ってないよーなところがあるので、夫と2人で何とかかんとかおだてて連れていきました。
その病院も○○病院とか○○精神科とかではなくて、”○○メンタル・クリニック”とちょっと聞くと何?歯医者さん?みたいな感じに思えるし(私だけかな?)
実際入ってみると、まさしく歯医者さんみたいな感じで受付も優しげなお姉さん(おばさんか?)で丁寧な受け答えだし、静かだし、安心できるような配慮を感じられました。
診察室も普通の病院とはぜんぜん違って、窓も広く明るい感じで自由な感覚の会社のオフィス?というような趣があり、子供自身恐怖はなかったように思います。
検査に関しては、楽しいクイズをきれいなお姉さんとやれるよ!みたいな事を言っておだてて連れて行きました。
以前、私の父に付き合って国立の精神科に行ったことがあります。
父はごくたまに癲癇発作を起こしていたので、私が息子を出産するに当たって
なにやらすごく心配になったようなのです。
その時の印象は、最悪でした。
精神科、というとやはり色々な症状の人が来ていて、それが寒寒としただだっ広い一つの待合室で右往左往、ごちゃごちゃと居て、健常のひとでもそわそわした気にさせられるような感じ。
診察も2人の先生から別々にまったく同じ事を聞かれたりしたし、診察室は冷たい感じの普通の病院、いやそれ以上に無機質だったかも。
とにかくいらぬ不安をこれでもか、というほど掻き立てられた気がします。
私が子供に確定診断を受けさせたい理由というのは、やはり、早期の療育サポートを受けたい!ということです。
学校には通級クラスがあり、認定されて入所テストにうかれば通えるようになるそうです。
でも、まだ確定診断はされていません。結果は1ヶ月後だそうです。また、診断がもし違っていても、我が子にはそういった自閉傾向はある!と私は思います。
だから、これからもこの掲示板をはじめ、いろんな手段でASやその周辺の事に関しての勉強、情報集めは続けていこうと思います。そして、有効とおもわれる対処法は積極的に実践していこーとも思ってます。
なぜなら、息子のためになる事は実は自分や夫にとっても非常に有効なことだとおもえるからです。子供のおかげで色々わかることが出来て有り難いです。特に夫は二次障害と思える症状、主に身体症状を呈するようになっているので。
自閉傾向をよくないこと、悪い事、困ること、という意識で接するとやっぱり
難しいことが多くでてくるのではないか、と最近思いだしました。
振り返れば、自分も夫も自分の家族も親戚も夫の家族もみいんなその傾向があるようなきがします。ただ、程度の差がある、なしなんじゃないでしょーか。
気が付けば長々と書いてしまいました。すいません。
おっぺさまへ>
>私もまた、彼が冷酷なのではなく、真面目で純粋ゆえ感情の限界線まで来てしまいやすいこと、一生懸命で愛情深い人であることを理解してきました。
>優しさの表現や家族や他人への感じ方は異質なようですが、いまは主人の生き方感じ方のほうが、他への依存がなく崇高であるかもしれない、とさえ思うようになりました。「普通」と呼ばれる、こだわりを持たない人たちの方がよっぽどつまらない、魅力のない人たちとも感じています。
>それと、「能力が劣ってるのではなく、能力の優劣のバランスが偏っているのであり、欠ける力もある代わり、際立つ才能を秘める人が多い、個性人である。
最近気持ちが落ち込んでいましたが、書き込みをよませていただき、元気がでてきました。有難うございます。
おっぺ wrote:
>太郎 wrote:
>>幼少の頃からASの診断がなされ、親御さんがこのような思いをもって育てられることがASの子にとって一番いいことだと思います。
>
>ありがとうございます!迷いも多いのですが、またこちらでいろいろ教えてください!
>
>swimmyさんへ
>お子さんも小さく、ご苦労察して余りあるものと思います。
>そんな状態になってもなおご主人と共に生きようと望まれるお心は素晴らしいです。弱音ばかりだった私と比べて、格段に懐の大きい女性であると、頭が下がります。でも、ここまでご主人があなたに心を閉ざし、こじれてからでは、よっぽどの覚悟がいることと思います。
>
>特に妊娠中や子供の小さいとき、うちの主人にもご主人のような、冷酷にも思えるいたわりのない振る舞いが目立ちました。
>何度も、かみ合わないいさかいを繰り返し「私には受け止めていけない」と、限界を感じることが多々ありました。でも、10年を共に過ごした今、主人はASを自覚し、無理はしていますが、自分をずいぶんコントロールするようになりました。
>私もまた、彼が冷酷なのではなく、真面目で純粋ゆえ感情の限界線まで来てしまいやすいこと、一生懸命で愛情深い人であることを理解してきました。
>優しさの表現や家族や他人への感じ方は異質なようですが、いまは主人の生き方感じ方のほうが、他への依存がなく崇高であるかもしれない、とさえ思うようになりました。「普通」と呼ばれる、こだわりを持たない人たちの方がよっぽどつまらない、魅力のない人たちとも感じています。
>主人がASを自覚したのも、私がそれを受け入れたのも、子供のASをまず知ったところから、子供のためにふたりで時間をかけて勉強していった為、自然と、理解の段階を無理なく踏め、それがよかったかと思っています。
>それと、「能力が劣ってるのではなく、能力の優劣のバランスが偏っているのであり、欠ける力もある代わり、際立つ才能を秘める人が多い、個性人である。歴史に残る天才と呼ばれる人にはASの人が多い。」といった、ポジティブな解釈から理解していったので、彼も受け入れることができたようです。「際立った才能を持つ人種」が先にあったから「その代わりに抱えるリスク」も受け入れ、自覚してコントロールする気になったのです。
>swimmyさんのご主人のように、関係がこじれ、家族生活に支障をきたし
>た後その原因が、そういう困難ある障害をご主人が抱えてるためであることを自分で認めてほしい、というところからでは、絶対ご主人は受け入れられるわけはないと思います。決定的に人格を否定されるようなことであり、認めてしまうにはこんな惨めで絶望的なことはありません。
>マイナス部分だけであなたがASを理解していて、それを直すためにご主人に「認めろ」、では、ますます互いに心が離れるばかりではないでしょうか。「直す」ために「理解させたい」のでは、絶対交わることはないと思います。病気は治りますが、ASは病気ではないのです。すべてをありのままの姿、と、受け入れた上で、しかもそれを悪いこととは解釈せず、愛すべき個性ととらえて添っていく覚悟がないと・・・。
>理解には本当に時間のかかることで、やはり別居の形でまずご主人に依存しない生活を整え、じっくりご主人の理解を深められてみてから覚悟されてはと思います。
>
>娘の将来、結婚、子育てなど、どう覚悟していったらいいか悩んでいたときに主治医から進められた本が、ドナ・ウィリアムスの「ドナの結婚」でした。副題が、ご紹介にあった「自閉症だった私」でしたので、同じものかと思います。
>医師が「ああ、こんな感性の結婚観や夫婦関係もあるんだなって、すごく勉強になるよ」って言うので買ったけど、私は読みきれていません。
>ホントに深い精神世界を自分で細かく見つめて生きてることが分かる文章で、何度も理解が辛くなっては戻り読み、また文字量も多いので手こずって途中になっています。
>ASの人は共通することがいろいろありながらも、一人一人の個性や性分が全く違うので、ご主人を理解するのにはほんの小さな手がかりにしかならないと思うけど、よろしければ読まれてはと思います。
>
>ぶしつけに、いろいろ分かったようなことをたくさん書いてすみません。
>常連の皆様にも、不愉快な乱入であったかと思います。お許しください。
またまた仕事前にココに来てどうしても聞きたいので、いきなりですみません。
前回も私の不安に答えてくれてありがとうございました。
息子さんのぬいぐるみボンボン投げについては、お布団もあり自分で「やっていい状況」を理解していたように思え、私ならこういうこともあるさって思ってしまい終わってしまいそうですが、やはりうちも行ってみようかとか、いつも揺れ動いてしまいます。
理由は学校も周囲も特別な事件もなくここまできてしまっていること。(息子は10歳)
でもーという場面はあるんですが、字も理解が早く『心療内科、精神科』という字は多分すぐ理解して「やっぱりぼくをおかしいと思ってるんだ!」と傷つけてしまうのではないかと恐れているからです。それとはっきり診断されなかった場合母の思い込みということになり、息子との信頼関係が崩れてしまってはとも思っています。友達も少なく外ではおとなしい子です。
またまた仕事前にココに来てどうしても聞きたいので、いきなりですみません。
前回も私の不安に答えてくれてありがとうございました。
息子さんのぬいぐるみボンボン投げについては、お布団もあり自分で「やっていい状況」を理解していたように思え、私ならこういうこともあるさって思ってしまい終わってしまいそうですが、やはりうちも行ってみようかとか、いつも揺れ動いてしまいます。
理由は学校も周囲も特別な事件もなくここまできてしまっていること。(息子は10歳)
でもーという場面はあるんですが、字も理解が早く『心療内科、精神科』という字は多分すぐ理解して「やっぱりぼくをおかしいと思ってるんだ!」と傷つけてしまうのではないかと恐れているからです。それとはっきり診断されなかった場合母の思い込みということになり、息子との信頼関係が崩れてしまってはとも思っています。友達も少なく外ではおとなしい子です。
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